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Workshop for Nipponianippon Communicative Language& Culture Studies![]()
ポカポカ春庭日々雑記いろいろあらーな2005年8月![]()
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ポカポカ春庭のいろいろあらーな2005年8月
日付 夏バテ生活第二部 2005
08/09,10平和祈念像(1)(2) 2005
08/13,14ちえのわ通信おすたか山(1)(2) 08/15 8.15 確認 08/16 Re:雨宿り 08/19 ことばのちえのわ・入船 08/22,23 湊と修羅と金比羅と猫屋敷(1)(2) 08/30 テレビアンケート
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2005/08/09 火
やちまた日記>平和祈念像(1)
1945年の夏から60年。ヒロシマとナガサキに世界で2発だけ使用された核爆弾が投下されてから、60年。長崎への原爆投下は、60年前の8月9日、午前11時02分。
今でも、ほとんどのアメリカ人が「戦争を終結させるために、ヒロシマ20万人ナガサキ10万人の犠牲は仕方がなかったのだ」と信じ込んでいるという。
「そんなにたくさんの人が一瞬で死に、60年たってもなお原爆症で苦しんでいる人がいるなんて、知らされてこなかった」という人も多い。
アメリカは、外交機密文書など丸秘文献も、50年たつと、多くの部分を公開する。太平洋戦争にからむ文書も続々と公開されてきた。
アメリカは、日本がポツダム宣言を受諾する用意があることなど、早くからキャッチしていた。「原爆を落とさなくても、日本が無条件降伏する」ことは、承知していたのだ。
それなのにあえて、原爆を投下したのは、戦後世界の構築において、ソ連に対して優位な立場を保持しようとした、ただそのためだ。
米ソの覇権争奪のために、広島長崎の無辜の民が犠牲になった。あまりにも痛ましく、悲しいこと。
公開になったアメリカの文書のなかには、1940年の日米開戦時から、「戦後の天皇利用」が検討されていた、という記載がある。
日本を占領統治するためには、天皇をGHQに取り込んでしまえば、一番うまくいくのだ、という研究が戦争のさなかに着々とすすんでいた。
軍事補佐官ボナー・フェラーズは、太平洋戦争が始まる前から、日本軍と天皇について研究していた。フェラーズは、「天皇を利用した統治」をマッカーサーにも進言していた。
一般的には、マッカーサー回顧録が流布している。「天皇と初会見したとき、天皇を真の紳士と感じ、天皇への処遇を考え直すことにした。以後、天皇を戦犯扱いとしないことを考えた」というのが、マッカーサーの回顧。
しかし、事実は、記録文書に残されていたように、「天皇免責」と「占領統治における天皇の利用」は、研究され尽した結果の実行だった。
米大統領トルーマンは、天皇免責と占領政策への天皇利用という事後処理策を承知の上で、ポツダム宣言にはその点を伏せさせた。日本がすぐに降伏して、原爆投下の理由がなくなると困るからだ。ソ連への核開発優位を保つために、実験でしか成功していない原爆の実地投下を試みなければならなかった。
日本政府側が「国体護持はどうなる?天皇の立場はどうなる?」と、ひたすら天皇制の存続をはかってポツダム宣言受諾を躊躇している間に、2発の核爆弾が落とされた。犠牲になってしまった広島長崎の人達は、ほんとうに気の毒なことだ。
原爆を落としたのはアメリカであるが、落とす口実を与えたのは、日本政府であると思う。内閣は、ポツダム宣言が7月26日にだされてから8月10日に受諾するまで、国民のことなど考えもせず、国体護持だけをはかって右往左往していた。あと1週間早く受諾していれば、ヒロシマナガサキに原爆を落とす口実はなくなったのに。<つづく>
10:50 | コメント (2) | 編集 | ページのトップへ
2005/08/10 水
やちまた日記>平和祈念像(2)
アメリカ本国の「日本軍国主義を復活させないためには、天皇制を廃止すべき」という言論を押さえるのに一番有効だったのは、「天皇制を廃止すれば、ソ連の思うつぼとなり、ソ連主導の革命が起きて、日本は共産化するだろう」というフェラーズの意見だったという。
「天皇を戦犯にしなかった恩人」という理由により、1971年(昭和46)2月、日本政府はフェラーズに対して、勲二等瑞宝章を贈っている。
天皇を救ったという理由で、外国人へ勲二等。ならば、国体護持天皇を守るためにという右往左往の敗戦受諾ひきのばしのせいで、原爆を落とされ、亡くなった広島長崎の人々へは、全員に勲一等くらい贈ってもいい。
しかし、遺族も勲章なんかいらないだろう。命を返してもらえるのでなければ、遺族の思いは償えない。
アメリカの「ソ連との競争に勝つ」という目的と、日本政府の「国民が全滅しようと天皇だけは守りたい」という躊躇のために、2発の核爆弾が投下されたのだ。
「広島長崎の犠牲を思い、平和を希求する」と、多くの人達が祈っている。
平和を希求するのといっしょに考えて欲しい。「国民の命より国体護持(天皇制維持)」と考える政府に従っていた国民全体が、総意として結果的にヒロシマナガサキの悲劇を招いたのでもあることを。
「昔の人々と今は違うよ」と、お考えだろうか。
「普通の国家として、普通の軍隊を持つのは当然だ」という主張からはじまって、一体どこへ向かおうとしているのか。この国の行く末を傍観していたら、また同じ犠牲は続くだろう。
すでに教育現場は「校長の発言に反論すること許されず、職員会議は上意下達機関。独自の発想による、自由な教育などありえない」という。大政翼賛体制は、始まっているのだ。
長崎平和公園。原爆落下の中心地とその北側に世界平和を願って造られた公園である。
公園中央に立つブロンズ像は高さ9.7m重さ30t。
天を指す右手は原爆の脅威を、水平に伸ばした左手は平和を示し、閉じた目は原爆犠牲者の冥福を祈る姿という。
この「平和祈念像」と同じ像(小型ブロンズレプリカ)が、北区王子駅北口のホクトピア前にある。
像を作成した彫刻家北村西望が、北区にアトリエを持ち、1981年に北区名誉市民になっていることから、ホクトピア前に、この「平和祈念像」が設置されたのだ。
8月6日と9日に原爆を思い出し、平和を願うのも、大事なこと。でも、私は、週に一度は「小型平和祈念像」の前を通るので、時間があれば、ちょっとの間、像の前で黙祷し、平和を祈る。
特別な宗教はもたない私だが、「平和を願う祈り」は、どんな宗教でも宗派でも、なんでもいい。平和祈念像に向かって、祈り続ける。
長崎まで出かける旅費もないので、せめて東京の平和祈念像に祈ります。自転車なら旅費無料で出かけられるから、東京ふり-ふり-生活のひとつとして。
08:21 | コメント (4) | 編集 | ページのトップへ
2005/08/13 土
やちまた日記>ちえのわ通信・おすたか山(1)
12日夜、パソコンをつけていると、激しい雷。心配なのでシャットダウンした。夕食後、ますます雷が激しくなり、大雨落雷注意報が東京23区と多摩地区に出た。
ピカゴロ!!近くに落雷があったらしい。電気が一瞬消えて、すぐついた。もう今夜はパソコンなし。
娘が見ているテレビを、いっしょに見ることにした。
日航機墜落から20年目のこの日、TBSは機長の妻を中心とした番組「ボイスレコーダー」、NHKは妊娠4ヶ月で夫を失った人など遺族を取材したドキュメンタリー、フジは9歳の一人息子健くんを失った美谷島夫妻を中心にした番組を放送した。
1985年8月12日、群馬県上野村御巣鷹山に日航機墜落が墜落した。遺族にとっては、長く苦しい20年であったろう。
今年は、阪神淡路震災と地下鉄サリン事故から10年目、大都市空襲・原爆・敗戦から60年目。さまざまな追悼番組があったけれど、娘は、ニュースなどで少し見るくらいで、長尺のテレビ番組をずっと見ていることはなかった。
終戦60年特別ドラマ『二十四の瞳』も、ビデオにとったが、私と息子ふたりで見ただけ。娘は「ドラマ、2時間半もあるのを、見ている気力ないよ」とパスした。
それなのに、TBSの「ボイスレコーダー」を見て、それからまた、「8.12墜落20年目の誓い」も、見たのだ。
原田美枝子が美谷島邦子さんをが演じた「8.12墜落20年目の誓い」を、娘といっしょに見る。
CMの間、娘に「なんで、御巣鷹山のことが気にかかるか、教えてあげようか。大震災より原爆より、飛行機墜落が心の中に残っているのはどうしてか」と、話しかける。
「え、どうしてなんだろ、わかんない」と、娘。
1985年夏、娘は2歳4ヶ月。
4月1日に保育園の1歳児クラスひよこ組に入園し、すぐ2歳の誕生日を迎えた。ひよこ組のなかでは、4月生まれの娘が、クラスの中では一番のおねえさん。3月生まれの子などは、1歳になったばかりのなか、娘は人一倍のおしゃまさんで、おしゃべりな子だった。
1歳で一語文(単語)、1歳半で二語文「ニャンコ、きたよ」「お水、ちょうだい」などを話した。
ひよこ組に入園して2歳になった頃には、保母さんと「普通に会話」ができ、「2歳でこんなおしゃべりな子は、はじめて」と言われた。
娘が、日航機事故に対して特別な思いを抱くのはなぜか。
「自分の身の回りで起きているのとはちがう世界があって、世の中には、自分が直接関わらない時間が流れていて、自分とは関係なくても、大きな出来事が起きているんだということに初めて気づいた事件が、日航機墜落だったから。あんた、2歳のとき、それに気づいて、ショックだったんだよ」
「え〜、何それ、ぜんぜん覚えていないけど、ほんと?2歳のころ?」
証拠として、保育園のときの「連絡帳」の記録がある。「ちえのわ通信」と名付けた6冊の保育園連絡帳の最初の一冊。
1985年8月20日付、保母さんの記録。
『食事中、急に「ヒコーキがおっこちたんだよ。お山にぶつかったんだよ」と、話し出すので、びっくりしました。大人の話をよく聞いていますね。』
<つづく>
14:10 | コメント (7) | 編集 | ページのトップへ
2005/08/14 日
やちまた日記>ちえのわ通信・おすたか山(2)
保育園連絡帳。保育園ですごした日中のことを保育士が記録し、家での出来事を親が記録する。先生と親の交換日記のような記録。毎日の夕食メニューや就寝時間をいちいち書き込むのは、忙しいさなかにあった当時は面倒に思っていたが、今となっては、貴重な記録になっている。
2歳の娘が「ヒコーキがおっこちたんだよ、お山にぶつかったんだよ」と、保育園で話したという記録を読んで、私もびっくりした。
家で、特に日航機事故のことなど話題にしたこともなく、テレビのニュースはかけていても、それを理解できる年齢ではないと思っていたからだ。
2歳の子どもにとって、自分の身の回りに起る出来事が世の中のすべてであると思い、テレビのニュースが子どもの心になんらかの影響を残すなどと、考えてもみないのんきな母親だった。
でも、2歳4ヶ月の娘は、娘なりに、テレビのニュースなどを見て、ショックを受けていたのだろうと、気づいた。
2歳の子にも、2歳なりに世の中の出来事を理解し、それを心の中に受け止める能力があるのだ、と知って驚いたのが、日航機事故だった。
トラウマというほど強いものではないけれど、きっと日航機事故は、「はじめてショックを受けた世の中の事件」として、娘の心の奥深くに残されたのだろう。
「だから、20年目のドキュメンタリーを見る気持ちになったんだと、お母さんは思うよ」と、娘に言うと「え〜、保育園でそんなことを保母さんに言ったなんて、ぜんぜん覚えてないよ」
「書くこと」は、癒しの大きな力になる。また明日への活力を生む源でもある。
1985年4月、私は2歳の娘を保育園に預けて、近所の国立大学に入学した。中学校国語教師をやめてからサビ付く一方の頭を叩き叩き、新設の日本語学科に通学し、夫の仕事を手伝っていたころ、毎日余裕もなく、バタバタあたふたと過ぎていった。
保育園の連絡帳に娘の日常を記すこと、保母さんが記録してくれた保育園での出来事を読むことは、私にとって、明日へ向かっていく活力になっていたのだと思う。
娘にとっては、保育園1歳児クラスから大学4年生までの20年間だったが、美谷島健くんにとっては、9歳のまま時間が止まってしまった20年だった。
美谷島邦子さんは、墜落遺族の手記をあつめた「おすたか」という通信を発行することを「喪の仕事」として、20年をすごした。
1985年12月の「8.12連絡会」発足から、今年、総集編として『茜雲』を発行するまで、遺族は通信に辛い気持ち悲しい気持ちを書き綴ることによって、悲劇をのりこえてきた。
『茜雲』、読むのもつらいと思う遺族もいらっしゃるだろうが、書くこと読むことを通して、明日を生き抜く力を生みだした「8.12連絡会」の活動、とても貴重なものだったと思う。
20年間の、8.12連絡会会報「おすたか」。とても重く大切な記録。
「ちえのわ通信」。娘にとっては、きっと何よりも大事なものとなると思う記録。
書くこと読むこと、ときには癒しを与え、ときには生きる活力を与えてくれる。
書いて、読んで、明日も、生きていきましょう!
00:07 | コメント (8) | 編集 | ページのトップへ
2005/08/15 月
やちまた日記>8.15
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。『日本国憲法前文 第二段』
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。『日本国憲法第9条』
8.15 60年目の確認
21:42 | コメント (3) | 編集 | ページのトップへ
2005/08/16 火
やちまた日記>Re:雨宿り
anjin3
> 夕立の時にしていた雨宿り。のどかな昔を思い出します。
> いつでもいいよ、と傘を貸してくれたり、軒先では、濡れるので家の中に入りなさいと言われたり。。。
> 俳句のひとつも詠めたのでは?^^
> 1時間は、長かったですね。
>
Re:「雨宿り60分」
駅前の銀行で用事をすませる。
なくした通帳の再発行に4千円の手数料とられた。
銀行を出たら、ぽつぽつと雨粒。
「買物もしようと思ったのに、降ってきちゃったなあ」と、いそいでペダルをこいだら、突然の土砂降り。これなら、もう少し銀行に居座っているんだった。夕方5時まで窓口をあけることにした、という銀行だったのに。
駅裏の薬局のガレージ。「ここにゴミをすてないでください」と、張り紙がしてあるけれど、「ここで雨宿りしないでください」とは書いてなかったので、自転車を車の脇にとめさせてもらい、雨宿り。激しい雨が吹き込む中、1時間立っていた。
ぽつぽつ、、、の間に、覚悟を決めて喫茶店にでも飛び込めばよかったのに、「ぽつぽつの間に帰ろう」なんて思ったら、あまりに突然の土砂降りだったので、身動きできず。
最近の銀行には、待合いの椅子に週刊誌などを置いておかないところがふえたので、銀行で待たされたときのために、バックの中には文庫本が二冊。
激しい雷と雨。
足立巻一『やちまた』を読む。本居春庭の評伝であり、足立の学生時代からの自伝にもなっている本。(芸術選奨文部大臣賞)
ときどき読み返す。なにしろ「春庭」という名前を借りているので。
『やちまた』文庫上巻は、足立氏が出征し、復員するあたりまで。足立は親友を戦死戦病死で失う。下巻では、戦後の復興期に雑誌やテレビの仕事をはじめるところから。
戦争や敗戦後の社会について、声高な論評は書き込んでいないが、静かな筆致のなかにも、戦中戦後を生き抜いた、詩人の強い魂を感じる。
稲光と同時に雷鳴。目の前のビルの避雷針に雷が吸い込まれている気がする。
本のページの上にも、しぶきがかかるので、水をぬぐいながらページをめくる。
こんなとき、「すごい雨ですねえ」なんて言葉を交わしあえる「雨宿り、つかのまの相客」がいたらいいのにね。
すてきなロマンスグレーだったりしたらなおよろし。ビル・ゲイツだったりしたらもっとよろし。って、ビルゲイツが雨宿りなんかしないよね。
なんて思っていたら、ゴミ捨てに来た薬局のご主人がジロリ。
「すみません、ちょっと雨宿りさせていただいています」
「はぁ」なんて、気のない返事。ロマンスグレーじゃなくて、光頭系だわっ。薬局でリアップ売っても、売り上げ伸びそうにないわね。
とりあえず、ガレージのゴミ箱にこっそりゴミ捨てていくヤカラとは違う人間だということはわかってもらえたみたい。でも、こうやって濡れそぼつ姿で立っていると、私自身が捨てられた粗大ごみに見えるかも。
というわけで、anjinさん、1時間は長かったけれど、本さえあれば退屈せずにすみ、一句ものするヒマもありませんでした。
19:37 | コメント (9) | 編集 | ページのトップへ
2005/08/19 金
ことばのちえのわ>入船
chiyoisozakiさんのBBSコメントへの返信です。
> 教えてください!
> 入船と来たら、出船と返す。 私はこんなレベルなのです。
> panaseaさんが日記でお尋ねなのですが、「港に入る船」以上の意味はありますか?
> 辞書を引いて調べもせずに春さんのところへ教えを請いに飛んできました!
>
Re:『入船』の意味
@「出船入船」とセットで並べてある
Aめでたい言葉として使用されている。
という条件があるなら、「たくさんの積み荷をのせて港に入ってくる→豊かな収穫の比喩」ということも考えられますが、前後の文脈がないと、一語だけで、語句の意味を限定することはできません。
panaseaさんが「七福神がのって宝船になるとか・・・」と、書いていることから、宝船に関連していうと、船の舳先をどちらに向けるか、ということと関係あるかも。
「飾り物の船」の場合、出船は、向かって右側に舳先をむけて設置し、入船は向かって左側に舳先が向くように置くという決まりがあるそうです。
例えば、舟形をした花器に花を生ける場合など。客を迎えるときの玄関には、入船。卒業式などの旅立ちの行事、旅行へ出発するときに飾るなら、出船にして花を生けるといいのでしょうね。
七福神の宝船は「宝が入ってくるように、入船」にして飾る。すなわち舳先を左に向けて置く。宝が出て行ってしまうのでは、困ります。「入船」の形にしてこそ「めでたい宝船」になります。
「港に入る船」以外の意味を探すなら、俗に「四十八手」と呼ばれる技のひとつとして。(相撲のほうじゃありません)
「四十八手」では、「帆掛け船」など、女性を船の帆に見立てたものが知られていますが、例えば、「入り船本手」を知りたければ、
http://www.tilolu.com/sexlage/sex-lage-1.htm
に、絵があります。絵を参考にして実地訓練をおためし下さい。
こちらも、「豊壌満作、人類繁栄」のために役立つなら、めでたい意味があるのでしょう。
めでたしめでたし。
春庭、日本語教師として、日夜の研鑽怠りなし。
日の研鑽、一日中、ごろごろしながら、ぼうっと本を読んでおります。夜の研鑽、四十八手の研鑽はとうにあきらめて、夜も夜とて、もちろん日本語の研鑽ですよぅ。短夜の寸暇惜しんで読書研鑽、ことばの修行に励んでおります。
最近は、文法関連の学術書を読むことはほとんどしなくなりましたが、語彙関連、言語文化関連は、読み続けております。
今週、日本語ボギャブラリー関連の本では、次の3冊を読みました。
金田一春彦『ことばの歳時記』(初出1965年東京新聞連載 新潮文庫1973年)、
塩田丸男『死語読本』(文春文庫1998年)
山下景子『美人の日本語』(幻冬社2005年)
『ことばの歳時記』と、『美人の日本語』は、どちらも一日一語の解説をつけた「日本語、ことば」の本。両書に共通して紹介されていることばも多いし、コンセプトはまったく同じなのに、売れぐあいが異なるのは、書名のネーミングセンスにもよるし、昨今はやりの「インターネットから生まれた本」という売り方にもよるのかな。
日本語朗読のススメの本でも『声に出して読みたい日本語』だけが突出して売れ、他の類書は、演劇関係者などがほそぼそと買っただけで、ブームになることはなかった。
「美人の〜」と、ネーミングした幻冬社の勝利と思います。めでたしめでたし。
皆様も、短い夏の夜を、有意義にお過ごし下さい。研鑽おこたりなく、四十八手を学ぶもよし、読書にふけるもよし、、、、
===================
もんじゃ(文蛇)の足跡:
7月に90歳で亡くなった伯母の納骨法要で田舎に帰省。田舎の空気でリフレッシュ。
しばらく休載します。
13:53 | コメント (6) | 編集 | ページのトップへ
2005/08/22 月
やちまた日記>湊と修羅と金比羅と猫屋敷(1)
伯母の葬儀のときには、仕事も忙しくてゆっくり泊まっておれず、東京と田舎、日帰り往復を繰り返した。納骨法要が終わったら、夏休みだし、少しのんびりしてこようかと思って出かけたのだが、そうもいかなかった。
妹の家には、7月末に生まれた赤ん坊がきていて、新米ママが産後の養生をしている。妹にとって、初孫。
妹に「ゆっくりしていきなさいよ」と言われても、一家そろって赤ん坊の世話におおわらわのところに、子守りにも役立たないオバハンがうろうろするのもジャマになると思い、一泊だけで東京に戻った。
90歳の長寿を保った伯母が7月に亡くなって、12日後には新しい命が生まれた。去っていく命、生まれる命、命の連携はたゆみなく流れる川のようであり、川が注ぎ込む海の寄せては返す波のようでもある。
赤ちゃんは、とてもかわいい男の子。名前の一字に「湊」という文字を入れたのは、「たくさんの人々が寄り集まる拠点となり皆のよりどころとなるミナトのような子になってほしいから」だそう。
「港・湊」は、和語では「水門 ミナト」
「ミ」=水、「ナ」=現代語の「の」と同じ連体助詞、「ト」=左右両側の狭まった所。船の出入り口。
出船入船、ミナトに出入りする船は、航海の安全を願って金比羅様のお札を掲げる。
「金比羅様」は、船の航海安全に御利益がある神様。
もとはインドの神々のひとつクビラ神。 ガンジス川の鰐が神格化された神で、仏教成立後は「仏法守護神」となったもの。魚身で蛇(へび)の形をし、尾に宝玉を持つ。仏教十二神将のうちの宮毘羅(くびら)にあたる。
日本では大物主神(おおものぬしのかみ=大黒様)と習合し、金毘羅大権現として垂迹(すいじゃく)した。ワニ=水の守りとして、海上の守護神として広く民間に信仰されるようになった。香川県の金刀比羅宮(ことひらぐう)がその中心的存在。琴平山(象頭山)に鎮座する。
さて、金比羅ふねふねです。
florentmy さんからのおたずね。
>おいてに帆かけて。。とくれば、しゅらしゅしゅしゅ。。。
>金毘羅ふねふね。。。という昔はやった歌、いったいあれはどういう意味だったのでしょうか・・・?
『金比羅船々』は、香川県民謡、音楽の教科書にも掲載されたので、全国的に親しまれてきた。
♪ こんぴら船々 追い手に 帆かけて シュラシュシュシュ
回れば 四国は 讃州(さんしゅう) 那珂(なか)の郡(ごおり)
象頭山(ぞうずさん) 金毘羅大権現(だいごんげん) いちど まわれば
お宮は金毘羅 船神さまだよ キララララ
時化(しけ)でも無事だよ 雪洞(ぼんぼり)ゃ明るい
錨(いかり)を下(おろ)して 遊ばんせ いちど まわれば、、、、、、、♪
「シュラシュシュシュ」の「シュラ」は「修羅」のことらしい。「修羅」は農業や林業で用いる木製の運搬道具。重い荷物や大石を運ぶときに使う。
仏教の修羅は、帝釈天(たいしゃくてん)と戦って敗走させた悪鬼である。つまり、大石(たいしゃく)をも、走らせるから、シュラ。
農業や土木作業でいう修羅は、木製のそり。重い道具や石をこの修羅の上に乗せて移動する。
林業では、丸太の道を修羅と呼ぶ。伐採した木材を、運び下ろすときに、急峻な山道に丸太を並べて滑り道を作り、一気にすべり落とす。一枚の修羅は6〜10本の丸太で作る。
修羅を使って、すべるように早く走り下るようすが「シュラシュシュシュ」なのだという。
「追い手に帆かけて」進むには、山道をすべり下りる林業のシュラのほうが似合っている。
ワニが本体の水の守り神、金比羅様。香川県の水不足、なんとかならないでしょうか。
<つづく>
13:40 | コメント (6) | 編集 | ページのトップへ
2005/08/23 火
やちまた日記>湊と修羅と金比羅と猫屋敷(2)
と、金比羅様について詳しくなったのは、笙野頼子『金比羅』を読んだから。
『金比羅』作中の「私」は、「野生の金比羅」であって、金比羅の由来や生まれてからのことを語る。
笙野頼子の文体、私は好き。『二百回忌』『説教師カニバットと百人の危ない美女』など、笙野文学にはまってしまうと、あとをひく。
「恋愛」だとか「少年の成長」だとかのストーリーを語る、いわゆる「近代小説」と呼ばれるような一般の小説とは異なる世界を、笙野は言葉によって織り上げてきた。
『金比羅』も、笙野ワールド全開の作品。
ストーリーとして要約できるような話ではないので、「梗概 あらすじ」は、意味をなさない。『二百回忌』を200回読んでもいい、という人じゃないと、最初の章で本を閉じると思う。
笙野頼子、なれあい相互扶助文壇後目に、独立独行。論争をやらかしたり、孤高の女文士の風貌。
独得の生き方の、ひとつのあらわれが、「猫屋敷」。
目白のマンションでは猫と同居することが難しかったので、4匹の猫の住まいを探し探し、千葉の佐倉に「猫屋敷」を建てるに至る。この顛末は、『愛別外猫雑記』に。
猫好きの人にとって、家は猫のためにある。
私の妹の家、赤ちゃんが来るので、一階の7部屋のうち、ようやく5部屋が「人間の住まい」として片づいた。二階の4部屋はまだ「猫屋敷」のまま。
妹一家、猫を14匹、犬を2匹飼っている。
犬は、もらってきたミニチュアダックスフント(クリーム雄とブラックタン雌)だが、猫は、捨て猫とその子孫。
最初は他の家と変わらない2匹3匹程度の猫だったのが、「猫好きの家」という評判がたって、庭に捨てていく人が出てきた。どんどん捨てられて今では14匹。
妹の弁「捨てられるのは迷惑だけれど、目の前に子猫が鳴いていたら、かわいそうになっちゃうので、やむをえず。これ以上増えたら困るから、獣医さんへ連れて行って、避妊手術して、その費用もバカにならない。一度インターネットで調べた安い手術費用の獣医へ連れて行ったら、2匹一度に死なせてしまったことがあるから、費用もケチれないし」
死なせてしまったのに、ヤブ医者獣医は手術代金をきっちり請求してきたそうだ。
13匹の猫は、二階を占領して暮らしている。猫様用4部屋、12畳、6畳、4半畳半、3畳、納戸。東京の我が家より広い。
二階は完全に猫エリア。広々優雅に暮らしている。
一階にいる1匹は、クララという名前。他の猫と隔離して一階でダックス2匹といっしょ。とても仲がよく、ミニチュアダックスと猫がじゃれあっている。
クララは捨てられていたとき、頭に怪我をしていた。獣医さんに連れて行ったら「命はとりとめるだろうが、障害が残る」と、言われた。
今でも足をひきずっている。他の猫の中にいると、どうしても仲間はずれにされがちなので、犬といっしょに一階にいる。犬とはとても仲がいいのがおかしい。アメリカンショートヘアが入った雑種で、名前の由来は「アルプスの少女」の、クララ。
足に障害が残ると獣医さんに言われたあと、妹はマッサージをしたり懸命に看病した。ある日、不自由な後ろ足をいっしょうけんめい突っ張って、立とうとしているようすを見て、一同そろって叫んだ「立って!クララ、立つんだ!」
妹一家はハイジファンなので。それで命名クララ。
妹は、猫の世話だけでなく、母譲りの世話好き。今はNPO法人の理事として、市の委託をうけた「ファミリーサポート事業」の中心になっている。自分のことはあとまわしにして、人様の世話に奮闘する。もともと体が弱いので、頑張りすぎては、寝込む。
両親がなくなり、長姉も早死にして、私が育った一家五人のうち、残ったのは妹とふたりきり。妹には体を大事にしてもらいたいので、もう少し自分のことを優先すればいいのにと思うのだが、これも性分だからしかたがないのだろう。
「人と関わり合うことが苦手」という、亡くなった伯母と私に共通する性格も、もって生まれた性分。
今は、赤ちゃんがいるから、妹も赤ちゃん第一優先。赤ちゃんは、だれに似てくるのだろう。いろんなご先祖のDNAが混ざり合っているのだろうな。
人が大好き、世話好きでいつも大勢の人に慕われていた亡き母。
新しい命を輝かせている赤ちゃんが、母港のようだった亡き母のDNAを受け継ぎ、人を温かく迎え入れる心を持てるように。
たくさんの人々が集い、なごんでいく、ミナトのようなおおらかな人に成長していくといいな。湊太くん、大きく育ってね。
金比羅大権現も阿修羅も帝釈天も、ソータ君をお守り下さい。
<湊と修羅と金比羅と猫屋敷 おわり>
2005/08/29 月
やちまた日記>テレビアンケート
衆議院選挙、公示。総選挙がスタートした。
9月11日の投票日にむけて、選挙活動はすでに「終盤戦」なのだそう。
地方区の選挙公報や各党の公約もじっくり読み比べて、大切な一票を使いたい。
公示までの選挙関連の報道、私にとって興味深い出来事がひとつあった。テレビ番組の報道アンケート。
これまで、テレビでアンケート調査結果が報道されると、ちゃんとアンケートとっているのかしら、と、少々いじわるな見方もしていた。バラエティ番組なんかだと、制作側で適当にアンケート結果を作ったり、数人に聞いてパーセンテージ出してしまうなんてこともやっているらしいと聞いたけど、報道番組は、いくら何でも、ちゃんとやっているんでしょうね、テレビのアンケートに答えたって人に話きいたこともないけど、、、、と、思っていた。
8月26日のこと、家の電話が鳴った。「テレビ朝日報道部と申しますが」という名乗りに、「?」
報道ステーションでアンケートを放送するので、選挙人名簿から無作為抽選した人に、アンケート協力をお願いしているのだ、という。
電話している人の名前を確認して、協力をOKする。おもしろそうだから。
「小泉内閣を支持しますか」「今回の選挙の一番の争点は何だと思いますか」「9月11日、必ず投票に行きますか」「投票する場合、支持政党は決まっていますか」などなど、さまざまな質問に、あらかじめ用意された選択肢のなかから答えていく。
自由記述にあたるような「意見を述べる」部分はなく、全部選択肢の番号で答える。
ながながと、いろんな質問があった。
電話の声の背後に、同じような質問をしているらしい、大勢の声が聞こえる。アー、ちゃんとこうやって電話かけているんだなあ、と思った。結果の集計をどうまとめるのか、まではわからないけれど。
私が答えているのを息子が聞いていて「何かのクレームをつけているのかと思った」と、言う。私の電話口調は、だれかにケンカ売っているとしか思えない調子に聞こえるのだって。
ちゃんと考えて答えなくちゃと、緊張して「はい」だの「いいえ」だの言っているので、どうしても口調がきつい感じに聞こえるみたい。
昔は、普段の会話でも人と話すときは緊張して答えていて、「こわい」という印象を持たれていた。いまは、だいぶ緊張せずに話せるようになったのだが、知らない人と電話で話すのは緊張して「怒っているみたい」に聞こえたのだ。
電話の担当者は、「8月29日月曜日の報道ステーションで結果を発表します」と、言った。
あいにく、29日は出かけていて、報道ステーションがはじまるまでに帰れなかった。テレビを見ていた息子が「アンケート結果って、3分くらい放送したよ」と言う。「選挙にいくと言って居た人が70%とか放送してたなあ」
アンケートは10分以上電話があったのに、集計結果は3分でまとめるのか。ま、そんなもんか。
公示後は、どう世論が推移するのだろうか。
「ポピュリズム選挙」なんて言われ方もしている今回の選挙。
自分の票が明日の暮らしに関わることをようく考えて、一票を投じたい。
うちの選挙区、二転三転の「選挙協力騒動」があったあげくに、「どたんば逆転波乱選挙区」になったから、目が離せない。
17:20 | コメント (6) | 編集 | ページのトップへ
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