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Workshop for Nipponianippon Communicative Language& Culture Studies![]()
ポカポカ春庭日々雑記いろいろあらーな2005年3月![]()
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ポカポカ春庭のいろいろあらーな2005年3月
「春のうた」
日付 タイトル(今日の色いろ/春のうた) 2005
03/09紅梅色・山里の梅東京の梅 03/10、12 見えぬけれどもあるんだよ(金子みすずの詩) 03/16、17 まっピンクABサラダとアイスクリーム(加藤知恵、俵万智) 03/18、19 風傷@A(道浦母都子の短歌) 03/22〜24 春のうた>白木蓮、春の疾風、春の雨 03/25、26 春のうた>彼岸会はしりくちことばの知恵の輪>風傷@
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2005/03/09 16:08 今日の色いろ>紅梅色・山里の梅東京の梅
母の33回忌をすませ、2月最後の日、妹といっしょに故郷近くの「みさと梅林」へ出かけた。
山里の梅園であるので開花は遅く、まだやっと2分咲き3分咲き。広い梅林のなかで早咲きのものが数種類、白や紅の花を見せているのみ。満開になれば10万本が咲き誇り、見事な梅林になるという。
なだらかな山里の斜面を母をしのびながら歩いた。妹と顔を合わせると、親の年を数えてしまう。「生きていれば、米寿なのに」と、いまだに早く亡くなった母の死が残念でならない。
「気まずさを破りて露地の梅咲けり(静栄)」
母の残した梅の句。何の技巧もなく、田舎のおばさんが心に浮かんだままを口にする、いたって平易な、言うてみれば平凡な句ではあるが、思い屈して歩いていた母が、はっと目を上げた露地の先に、香り豊かな梅の一樹を見つけたときの心の動きを感じることができる。
下手ではあってもこうして一句を残しておいてくれれば、ああこの日、母は梅の花を見て沈んでいた心を明るくすることができたのだろう、と、残された者はしのぶことができる。
33回忌は弔い上げという。母の姿はもうこの世のどこにも見えないけれど、母の心は私や妹の胸のなかにいつまでも存在している。見えないけれど、ある。
32年前の母の葬儀の日3月1日は、妹の高校卒業式の日だった。末娘の卒業式を楽しみにしていた母だったのに、55歳の急死だった。
末娘が卒業したら、母親業一段落だから「恵みの園」という福祉施設でボランティアをするのだ、とはりきって、園長さんとの面談も終えていた母だった。
妹は、母によく似た「はりきり母さん」になって、市から委託を受けた「ファミリーサポート事業」を成功させようと奮闘している。
子育て中の家族や留守世帯などの援助をしていくファミリーサポート。昨年末からのスタートで、まだまだ問題山積みのようだが、世話好きで誰彼となく面倒を見てやるのが好きだった母の遺志を受け継いで、人手を必要としている家族をサポートしていくことだろう。
私のほうは、文学好きは母に似たけれど、人とのつきあい方は伯母に似てしまった。伯母は若い頃から人付き合いが苦手で、人と世間話などをすることが出来ない性格だった。大人になってみたら、私は伯母とそっくりのひきこもり人間になっていた。いつも屈折した思いをかかえながら、ひとりぽつねんと歩いている。どこへ出かけるのもたいていひとり。
2月中旬、小石川後楽園の梅を見に行った。夕方のほんのひとときではあったが、ほとんどの梅見客が帰ったあとの静かな園内を一人ゆっくり歩くことができた。梅祭りは始まっていたが、まだ本格的な開花には少し早かったようだ。木の種類によってはつぼみのままのものもあった。
夕日が傾いていく中、木の数は少ないものの、白梅紅梅、一本一本の種類を確かめながら観賞できた。
後楽園内の梅の木の種類は17種類約100本。白加賀(しらかが)、冬至(とうじ)、蝶千鳥(ちょうちどり)、浜千鳥、紅千鳥、唐梅(とうばい)月宮殿などの名札を下げた梅の木々。
近くに寄って、花びらの形などをくらべてみれば違いがわかるのだが、遠目だと素人目には白加賀も冬至も同じような白梅に見えてしまう。
しかし、紅梅は、素人にも遠くからでもはっきりと木の種類が違うことがわかる。色合いが木ごとに異なり、赤みが強い紅梅、ほんのりうっすらと紅がかかっている梅、それぞれの色合いを見せている。
色というのは本当にわずかな違いでもくっきりと己の存在を主張することができるのだなあと感じた。
紅梅色。紅梅の花のような色。やわらかく薄い紅。灰色の系統には「梅鼠(うめねず)」がある。紅梅の花のような赤みを帯びた鼠色。
襲(かさね)の色目(色の組み合わせ方)には、梅の色をあらわすいくつかの色の組み合わせがある。
紅梅(こうばい)のかさねは、「表:紅梅・裏:蘇芳」
紅梅匂(こうばいのにおい)のかさねは、「表:紅梅・裏:淡紅梅」
莟紅梅(つぼみこうばい)のかさねは、「表:紅梅・裏:濃蘇芳」などなど。
京都には、北野天満宮の梅の枝などを使って染め物をしている梅染研究所がある。
梅の木片を寸銅鍋で煮出す。花のために準備された深い紅色が梅の木の中から出てくる。
染める布を、先に梅の灰汁の薄い液にくぐらせておき、染め液にひたす。好みの濃さに染まった布を取り出し水洗いし、しばらく置く。古釘で作った鉄漿媒染液などを媒染剤として用いる。
媒染剤の種類のちがいによって、薄紅色、濃淡の茶色、黒みのある深緑にもなる。色の世界はほんとうに神秘的だ。
紅千鳥など紅梅の花びらの色、微妙な色合いの差を楽しみながら、夕暮れの小石川後楽園を歩いた。そして目には見えないけれど、木の幹や根が蓄えている色素が白や紅梅色の花となって顕現する不思議さを思いながら、「見えぬけれどもあるんだよ」という金子みすずの一節などを口ずさむ。
みすずがうたったのは昼の星や冬のたんぽぽの根だったが、木の幹や根の色素というのも、「見えないけれどあるんだよ」と、みすずがうたった通りの、不思議な色の世界と思う。
紅梅の紅の通へる幹ならん (高浜虚子)
梅散りて白磁の鉢の夜々ひとり(横光利一)
勇気こそ地の塩なれや梅真白(中村草田男)
2005/03/10 15:32
今日の色いろ>見えぬけれどもあるんだよ
今年1月、銀座のデパートで開催された金子みすず展を見た。さぞかし混雑しているだろうと平日を選んで出かけたのだが、それでもかなりの人出で、どの展示の前もたくさんの人が取り囲んでいた。
みすずの26年の生涯を写真や遺品で紹介する展示。
実弟のもとに残された三冊の詩の手帖、愛用の着物、みすず再発見の功労者矢崎節夫さんとみすずの娘ふさえさんの対談ビデオなど、みすずの生きた姿に触れる思いがする展覧会だった。
展示の大きな部分を占めていたのは、三冊の手帖からコピーされたみすずの文字による詩のパネル。活字の詩集とはことなるみすず自身の声が心に聞こえてくるようで、ひとつひとつのパネルを、詩集を読んだときとはひとあじ違う印象で読んだ。手書きの文字って、その人に直接出会う気持ちになれる。
結婚生活に絶望し自死をとげてから50年間、みすずは幻の童謡詩人として埋もれていた。実弟から矢崎節夫に三冊の手帖が託され、童謡集が出版されたのは1984年のことだった。
新聞や雑誌でみすずの紹介が記事になるたびにいくつかの詩を読んできたが、私が詩集を買ったのは1998年のハルキ文庫版がでてから。
再び世に出て以来、みすずの愛読者は広がり続けている。教科書に載り、小学校の教室の壁にみすずの詩が張り出された。
なかでも人気は、「みんなちがって、みんないい」の最後のフレーズが響く『わたしと小鳥とすずと』そして、目にみえないものの大切さが心にしみる『星とたんぽぽ』
<星とたんぽぽ 金子みすず>
青いお空の底ふかく、
海の小石のそのように、
夜がくるまで沈んでる、
昼のお星は眼にみえぬ。
見えぬけれどもあるんだよ、
見えぬものでもあるんだよ。
散ってすがれたたんぽぽの、
瓦のすきに、だァまって、
春のくるまでかくれてる、
つよいその根は眼にみえぬ。
見えぬけれどもあるんだよ、
見えぬものでもあるんだよ。
祈りのことばのように、みすずの詩を声に出して読む。
目に見えないすべての存在に。昼の星に。地の下に隠れている冬の根に。幹の中に潜む花の色素に。私の声がとどくでしょうか。
弔い上げとなった私の母へ。60年前の3月10日に紅蓮の炎の中で焼け死んでいった人々へ。今も続く戦火の中で倒れていく人々へ。私の祈りのかわりの声がとどきますように。
============
もんじゃ(文蛇)の足跡
1930年の著者死後より50年を経て、法律上の著作権は1980年に消滅しているのですが、みすず作品の出版物は「著作保存会」によって出版社から特例の著作印税を認められています。
ですが、非営利のささやかなサイトでは作品掲載をお許しねがえるものと、私なりの祈りの心をこめて「星とたんぽぽ」の全文を記載しました。みすずの詩が多くの人の心のなかに灯りますように。
2005/03/12 10:48
今日のいろいろ>金子みすず「土」(見えぬけれどもあるんだよ後半)
2005/02/26、日本のH2Aロケットは、ようよう打ち上げに成功した。打ち上げ時のロケットが描く飛行雲を見た人の投稿を読み、感動が伝わってきた。
「停滞していた日本の宇宙開発が再び動き出す」という解説記事に、白い飛行雲を青空に描きながら宇宙へと向かうロケットの姿を思い浮かべる。
スプートニクやガガーリンのニュースを聞いて以後、この世には宇宙というものがあるのだと知り、宇宙は私たちの世代には果てしないあこがれの地になってきた。
子どもの頃は、「宇宙開発」という言葉からも、人類に無限の世界を与えてくれるイメージを抱くことができた。
宇宙開発のための実験の中で、私にとって、とても印象的だったアメリカの試みがある。
1991年、アメリカアリゾナ州に、外界から隔離された巨大ドームの人口閉鎖生態系「バイオスフィアU」が建設された。バイオスフィアとは生物球=地球生態モデルという意味。
将来の宇宙ステーション(コロニー)建設計画に役立てるため、このドーム内には、生活に必要な水や植物だけでなく、海や川といった自然を再現し、大気などのバランスを保てるように綿密な計算がなされた。
この閉鎖空間で、研究員が自給自足の生活を2年間行うという壮大な実験がはじまった。
コンピュータで計算されつくして地球環境を再現したドーム。研究者たちはドーム内で農業を行い魚をとり、将来宇宙で同じようなコロニーを作れば地球と同じ生活ができるようになる、という予測をもって実験に取り組んだ。
しかし、計画は2年を満了せずに頓挫した。
きちんと計算され、ドーム内では酸素も植物動物がうまく循環して保たれるようになっていたはずなのに、予測に反して酸素が急激に減少したのだ。研究員が倒れる事態にまでなり、酸素を外部から補給せざるをえなくなった。
なぜだ?ドームに持ち込まれた植物と動物すべての酸素消費量を計算してあったのに。
原因は、植物栽培のためにドームに運ばれた「土」だった。植物を栽培するための土壌中で、有機物を分解するバクテリアが異常繁殖し、それが一時的に大量の酸素を消費した。想定外のことだった。
通常、自然界では特定のバクテリアが異常繁殖することはあり得ず、たくさんの生物が存在することによって、自然の微妙なバランスが保たれるような仕組みになっている。
しかし、ドーム内に持ち込んだ生物群は、地球上のすべての生き物ではない。うまく酸素供給と消費のバランスがとれるよう計算した上で、植物動物を選んで持ち込んだはずなのに、計算通りにはいかなかった。
自然界とは、コンピュータの計算を超えた存在だった。地球上の生態系すべては、人間の想像を絶する圧倒的多数の生物群の存在によって正常に作用するシステムになっているということが、この実験によって明らかになった。
この実験以後、地球は、地球上のすべての存在、微生物もウィルスもすべてを含んだひとつの大きな有機体であることが、認識されるようになった。
自然界の生態系が、どんなに多種多様で複雑かということを、このアメリカの実験がはっきりさせてくれたのだ。
人類が自らの都合のいいように自然を選びコントロールすることは、決してできない。目にはみえないようなバクテリア、深海の奥の奥に隠れ住み、人間とはまったく関わらないようにみえる生き物も含め、生物種の多様性がいかに重要かが、認識されることになった。
アリゾナの失敗は、「バイオスフィア=地球」の姿を人々が再認識するための貴重な実験となった。失敗したことがよかったのかもしれない。
目に見える存在も、目に見えない存在も、心に感じるのみの「なにか」も、すべてが関わり合い、影響し合って私たちの世界が成り立っている。いらないものなど何ひとつない。
そこらにころがっている石っころも、砂のひとつぶも、蟻の死骸も大根の切れ端も、すべてがあらゆるものの存在のためにそこにある。
自分には必要ないように見えるものを排除したり、都合良く選別したりすれば、たちまちしっぺ返しをくう。
多様であること、あらゆる存在を認めてすべてを大切にすることが、自分の存在を支えているのだ。
バクテリアを含んだ土壌によって、目に見えるものも見えないものも関わり合って生きている地球の存在を明らかにしたアリゾナの実験。
そんな壮大な実験が行われるずっと前に、ただそこにあるひとすくいの「土」も大切なたいせつな存在であることを、小さなことばで教えてくれていた金子みすずの詩をひとつ。
<土 金子みすず>
こっつん こっつん/打(ぶ)たれる土は/よい畠になって/よい麦を生むよ。
朝から晩まで/踏まれる土は/よい路になって/車を通すよ。
打たれぬ土は/踏まれぬ土は/要らない土か。
いえいえそれは/名のない草の/お宿をするよ。
足下の土くれのひとつでも、みんなみんな大事な大切な存在。人の役には立たないようにみえている土も、小さな草のやさしいお宿。みすずの童謡詩は、大きな宇宙の命を感じさせてくれる。<見えぬけれどもあるんだよ 終わり>
2005/03/16 08:32
今日の色いろ>まっピンクAサラダとアイスクリーム
まっピンクのカバンを持って走ってる 楽しい方があたしの道だ<加藤千恵>
現在は東京で学生生活をおくる加藤千恵が、北海道の女子高校生だったころに作った短歌をあつめた歌集『ハッピーアイスクリーム』(中公文庫)
単行本(2001年)も文庫本(2003年)もまっピンクの装丁なので、所収の「まっピンクのカバン〜」、この一首を集中「代表歌」と思っていいのだろう。
千恵さんは、私の娘と同じ年。
口語による「かんたん短歌」を提唱している枡野浩一サイトbbsへ投稿する中から歌集が生まれた。
青春まっさかりの道を、「まっピンク」のカバンをもって走り抜けていく女の子のはずむ気持ち、「楽しい方があたしの道だ」と言い切る口跡の、スパッとした切れ味のよさ。私は好きだな、こういう短歌も。
「楽しい方があたしの道だ」と、走っていくその先、崖っぷちかも知れない、荒涼とした岩と砂の世界なのかも知れない。それとも袋小路?
その先が「楽しい方」になることが少ない世の中であることがわかっている母親としては飛び出していく娘にむかって、「あんた、ちゃんと前後左右見なさいよ。カバンにハンカチ財布はいってんの?」などとごちゃごちゃ言いかけて、ますます「母」の枕詞が「垂乳根の」ではなく「ウザイ垂れパイ」になるんだけどね。
加藤千恵の短歌。
合格を祈願している場合じゃない だってあたしは恋をしたのだ
重要と書かれた文字を写していく なぜ重要かわからないまま
珍しく雨の降る日に図書館で江國香織を検索してる
言葉しか残っていないけれど まだ言葉だけなら残ってはいる
真実やそうじゃないことなんだっていいから君と話がしたい
理科室のひんやりとした空気の中標本になっちゃえばよかった
こなごなに砕くキャンディー 退屈も不幸も似てて見間違えそう
最終のバスに揺られる 酔っている 窓の外には夜が広がる
せいしゅんとかそういうのよくわかんないけどそれなりにいまはたのしい
ついてないびっくりするほどついてないほんとにあるの? あたしにあした
気持ちいい風 気持ちいい音 気持ちいい温度 いつも現実がいい<加藤千恵>
口語短歌はネット上で増殖拡大していき、「散文の一部としても成り立つからいいのだ」という主張もある。
私は、短歌は散文の一部じゃなくて独立したことばの宇宙だと思っているけれど。古風に。
「合格を祈願している場合じゃない だってあたしは恋をしたのだ」五七五七七になっていて、散文の一部にとけ込ませようとすればそうなってしまい、文語定型の短歌からみたら、短歌とは思えないものなのかもしれないけれど、まっピンクの表紙の高校生歌集が本屋に並ぶなんて、いい時代なんだ、きっと。<サラダとアイスクリーム続く>
2005/03/17 10:47
今日の色いろ>まっピンクBサラダとアイスクリーム
「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日
「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ
「嫁さんになれよ」だなんてカンチューハイ二本で言ってしまっていいの
白菜が赤帯しめて店先にうっふんうっふん肩を並べる <サラダ記念日>
俵万智『サラダ記念日』がベストセラーになったのが1987年。「こういうのは、商業広告コピーのことばであって、短歌ではない」「いや、口語こそこれからの短歌を未来につなげていくもの」と丁々発止の論が起きて、20年近くになる。
キャッチコピー風も口語も定着し、ウェブ歌会ウェブ句会ウェブ歌仙、ネット内だけの結社もどんどんできているし、インターネット上で発表されたものをまとめて活字本にすることも、もう珍しくない。
パソコン歌人ケータイ俳人も続々登場。
俵万智は、口語短歌のトップランナーとしてこの20年、歌を作り続けてきた。
『チョコレート革命』を読んだときは、どこに向かおうとしているのか、わからなかったけれど、2003年には万智さんもめでたくシングルマザーとなって、
未婚の母をシングルマザーと訳すときほおずき吹いてさよなら「未」の字<俵万智>
と、歌う。
一般のシングルマザー平均年収200万円という厳しいご時世に、ほおずきなんぞ吹いてる余裕はないのが現実ではある。
しかし、「さよなら『未』の字」の文言に、未婚未熟未開未遂未練など、「未」の字に込められたニュアンスをふっとばそうとする心の張りを、一首の中に感じる。
なにはともあれ口語短歌旗手のひとりとして「ライトバースの落日」なんぞの評は蹴飛ばして進んでいってほしい。
歌人道浦母都子は、「asahi com 大阪」のウェブコラム(2005/03/11)インタビューの中で、若い人のウェブ短歌にふれて、次のように述べている。
「私のところにも、素人の方から作品が送られてきます。でも、肉筆じゃないパソコンで書いた歌は、私には体温が伝わってこない。その人の姿が見えない。歌を詠むというのは、二度とないその瞬間に選び抜いた一語を、自分の中に引き込んで体温を与え、もう一度外に手放すこと。言葉に体重をかけたり、光やにおいを与えたりして、血の通った言葉にすることが大切なんです。そうすれば31文字というピンホールから世界を見ることができる。でもパソコン作品は、その過程を踏んでいないように感じます。」
道浦が「パソコンで書いた歌は、体温が伝わってこない」と述べているのは、どのような作品を見てのことだかわからないが、たしかに、ウェブ上の玉石混淆の短歌サイトには、まだ十分に磨かれていない原石もあるし、ブリリアントカットの煌めきもあるけれど、ゴロタ石ゴロゴロでもある。
「割れ瓦や瀬戸欠けガーラガーラガッラガラ」をどさっと送りつけられたのでは、うんざりしてしまうに違いない。ことばを知らない世代の、舌足らずの表現も多いだろう。
道浦のもとに送られてくるパソコン書きの短歌には「就職に失敗したので歌人になりたいと思います。年収いくらくらい稼げるでしょうか」というような手紙が同封されていることもあるというから、まあ、そういう程度の短歌なのかも知れない。
でも私は、パソコン短歌ケータイ俳句が「肉筆じゃないので体温が伝わってこない」ものばかりじゃないとも思っている。
パソコンからとび出てくる短歌や俳句の中に、筆やペンとはちがう手触りで輝き出すことばが生まれてくることもあろうと期待する。
2005/03/10に、「金子みすずの手書き文字による詩のパネル」について述べた。みすずの文字のあたたかさ、なつかしさに触れて、活字の詩とはまた違うすばらしさを感じた、と。
文字が肉声を伝えるような味わいを持つことは確かだ。
筆記メディアの差。墨と筆で擬古文を書いた樋口一葉は、もしペンと原稿用紙を用いていたら、あの文体を残せなかっただろうという論もある。
しかし、筆にもペンにも、えんぴつにも、キーボードにも、それぞれの筆記メディアにそれぞれの言葉がある。
パソコンキーボードを筆記具として生み出されることばたちの中から、世界を貫く31文字が誕生し、光やにおいをもつ血の通った表現がひろがっていくだろう。
若い世代、高中生、小学生まで、ケータイメールならどこでもいつでも言葉を発信する。目にしたこと感じたこと、どんどん17文字、31文字にしてみたらいい。その中から日本語言語文化の歴史につながる言語表現が生まれる可能性も大きいと思う。
2005年は、1205年に『新古今和歌集』が編纂されてから800年目という。万葉集や古事記、風土記の歌謡など文字にされてからだけでも1200年の、口承歌謡まで考えるなら、2千年3千年の歴史をもつであろうことばのリズムやしらべ。
そのリズムやしらべを、自分の指先からどんどん文字にし声にしていくうち、自分の表現、自分の声が生まれでる。
現実の中から生(あ)れいでて、虚実皮膜を超えたところに歌は成立する。
キーボードのキーからどんな言葉たちが飛び出してくるだろうか。
まっピンクのノートパソコンかたかたと指にあふRuRu♪ミソヒト文字たち<春庭からパソコン歌人へのオマージュ>
2005/03/22 17:41
春のうた>沈丁花、白木蓮
「午後から雨」の予報を見て、めずらしくお昼まえに買物へ行きました。いちご、大根、牛乳など自転車の買物籠に入れ、団地の花を見ながら帰る。児童公園の中、白木蓮がもう花を開いていました。
団地の樹木のなかで、梅、沈丁花に続いて咲く白木蓮(はくもくれん、はくれん)。私にとっては「春告げ花」です。
沈丁花いまだは咲かぬ葉がくれのくれなゐ蕾(つぼみ)匂ひこぼるる<若山牧水>
暁の病室白木蓮の舞出むとす<石田波郷>
白木蓮に純白という翳りあり<能村登志郎>
両岸をつなぎとめいる橋渡りそのどちらにも白木蓮(はくれん)が散る<永田紅>
(白いボンネを髪に載せ白いロングドレスを装う人を見て)
白木蓮の白き翳りは秘めしまま三十路乙女も花嫁となる<春庭>
姉妹(あねいもと)たわいなきことメールにてかわしつ春のひと日を過ごす<春庭>
2005/03/23 06:59
春のうた>春嵐、春疾風
春分の日の日をすぎて一気に春めくと思うとさにあらず。昨夜は強い風が吹き抜けた。春疾風(はるはやて)春嵐もまた、春のあらわれ。
母の視野のなかの起き伏し春嵐 <桂信子>
玻璃しばしばかがやき震ふ春疾風 <桂信子>
あらあらしき春の疾風(はやち)や夜白く辛夷(こぶし)のつぼみふくらみぬべし<尾崎左永子>
思春期の子の親なれば吹き荒れる春嵐にも萌える芽を待つ<春庭>
2005/03/24 08:07
春のうた>春の雨と薔薇の蕾
3/23水曜日は雨の一日だった。
春の雨にも、春驟雨(はるしゅうう)春時雨(はるしぐれ)春霖雨(はるりんう=春の長雨,
春霖)菜種梅雨など、いろいろな雨がある。
木の芽を育て、蕾をふっくらさせてくれる恵みの雨とわかっていても、ずんと頭も重くなり日頃の憂鬱がさらに深くなる。どんよりとした空の下、気が重く頭が重く、体重はさらに重たい。(甘いものドカ食いでストレス解消するから)
本を読むにも気が重い。「布コサージュの作り方」を見ながら、端切れで「かんたん薔薇のコサージュ」なるものを作ってみた。赤い布きれを折り畳み、ぐしぐしと縫い縮めて糸を引く。ぐるぐると布を巻いていくと、花の形に見えてくる。
昔は手芸が好きで、ぬいぐるみや端切れ利用の小物などいろいろ作った。娘の人形の服、ドレスも浴衣も手作りしたのだけれど、息子の保育園グッズなどを手作りしたのを最後に手芸から遠ざかってしまった。
布の手仕事を見るのも好き。パッチワークの展覧会、染めや織の展示会によく出かける。
今は見る専門になっているけれど、またいつか、時間がゆったり流れるなか、針と糸を動かすひとときを持ちたいなあ。
できあがった布の花を息子に見せて「ねぇ、これ薔薇に見える?」ときいてみた。
「薔薇っていわれるとビミョ−だね。けど、スミレとかチューリップにはぜったい見えないので、本人がこれは薔薇であると主張するならあえて否定はしません」という答えだった。う〜ん、ま、いいか。
花はできたが、裏面のピンをとめるところがよく分からない。娘が裏側の始末の仕方を教えてくれた。丸い止め布の作り方、ピンの止め方。
娘は私より布の手仕事が上手。ソーイングの本を定期購読し、スカートやシャツは手作りのものを着て出かけることが多い。
教わった通りにピンをつけ、「薔薇と思えばバラ」のコサージュができあがった。
窓の外はまだ雨。木の芽を濡らし、花のつぼみもふくらんでいくのだろう。
静かに雨が降り続く。
なんとはなしにつぶやいてみる「Rose bud」
ぬいぐるみや人形で遊んだかわいいこどもたちは時間のソリに乗って走り去り、おいてきぼりの母親に残された薔薇の蕾。
春雨や蜂の巣つたふ屋根の漏り<芭蕉>
母の忌やその日のごとく春時雨<富安風生>
くれなゐの二尺のびたるばらの芽の針やはらかに春雨の降る<正岡子規>
わが背子に恋ひて術(すべ)なみ春雨の降るわき知らず出でて来(こ)しかも(詠み人知らず万葉集巻10・1915)
あの人に恋こがれ、どうしようもない思いがわいてくるにまかせて外へ出た。あの人の面影を追ってたたずみ、ふと気づけばしっとりと春の雨がふっている。雨がふるのを感じないまま外に出ていたのだなあ。(現代語訳春庭)
うらはらな言のひびきや菜種梅雨<静栄>
菜種梅雨句帳にたどる己が過去<静栄>
とまりてはただよう煙菜種梅雨<静栄>
春驟雨 しゅうしゅうと落つ 窓を打つ うつウツ欝撃つ 啾々(しゅうしゅう)と落つ<春庭>
2005/03/25 08:34
春のうた>彼岸会はしりくち
彼岸の入りは18日。7日間の彼岸会の真ん中が中日で春分の日。最終日が24日。彼岸の入りは知っていたが、終わる日のことを「はしりくち」という地方もあるという。私の田舎では終わる日のことは何とも呼んでいなかった。
舅の命日は3月25日であるけれど、彼岸のお参りもかねて24日にお墓まいりするという姑におつきあい。
姑は結婚までは親兄姉と暮し、結婚後は金婚を過ぎるまで連れ合いと暮したので、舅が亡くなったあと「生まれて初めての一人暮らし」になった。
80歳の今「はじめての自由で気ままな生活」を満喫しているようだ。姑の毎日は、童謡の会手芸サークル健康体操グループなど曜日ごとの予定がびっしり埋まっているので、お墓参りにでもつきあうほか、なかなかいっしょにお出かけの機会もない。
元気でいることを頼みにして、年齢を心配しながらも一人暮らしをまかせている。
姑が「前に食べた中華屋さんがおいしかったのでもう一度食べてみたい」と、言うので、おまいりをすませてから早めの夕食。夫は、「のんびり夕ご飯食べているヒマなんかないんだ。30分で食べ終わって仕事に戻るから」と、いつものセリフで、食べ終わるとさっさと行ってしまった。
「私もすぐに帰るから」と姑が言うので、地下鉄の駅改札までおくっていった。何か話がありそうなので、「上に喫茶店あるから、お茶飲んでから帰りましょうか」とたずねると、「あら、主婦は夕方たいへんなんでしょう。忙しいのに喫茶店なんて、入らなくていいわよ。でも、5分だけちょっとお話ししておきたいから」というので、改札脇で立ち話。
はい、はい、と傾聴する。5分のはずが、10分たっても話は終わらない。20分、30分。足が痛くなってきた。
強引にでも喫茶店に入ればよかった、と思いながら話を聞き続ける。結局、姑の話は60分続いた。駅の改札で60分の立ち話は、私にとって初めての経験。膝がなんだかぎくしゃくする。
隣町にある女学校に通うのに、駅まで小1時間も歩く田舎で育ち、足腰丈夫なのはこのころ毎日往復歩いたからだ、という昔話は何度か聞いたが、私の立ち続ける足は80歳の姑にかなわなかった。ああ、疲れた。
「じゃ、また電話するから」と、姑は改札からようやく中へ。歩くのも立ち話もへいちゃらの姑に比べて、気力体力ヘトヘトの嫁の一日。
「はしりくち」は「走り口」であるらしい。彼岸会を終え、春の農作業へと走りはじめる「走り口」なのだろうか。
老人会の旅行だ、食事会だと走り回っている姑より若いはずなのに、私にはもう勢いよく走り出す元気もない。でも、とぼとぼながらも歩きださなければならない時期なのだろう。
彼岸会の帰路姑の長話(春庭)
地下鉄の人の出入りも彼岸供養(サリン犠牲者へ)
2005/03/29 13:00
春のうた>富士を見る旅
妹にさそわれて、「富士を見るバスハイキング」に行ってきた。本当は「富士と桜を見るバスハイク」というのが旅行会社の惹句だったが、桜には早すぎた。去年の満開時期に合わせてのバス旅行募集だったので、しかたがない。晴れわたった春の一日、富士は一日中よく見えた。
妹の連れ合いに集合地まで送ってもらい、朝7時にバス乗車。 河口湖の脇を通り抜け、須走御殿場経由して日本平まで、5時間。途中パークエリアでのトイレ休憩のほか、じっと乗り続け、車窓の富士を楽しむ。
陽に輝く雪をいただいた富士が間近く見える。山腹にときおり薄い雲が這うが、曇ることも霞むこともなくほんとうに富士日和の一日だった。
遠く小さな富士でも見えるとうれしいのに、目の前に迫る雄大な富士を見るのは、久しぶり。
日本平や三保の松原で下車。駿河の海と富士、砂浜の松原。これで桜もあったら、まったくもって留学生が大喜びしそうな「絵はがきのようなけしき」になる。富士と白波、富士と松原、富士と沖ゆく船。「日本を代表する風景」を、絵はがきでなく実際に目にすることができた。
万葉以来、富士はさまざまに詠まれ描かれてきた。富士を実際に目にすることがなかった人々にとっても、絶えることなく燃える火の山、たなびく煙の山として、消えることのない胸の炎=恋の象徴の歌枕になり、富士といえば「恋」でもあった。
万葉の東歌の中でも、富士は恋の歌になる。駿河国相聞往来歌より
天の原富士の柴山木の暗の時ゆつりなば逢はずかもあらむ(万葉3355)
霞居る富士の山びに我が来なばいづち向きてか妹が嘆かむ(万葉3357)
さ寝らくは玉の緒ばかり恋ふらくは富士の高嶺の鳴沢のごと(万葉3358)
富士の嶺のいや遠長き山路をも妹がりとへばけによばず来ぬ(万葉3356)
(広大な富士の嶺の山道、恋しいあなたのもとへと行く道であるから、遠いとも思わず日数もおかず通っていくよ 現代語訳春庭)
各地に旅をし、写生によって富士を詠んだと思われる山部赤人の歌も、新古今に載り百人一首として親しまれるようになると、現実の富士ではなく、歌枕の流麗な富士の姿に変身する。
田兒之浦從 打出而見者 眞白衣 不盡能高嶺尓 雪波零家留(万葉3-318)
田子の浦ゆ うち出でて見れば 真白にぞ 富士の高嶺に 雪は降りける(山部赤人)
→ 田子の浦にうちいでて見れば白たへの富士の高嶺に雪はふりつつ(新古今)
鎌倉と往来が多くなり富士を目にする機会もあったと思われる義経頼朝と同時代の人の歌でも、本当に富士を見た写生ではなく、歌枕富士を想像しての作品が多い。
花や雪かすみや煙時しらぬふじのたかねにさゆる春風(藤原忠良)
次の顕昭の一首も実際に旅したというより、歌枕富士への思いが詠ましめた一首と思われるのだが。
富士の山いくかすぎぬとかぞふれば同じ麓に有明の月(顕昭 三百六十番歌合)
(富士の山裾が広がる中を旅ゆく。広大な裾野を旅した日数を数えると、幾日幾夜も富士の麓にすごし、今、明け方の空に残っている月と富士と私が共にある(現代語訳春庭)
一気に時代を下って、明治以後の富士。
あかねさす夕日のかげは入りはてゝ空にのこれる富士のとほ山(明治天皇御集 明治35)
しろ銀の魚鱗の上に富士ありぬ相模の春の月のぼる時(与謝野晶子 常夏 明治41)
伊豆の山すべて愁ひて潤むなり富士より早く春は知れども(晶子 草の夢 大正12)
凧ぎし日や虚の御そらにゆめのごと雲はうまれて富士恋ひて行く(若山牧水 海の声 明治41)
雲らみな東の海に吹きよせて富士に風冴ゆ夕映のそら(若山牧水 海の声 明治41)
おぼろおぼろ海の凪げる日海こえてかなしきそらに白富士の見ゆ(牧水 独り歌へる 明治43)
まがなしき春の霞に富士が嶺の峰なる雪はいよよかがやく(牧水 山桜の歌 大正12)
陽に照る冠雪。真っ白な山頂からなだらかに広がる裾野。青い空。いよよ輝く春の富士を一日楽しみ、夕方シルエットとなっていく様を見ながら帰途につく。
妹の家についたのは、夜10時半。日帰り強行バスハイクであったが、ほんのちょっぴり三嶋大社では枝垂れ桜が五分咲きの枝もあったし、おみやげに沼津の海産物をたくさん買ったし、楽しい春の旅だった。
子どもを連れずに妹と二人だけで旅したのは、初めてのこと。妹は、帰り際に添乗員が配ったパンフをながめて、もう次を計画し始めた。
まぼろしのげんげ田を見し小旅果つ(静栄)
富士の雪峰雲駿河の白き波デジカメ構える妹の笑み(春庭)
いろいろあらーな
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