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Workshop for Nipponianippon Communicative Language& Culture Studies
ポカポカ春庭のいろいろあらーな2004/11
日付 タイトル 今日の一冊 著者 11/09 次期ファーストレディどっちのシンデレラショウ 11/10 どっちのシンデレラショウ 11/16 ひらがなのてがみ 11/17 博物館の庭 11/18 中国国宝展 11/19 もてなしビジネス 11/20 日本消滅 11/23 一葉忌 11/27 たからものと光(1)ハンディのある子ども No.151恢復する家族
No.152ゆるやかな絆
大江健三郎/ゆかり 12/01 たからものと光(2)ハンディのある子ども
2004やちまた日記
2004/11/09 ニッポニアニッポン事情「次期ファーストレディ、どっちのシンデレラショウ」
政治のむずかしいことはわからない私にとっての、ケリー敗北考察。
ケリー敗因その1。ファースト・レディ候補者の差
女性票がどのように動くのか、選挙分析とかしたわけじゃないけれど、アメリカ大統領選においては、候補者に寄り添う夫人の姿も大きな影響力をもつというので、ローズ・ブッシュ夫人とテレーザ・ケリー夫人の闘いも、選挙結果に関わったんじゃないかしら。
10月21日、テレーザ夫人はローラ夫人への謝罪を発表した。USAトゥデー新聞のインタビューで、ローラ夫人について発言した内容が間違っていたためだ。
テレーザ夫人は20日発表のインタビューで、ローラ夫人と自分の差を質問された。「慈善事業」をこなしてきたテレーズ自身の経歴との違いを強調し、「ローラ・ブッシュのことは知らない。でも、落ち着いて見えるし、目が輝いているのがいい。でも、彼女がこれまでに実質的な仕事をしたことは知らない」と語った。
しかし、ローラ夫人はブッシュ氏と結婚するまでの10年間、小学校教員と図書館の司書をしていた。このため、テレーザ夫人は20日の声明で「ローラ夫人の結婚前の仕事を忘れていた。子供たちに教えることより大事な仕事はない」と釈明。「ブッシュ夫人のファーストレディーとしての貢献に感謝と敬意を払い、彼女の大事な仕事を思い出さなかったことを心から申し訳なく思う」と謝った。
謝罪はすばやくなされたものの、テレーズ夫人側には痛い黒星となった。
小学校教員という「身近な存在」だったローラ夫人に比べ、テレーズ夫人は「大金持ちの未亡人」だった人。
アメリカ大手食品会社ハインツ社の御曹司だった故ジョンハインツ上院議員が航空機事故で亡くなったあと、未亡人テレーズは莫大な遺産を受け継いでいる。
彼女個人の収入からの納税額は、2003年に約230万ドル(約2億5千万円)にのぼる。課税対象の収入のほかに、非課税収入がある。州債、市債、公社債からの非課税の利子収入約278万ドル(約3億円)
高額納税のほか、ジョン・ハインツが設立した「ハインツ・ファミリー基金」からの拠出金を運用し、460万ドル(約5億円)を慈善事業に寄付した。
これらの慈善事業へ関わったことを、テレーズ夫人は自分の経歴のひとつとしてインタビューに答え、「ローラ夫人が何をしたか知らない」と、発言したのだ。
すばやい釈明で対処したところはさすがだが、この一件では「私はいっぱいお金もっていて、慈善事業をたくさんこなしてきたわ。ローラ夫人なんて、夫にくっついているだけじゃない」と、思っているかのような印象を残した。
どうも、大金持ち未亡人がファーストレディになることは、アメリカ中西部や南部中部など「Deep なアメリカ」の女性たちの心をつかまなかったのではないだろうか。小学校教員からファーストレディになったローラ夫人のほうが、はるかに「シンデレラ度」が高い。<ケリー敗因考察つづく>
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2004年11月10日
ぽかぽか春庭2004やちまた日記「ケリー敗因考察どっちのシンデレラショウ」
ケリー敗因に思うことその2。ケリーの顔は長すぎた。
ブッシュ対ケリーのテレビ討論は、過去に例を見ないほど「ビジュアル的に」低レベルであった。これはあくまで、画面の顔を見ているだけの無責任な印象で言っている。テレビ討論の中味では、「ケリーの勝ち」という判断を下した視聴者が多かったそう。
アメリカ国民が見た目だけで投票するわけじゃないから、どうとも言えないが、ケリーとブッシュが並んでテレビに映っていると、どっちにしろたいして変わらないような気がしてきたもので。
ビジュアル的には、ケリーと民主党大統領候補者指名を最後まで争ったジョン・エドワード副大統領候補が一番よかった。
エドワード候補は、南部の繊維工場労働者の家に生まれた。苦学して弁護士となり、「勤労階級の星」として上院議員になった。
エドワードが副大統領候補じゃなく、大統領候補だったら、ブッシュに勝てたような気がするんだけど。
でも、権力の座にしばらくすわっていると、どの国のトップの顔もなんだかすさんだ印象になってくるのは同じだなあ。
ケリー敗因その3。オサマ・ビンラディンのブッシュ応援演説
これまでどこにもぐっていたのやら、オサマ・ビンラディン氏からオサマ・ビンラディン容疑者になるべく、「9.11は私の命令でやった」なんて、ビデオにご登場。
このビデオ放映は、あきらかに「9.11テロを忘れるな」というアメリカ国民への警告となり、共和党に有利な影響を持ったと思う。
サダム・フセイン元大統領の身柄を確保した捜索力をもっているのに、なぜビンラディンは泳がせているのかと思ったら、こういう使い方もできたんだ。
マイケル・ムーアは、オサマ・ビンラディンがそもそもアメリカの支援によって活動を始めたことと、彼の一族とブッシュ家との親密な関係を映像化した。
今回のビデオも、まるでブッシュが頼んだかのようなタイミングで放映されるに至っては、はあ、ブッシュ有利に導くための「ビンラディン・ビデオ演説」なのかと勘ぐってしまいました。ま、ゲスの勘ぐりというヤツです。
ケリー敗因その4。遠くの戦争より、近所の道徳。
今回、東部や西部海岸側の民主党支持と、中部南部の共和党支持が、はっきり色分けされた。
ブッシュは、ケリー候補を「リベラル」と位置づけ、自分たち共和党が「同性による結婚を許さない」「女性が望まない妊娠をした場合でも中絶を許さない」という「伝統ある道徳」を遵守していこうとしていることを前面に押し出して、中部アメリカの支持をとりつけた。
アメリカ中央部の人々にとって、イラクで10万人の市民が爆撃で死亡するのは「戦争だから仕方がないことであり、アメリカの正義をはたすのは道徳的なこと」と、認められる。
しかし「となりの娘が中絶をした」なんていう不道徳なことは、許すことはできない。よき伝統のアメリカが守られるためには、「信仰あつく道徳的」な人こそ、大統領としてふさわしいと、考えられた結果の選択だったのだろう。
民主党の大統領というと、辣腕ヒラリー上院議員の夫も「不適切な関係」などやらかしているしなあ。
ともあれ、アメリカの人々の半分プラスαは、ブッシュを選んだ。538人の選挙人の過半数を超える278人がブッシュ支持者。総得票数でもブッシュ票はケリー票を350万票上回った。
出口調査などの投票分析によれば、中西部南部でブッシュ再選の中核となったのは、キリスト教保守派の票だという。
ブッシュ再選が確定した結果なのか、イラク・ファルージャへの猛攻が開始された。
「9.11テロによって5000人が亡くなった。テロの根元を断つために、10万人のイラク市民を殺しただけでは、まだまだ足りない。3ヶ月後のイラク選挙で”民主的”に親アメリカ政権を生み出す必要がある。そのためには、反米勢力が集中している地域への爆撃を徹底する」というファルージャ総攻撃。
しかし、ファルージャを制圧したあとイラク市民の反発が強まれば、来年1月の選挙がボイコットされる可能性もあるという。
アメリカの大統領をアメリカの国民が選んだのだから、太平洋対岸からどう歯がみしようが、しかたのないことだが、このあともポチ君がしっぽふって飼い主についていくのかと思うと、気が重くなる。
ポチ君は飼い主を褒め称え「あれだけマスコミにたたかれたのに、たいしたもんだ」と、胸をなでおろしている。これからは、ワンワンとも吼えずに「バウワゥ」なんて言うのかな。
タカラ「バウリンガル」を買わないと、ますます彼のいわんとする言葉が理解できなくなるかも。
今朝の新聞でみたフレデリック・ポアロ氏描くところの風刺画。電車の車内につるされた中吊りポスターの絵。
「東京ブッシュランド11/3からクリスマスファンタジー」というTDLのポスターを模した絵がおもしろい。
「ブッシュの世界、つづく」ということばの横に、ブッシュや忠実なる盟友君、広報担当オサマ君などがならんで、華やかなパレードを繰り広げている。ゆかいなパレードを守る厳戒態勢の兵士もいる。中央にそびえるはシンデレラ城ならぬホワイトハウス城。
パレードの次のアトラクションは、シンデレラをお城にむかえるパーティだろう。
09:31 | コメント (0) | 編集
2004年11月16日
ぽかぽか春庭2004やちまた日記「ひらがなの手紙」
ご無沙汰してしまった友人から手紙を受け取った。とてもうれしい。全文ひらがなで書いてある。びんせん3枚の手紙を書くのに、ひともじ一文字、気をつけてえんぴつをにぎりしめて書いてくれたと思うと、ありがたくて涙がこぼれてくる。彼女は視覚障害者(全盲)なのだ。
彼女は点字については、指を滑らせて読むのはものすごく早いし、点字を打つのもとても早い。だが、鉛筆でひらがなを書くときは、見えないままスケールをたよりに手探りで書いていくので、点字よりは時間がかかる。私がしばらく連絡していなかったので、わざわざ平仮名の手紙を送ってくれたのだ。
彼女は幼いときに病気になった。一命はとりとめたが、しだいに視力がなくなり、8歳のときに完全に失明した。
「小学校1年と2年生の途中までは普通学級に通ったので、ひらがなと漢字いくつかは形を覚えていて、書ける。でも、点字の方が早いから、ふだんのメモなんかは点字。
ひらがなを書くのは、ちょっと時間がかかるし、ちゃんと意味がわかるように書けているかどうか、あとで晴眼者に確かめてもらう必要があるから、そんなには書けない」という、苦労して綴られたひらがなの手紙。ひと文字一文字を、大切に読ませてもらった。
私は、図書館での対面朗読ボランティアとして彼女と出会った。
朗読ボランティアの時間がとれなくなってしまったあとは、演劇大好きの彼女と趣味が一致したので、時々「観劇の友感激の友」と称して、いっしょにお芝居を見てきた。
劇団昴の劇には、視覚障害者のためのガイドサービスがある。舞台の上で行われている役者の動きを案内テープが説明して、視覚障害者の観劇を助けてくれるのだ。
私も彼女といっしょに劇をみるときは、たいてい「視覚障害者用ガイド」のイヤホンを借りて、いっしょに聴きながら観劇する。ガイドが説明しなかった部分はどこかさがして、あとで説明するためだ。
上演中は声で説明できないけれど、役者の表情や衣裳などを休憩中に説明したりする。
彼女は、盲学校で針灸やマッサージの技術を習得した。しかし、自分自身が病身であるため、働き続けることはできなくなってしまった。
今も「病気と二人三脚」ではあるが、彼女はさまざまな活動を行っている。
今回の手紙では、「日本障害者センター文化事業」として上演する演劇に、視覚障害者ガイドをつける活動をしているお知らせだった。
「こんにちわ げんきですか。いつも るすのようなので てがみにしました。わたしは どきどき わくわく くらしてます。すばるで がいどつき おしばいを するのを しってますよね。 わたしも どうふうした びらの しばいに がいどを つけようと ふんとうちゅう です。はじめての ことは たのしい。ほんとにできるかどうかわからないけど ちょうせんする かちが あります。
これは くるまいすの しょうじょの ししゅうを もとにした しばいです。しょうがいしゃの かぞくの もんだいや ぼらんてぃあと ゆうじょうを つくりあげていくまでの かっとう こい。すてきな しばいです。ぜひ みてください。それと わかい ひとに みてほしい。がっこうに ぼらんてぃあさーくるが あったら このしばいを しょうかいして いただけませんか。おねがいします。
これから まいにち しばいの びでおを みて くらすようです。 しばらく たいめん(朗読)には いけそうにも ありません。
いそがしいみたいだけど じかんが できたら また あいましょうね。」
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青年劇場『17才のオルゴール』
日時:2004年12月18日(土)午後1時〜4時
会場:調布グリーンホール・大ホール
チケット:一般4500円 ユース(学生&20才以下の方)2500円
登場人物:
友子=17才。脳性小児マヒの障害ゆえにさまざまな問題を抱えて成長してきた
静香=高校生の介護ボランティア。
お話:友子と静香の友情を軸に、恋愛や家族との関係などを通して、友子の自立への過程、生命の尊厳、生きることの意味を考えてもらいたいと、願って作られたドラマです。
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もんじゃ(文蛇)の足跡:
年末12月の上演ですが、皆様、ぜひご観劇を!
11:02 | コメント (0) | 編集
2004年11月17日
ぽかぽか春庭2004やちまた日記「博物館の庭」
「日本事情」という科目を担当し、留学生と共に日本の文化と歴史、各国との交流史などを学んでいる。そのため、年に一度は留学生といっしょに上野の東京国立博物館(東博)を訪れる。
「博物館へ行き、何かひとつ文物をとりあげて、時代や作者について調べたこととと、見て感じたことをレポートにして提出する」というのが、夏休みの課題。レポートに取り上げる博物館は、各地の郷土資料館とか、どこでもいいと言ってあるが、今年は結局全員が東京国立博物館についてのレポートになった。それぞれの興味によって、浮世絵を取り上げた学生、埴輪について調べた学生、仏像のレポートなど、さまざま。
留学生と訪れるほか、機会があるごとによく上野へ寄り、博物館美術館を訪ねる。
時間があるときは上野公園内をのんびり散歩する。休日だと「東京ヘブンアーティスト(公認大道芸人)」が、あちこちでパフォーマンスをやっている。
今回は、東京国立博物館で開催されている「中国国宝展」の特別展示と、本館リニューアルグランドオープンをみた。
また、ちょうど公開中だったので博物館の庭園を歩いた。東博の庭園散策は、初めてのこと。
鶯谷駅側にひろがっている庭園を、いつも館内の休憩所からながめて、「せっかくの庭園なのに、入館者に公開しないのかなあ」と思っていた。独立行政法人化によってさまざまなる改革があり、庭園についても、数年前から「ボランティアの案内による庭園散策ツアー」がはじまった。これまで参加する機会がなかったが、今回は「一般公開」ということで、自由に散策できた。
東博の庭園は、昔の「寛永寺境内」をひきついだもの。 寛永寺境内と墓所を整備し、1882年(明治15)から4年かけて公園とした。何度も改修工事があり、寛永寺の昔の面影は残されていない。
また、博物館設立当初は、絵画彫刻書画などを扱う部門のほか、「天産部」という動植物を扱う部門があり、各地から多種多様な植物を集めた。それが庭園に植えられている。
徳川五代将軍綱吉が奉納したという五重塔などもある。
池を中心に茶室が点在していて、一般利用ができる。一日貸し切りで利用料は3万〜5万円。かやぶき屋根の春草廬、六窓庵。九条公爵邸から移築された九条館など、大小の茶室はそれぞれに趣がある。
庭園としての完成度は、後楽園や六義園などの名園に及ばないと思うけれど、桜のころなど、また散策してみたい。
13:05 | コメント (0) | 編集
2004年11月18日
ぽかぽか春庭2004やちまた日記「中国国宝点」
東京国立博物館平成館で「中国国宝展」を見た。1990年代に発掘された考古学出土品が中心になっている。
目玉は、漢王朝の皇族の墓から出土した「金縷玉衣(きんるぎょくい)」。 玉の小片4000個を金の針金でとじ合わせて、人の形につくってあり、遺体をすっぽりと納められるようになっている。玉には遺体の腐敗を防ぐ力が備わっていると信じられ、王のなきがらに着せられた。展示のまわりは、どこよりもたくさんの人が取り巻き、みなで見入っている。
秦の始皇帝陵から出土した俑。顔料を残したまま保存できるようになり、本来の色鮮やかな彩色がうかがえる俑も数多く展示されている。虫をついばむ鳥の俑など、とても写実的なものもある。
文官俑は、腰にナイフをぶら下げている。当時は竹や木の小片に文字を書いたため、間違えたときは小刀で表面を削り取る。ナイフは消しゴムの役割を果たしていた。
私にとって一番興味深かったのは、西周時代の青銅器。中側に370字の文字が書いてある。現在私たちが目にする漢字と同じ形の「王」などの文字もあるし、まったく異なる形もある。具体的な形を描写したと思うような文字が多く、象形文字が実際のものの形を写し取ったものであることが、よくわかる。
中国4000年の歴史の中にとっぷりと浸かることができた。
本館リニューアルグランドオープンは、9月から。1階はこれまでのようなジャンル別展示。「工芸の室」「刀剣の室」など。2階は「時代順展示」になっている。近代絵画の展示数が以前より減ったように思うが、わかりやすい展示方法。
国宝の「鳥獣戯画 甲巻」が見応えがあった。写真図版などで親しんできた「鳥獣戯画」目の前に本物が広がっている。とても軽快な筆づかいで、かえるや猿、うさぎたちが生き生きと相撲をとったり荷物を運んだりしている。画面いっぱいに躍動的な気分があふれている。
秋の半日を上野ですごし、中国や日本の国宝をゆっくり楽しんだ。
5時の閉館までいたので、館外へ出たときはもう暗くなっていた。南正面の上野公園の上に三日月がかかっている。右手にはライトアップされた表慶館の丸い屋根。とても幻想的できれいだった。
08:50 | コメント (0) | 編集
2004年11月19日
ぽかぽか春庭2004やちまた日記「もてなしビジネス」
キャンパスへ向かう学バスの中で聞こえてきた学生の会話。学祭が終わり、次はサークルの忘年会の準備がはじまったらしい。「いや、○○(居酒屋)、安いのは確かだけど、△△のほうが接客技術がちょっとだけ上なんだよね」などと、会場をどこにするか、という評定をしている。
昔昔は、学生が皆で飲むといえば、なにはともあれ「安い」ことが条件だったが、今は「接客技術」などということが忘年会の店を探す決め手になっているようだ。
大きな駅の前に競うように並んでいる○○と△△の看板。それを眺めているだけだとそれほど大差ないように思えるが、実際に利用してみると微妙な差があるのかもしれない。
サービス業というくらいだから、接客サービスの雰囲気は、食べ物飲み物の味以上に大きい。昨今は学生といえどもサービス如何によって、店を決めるようになったのだろう。
学生のアルバイトについて話を聞かせてもらったり、作文に書いてもらったりして、サービス業のいろんな側面を知ることも多い。
Dコーヒー店でアルバイトをしている留学生が、夏休みに参加した研修について作文を書いた。店長から「優良店員」として推薦してもらい、コーヒー豆の焙煎工場を見学した。豆の種類の勉強をしたり、焙煎方法についてのレクチュアを受けた。
豆の種類を覚えたという学習内容以上に、彼女はより一層「この店で働くことが喜びである。今まで以上にいっしょうけんめい働こう」という気分になって研修から帰ってきた。これが研修を受けさせる目的なのかも知れない。
昨日は、日本人学生のバイトの話を聞いた。く。こちらはSコーヒー店。この店も、かなり厳しい研修制度がしかれていて、アルバイトでも、さまざまな研修がある。話をしてくれた学生は、コーヒー豆の勉強を重ねて、ついに「コーヒーマスター」というそのコーヒー店独自の資格を獲得したそうだ。
コーヒーのいれかたをマスターした人へは「ヴァリスタ」という資格が与えられるのだそう。
今はどのサービス業もよりよいサービスを提供するために、店員の質を高める研修制度の充実が図られているのだろう。ハンバーガーのM店には、店員がサービスを学ぶM大学という研修施設があり、テーマパークDにも、D大学があるという。
サービスを売る企業として生き残っていくためには、厳しい競争があり、社員からアルバイトまで、皆がんばらないと、生き残りがはかれない時代。
マニュアル通りの受け答えしかできないウェイトレスの話などを笑い話としてときどき聞くが、マニュアル以下の店もかなりある。サービスとは何かもわかっていない若者が、とりあえずひととおりのサービスを身につけるには、「マニュアル」から入るのもやむをえないのかもしれない。
マニュアルを超えた、人と人とのふれあいを豊かにするサービスを気持ちよく受けたいと思うが、スーパーのレジでも、喫茶店レストランでも、気分よく買物したり、居心地がよかったりしたことは少ない。
小売り業でもサービスや雰囲気は大切。ここ数年買物にいくたびに、「売り場の人に覇気がなく、買物をする楽しさが店内にないなあ」と思っていたD店。経営が破綻し、球団も売却という。
値段がよその半値なら、多少のサービスの悪さには目をつむるが、1割2割の価格差なら、買物をしていて楽しい店、いい気分になれる店を選ぶ。その気分の差を改善しなかったことがD店の売り上げ減少につながったのではないかと感じる。
ことばは使っているとすり切れてくる。「サービス」という言葉では本来の「奉仕、世話」という気分が感じられなくなったせいか、最近では「ホスピタリティビジネス」などの言い方も聞くようになった。ホスピタリティ=もてなし、厚遇、歓待すること。癒すこと。
どのような待遇を「もてなしを受けた」と感じるかは人さまざまだろうが、人と人がふれあう楽しさが、生活の中にゆったりと広がっていくといいなあ。
つかのまでも、人との関係を結び合う心地よさを忘れないことが、社会の潤滑油になると思うのだけれど。
高額の買物をするのでなくても、ものの売り買いの楽しみはあるし、飲んだり食べたりの店での、人と人のささやかなふれあいに喜びが生まれてくる。
お金のやりとりだけでなく、人と人とのやりとりが心地よく楽しいものになるのであれば、サービスでもホスピタリティでもいいから、飲食店でげんなりしたり、買物をしてがっかりしたりすることがないように。
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2004年11月20日
ぽかぽか春庭2004やちまた日記「日本消滅」
金曜日の講師室の昼休み。お弁当を食べる間も惜しんで、授業記録を書いたり授業プリントをコピーしたり、皆忙しそう。リストラの嵐にあいながらも、語学教師はみな勤勉に働いている。
午前中だけで授業が終わる先生の顔には「ああ、これで今週も終わり、やっと休み」という表情が出る。
帰り支度の若いA先生に「お疲れさま」と声をかけた。どんよりと疲れた表情。
B先生が「あれ、とっても疲れたみたい。たいへんなクラスでしたか?」と聞く。「いえ、クラスじゃなくて、自分の子どものほう。今週ずっと風邪ひいていて、子どもは風邪薬飲むと少しは寝るんだけど、すぐ起きて熱だ咳だってなるから、ここんとこ、私まとめて2時間と寝ていないんです」と言う。
A先生は一昨年出産した。他大学で語学講師をしている米国人のご主人は、育児に協力的だという。孤軍奮闘だった私からみれば、保育園の送り迎えをやってくれるとか、子どもといっしょにお風呂にはいる父親、というだけで、なんていいご主人なんだろう、と思っていた。
彼女のご主人が育児に協力的なのは、若い世代だからなのか、外国育ちだからか、と思っていたが、夜中にぐずる子どもの相手をするのは、結局母親の仕事になってしまったようだ。
学部留学生の作文クラス。後期は「科学の進歩と真の豊かさ」「高齢化または少子化について」などの少し固いテーマについて、それぞれの意見をまとめる練習を続けている。
30人在籍のうち、男性は6人だけで、あとは女性なので、どちらかというと、女性に関心が深いテ−マを選ぶことが多い。先週の作文テーマは「共働きについて」だった。
提出された作文を読む。例年、中国からの留学生は「自分の両親も共働きだった。共働きは当然のことだし、男性が家事育児をするのもあたりまえ」という意見が多く、韓国の留学生は「私は結婚しても働きたいと思っているけれど、韓国の男性はまだまだ女性が仕事を続けることに対して協力的ではない」と書いてくることが多かった。今年も作文内容の傾向に大きな変化はない。
今日の購読新聞の世論調査結果によると、女性が仕事を続けたり、育児休職をしたのちに再就職すること自体には反対せず、働きつづけるべきだと、考える人の割合は70%にのぼる。
ただし、男性も育児のために仕事を休むべきだ、と考える人はたったの2割で、結局のところ、女性が家事育児を全部引き受けた上で仕事もこなす、という旧来の考え方が変っていない。これではますます出産する女性は減り、少子化は続くだろう。
デンマークなど北欧諸国で、少子化にストップがかかり出生率が上昇したのは、男性に対し、強制してでも確実に育児休暇をとらせる、という政策が功を奏したからだという。
日本で「女性が育児も仕事も負担する」という状況が続くかぎり、出生率1.29は、減りこそすれ増えることはない。
仮に1.29が減らないとしても、統計上2020年あたりをピークに人口が減りだし、西暦3000年の全日本の人口はたったの27人。日本国民消滅。国民がいなくなるのだから、年金も税金も心配することはなくなる。
もっとも、今のままでは、国民消滅以前に地球消滅なのかもしれないが。
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2004年11月23日
ぽかぽか春庭2004やちまた日記「一葉忌」
11月23日は祝日「勤労感謝の日」であるが、樋口一葉のなくなった忌日「一葉忌」でもある。
今年は五千円札新発行の効果で、例年よりは「一葉忌」として注目された。一葉に関わるイベントも、各地で行われる。
一葉が生まれ育った文京区は、24歳で没した終焉の地でもあり、最も関わりが深い。一葉記念館のある台東区。こちらは、一葉作品の中で、現代でも人気の高い『たけくらべ』の舞台であり、一葉が小さな雑貨屋の女主人として地域の人々とかかわった、ゆかりの地。一葉の両親の出身地である山梨県でも、県立文学館で「樋口一葉展」が開催されている。
11月1日に「新札発行記念ドラマ」として、一葉の伝記ドラマが放映され、内山理名が一葉を、前田亜季が一葉の妹くにを演じた。
最近では、高校の国語や古文の時間に一葉の作品を読むこともなくなり、一葉の流麗な擬古文のみならず、現代語訳でさえ読まれる機会が少なくなったというので、お札発行やドラマ化を機会に一葉に親しむ人が多くなり、一葉作品の読者が増えたら嬉しいのだけれど。
ドラマは一部フィクションもあったが、一葉の一生をうまくまとめていたと思う。ドラマの本筋にはかかわらないフィクションはいくつかあったが、私は気にならなかった。ドラマなんだから、そんなに厳密に事実どおりにすることもない。
たとえば、ドラマ終盤で、小説家として有名になった一葉の家を、森鴎外が訪問するシーンがあった。これは事実ではない。
1896年(明治29)5月、『めざまし草』の三人冗語という書評で、森鴎外、幸田露伴、斎藤緑雨の三人が、一葉の『たけくらべ』を絶賛した。
露伴と緑雨はそれぞれ樋口家を訪問し、大いに語り合ったことが一葉日記に書かれている。しかし、鴎外訪問の記録はない。森鴎外の実弟、劇評家の三木竹二は1896年6月2日に樋口家を初訪問、その後も単独で、また幸田露伴を伴って訪問している。この三木訪問をテレドラマでは「森鴎外と一葉の対面」というフィクションにしたのだろう。
緑雨と竹二は、それぞれに一葉を訪ね、お互いに「あいつは油断ならない人物だから、気を付けるように」と、一葉に言った。緑雨は皮肉家でならした辛口評論家。一葉にとって緑雨は「一番話が合う」人物だったようだ。緑雨の語った言葉は、詳しく日記に記述されている。
ドラマの中で、鴎外が一葉と語り合ったとされているセリフは、一葉の日記の中では、斎藤緑雨が語った一葉評である。「世間では『にごりえ』を熱い涙で書いたと言うが、私は冷笑をもって書いたと思う。ただの冷笑ではなく、熱涙のあとの冷笑です」と、緑雨は批評する。
1896年7月22日の日記。三木竹二と幸田露伴が訪問して「めざまし草」に書いて欲しい、と頼んだ。できれば同人になってほしい、という含みの懇願である。
緑雨は、そのあと追いかけるように一葉を訪ね、「めざまし草の同人になってはいけない。私が新発行する雑誌にこそ加わって欲しい」と熱弁をふるう。
明治文士の文壇上の争い事に対して、一葉は「緑雨の心の中がいくらかでも理解できない私でもないが、いまさら世間の評判を、、、、」と、筆が途絶えている。
この記述のあと、一葉は再び筆を持つこともならぬほど肺結核の病勢が進んだ。
最後の日記の4ヶ月後、11月23日、24歳(数え25歳)の短い生涯をとじた。
小説の師、そして心の恋人である半井桃水が発行した雑誌「武蔵野」に、最初の活字作品として『闇桜』が掲載されたのが1892年(明治25)。
1893年下谷龍泉町での小商い暮しを経て、主要作品は1894年1895年の「奇跡の14ヶ月」と呼ばれる短期間に執筆された。
ようやく作家として世に知られるようになっても、思うように原稿料は手に入らず、相変わらずの借金暮し。死の4ヶ月前、1896年7月18日の日記には「早朝、奥田老人からの借金のことについて、弁護士が返済請求のために来る。我が家の浮沈にかかわる事になりはしないかと思われる」と書いている。
鴎外は一葉の葬儀に「騎馬で参列したい」と申し込んだ。しかし、妹と母は、葬儀をできる限り質素に執り行うため、鴎外の申し出を断っている。葬儀の費用にも事欠く暮らしだったのだ。
樋口夏子が自分のペンネームを「一葉」と決めたのは、「葦の一葉」にちなんでのこと。
達磨大師が、中国長江を一葉の葦の葉に乗って下った、という伝説による。一葉は「達磨さんには足がなく、私には、おあし(銭)がない」と笑っていた。
数え17歳で戸主となって以来、おあし(お金)に縁のない暮しを続けた一葉だった。
五千円の顔になったことを知って、一葉は「熱涙のあとの冷笑」を浮かべているのではないだろうか。
我もまたおあしに縁なき一葉忌(春庭)
2004年11月27日
ぽかぽか春庭2004やちまた日記「たからものと光」
金曜日、午前中一コマ午後一コマの授業を終えての仕事帰り。
駅を出てそのままスーパーで買物。まだ混み合う前の時間帯のはずが、入り口に親子連れがたくさんいて、とても混み合っているように見える。
保育園年長か、小学校低学年といった年齢に見える子どもと手を繋いでいる母親また父親。スーパーの買物籠は子どもがもっていたり、親がもっていたり。
親御さんは、絵カードを手にしている。絵カードを子どもに見せ、「ジュース、ジュースを買いましょう」「バナナ、これバナナ」などと言う。
初めてのスーパーに入って緊張したのか、いやがって、泣いている子もいた。
じっと見るのも、「がんばってね」と声をかけたりするのもいけない、と読んだ気がするので、私は私の買物を普段どおりはじめる。でも、心のなかで、「ゆっくり買物してね。親子でいい時間をもってね」と、応援した。
子どもが手にもっている蜜柑の絵カード。棚のみかんを籠の中にいれることができますように。
たぶん、ハンディキャップをもつ子どもたちの活動のひとつだったのだと思う。教室での学習を終えて、地域のスーパーで買物活動を実際にやってみよう、という場面だったのかもしれない。
家に帰ると、娘と息子は、ビデオにとっておいた『たったひとつのたからもの』を見ていた。私は途中から見た。
CMで秋幸君親子を見、加藤浩美さんの本が出版されたことも知っていたが、「ドラマはどうしよう、見ようかやめようか」と、今ひとつ乗り気じゃなかった。
主演のお母さん役が松田聖子だったから。お母さん役が小林聡美だったら、リアルタイムで見たのだけれど、「松田聖子だと、なんだかイメージ合わない気がする」と、躊躇していた。聖子さんだと、「お受験ママ」ならイメージ合う気がしてしまって、これも偏見よね。ごめんなさい。
でも、秋幸君役の「つばさ君」がとてもよかった、という評判を聞いた娘が、「やっぱり見よう」と、ビデオにとっておいたのを再生した。
小林聡美が先生役をした『光とともに』という自閉症児が主人公のドラマを、この春、親子で見ていた。ドラマのおかげで、自閉症児に対する理解が広がったと聞く。『たったひとつのたからもの』も、今までダウン児について知らなかった人に、理解が深まればいいと思う。
私自身は、視覚障害の方々とご一緒する機会が多かったが、娘の保育園クラスメートのおねえちゃんがダウン児さんで、いつも保育園の帰りに公園でいっしょにあそぶことができた。
また、学童保育のクラスに発達障害のハンデキャップをもつお子さんがいて、いっしょに活動できた。私自身のためにも、娘のためにも、有意義な時間がすごせた。
共にすごす機会が多いほど、どこを手助けし、どこを見守ればいいのか、わかってくる。
ドラマ、泣かないでみようと思っていたけれど、やっぱり最後、ランドセルを背負った秋幸くんの笑顔を満開の桜の中で思い浮かべる両親の姿に、泣けた。
どの子もみんなみんな「たったひとつのたからもの」だよね。
ドラマへの感想を書いたブログのひとつで、「このドラマを見て、ダウン児もやればできることある、成長できるんだ、と、張り切ってしまう若いダウン児ママパパがいたりしたら、それもちがうと言っておきたい。どの子もひとりひとり違う。うちの子は小学校入学しても、秋幸くんのようにひとりでバスから家まで帰ることもできないし、まったく何もできないままだけれど、うちの子はうちの子」というダウン児ママの日記を見た。
スーパーで絵カードを手に買物をしていた親子さん、ゆっくりゆっくり子どものペースに合わせて。今日は泣いてしまった子も1年後には泣かないでスーパーにいられるかもしれないし、今日みかんを籠に入れられなかった子も、5年後は、バナナとみかんを買えるかもしれない。スローライフでいきましょう。
14:12 | コメント (4) | 編集
2004年12月01日 09:42
ポカポカ春庭「光をみて(2)」
もんじゃ(文蛇)の足跡
12年前と比べると、公共施設のバリアフリー化はずいぶん進んできたと思う。JRや地下鉄の主要駅にはエレベーター設置されてきている。
しかし、視覚障害をもつ友人の話では、「設備以上に必要なのは、障害を持つ人への理解と共感」だそう。
駅周辺に点字ブロックが設置されても、ブロックの上には自転車や店の看板が置かれ、危険。白い杖でブロックを辿りながら歩いていると、後ろから走って来た人に突き飛ばされそうになり、「遅刻しちゃう、じゃまなんだよ!」と罵声を浴びせられる。「いつも、皆さんの迷惑にならないように、じゃましないようにと小さくなって歩いている」というのだ。友人は突き飛ばされて怪我をしたこともある。
能率と効率だけを求めて突っ走り、成果が大きいことを高く評価する社会では、ゆっくり歩むこと、じっくり考える人たちは、マイナスに受け止められるのかもしれない。
でも、価値観はさまざまであっていいよね。大急ぎで走り抜けて、すばしこく儲けて、生き馬の目を抜きながら生きる人もいるだろうし、ゆっくり少しずつ歩きたい人もいる。
☆☆☆☆☆
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