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日々雑記いろいろあらーな2004年5月 
ポカポカ春庭のいろいろあらーな2004/05

日付 タイトル 今日の一冊 著者
2004
05/05〜05/06
今日の文房具=コンパス
05/07 今日の色いろ=蒼と蒼
05/10〜05/12 今日の色いろ=白々しいと赤らめる
05/13〜05/17 今日の色いろ=苗色 No.116,117,118
『無縁・公界・楽』
(平凡社選書)
『日本中世の民衆像』
(岩波新書)
『日本社会の歴史』
(岩波新書)
(あ)網野善彦
05/18〜05/21 今日の文房具=矢立 No.119
『奥の細道』
(ま)松尾芭蕉

ポカポカ春庭の「人生いろいろ」コンパス(1)at 2004 05/05 11:13 編集

 連休中にドキュメンタリー映画を見た。フランス山村の小学校を1年半にわたって撮影した『ぼくの好きな先生』という映画。

 フランス中部のオーベルニュ地方。山並みが続く地域の、農村にある小さな小学校が舞台。低学年が7人、高学年が6人、全校あわせて13人という小さな小学校だ。
 先生はひとり。午前中、先生は低学年を教え、高学年は自習。午後は高学年の授業。低学年は自習。

 昼休み、いっしょに遊ぶとき、高学年は低学年の世話をする。ときどきケンカも起こるが、皆仲がいい。
 人と話すのが苦手な女の子。いつも張り合って勢力争いを続ける6年生の少年ふたり。
 低学年の子供たちがとてもかわいい。アラブ系の男の子、アジア系の女の子もひとつの教室で兄弟のように育つ。

 先生は35年間教師を続けてきた。現在の小学校へ赴任してからは20年たつ。もうすぐ定年を迎える。退職する最後の日までの1年半をカメラが追う。
 牧畜や小麦農家が点在する山あいの農村の四季を美しい映像で描きながら、淡々と学校の中が記録される。

 はじめて文字を習う、低学年ジョジョたちのクラス。
 「a」の字に「杖の棒」を忘れたために「o」になってしまったり、なかなかうまくはできない子供達に、先生はやさしく根気強く教えていく。
 先生の指導法は、どちらかというと古めかしい教え方。教材も教具も、今風の最先端のものは教室においていない。最先端の機器は、せいぜいコピー機くらい。

 マジックペンや紙は学校に備品がある。先生は授業の終わりには「それは、学校のものだから、元に戻してしまいなさい」という注意を与える。文房具はたいせつな備品。 
 子供達はあまり勉強が得意ではない。それでも家で家族に教わりながらいっしょうけんめい宿題をして、苦手な算数にも取り組む。

 校外学習で、卒業する6年生が進級する中学校へ、13人そろって見学にでかける。たくさんの本が並ぶ図書室も給食のカフェテリアも、山のなかの小学校にはないものばかり。6年生には中学進級への期待と不安が高まる。

 算数が苦手な6年生に、先生はコンパスをつかって指導する。コンパスのとがった先をノートの一ヶ所に固定し、もう一方には鉛筆がさしこんである。鉛筆をぐるりと回して円を描くのを、先生はいっしょうけんめい教える。ぐるり。ほら、円が描けた。
 先生は半径と直径の概念を教えようと熱心に指導するが、なかなかうまくいかない。

 子供の頃の私は手先が不器用で、コンパスを上手に使えない子供だった。円をかこうとすると、なぜか中心のとがった針の先がずれてしまったり、鉛筆の先がずれたり、円の書き始めとおわりの線が結びあわないのだ。くるり、とコンパスを回す。また失敗。なかなかきれいな円にならなかった。

 コンパスで円の書き方を習った頃、「地球は丸い」ということも教わったが、実感はなかった。1961年、ガガーリンが地球を一周した。地球はほんとうに丸いのだなあと思った。1969年人類が月に立ったあと、「地球の出」の写真を何度も見た。月の地平線を青く丸い地球が登っていく。<コンパス続く>

ポカポカ春庭の「人生いろいろ」コンパス(2) at 2004 05/06 07:56 編集

 「地球の出」の写真、地球が宇宙の中のひとつの星であること、ひとつの青い惑星のなかに、すべての人類が共生しているのだ、ということを、実感として目にみえる形で印象づけられた。
 「地球は、こんなにもまん丸で、この丸い星にみんなしていっしょに住んでいるんだ」ということが、実感できる映像だった。

 宇宙には、太陽のまわりをまわる惑星のほか、太陽とおなじような恒星が無限に存在する。夜空の星を数えようとしても数え切れないくらい、たくさんある。
 数は無限につづくのだ。無限という数や、宇宙のひろがりを、小さな円形「地球」の映像は具体的に目に見えて考えられるものにしてくれた。

 フランス・オーベルニュで、先生は1年生のジョジョに「数は無限に続く」という概念を教えようといっしょうけんめい。
 でも、ジョジョには、そんな大きな数は実感できない。数は20まであればいいし、大きい数もせいぜい1000あれば十分だ。それなのに、先生が「千の先は、もうないのか」とか「9千の先はなんだ」とか、質問してくるのでちょっとうんざりしてしまう。
 ジョジョもいつかは、無限につづく数のおもしろさに目覚めるときがくるかもしれない。そして、コンパスで円の書き方をならって、地球が丸いことを教わるときがあるのだろう。

 フランス山村の小さな小学校の四季。子供たちは小麦の穂波や牛の放牧のなかでのびのびと育っていく。夏がきて、先生は退職の日を迎える。
 スペイン移民労働者の息子として育ったロペス先生。両親の期待に応えようといっしょうけんめい勉強し、教師になった。35年間の教師生活がおわる。よい35年間だったと、先生は述懐する。

 退職を前にした先生の、最後の日。夏休み前の終業日。先生は子供達をひとりひとり抱きしめて送り出す。
 新しい学期には新しい先生が赴任してくるから、学校の2階に住んでいる先生は、夏の間に引っ越しする。学校で、先生と子供たちがいっしょにすごすことはもうない。

 子供たちはいつもの下校とおなじように「さようなら、先生」と去っていく。
 6年生は中学校に進級して、新しい人生のステージへ入っていくだろう。低学年は、新しい先生に出会って、コンパスで円をかく方法も、数が無限に続くことも教わるだろう。
 校門から出ていく子供達のまえに、無限の未来がある。

 丸い地球の上でいっしょに暮らす、すべての子供達に、おだやかな日常生活と愛情ある環境が与えられ、すべての子供達がすこやかな成長をとげることができますように。すべての子供たちに、無限の未来が広がるように。<コンパスおわり>



頭も心もポカポカ春庭の人生いろいろ 「蒼と青」 at 2004 05/07 17:31 編集

 04/30の「みどり」に関しての質問を受けた。
 2004/05/01 1: 7 a****3  蒼き狼の蒼はくすんだ青。蒼白。蒼い月。語源教えて
という足跡。

 質問を受けた日2004/05/01 11:32:57に出したミニメール返信を再録する。
=================
a****3へ
 「蒼い」についての質問足跡、ありがとうございます。
 しかし、春庭、漢字の解字や語源論には、まったくうといんです。

 2003/10/12の「おい老い笈の小文」に、言語学をならった千野栄一について以下のように書いた。
  『私が千野先生に言語学を教わっていた80年代後半、先生から「言語学徒、語源と学生に手をつけるな」「不倫と日本語起源論に嵌ったら命取り」と諭された。
 しかし、まもなく先生は離婚を成立させ、ふた回り年下の教え子と結婚!』

 大学者は、語源に手を染めるも教え子に手を出すも自由自在であるけれど、春庭ごとき小者は、師の教えを固く守って、教え子と語源探索、日本語起源論には手をだせない。
 したがって、「語源教えて」のご要望には応えることができない。せいぜい一般的な辞書にあることを焼き直すだけ。

 色をあらわす和語「あを」。現在の漢字表記では「青」だが、常用漢字以外で「蒼い」「碧い」が用いられることがある。
 一般的な使い分け。「青」晴れわたった空の色。「碧」澄み切った玉の色。「蒼」深い青、あおじろい青。

 「青」の字解。篆文では、上部「生→主」と、下部「丹」の組み合わせによって出来た文字。「生」は、あおあおとした草が生いはえる、の意。「丹」は井桁の中の染料。下部は「丹→円→月」と変わり、現在では「青」の形になった。

 「蒼」は、形声文字(意味を示す部首と音声を表すツクリの組み合わせ)。草冠に、音声「ソウ=倉」が組み合わされた。草が深く茂っている色。
 「青」が草が生え出でた若い感覚の「あおい」を感覚するのに対して、草が大きく育ったあとの色を感じさせる。そこで、「年老いたようす、古めかしいようす」の意味も生じてきて、「蒼然=日暮れの薄暗い様子、古びた色の形容」を表すことになる。
 顔が青白いのも「顔面青白」とはならず、「顔面蒼白」。

 井上靖がモンゴルのチンギス汗を描いた小説『蒼き狼』
 モンゴルの古い言い伝えがある。
 「上天より命ありて生まれたる蒼き狼ありき。その妻なる惨白(なまじろ)き雌鹿ありき。大いなる湖を渡りて来ぬ」という、テムジン=チンギス汗の出生についての伝承。祈祷のような口承伝承であるから、漢字をあてたのは、後世のこと。

 この伝承を中国の漢文にするときに「蒼い」を採用したのが、モンゴル族自身だったのか、中国の筆録者だったのかは、私にはわからない。
 方位の四神をあらわして、白虎朱雀玄武と並べるときは、蒼竜、青竜、どちらも用いる。

 語感からいうと、「青き狼」より「蒼き狼」のほうが、「力を持ち、暗い情念を秘めた狼」という感じが出るのではないだろうか。

 以上、「語源を教えて」という質問とは、ズレた回答ですが、このくらいしかお答えできませんで、、、、



ポカポカ春庭の人生いろいろ「白々しい」と「赤らめる」(1) at 2004 05/10 06:42 編集

 色を含んだ表現には、おもしろい語や慣用句がある。
 「面白い」も、平安時代の『古語拾遺』には、天照大神が岩屋から出たとき、晴れ渡った明るい光のなかで神々の顔が白くくっきり見えた喜びを「おもしろし」と言ったことが語源、という説が記載されている。顔を白く塗って演じる芸能の所作からきている、とみる語源説もある。
 
 「白」を二つ重ねて「白々と」という語になると「いかにも白い感じであるさま」「ひっそりと淡い感じであるさま」「興ざめで味気ない様子」になる。「興ざめ」の意味を残した現代表現は「しらける」「しらーっとする」

 形容詞にして「白々しい」になると、また意味が異なってくる。「興ざめだ」という「白々」の意味を残しつつ「本心が出ていないことが見え透いている」という意味に転化していく。
 「白々しいおせじ」といえば、「本当には誉めてなどいないことが、みえみえであるお世辞」ということになる。「白いことば」と「白々しいことば」では、まったく意味が異なる。

 「若緑(2)」の文章中、「あからさま」を「あらかさま」と誤記してしまった。自分で気づいて顔を赤らめる。小さな子供がエレベーターをエベレーターと言ったりするのは、かわいらしいが、私は50過ぎてもしょっちゅう言い間違えたり、思いこみで誤用していたり。

 「あらたし」が「あたらし」に変化したように、皆が間違えれば「あらかさま」も市民権を得て、「新しい日本語表現」として定着するのだが、「そんなの間違えるのはあんただけ」と言われると、誤りは誤りのまま。私が「赤恥」を書いただけでおわる。

 ジャパ○ットTのCMに「母は、恥をかきました。若干をわかぼしと読んで恥をかきました」と、息子に電子辞書をジャパネットTの通販で買うように諭す「母心編」があった。
 そのジャパ○ットTの社長も「顧客情報流出」という不祥事が起きると、自社の恥を消費者の前で詫びることとなる。恥をかいた人は顔を「赤らめる」それ以上ひどい状態になると、青ざめる。

 企業の不祥事が続くと、不祥事をわびる詫び方にもその会社の個性があらわれる。真摯に自社の欠陥をみつめ、二度と不祥事をおこさないために真剣に取り組んでいく姿勢を出すことに成功している詫び方もあるし、「こいつら、頭数揃えて下げているだけで、ぜんぜん消費者に悪いなんて思っていないんだなあ」と、感じることもある。

 恥ずかしさに顔を赤らめるどころか、「白々しいことば」が並べ立てられるだけ。

 最近の「企業の幹部によるお詫び」の中で、「とてもとても反省しているようには見えない」と思わせたのが、盗聴事件をおこした「武○士」前会長の謝罪。東京地裁で行われた被告人質問に対することば。
 前会長は「被害者にご迷惑をおかけし、一般の方にも大きな不安を与えた。大きな恥らいを感じている」と謝罪した。「恥じらい」を感じるですって?

 前会長は「盗聴」という明らかな犯罪行為により起訴され、被告席にいるのである。謝罪するなら、自分自身、及び、自社の犯した『恥』について詫びるべきであり、「恥を感じて」謝罪すべきである。それを「恥じらいを感じる」とは、いったい何を感じ、何を謝罪したことになったのか。

 「恥を感じる」と「恥じらいを感じる」では、「白いことば」と「白々しいことば」くらい意味が異なるのだ。<続く>
==========
もんじゃ(文蛇)の足跡
遠き戦場に赴任せる夫の無事を祈りてすごす妻になりかわりて詠める。夫(つま)を偲ぶる歌

「かくも長き不在の夫の露語辞典で四迷忌に読む『あひびき』『めぐりあひ』」

5月10日は、小説『浮雲』の著者、二葉亭四迷の忌日。
外国語学校(現東京外国語大学)で露西亜語を学んだ四迷の初期の仕事は、露西亜文学の紹介、翻訳。ツルゲネフ『あひびき』『めぐりあひ』の翻訳は、言文一致による日本語文章表現の初期の傑作。

ポカポカ春庭の人生いろいろ「白々しい」と「赤らめる」(2) at 2004 05/11 09:50 編集

 「恥じる」は「世の人に対し面目名誉を失うこと」を犯して、「自分の罪、過ち、未熟、欠点を恥ずかしく思うこと」を表現する。
 一方「恥じらう」は、「相手の自分に対する態度やその場のようすなどによって、はにかむ態度、恥ずかしそうにみえるようす 」を表現する。

 いちばん「恥じらう」にふさわしいのは、一昔前の娘さんがはじめてお見合いの席に出て、もじもじしているようす。はにかみながら、相手の前にたって顔をあからめているようすが「はじらう」にぴったりの場面である。

 「白い」と「白々しい」が、異なる意味を持つのと同じく、「恥じる」と「恥じらう」は、意味が異なる。盗聴という犯罪をおかして裁判の被告席にいる者が、お見合いの娘さんのごとく「恥じらって」いては、場違いである。「はじらう」のではなく、「はじて」ほしい。「恥を感じて」ほしい。

 なぜ、前会長は「恥を感じる」のではなく、「恥じらいを感じる」と表現したのか。
 自分のやったことは、ちょっと世間をさわがしたけれど、「恥」というほどのものじゃないと感じたからではないだろうか。自分が犯した「盗聴」をできるだけ「軽いもの」として扱い、「婉曲」にやんわりと謝罪して曖昧にぼかしたい、という意識から「はじる」ではなく「はじらう」という表現になったと思われる。

 テレビのニュースでも新聞記事でも、この前会長のことばが繰り返して報道されたが、この「恥じらう」に対する違和感を表明した人がいなかった。そうすると、世間では「恥じらう」の意味合いがすでに違ってきているのか。
 私が「恥じる」と「恥じらう」は、意味が異なると思っているだけで、一般社会では、罪を犯した人が「はじらう」という言葉で謝罪するのを、当然として受け止めるようになってきていたのか。

 心配になったので、何人かの同僚にたずねてみたが、語彙意味論の専門家も方言論の専門家も「いや、恥じると恥じらうは異なる」というので、私の語感が古びたのではないようだった。

「あからさま」を、私ひとりが「あらかさま」と間違えてしまったとき、「言い間違い」であり、私の「恥」でおわる。
 皆が「あらたしい」と言わずに「あたらしい」と表現するようになれば、「あたらしい」が正当な日本語になる。

 恥をかいたときに「恥を感じる」といわないで、婉曲表現のつもりで「恥じらいを感じる」と言った表現が流行となり、この先、失敗したり罪を犯したりした人みなが「恥じらいを感じる」と、言うようになれば、この表現が「意味の転化」として、受け止められる可能性はある。言葉はどんどん変化するものだから。
 その変化を受け入れるのか受け入れないのかは、言葉を使う人々による。

 現時点では、盗聴という罪を犯した金融会社前会長が、裁判の被告席で「恥じらいを感じる」と表現したのは、「あからさまに」まちがった日本語といえる。自らの行為をできるだけ「軽いものに感じたい」という態度が言わしめた「誤用」であると思う。

 謝罪したふりを見せても、「悪いことしたなんて思ってないんだよ」という本音が、はからずも見えてしまった表現であった。
 顔を赤らめもせず、白々しい表現を通したのは、「金貸し業」親方としては当然の態度なのだろうか。<続く>

ポカポカ春庭の人生いろいろ「白々しい」と「赤らめる」(3) at 2004 05/12 12:11 編集

 私も、言い間違いや書き間違いが多い。読み手に誤解を与える表現をしてしまうこともある。気づいたときには訂正するが、間違えたことにきづかず、そのままになっている表現もある。
 過ちを改むるにはばかったりしませんから、間違いに気づいた方、ご連絡ください。顔を赤らめつつ訂正いたします。

 消しゴムでまちがったところをすっかり消してから、正しいものにあらためる場合もありますが、できる限り「見せけち」方式でいきたいと思っています。

 古書の筆写を行う場合、前のひとが誤記したと思われる部分を、後の筆写者は自分勝手に消してはならない。どんなに間違いだと思っても、いったん書かれた通りに筆写してから、まちがい部分に線を入れ、訂正した部分を書き足す。これを「みせけち」と言う。間違った部分を見せておいて、訂正する方法。

 まちがったことは事実なので、それをなかったことにしてこっそり消すのではなく、どこをどのようにまちがえたのか、はっきりさせて、改めて訂正する。「みせけち」は、「あやまり」に対する責任のとりかたとして、有効だと思う。

 「恥」「恥ずべき行為」に対しての白々しい弁明。
 「イラク市民解放の正義の戦い」として始めたはずの英米主体の軍隊によるイラク占領。ジュネーブ協定に違反する「恥ずべき行為」が明るみに出されてきた。

 去年の段階から繰り返されてきたというこれらの行為。「戦争をしているのだから、こういう行為が行われることは最初から予想されることであった」と考えてすませることはできない。あきらかにこの行為はジュネーブ条約に反するものであるからだ。

 「この行為をしたのはアメリカ人を代表する人々ではない。米国の価値観や軍の規律から逸脱した行為」と謝罪すれば、すべてをなかったことにできるわけでもない。

 「軍の規律から逸脱した行為」という謝罪は白々しい。CIAの戦争屋やスパイ経験を持つ民間人に刑務所尋問を担当させたのは、アメリカ自身なのだから。
 そして、そういう決定をしたすべての人と、そのトップすなわち米軍最高司令官であるブッシュ大統領の責任であることは間違いない。

 さらに、その戦争を支持している日本も、この行為に荷担しているとみなされても、しかたがない。われわれは全員、「恥ずべき行為」をした戦争に荷担し、「恥」を認めるべき国家の一員なのだ。

 砲弾が撃ち込まれ、駐屯地のオランダ軍兵士が死亡したサマワは、未だ「非戦闘地域」であると、防衛庁長官は答弁した。
 非戦闘地域であるサマワ駐屯地で、宿営地に引きこもっている自衛隊。この派遣費用、直接経費350億円、間接費までいれると500億円以上になるという費用を、税金として払っているのはわれわれ一人一人であり、我々一人ひとりが荷担している戦争である。

 私が細々と働き、やっとの思いで納めた税も使われていて、私もこの行為に荷担したことになるのかと思うと、悲しい。

 私自身は、このような戦争を支持したくない。イラクの市民から「恥ずべき行為をイラクで繰り返している人々の仲間」と思われるのは、残念なことだ。
 私は、2003年9月に、このカフェ日記を書き始めたときから、プロフィールページに「イラク派兵反対」と提示してきた。
 自分たちの叫びの無力を感じつつも、言い続けるべきと考えて、派兵が実行されてからも、このことばはずっと下ろさずにプロフィールトップにおいてきた。
 
 社会にはさまざまな考え方があり得るし、ひとそれぞれの「思い」を大切にしなければならないと思うから、「イラクへ派兵すべき」「イラクでの米軍の行為は正しい」と考える人がいるのなら、その人たちの考えを聞く耳を持つ。この1年、さまざまな意見を読み、聞いてきた。

 その上で、「世界情勢がわからない、オバハン」と思われようと「アメリカの番犬として生きる以外に、日本が生き延びる方法はないのだから」と諭されようと、やはり、今回のイラクに対する攻撃は、ボタンをかけちがえてきたのではないか、という思いをもつ。

 人間が尊厳を保ち、人として誇りを持って生きていける社会を作り上げる方法が、必ず探し出せると信じている。日本が、国家としての尊厳を保ちながら世界に貢献できる方法が、戦争に荷担する以外のやりかたで、必ずあると思っている。

 そのためには、「恥ずべき行為」の写真を見て顔を赤らめているだけではいられない。自分には何の力もないと、白けていられない。
 白けていないで歩きだしたい。自分のできることから、1歩、いや2歩前へ。<おわり>
=======
もんじゃ(文蛇)の足跡
「かくも長き不在の夫の露語辞書で四迷忌に読む『はつ恋』『あひびき』」

『かくも長き不在』は、映画のタイトルからの引用。原作はマルグリット・デュラス。
 戦争中に行方不明になった夫を思い続ける小さなカフェの女主人テレーズ。ある日、ゲシュタポに逮捕されたあと死んだと聞かされていた夫にそっくりな浮浪者を発見する。彼は戦前の記憶を失っていた。捕虜となり拷問を受けた末に記憶を失ってしまったのだ。

 収容所でひどい仕打ちを受けた人々に、テレーズの夫のような悲劇が起こらないことを祈る。ことに、暴行を受けた少女の将来に最大のケアを。



頭も心もポカポカ春庭の人生いろいろ「苗色(1)」 at 2004 05/13 06:29 編集

 田植えの季節になった。苗代から苗を運び、田に植えていく。一面苗色となった光景を眺めるのは、心豊かなひととき。
 苗色=苗のような色。薄い萌黄色。やわらかい黄緑。
 しかし、手で植える田植えは、特別な田圃やイベントして行うのでもないと、見ることもなくなってしまった。

 毎年、息子の学校では、中学1年生と高校1年生が「総合学習」の一環として田圃作業を行う。田圃は区の管轄だが、田植え、草取り、稲刈りなどの一連の農作業は、元農学部附属だった息子の学校が担当している。技術科や理科の先生方の指導を受け、学習と体験が一体となった、父母にも好評な総合学習。
 
 息子が小学生のとき、何度か「稲刈りツアー」に連れて行った。農協旅行社が主催する、稲刈りや餅つきを体験するツアーだ。しかし、田植えをしたことがなかったので、入学してすぐ、田植えの授業があって、とてもうれしかった。

 米作りの一連の作業を全部経験できるなんて、都会の子供にとっては貴重な授業だ。息子は「夏休み中、草取り2回ノルマ達成」があったことをすっかり忘れていて、あわてたりしたが。

 とれた餅米は、餅つき大会のほか、卒業式入学式には赤飯に炊かれて配られる。私もおいしくいただいた。

 校内の農園で息子達が栽培したサツマイモも、とてもおいしかった。都会の中でこんなおいしいサツマイモがとれるのか、と思ったが、最初に青木昆陽が甘藷栽培を始めたのは、今の小石川植物園の中。東京の中、繁華街近くであっても、稲もサツマイモもちゃんと栽培できるわけだ。

 母の実家は農家だった。しかし、田植えの手伝いに、他家へ嫁した母までがかり出されるというのは、50年代までだった。
 あとは、母の実家も、兼業農家の多くがそうだったように、休日に耕耘機や田植機で行う「日曜農家」になってしまい、子供たちまでが、総出でお茶を運んだり、幼い子の子守をしたりして手伝うこともなくなった。

 結局、苗の色の若々しい緑を、私が身近に見ることができたのは、数回だけだった。私が田植えを手伝えるほど大きくなる前に、母の実家は稲作をやめてしまったのだ。

 それでも「お百姓さん」の仕事を大切に思い、農業を「食の基本」と思う心根は、母から伝わった。母は会社員と結婚して町に住むようになってからも、農家の出らしく家庭菜園で野菜の手作りを続けた。買ったお米でも「お百姓さんの苦労の結晶」と言っていた。

 小学生だったころ、給食を食べるとき、「給食いただきます。お父さんお母さん、ありがとう。お百姓さんありがとう」と言ってから食べ始めた。このとき、小学生たちは「お百姓=農民」と思って「ありがとう」を言っていたのだ。

 「百姓」が「農民」だけを意味するのではない、ということは、網野善彦の著作によって、納得した。<苗色つづく>

頭も心もポカポカ春庭の人生いろいろ「苗色(2)」 at 2004 05/14 21:35 編集

 百姓とは、文字通り「百姓=多様な仕事、多種の生業を持つ人々」のことであったのだ。
 漁民、海女、樵、木地師も、猟師、農民、芸人、商人、あらゆる生業の人々がともに住み、交流してきたクニなのだ。
 網野さんは、従来の歴史観や日本の社会観に対して、違う見方を教えてくれた。

 網野さんは、都立高校の教師をしながら、こつこつと中世史研究をつづけ、「単一民族、ひとつの言葉、ひとつの歴史の流れ」として刷り込まれてきた日本史に対して、新しい見方を注ぎ込んだ。
 大学教授となり中世史研究の第一人者となってからも、歴史認識への一貫した姿勢を貫いた。

 網野さんは、従来の説や教えられた資料そのままうのみにするのでなく、自分の抱いた疑問、自分の考えを大事にして資料を掘り下げた。
 網野善彦、2004/02/27に永眠。享年76歳。

 網野善彦は、民衆の生活をもとにした社会史の視点から新たな日本史像を描き出し、「『日本』とは何か」など数多くの著作を残した。
 もちろん網野史観への批判も反論も数多く提出されている。さまざまな立場見方による学問の上での論争は、たくさんしたほうがいい。

 網野理論への反論や修正があるとしても、「日本は、多種多様な文化と歴史の流れを持ってきた。単一の歴史の流れの中を歩んできたのではない」という、私が網野史観から得たものの見方、歴史のとらえ方について、それほど大きな変更を加える必要はないだろうと思う。
 私たちがこのクニを愛し、自分たちの母語を誇りに思うのも、決して「単一」のゆえではない。

 様々な地方の方言、沖縄琉球のことば、アイヌのことば。それぞれのことばに多種多様な語彙があり、表現がある。暮らし方、生活文化もさまざまな表情をもつ。それぞれに美しさがあり、価値がある。
 今では「標準語をつかわなかったら罰則」という国語教育や、「ひとつの写真肖像」に最敬礼しなかったら、校内にはいることかなわず、ということもない。

 しかし、別の形で「単一」への強制がなされようとしている。
 今年3月の卒業式4月の入学式に、自己の信念から「強制的な国旗国歌への礼」に反発した教諭への処罰が行われている。
 娘が卒業した単位制高校の嘱託教諭のひとりも、「4月からの勤務継続」を拒否された。

 国歌国旗法制定のころ、当時の政府は「学校現場に強制することは、決してない」と言っていた。しかし、今期、都立高校では「国旗への敬礼、起立しての国歌斉唱に従わない教員は処分する」という通達がなされたのだという。
 監視するお目付役が教育委員会から派遣され、教員のだれが起立しなかったか、チェックした。

 義務教育の現場では、すでに「向かい合って座り、皆で祝う会」形式の卒業式が実行できなくなっている。
 壇上に来賓が居並んで睥睨し、真正面に国旗を掲げる方式の「儀式として整った」形式を守らないと、卒業式も行うことが出来なくなっているのだという。

 昔、私が勤務した中学校では、卒業式の壇上正面には、卒業生が共同製作した「貼り絵」を飾っていた。今ではそのようなことは許されなくなっている。卒業生が学校への思い出として残すべく、力を合わせ、工夫を重ねて共同製作した絵には価値がなく、そのようなものでは「愛国心」が育たないと、教育委員会は考えているのだろう。

 網野善彦は、ある都立校教師に問われて「もし、自分の意にそまない形で国歌国旗への強要がなされたら、教師の職を辞する覚悟で、反対する」と答えたという。<続く>

☆☆☆☆☆☆
春庭今日の3冊No.116,117,118
(あ)網野善彦『無縁・公界・楽』(平凡社選書)『日本中世の民衆像』(岩波新書)『日本社会の歴史』(岩波新書)


頭も心もポカポカ春庭の人生いろいろ「苗色(3)」 at 2004 05/17 06:06 編集

 今現在、現場で指導している教師にとっては、つらいことだろうと思う。家のローンをかかえ、子供の教育費がかかる時期に、「職を辞する覚悟」ができる人はそう多くない。そこをつっこまれると、悩むことだろう。
 
 卒業生が長い時間をかけて作り上げた卒業制作の作品をかざるのは、指導する教師にとっても、たいへん手間暇のかかる仕事になる。
 絵のテーマを決めるのにも話し合い、作業の分担進行を決めるにも話し合い、それぞれの作業を進めて行くにも、生徒同士のぶつかりあいもあれば一悶着もおこる。そんな中で少しずつ共同作業が進み、だんだんと卒業式に祝ってくれる人全員への感謝の心をこめた卒業制作が完成する。

 みんなで話し合い、共同でひとつのものを作り上げる喜び。ひとりひとりの意見を尊重すること、皆で助け合い分担しあって共同製作をすること、完成した喜びを味わうこと。仲間を認め合い、いっしょに働く、そのひとつひとつの過程が共に暮らす共同体を作り上げていくことの基礎になっているのだ。

 指導はたいへんでも、こういう体験こそが共同体を大切にしていく心を育てるのだという気持ちで、教師たちは指導していた。自然に培われる共生の意識こそ、お互いを支え合う国の礎となるのだろうと思う。

 息子達が学校田で稲を育てていくのも、共同作業のいい体験になるだろうと思う。いっしょに泥んこになりながら植えた苗、夏の日盛りの中での草取り。指導の先生方はたいへんだろうが、生徒には貴重な経験になる。

 共同体の基本は、共に働き、年をとったもの、体の弱い者も皆で支え合っていくことであって、「この歌はうたいたくない」という信念を持ち続けている人に無理やり歌わせることではない。 

 自分たちはたっぷりと議員年金もらえるから、国民年金など「ついうっかりして」払っていなかった、という議員や自治体首長たちに、大上段に「愛国心をもたせる教育」などと言ってほしくない。

 国民年金は「国民みんなの助け合い」の基礎。それすら「制度が複雑だから払わなかった」「加入が強制になる前だから、払わなくても問題ない」という言い逃れが通用すると思っている人たちに、「国歌国旗」を強制する資格などあるはずもない。
 しかるに、議員様がたはエラソーに「国民の義務」だの「愛国心」だのと、いいつのる。人々は自分たちの生活を守ること優先で、大勢に素直に従っていく。

 こうして人々が、ささやかな幸福を守り、自分の生活を守ることを選んで「大勢」に従った結果、自分で思考することをやめ、「お上のおおせのとおりに」という時代になっていった、と歴史は教えてくれているのにね。

 お上のおおせのとおりに法律を守り、いっしょうけんめい働いて生活したはずの一般庶民が、最後は、空襲で、原爆で、数十万百万と死んでいった。私が現在住んで地域も、数度にわたった空襲で焼け野原になった場所。
 3月10日の東京大空襲の日を中心に、何度もこの地は爆撃を受け、女も子供も焼け死んだ。

 焼け野原になる前は、工場地帯。製紙工場や武器工場が建ち並んでいた。工場ができる前は、田圃が広がる「郊外」であったという。
 私が住むあたりにも、いまごろの時期には若々しい苗色の光景が続いていたのだろう。

 時代は変わるし、東京で目にする光景もめまぐるしいほど変わっていく。
 しかし、どれほど時が移り変わっても、人の心の尊厳だけは守っていける時代であってほしい。生活を維持するためには、心の尊厳も踏みにじられなければならない、そういう社会であってほしくない。

 百姓は、百の姓。くさぐさの仕事、百の生き方。どれも大事、どれも大切。
 人々が「クニ」を愛する愛し方も、百通り千通りの方法があるだろう。

 ひとつの方法しか許されないような国家であるなら、そのような国家について、かって私たちはこう教わった。
 「ひとつの生き方考え方しか許されず、全員が同じ方向をむく全体主義の国をファシズム国家と呼ぶ」と。

 「強制ではなく、自らが選び取る形」によって、全員が同じ方向へ向かうことになる社会が、今、現在進行しているのだ。
 鍋に入った水が、少しずつ熱っせられて、湯になっても鍋から出ようとせず、熱湯になったことに気づいたときには、ゆであがっている、という蛙。いま、ぬるま湯にひたっている私たち。ぬるま湯にひたっているのは、楽だし、考えずにすむし。

 でも、やはり私たちは自分の出来る限りの力で、自分なりに考え続け、自分なりに働き続けたい。それが私たちの代掻き、田植え、草取り。

 現実の田圃では「休耕田」が広がり、稲作技術の継承もままならぬというが、心の中には「苗色」のみずみずしい若苗を植えたい。一人一人の心の中の苗が、いつか黄金の稲穂に育つよう、実りのときを迎えることができるよう、考え続ける。

 心の苗は、細く最初はたよりないように見えるかも知れないが、一本一本が心の中の天を目指して屹立する。五月の風にそよぎながら、六月の雨の恵みを受けながら、きっと細い葉を育て上げていくだろう。

若苗の細く天指す学校田
<苗色、おわり>



ポカポカ春庭の人生いろいろ「矢立(1)」 at 2004 05/18 00:13 編集

 矢立と呼ばれるものには、ふたつの道具がある。
 ひとつは、文字通りの「矢を立てて入れておく道具」矢を入れて背中に背負うのがえびら。
 もうひとつは、えびらの中に入れて、陣中に携帯した小型のすずり。また、硯や筆をいれた箱のこと。

 江戸時代、芭蕉のころには、筆と墨をいれて簡便に携帯できる文房具として「矢立」が普及していた。墨壷に柄がつき、その柄の中に筆を入れてしまえる。旅には欠かせない文房具。

 3月に娘と深川芭蕉庵や、深川江戸資料館へ行ったとき、芭蕉の時代の矢立が展示されているのを見た。芭蕉の直筆なども展示してあり、隅田川ほとりに庵をかまえた俳聖をしのんだ。

 5月16日は、芭蕉が「奥の細道」の旅に出発した日(旧暦では3月27日)
 1689年、旧暦3月27日に、芭蕉は深川から旅立ち、千住から約10キロの道を歩いて草加の宿に至った。

 1644年の芭蕉生誕から360年、1694年逝去の年から310年の年にあたる今年は、旅立ちの5月16日に、芭蕉と奥の細道に関わるイベントも各地で行われた。
 俳聖をしのぶ、というよりも芭蕉に便乗した「町おこし」の感が強い昨今のブームとも言われるが、どんなきっかけでも、芭蕉や、俳句俳文紀行文に親しむ人がひとりでも増えれば、日本語言語文化にとってはうれしいこと。

 『奥のほそ道』冒頭の序文を、古文の教科書で読んだ人も多いだろう。「声に出して読みたい日本語」の中でも、随一の名調子。

  『月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也。舟の上に生涯を浮べ、馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり。予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊のおもひやまず、海浜にさすらへて、去年の秋江上の破屋に、蜘蛛の古巣をはらひて、やや年も暮、春立る霞の空に、白川の関こえんと、そヾろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて取もの手につかず、もゝ引の破をつヾり、笠の緒付かえて、三里に灸すゆるより、松島の月先心にかゝりて、住る方は人に譲り、杉風が別墅に移るに、
草の戸も住み替る代ぞ雛の家』

☆☆☆☆☆☆
春庭今日の一冊No.119
(ま)松尾芭蕉『奥の細道』

ポカポカ春庭の人生いろいろ「矢立(2)」 at 2004 05/19 09:37 編集

 1689年旧暦3月27日(太陽暦5月16日)、見送りの人々と共に芭蕉は深川から舟で千住へ。千住から、曾良とのふたり連れ。東北の旅への不安も感じながら、陸路草加へと向かう。
 出立の文に続けて、芭蕉は、旅立ちの第一句をしるす。「矢立のはじめ」とする文。

 『行く春や鳥啼魚の目は泪
 是を矢立の初として、行道なをすゝまず。人々は途中に立ちならびて、後ろかげのみゆる迄はと、見送なるべし。』

 芭蕉にとって、旅は俳句創作のための修練の場でもあった。「矢立」は、旅の中で文をつづり、句を書き留めるための道具としてのみならず、「俳諧創造」の象徴として身近にあり、自分の手の延長、句を書く身体そのものでもあった。

 私は現在、日記も手紙も、その他の文章もキーボードで記録する。
 旅に出るとき、モバイルを持っていないので、書くのに困る。えんぴつやペンで書いてもミミズがのたくる。まして矢立をもっていったら、私の筆の字は「みみずが狂喜乱舞の旅狂いしている跡」にしか見えないだろう。生来の悪筆である。

 モバイルの小さいキーボードや、ノートパソコン、ラップトップの箱に入ったような打ちにくいキーボードでなく、いつもの指になじんだディスクトップの大きさのキーボードを折り畳み式で持ち歩けて、ワープロ機能だけついている、そんな携帯用キーボードがほしい。

 もちろん、便利な携帯用キーボードがあったとして、私が旅先で書くことなどたかがしれたものでしかない。
 旅先のみならず、普段家で指をキーボードに走らせる文とて、特別役にたつほどのものではない。それでも私たちひとりひとりが「百代の過客」であるこの世界で、ひとりひとりが感じたこと思ったことをつづることに、なにがしかの意味はあると思う。
 
 少なくとも、私は、ネット内に公開されているさまざまな人々の毎日の生活ぶりやものの考え方、感じ方を知ることによって、多くのものを受けている。
 「きのうはドライブに行った」「今日はカレーがうまかった」そんなことを人に公開して何の意味があるのか、という人もいる。何の意味があるのか、私にも説明ができないけれど、私はひとりひとりのそんな日常のつぶやきを知ることが楽しみだ。

 「ネットご近所」の方々の日常。今日は法事だったのか、とか、ちょっと調子が悪いみたいだな、と世間話を交わすように知ったり、通りすがりに覗いたページで自分とは異なる感じ方考え方を読んで考え込んだり。

 何よりも、私たちはこれまでこれほど大量の「一般の人」の書く文章にふれるチャンスがなかった。
 単行本はもちろん、雑誌や新聞などのメディアでも、掲載されている文章は、雑誌新聞記者、学者教師医者宗教家法律家など、「文章を書くことが仕事、または仕事の一部でもある人」の文章がほとんどだった。

 素人は雑誌や新聞の投稿欄に寄稿するほかは、PTA新聞、自治会会報などに書くくらいで、広く不特定多数へ向けて発表するためのメディアは限られていた。

 たとえば、「植木屋さんが毎日考えていること」を知るのに、業界新聞などを定期購読したとしても、ひとりの植木屋さんの日常を毎日掲載しているわけではない。電気工事請負の仕事について、私たちが知ることはごく少なかった。
 それが、インターネットのおかげで、植木屋さんの日常生活や日々感じたことを読むこともできれば、電気工事の仕事の進展ぶりについてリアルタイムで知ることもできる。
 私はごく普通の人がごくあたりまえに生活していた記録を残すことは、とてもいいことだと思っている。<矢立つづく>

ポカポカ春庭の人生いろいろ「矢立(3)」 at 2004 05/20 07:22 編集

 インターネットに書かれている日記など本当のことと思って読んではいけない、と注意されたことがある。「日常生活の記録」として、創作を書く人だっていることでしょうね。
 インターネットに書かれている情報の大半はうそっぱち、という意見もある。なるほど、虚偽情報もあることだろう。
 どの情報を信じ、どの情報が信じられないか、判断するのは情報を受ける側だ。

 イラク人質事件のときなど、ネットに流れた「人質事件は自作自演」という虚偽情報を信じ込み、それを議会内に触れ回った議員もいたそうな。その結果「自己責任」説などが出てきたというのだから、情報を確認しないことの影響力は大きい。
 しかし、情報の真偽についてまったく判断ができないということはない。事実と異なる情報が書かれていても、いくつかの記録を照らし合わせ照合すれば、嘘を見破れることも多い。

 イラク人捕虜虐待事件に関しての虚偽報道。イギリスの新聞デイリーミラー紙は、合成された虚偽写真を掲載し「英軍による虐待」として報道したことを誤りだったと認め、訂正謝罪を発表した。
 持ち込まれた写真の判定をおろそかにしたメディアの疎漏は反省すべきだし、編集長のモーガン氏を解雇したことですべての責任が果たされたわけではない。しかし、過ちを認めるに憚ることのない態度をとり、なおかつ「証拠もないのにイラクに大量破壊兵器があると断言して軍を派遣したブレアの判断は正しかったといえるか」という追求を続ける態度をゆるめようとはしていない。
 一方、「自作自演だ、自己責任だ」と、ガセネタを信じ込んで騒ぎ回った人が、自分の疎漏を認めて謝罪したという話は聞いていない。

 どの情報が真摯な心から書かれたものか、どれがタメにする虚偽情報なのかを見抜く目を持つことは、難しいことであるが、インターネットリテラシーを磨いていくしかない。

 実際のところ、カフェ日記のそれぞれの記述が「嘘なのか本当なのか」などと、私はいちいち気にして読むことはしていない。私は私の判断で読む。
 なかには、日記ページを「一人称小説の発表の場」として書いている人がいるかもしれないし、「世の中を騒がせる目的」を持って書いている人もいるだろう。どう読むかは、読み手自身の判断だ。

 「今日は朝から雨です」という記述があれば、「ああ、この人にとって今日は朝から雨の一日なのだ」と思って読むだけだ。この記述を「天気予報のかわり」として読み、出張先の天気を知るために使って「なんだ、現地に到着してみたら雨なんかふっていない。傘用意してソンした。日記に嘘を書くことはけしからん」と思ったりはしない。

 「芭蕉は太陽暦の5月16日に当たる日に奥の細道への旅に出立した」と、春庭が書いたことが本当かどうか、信じられない人は自分で調べて研究していけばよいこと。
 私は、自分の思いこみでまちがったまま書くこともある。人様に文章を公表する際は、できる範囲でチェックすることは心がけているが、それでも間違うことはある。私は私の責任の範囲で書くから、読む人は自分の判断で読んで下さいというしかない。<続く>

ポカポカ春庭の人生いろいろ「矢立(4)」 at 2004 05/21 07:52 編集

 芭蕉の紀行文にも、曾良の随行日記の記述と異なる部分がある。
 芭蕉が、晴れている日のこととして書き留めていた日記のある日。曾良の日記では、一日中雨ふり。過去の天候をさまざまな記録によって再現している方の研究によれば、曾良の記述が真実であることがわかった、などなど。
 
 芭蕉の場合は「文芸」の芸の極致をめざすための、紀行文、俳諧である。文学上の修辞としての「事実とは異なる文」なのであるから、現実の一日が晴れていようと雨だろうと、芭蕉の文の価値が下がることはない。
 芭蕉の矢立は、芭蕉の文芸を生み出すために使われたのであって、ご当地各地の観光案内や当日の天気を正確に記録するために書かれたのではない。

 芭蕉や曾良が矢立でかきとめた旅の記録をもとに『奥の細道』や『笈の小文』が生まれでたことに感謝しつつ、「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり」とつぶやいてみる。春は過ぎゆき、月日はめぐって百代の過客となる。

 「行く春やほうほうとして蓬原」正岡子規
 「春惜しむすなわち命惜しむなり」石塚友二
 「行く春の戦場命のありどころ」春庭
 「春逝くや幼子の遺体散らばりて」春庭
 「遠き地の捕われ人や朝曇」春庭
 「捕虜虐待凄惨逝春の夜のニュース」春庭
 「行く春や鳥啼魚の目は泪」芭蕉

 「らちもないことを、今日もネットに書きおって」と、いわれながらも、それぞれの矢立で、書き続けようではありませんか、ネット内の矢立仲間たち!
 この矢立の矢も、三本寄れば簡単に折られはしないと昔の人も家伝に残しているし、素人の細々とした矢をそれぞれが打ち出すことが無意味であるわけでもない。細い矢が一矢をむくい、真実を射抜く力を発揮することもある。

 か細い矢であり、か細い声を記録する矢立ではあるが、私たちの手には、銃ではなく矢立がある。<矢立終わり>




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