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ニッポニアニッポン七味日記
妬みそねみひがみ、恨みつらみに負け惜しみ、悩み半分、ふみ読み半分日記![]()
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七味日記総目次
2003/4 上旬 2003/4 中旬 2003/4 下旬
2003/5 上旬 2003/5 中旬 2003/5 下旬
2003/6 上旬 2003/6 中旬 2003/6 下旬
2002 ゴールデンウィーク 2001ゴールデンウィーク
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七味日記2003年5月上旬目次
2003/05/01 トキの本棚 『読者は踊る』 2003/05/02 アンドロメダM31接続詞 ひろゆきの顔 2003/05/03 日常茶飯事典 ハンカチの木 2003/05/04 日常茶飯事典 新宿御苑散歩と修司忌 2003/05/05 トキの本棚 『物語の体操』 2003/05/06 ことばの知恵の輪 貝多羅葉 2003/05/07 ニッポニア教師日誌 語彙数調査 2003/05/08 トキの本棚 『ぼくは勉強ができない』 2003/05/09 日常茶飯事典 神楽坂散歩 2003/05/10 日常茶飯事典 松濤の武者絵とTENGO
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七味日記2003年5月上旬
2003/06/01 木 晴れ
トキの本棚>『読者は踊る』
日本事情作文2コマ。
斎藤美奈子は絶対に面白いだろうと思って読むので、期待はずれだったときのがっかり度が大きくなるが、期待を裏切らない面白さだった。
押さえて欲しいツボをぴたっと押さえてくれて、とても気分良く心身がほぐれる。活字のタイ式マッサージか。
前書きの「踊る読者」該当者チャートによると私は20項目のうち、19項目に該当する完全無欠一歩手前の「踊る読者」であった。めでたい。一生踊っていたい。
たったひとつの不一致項目は「上下2巻の本はとりあえず上だけ買う」というところ。私は上下そろいで買う。下を読まないことはあっても、買わないことはない。もっとも、上下そろいという大部の本なら、普通は買わずに図書館に新規購入リクエストを出す。
本日の負け惜しみ:古本屋の文庫は上下揃いで買っている
2003/05/02 金 晴れ
アンドロメダM31接続詞>ひろゆきの顔
朝日朝刊に、ひろゆきの本名顔写真経歴付き、ネット集団自殺へのコメント欄に登場。なにより存外「さわやか好青年」の写真にびっくり。私の勝手な肖像では、30代の元会社員、伊集院光系体型のネットおたくタイプかと。
ひろゆき実物。年齢はまだ28だったし、いい男だったし、アメリカ留学中に2チャンネルをはじめたのだというし。裁判沙汰でだいぶ正体もばれたので、本名や顔をさらすことにしたんだろうか。それとも私が知らなかっただけで、みんなはもともと顔を知っていたのか。
私にしてみれば、サスケが県議会でマスクを脱ぐよりずっと面白い見物だ。あと見たいのは絶望書店店主だなあ。無論単なるミーハー的興味である。小谷野もてない氏も「絶望書店店主、おまえに興味がある!」と言ったそうだ。
SFJ3コマ。1組、動詞の辞書形、て形に苦戦中。
本日のそねみ:「美女で才女、才子で男前」って、神様!不公平です。神が公平さを忘れても、ニッポニアニッポンは自由平等博愛を守ります
5月3日 土 晴れ 854
日常茶飯事典>ハンカチの木
みどりの日散歩コースに入れなかったので、小石川植物園へ行く。いつも無料の日に入園するので、料金を払って入るのは久し振り。のんびり園内をひとめぐり。ハンカチの木も見た。
千石、大塚の住宅街を抜け、教育の森公園を通って巣鴨の住宅街へ。ぐるぐる自転車ポタリングをしているうちにとげぬき地蔵に出た。庚申塚商店街から板橋駅へ。石神井川に沿って下る。
歩く散歩だと、どこへ行っても「この道はどこへでちゃうのだろう、目的地とまったく違う方向に歩いているんじゃないか」と不安になるのに、自転車だと「多少間違った道を進んでも、必ず戻れる。どこへ行ってもすべての道はローマに通ず」とペダルを踏める。なぜ歩きと自転車はこんなに気分が違うのだろう。私は自転車大好き。ガソリン食わずダイエットによし。五月の風は肩をなでる。
本日の踏み:20分ペダルを踏むと100カロリー分の減量
2003/05/04 日 晴れ
日常茶飯事典>新宿御苑散歩と修司忌
ヒメとワカは、新宿コマの招待券をもらっておいたので『アイスエイジ』というアニメ映画を見る。私はその間新宿御苑で散歩。
最初は新宿門から千駄ヶ谷門まで外周沿いに歩く。9時半に入園したら前後にだれもいなくて「静かな森の道をひとり占め」状態で歩いた。ときどきカメラマニアのおじいさんと行き違う。桜は終わり、薔薇はまだ咲いていないので一番人がいない時期。
こちらにもハンカチの木がある。小石川のハンカチの木は有名で、たくさんの人が見ていたし、ハンカチの葉っぱも全然落ちていなかったが、ここには木の下一面に白い葉っぱが落ちている。 ゆりのきの巨樹をながめる。日本庭園、フランス庭園を回る。茶店でおだんごを食べてのんびりしたいところだったが、11時45分の待ち合わせだったので、11時20分には新宿門を出る。新宿2丁目を通って、大通りに出る。
伊勢丹の角まで来て、どちらに進んでいいのか方向音痴だからわからない。リュックの中にはこんなこともあろうかと東京地図が二冊も入っている。区ごとの地図と細かいタウン地図の2冊。こっちだろうと思った方に向かうと角に交番があった。しばらく地図を眺めてもよくわからないので、おまわりさんに「紀伊国屋書店って、どこですか」と聞くと、私が進もうとしていたのとは違う方を指す。私が進もうとしていたのは明治通りであった。
「こちらに行くのだろう」と思うと、たいてい反対方向なので、自分がこっちだと信じたのと反対に行けば目的地につくんじゃないか、という仮説が成り立つ。しかし、たまに思っていた方向が正しいこともあるので、仮説は仮説である。
紀伊国屋書店で待ち合わせをして、中村屋でランチ。ヒメは映画館で冷たいものを飲んだからか、おなかが痛くなったというので、ショッピングはなしにして帰宅。
ヒメはおなかが痛いから、ワカは疲れたからと言って、昼寝。つまらないから、夕方、やなぎ湯に行く。今日の露天風呂は「草津湯の花」風呂。明日は菖蒲湯だそう。
湯上がりの生ビールを飲みながら、読売新聞の編集手帳を見ると、トピックは寺山修司。なんと、朝見た天声人語も寺山修司。打ち合わせをしたわけでもあるまいに。「5月4日と言えば修司忌」と歳時記入りしたようす。
五月にちなむ詩集歌集のタイトルが多いこともあるだろう。憲法記念日と子供の日に挟まれた「はさまれ休日」に独特の風味をつけるために、五月賞揚の歌をのこした寺山はふさわしいトピックに思えるのだろう。
下町散歩中、のぞきとして逮捕されたり、生前に毀誉褒貶の多かった、というより毀と貶の方がにぎやかだった気がする寺山の、この死後人気上昇ぶりは、戦後作家のうちでもトップクラスに入るだろう。
死後を伝説とし、自己の文学を夭折の光輝でくるみたかったであろう三島由紀夫の死後値段は、どちらかというと下落傾向だ。それに比べて、寺山の上昇ぶりは対照的である。ひとえに、天井桟敷に関わった人々の彼への思いによるだろう。シーザーにしろ、高橋咲子にしろ荻原朔美にしろ「思い出は美しい。」または、「修司を賞揚することで自分の値段も上がる」範疇の中に入っている。
しかるに、三島の書かれようは、福島某による暴露ものにしろ、あまり気分良く読めるものではない。縦の会の会員による「あのころ」本も、読むにたえるものが出ていない。っていうか、唯一書けそうな人材だった美少年はいっしょに死んでるし。
心中の人選を誤ったのかも。いっしょに死ぬのは美しいだけでほかにとりえのない少年にしておいて、多少なりとも才能を持っていたお気に入りナンバー1の人材は残しておくべきだったんじゃないかな。
本日のうらみ:死後値上がりを続けるには、人を育てておくこと
2003/05/05 月 曇り
トキの本棚>『物語の体操』
『キャラクター小説の書き方』が期待はずれだったので、『物語の体操』はあまり期待せずに読んだせいか、けっこう面白かった。
どこがいいかというと、専門学校の文芸科における講義録であるところ。
高校を卒業して専門学校に入った(あちこちの大学入試で失敗してしかたなく専門学校に潜り込んだ)若者に小説の書き方を実戦訓練する話であるところ。
抽象的な文学論でなく、文芸修行論でもなく、実際のドリルであるところ。ドリルに答えた専門学校生の「優秀梗概、優秀プロット」の出来がよいので、とても救われる。(ただし、これも大塚の創作であるのかどうかは、定かではない。習作の作者名はあえて本名で出していると断るあたりがうさんくさい気もするが、私は純真素直な読者なので、大塚が言うところの「学力のない」専門学校生が書いたと信ずる)
大塚は「直木賞芥川賞ねらいの小説書き」ではなく、「RPGノベライズの作家」や「アニメシナリオのプロット担当作家」を養成する、というはっきりした目的を持って専門学校で教えているので、ねらいははずれていない。
大塚が文中で「誤解を恐れずに言うなら、芥川賞受賞の平野啓一郎と、ここの専門学校生との違いは、学力である」と書いているが、この学力は、たぶん、大学入試科目における数学や英語の学力差であろうと思う。なぜなら、彼が生徒に課した「村上龍を読んで、あらすじをまとめる」「つげ義春を読んで、ノベライズする」という宿題がこなせるくらいの国語力を持っているなら、高卒の学力として十分だと思えるから。
一般的な国語力のほか、古文書を読みこなす読解力やら歴史や科学に対する造詣とか、文学にはいろんな知識教養なんぞも必要とされる場合がある。SF書くにもミステリー書くにもファンタジー書くにも、いろいろ知っていなくちゃならない。
一番簡単に書けるのが「わたし小説」。私小説ではない。あたし小説とか、ぼく小説というようなジャンル。自分のことさえ多少客観的に描写できるなら一遍書き上げられるたぐい。つげ義春ノベライズがきっちりこなせるなら、あたい小説のひとつは仕上げられるだろう。
最初は30名を超えていた受講生が、宿題をこなせなかった者は授業にでる資格なし、という規定にしたら最後は半分以下の人数になったという。たぶん、これは昨今の大学も事情はたいしてかわらないことであろう。
平野啓一郎に「文献を読みこなして、自分の文体にまとめ上げる学力」が備わっているなら、こちらの専門学校生の中の何人かにも、それなりの文献読解能力と文体形成力があるにちがいない。違うのは「京都大学現役学生にして、最年少芥川受賞作家」として売り出すブランド力を備えているかどうかという点。
だれか一人、専門学校文芸科出身から、ぽんと突き抜ける才能を見せてほしい。日大芸術学部文芸科からばなながでたように、大塚指導の専門学校生門下から、抜け出す者が出ると面白いのに。
ただし、この専門学校をすでに大塚は辞めている。どことでもケンカ別れをする大塚なので、長続きしない。最近では、東浩紀とケンカ別れのもよう。雑誌を共同編集するはずだったのに、東は大塚のやり方に憤激し、共同編集を降りた。うん、人のケンカはおもしろい。
大塚が育てた人材から一人前の物書きが出ないと、大塚の「物語作成ツール」によるドリルの成果が実証されない。
なぜなら、大塚自身は小説の書き手として成功していないから。ここまで来ても、私には彼の作品「多重人格探偵だれそれ」という小説を読んでみたい気がおきない。
『キャラクター小説の書き方』の中で、あんなに自作の宣伝をしていたのに、読み手にその気をおこさせないのは、ノベルズ書き手としては相当やばいのではないだろうか。読みもしないのに言うのは何ですが。
本日のねたみ:神様は大塚とばななに対しては、公平さを忘れなかった。しかるに林真理子はせっかく神が公平の美徳を発揮したのに、「才女が美女をめざして何が悪い!」と努力した。スゴイ!
2003/05/06 火 晴れ
ことばの知恵の輪>貝多羅葉
漢字、SFJ3コマ。
ヒメの図書館学総論の宿題に、「貝多羅葉」の読み方と意味を調べよというのが出た。「お母さん、なんて読むの」と聞かれたが、「かいたらは」なのか、「バイタラヨウ」なのか「バイタラは」なのか、わからん。意味もわからない。
調べたら、「バイタラヨウ。紙が発明される以前の筆記媒体のひとつ。バイタラ(サンスクリット語でPattra)の葉に、鉄筆で経文を書き墨を流し入れたインドの書写物」とわかった。インターネットで調べると、ぞろぞろと資料が出てくる。こんなにいろいろ資料もあり、たぶん、書写媒体の研究とかやっている人には、パピルスなどと同じくらいよく知られた言葉なのだろうが、私は今までまったく知らなかった。
知らなかったことを新しく知るのは、本当に楽しいことだ。広辞苑にも載っている言葉なので、まったくの専門用語というほどでもなく、仏教関係者にも知られている言葉なのだろう。カタカナ語や若者ことば以外で、言葉が増えることはそう多くない。
まだまだ知らない言葉がたくさんあるのだと思うと、やはり長生きはしたいね。私が長生きしてたくさん言葉を覚えると、何か世のため人のために役にたつのかと問われれば、何の役にもたちはしないが、私が楽しい。私が楽しければ生きる価値はある。
本日のむいみ:私がことばをどれだけ覚えたところで、世の中社会にとってあんまり意味はない。とわかっていても、ことばコレクションは続く。食玩フィギュアのたぐい。
2003/05/07 水 曇り
ニッポニア教師日誌>語彙数調査
午後、教授法2コマ。今年は人数も多いし、日本語教育に興味がないのに単位あわせで受講している学生も多いので、まだきわめてやりにくい。
貝多羅葉の話などを枕にふって、表記法の発表など。社会人入学の多摩川おじさんは、呉音漢音唐音について発表。レポートもまじめに要約文を書いてきた。1冊は仕上げたが、2冊目はまだ途中という。本気で日本語教師を目指しているらしい。
NTTの調査表を使って、語彙数チェックを行う。毎年、学生に自分がどれくらい語彙を知っているか、自覚させるためにやっている。NTTの調査票はいろいろなバージョンがあり、一つだけで、「語彙数いくつ」と確定できるものではないが、学生は、自分の語彙数など考えたこともないので、自覚させるためには有効だ。興味をもったら、インターネットにもっと違うバージョンがあるので、やってみて、と勧める。
最初に日本語学習者は、初級、中級、上級で、どれくらいの語彙数があるか、推測させる。次に、自分は生まれてから今までで、どれくらい日本語の単語を脳内に貯めてきたか予想させる。皆、自分がどれくらい日本語を知っているか、数を数えようと思い立ったこともない。
それでも、日本語学習者上級者が1万語の語彙数を持つなら、自分はそれ以上はあるだろうと推測できる者もいる。
去年は「エンゲル係数」の意味がわからなくて「ゲームオーバー」になり、日本語学習者以下になってしまった学生がいたが、今年は皆、順調。一人、懸軍の前まで到達した学生出現。懸軍まで読み方と意味が分った人は、6万語の語彙数。「井上ひさしも懸軍までだったそうです。ちなみに私も」と紹介。
高校卒業程度で、日本語語彙数3万語が標準。
私が初めてこの調査をやったとき、自分は人名地名を含めれば10万語ぐらい語彙数があるだろうと思っていた。NTT調査は、人名地名を除いた語彙数だから、10万語よりは少ないとしても、7、8万はいくんじゃないかと思った。6万は予想より少なかった。でも、井上ひさしと同じだからいいや。
一日一語でもいいから、日本語の数を増やすように言ったが、はたして今時の若者が積極的にことばを覚えようとするだろうか。私はときどき「辞書一冊まるごと読み」をしていることを学生に紹介する。各種辞書類の中から一冊の国語辞書を選び、「あ」から順に各語を読む。知らない語があったら、チェックする。「ん」まで。
ヒメの受けた授業では教師が「とっぱぐち」と発言したのだけど、前後の意味から考えて、ヒメの知らない専門用語として言ったのではなく単に「突破口」のつもりで言ったらしいのだと。私も知らずに自分の「思いこみ読み」をしているかもしれないが、教師たるもの、どこに陥穽ありやもしれぬ。持って心すべし。「思いこみ読み」は、冗談として話していると笑えるトピックでいいのだけれど、授業中やらかすと、とたんに学生から軽蔑の視線を受けることになる。
本日のひがみ:私が学生時代にこの語彙数調査を受けたら、懸軍には届かなかった
2003/05/08 木 雨ふったりやんだり
トキの本棚>『ぼくは勉強ができない』
日本事情、作文2コマ。11名の授業は本当に楽だ。来年また30人になることを考えて、今年くらいは楽しようと思う。
電車読書で山田詠美『ぼくは勉強ができない』読了。
地下鉄駅文庫ゲット本。2,3冊は文庫や新書が入っているはずなのに、かばんの中味を入れ替えて電車読書本を忘れたとき、地下鉄駅文庫の中から、読めそうなものを拾う。
山田詠美はあたりもあるし、はずれもあるけれど、『ぼくは勉強ができない』は、比較的評判が良かったという記憶があったから、読んでみようという気になった。
主人公時田秀美君の高校生活。
『ぼくは勉強ができない』というタイトルはありていに言ってしまえば、詐欺である。
秀美くんはとても頭のいい、感受性豊かな、サッカー好きな高校生。女の子にモテオテで、担任教師とも母親や祖父とも仲良く心が通じ合っていて、年上の恋人もいるという現代において考え得る限りのプラスカードを並べている優秀な高校生である。
現在のところ受験勉強的な勉強は始めていないから、成績がふるわないというだけであって、本質的には頭がよすぎるくらい。だから、落ちこぼれ君や、平凡とりえなし高校生が「何か参考になりそうな共感できそうなことが書いてあるか」と思ってタイトルに惹かれて本を読んだとしたら、自分とはエライ違いの「もてもて秀美君」の話を読むことになる。
だからと言って、正直に『ぼくは、今は成績不振だけど、もてもてで、とっても感受性豊かなんだ』というタイトルにしたら、だれも読まない。
だから、この詐欺的タイトルは羊頭狗肉ではなく、狗頭羊肉として正解。中高生の母親世代が読めば、「かわいいワァ、年上が趣味なら、私も立候補したいなあ、ペタジーニの例もあるしオルガ夫人になりたいわ」と思うこと請け合いの母性愛刺激タイプなのである。
高校生の独白体の文体だから、すらすら読めるし、主人公が頭のいい感受性豊かな子なので、何もひっかかるところがなく青春物語が進んでいく。
この作品が雑誌発表された91年、92年あたりでは、まだこの時田秀美タイプは問題児視される存在だったのかもしれない。10年たった今では、秀美君タイプは文部科学省推薦折り紙付きの「個性と感受性豊かな健全な青少年」の鏡になっちまった感がある。
「勉強ができない」といいながら、彼の通っている高校では、全員が大学進学があたりまえの高校なんだって。そういうレベルの高校へ進学する学生は、教師から見て「勉強ができない」とは言わない。どんな三流四流大学にも進学できそうにないし、就職しようにも就職先もなく、フリーターになるのが半数、というような高校。そのような「偏差値難民高校」では、成立しない青春物語なのだ。くだらない教師が多い、と秀美は嘆くが、とにかく授業が成立しているように見える。授業が成立しない高校に勤務する教師の話をさんざん聞いているから、生徒が授業を聞いているらしい高校にいる秀美君の好運をうらやむ。
この本を読んで一番先に思い出したのが久田恵と稲泉連の母子家庭。とても雰囲気が似ている。久田の家にはおばあちゃんもいたのが違うくらいだ。
秀美は、3人暮らし。一流大学を卒業して出版社に勤務している編集者の母親と、たっぷり年金をもらっていそうな趣味のいいおじいちゃんといっしょに暮らしている。
秀美君は自分の家を「金持ちではない」と思っているが、本当に貧乏な赤間さんの家をのぞくと、ショックを受けてしまうような世間知らずだ。本当の貧乏とは、無論食べるもののない家をいうのだ。とりあえず飢えていないやつは「貧乏」を自慢してはいけない。(自戒)
また、父親のいないことで周囲の人から同情や蔑視やイヤミを受けることもあるが、秀美のおじいちゃんはいつもそばにいて、話をじっくり聞いてくれる人だ。
今時の子供の話を聞いたりする時間も余裕もないお父さん、家庭に存在しないがごとき父親と、そういう父親に不平不満がいっぱいの母親で成立する「両親揃った健全家庭」より、よほどましな家庭環境を持っている。
「父親が誰か」ということを、母親がまだはっきり告げていないところが、唯一本人にとって「アイデンティティの不安」材料になりそうな気配だが、この連作短編では、実の父親はいっさい関係がない。釣り道具の手入れもするけど、恋する相手を捜すのも好きなダンディなおじいちゃんがいるから、ワーカホリック父やDV父などがいる家庭よりずっとまし。
おまけにサッカー部に所属していて顧問の桜井先生とはいっしょにラーメンを食べに行ったりバーで飲んだりできる間柄。父親の役割を果たす人は多すぎるくらいいる。サッカー部員と軋轢もなく、3年生で部活を引退した後も部室に出入りするくらい馴染んでいる。
ガリ勉で勉強しかできることのない同級生を「気の毒な青春」と感じつつ、秀美くんには仲のいいクラスメートもいるし、酒場で働く桃子さんを恋人に持つところも同級生からみれば異性交遊エリートである。女生徒たちも、クラス委員の黒川さんも幼なじみの真理も秀美を嫌っていないし、クラス一の美少女からも告白されるくらいモテモテのサッカー少年。
サッカーができるってことは、チームプレーができるってこと。私のように、チームで行うスポーツはいっさいだめ、つまり、球技は卓球のシングルだけがかろうじて参加できるスポーツで、あとはいっさい駄目、陸上とか水泳とか、ひとりでやるスポーツしかできないのとは、違う。
こんな恵まれた高校生は、今時ちょっとやそっとじゃさがせそうにない。「個性と感受性の豊かさ」を基準とする現在の文部科学省「望ましい高校生」チャンピオン大会で優勝する勢いだ。ものすごく恵まれた環境の恵まれた資質を持つ少年の成長物語。
小説中では「成績があがっていない、おちこぼれ」のような書かれ方をしているし、無理解な教師から「不純異性交遊なんかにうつつを抜かしているから、成績が上がらないんだ」というオバカな指導も受けてしまう秀美君。
しかし、実は優秀な高校の「ある意味超エリートタイプ」の高校生物語といえる。論理的なしっかりした思考ができ、それを母親や祖父に表現する場を持っているし、うらやましいなあ。こんな感受性豊かで表現力豊かな息子をもったら、母親は安心して新しい恋人探しに出かけられるというものだ。
連作短編にでてくるエピソードは、これまた青春物語の定番アイテムがぞろぞろ。恋人は浮気するがモトサヤになるし、同級生のひとりは、何に悩んだか不明だが、屋上から飛び降り自殺して死んでしまうし、じいちゃんは死にはしないが、倒れて病院に運び込まれるし、もう、どこをのぞいても定番をつぎつぎにクリアしていくあざやかさ。こんなうまく乗り切っていけるならだれも苦労はせんよ、と高校生は思わないのだろうか。
母親がパートで細々と働くしかない、悲惨一歩手前の疑似母子家庭(我が家)から見たら、この「時田家」の経済は実に恵まれている。秀美に洗いざらしのジーンズと古びたTシャツを着せても、母親は5万8千円のくつを買う。バブル直後の話だとしても、5万8千のくつ買える女は、貧乏じゃないもんね。
私は、友達の残した給食のパンを持ち帰る赤間さんが好き。
5万8千どころか、3千円のくつを買うのもためらって、買わないでいる自分の貧乏性がたまにはいやになるけれど、赤間さんに一票。
赤間さん、弟の鼻汁拭きとってやりながらガンバレ。赤間さんが、「見たらびっくりするよ」と言いながら、秀美を家に呼ぶことのできる女の子であるところがほっとする。赤間さんが「うちの小鳥のために」と給食の残しパンを集める姿に、貧しくてもせいいっぱい生き抜こうとする人間の尊厳を感じてしまう。
小学校6年生のとき、担任の先生から古着をもらっている同級生がいた。その子が「私は先生から特別に思いをかけてもらっているんだからね」という態度をとるのが気に入らないと、女子生徒たちが腹を立てたことがあった。
自分の家の経済状態を悲しみ、先生に古着をもらうことを恥じいる態度をとったのなら、きっと女子たちは「見て見ぬ振りをしながら、かわいそうがる」という高等技術をとり、彼女のためにクラスの居場所をあけておいたのだろうが。
私も6年生のそのときに、「先生に特別に思われている」という態度をとる彼女に対して、寛大な気分になれない情けないやつだった。6年生の当時から人間ができていなくて、ねたみひがみの人物だったというわけですね。
40年前に、先生が同級生にあげた古着。そのときの先生の思いや、もらった子の思いや、同級生たちの複雑な感情や、貧乏が現実に目の前に存在することへの思い。あれから40年たったのに、まだ、忘れていない。貧乏ってそういうもの。
秀美君が転校したばかりのとき、学級委員選挙があった。秀美くんはクラスの事情がわからないままに、伊藤夕子と名前を書き、担任の激怒をさそう。伊藤夕子は「クラスで一番勉強ができない生徒」であったのだ。
その名を書いた投票を見て、担任は「ふざけて投票したやつがいる」と非難する。秀美君はもちろん担任にくらいつく。勉強ができない生徒が学級委員を引き受けてはいけないのか、一票が担任の気に入らない票だったからといって、その選挙を無効にするのは、担任が標榜するところの民主主義に反しないことなのかと。この件に関しては無論担任の負けである。
私が胸ふさがるる思いになったのは、単純な同姓同名を発見したことによる。ヒメのクラスにいた「一番勉強ができない生徒」の名前が伊藤夕子だったから。
学級委員の選挙のとき、クラスの男の子たちが示し合せて伊藤夕子に投票した事件があったのを思い出したのだ。この時は、伊藤さんがいやがって泣き出したために再投票になった。
男子たちは学級委員を押しつけておいて、いろいろな仕事をうまくできない夕子さんをからかって遊ぶ材料にしようとしたらしい。そういう意味で投票したのだろう、ということを察知して泣き出したのだとしたら、伊藤さんは決して馬鹿じゃない。「馬鹿」というのは、人の気持ちも忖度することができない「心ない者ども」をいうのだから。
そして、時田秀美はそういう意味では「馬鹿」とは正反対の高校生なので、彼の進路の悩みも、同級生自死の悲しみも、恋人が浮気したつらさも、「まあまあ、そのくらいの修行はしておけよ」という気になってしまうのでした。
それにしても、同級生が自殺したというのに、この高校のクラスメートたちは葬式では盛大に泣いたものの、翌日になれば、けろりと彼の存在など忘れて、受験勉強にいそしむことのできる人たち。こんな偏差値高そうな高校によく秀美は入る気になったなあ。
本日のねたみ:58000円はフェラガモ?私はカルガモ1足3000円
2003/05/09 金 曇り
日常茶飯事典>神楽坂散歩
ビデオ、会話2コマ。
帰りに寄り道。神楽坂で降りて飯田橋まで歩く。元の事務所がどうなっているのか見てみようと思ったのだが、どうもなっていなくて、一階の宝石屋は普通に営業していた。
宝石屋は、大家さんからの「10,11,12月の3ヶ月は家賃無しでいいから、1月に出ていってくれ」という要求に対し、現在民事裁判をおこして係争中。素直に今年1月に引っ越しした夫は、「実際の建て直し取り壊しがはじまるまで、引っ越すんじゃなかった」と、後悔したが、もう出てしまったのだから、いまさら戻れない。
ハイタウンマンションは住むには便利だが、駅前は単なる駅前であって、街の風情がないのだそうである。
街の風情としては、確かに神楽坂のほうがずっと雰囲気があって、歩くに心地よい。数年前に比べると、小さい路地のあちこちに隠れ家的な食べ物屋が増えているので驚いた。表通りの方は入れ替わりの店も多く、チェーン店も増えているが、神楽坂は今、路地がはやりのようだ。
土日ともなると中高年の街散歩で、こんな細い路地ではすれ違うにも体を斜めにしなければならないかもしれない。
路地やら本多横町やらをあちこち歩きながら飯田橋まで下る。不二屋でぺこちゃん焼きを買って地下鉄に乗る。
本日のそねみ:神楽坂の路地奥の一見さんおことわりのお茶屋
2003/05/10 土 曇り
日常茶飯事典>松濤の武者絵とTENGO
松濤美術館で「武者絵」展覧会を見た。
武者絵なんてあまり興味がなかったが、松濤美術館に入ったことがなかったので、行ってみる気になったのだ。
地図を見て、東急本店から登っていくと確認して、東急本店沿いに歩いていたら、都知事公邸の方へ行ってしまった。右か左か迷って、地図を信じて右に行ったのに。迷ったときは私が「こっちが正しい」と思った方が間違いなのだという鉄則を思い出さなければ行けないのでした。
で、しばらくぐるぐる松濤のおやしき町を歩く。このへんはだれも歩いてなんかいない。住んでいる人は車で門内に入るから、歩いている人はよそ者である。
あるお屋敷の前に通りかかると、自動の門が開いて、「セキュリティ」と服に書いてある人がうやうやしくお辞儀をしている前をベンツが入っていった。由緒正しそうな感じではなく、いかにも成金ふうの門で、いかにも成金風の外車で、成金風のセキュリティ係りなのだ。東急のすぐ裏でこういう映画のワンシーンのような世界が展開すると、それだけで一般庶民としてはおもしろがれる。
その隣の「浜尾」という表札のほうは、ほんとに由緒ありげな家。もしかして元ナルちゃん養育係りの浜尾さんの家かもしれないという感じ。
観世能楽堂の前を通り、松濤公園の中をすぎる。台湾人かフィリピン人じゃないかなという感じの乳母が金髪の女の子を二人連れてきていて、二人は自転車に乗って公園をぐるぐる回っている。
やっと松濤美術館に着いた。
隣では松濤プロジェクトという会社が松濤アパートメントハウスという名で売り出すマンション建設を進めている。
「武者絵」は江戸から明治の浮世絵の中で、古事記や平家、太平記、三国志などを題材にした英雄たちの絵を集めたもの。歌川国芳を中心にとても迫力のある構図、筆遣い。色は白黒緑青赤。
読み本の挿絵や奉額絵馬、凧など。面白かった。
帰りは、まっすぐ東急本店まで戻る。すると、本店前でTENGOというユニットのミニコンサートをやっていた。途中から聞いたが面白かったので、次の回も聞くことにした。ブックファーストで文庫本を2冊買い、1階の喫茶店でコーヒーを飲んで待つことにする。
4時から4時半まで、2度目のテンゴ。
ジプシーバイオリン天野紀子、アコーディオン後藤ミホコ。天野は1948年生まれ54才孫あり、後藤は1958年生まれ45才バツイチ元音楽教師。二人合わせて99才のオバハンユニットというのがキャッチコピー。私の好きな中年転進組。
黒く長い髪、黒いシャツにスソの広がった黒いパンツ、メタルのベルト。メークもジプシー風な天野。
大阪のたこ焼き屋や市場にいけば、こんなオバハンおるなあという感じの後藤。
二人がハイテンションのアレンジで、ハンガリアン舞曲やリベルタンゴ、ロシア民謡メドレーを弾く。
もともとコバのアコーディオンやクラシックアコーディオンが好きだったが、後藤のコテコテ関西アレンジアコーディオンもなかなかよかった。
本日のひがみ:現住所、渋谷区松濤の人
七味日記総目次
2003/1上旬 2003/1中旬 2003/1下旬
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