ニッポニアニッポン七味日記
妬みそねみひがみ、恨みつらみに負け惜しみ、悩み半分、ふみ読み半分日記
七味日記2003年4月上旬
七味日記総目次
2003/3 上旬 2003/3 中旬 2003/3 下旬
2003/4 上旬 2003/4 中旬 2003/4 下旬
2003/5 上旬 2003/5 中旬 2003/5 下旬
2002 ゴールデンウィーク 2001ゴールデンウィーク

七味日記2003年4月上旬目次
| 2003/04/01 |
ジャパニーズアンドロメダシアター |
『ディナーラッシュ』 |
| 2003/04/02 |
日常茶飯事典 |
桜散歩その1 外堀 |
| 2003/04/03 |
日常茶飯事典 |
お台場ジョイポリス |
| 2003/04/04 |
ニッポニアニッポン事情 |
桜散歩その2 不自由の女神の国 |
| 2003/04/05 |
トキの本棚 |
『霧のむこうのふしぎな町』千と千尋比較級 |
| 2003/04/06 |
日常茶飯事典 |
桜散歩その3 千鳥が淵 |
| 2003/04/07 |
日常茶飯事典 |
桜散歩その4 代々木公園 |
| 2003/04/08 |
日常茶飯事典 |
関西弁のお医者さん |
| 2003/04/09 |
ジャパニーズアンドロメダシアター |
『めぐり逢う大地』 |
| 2003/04/10 |
トキの本棚 |
『男たちの脱暴力』 |
七味日記2003年4月上旬
2003/04/01 火 晴れ
ジャパニーズアンドロメダシアター>『ディナーラッシュ』
『ディナーラッシュ』は、アメリカのイタリアンレストランを舞台に一日の出来事を描く。出てくるヌーベルキュイジェーヌイタリアンがとてもおいしそう。
おいしそうなイタリア料理におなかをすかせながら見た感想。
「イタリア系社会の抗争」「イタリア系の家庭での父と子の確執」「有名レストランにのしあがるためのテクニック」「美術界を牛耳る奴の俗物性」などもろもろのエピソードをこれでもかと詰め込んだストーリーは、「材料が盛りだくさんなのに、味は調和がとれているイタリアン料理」みたい。
でも、これって、ヌーベルではなく、伝統的イタリアン?ソースはオリーブたっぷりで濃い。
ギャンブル依存症のダンカンのわかりやすさに比べて、ダブルストライプネクタイの証券マンの背景がよくわからなかった。殺人依存症で、人を殺す快感なしには証券業界で生きる抑圧を解消できないのか、それとも株で失敗して報酬ほしさに引き受けたのか。二人殺して「1万3千ドルの報酬は多すぎる」と言っていたので、たぶん前者だろう。
「自分たちにとって不必要不利益な人間」だから、消音ピストルでシュポッと殺してかまわない、という結末は、いま時期的によろしくないかもしれない。
頭の悪そうな二人組、ベビーフェイスと大食漢コンビは、レストランのオーナーであるルイスの相棒エンリコを殺した悪の枢軸国だから、復讐して殺してもかまわないというのだろう。
目先のもうけ話に浮かれて、うまく立ち回れなかった頭の弱い二人組のギャングに同情。大食漢の方はコニシキを思い出すような風貌、強面ふうにしているが、実はやさしい内面もあるんですよ、みたいな風体だった。あんな風にシュポッとトイレで殺してしまうなら、もっと憎々しげな「殺されても観客の同情を受けないような」風貌にしないと、「やっぱりアメリカは、じゃまな奴は殺すんだなあ」と思うじゃないか。
『ボーリング フォー コロンバイン』の監督がアカデミー授賞式で「ブッシュよ恥を知れ」と言ったことについて、天野祐吉は「ブッシュへの反対表明であると同時に、このような公的な場所で自由にものが言える自由の国アメリカの宣伝になっている」と評していた。
私がこの映画から受け取ったメッセージその1、アメリカも日本も、レストランの格を上げるには批評家と寝ることが有効なのね。その2、この映画を見て「自分に敵対する悪いギャングは法の手続きをとることなく、自分で殺してもかまわない」というメッセージを子供たちに与えてはよくない、という話はまったく出てないようなので、アメリカではこのような殺しは非難に値する行為ではないらしい。全米ライフル協会は明日も安泰。
で、映画が終わってからラムラのイタリアレストランでヒメとパスタランチコース。でも、サラダはサラダ菜とトマトだけで、ヒメには「トマトは嫌い、サラダ菜は苦くて食べられない」というし、デザートに「いちごクレープ」を取ったら、クレープの中にヒメの嫌いなバニラアイスが入っていたし、ヒメにとっては「これならコースにしないでパスタ単品のほうがよかった」という結果になった。
ランチのあと、ひとりで外堀桜散歩。
本日のうらみ:映画のようには、おいしくなかったイタリアンランチセット
2003/04/02 水 雨
日常茶飯事典>桜散歩その1 外堀
午前中Aダンス。
午後、昨日に引き続き、桜散歩をしようと思ったのに、花散らしの雨。
昨日の散歩。飯田橋からお堀端沿いに市ヶ谷まで桜並木を歩く。土手の下から生えている桜の枝が、外堀通りの歩道の目の前に来るので、下から見上げる花見とはまた違った美しさ。すぐ目の前に花房がある。市ヶ谷から総武線で四谷へ。
四谷上智大学前から市ヶ谷まで土手上を歩く。こちらは大木の枝がはるか頭上にある花見。宴会準備の青いシートがあちこちに広げられ、番人がひまそうに坐っている。あれも給料のうち。
当方は3月中授業がないゆえ4月は「給料なし」なのだ。それで、缶コーヒーさえ飲まずに市ヶ谷から地下鉄で帰った。
今日は一日ネット読書。サイコドクター読冊日記再開、うさぎやリニューアルオープン。
本日のねたみ:花見席取りシートに1日寝ていて給料もらえる人、うらやましいぞ
2003/04/03 木 曇りのち晴れ
日常茶飯事典>お台場ジョイポリス
午後、お台場へ。ゆりかもめに久し振りに乗って、汐留サイトのなかを通っていく。「モノレールがビルの中で空中に浮いている感じがする」とヒメ。
お台場海浜公園で降り、デックお台場へ。
ジョイポリスは、私の苦手な室内アミューズメントパーク。閉所恐怖症なので、こういう閉じこもった場所に長くいると息苦しく、気持ちが悪くなってくる。一カ所でも外が見える窓があればいいが、そうでないとダメ。
バーチャルスカイハングライダーとアクアノーバをやって、外へ出た。
ひとりで、午後3時半から2時間、お台場散歩。
5時半にジョイポリスに戻って、ヒメワカと合流、バーチャルジャングルドライブと急流下りの乗り物に乗る。
バーチャルのいいところは、こわくなったら目をつむってしまえば、ただ椅子がガタガタゆれるだけ。ジャングルの吊り橋が壊れて下の峡谷に落ちるシーンで、目をつむった。
ヒメは「ほんとうに吊り橋から落ちるなんて体験をしたら落ちるときの景色をみる余裕なんてないんだから、どんなふうに落下するのか、どう見えるのかちゃんと見なきゃだめじゃない。実際に死ぬわけじゃないのに」と言われた。それもそうだな。ちゃんと見ておけばよかった。だけど、こわかったんだもん。
パニックには冷静に対処できない人間である。願わくは一生の間、戦争地震火事飛行機墜落&ジャングルドライブで吊り橋から落下、には出会いたくない。
バーチャルジャングルツアー車は、後半なぜか性能アップして空をとぶ。ヒメは「空が飛べるのなら、橋から落ちずに最初からとべよ」と、ツッコミをいれながらも「ああ、楽しかった」。
急流下りの方は、後半大波にもまれるシーンがあったが、こんどはがんばって波がどうかぶさってくるのか見ていた。実際に波にもまれたら、波のようすを観察する余裕はないだろうから。大波だが、逆巻きも砕けもせず実際の波とはちがうので、揺れるが転覆はしない。でも船酔いしそうだった。
ヒメワカは「せっかくパスポート券買ったから閉館まで遊ぶ」というので、私は先に帰ることにした。
ゆりかもめの中から見るお台場のビルの光と観覧車のライト。汐留付近の光と東京タワーのライト、レインボーブリッジのライト、ひさしぶりにお台場を訪れて、観光客になって楽しんだ。都市のライト。宇宙から見ても東京近辺の明かりの多さは地球の中でも異例というが、本当にきらきらで、都会的。
これほどキラキラさせるために、どれだけ電力=石油やウランをつかっているのかと思いつつ、このきらめきを美しいと思うならアラビアの石油のために戦うことを拒否できまいと問われたら、どうする。自問自答。
精神的な問題では今のほうがいいが、物質的な生活では50年代に戻ることもできるだろか。竈でご飯を炊いたことを覚えている最後の世代の人間だから。電気釜も洗濯機もなければないで生活できるとしても、パソコンは手放せない気がする。インターネットが変えた伝達を手放せないなあ。
アトム誕生の2003年4月7日、手塚治虫は車は空を飛ぶものとして描いたが、お茶の水博士は黒いアナログ電話で通信する。1960年にも70年にも、一般人が世界中の人へ向けて発信できるとは夢にも思わなかった。
ゆりかもめは相変わらず運行不順で、国際展示場駅で車輌事故が起きたからと、ストップした。それほどの遅れはなく新橋に着いたが、平日だから観光客より通勤客のほうが多い車内、運行不順に慣れているのか、皆さっさと下車していた。7時半。通勤客は家路を急ぐ。
本日のつらみ:ハイテク無人モノレールは、しょっちゅうストップ
2003/04/04 金 曇り夜雨
ニッポニアニッポン事情>桜散歩その2 不自由の女神の国
昨日、3時半から5時半まではお台場散歩。
はじめて「自由の女神」のレプリカを見る。この像がお台場にお目見えしたときの大騒ぎ。見物のために列を作り、警察官が誘導にあたったのだという。それから思えば、レインボウブリッジを背景に立つ姿がもう周囲になじんでいる感じがした。
この像は、USアメリカ52番目の日本州が属州としての自分自身を自覚するためのレプリカだったのか、と気がつく。1960年には全国こぞって52番目の州となることに異議申し立てをした一般庶民。51番目は、プエルトリコ、イスラエル、イギリスの3つが属州化をねらって争っていると言うが、52番目は日本がすんなり決まったよなあ。
今回の「属国化」には国民一同、騒ぎもせず、コイズミがブッシュにへこへこするのを認めている。ハンバーガーいっこ59円に慣れて、独立国家の気概も尊厳も忘れ、日本には石油ないんだからしょうがないよなあ、アメリカに守ってもらわなきゃジョンイルがミサイル打ち込んでくるよなあ、と首をすくめ、レプリカ女神が東京の街の風景にとけ込んでいるのを違和感もなく受け止める。
桜満開の中の女神の姿が絶妙のマッチング。このように桜の中にたつならば、われわれのDNAは「自由の女神も神代よりの伝統」と思って受け入れられるのだろう。八百万の神の中にひとり増えても大差ない。
「戦争反対」のピースウォーキングとやらに参加した人たちの何割が「戦争大賛成」の内閣を拒否できるのかと思うと、デモも「いちおう私、戦争反対って表現したからね」という免罪符になっている気がする。次の選挙につながらないいらだたしさ。民主主義の国であるならば、「戦争反対」なら「戦争賛成の政府」を変えることから始めるべきであろうが。
デモクラシーではなく、「っても、暮らしぃ」の国の人々の花見。自由の女神越しにレインボウブリッジをながめたり、満開の桜と女神の構図の下、お台場海浜公園を歩く。不自由の女神の国の、「っても暮らしぃ」。「戦争反対、でも、暮らしが優先するから、暮らしを守るためには戦争賛成の内閣に一票」の人々の花見。
女神像の次に、デック4階のお台場1丁目商店街。1960年代の商店街をテーマにしたショッピング街。
ショウウィンドゥにある電化製品を指さして、おばさんたちが「ほら、あれあれ、うちにあんなのあったよね」と騒いでいる。電化製品がボーナスごとに家の中に増えている喜びに満ちていた頃。豊かさは家電品の数で目に見え、右肩上がりをだれも疑わなかった。会社村の中で一生を終えることが人生だった男たち、「専業主婦」と呼ばれ、名字が変わることがステイタスだった女たち。
懐かしさはあるが、再びこの時代の「豊かさ実感」にもどるのがいいか、といわれれば、私はいやだ。ようやく女が窓をあけて外の空気を吸い、ドアから外に出られるようになったんだもの。物質的には昔にもどってもいいが、精神的には「ウーマンリブ以前」はつらい。
この商店街もビルの中だが、ところどころに海側への出入り口があるから、それほど息苦しくはならない。でも、ひとまわりしたら飽きたので外に出た。
無料シャトルバスでお台場の中を一周した。パステルタウン、ビッグサイトなどを回って、2時間のお台場ウォッチング。
昔来たときは都市博中止後の空き地ばかり目立ち、閑散とした荒れ具合が「生まれる前に廃墟となっていた廃都市」光景としてなかなかの味を出していたが、今はこぎれいになり華やかになった。どっちがいいというなら、無論私は廃都市派だ。華やかなショッピングモールは経済活動によってお金を生み出すが、廃墟は何も生み出さず荒涼と立っているだけ。
バクダッドのミサイル打ち込まれた後の映像はあまりに生々しくて、あれは廃墟ではない。あれは、殺されて血を流している死体。廃墟とは、既にされこうべになっていて「あなめ、あなめ」と風に声をさらしている姿。
本日のうらみ:戦火に巻き込まれている民もあれば、30年前の電化製品を豊かさの象徴となつかしむ民あり
2003/04/05 土 雨
トキの本棚>『霧のむこうのふしぎな町』比較級「千と千尋」
一日雨だから洗濯もできないし、とウダウダ。散ってしまうだろう桜を惜しみながら、それでも、夜中の12時に「日本語教授法」の一部をプリントした。
『霧のむこうのふしぎな町』読了。「青い鳥文庫」をはじめて読んだ。ひらがなのひらき具合が、いい感じ。漢字にはほとんどにルビ。留学生に読ませるなら、最初に「千と千尋」を見せて、ジャポニズム風呂屋を味わってから、こちらを読むといい。
作品としてどちらかひとつを選べというと、ファンタジー少女文学とアニメという異なる媒体だから、比較がむずかしいが、あえてひとつだけなら、私は「千」。
ジブリファンには評判がいまいちだったし、私もジブリの中では「ナウシカ」や「トトロ」の方が優れていたと思うが、『霧のむこうのふしぎな町』は、このままアニメにしたら作品として弱い。女の子がほんわかすてきな一夏の思い出を作って、それなりに人々の様々な生活や喜び悩みを知って、成長して両親の待つ暖かな家庭に戻る。いい話だ。
でも、「心温まるいい話」は、大人まで巻き込んでアカデミー賞ねらうところにはいかない。
比較級、その1。まず、労働の質が違う。湯屋で千が命じられた労働は、一人前の大人と同じ「労働力」を求められている。登場するカオナシやハクの性格がよくわからないしキャラが弱いというのもわかるが、私は千がちゃんと労働をこなしていることだけでも、「きけ、万国の労働者!階級出身」として評価する。だいたい今時の子で、ぞうきんがちゃんと搾れてぞうきんがけができるなんて、えらいぞ千尋。
一方、リナが「気ちがい通り」で体験するのは、本屋でも瀬戸物屋でも「手伝い」である。瀬戸物の中から偶然「王子」を発見してわがままな王子を変身させるのも、小学6年生が体験するにちょうどいい「ままごと」のように感じてしまう。登場人物は、みんなイイヒトで、ちょっと陰のあるオバサンも最後には息子の待つ家に戻ってめでたし。たぶん、この作品を素直に受け取るには年をとりすぎたのだ。
比較その2。ピコットばあさんの挿絵と湯婆婆がイメージそっくりなのは笑えた。
母と子の関係。湯婆婆の赤ん坊ねこっかわいがりが、赤ん坊自身が求めた成長によってぴしりと拒絶されたことは、ひょっとこお面の坊やが「母ちゃん恋し」から一歩踏み出して成長しないのと比べて、いい感じ。赤ん坊も小学生の女の子も自分の力で成長するのだよ。
1975年にこのファンタジー小説が発表されたときには、ちょっとしたセンセーションだったというのだが、私はまったく知らなかった。当時はナルニア国とか、フランバーズ屋敷とか、外国ものばかり読んでいたような気がする。当時これを読んでいたら、少女の「ひと夏の思い出」話としてさらっとうけとめ、「中学校の図書館にいれてもいいかな」って判断したかもしれない。
でも、もっと過酷で凄惨な成長もあることがわかってしまった大人にとっては、ちょっとものたりない。自分自身には一筋の傷さえ受けずにさらりと成長できる好運な女の子への嫉妬か。
今や、クレヨンしんちゃん映画、仮面ライダー、○○レンジャーものまで、子供のパパママねらいのへんに大人びた小理屈つきの話にするのがはやりだから、気ちがい通りの話も、湯屋に底上げしなければ大人を巻き込めないという計算は見事にあたったというべきであろう。
本日のひがみ:私の役回りは、豚になる「千」の母親
2003/04/06 日 晴れ
日常茶飯事典>桜散歩その3 千鳥が淵
昨日の雨、秩父や箱根では雪だったという。まだ風が冷たいが、散らないうちにと、午後やっと起きてきたヒメワカと千鳥が淵に花見に行く。歩くための体力ランチはロイホ。
九段下についたら5時半。6時過ぎまで千鳥が淵と北の丸公園を歩く。武道館に「入学式」という垂れ幕がかかっている。そういえば、去年の4月7日はヒメの入学式だった。去年入学式にはすでに葉桜だったが、今年はちょうど桜がきれいで、入学式と桜の構図が写真によさそうだ。
桜をみるたび、昨春ホスピスで姉と最後の花見をしたことを思い出す。これから先ずっと、私にとって花吹雪は「姉の命の散る姿」として目に映るのだろう。
本日のうらみ:姉の病を誤診し「子宮筋腫なんて、切っちゃえばすぐ直る」と言った医者を絶対に許さない。術後毎月検査に通い、まだ具合が悪いと訴えているのに「もう子宮切っちゃったのに、子宮が悪くなるわけないだろ」と言った藪医者!姉はあなたに殺されたのだ
2003/04/07 月 晴れ
日常茶飯事典>桜散歩その4代々木公園
「明日から新学期始まるから、春休み最後の日を水族館ですごそう」というと、ヒメは「今日は水族園の気分じゃないから、渋谷でケーキ食べ放題をして、代々木公園の芝生でのんびりしたい」という。
渋谷の「デザート王国」という店。前、ここは「ベーグル専門店」だった。以前食べに来たことがあった。それが今では「デザート王国」。
ランチ時だったのでかなり混んでいて15分くらい待った。パスタとケーキ飲み物で1500円。パスタはうまくないし、ケーキは「100円ケーキの店」で出しているようなしろものだった。「食べ放題の店で残すのは御法度」にしている我が家だが、三人ともケーキを半分ずつ残した。
こういう店はリピータファンをつける必要はなく、雑誌などで派手に宣伝をして「一度は試してみようか」という客を集め、客足が遠のいたら、またすぐ模様替えして違う店に作り直すのだろう。渋谷ではそういう商売が成り立つのだ。
店にいる間、3回トイレに立つ。いくらケーキがまずくて水をたくさん飲んだからとはいえ、ちょっと変。
代々木公園は桜吹雪。花見も今日が最後。芝生にシートを広げて休む。
親子で出かけるのはこれが最後かと毎回思いながらお出かけする。シートに大学生の娘と中学生の息子が母の両脇にごろりと寝転がって、「まーたりゆるゆる」と寝ている。大学生の娘にデートの相手なく、中学生の息子にギャングエイジつるんで遊び回る仲間なし。これでいいのか。20年後40才の娘と35才の息子が母の両脇に寝転がって花見をしている図も思い浮かぶ。うひゃっ。
またトイレに行きたくなったので、公園の中のトイレをさがす。帰る道、公園の出口でまたトイレに行く。「50すぎの年寄りはトイレが近い」と思っていた。
ヒメが原宿で買い物をするというので、私とワカはダイソーに入って待つことにした。もう、完全に状態がおかしくなって、トイレをすましても、5分もたたずにまた行きたくなる。すごく痛い。身障者用のトイレに入って落ち着いて観察したら血尿になっている。もうダメ。ダイソーの目の前に内科婦人科と書いてあるクリニックがあったので、保険証もないが飛び込みで入ってみたが、婦人科は相談のみの受付で、内診などはできないというので、とにかく帰ることにした。
代々木からの電車がつらかった。日頃病気になって電車に乗ることはない。病気のときは家で寝ているから。座席が空いて座れてとてもありがたかった。
出血したことでとても不安になる。姉のように子宮肉腫かもしれない。体質は同じだろうから。すぐトイレに行きたくなるので、寝てもいられない。出血も多くなった。スモモに電話すると、たぶん膀胱炎だろうと言う。それで少しうとうとできた。
夜中2時頃、目が覚めたので、ぼうこう炎を検索する。頻尿残尿感などの症状があてはまり、血尿が出る場合もある、という解説。ぼうこう炎なら、成人女性の4人に一人は既往のよくある病気だから、子宮肉腫のように、日本での症例は数少なく治療法もない、という病気ではない。少し不安もおさまる。よくある病気とはいえ、私にとっては初めてのことだから、心配は心配。
どれほど貧乏でも、今まで健康だけは自信があった。健康がなによりの財産で一番の幸福だ。あたりまえのことだけど、日ごと健康が続くとありがたさを忘れてしまい、不平不満ばかり感じるようになる。ときどき具合が悪くなって、健康のありがたさを忘れないように神様がはからうのだろう。
本日のうらみ:どうこうも言ってられない痛み、ぼうこう
2003/04/08 火 雨が降ったりやんだり
日常茶飯事典>関西弁のお医者さん
病院を受診する。内科にまわされ、「自覚症状、頻尿、残尿感、血尿」と書きこんだ予診質問表、尿検査で「白血球と糖が出ている」という結果により「ぼうこう炎」と診断された。問診と尿検査だけで、内診もなく診断が終わってちょっと心配だったけど、医者でもないスモモが電話で話を聞いただけで「あ、それ膀胱炎」と言ったのだから、医者も予診票を見ただけで、「あ、これ膀胱炎」と診断できるのだろう。
ふわふわした話し方の関西弁の医者。関西では、このように頼りなさげな「ホンマにこれで大丈夫なんやろか」という雰囲気が好まれるのだろうか。ようわからんが。上州女としては「あんた、人の病気診断してるんだから、ちったあ、しっかりしいや!」と、背中をどつきたくなる。
でも、看護師長の名札をつけた看護婦さんは、とてもてきぱきしていて賢しこそうで、指に針刺す採血も痛くなかったから、「ま、膀胱炎っていうなら、それでよし」と思う。血糖値は高くなく平常値だったが、いちおう尿には糖が出たので、近々糖尿病の検査をする、ということになった。母が糖尿だったから、私がなる可能性も高い。太っているし。甘いもの好きだし。
帰りは雨の中、ちょっと遠回りになるが、たんぽぽ薬局目指して歩く。ところが、たんぽぽ薬局は閉鎖されていた。
病院の裏側にひっそり隠れているようなロケーション。薬剤師たちは親切。客が少なくていつでも待たずに薬をもらえる。私にはとてもいい薬局だったのに、こういうとこは商売にならず、あくどく儲けるところが生き残るのだろう。薬局も商売だから仕方がないとはいえ、残念なことである。別の薬局で抗菌剤をもらった。
排尿痛もだいぶおさまってきた。ぼうこう炎は、雑菌が入りやすいため女性がかかりやすく、四人にひとりは既往歴があるという。軽いものは自然治癒してしまうので、患部を見せるのがいやで医者にかからない人も多く、実際は二人に一人くらいは既往の病気なのだという。抗菌剤を1週間も飲めばよくなる、それほど心配のない病気。
それでも出血すればあわてるし、痛いし、病気はいやだ。香港では新型ウィルスの肺炎で死者が100名を超えそうだというし、克服される病気もあれば新たな病気も生まれてくる。人間と病気の闘いは人類滅亡の日まで続くのだろう。
本日のつらみ:親切な薬局はもうからず
2003/04/09 水 晴れ
ジャパニーズアンドロメダシアター>『めぐり逢う大地』
子どもたちは学校始まったが、私はもう少し春休み。薬を飲んだらたちまち痛みもおさまったので、せっかくの残り少ない春休み、ひとりで『めぐり逢う大地』を見た。
トマス・ハーディの「なんとか市長」という作品が原作とうたってあるが、原作ではなく「原案」にすぎない。なぜハーディを持ち出したか。「文芸大作」っぽい権威を宣伝対策上つけたかったのじゃないか。『千と千尋の大冒険』の原案が『霧のむこうのふしぎな町』というのと同じくらいの原案度だった。これなら『千』のほうだって、原作として『霧のむこう〜』をださなければ、申し訳がたつまい。
つまり、ハーディのほうは著作権が切れているのだから、どう使っても原作料を払わなくてもいいから?
映画の原題は「The Claim」このごろのはやりは、英語をそのままカタカナにするタイトルだが、カタカナで「クレーム」にしてしまったら、意味が異なってしまう。外来語としてのクレームと英語のclaimは違うから、タイトルとして、ふさわしくなくなってしまうのだろう。
この映画の見所は圧倒的なシェラネバダ山脈の偉容と、今にも谷底に転げ落ちそうに走る蒸気機関車。ビッグサンダーマウンテンの100倍こわそう。
あとの人間模様は、ナスターシャ・キンスキー、結核で死にかけていていいとこないし、父の故郷にちなんで新しい町に「リスボア」と名付けるルシアは、ファドの声はいいが、町の新支配者として腕をふるうところをみる前に話は終わるし。結局、妻子を売って、金鉱町の行政権警察権司法権を一手に握る町の権力者になった男の没落物語。それも売り払った妻の「クレーム=要求、異議申し立て」によって、すべてを失う話。
ラストシーンで鉄道測量技師はディロンの死を「王のようだった」と評する。もし、彼が本物の王なら、捨てた妻が結核で死に、実の娘に父親だとうち明けても本気にして貰えないからって、絶望なんかしちゃいけない。自分が一から作り上げた町に火をつけて、雪の中で凍死するという最後を選ぶべきでない。銀行の金庫でむなしく焼けた金。あの金を使って、鉄道沿いに新しい町を開き、娘に全財産を相続させるべく万全の手をうつべきだったろう。それができない「なりあがり偽王のさびしい生涯」という映画でした。
どんなに息子が暗愚でも、王位につける努力を惜しまなかった「いるそん王」こそ、真の赤い帝王であろう。無論2代目で傾き、「唐様で売り家と書く三代目」というのが正しい王位継承である。
久し振りにNHK7時のニュースを見た。バクダッド情勢を見る。ここでも成り上がり偽王のラストシーンをやっている。盛者必衰のことわりとやら、もののあはれを誘う桜吹雪の季節である。
本日の負け惜しみ:公団2DK住まいでは、唐様でも金釘流でも「売り家」と書けないが、ヒメは書道五段
2003/04/10 木 晴れ
トキの本棚>『男たちの脱暴力』
姉の命日1周年。桜吹雪忌。法事は3月にすませたが、皆それぞれのやり方で、柿実さんをしのんでいることだろう。
柿実さんの最初の亭主は、素面ではいい人なのに、酒が入ると暴れ出す人だった。この元亭主が結局肝臓をやられて死んだ後、3ヶ月後に柿実さんが亡くなった。元姑は「息子のあとを追ったんだね」と言ったそうだが、誰が別れた暴力夫の後なんぞ追いかけたいものか。
「元DV夫疑惑」井上ひさしについて。
米原万里が先月NHKのおひるのトーク番組にでたとき、はじめて彼女が「私の妹は井上ひさしの妻だ」と発言するのを聞いた。私が聞いたことがなかっただけで、他の場所では公言していたのかもしれないが。井上ひさしがペンクラブ会長になったことと、関係するのだろうか。井上がペンクラブ会長になってしまえば、彼が共産党幹部元国会議員米原昶の婿であることが世間に知れ渡ってもいいが、副会長であるうちは、共産党の婿殿であることは、公にしないほうがいいとか。
「DV本」流行中とはいえ、西館好子が今更昔の話を出すのもせつない気がする。
西村ドクターは好子さんのDV非難を受けて、ますます井上ひさしを見限っている。私は作品と実人生は別、という考えを持ち続ける。「いっぱいのかけそば」騒動のときのように、作者が悪者なら、作品の価値が落ちるという程度の作品なら、最初から文学作品としての価値はなかったのだ。作者の顔や生き方は本の売り方に関係するだけ。内容の価値には関係ない。
中村正夫さんのDV本を読んでみる。『男たちの脱暴力』
中村さんの本は、メンズサポートルームの活動の記録。DV加害者の男性たちの、セルフヘルプワークショップ。男性の側だけから見たインタビューが中心となっている、ということわりがあるせいか、どのDVも、女性たちの記録にみるような悲惨な状況ではない。
家族や妻への感情を抑えに抑えていて、ついに爆発してしまうと、ついカッとなって妻をなぐってしまう、とか、ここに話されている程度のDVなら、女性たちをあれほど恐怖のどん底に陥れる暴力ではないのではないか、自由意志でワークショップに出ようとする男性は、DV加害者の中でも軽症なのではないかと感じた。
毎年きまって、家族一緒に撮った写真を年賀状に印刷してくる中村正夫さん。今年は家族5人の他、ペットのインコまでカラー印刷されている念の入れ具合で、我が家のような擬似母子家庭に毎年こんな「幸せ家族写真」を送ってくるのは何のいやみじゃ、と思わせてきた。
『男たちの脱帽力』あとがきでの、本人の告白によると、奥さんとはギクシャクしっぱなし。正夫さんは蒸発願望が強いのだと。蒸発願望など、誰でも持つわい。持つけど、実行はしないの。「蒸発願望がある」くらいが妻に対する申し訳のなさ、なら、うちのように初めから蒸発しっぱなしの家庭はどうなるんじゃ。ぷん。
本日のねたみ:一家4人で撮った写真、10年前のものしかない
七味日記総目次
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2003/7上旬 2003/7中旬 2003/7下旬
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