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ニッポニアニッポン七味日記
妬みそねみひがみ、恨みつらみに負け惜しみ、悩み半分、ふみ読み半分日記![]()
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七味日記2003年11月下旬
七味日記総目次
2003/10上旬 2003/10年中旬 2003/10下旬
2003/11上旬 2003/11中旬 2003/11下旬
2003/12上旬 2003/12中旬 2003/12下旬
七味日記2003年11月中旬目次
2003/11/11 ニッポニア教師日誌 子供の病気 2003/11/12 ニッポニア教師日誌 学生自慢話 2003/11/13 ニッポニア教師日誌 動物園で授業 2003/11/14 日常茶飯事典 化石掘り地層見学ハイキング 2003/11/15 アンドロメダM31接続詞 非共通感覚サイト 2003/11/16 アンドロメダM31接続詞 共通感覚サイト 2003/11/17 ジャパニーズアンドロメダシアター トークトゥハー 2003/11/18 ニッポニア教師日誌 雨かんむりの漢字 2003/11/19 日常茶飯事典 長文読解 2003/11/20 日常茶飯事典 メール書いてて授業に遅刻
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七味日記2003年11月中旬
2003/11/11 火 雨 1045
ニッポニア教師日誌>子供の病気
漢字、会話2コマ。
子供をおいて単身留学エンジョさん、子供緊急入院の電話で、あわてて今朝、韓国に帰国。
私が中国に単身赴任している間、風邪くらいはひいたろうが、ヒメワカは、大きな病気をしなかった。入院もせずに済んだ。
エンジョさん戻ってこられるといいのだが。
本日のつらみ:子を持つ母の留学至難
2003/11/12 水 晴れ 1046
ニッポニア教師日誌>学生自慢話
午前中Aダンス。
午後日本語教授法2コマ。学生に発表させている「自慢話」今日も好評。
書道師範の腕前を持つ学生の楷書草書行書と、落款の紹介。みんなあまりのうまさにびっくり。
二人目は千葉市の「合唱団親善大使」に選ばれて、ドイツまで演奏旅行に行ってきた話。
中国のロックグループが大好き言って、CDかけながら、どんなに彼らがかっこいいか熱弁する学生も。 自分が属するアンダーグラウンドのラップが、メジャーラップとどうちがうかを語り出したらとまらない学生。ほんとに個性豊かで、この企画をはじめてよかったと思っている。
多摩川おじさんの「生教材をつかった授業」は、私が貸したゆかたをつかって、ゆかたの特長説明と「ゆかたの畳み方講座」。「日本事情」「日本文化紹介」の授業例として。一度たたんで片づけたが、休憩時間にまた、個人指導でたたみ方を習う学生もいて、これもまた、「日本語教師をめざさない学生にも役に立つ」日本語教授法授業として、よかったよかった。
本日のひがみ:私も浴衣を畳むくらいはできるが、振り袖着付けはできない
2003/11/13 木 晴れときどき雨 1047
ニッポニア教師日誌>動物園で授業
先週約束したとおり、1時に図書館の前で待っていたが、誰もこない。雨が降ったりやんだりしていたので、皆通常授業だと思って教室にいったのかな、と思ってベンチにすわっていたら、ぼちぼちと集まってきた。教室でお弁当を食べてしまった人もいる。
雨のなか、こども動物園へ。徒歩で5分で到着。遠足の小学生保育園児が帰宅する時間。入り口で入場券買っているときは雨が強かったが、屋根のあるレスト広場へ行くころにはやんでいた。
最初私が引き馬にチャレンジ。「みんなも乗りなさいよう」と勧めてみたが、「こわい」と言う人、バドのように「内モンゴル草原で馬を走らせてきたんだから、ここで引き馬に乗ることないです」という人も。内モンゴル草原か。いいなぁ。
各自持参のお弁当を食べ、私はりんごとチョコレートを配り、「はい、食べながらレポート発表をやりましょう。」
ウ−さんの日本文化発表は「国名の由来」先週私が学生になぜ日本という国名ができたのかを概略話したとき、うーさんは欠席していた。話題がだぶってしまい、学生へのうけはイマイチ。しかし、一番日本語ができないウーさん、インターネット資料を切り貼りして、3頁のレジュメを作ってきた。「レジュメはA4一枚にまとめること」という「レポート発表の注意事項」を理解していないための3頁なのだが、いっしょうけんめいやったということでよしとしましょう。
それからコアラ舎へ行く。コアラは寝ていたが、一匹はときどき動くので、留学生達「かわいい」と大喜び。
コアラ舎の前で写真をとっていたら、飼育係のおじさんがユーカリの枝を持ってきて、葉っぱをとり、「においをかいでごらんなさい」と言う。強い特長のある香り。「ユーカリメンソールと言って、薬品にも使われている成分です」と教えてくれた。話し好きそうなので、コアラについて生息地やユーカリのことなどいろいろ質問した。
質問への答えの中で、留学生に理解がむずかしそうな言葉を私が「留学生にもわかる日本語に翻訳して伝える。ところどころに茶々をいれ、学生はどっと笑う。
コアラは、一生をほとんどユーカリの木のうえですごす。水を飲みに2週間に一度くらい木からおりるほかは、樹上生活を続けるというので、「落ちたりしないんですか」と私が質問。飼育係の答え「年寄りになって、身体が弱ると落ちることもあります。若いコアラでは、交尾期に雄が雌を追いかけて無理矢理迫ると、雌がいやがって落ちたりします」というので、「ほらね。コアラも若いと下手なのよね、何事も経験よねえ」とチャチャを入れる。留学生、経験ありの人は、げらげら大笑い。何をいっているのかわからず、ぽけっとしている学生も。
冗談と笑いの連続。飼育係に「詳しい説明をありがとうございました」とお礼をいうと、飼育係は「先生、お話、おじょうずですねぇ。全国を公演して回れますね」と言う。「お笑い芸人めざしてます!」と答えた。
わたし、女流落語家、女流講談師になればよかったと、思う。修行の道はつらかろうが、二十歳で入門したとしても、30年続けていれば、いまごろは真打ちになれたかもしれないのに。う〜ん、気づくのがおそすぎた。いや、私の場合万年前座か二つ目か。
ワラビー、カンガルーだちょう、エミューを見る。カンガルーの赤ちゃんがおなかに入っているのをみて、学生たちまたひとしきりはしゃぐ。
広場でハンカチ落としをして遊んだ。ぼうっとしているので、私は数回鬼になった。鬼は円周を走らなければならない。遊ぶのは大好きだが、疲れた。最後に私が鬼になったところで、おしまい。鬼の罰ゲームとして、お得意の前後開脚を披露。どこでもすぐ足を前後に180度開く芸を披露する。っていうか、これしかできないんだが。ホントは32回のグランフェッテくらいやって見せたいけどね。足が回らず目が回るだけ。
園内移動のミニトレインに乗って正門へ。キリンに「葛の葉」をやる体験をした。きりんは一番ちいさいのが小夏ちゃん。長い舌で葉っぱを食べる。
写真をとって、解散。雨でどうなるかと思ったが、楽しい一日になった。最後に「今日の作文宿題は、タイトル動物園でもいいし、コアラを見た日でもいいし、」と、言うと「えっ、そんなあ、書くんですかあ」とブーイング。「日本語の授業なのに、遊んだだけでおしまいになるわけないでしょ。宿題宿題!」
本日の負け惜しみ:コアラよりは経験豊富
2003/11/14 金 晴れ 1048
日常茶飯事典>化石掘り地層見学ハイキング
ワカ、城ヶ島へ地学の理科見学。地層を見る遠足。7時半頃担任から電話。出欠の確認。いつも遅刻と欠席なので7時半集合に間に合わないと思って心配しての電話。必ず出席する生徒なら先生も来るか来ないか心配することもないのに、ワカの場合、すぐ休むから。
ワカは、「日曜地学ハイキング」で一度城ヶ島地層見学をしている。地団連主宰の「日曜地学ハイキングに」毎月参加し、親子3人で化石を掘ったり地層をながめたりした。
城ヶ島へ行ったのは、ワカが4年生、ヒメが不登校の最中。家から出たがらず、お日様にあたらないため、青白い顔になっていくヒメが気がかりだったから、「日曜地学ハイキング」の毎月のイベントはほんとうに救いだった。
恐竜好き、化石好きからの「地学ハイキング」入会だったが、荒川、大崎海岸、丹沢山中、秩父山中、いろんなところへ化石掘りにいった。私が好きな古生物は恐竜じゃなく、カンブリア期のへんてこ生き物だから、化石を掘り当てることはないけれど、ワカとヒメが、ハンマーとタガネで貝の化石を掘り出して大喜びしている姿を眺めているだけで、よかった。
ピカイアから脊椎動物が進化してDNA競争を制したが、カンブリア期のオパビニアがDNA競争に勝っていたら、いまごろ地球はナウシカのオームだらけ。アノマノカリスが勝つか、ピカイアが勝つかは微妙な地球の温度とか海中塩分濃度とかが影響したのかも知れないなあ、巨大隕石がひとつ落ちたことで、現在の地球を制しているのが、恐竜の子孫ではなく、人間になってしまたのだしなあ。
地球にとっては、恐竜の子孫のほうが地球に優しかったかもしれない、などとぼんやり考えながら、子ども達の化石掘りを眺めていた。
家にとじこもって、毎日のようにケーキを焼くこと、月に一度化石を掘りにいくこと、このふたつが不登校中のヒメの活動だった。ヒメは、地層の勉強ができるからと地理学科を選んだけれど、本当は「ケーキ職人になりたい」と言っている。どの道であれ、好きなことが出来る人生を見つけられればいい。
本日のつらみ:私がアノマノカリスの子孫だったら今頃は、、、いや、やっぱりアノマノカリスの落ちこぼれ
2003/11/15 土 曇り1049
アンドロメダM31接続詞>非共通感覚サイト
松岡正剛千夜一冊、友人森泰昌の本の評。とてもおもしろくて、つい感想メールを編集部に送った。私が書いた三島と明治天皇への評と共通する感覚があることがとても嬉しい。松岡と私では月とすっぽんのことは承知の上で、共通感覚をを喜んでしまった。
自分の文章については、もっと上手になりたいと思いつつ、いろいろな感想が寄せられる中、喜んだり落ち込んだりしている。
2003/11/15 17: 9 w4 お話の真意が伝わり難くて、ぼんくら頭はパニック
と、いう足跡感想が書かれていて、ちょっと落ち込んだ。
まえに、はね子さんからも批評をもらった。私の書く文章は、言いたいことがありすぎて、未整理のままどんどん思いついたままを書き殴るので、テーマを絞らなければいけない、と注意を受けたことがある。はね子さんは年下の方だが、編集者として、ものを書くプロであるので、この評を私は素直に受け止め、反省した。
反省したが、思いついたことを頭からどんどんつっこんでいく、という書き方がなかなか直らないいので、文章は相変わらず雑駁で、未整理のまま。自分では書くことを楽しんでいるが、人様が読んだらわかりにくい文章だろうということは、理屈ではわかる。
前にも足跡で、「笈の小文の文は、ねずみとねこが追いかけっこをしているようで、頭痛がしてくる」という評をもらったことがある。
このときは、この評を愚痴ったら「私には、トムとジェリーが追いかけっこをしているような、スピード感と縦横無尽のおもしろさがあると、感じられる。めまぐるしくはあるけれど、それを楽しむことが出来る人だけ読めばいい。」という、なぐさめももらった。
そうだ、ウェブサイトのいいところは、いやだと思う文は、読まなきゃいいだけだから、と思い直して気分が直った。
今回のw44さんの評もかなりぐさっときた。
若い人が「漢字が多すぎる」と書くのは、2003/11/14 20:46 chatarou 読めない漢字の多さに愕然!新しい世界を見た!
など、珍しいことではないから、気にならない。
でも、w4さんは、たぶん1944年生まれ、50代と年齢が書いてあるが、おそらく来年還暦を迎える方だと推察する。ご主人が旧制中学校の卒業だと書いてあることから、ご主人はすでに60代。メルボルンオリンピックころに中学校へ入学したという文もあるので、たぶん間違いないだろう。
しかも、w4さんの書いているウェブ日記は、とても端正な日本語で、お父さんの闘病日記やご自分の幼い頃の思い出、木造校舎ですごした中学校の思い出などを、きちんと書き続けている。そういうちゃんとした文章を書ける人が読んで「真意が伝わりにくい」ということは、私の文章は相当ひどいのか、と、たちまちシュンとなる。
w4さんの日記、過去ログを全部読んでみた。女中や職人が何人もいる地方の裕福な商家に育ったこと。お父さんはその町の有名人で、いろんな役職を兼任している地方紳士であること。花作りを楽しみ、書画の心得もある趣味豊かな父親に反発もしたこと。四人姉妹に跡取りの弟がひとり、という兄弟の中で一番父と心通い合う娘として、何不自由なく成長したこと、などなどが読みとれた。東京から山陰地方への遠距離介護の日記の中に、父親の姿が描写されている。
やさしいご主人すくすく成長したお子さんに恵まれた家庭。短歌を趣味にし、女子大卒業を誇りにしている、裕福な奥様の上品な余裕ある文章。
幼いころの思い出を書いている中に、12歳ころ、結核にかかったせいで、いまでもストレプトマイシンの後遺症アレルギーが残ってしまったことも書いてあった。
その思い出話に、当時は高価な特効薬だったストマイ、大学卒の初任月給が8000円だったころ、ストマイは1本3000円した。それを毎月数本打つ。近所の同じ病にかかった人たちは回復に1年もかかったのに、自分は父親が金にいとめをつけずストマイを買ってくれたので、3ヶ月で治癒したと書いている。
父親の愛情に感謝する文章。父親が裕福だったことへの幸福感が率直に伝わり、「そう、あんたんち、金持ちでよかったね」と、私は感想を持つ。
しかし、「近所の子は回復に1年もかかったのに、私は、、、」という書き方に反発も感じた。戦後の混乱からようやく回復してきたころの日本。
戦後はじめてメルボルンオリンピックに参加することが、国際社会への復帰として、盛り上がっていた。
しかし、まだまだ底辺層は貧しかった。結核にかかっても、ストマイを買うことができずに死んでいったたくさんの人がいたことを、聞かされた。
貧しくストマイを買う金もなく父親が寝たきりになっている家が、私が育った坂下の家の近所にあった。
母がいつもその一家を気の毒がって、いろんな届け物を私や姉に持たせた。「実家からお芋をもらいましたが、たくさんもらったのでおひとつどうぞ」とか、「お届けの口上」を練習させられてから、届けに行った。
余っているわけじゃないのに。私だってもう一本焼き芋を食べたいのに、と思っていた。親が届けると大げさになって、お礼のことばとか、先方も気をつかうから、子供に届けさせたのだと、今になって母の心づかいがわかる。
うちは金持ちではなかったが、芋10本もらったら、5本は分けてあげてしまう母の子だったことを、今は感謝している。
そして、今でも我が一族は全員貧乏。だれかひとりが玉の輿に乗ったら、みんないっしょに便乗乗車、が合い言葉だったのに、だれも乗らない。
金に糸目をつけず自分の病気を治療してくれた父親。その愛情に感謝することは、子供として当然のことなのだろう。が、自分が3ヶ月という早さで回復したことを書く際に、近所の子供が長い間闘病を続けたことを書く、その書き方に、ひがみ根性の強い私は立ち止まってしまう。
貧乏人は金がないせいで、治りも遅かったこととを、自分が早く回復できたことと並べて書かずにはいられない「お嬢様」を感じたのだ。私は、なんてひがみ根性のいやなヤツだろう。ねたみ、ひがみも極まれり。
父親の入院に、実の娘達が遠距離介護に通う中、弟の嫁が介護にこないことを書いている文も面白かった。
いまやっている小姑ドラマ「末っ子長男姉三人」そのままなので、ドラマならおもしろがれるけれど、現実ではたいへんだろうと察する。
また、戦死した父を持ち、苦学して教師になった先生のことを書いている。
その教師が日教組であったらしいことを書き、授業中に「インターナショナル」や「ああ、原爆ゆるすまじ」の歌を教わったことを書いている。
朝礼に軍艦マーチが流されたとき、その先生は血相を変えて放送室に土足のまま飛び込んだと書く、その文章が、他の文の「上品な奥様がものされている上品の文」の中で、とてもイジワルな人間描写であることが気にかかった。
このインターナショナル先生への描写。その先生が貧乏育ちであることをさげすみはしないものの、少しも温かさを感じさせない文になっている。父親に対する、とても温かい敬愛に満ちた文章と対照的なので、目立つ。
日教組であったことを後から知ったことや、この先生が軍艦マーチ嫌いであったことが、けっしてよい思い出とはなっていないことが感じられる文になっていた。
みつばさん、ちよさんと同年齢と思う。それなのに、なぜ私は、ちよさんやみつばさんに感じた共感を、この人には感じないのだろう。とても上手な文章を書いているのに。よほど、私の貧乏人ひがみ根性がねじ曲がっているのだろう。
そんな中、美智子皇后の実家取り壊しについての文章を読んで、すべて納得がいった。w44さんは、皇后の実家を保存すべきだと考えている。
w4さんの日記より>
皇后陛下は残さない様に、とのご希望と、コメントが今日伝わりました。
益々、混乱の度合いが深まってきました。
初めてこの出来事を知った時、なんとなく情け無い気持ちになりました。もし、これがアメリカだったら、ヨ−ロッパだったら、どうだったでしょうか...きっと、自治体が買取り保存するでしょう。または、篤志家がポンと大金差し出して、保存するでしょう。歴史的に意義ある物を、後世に伝える、という当然の事さえ、日本では出来ないのでしょうか...
こう言う考え方をすれば、どんな意義がある、それは単なる個人的な感傷だと、非難されるかも解りません。
しかし、初めて、民間から皇室にお入りになられた皇后様のご実家が、皇后様がご存命の内に消えてなくなる、という事は、余りにも切なく、寂しい気がします。
国の母でいらっしゃる皇后様が、お育ちになられたご自宅は、やはり国家としても大事ではないでしょうか...そのお家があったからこそ、皇后様がいらっしゃると言う事を、もっと大事にしてもいいのではないかなあ--と、思ってしまいます。
古い物は、一度壊してしまえば、もう再び元に戻す事は出来ません。そういう大事な物を遺していく心こそが、本当の意味での文化でもあるのではないでしょうか....
皇后様のご実家をきっかけにして、日本全体に起きている、同じような状況にも思いをはせ、日本の文化の、底の浅さを考えてしまいました
大野町豊郷小学校に関しては、私も保存すべきだと思う。上野公園の奏楽堂は、保存できてほんとうによかった。だから、歴史的文化的な建物を保存しようと主張するw4さんの主張には賛成する。しかし、この違和感はどこから来るのか
山陰旅行の際、福沢諭吉の小さな生家や松下村塾などの歴史的な建物を見て、幕末の思想と歴史に思いがとんだ。でも、皇后自身が保存を望まないという皇后実家を、残すべきなのか、どうかについては、私には判断不能。
「国の母でいらっしゃる皇后様が、お育ちになられたご自宅は、やはり国家としても大事ではないでしょうか...そのお家があったからこそ、皇后様がいらっしゃると言う事を、もっと大事にしてもいいのではないかなあ--と、思ってしまいます。」
という、感覚は、大多数の善良なる市民にとって当然のことなのだろう。「民間からはじめて皇太子妃が誕生したことに熱狂した日々」を回想するために、皇后実家が保存されることを望むというのは、「非国民じゃない人々」にとって、大事なことであることは理解できる。
また、三笠宮と縁を得たことをよろこびとしているという文もあった。それで、「納得納得」と、思ってしまうのも、私の根性曲がりによる。
私の義理の叔母(金庫叔父さんの奥さん)は、若い頃、三笠宮邸で行儀見習いをしていたことを、生涯の誇りにしている。 親王、内親王の結婚式の際に、「昔、宮邸で働いていた人々を招くパーティ」に招かれたことを何よりの名誉に思っている。
私は、それは金庫オジサン夫人にとって、とても大切なことなのだろうと、認めている。だから、w4さんの感覚も分かる。
わかるけど、私とは違う、と思うのだ。で、文章の好みが違うことも納得してしまう。
私は、皇后の短歌が好きだし、まどみちおの詩の翻訳も評価している。こどもの頃読んだ本についてのスピーチも、とてもいい文章だと思っている。ひとりの女性の一生として、とても敬愛できると思う。
だが、やはり違う。w4さんの皇室に対するスタンスと、私の感覚があまりに違うので、ほかの文章への違和感も、なんとなく納得してしまったのだ。
世の中のとらえ方感じ方において、感覚が異なる人が存在する。すべての人が同じ感じ方をすることはないし、人それぞれでよい。
上品で余裕のあるw4さんに比べて、私の感じ方とらえ方が、雑駁で品性下劣で、どうしょうもなく馬鹿っぽいものであることは認める。だが、やはり私は私であるのだ。
世の中に、裕福で上品な奥様が余裕で書く、心豊かでゆとりある文章もあってよく、私が「トムとジェリーの追いかけっこ」のドタバタを演じるのも、それはそれでいいんじゃないか。
w4さんにとって、私の文章が「なにが言いたいのかわかりにくい」と感じたのは、はね子さんが「ちえのわの文はごちゃごちゃして未整理」と評したのとは、スタンスが異なる、ということが納得された。
この人には、私の考え方感じ方に違和感があって、文を読んでも、私が何を言いたいか、理解できないのだと思う。
私が「皇后陛下におかせられましては」と書かずに、留学生が使う英語表現「エンプレスミチコが、、、」というのをそのまま取り入れていることの感覚が、理解してもらえないのだろう。
感覚が異なるという人に、わかってもらえなくてもいいや。全員が同じ考えを持つことはない。
たしかに、私の文章は下手だ。話がぽんぽん飛躍するので、ついていけない、という評価もわかる。そして内容は、w4さんが読むには、下品すぎる。
辺見庸の文は決して下品ではない。しかし、w4さんは、たぶん辺見庸を好きにはならないだろう。そして、辺見庸が好きじゃない人、私の文を読んでくれなくてもいいです。ハハッ!また、開き直り。
海外ミステリーさんからは、「開き直っている春庭が面白い」と、言われたので、大いに開き直ることにする。ミステリーさんへの返信戯れ歌。
春庭は観音開きご開張開き直って開きっぱなし
はぁ、つくづくと下品だねぇ。
w4さんが、三笠宮ご臨席のパーティで、島津久子さんとの同席を喜んでいるとき、わたしは、場末のストリップ劇場で、生板本番ご開帳ショウをやっている女たちに寄り添っていたい。開き直って開きっぱなし。全開バリバリ!あ、前バリはずれた。ご開帳中止、放送禁止!(どこがご開帳ショー放送してんねん。海賊放送か)
本日のひがみ:品性下劣がわが個性
2003/11/16 日 晴れ 1050
アンドロメダM31接続詞>共通感覚サイト
しばらく寒い日がつづいたが、今日は暖か小春日和。
こんな暖かい日、いつもなら散歩日和なのに、相変わらずネット三昧。今日は新しくウェブ友になったタコさんサイトをじっくりと見る。
若きウェブ友。若いっても、何歳なのか知らない。メールをやりとりしているとき、性別すらまったく気にしなかった。今は「一応生物学的には♀」というお知らせをもらった。 まあ、ウェブはネットおかまも多数棲息。どっちでもいいわけだ。私も男としてネットデビューすることも考えたが、男として書いたなら、授乳感覚について書けないと思い直した。
ネットの中では、まあどっちでもいいかと女になった。どうせ、現役退いているからどっちでもいいんだ、私。
とはいえ、ボクシングの世界では35歳までというプロボクサー年齢制限が解除されたので、43歳の元チャンピオンが再デビューするという。
私の再デビューの日もこないとは言えない。江戸の大奥では30歳が「おしとねすべり」する引退年齢だったそうだが、将軍種付用の子孫繁栄専用だったら昔の肉体年齢からいって、30歳引退も考えられるだろう。昔は更年期40くらいだったろうし。
これまでイラストのページはログインできたが、映画批評のページが開かない。いろいろクリックしてみたが、どうしてもエンターとならないので、ついにタコさんに直接メールで連絡し、ダイレクトでエンターできるURLをおそわった。
たこさんの映画評やイラストを見て、なぜ私がすっかりたこファンになったかが、納得された。w4さんと思考嗜好があわない部分があるのに対して、若いたこさんの感覚が合うのだ。
もちろんすべてがピッタシというわけではなく、違う部分もおおいにあっていいのだが、たこさんの映画を見るスタンスと批評の感覚が私にはここちよい。
本日の負け惜しみ:私は39歳で息子を産んだ。まだまだ「おしとねすべり」してたまるか、、、って、そうガンバランでも、、、、
2003/11/17 月
ジャパニーズアンドロメダシアター>トークトゥハー
午前中、作文漢字コマ。
午後、映画。予告編を見て、「バレリーナと女闘牛士の話なら、ぜったいに私のお気に入り映画になるだろう」と思ったら、予想以上だった。
<あらすじ>映画冒頭で、介護人ベニグノとジャーナリストのマルコが映画を見ている。マルコは泣く。アルゼンチン出身のマルコ。アフリカへ恋人を連れて行った。恋人は麻薬依存症。それをなおすための旅だった。依存症から立ち直った恋人はマルコと別れてしまう。マルコは深い孤独の中にいる。そのための涙なのだ。
ピナ・バウシェのダンスシーンが出る。もうそれだけで、この映画は私にとって最高だ。ピナ追っかけ人楠田絵里子によると、ピナの近作は明るく笑える踊りも増えてきたそうだ。
映画の中のピナは、椅子が並んだ中、男と女のコミュニケーション断絶が踊られる。(と、私は感じたが、ダンスシーンは短い一部分だけなので、本当はどういうダンスだったのかは不明)
でも、一部分でも、ピナの踊りが見られて、この映画はピナが出ているだけで合格。ダンスシーンにピナを使おうと思った監督の感性で作られた映画ならば、見る前からいい映画だと思いこめる。
(アリシアとベニグノ)
ベニグノは母親の介護をする以外に家から出なかった男。向かいのバレエ教室に通うアリシアに片想いを寄せる。
母の死後、ある雨の日、アリシアが交通事故に遭い、植物状態になる。ベニグノはアリシアの父(精神科クリニック医師)に雇われ、病院でアリシアを専門に介護する仕事につく。献身的な介護。たえずアリシアに話しかけ、全身をマッサージし、生理の手当もする。
(リデイァとマルコ)
マルコは女闘牛士リディアに興味を持つ。最近有名闘牛士の恋人と別れたことがインタビューで明らかになり、無謀な闘牛試合に出場しようとしていることが発表されているからだ。
リディアは闘牛士の恋人に未練を持っているが、マルコはしだいにリディアに惹かれる。マルコも元の恋人に未練をもっていたが、彼女とほかの人と結婚式に出席し、未練をきっぱり断ち切って、リディアへの愛を告白しようと決意する。
リディアは危険な闘牛試合を決行し、猛牛に全身を突かれて、脳死状態となる。
マルコは、彼女に話しかけることもマッサージしてやることもできない。ただ見つめる。やがてリディアは死に、元恋人から「試合が終わったら、もとのサヤに納まるはずだった」と、聞かされる。マルコには、愛の思い出さえ与えられなかった。
(ベニグノとアリシア)
ベニグノは「植物状態だから話しかけても無駄」という周囲に耳を貸さず、たえずアリシアに話しかける。全身マッサージを続け、日光浴をさせる。
たまの休みの日には映画を見にいくが、それは自分の楽しみのためではなく、アリシアに映画のストーリーを語って聞かせるためだ。アリシアのために、ピナバウシェのダンス映画も見て、ピナにサインをしてもらったパンフレットをアリシアの枕元に飾ってやる。
ある日の映画サイレントムービーがベニグノの心に残る。新薬実験のために、こびとになってしまった男が、恋人をよろこばせるために、全力で巨大な恋人の体を愛撫する。ついには彼女の体内深くもぐっていき、戻らなかったという映画。
ベニグノはその映画を見て、変化する。語りかけ全身をマッサージするだけのコミュニケーションから、ついにもう一歩彼女に近づこうとしたのだ。
アリシアの妊娠が発覚し、ベニグノは逮捕される。ベニグノは刑務所でアリシアの子ども誕生のニュースを待っていたが、死産したと聞き自殺。
(マルコとアリシア)
マルコは、ベニグノのアパートを借り、向かいのバレエ教室に、アリシアが歩いて現れたのを見た。アリシアは妊娠と死産という身体的極限状態を経て、植物状態から奇跡の復活を果たしたのだ。
バレエの公演会場で出会うアリシアとマルコ。マルコはやがて、アリシアに語りかけるだろう。アリシアが何も知らされていない「ベニグノの献身と奇跡の物語」を。
ときどきサイレントムービーのように途中ではさまれる、シーンパラグラフタイトルの最後のタイトルが「アリシアとマルコ」だったから、ふたりがいつか、コミュケーションをかわすだろうという暗示で映画が終わる。
本当にすばらしい映画だった。ことばとコミュニケーションと、人の愛と孤独。4人の男女の生と死はそれぞれに悲しいが、ベニグノの無償の愛は、奇跡となって報われた。
マルコは必ずジャーナリストとしてこの奇跡を世の人に語り継ぐだろう。ベニグノも十分に自分の果たすべき役割をはたし、むくわれたのだ。
母親の死後、一歩も家から出ようとしないひきこもりのまま生きながらえる人生よりも、アリシアの介護人として献身し、彼女の復活をもたらす人生を、ベニグノは生きたのだ。
アリシアが植物状態から回復したことを知らないまま、「彼女と同じ状態になるために」薬を大量に飲んだベニグノ。 本当に植物状態になろうとしたのか、死のうとしたのかはわからないが。
ベニグノのような表現しかできない愛情のあらわしかたがあることを知る、それで私たちも報われる。
顔と顔を見つめ合って、「愛している」と、一日百回も言わなければ確認出来ない愛ではなく、遠く離れていても、心は通じ合っているような愛、とつぶやきながら、夫の事務所へ。
「映画カード、事務所にちゃんと返せ」と、夫からの電話を受けた。そういう実際的な事務連絡以外に電話をよこすこともないから、よほど映画カードを使う必要があるのだろうと思って、映画が終わってすぐ事務所へ行った。
夫は不在で四街道さんがいた。カードを返し、四街道さんのコンピュータソフトを借りた。私の一太郎を四街道さんのパソコンにインストールしてあげたおかえしだ。くつを脱ぐのが面倒なので、玄関にたったまま立ち話。
そこへ夫が帰ってきた。ドアを開けて、私を見ると「ワアッッッ!」と、マンションの廊下中に響く大声で叫んだ。「ちょっとぉ、自分の奥さんの顔を見て、そんなに驚く人はいないと思うけどなあ」と、言いつつ、おかしくて、夫がそそくさと部屋の中に逃げ込むのを見ながら、「ああ、面白い。このネタ、10回くらい使い回して、みんなに吹聴して笑える」と、考えている自分に気づいて、また苦笑。
夫と会う回数より、姑と会う回数のほうが多い、というのもどうかと思うが、「夫が久しぶりに妻の顔を見て、驚いて大声で叫んだ」というのを、ネタにしてやろうとほくそ笑む妻もどうかと思う。
家に帰ってさっそく、ヒメワカに「お父さんたらねぇ!!」と、ご注進。
本日のつらみ:顔を合わせていなくとも、見つめ合う時間がなくとも、いつかそのうち夫が植物状態になることがあれば、人工呼吸くらいはしてあげよう
2003/11/18 火 晴れ1052
ニッポニア教師日誌>雨かんむりの漢字
漢字会話2コマ。漢字クラス。キンニ君は遅れてきたけど、私の漢字の説明を聞くと「I understund!」と、うれしそうに言う。
今日は草冠の漢字と、ウ冠、雨冠の漢字。
「電」を教えるのに、田から復習。田に雨が必要。雨を降らせるには雷だ。「Thunder!!」言って稲妻を書き、「雷」を「This Kanji is thunder.The rain puls rice field.」次に「Thunder make electricity」と、稲光を示して、雷から電気のしっぽを伸ばす。そこにコンセントの先をくっつけて見せる。これで、電の文字が学生の頭にインプットできる。
それで、明日のテストのために復習してみると、「好き」が書けない。
好きを教えるときにあれほど「Women love her children」と強調し、皆うれしそうに、うんうん、と頷いていたのに。3週間たつと、すっかり忘れている。もう、ザル頭め!
本日のうらみ:先週教えたことが全く記憶にのこっていない。女という字と、子という字を、ゴルゴ松本よりうまい体文字で教えたのに
2003/11/19 水 晴れ 1053
ニッポニア教師日誌>学生自慢話2
午前中、「笈の小文」000を書いていて、ダンスを休んだ。自転車操業で書いていて、ついに間に合わなくなってきた。今日は「わ」の和辻哲郎。
昔読んだ本を思い出して書く、というコンセプトだが、うろ覚えにしか思い出せなくて、もう一度読み直す結果になる本がけっこう多い。和辻の『埋もれた日本』も、第2部を全部読み直した。それで、小文を書くのが遅れる。
あと、おまけの「を」「ん」で、シリーズを終えるから、その次はもっと無理なく書いていこう。今回の「阿吽著者巡り」は、たくさん書きすぎた。読む人いないんだから、もう少し落ち着いて書けばいいのに、走り出すと止まらない性格。
午後教授法2コマ。
今日の「自慢話」発表もおもしろかった。
短大卒業時の就職活動と教員採用試験のグループ面接の話。グループに「水族館を表現しろ」という課題が出される。話し合いをして、水族館のアシカショウを演じることにした。要するに表現の出来がいいか悪いかが重要なのではなく、グループ話し合いの際の、役割を見ているのだという。リーダー的に話し合いをまとめる人、積極的にアイデアを出す人。皆の発言をフォローする人などを観察されているらしいと。
もうひとりは磐梯青年の家で開催された少年キャンプに指導員として参加した話。社会指導主事資格のための実習。
そして、いつもユニークなミトくんは、なんと自慢話として「僕は先週の日曜日、結婚しました!」
メキシコ留学中に日本人同士で仲良くなり、プロポーズ。3年生だから、成人しているとはいえ、学生結婚でやっていけるのか。「スーツを着て、彼女の親に挨拶に行った」という。みな、興味津々で質問していた。プロポーズの詞は何か、とか。とりあえず、結婚式を挙げて、就職活動が終わってから入籍すると言う。
ゲーム教材発表は、「一文字変えて」のことばあそび。
本日のむつみ:21歳の花婿が末永くむつみ合えるよう乾杯!
2003/11/20 木 曇りときどき雨1054
ニッポニア教師日誌>学生から学ぶこと
作文と日本事情2コマ。
朝、メール返信を書いていて、授業に遅刻した。日本語教師になってから、はじめての遅刻。よろしくないね。
学生に電話して、教室で待っているように指示。
大学の暗黙の了解では授業開始から30分たっても教師が教室に現れなかったら「自然休講」ということになっているが、なんと28分おくれで教室に到着。学生は、本日提出分の作文清書をしながら待っていた。 教師人生をはじめて最初の遅刻を、学生にあやまると、みんなニヤニヤしながら、「あと、2分でアウトでしたね。惜しかった」と、許してくれた。
発表は、ロンさんの「台湾に残る日本のインフラ」について
台南のダムを造った日本人、八田興一の話。はじめてきく話だった。全人生をかけて台南の地「嘉南地方」の水利のためにダムを造った日本人もえらいが、彼が亡くなった後、彼を忘れず顕彰し続ける台湾の人もえらい。
日本の植民地占領は、数多くの悲劇を生んだ。韓国の創氏改名も、傀儡満州国設立も、間違っていたと私は考える。
しかし、政治的な間違いはあるものの、多くの志ある技術者が占領地へ出かけていき、幾多の困難を乗り越えて、現地のために仕事をしてきた。これも事実だ。
仕事をした人々は、単に日本の占領政策のためだけに仕事をしたのではないだろう。本気で「現地の人の役に立とう」という、強い気持ちがなければ続けられない困難をも克服して、仕事をしてきたのだ。
これらの人々のこと、日本の人々は忘れている。私もこのダムを造った人を知らなかった。毎年、学生に発表をさせている「日本の文化」と「自国と日本の交流史」
毎回タイの学生発表は「山田長政」になってしまう。ほかに交流をみつけられない悲しさ。しかし、韓国、中国台湾などの学生の発表で、私が知らなかったことがらを学ぶこともある。今回の八田興一ダムも、そのひとつ。
教師の楽しみは、教えた学生が成長すること、そして学生から多くのことを学べること。学生から学べて給料ももらえる。いい商売だ。と、それにつけても、時給はもっとあげてほしい。なんのこっちゃ。話はすべてそこに落ちる。
本日のうらみ:メールもらうと、うれしくって、つい。日頃いかにコミュニケーションに飢えているか、、、
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