Workshop for Nipponianippon Communicative Language& Culture Studies

日々雑記いろいろあらーな2004年7月

ポカポカ春庭のいろいろあらーな2004/07
| 日付1 |
タイトル |
今日の一冊 |
著者 |
| 07/05 |
掲載日変更のお知らせ |
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| 07/06、07/07 |
赤心 |
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| 07/08〜07/10 |
茶色 |
No135『茶色の朝』 |
(パ)パブロフ |
| 07/22〜07/24 |
白緑褐色、唐三彩 |
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| 07/27〜07/30 |
メールいろいろ |
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| 07/31 |
夏色に命輝く(1) |
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ポカポカ春庭のいろいろあらーな 赤心(1)
at 2004 07/06 08:00 編集
担当している授業のひとつ「日本事情」では、日本の歴史や文化を学部留学生と共に学んでいる。
毎年女性のほうが多いクラスなので、私としては、フェミニズムの視点を持ちつつ「日本女性史、女性と文化」というコンセプトで授業を進めたいと思っている。
しかし、 授業で使用している教科書『留学生のための日本史』は、女性人物名の記述が少なく、『源氏物語』は絵巻の写真とともに記載されているが、紫式部の名は出てこない。清少納言も北条政子も出てこないので、人物名を補いながら授業をすすめている。近代文学では、新五千円の顔として樋口一葉を紹介する。
『留学生のための日本史』の中に、ふたりだけ女性の名が記述されている。ひとりは、古代の卑弥呼。もうひとりが、与謝野晶子。
晶子の顔写真と詩「君死にたまふことなかれ」の草稿写真が載っていて、日露戦争に反対した文学者として、夏目漱石とともに紹介されている。
晶子と寛、与謝野夫妻にとっては、1902年長男光誕生のころから、1908年明星廃刊のころまでが、もっとも苦しく貧しい時代であった。
しかし、この時代の晶子にとって、生活苦以上に精神的に大きなできごとであったのは、1904年の日露戦争の開始である。幼い頃から愛してきた実家の弟が出征したのだ。
晶子の手書き文字による草稿の写真。
カタカナ書きで留学生には読みにくい詩を「これ、なんですか。何が書いてありますか」と質問されると、すかさず第一連を朗読し、解説する。
「君死にたまふことなかれ--旅順口包囲軍の中に在る弟を歎きて」与謝野晶子
==============
ああをとうとよ、君を泣く、/君死にたまふことなかれ、/末に生まれし君なれば/親のなさけはまさりしも、/親は刃をにぎらせて/人を殺せとをしえしや、/人を殺して死ねよとて、/二十四までをそだてしや、
===============
『みだれ髪』を「若い頃の未熟な作品」としていた与謝野晶子。「君死にたまふことなかれ」も、生活苦に悩んだころの若書きと思っていたかもしれない。発表後、大町桂月らからの激しい攻撃を受けたつらい思い出もある。あまりふりかえりたくない作品となっていたのだろう。
軍国主義一色となった昭和期には、この詩は人目にふれない状態になっていた。この詩が復活したのは、15年戦争(1931〜1945)敗戦後である。
与謝野寛が軍歌を作詩するなど、夫妻の考え方の傾向をたどってみると、もし、晶子が1942年以後も生きていたとしたら、、、、。戦時中、文学や言論を統制するために組織された「日本文学報国会」などへ、積極的に関わっていった可能性を否定できない。
多くの文学者が、戦後「戦時中の戦争協力、侵略戦争賛美の文学」を指弾されたことを思うと、「君死にたまふことなかれ」が、いわば「無傷」で残されたのは、僥倖であったと言えよう。
晩年の晶子の思想がどうであれ、「君死にたまふことなかれ」5連の詩のなかに、まぎれもなく1904年日露戦争当時の晶子の赤心が述べられている。
24歳で出征を余儀なくされた弟の無事を心から願い、「ただただ、いとしい弟が戦死しないように」祈る姉の、戦争反対!という、真摯な気持ちがわき出ている。<赤心続く>
☆☆☆☆☆☆
春庭今日の一冊No.134
(と)『留学生のための日本史』東京外国語大学留学生教育教材開発センター編集
ポカポカ春庭のいろいろあらーな 赤心(2)
at 2004 07/07 05:47 編集
ポカポカ春庭のいろいろあらーな
2004/07/07 今日の色いろ=赤心(2)
「君死にたまふことなかれ--旅順口包囲軍の中に在る弟を歎きて」与謝野晶子
第2連以下はつぎの通り
============
堺の街のあきびとの/旧家をほこるあるじにて/親の名を継ぐ君なれば、/君死にたまふことなかれ、/旅順の城はほろぶとも、/ほろびずとても、何事ぞ、/君は知らじな、あきびとの、/家のおきてになかりけり。
君死にたまふことなかれ、/すめらみことは、戦ひに/おほみづからは出でまさね、/
かたみに人の血を流し、/獣の道に死ねよとは、/死ぬるを人のほまれとは、/大みこころの深ければ、/もとよりいかで思されむ。
ああをとうとよ、戦いに、/君死にたまふことなかれ、/すぎにし秋を父ぎみに/おくれたまえる母ぎみは、/なげきに中にいたましく、/わが子を召され、家を守り、/安しと聞ける大御代も、/母のしら髪はまさりぬる。
暖簾のかげに伏して泣く、/あえかにわかき新妻を、/君わするるや、思へるや、/十月も添はでわかれたる/少女ごころを思ひみよ、/この世ひとりの君ならで/ああまた誰をたのむべき、/君死にたまふことなかれ。
==============
1904年から今年はちょうど百年。晶子の赤心からの叫びを、私も叫びたい。
君死にたまうことなかれ、/命ずる人は戦いに/自分みづから出てゆかぬ、/
かたみに人の血を流し/獣の道に死ねよとは/死ぬるを人のほまれとは/人の心を持つならば/もとよりいかで思されむ。
1945年以来、武器によって他の国の人を殺すことなく、殺そうとする人々に加担することなくきた歩みを誇りに思い、これから先もけっして戦争に加担することのないよう願っている。
軍隊という方法でなく、世界の平和やイラクの安定した発展に寄与する方法はいくらでもある。
多国籍軍参加に反対します。赤心より。<赤心おわり>
===========
もんじゃ(文蛇)の足跡:
七夕の夜、織り姫彦星は年に一度の逢瀬。2年近い離別を経て、曽我さん一家が明後日ジャカルタで再会。よかったですね。曽我さん。これからさき一家がいっしょに幸せになれますよう短冊に書き、星に祈りをこめました。
しかしながら、一家の再会をもっと早くセッティングすることが可能だったはずなのに、選挙対策に利用するあざといやり口には、うんざり。曽我さん一家は「支持率を上げるための道具」ではない。これから先、一日も早く家族いっしょに暮らせるよう願っています。一家の運命が「政権延命のかくし玉」としてふりまわされることがないように。

ポカポカ春庭のいろいろあらーな 茶色(1)
at 2004 07/08 07:22 編集
ポカポカ春庭のいろいろあらーな
2004/07/08 今日の色いろ=茶色(1)
今年の春、一冊の絵本を購入した。東京、中日、朝日新聞などいくつかのメディアで紹介されていたフランスの本『茶色の朝』
原文はわずか11ページの、「本」というより「小冊子」というほどのもので、1998年に出版された。作者のフランク・パブロフ氏(フランス在住の臨床心理学者57歳)は、印税を放棄し、1ユーロ(約130円)で販売された。
英国、ドイツなど十カ国以上の翻訳版も出ている。
2年前の春、フランスの人々はこぞってこの本を読み、売り上げ部数は50万部以上となった。
2002年4月、極右政党国民戦線のルペン党首が18%の支持を集めた。「ファシズム復活」をめざしている極右政党が、現実に政権をとるかもしれないという時期に、人々はこの本を必要としたのだ。
日本では、アメリカの映画監督ヴィンセント・ギャロ氏が挿絵を担当し、2003年12月に大月書店から発売になった。哲学者高橋哲哉氏のメッセージが加わり、1050円。
私は、春休みに渋谷の大型書店で買ったが、売り場には出されていなかった。
実をいうと、立ち読みだけして帰ろうと思った。しかし、「『茶色の朝』という本ありますか」と聞いたら、店員に「在庫は奥にありますので、お待ち下さい」と、言われた。「奥のほうからこっそりもってきましたので、目立たないようお持ち帰り下さい」みたいな扱い方だった。
売り場に並べておくと、なんぞ都合悪いことでもおきるんだろうか。
すでに6刷を重ねているという本なのに、なにやら秘密出版めいている。
作者フランク・パブロフ氏は、フランスとブルガリア、二つの国籍を持つ。父親は、スペイン人民戦線に義勇兵として参加したブルガリア人。「反ファシズム」のために闘った人だ。
フランク氏は、自分の仕事・研究のほか、セックス産業に従事させられているアフリカやアジアの子どもたちの人権保護の活動を行ってきた人だという。
================
<こんなお話>
ある朝、「毛並みが茶色でない動物を飼育してはいけない」という法律が施行される。ペットの毛色は茶色のみ許されるのだ。主人公や友達のペットの毛色は茶色じゃなかったので、安楽死させることになった。法律で決まったことだから、従わないと。
少し心が痛むが、すぐ慣れた。茶色の毛の新しいペットを飼えば、またペットとのふれあいがとりもどせるし。
この法律を批判した新聞は、発行禁止になった。あれっと思うが、すぐ慣れた。新聞はほかにもあるし、どうせ読むのはスポーツ欄だから、どの新聞でもかまわない。発行を許可されている茶色の新聞を読めば不自由はない。
いろんなことに、主人公は慣れていく。決められたことだから。考えたって難しいことはわからないし、上の人が決めてくれることに従っていれば間違いない。われわれのささやかで安定した生活が守られることのほうが大事だ。
しだいに「茶色」が生活の中に濃くなっていったある朝、主人公の友達は突然逮捕される。「過去に茶色の毛並み以外のペットを飼っていた人」も有罪となる法律ができたのだ。主人公も過去に茶色じゃないペットを飼っていた。次に逮捕されるのは、、、、
主人公はやっと気づく「気づくのが遅かった」と。
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<続く>
☆☆☆☆☆
春庭今日の一冊No135
(パ)パブロフ『茶色の朝』
ポカポカ春庭「いろいろあらーな」茶色(2)
at 2004 07/09 06:01 編集
自分の周囲が一気に茶色に染まったなら、今までと違ってきた異変に気づいたかもしれないが、しだいに少しずつ茶色になっていったので、違和感もなく当然のように受け入れてしまう。
「あれ、ちょっとおかしいな」と感じたときに、立ち止まって自分の頭で受け止めようとせず、「みんなが受け入れているから」「決まったことだから」と思っているうちに、たったひとつの色以外、許されなくなっていく、、、、
「あれ、なんだかんだと押し合いへしあいしているだけで、結局、年金は、支払いは今より多く、受け取りは今より少なくなる法案が可決してしまった。でも決まったことだし、、、、なんとかなるだろう」
「おやおや、国会での論議もなし、与党への報告すらせずに、軍隊に参加することが決まってしまった。でも、仕方がない、平和のためだって言っているし、上の人が決めたことなんだから、、、、」
決まってしまったことには、おとなしく文句も言わず従っていれば、私たちのささやかな日常生活は守られるのか。かって、文句もいわず「決められたこと」に従った庶民の暮らしが、いつのまにか「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」になり、「欲しがりません勝つまでは」になり、ついに「耐えがたきを耐え忍びがたきを忍び」になったのではなかったか。
この『茶色の朝』のブックレビュウを検索していて、ある感想に目がとまった。
「この本をウェブ上で紹介している人には、ある傾向があるようです」と、書かれていたのだ。
そうすると、私も「ある傾向」に含まれると、この人は見なすのだろう。え〜?どんな傾向?「傾向」といえば、受験参考書『傾向と対策』シリーズを思い浮かべる程度のしがない教師なのに、なんらかの「レッテル」を貼ってもらえるみたい。
自分と合わない意見を述べる人に「ある傾向がある」とレッテルを貼れば、その人を自分の守備範囲から除外できると考えている人もいる。
例えば、アジアから来た人々を「第三国人」と呼び、重度身障児を見て「こういう子に生きている意味があるのか」といい、女性へは「子供を生めなくなった年齢の女に価値はない」と発言した首長は、また、次の発言をしている。
2004/02/27の定例記者会見で、オウム事件の官選弁護人に対して「とにかく裁判に時間がかかり過ぎる、しかも官選弁護人、誰も引き受け手がないから官選弁護人を買って出た人はある傾向のある人たちのようだけども」と、決めつけた。
「ある傾向」というのがどういうことか、については言わずに、言外に「自分とは方向が違う、受け入れられない人々」を含意するやり方。
「○○に反対は、ある傾向の人たちが言ってるだけ」「○○を守れなんて、ある傾向の人たちが言うこと」などなど。
「ある傾向」というレッテルを貼っておけば、人々は安心して「あんたは茶色じゃないからダメ」と排除でき、「茶色以外のペットは飼ってはいけない」「茶色以外の新聞を購読してはいけない」という現実に、静かに自分を合わせていけるのかも知れない。
だが、人の色に合わせていられる人ばかりではない。全員が一色に染まり、全員が同じ方向を向くことだけが、「みんないっしょの幸せ」とは考えない人々もいる。<茶色続く>
ポカポカ春庭の「いろいろあらーな」茶色(3)
at 2004 07/10 08:50 編集
明日は参議院選挙投票日。参議院は「良識の府」と呼ばれてきた。しかし、全議員が良識あるとも思えない。
4月26日の参院決算委員会で自民党の柏村議員は「(イラクでの)人質の中には自衛隊のイラク派遣に公然と反対していた人もいるらしい。そんな反政府反日的分子のために血税をもちいることは強烈な違和感、不快感を持たざるを得ない」と発言した。
この発言に対して、私も「強烈な違和感不快感」を感じた。
民主主義の根本は言論の自由である。憲法にも明記されている基本的人権。それを、「政府が決めた自衛隊派遣に反対するのは反日的分子である。その人々を血税を使って救出するのは不快」というのでは、民主主義の根本を否定したことなのだ、ということが、この議員センセイには、わかっていないらしい。
柏村議員は、上記発言と同時に「中国への侮蔑的表現、内政干渉にあたる発言」をしていて、こちらは外交問題も絡むので、委員会後に訂正を申し立てた。
が、「反日の部分は理事会の結果を待つ」と、保留したのだという。理事会がどうこう以前に、自分の発言が、どれほど「反民主主義的」なものであり、「基本的人権を尊重する国」に反する発言であるのか、自覚してほしい。
「政府に反対する意見をもつものは、反日的分子」「政府が決めたことに反対するのは非国民」
このようなことを、「良識の府」と呼ばれてきた参議院で堂々と口にできる風潮が蔓延しているのだとしたら、「茶色に染まらない人は、非国民につき逮捕」の時代が間近にせまっているのかもというのも、「笑い話」ではすまないことになっているのかもしれない。
「反日的分子は救出してやらない」「国民相互扶助といっても、制度が複雑だから、議員は国民年金の支払いをしなくたってしかたがない。雑魚が文句をいうな」「首相が政治生命を賭けて北朝鮮まで出かけていったのに、拉致被害者全員の消息をしっかり聞いてこなかったのは不満だと発言した拉致被害者家族会は、けしからん」などなど、政府与党に反対する意見を述べようとする者へのバッシングがすさまじい。
思考を停止し、お上のおおせのままに生きている方が、楽なのかも知れない。茶色に染まっていき、「みんなと同じ方向だけ見ている」生活のほうが楽かもしれない。だが、どうしても「?」という疑問はわいてくるし、「!!」という怒りが充満することもある。
私は、どんな色も好き。『新版・色の手帖』に表示されている500色だけでなく、JIS「物体色の色名」にあるだけでなく、この世の光の中に見えているあらゆる色が好き。 茶色が好きな人、どうぞ、どうぞ。赤がいい人、どうぞお好みで。青がお気に入りという人、ご自由に。あなたが好きな色をあなたの好みに染めて使ってほしい。
でも、あなたの色を私に押しつけないで。私には「ピンクがいいな」という思う日もあれば、緑が心地よい日もある。
人も、ペットも、こころの色も、一色以外許されない世の中にしたくないだけ。
現在、ドイツの教育では、ナチス時代の歴史を徹底して子供達に教えている。歴史の事実を忘れたとき、悪夢の歴史は塗り替えられ、再び繰り返されるおそれがあるから。
かって、私の住む町にも「非国民」というレッテルを貼られたら、町内で生活していくこともできない時代があった。町は茶色一色に染まり、茶色以外の色は排斥された。
赤なんぞはもっとも危険で即逮捕。拷問にかけられ虐殺されてしまった人も数多くいた。赤だけではない。緑も白も青もいけない。人々は自ら他の色を廃棄した。
命令されたからイヤイヤ従った、というよりも、「生活を守るため家族の暮らしを維持するために」自ら茶色に染まることを選んだのだ。周囲と同じ色に染まっていれば安全で、楽に生きられた。
自分の住んでいるこの町にも、かっては「茶色以外の色はだめ」とされた時代があったことを忘れないでいたいと思う。
「お上の決めたことには静かにしたがい、お上のすることには文句もつけない素直な国民」でいることが、もっとも「期待される国民」であった時代、みなが期待通りに素直な国民でいて、さからうと処罰も受けた時代があったことを忘れない。
そして、現在が、「自分の国の行く末を決めるのは、ひとりひとりの投票」によって成立する時代であることを忘れたくない。
「ライオンのたてがみ」を誇示する強そうな見栄えの人が、「ほら、我が国民を拉致するような国もあるから、気を付けて軍事力を増強しなければ」と国民に思い出させようとしてか、選挙2日前に「一家再会」を演出したり、「ほら、国を危うくするような危険なテロを行う団体もあるから、国はさらに強くならなければ」と思い出すために、選挙3日前になって急遽9年前の狙撃事件の被疑者を逮捕したり。もう、そういう演出の意図やからくりも、十分わかった。
しかし、こう自分の頭で考えて、自分のつぶやきを書き留めたりすると、たちまち「こういうことを書く人は、ある傾向のある人物で、、、、」と、レッテルを貼られてしまうのかも知れない。
私はただ、「いろいろあらーなが、いい」と、思っているだけなのだが、、、、。
私に「ある傾向」のレッテルを貼りたい人がいるなら「いろいろあらーな、がいい、と思っている傾向」のレッテルでも貼ってください。
自分では「♪♪人生いろいろ。男もいろいろ。女だっていーろいろ、咲きみ、だ、れ、る、の♪」のレッテルがお似合いと思っているんですが、、、。咲いて乱れちゃう傾向、、、、。
はいはい、私は枯れた藤です。ペンペン草です。枯れちゃってて、乱れたくとも、、、、。
どのようなレッテル貼られるのもおそれることなく、私は私の良心にしたがって、投票したいと思う。
みなさん、投票しましょう。あなたのお好みの色で。<茶色おわり>


ポカポカ春庭の「いろいろあらーな」白緑褐色、唐三彩(1)
at 2004 07/22 08:25 編集
草と布の染物織物仕事。糸と針の刺繍や刺し子、パッチワークの仕事、木と鑿鉋の仕事、さまざまな手仕事を見ることが好き。職人さんが目の前で仕事をしているのを見ているのも好き。
ときどきデパートの「地方物産展」などで、職人さんが作っているところを見せるコーナーがある。デパートでものを買うことはめったにしないが、手仕事はしばらく足をとめて見とれている。
7月10日にたまたまついでで立ち寄った日本橋三越で「職人の技」というイベント(実演販売)をやっていた。織や染め、糸や木の仕事をさまざまにみることができた。
作品を買うだけのお金はないけれど、見て楽しむだけでも、心豊かなひとときをすごせる。
時間とお金があったら、各地の手仕事を巡る旅がしたい。
正月に釜山へ行ったときも、ツアーのコースとしてだが、青磁の窯元を訪れた。絵付け作業を見ることができ、面白かった。
土と火の仕事も、糸と針の仕事と同じように、さまざまな表情をみせる。
青磁も白磁も好きだし、縄文の縄目文様や火炎土器の形も好き。油滴天目や窯変茶碗も好き。
7月4日は、娘と江戸東京博物館で「新発見考古速報展」を見た。各地遺跡から出土の縄文土器、弥生土器、また、江戸時代の発掘現場からは鍋島や古九谷などが出土している。
発掘された昔の手仕事を見て、その時代の人々の心を思い、長い年月を経て残された技術の確かさを思う。
作った人が誰なのかわかっていなくても、目の前にある作品を心をこめて仕上げたであろう人々の手仕事のあとを辿ることは楽しい。
サントリー美術館で『唐三彩展』を見た。中国の河南省博物館、洛陽博物館などの収蔵品。
10年前、中国での仕事を終えて帰国するとき、学生たちから記念の品をいくつか贈られた。景徳鎮の茶碗や少数民族の刺繍作品などもらった中に、唐三彩のラクダの陶器作品もあった。おみやげ用の現代作品だが、白と緑と褐色のまざり具合がとても美しいラクダだった。
私がもらったおみやげ唐三彩ラクダの、もとになったものだろうと思われるラクダが、今回の展示の中にあり、しばし見とれた。千年の時空を歩いてきたラクダなのだ。<白、緑、褐色、唐三彩つづく>
ポカポカ春庭の「いろいろあらーな」白緑褐色、唐三彩(2)
at 2004 07/23 06:39 編集
則天武后の息子(武后に毒殺された)の后だった哀皇后の陵から出土した三彩の壷や鎮墓獣(墓を守る怪獣の形の副葬品)。
発展いちじるしい中国で、つぎづぎに新興工業地帯ができる。工場建設の際に偶然発見された夫婦の墓から出土した副葬品。
などなど、7世紀から8世紀にかけての唐が生みだした、さまざまな唐三彩の作品。
壷や枕などの唐三彩はこれまでも他の美術館などで見てきたけれど、今回いちばん興味深く見たのは、墓を守る鎮墓獣だった。
白、緑、褐色に彩られた、さまざまな怪獣の顔。首から下は犬や猫が座っている形とほぼ同じ。頭部は牛の形もあれば人面獣もあり、いかにも怖そうな奇怪な顔で、盗掘に来た墓盗人をおどしにかかる。
中国では竜や麒麟、鳳凰など空想上の動物がさまざまに表現されている。鎮墓獣たちも、実にさまざまな形と表情を見せており、とても面白かった。
最近の調査で、人物や鎮墓獣などの動物を三彩で作り副葬する風習は、680年代末にはじまり、740年ごろ終わると分かっているそうだ。唐王朝の歴史のなかでも、三彩鎮墓獣を副葬したのは、60年間ほどのとても短い期間だったことがわかる。
唐代のなかでも短い期間に副葬された鎮墓獣。盗掘をまぬがれた鎮墓獣が、美しい三彩の色をそのままにして私たちの目の前に残されたのは、とても幸運なこと。それを見ることができたのは、ほんとうにラッキー&ハッピーなひとときだ。
唐三彩の作り方。白い陶器に蝋を置き、その上から酸化鉄や銅などを含む釉薬を塗って焼く。釉薬が火によって緑色や褐色になり、蝋で覆われた部分だけ白い色が残る。ろうけつ染めのような技法。
複雑な工程と高い技術を駆使できる職人がおり、それを注文できる財力権力を備えた人がいて、三彩鎮墓獣が墓に残される。
唐の力が衰えてくる安史の乱以後の唐では、もはや鎮墓獣の副葬を注文できるだけの力を持った人がいなくなったのかも知れない。<白、緑、褐色、唐三彩つづく>
ポカポカ春庭の「いろいろあらーな」緑白褐色、唐三彩(3)
at 2004 07/24 09:32 編集
工場建設の際に偶然発見されたという夫婦の墓。張夫妻、葭(セツ)夫妻など、被葬された夫婦の名もわかっている。
被葬された夫婦の名は千年のときを経て残されたけれど、唐三彩を焼き上げた職人達の名は残っていない。
しかし、無名の職人達の仕事のなんと確かなことだろうか。なんと美しい色合いを千年の後まで残していることだろうか。
親方に叱られながら、釉薬をかき混ぜる仕事を朝から晩まで続けていた小僧の姿を想像したり、難しい注文を受けてさまざまに工夫をこらした鎮墓獣を仕上げた職人に、「これじゃ気に入らない」と、文句をつけて値切ろうとする夫婦。職人と夫婦の値段交渉、駆け引きを想像したり。
職人に、墓を守る獣の形をさまざまに注文をつけて焼かせる。夫婦の墓なら、二人して「獅子のような強そうな頭部がいい」とか「誰も見たことのないような奇怪な恐ろしげな形がいい」などと話し合っていたのかも知れない。
このような鎮墓獣が自分の墓を守ってくれるのだと思うと、安心して墓の中の生活へと入って行けたのだろう。
サントリー美術館の窓から外を眺めると、お堀ばたの緑、ホテルニューオータニや赤坂プリンスホテルの現代的な姿が夕日に輝いている。この色合いは千年の後まで続けて見ることができるのだろうか。
ビルが林立する都会。「ビルの群が、どこまでも続く墓石にみえてくる」という内容の詩があった、と思いながら、現代建築の代表的作品あるホテルの形を見ている。
展示会場をひとまわりする間に、日はかげる。巨大なホテルは夕暮れの中に立ち続ける。薄暮の中の巨大な墓石。
今夜、あのホテルの窓のひとつひとつに人が眠り、ひとつひとつの窓にそれぞれの人生のドラマがあるんだろうな。そして、張夫妻や葭夫妻が鎮墓獣に守られ、安心して千年の眠りを続けたように、ホテルセキュリティに守られて、窓の中で束の間の安眠をむさぼるのだろう。
私も眠ろう。私の部屋の窓の中で。
あ、でも、家に帰ったら寝るまでに、まず洗濯機のスイッチいれて、朝のままになっている流しの茶碗を洗って、、、、。
あわてて洗って茶碗のひとつも割るかも知れない。景徳鎮でも唐三彩でもない。百円ショップの茶碗だから、職人の手も加えていない大量加工品。割った茶碗を惜しんで泣くヒマもなく、とにかく急いで夕食作って、食べて、、、、。
優雅な唐三彩見た夜も、夢もなく、あわただしく寝るしかない。
「三彩の枕共寝の夫婦墓長安の夜千年の夢」春庭
<緑白褐色、唐三彩おわり>
================
もんじゃ(文蛇)の足跡:
2004/07/23 1:35 mikamik サイドボードの上には美術品が沢山並んでいそうですね
という足跡をつけていただいたので、
2004/07/23 6:43 haruniwa サイドボードも美術品も家になし超貧乏です
とお返し足跡。
別段むきになることもないのだが、言いたい。我が家がいかに狭く貧しい暮しをしているか!自慢じゃないけど、美術品どころか電気代も払えない月がある。
団地の2DKに3冊200円で買ってきた古本が積み上がっているばかりで、寝る場もない。部屋全体が物置と化している中で、サイドボードどころでない。中国でおみやげにもらった唐三彩ラクダも置くところがないから、夫の実家行き。
『清貧の思想』の中野孝次さん死去。『清貧〜』ベストセラー以後、我が家の貧乏は高邁なる意志をもった清貧かと思ってくれる人もいるのだが、うちは「ただの赤貧」。
新聞配達所から無料配布される「招待券」をもらって、美術館博物館めぐりをするのが唯一の楽しみ、という親子です。

ポカポカ春庭の「いろいろあらーな」メールいろいろ(1)
at 2004 07/27 08:30 編集
「いろいろあらーな」にご意見、感想、質問などお寄せいただき、ありがとうございます。いただいたメールと春庭返信から、転載御承諾得た分を公開させていただきます。
===============
2004年6月23日 5:47 ドクターNからの「赤貧」への感想ご意見。
「赤貧」という話題で思い出すことが二つあります。
一つはマルクスのことです。資本論の執筆に没頭するあまり、家族を養うことすらできず、こどもたちも次々になくなっていく生活を続けながら、なお(エンゲルスの援助を仰ぎながら)手伝いを雇い、あまつさえ彼女を妊娠までさせたマルクスの実像というのは、果たして社会主義者の理想像なのかどうか。時々考えてしまいます。
もう一つは井上ひさし氏のことです。かれは自分の家庭のごたごたをヒントに「泣き虫 なまいき 石川啄木」という戯曲を書いています。
私は自らを石川啄木に仮託したらしい彼の視線が、家父長主義にみちみちているという印象を受けました。私の嫌いな井上作品のトップです。
右から左までしかしこの「大家」の悪口を言う人間がいないことが不思議なことだと思っています。
2004年6月26日 14:38 N先生へ
マルクスや井上ひさしへの批判について
『エミール』で知られるルソーが、女中に生ませた自分の子どもを孤児院に投げ込むなどの生活をおくりながら、教育論を書いたこととならんで、マルクスの態度も決して受け入れられるものではありません。
しかし、やはりルソーやマルクスが世界の思想に与えた影響は偉大なものだったと思
うのです。確実に全人類に寄与したと思います。
井上ひさしについても、前夫人へのDVについて暴露本が出版されるなどがありました。しかしながら、それでもなお彼の作品には、すぐれたものがあり、読む価値があると思っています。
『人間合格』『頭痛肩こり樋口一葉』などの近代文学者シリーズも好きな作品のひとつですが、『泣き虫生意気石川啄木』は未読です。これから読みたいと思っています。
以前、私がネットのエッセイで森鴎外について書いたあと、「鴎外は軍医として、かっけ医療に失敗したので、評価できない」という批判を受けたことがありました。
もちろん私も、軍医としての鴎外の経歴は承知しています。しかし、軍医として陸軍兵士のかっけを救うことができなかったことと、鴎外の作品への評価は別と思うのです。
また、永山則夫が文学者の団体に加入しようとしたとき、その会は「殺人を犯した人を文筆の会にいれるわけにはいかない」という声明をだして、彼の加入を拒否しました。それ以来、私はこの団体を信用していません。
永山則夫が小説を書き始める以前に、連続殺人という犯罪を犯したことは事実です。が、彼の文学を「殺人者が書いたから」という理由で葬り去ることもできないし、小説執筆者としての彼を否定することもできないと考えています。
フランスで殺人を犯しながら罪を逃れた佐川某と異なり、永山は死刑という罰に服し罪を償いました。
自分の作品の印税を遺族やペルーの孤児の教育に捧げたからといって、永山に殺された人の遺族がどれだけ心を納得させたのかはわかりませんし、死刑が執行されたあと、納得できたのかわかりません。
しかし、もろもろのことすべてを考えて、彼の作品の中の真摯さは、疑うことができません。
以上、作品と著者の生き方について、私の覚え書きです。このテーマについては、もっと深く考えていかなければならない問題だと思っています。
<メールいろいろ続く>
ポカポカ春庭の「いろいろあらーな」メールいろいろ(2)
at 2004 07/28 08:35 編集
某T氏からのメール 件名 : アジサイ色の話に感動 日時 : 2004年7月20日
19:52
こんばんは。
さて、最近のアジサイ話シリーズ(?)、面白かったよ。とっても。
見慣れた紫陽花という漢字が、実は見慣れたアジサイを指していないかも知れない、という話だけでも、歴史の裏話的で、楽しかった。
疑問にも思っていなかったものね。アジサイ=紫陽花だと。この文章読んで、白居易が見た花は違うものかも知れない、というのだけで、何だか、楽しくなってしまった。
いかに自分が固定観念で生きているのかを改めて知ったし(爆)。
解説に「気の香る」花とあったけれど、もう、その段階で、わたしとしてはアジサイ説は却下(笑)。昔のアジサイには香りがあったなんて実証でもされない限り、無理っぽい(笑)。
「芳麗」とあるからには、香りのことなんだろうしねぇ。日本語的に、「香り立つような気品」なんて表現には使わんのでしょ?これ。例えその意味があったとしても、あのアジサイから気品というのも・・・。 一発・あやめとかの類なら分からん気もせんのだけど。
まあ、そんな風に色々想像できて面白かったっす。続きも楽しみ。ではー。
送信者: 春庭 件名 : Re: アジサイ色の話に感動 日時 : 2004年7月21日 23:43
某Tさま アジサイへの感想ありがとう!
結論がショボクなり、いつもの「みんなちがってみんないい。みすず!!」教室の壁の標語になっちまいましたが、書いているうちは楽しかった。
もともとは、陳舜臣が朝日新聞に連載しているエッセイにケチつけようと書き始めたの。
「香り高い」っていうからには、アジサイじゃなくてライラックだろうと推察したあたりは、「まあ、すばらしい新説!学会発表でもしたろかしら」と、思っていたのだけれど、念のために検索してみたら、ライラック説はすでに存在していて、「学会へ新説かかげて殴り込み」は、あえなくポシャリました。
HAL推理は、所詮そんなもんです。
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もんじゃ(文蛇)の足跡
「アジサイ色いろ」は、6月5日に「飛鳥の小径」を歩いたあと、6月7日に陳舜臣氏のエッセイを読んで、陳氏へ反論したいと書き始めた。「みだれ髪いろいろ」が6月16日に完結した次に掲載するつもりで書き上げた。
しかし、関連する話題の「与謝野晶子と石川啄木の交流」を続けて書いておこうと思い、こちらを先に掲載したところ、啄木貧乏話「赤貧」が思った以上に長くなった。
「赤心」「茶色」を参院選の前に掲載したいと思ったので、「アジサイ」は7月の掲載になった。
飛鳥の小径を歩いた6月5日からは、日数がたってしまったので、山の中の病院へ見舞いにいったときにみたアジサイの話を追加。
しかし、掲載が遅れたこと、ちょっと後悔。なぜなら、湯浅浩史『植物ごよみ』が発行され、奥付は6月25日。「紫陽花ライラック説」も、載っている。
同じことなら、植物学者の「植物だより」より、先に掲載しておくんだった。
私は私の感覚で考えたのだけれど、江戸時代の末には「紫陽花はアジサイじゃない」という説がだされていたそうだし、牧野博士の「中国にアジサイは咲いていなかった」説もかなり早くからだされていたようだ。
だから、私の「紫陽花はアジサイじゃない」説は、六日の菖蒲十日の菊、7月のアジサイ話。
だが、それにしても、素人のライラック説、植物学者より先に掲載しておきたかった。文章が下手なうえに出遅れたのでは、何もいいところがなくなるじゃありませんか。
これもあれも、「赤貧暮らし」を恨めしく思うあまり、「赤貧」を書くのに力が入って長引いたせいだ。
赤貧撲滅!社会の富は平等に。あなたの余剰は春庭に!今月も電気代があやうい!
ポカポカ春庭の「いろいろあらーな」メールいろいろ(3)
at 2004 07/29 09:09 編集
2004/07/04 09:25:28 a****さんからの質問
「半夏生(はんげしょう)」ってなにか意味がありますか?
2004/07/04 10:05:56 a****さんへメール返信、「半夏生」の説明、。
「半夏生」とは太陽の黄経が 100 度になる日。
夏至を「1」として 11 日目(7 月 2 日頃)。2004年は、閏年なので、夏至6月21日。この日を「1」とすると、「11日目」は7月1日。
私が使用している歳時記の半夏生の説明は
「夏至から11日目の7月2日ごろ。この日の天候によって稲作を占う。
地方ごとにさまざまな言い伝えや風習があり、半夏生の日に雨が降れば夏の間大雨が続く、なども言い伝えられてきた。」
また、別の説。
“半夏”という漢方薬、カラスビシャク(烏柄杓)からとれるものをいう。
半夏(ハンゲ別名カラスビシャク)という毒草の生えてくる時期なので、半夏生という。
カラスビシャクは、ドクダミと近い種類。毒の成分を含むが、それを利用して漢方薬になる。
カラスビシャクが生じる頃の季節を「半夏生」という。
半夏生の季節に生えてくるから「半夏」という植物名がついた、という説と、「半夏」という植物が生えてくる季節だから半夏生という季節の名に成ったという説と両方があり、にわとりが先か、卵が先か、みたいなことになっています。
「赤貧(12)」にわかりにくいことを書いてしまい、もうしわけありませんでした。
しかしながら、辞書や植物図鑑の説明もまたわかりにくいもので、私にもどちらが先なのか、わからないままです。ごめんなさい。説明になっていなくて。<メールいろいろ続く>
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もんじゃ(文蛇)の足跡:
皆様から、メールや足跡の感想をいただき、とても感謝しています。
その時々に心に浮かんだ疑問や感じたことを書き留めていく「いろいろあらーな」だから、たとえ読んでくれる人がいなくても、細々と書き続けていこうと思ってはいますが、感想質問など反響をいただけると、ほんとうにうれしい。
いつも書いているように「人それぞれ」だから、いただく感想は、私と同じ意見とは限らないし、ときには厳しい反論を受けることもある。どのような感想でも、反響をもらうことは、とてもありがたく、書き続けるための励みになります。
ことばには、「表出」の機能と「伝達」の機能があり、日記は本来は「表出」を目的としているものですが、こうしてネットに載せるからには、伝達の意図もあることは確か。ネット日記は、コミュニケーションを求めている「表出」。日記を通じてコミュニケーションができたら、一石二鳥でありがたい。
これからも、皆様からの反響を楽しみにして書き続けていこうと思います。しかしながら、せっかく足跡で感想をお寄せいただいたのに、足跡は留守中に目を通せないので、読まないうちに消えてしまうことがあります。一行ひとことの感想でもけっこうですので、ミニメールをいただければ幸いです。
たとえば、「2004/07/22 10:43 norden51 わたし色とは何と味のある発想でしょう、旨いですね* 」という足跡をいただきました。「集真藍(アジサイ)や株ごとの色 わたし色」という足跡への返信です。
結社もサークルも師匠もなく、ヘタの横好きで五七五並べているだけの春庭駄句ですが、このようにほめていただければ、たちまち元気づき「ようし、駄句ダクざくざくと作るゾ」と、張り切ります。
しかし、この日はたまたま足跡を日中に目にすることができたのですが、ふだんですと、夕方、帰宅後に足跡をみると、午前、午後の分は消えていることが多いのです。せっかく書いていただいたのに、読むこともできないなんて残念しごく。
定型の足跡もありがたく受けておりますが、定型外のことばを書いていただけるのでしたら、ぜひ、ミニメール、または「話しことばの通い路メール」で。
熱く長々でも、短く一行でも大歓迎!
ポカポカ春庭の「いろいろあらーな」メールいろいろ(4)
at 2004 07/30 07:50 編集
2004/07/24 10:52 wxm68971 百円の茶碗にも物としての命がある
wさん、「唐三彩」への感想足跡ありがとうございました。
wさんのおっしゃるとおりですね。
我が家の食器、ほとんどは百円ショップや陶器市安売りものなんですが、けっこう愛着をもちながら長々とつかっているんですよ。物の命を十分に使い切った、と思えるまで使っています。
貧乏だと、子どもたちも物を大切に使い、古くなったもの、着られないような服もなかなか整理する決意をしないので、古いものがたまり、せまい2DKがますます物置のようになっています。
命のたいせつさは、物でも動物でももちろん人でも、かけがえのない大切なもの。
たった一人の出稼ぎ労働者の命を守るために、フィリピン軍をイラクから撤退させた大統領に、アメリカは非難を浴びせています。一度テロリストの要求を飲むと、つぎづぎに同じ要求が出されるだろうというのです。
でも、「01.09.11のアメリカ同時多発テロには、数々の防止策があった。テロを未然に防ぐ機会があったにもかかわらず、それを怠って放置し、FBIとCIAの構造的な欠陥や失策にもテロを招いた原因がある」という9.11テロ最終報告を読むと、アメリカの「身から出た錆」に、同盟国がつきあわされ、ふりまわされているだけのような気がしてきます。
今回の措置は、次期フィリピン大統領選に向けた人気稼ぎポーズという評もありますが、たとえ次期大統領として当選しないとしても、あえて軍撤収決定を下し一労働者の命を守ったた大統領として、記憶に残るだろうと思います。
ひとりの出稼ぎ労働者も大切な命。百円ショップの茶碗にも物の命。
この夏は、暑さの中で、ものの命、人の命を考える夏になりそうです。
wxm68971さんも、くれぐれも御身おたいせつに。
<メールいろいろ終わり>

ポカポカ春庭の「いろいろあらーな」夏色に命輝く(1)
at 2004 07/31 10:20 編集
記録的な暑さだった7月がおわる。7月中、連日の真夏日。7月20日土用の入りに東京は39.5度の猛暑を記録。また夜になっても30度以下にならない「超熱帯夜」もあった。
天文学上では夏至から秋分の日までを「夏」というが、季語や暦のうえでは、5月の立夏から8月はじめの立秋までが夏。今は、移り変わりの「土用」にあたる。
次の季節への移り変わりの時期が土用なので、春夏秋冬それぞれに土用があるのだが、現代では、特に今の時期を「土用」として特別に意識する。体力的にも、農作業でも、一番たいへんな時期だからだろう。
夏を乗り切る力を得るために、土用丑の日にはうなぎを食べるのが恒例になっている人も多い。私は7月21日丑の日に食べなかったので、8月2日の「二の丑」にでも。
万葉集編者大伴家持が、痩せた年寄りにあてた歌に、「石麻呂爾我物申夏痩爾吉跡云物曾武奈伎取食』(石麻呂に われ物申す 夏痩せに 吉と云うものぞ うなぎとり召せ)」と書き送ったのをみても、昔からうなぎは夏やせに効く栄養食だったのだろう。
8月7日に立秋。暦の上では夏もあと1週間。といっても、秋がくる実感はない。まだまだ暑さが続く。
暑さのなか、さまざまな色が鮮やかに夏らしさを彩る。
色にまつわる言葉の中で、「夏色」は、まだ手持ちに辞書にものっていないし、もちろん私が30年も使っている古い歳時記(1950年初版1973改版の角川)には入っていない。新しい感覚で季語を採用している「東京ヘプバーン」あたりでは、季語になっているのかもしれないが。
Jポップ、歌謡曲の世界では、ゆず「夏色(北川悠仁 作詩)」や、チューリップ「夏色のおもいで(松本隆 作詩)」などがあって、若い人のあいだでは、あるイメージがうかぶことばになっている。
「夏色の思い出」の中では、夏色は「淡い青」が溶けたような瞳の中の海の色。
♪ 君の眼を見ていると/海を思い出すんだ/淡い青が溶けて/何故か悲しくなるんだ、、、、♪
ゆずの「夏色」では、海も空も染める大きな夕焼けの色だったり、線香花火の色だったり。
♪ 大きな五時半の夕やけ/子供の頃と同じように/海も空も雲も僕等でさえも/染めてゆくから、、、、♪
♪ この細い細いうら道を抜けて/誰もいない大きな夜の海見ながら/線香花火に二人で ゆっくりゆっくり火をつける、、、、、♪
「夏色」ときいて思い浮かべる色はどんな色だろうか。海の色、空の色、太陽の色、麦わら帽子の色、熟したトマトの色、ヒマワリ畑の色、線香花火の色、、、、、。それぞれの夏色。
夏色に命輝く思い出の麦わら帽子トマト向日葵(春庭)
<夏色つづく>



