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Workshop for Nipponianippon Communicative Language& Culture Studies
話しことばの通い路

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おい老い笈の小文2003年11月b
 おい老い笈の小文目次 
 2003年9月〜12月
 
 いろいろあらーな目次
 2004年4月〜12月
 いろいろあらーな目次
2005年1月〜


おい老い笈の小文2003/11中旬  読んだ本の思い出とつれづれ昔語り日記 

日付1 タイトル 今日の一冊 著者
2003
11/11
あと15年修行したら 洟をたらした神 (よ)吉野せい
11/12 愛人でいいのと歌う歌手がいて 日本外史 (ら)頼山陽
11/13 身勢打鈴・昔の名前で出ています 砧をうつ女 (り)李 恢成
11/15 英語コンプレックス ハーレムの熱い日々 (る)吉田ルイ子
11/17 ラブレターはみそひと文字で 恋文 (れ)連城三樹彦
11/18 いろは歌留多、上毛かるた 上毛かるた (ろ)労農、船津傳治平
11/19 埋もれた日本ディスカバージャパン 埋もれた日本 (わ)和辻哲郎
11/20 「をんなとおんな」みんな違ってみんないい (を)

あと15年修行したら、、、
at 2003 11/11 06:16 編集

 9/26日にOCNカフェ日記をはじめたとき、何を書くか、まったく決めていなかった。

 本宅「話しことばの通い路」HPの「女の日記50年分全公開」のコンテンツ。読んだ本の感想、映画の感想、日本語教師の教室日誌、日常生活の記録、ニュースへのコメント。これらは、すでに書いている。コンテンツが重ならないよう、別の角度をどこから開くか。

 10歳からの日記を持っていることが私の財産。1977年の分から、読書メモも残っている。だが、1977年以前の読書記録が残っていない。思い出す本、忘れた本。そうだ、本を思い出そう。老化の脳を活性化する。

 たまたま、9/25が、21世紀になって千日目にあたったので、次の二千日目に向かって、「千日千冊」と題して、本をめぐって思い出話を書くことにした。タイトルは松岡正剛『千夜千冊』のもじり。

 知の巨匠松岡正剛の「千夜千冊」がすでに890冊に達している。高くそびえるソフィアの巨峰を経巡って、知の千日回峯を達成しようとしていること、賛仰の目で読んできた。一冊一冊の本に対してほんとうに優れた評論が続く。正剛のまねなんか、しようとは思わない。とても常人にできることではない。

 私ができることは、自分語りしかない。でも、それでいいじゃないか。本について、本格的に書評や評論を書く人は、たくさんいる。しかし、私について語れる人は私しかいない。
 だれも、おまえになど興味を持ちはしない。おまえ自身のことを書いたところで、誰の興味もひかず、誰も読みはしない。そんなことはわかっている。自己満足でかまやしない。

 私にとって私自身について書いておくことが、今、今日の私の生を支えるために必要なのだ。ともすればくじけそうになり、くずおれようとする自分自身の老いに向かう心を奮い立たせるカンフル剤として、今、書くことが必要なのだ。書かなくちゃ。

 長年ひとりの殻にとじこもり、誰にも本音を話したことがなかった。つもりにつもった思いを全部吐き出してしまおう。

 9/25の夜、ファンだった有馬秀子さんが101歳で亡くなった。残念だったが、そのニュースを聞きながら「老いに向かう心の冬支度」をテーマにしようと思い立った。

 マクラに、「高齢者ニュース」を振る。そのときどきのテレビ新聞から拾った、お年寄りが主人公のニュースから話を始める。ニュースにまつわる話題と、あいうえお順に著者を並べた本の思い出をリンクさせる。

 うまくリンクできるかどうか、ここは私の芸人魂。文の芸で生きようと思った若い時代の夢を押し込み、子育てと子供のパンを買う金稼ぎに専念してきた20年。芸人に戻れるか。

 若い頃、原稿料を稼ぐ暮らしをはじめてみたものの、子育てと両立できない自分にいらだった。取材に出るにも原稿あげるにも、誰の助けもない育児家事の中で、思うようには書けなかった。原稿料だけでは生活できないし、一日一日と子供は背に重くなる。書きたい。仕事を続けたい。ようやくつかんだチャンスなのに。やっと原稿料もらえたのに。挫折。
 子供が成人するまでは、子供を育てて生きていこう。ペンは机にしまい込んだ。

 20年間、いい母親じゃなかったけれど、なんとか娘は大学生、息子は中学生まで成長。
 中学教師からのイジメを受けた娘の不登校など、つらい時期もあった。でも、二十歳をすぎれば、もう親の手はいらない。

 やっと、自分のやりたいことができるまで、あと一歩、目前に。書きたい書きたい書きたい。へたの横好き、自己満足。いいじゃない。だれに迷惑もかけないで、やれることならやっていこう。

☆☆☆☆☆☆
春庭千日千冊 今日の一冊No.44
(よ)吉野せい『洟をたらした神』
 吉野せいが、『洟をたらした神』で、大宅壮一賞、田村俊子賞を受賞したとき75歳。
 70歳で執筆をはじめてから、5年目のことだった。それから2年、77歳で没するまで、せいは作家として生きた。

 結婚以来50年に及び、農婦として農作業子育てに生きた吉野せい。晩年の数年を「書くことのできる喜び」の中ですごした。

 せいは、女学校へ行けなかった。高等小学校が最終学歴。独学。検定試験で教員免許を得て、小学校教師になった。夢に燃えた教師生活だったが、2年教えたあと退職。小作開拓農民三野混沌(吉野義也)と結婚後は、農婦として生きた。

 6人の子を育て、労働運動農民運動に飛び回る夫に代わって、田畑耕作と子育てをひとりでこなした。70歳すぎ、子供も成人した後に、昔の思い出を書き始めた。ぽつぽつと、思い出すまま少しずつ。

 なんてすごい一生だろう。つらい開拓農民の暮らし。食べるものにもこと欠く生活の中で、栄養もなく生まれた子供が死んでしまう。戦中戦後、どの人だってつらい生活だったけど、中でも開拓農家の暮らしは辛酸を極めた。

 それなのに、70歳の年を迎えてようやく書き出したせいの文章の、なんとみずみずしくうるおって、生きることの光りに充ち満ちていることだろう。

 書かれている内容は悲しいことも多い。私が好きな「梨花」というエッセイも、生まれてたった六ヶ月で、儚く死んだ赤ん坊の思い出話だ。

 笑顔のかわいい赤ん坊梨花は、小さな身体を小さな箱に収めて、開拓地の冷たい土の中に消えてしまった。

 だが、梨花を死なせた若い母は、40年の歳月を経たのちになって、赤ん坊の姿を書き留める。土にまみれて働く母の胸にだかれた赤ん坊梨花の姿は、永遠の光りになって私たちに降り注ぐ。

 『梨花とは父親が名付けたよく似合う名前であった。おまえのその静かさとやわらかい笑みとは、いつも生活苦のために苛立ちあれている私の心をなごませてくれた。おまえを見るときのみ私の顔はしわみ、私の声はうるおうた。

 「リーコリーコ、よしよし」ひびと土とにがさがさな私の手は、重いおまえのからだをどんなにも嬉しく支えたことか。そしてその支えられた手の上で、垢によごれた綿入れの中からふっくりした白い顔をだして、おまえはどんなに可愛いほほえみを見せたことか。梨花よ。あの顔がみえる。』

 赤ん坊ながら母の心をなぐさめる笑顔をたやさず、そのために病気の発見がおくれた。生後半年で死なせてしまった貧しい母は、40年たってもその子の思い出を抱きしめる。せいの文を書き写しながら、私は涙が止まらない。

 このように、このように私は生きたい。書いていきたい。70歳まで、あと15年ある。15年ひたむきに修行をつめば、このような美しい文章を書き残せるだろうか。

 たぶん、15年たっても、私が書くものは、今と同じくがさつで下世話な与太話だろう。人間の出来が違うから。

 多くは望まない。もう少しよい人間になって、もう少し優しい人間になって、人の心に寄り添える、あたたかさを身につけられたら、今よりも少しはましな文を書きたい。

 だけどね。やっぱり私はヨタ与太です。同僚に教わって大笑いした川柳がある。
 私のことを書いたのかしらと思った川柳。

 「お隣を許せず世界平和願う」
 ハハハ!私もね。世界平和を望んでイラク派兵に反対だけど、公団アパートの同じ階のだれかさんに我慢ならない。

 うちが廊下に出しておく生協の箱をじゃまにして、いつもけっ飛ばして行く人がいるの。そりゃ、廊下に出しとくうちも悪いけどね、オタクだって自転車その他を廊下にだしているじゃないの。

 いつも心では「もう少しでもいい人に」と思うのに、やってることは馬鹿ばかり。人をうらやみ、ねたみそねみ。友の出世をうらやんだり、同僚がポストを得たと知ってひがんだり。

 でも、こんな春庭を「ねたみそねみ仲間」として、つまはじきしないで迎えてくれるウェブ友もいる。このページのみょうがさん、http://www1.odn.ne.jp/~caa33030/myo.htm はるにわを「ねたみそねみ」つながりとして認めてくれました。

 愚痴をこぼして、ねたんでそねんで、それでも私は私。洟たらしながら、蘊蓄たれでもやっていこう。


愛人でいいのと歌う歌手がいて
at 2003 11/12 13:25 編集

 足跡を辿っていくと、カフェの中には、俳句や短歌を趣味とする人が多い。春庭も駄句戯れ歌が好きなので、短歌や俳句が好きな方へは、できるだけ歌や句の足跡をつけるようにしている。いつも、オバカな句や歌でごめんなさい。

 11/07の「シニア海外協力隊」の「外国語は恋人に教わろう」という話には、「海外ミステリー」さんから
2003/11/09 21:16 mysteries 恋人相手じゃ他のお勉強のほうがもっぱらになりそう・笑
という足跡感想をいただいたので、
2003/11/09 23:45 haruniwa 恋人に英語を教わる気だったが、48手を習う毎日
という足跡レスを返歌。おりかえしのお返事は、「やってられねぇ」でした。すみませんね。ヨタばかりで。

 でも、笑っていただけることが一番の励み。文のお笑い芸人をめざして修行中なのに、いつもスベッてばかりで、壺をはずしっぱなし。

 冬にむかって、これ以上の寒〜いギャクは顰蹙を買いそうですが、どうぞ皆様、春庭に顰蹙売ってください。高価買い入れ中。(ネットオークション)

 賛否両論はあろうが、『サラダ記念日』出現は、日本の短詩文芸の歴史にひとつの画期的な事件となった。

 「この味がいいねと君が言ったから七月六日はサラダ記念日」筒井康隆パロディ「この柄がいいねとスケが言ったから七月六日はカラダ記念日」(ヤクザがいれずみを女に誉められて、のココロ)

 春庭パロディ「この縮れいいねとレヴィくん言ったから七月六日はソバージュ記念日」(レヴィ・ストロースのパンセソバージュ「野生の思考」と、何にも考えていそうもない、原宿野生の山姥娘のソバージュパーマネントウェイブの掛詞なんですよぅ。下手な戯れ歌、いつも自分ひとりで受けているハメになるので、自作パロディを自分で解説する春庭でした。)

 こんなふうにいくらでも増殖。無限にパロディが生み出されてしまう、口語短歌。われもわれもとサラダ短歌が続出した。

 「嫁さんになれよだなんてカンチューハイ二本で言ってしまっていいの」と、詠んだマチちゃんも、今や40歳。まもなく未婚の母になる予定。(10/21報道)

 私としては、勝手な言いぐさですが、駆け込みできちゃった婚とかはしないでほうがいいと思うよ。できちゃった婚の末路を、ようく知っているある人からのご忠告。(ちなみに、あむろちゃんからじゃありません)

 ここはひとつツッパッて、未婚の母で突き進んで欲しい。まちちゃんの短歌にあるように「愛人でいいのと歌う歌手がいて、言ってくれるじゃないのと思う」あれを貫いて欲しいなあ。「言ってくれるじゃないの」と人様に思われることを言わなくちゃね。一般人じゃなくて、文部省国語審議委員だったんだから、万智先生は。

 かって女性文芸者にとって、結婚は決してよい制度ではなかった。
 結婚が自分の文学を作り上げるためにプラスになった人も勿論いる。ただし、本当に夫の存在がおのれの文学の助けになったかというと、それは本人に聞いてみないとわからない。

 林芙美子のように不幸な結婚生活をばねにして文学を大成させた人もいるし。
 宇野千代のように、何度も結婚相手を変え、男の持つ教養すべてを吸い取り、自分の文学の糧にした人もいる。しかも離婚後も元夫を自分の崇拝者として侍らせておいて、99歳で「私、なんだか死なないような気がするんです」と、のたまう。もって見習うべし。

 文壇で夫婦仲良く文芸大成のカップルは、津村節子吉村昭夫妻くらいだろうか。曾野綾子三浦朱門は、妻の文学はともかく、夫のほうは大成したのかどうか。文化庁長官をやってからどうもね。
 牧羊子開高健夫妻。う〜ん、妻は小説家じゃないしな。現代では、小池真理子藤田宜永は夫婦で直木賞受賞。

 女性作家にとって、理想の夫婦関係は三浦綾子光世夫妻だろうか。夫は妻を支え妻が作品を生み出すことを生き甲斐として尽くした。
 
 結婚制度に足をとられ、文学への夢を断った女性作家も多い。そして、文学への夢断たれるのみならず、心を病むひと、命断たざるを得ないまでに追いつめられた人も。

 独身を貫いた一葉に「結婚できてうらやましい」と、日記に書かしめた明治の女流作家、田沢稲舟。
 作品を発表しはじめたときは、樋口一葉以上の評価を得ながら、結婚によって死へと向かった。一葉の高名に比べ、今では明治女性文学史研究者でもなければ作品を読まず、その存在を知っているのは、地元の郷土文芸愛好家くらい。

 明治文壇随一の美男、山田美妙(硯友社、言文一致仕掛け人のひとり)の夫人となったが、幸福の絶頂にいたのは、ほんの短い期間。すぐに美妙の女癖の悪さに泣かされ、ぼろぼろになった。
 実家に逃げ戻って自殺。代表作『五大堂』は、青空文庫で読めます。

 江口きちも結婚制度を乗り越えられなかった。
 愛した人は結婚の約束を口にしながら、「息子が中学校に入学するには親がそろっていないと」「息子が卒業するまでは」と、約束を踏みにじり続けた。きちは不実な愛人をなげきつつ、知的障害のある兄をかかえながら、必死で働き短歌を作り続けた。
 
 自分が死んだら誰が兄の世話をするのかと、迷っていた江口きち、最後は兄を道連れにして自殺。

 江口きちも、地元の人にしか知られていない。
(群馬県立土屋文明記念館で2001年に江口きち特集の催しを行ったので、資料が必要な人は記念館へ)

 金子みすずも、結婚生活の不幸から自殺を選んだ。しかし、みすずは今や全国区となり、地元ではみすずを「町おこし」にさえ利用している。

 女性文芸者にとって、結婚制度の中でおのれの人生と文学をまっとうするのはかくも難しい。結婚制度の枠外で「愛人でいいのと歌う」ことができるとしたら、幸福なことだ。

 愛人のまま、己の文芸を昇華させ、結婚はしないまま愛する人の執筆をも大成させた文芸者も存在した。江戸時代の漢詩詩人江馬細香。

 細香について知るには、南條範夫の小説『細香日記』を読むのが、一番てっとり早い方法。

 ただし、私は南條が描いた細香には不満がある。南條は細香を「結婚できなかった女」「頼山陽の子を身ごもり死産、という不幸にもあいながら、他の女に妻の座をとられた女」として描いているからだ。

 結婚制度の幸福を信じていた南條にとっては、細香は「妻の座を得ることができなかったかわいそうな才女」かもしれない。だが、本当に細香は妻の座がほしかったのか。結婚を望んだのか。

 残された漢詩作品を見る限りでは、私には細香が「結婚をのぞみながら妻の座を得ることができなかった女」には思えない。

 たしかに、山陽は、山陽以上に才気にあふれ、江戸の漢詩人中、第一の才能と謳われた美人の細香を愛人のままに遇した。妻には、元女中として召し使っていた女を選んだ。夫のためにこまごまと世話をする妻としては、凡庸ではあっても気のいい女がよかったのだ。

 もし、細香が山陽の妻となっていたら、どうだったか。
 日本の文芸者夫妻の中にたとえれば、高村光太郎智恵子夫妻のようになったのではないか。

 智恵子はあふれる才能を結婚生活の中に押し殺し、萎縮し摩滅させた。
 夫、光太郎は妻の精神が異常をきたすまで、家事雑事いっさいを智恵子に押しつけ、自分は詩や彫刻の制作にはげむ生活を疑ってみることもなかった。

 妻は家事をして当然と思っており、妻にも、表現の意欲や才能を発揮したいという欲望があることなど、まったく念頭になかった。

 結婚前の長沼智恵子は、平塚らいてうの「青とう」の表紙を描いていた才能ある画家だった。(平塚らいてうについては、10/24参照)

 結婚前光太郎は、智恵子の美しさとともに彼女の才気を愛したはずだ。しかし、芸術家の妻にとって、夫の制作を助けることを喜びとし、「夫が作品を仕上げること」が最優先とされた。

 自分がどんなにスケッチをしたくなっても、夫が「お茶!」と一声叫べば、七輪に火をおこし、やかんに水を汲まなければならない。智恵子はしだいに精神の平衡を失っていった。

 天才詩人にして彫刻家である芸術家光太郎。
 妻が健康なときは女中として扱い、心を病んでからは「美しい無垢の人形」のように扱って、病む智恵子の美と愛らしさを賛美する詩を残した。

 智恵子は、人形としてかわいがられたかったのではない。自分のもつ絵の才能を、思う存分生かしたかっただろうに。

 私は『智恵子抄』の詩が大好きだ。レモン哀歌も、東京にはほんたうの空がないといふ、、、も繰り返し読む。

 だが、病室で訪れる夫を待ちながら切り絵をして過ごすしかなかった智恵子の姿を思うと、思う存分絵を描かせてやりたかったと、考えてしまうのだ。

 江馬細香は、みごもった山陽の子を不幸にも死産してしまう。だが、細香が子をなしていたとしても、凛としてひとりで育てていったような気がする。

 山陽の妻として、家事に没頭し、山陽の世話にあけくれるよりは、実家で子を育てながら、漢詩文芸を大成させる方を選んだような気がする。

 現代において、法律上の結婚と事実婚の差は縮まりつつある。事実婚が昔ほどの差別を受けることが少なくなり、相続などで法的に事実婚の妻を遇する判例も出てきた。

 法的結婚をなぜ守らなければならないか。近代国家の諸制度を守るためである。なぜ近代国家の諸制度を守らなければならないか。近代産業社会の共同体は、これらの制度によって成立しているからである。

 近年の女性史研究によって、江戸時代の女性のほうが、はるかに結婚離婚の自由があったことが明らかにされている。三行半(みくだりはん)とは、「正式に夫から離別されたことを認め、再婚の自由を得る」ための保証書であった。

 留学生と家族の話をするとき、姑のことを「I have a step mother in low. 」と紹介する。「法律上の義理の母」である。
 次に夫の紹介。「Also I have a step husband in low. I am a workholick widow」と紹介すると、受ける。我が法律上の夫は、仕事と事実婚しています。

 妻の座は法的に守られているが、「座」なんてあっても仕方がない。見捨てられたまま、法律上の妻は歌い続ける。

 北の宿の冷え座布団に静座して読んでもらえぬラブレター書く

 この「座」、お尻が冷えんのよ!ほらほら、座布団一枚!(毎度おなじみのギャグですが、、、、)

 どうせ読んでもらえないんだし、これからは「♪着てはもらえぬセーターを寒さこらえて編んでます」でも、やろうか。
 昔は手編みのセーター編んでプレゼントしたこともあったのよ!あれ?あのセーターは夫にではなく、その前の、、、いや前の前の、、、はい、どれも着てはもらえぬセーターでした。

 と、冬支度。ここのところ急に寒くなったのは、春庭のサブ〜イギャグのせいだったかも。ごめんなさいね。自分だけ心も頭もぽかぽかで。

☆☆☆☆☆☆
春庭千日千冊 今日の一冊No.45
(ら)頼山陽『日本外史』

 阿〜吽で、著者名を一巡し、また一巡を繰り返そうと思ったが、好きな著者がたくさんいる行もあるし、ラ行のように、見つけるのに苦労する行もある。

 次の「リ」も、昔、李 恢成は、「り かいせい」と名乗っていたが、現在では「い ふぇそん」、リの項がなくなっちゃうから、昔の名前で出ています。(あ、これ、明日のタイトル)

 あいうえお順でとばした名前、「ぬ」の項「沼正三」はヤプー読んでないし、「ね」ねじめ正一は、1977以後に読んだのだし。あいうえお順を続けるのは難しいことがわかった。次は別のシリーズを考えることにした。

 ラ行の発音を語頭に持つ単語は、古代日本語には存在しなかった。
 辞書をひくと、語頭に「ら」があるラ行のことばは、ほとんどが外来語であることがわかるだろう。

 喇叭(らっぱ)も、羅紗(らしゃ)も外来語。「駱駝らくだ」も「海獺らっこ」も海の外から。ラ行に和語(古来からの日本の言葉)はありません。全部漢語(中国から来た語)と外来語。

 従って、人名にも、ラではじまる氏姓はほとんどない。頼のように、音読みで中国っぽくした名字になる。
 頼山陽(久太郎)の最大の著作『日本外史』原文は漢文である。全22巻。原文で全巻読んだ人がいたら、表彰してしかるべきだ。

 日本史で受験する高校生には書名暗記必需の本だし、ちょっと詳しい日本の歴史書、思想史、文学史なら、たいてい頼の名がのっている。しかし、高名でありながら、現代ではだれも原文を読まない本のひとつ。

 これを研究者、評論者としてではなく、一般読者として全文読んだと書いている人、私は松岡正剛しか知らない。もっとも、正剛も漢文をそのまま読んだのではなく、書き下し文のほうである。書き下し文だって相当なしろもの。

 私には、とても読む気になれない。はい、今回のラ行、読んだことのある「ラ」の著者がみつからなかったから、ちょっと、違反。私は正剛の書評を読んで、「読んだつもり」になっただけ。

 今年の夏休みに、ちょっとした必要があって、黄門様の水戸史観が幕末の知識人や草もうの志士たちにどのように影響を与えたか調べてみたことがある。それで、山陽の日本外史についての概略も知った。(ちょっとした必要ってね、三谷幸喜作、香取慎吾主演の関係です。単なるミーハー趣味)

 今回の話題は、だから、日本外史の中味についてではなく、外見、すなわち漢文についてである。

 中国人に言わせると、頼の漢文も含めて、日本の漢詩文はきわめて日本的であり、中国人なら絶対に書かない漢文だという。
 読んで意味はわかるが、日本人が中国人の日本語発音を「そうじゃないのことあるよ。タメタメ。パカあるよ」と、ステレオタイプに表現するような、そういう漢文だという。

 つまり、日本人の漢文は、中国人からみると、日本的に訛っている。
 すなわち、千年の間にほとんど中国的ではなくなり、日本化したということだ。

 明治の文豪、逍遥、露伴、大正の漱石鴎外はいわずもがな、昭和の荷風、戦後に下っても石川淳あたりまで、漢文教育の命脈は蕩々とながれていた。
 戦後教育も進んで、東京オリンピック前後になると、「漢文など古くさい、それより英語をなんとかせん」というかけ声は日増しに大きくなった。猫も杓子も英語えいご。

 結果、どうなったか。英語もろくろくしゃべれもせず、日本語言語文化における漢文教育の貢献はきれいさっぱり消えてなくなった。
 
 やっと最近、日本語にとって、漢字漢語の存在がどれほど大きなものだったかが、叫ばれるようになってきた。朱鷺があと「キン」と「ミドリ」の二羽だけになったとき、人々が「ニッポニアニッポン朱鷺を守れ」と、叫びだしたのと同じことである。

 まもなく、日本の言語文化から漢語漢文脈のエキスが消えてしまうだろう。ニッポニアニッポンがついに消滅したように。(2003/10月、最後の日本朱鷺キン死す)

 私が自分の「言語文化ワークショップ」を「ニッポニアニッポンことばと文化ワークショップ」と名のっているのは、ニッポニアニッポンの消滅、そして日本の言語文化の消滅をうれえる気持ちを表現している。

 春庭も、きちんとした漢文教育は受けていない。
 高校の国語の時間、週5時間のうち、3時間が現代文、1時間が古文、1時間が漢文だった。それでも週に1時間程度の漢文教育で、論語の初歩、李白杜甫くらいは読んだ。

 返り点だの黙字だのに判じ物のように頭をひねりながら読むのは苦手だったし、白文はまるで読めなかったが、書き下し文ならかろうじて意味がわかった。

 現在では、この書き下し文すら読めず、四書五経どころか、孔孟老荘から四字熟語までが、風前の灯火になっている。

 「弱肉強食」の四字熟語を知らなければ、「四字熟語というと焼肉定食しか思い浮かばない高校生」と、言っても誰も笑わない。実際に焼肉定食しか知らないからだ。

 「中年肥えやすくダイエットなりがたし」と言っても、「少年老いやすく学なりがたし」を知らない。サッカー敗戦のあと、「国破れてサントスあり」と言っても、パロディが成立しなくなってしまった。

 ニッポニアニッポンの消滅が必至のことになってから、あわてて中国から同種の朱鷺を輸入したように、日本の漢字文化が消滅したら、現代中国語でも導入するかね。

 だけど、ご注意!現代中国語では「手紙」はトイレットペーパーのことですからね。ラブレターのつもりで、うっかり美しい中国娘に「愛の手紙をください」なんていうと、同衾後必要なティッシュペーパーのことかと思われ、頬をはり倒されたりする。

 現代中国語で、愛人(アイレン)は正妻のこと。「私の愛人になってください」は、結婚申し込みだから、女性たちよ、申し込まれても怒らないように。

 さて、頼山陽の愛人に話が戻る。江馬細香は女流詩人の中で、というより、江戸時代最高の漢詩人である。その繊細な感受性を味わうことが、漢文の素養のないわれわれには、難しい。

 漢文教育をおろそかにされた私たちにとって、千年の伝統をもつ言語文化が馴染みないものになってしまったことを惜しみつつ、だからと言って、ご隠居から「どれ、ひとつ漢文訓読の手ほどきをしてあげましょう」などと、申し込まれても、あ、またの機会に、、、、。

 私にはできそうもないが、どうせ、英語ものにならないなら、あなた、ひとつ漢文へ趣味を移行しちゃどうでしょうか。
 ほら、英語やるには恋人作るのが一番と、私、言ったでしょ。あなた、どうも見ても、横文字の恋人作れそうもなさそうだし。
 
江馬細香の漢詩 「冬夜」

人静寒閨月廊転
了来書課漏声長
撥炉喜見紅猶在
又剔残灯読幾行

<読み方> 冬夜(トウヤ)
ヒト、シズかにして カンケイ ツキはロウにテンず
ショカを リョウライすれば ロウセイ ナガし
ロを カキタて ヨロコびてミる コウナオ アるを
マタ、ザントウをケズりて ヨむこと イクギョウならん。
語 釈
寒々とした婦人の部屋。 月が廊下を照らすようになった。
割り当てられた本を読む課業を続け、長い時間が経った。
炉に火種がまだ残っていた。ろうそくの芯を切る。
いったいどれほど読み続けたことであろうか。

 冬の夜、ひとり静かに書に読みふける江馬細香のほそいうなじが見える。ろうそくの芯をけずって、火をつけるまで、世の愛憎も、こまごまとした日常茶飯事もわすれて、ひとり本に没頭する。

 このように冬の夜を本に読みふけってすごした江馬細香は、「ろうそくの火を夜、長々とつけておくと、もったいないから、夜なべで繕い物をせずに、ろうそくのいらない明るいうちにすませなさい」などと、妻に小言を言ったかもしれない山陽の妻として暮らして、幸福になれたか。

 更級日記の菅原孝標女のように、本を読むことが無上の喜びだった女は、千年の昔も、江戸の大垣藩にもいたし、現代の東京にも、いるのである。

 夫にこまごまと尽くし、夫の世話を焼くことが無上の喜びである女も、それはそれで、幸福な人生であろう。お幸せなこととお喜び申し上げます。

 でも、夫の世話を焼くより本を読んでいた方が幸福だ、という女を「いやおまえは不幸な女だ」と、断じなくてもよろしくてよ。
 
 以上は、(何度も書いてしつこいが)、不在のパートナーへの「愛の手紙」でした。
 あなたへ。愛人より。

 あっ!同衾していないのだから手紙(シューシー)は、必要がなかった。(また、下ネタオチだよ)


身勢打鈴(シンセタリョン)昔の名前で出ています
at 2003 11/13 07:57 編集

 メールで質問や反響をいただけるようになった。本当にうれしい。春庭という名乗りについての質問もいくつか。のちほどまとめてメール紹介もするつもりだ。

 書き始めたとき、娘と息子に「誰にも読まれないだろうけど、自己満足で書いていけばいいさ。でも、必ず子供のプライバシーを守ってね。お母さんのページの中に書かれている子供のことが私のことだって、絶対にクラスメートとかに、わからないように気をつけて」と、釘をさされた。

 子供のことがなければ、本名で書いても私はかまわない。
 しかし、小説でなく、エッセイやリアル日記として書いているので、子供やその他の日記に登場する人のプライバシーは尊重しなければならない。子供は親の持ち物ではなく、別人格なのだから。
 それでハンドルネームやIDネームを用いている。

 OCNカフェではIDネームを使う。私は本宅の「ウェブログハウス春庭」の別棟AnnexをOCNカフェに建てたので、春庭と名乗っている。

 ただし、本宅のHAL−niwaという表記でなく、ローマ字でharuniwa。英数半角文字のみ使用できるので、ハイフンと大文字が使えなかった。

 本宅のウェブログハウス春庭は、本居宣長の息子春庭からとった。もうひとつ『2001年宇宙の旅』に出てくるコンピュータHALとの掛詞にするため、HAL-niwaという表記にしている。

 そのほか、あちこちの掲示板に書き込むたびに、いろいろなハンドルネームを使い分ける。いちばん多くつかっているのは、「話しことばの通い路」サイト「フリースペースちえのわ」に使用している「ちえのわ」ハンドル。

 つまり、春庭と、知恵の輪という二つの名があり、姓が春庭、名がちえのわ、あざながトキ。ちえのわ日記のなかでは「トキ=ニッポニアニッポン」と名乗っている。

 作家の中には、本名を使う人もいるが、多くはペンネームを用いる。太宰治のように作家名と同じくらい本名津島修司がよく知られている人もいるし、いくつかのペンネームを使い分けて、純文学、推理小説、ポルノ小説などを書き分ける人もいる。

 芸能界では、途中で芸名を改名するひとも多い。
 五木ひろしは、1965年(17歳)「松山まさる」の芸名でデビュー1967年(19歳)「一条英一」 に改名・再デビュー1969年(21歳)「三谷謙」に改名・再々デビュー1971年(23歳)「五木ひろし」に改名・再々々デビューと、何度も名を変えた。
 一、三、五、と奇数なので、次は「七五三 一九(なごみ かずひさ)」なんてどうだろうか。

 ユーミン荒井由美が、松任谷由実と改名したのは、結婚によって夫の姓に変えたため。
 樹木希林のように、元の芸名悠木千帆をオークションで売りに出してしまい、そのため新しい名をつけた、という人もいる。人の名を買ってどうするんだろうと思ったが、買い手は、自分のブティックのブランド名に使用するために競り落としたのだという。

 日本語のクラスで一番最初の授業は教師も学生も緊張する。
 緊張をほぐす一番いい方法のひとつは、出来る限り早く名前を覚えて、学生の名を呼ぶことだ。

 若い頃は記憶力が今よりはよかったから、4クラス5クラス分、200名くらいの名前と顔が1週間のうちに一致するよう努力した。

 今は記憶力が衰えた上、留学生の名が、日本人には発音しにくい名前だと間違えてしまうことも多い。
 また、おなじような名が二つ並んでいると、取り違えることもある。

 留学生のクラスで気をつけること。学生がこう読んで欲しいという名で呼ぶこと。
 タイの学生は、本名のほかに、日常生活で友だちや家族とすごすときに用いる「呼び名」を持っていることが多く、たいていはこの呼び名のほうを希望する。名簿にある名前とちがうので、最初はまちがえてしまう。

 韓国の学生にも気をつかう。日本の漢字音で読むのを嫌う人が多い。過去の不幸な時代の創氏改名によって、日本名を強制されたことについての暗い記憶がよみがえる。

 いまだに、「仕事を欲しい人が、日本名を自分から望んだのだ」などと発言する政治家もいる。麻生某氏には、これから先、阿呆氏という名に創氏改名をお勧めしたい。選挙のために票をほしい人が、覚えてもらいやすい名を自分から望んだらいかがと。

 韓国の学生が「私はイです」というなら、李さんは「イ」と呼べばいいし、「林」さんが「イムです」と名乗ったら、イムさんと呼べばいい。文さんはムンさん。

 ただし、中国の学生は「日本の呼び方でいいです」と言う人が多い。これは中国内でも、地方によって発音がことなり、土地によって同じ漢字名の呼び方が異なるためだ。

 陳さんは、チンとよぶ地方もあれば、チェンと発音する地方もある。学生は生まれ故郷から、州都の大学に出たとき、別の発音で呼ばれ、北京に行ったらまた別の発音で呼ばれるという経験をしてきている。
 日本では「日本の呼び方」でいいと考える。林さんに、「リンさんと呼びましょうか、それとも?」とたずねると、「ハヤシさんがいい」などと答える。その方が覚えてもらいやすいというのだ。

 それに、日本人は四声の発音ができないので、日本人が正しく発音しているつもりの呼び方が、中国人には正しく聞こえない。

 「王」さんをオウさんではなく、ワンさんと呼んでも、四声をまちがえてしまえば、正しい発音ではない。日本人が普通に「ワンさん」と発音したとき、たいていワの音が高く、ンの音が低い発音になる。しかし中国語では「王」の四声は、第二声なので、ワの音が低く、ンの音が高い上昇の発音になる。間違った発音で呼ばれるくらいなら、オウさんのほうがいい、と言うのだ。

 今年の私のクラスでは「霞」と言う名の学生が「カスミさんがいい」と言ったので、そう呼んでいる。

 要は、敬意をもって、相手の名前を尊重することだ。
 しかし、日本語教師の中にも、英米系の学生には敬意をもって接するがアジアの学生には敬意を持てないという人もいる。

 ある日本語学校で「韓国人は生意気でいやなのよね」と怒っている先生がいた。
 理由を聞くと、パスポートにLiと書いてあるから「リさん」と呼んだら「イと呼んでください」と訂正を要求されたのだという。

 英語がよくできる先生で「英米系の学生とは英語で話せるからいいけれど、中国語や韓国語はできないから、教えづらい」と話していた。「Liとパスポートにあるからリと呼んだのに、リはいやだという、まったく生意気な」と、憤慨している。

 英語がよくできる先生、じゃ、英語のKnowは、生意気じゃないのか?読みもしないKを語頭にくっつけていて、すごく生意気じゃありませんか。

 英語は高級だから、発音しない文字が入っていてもいいが、韓国語は発音しない文字をつけてはならない、とでも考えているのだろうか。

 Knightなんて、Kも、ghも発音しないのだから、もう生意気のきわみ、ぶっとばしてやればいい。ほら、そこのKnight(騎士)をぶっとばして、チェック!あ〜あ、王をとられちゃったよ。

 このように日本語教師でも、学生に対して、名前に対して態度はいろいろ。

 名前は自己認識の第一歩。名付けるという行為は、その存在を認める、ということなのだ。アイデンティティにとって、固有名は何より大事なもの。

 親が子供の成長を願ってつけた大切な名前。ひとりひとりの名前を大切にしたい。
 大好きなミュージカル『ウェストサイドストーリー』の中の歌「マリア」一目惚れをした女の子の名を呼ぶ。(春庭拙訳:メロディにのせてないので、これでは歌えない)

マリア・・・今まで聞いた中で最高に美しい音 マリア、マリア、マリア・・・
世界の中で一番美しい響き マリア、マリア、マリア・・・マリア!
マリアという名の娘に会った
すると、突然 僕にとってその名はまったくちがってきこえてきた マリア!
マリアという名の子とキスをした。キスしたとたん、僕には分かった
その名が、なんてすてきな響きになるかと!
マリア! 強くその名を呼べば音楽のよう、やさしく呼べば祈りのよう
マリア!僕はその名を呼び続ける!今まで聞いたすべての中で、一番美しいその名前を
マリア・・・

 どこにでもある平凡な名、マリア。でも恋をしたその日から、それは特別な響きになる。
祈りのように娘の名を呼び続ける。

 私もねぇ。こんな風に名前を呼んでもらいたかった。私の夫は、姑の前では、私を「うちのおくさん」と呼び、子供達の前では「かぁちゃん」と言う。
 私にも名前があるのよ。夫婦別姓法案が成立したら、「昔の名前で出ています」になろうと思うよ。

 ♪ケニアにいるときゃ、ンジョキとよばれたのぉ、中国じゃダォツンと名乗ったの。東京のクラスに戻ったその日から あなたがさがしてくれるの待つわ 昔の名前で出ています。
 探してもらおうにも、たぶん、私の名前を忘れちゃっているんじゃないかな。長いこと呼ばれていない。

☆☆☆☆☆☆
春庭千日千冊 今日の一冊No.46
(り)李 恢成『砧をうつ女』

 李恢成は、文壇デビュー時は、「り かいせい」と名乗っていたが、現在では「い ふぇそん」これも、アイデンティティのための大事なことだ。

 李恢成は1970年『伽耶子のために 』で注目され、1971年『砧をうつ女』で芥川賞を受賞した。

 最初に「砧」という言葉をきいたとき、「み吉野の 山の秋風 さ夜更けて ふるさと寒く 衣打つなり」が頭にあったから、木のつちで布地をうってつやを出す、織物の作業が思い浮かんだ。

 砧は、この作業に使う台、きぬ板の転とあるので、この「砧をうつ女」も、織り上がった布地を打って柔らかくツヤ出しているのだろうというイメージが先行した。

 だが、李恢成の「砧うつ」は、織物作業ではない。もっと日常的な洗濯ものの始末。洗濯物のしわ伸ばしをするために、火のしを使わず、重ねた服の上に布地をかぶせて、上から砧で打つ。そうするとしわが伸びる。いわばアイロンかけに当たる家事労働であった。

 また、先日みた『おばあちゃんの家』で、おばあちゃんが川で洗濯をするシーン。おばあちゃんはつちで洗濯物を打つ。あ、砧をうつ女の砧とは、このように洗濯のために水につけた布を打つこともあるのか、と思った。

 砧をうつのは、織った布を仕上げるにも行うが、それよりももっと日常的に、毎日毎日の洗濯のために打つことなのだ。

 炊事と洗濯。もっとも日常的な「家事」。女達は、洗濯をしながら、炊事をしながら、物思いにふける。過去の思い出にひたり、明日を思い煩う。

 もうひとつ、女が打ちつける物音。「身勢打鈴」は身の上話という意味。我が身を手で打ちリズムをとりながら、おのれの一生を語り続ける。

 『砧をうつ女』は、終戦直前の少年の目をとおして、朝鮮半島から日本にやってきて結婚し、子供を産み育てた母親の姿を描いている。

 少年はじっと母を見つめる。母は砧をうつ手を止めない。リズミカルに砧は動き、来し方の自分の半生を打ち出すかのように、布を打つ。

  張述伊(スエ)が没したのは、戦争が終わる十カ月前だった。「僕」はそのとき9歳だった。三十三歳で短い女の一生を終えたスエ。

 「僕」の祖母は娘の追憶にふけり、娘のことを語った。それは身勢打鈴(シンセタリヨン)という鎮魂歌。祖母は身勢打鈴を歌い続けることによって「僕」を母にまつわる伝説の継承者に育て上げた。祖母から母の身の上を聞き、「僕」が引継ぎ語っていく

 娘時代からスエは気性の勝った女だった。砧を打って一生を過ごす村の娘達とは違っていた。両親を説得し、娘は川を素足で渡った。ひとり前見て日本へ向かった。約束した三年がすぎても、両親の家に帰らなかった。炭鉱で知り合った男と所帯を持った。

 北海道へ、また樺太へ。帰郷したのは1931年、十年ぶりのふるさとだった。スエは6歳の「僕」をつれ、パラソルをさし和服を着ていた。

 スエは流れ者の夫を、安住させたいと思っていた。「どこまで流されて行くの」と言いながら、衣服を砧で気長に打っていた。

 砧を打ちながら、何を考えていたのだろう。スエは夫と喧嘩のあと、「こんな生き方耐えられない」と、家を出て行こうとした。
 「僕」は母の前に立ちはだかり、出ていこうとする母を押しとどめた。母が死んだのはそれから十カ月経ってからだ。

 スエは「砧をうつ女」などになりたくなかった。だから日本へ渡ったのだ。
 だが、娘として、母として、妻として、「砧をうつ女」にならざるを得なかった。

 親を思う娘、6人の子どもの母として。スエは結局砧を打った。流されていく夫を嘆き、結局トントン砧を打った。

 平凡な村の女になりたくない、夢や希望をもっていたい。だが、日本でもスエは夢を得られなかった。「砧をうつ女」として生きるしかなかった。

 日本で、流されるままに生きることもできただろう。しかし、スエは村を選んだ。「砧をうつ女」として生きた。

 小さな村をでることもなく、一生「砧をうつ女」として暮らすのは、村や家族のしがらみの中で生きること。自分らしい生き方を求めることなく、毎日を平凡に暮らす生き方。

 安定していて安全で、共同体に守られて。スエはそれを望まなかった。望んでいぬのに、砧を打った。とんとん打って夫を思った。トントン打ち付け子供を思った。

 茫として流されていく日常を、押しとどめようとトントン打った。力強い女の意志で、洗濯物をトントン打った。

 新屋英子ひとり芝居「身世打鈴」 は、 八十歳になる朝鮮人オモニ申英淑の身の上話。
 済州島から日本へやってきて、強制労働や屑拾いなど、過酷な人生を歩んできた在日のオモニ申英淑。80年の過酷な一生にくらべれば、春庭などはまだひよっこ。

 春庭の「笈の小文」も身勢打鈴。
 身の上話をする価値もないが、いま、私には語ることが必要なのだ。ぶっ壊れそうな日常の中、私はとんとんキーボード打つ。

 愚痴やぼやきやうらみやつらみ。女がひとりどう生きたか。「身勢打鈴」で語ってうたう。申英淑には及びもないが、上州女のひとり芝居。さあさ、語るよ。聞いておくれな。
 キーボードをば、とんとんとん。昔の名前はちえのわです。


英語コンプレックス 
at 2003 11/15 11:54 編集

 「春庭は、知ったかぶりのもの知らず」であると最初から認めている。
 そして、このサイトは「知ったかぶり」が大好きな人間が、蘊蓄たれながら自分語りをやっていると、断っているにもかかわらず、「知ったかぶりするな」という足跡をもらった。

 するなって、言われてもねぇ。「煙草が有害であることは、世界保健機構も認めている」と、いくら言っても、愛煙家が全員禁煙してくれるわけじゃないのと、同様で、、、、

 まあ、かように、人様に文を読んでもらうのは難しい、ということがわかっただけでも、足跡はありがたい。むろん、多くの温かいメッセージに、感謝し、励まされてもいる。
 
 また、日本の漢字文化が消滅しそうなことを嘆いた文(11/12)に対して 「すみません顰蹙売ります。読めない漢字多すぎ(2003/11/12 21:23)」という足跡をいただいた。
 「かんじぶんかがしょうめつしそうって、なげいているんだから、ひらがなばかりのぶんにするわけにはいかないじゃありませんか!」

 日本語母語話者の国語教育において、小学校6年間で約千字、中学高校で1000〜2000字をならう。常用漢字は約2000。常用漢字を知っていれば、一般的な全国紙が読める、ということになっている。

 日本の大学での勉学を希望する留学生は、初級で約300、中級で、初級漢字プラス300、上級では、合計2000の常用漢字と約1万語の語彙数を習得する。(コースによって違いがある。会話中心のクラスと、大学院進学予備コースではカリキュラムが異なる)

 非漢字圏の学生にとって、漢字に興味を持つかどうかが、日本語が上達するかどうかの分かれ道になることもある。

 「文字文化として、世界中で一番面白い文字だ」と、漢字大好きな学生もいて、書道を習ったりもする。また、漢字が覚えられなくて日本語をあきらめる学生もいる。留学生に対する漢字教育は本当にたいへんだ。

 漢字文化圏の中国から来た学生も「生」に、いきる、うまれる、なま、セイ、ショウ、はえる、き、、、、など、たくさんの読み方があることを知ると、「わぁ、覚えられない」という。

 たくさんの学生を見てきて、わかったこと。外国語を勉強する適性がある人もいるし、まったくない人もいる。

 自国語では、次々に優秀な論文を発表している研究者が、日本国費留学生(日本が国のお金を奨学金として給与する留学生)に選ばれたものの、日本語はまったく苦手で、留学中ずっと英語だけで通した、という例もあるし、日本語を覚えるのが楽しくてたまらず、他の専攻をまなぶつもりで留学したのだが、日本語研究に専門をシフトした、という学生もいる。

 世の中には、私のように、大の語学苦手も存在するし、どんな外国語もスイスイと覚えてしまう語学の天才という人たちがいる。

 長澤信子さんは、努力を重ねて中国語をものにした。
 主婦業のかたわら習得するのは楽ではなかったが、とにかく中国語が好きで好きで、勉強することが楽しくてたまらなかった。36歳で中国語の勉強をはじめて、4年後に「中国語通訳ガイド試験」に合格した。

 長澤信子『主婦こそ夢の自由業』は、子育て中の私にとって、ひとつの指針ともなった本である。

 長澤は、2年間秘書として働いたのち結婚。単調にも思える家事労働。報われる思い少ないまま、主婦業を続けていた。長澤を支えたのは、ひとつの夢だった。北京へ行ってみたい。中国語の通訳になりたい。

 毎日果てしなく続くように思われた主婦業も、目標を持つと「自由な時間をやりくりできる主婦業こそ、勉強にはいちばん向いている仕事」と思えるようになった。

 夢を実現するため、家事のあいまに勉強し、まず看護婦学校に入学した。手に職をつけ、自分の夢を実現するためのお金を稼ぐことが第一。

 看護婦をしながら通訳学校へ入学するお金を貯めた。通訳学校へ入学し中国語を学び、ついにあこがれの北京へ。日中国交回復前のこと、だれも見向きもしなかった中国語を学び、中国語が日本に必要になったときに通訳として活躍した。

 私は中国滞在半年の間、会話を習ったがものにならなかった。語学に強い人がほんとうにうらやましい。

 長澤さんのように中国語が上手になることはなかったが、この「主婦こそ夢の自由業」長澤方式をまねしようと思った。長澤さんは、自分がいちばんやりたいことを自分の力で実現するためにまず、看護婦という職を得た。それからやりたいことのために勉強する。

 私がこの本を読んだのは、フリーランスライターとして出かかった芽を自分でつみ取り、大学に再入学したころ。

 将来は必ず「書きたいことを書く」でも、今は確実にお金を稼いで子供にパンを与えなければ。確実に稼ぐ?いったい私にどんな仕事ができるのか。地方公務員、病院検査技師、英文タイピスト、国語教師、役者などなど、転職を重ねて、どれも中途半端に挫折してきた。

 国語教師には向かなかった。役者としては才能が不足した。英文タイピストの仕事は一番私向きではあったが「職場の花、若い女性向き」とされる仕事で、当時は子持ち女性が続けるには不向きであった。

 そんなとき、新設された日本語学科に入学した。日本語教師になって、金を稼ぐ。そして、いつかは一番したい仕事「もの書き」をめざす。 大学卒業そして大学院修了まで、8年かかった。

 日本語教師の資格は得たが、子供のパンを買うにはほど遠い賃金だった。日本語教師のほとんどは「非常勤」。
 ヒトコマいくらで時間労働を売る。とても生活できるような賃金ではない。常勤のポストを得た男性以外、女性たちは「この仕事で食べている」という人が少なかった。

 同僚女性達は「エエトコの奥様、お嬢様」たちだった。自分自身が高学歴。夫は一流企業、官僚、大学教員、の方々。「暇だけど、カルチャースクール通いも性に合わないので、ちょっと知的なお仕事をしています」という人が多かった。

 ご主人が海外赴任したとき同伴して外国に住み、現地の学校に請われて日本語を教え始めた、と言う人もいる。

 講師室はいつも温室のよう。温かい雰囲気でなごやかだったが、生活に苦しむ一般庶民とは感覚がちがう。

 美しい花のような奥様たちの中で、私はペンペン草。なずな、のようだった。温室の美しい花の中で、ペンペン草の私が雑草としてひっこぬかれず仕事を続けられたのは、花たちが余裕のある心やさしい人たちだったからだ。「なずなだって、一応植物だし、ワザワザ引っこ抜かなくてもいいじゃありませんか。オホホホ、、、」

 奥様達がヒトコマの講師料で「ちょっとお茶して帰りません?」と話しているのを横目で見ながら、私はスーパーに走る。私は、奥様方がお茶するのと同じお金で、子供の給食費もミルク代も払わなければならない。

 夫の会社はいつでも倒産寸前。出版不況の出口はない。有名どころの出版社もつぎつぎに倒産していくなか、借金を増やしながらも続けていられるだけで奇跡という零細下請け。

 雑草のような私は、講師室でも小さくなってすごした。雑草育ちに加えて、私には英語ができないというコンプレックスがある。

 この業界で英語ができるというのは、日常会話はネイティブと同じくらいにでき、論文を英語で執筆、学会発表と質疑応答を英語でこなすことができる、ということ。

 私は、ケニアで身につけたブロークンコンプリートの下町英語。
 ケニアでも上流の方々は立派なクイーンズイングリッシュを話すが、私が親しくなった人々は、下町の靴磨きやピーナツ売り。観光客相手にブロークンな英語で話す彼らとつきあううち、スワヒリ語は上達したが、英語は完全にこわれたまま。

 英語ができないことは、現在までずっとコンプレックスとなっている。時間に余裕ができたら、きちんと学んで身につけよう、と思ってはいるが、今まで時間に余裕ができた年などなかった。年中あしたの授業の準備におわれ、自転車操業である。

 英語がへただ。だが、学生は「先生はいちばん英語がへたなのに、先生の文法説明を聞くと、よく日本語がわかるようになる、なぜだろう」と、言う。それは、私が「語学が不得意で、語学に苦しんできたからだろう」と思う。

 国語教師のとき、生徒が「わからない」ということがわからなかった。自分が日常生活で話している言葉なのに、何がわからないっていうのさ。本なんて、読めば自然と意味わかるじゃないの。「生徒がどこでつまずくのか、何がわからないのか」が、わからない教師だった。国語教師として失格だった。

 今は「わからない」ということがわかる。学生が日本語の何につまずくか、どんなことに混乱してしまったかわかる。

 語学コンプレックスは今もある。でも、「英語がへただからこそ、学生には好評」という二律背反も、またよしとして、今日も私の英語はブロークン・コンプリートリィ。

 で、学生にはいつもおどしをかける。私をみなさい。英語がへた。でも、日本人みんな下手だからね。だから、日本語できないと、レストランでも注文できない、切手も買えない。さ、練習練習!
 
 どれほど、日本人にとって英会話が苦手か知らせるときに、学生に好評だった冗句。日本では有名な話だけど、留学生は毎度毎度大笑いしてくれる。

 We Japanese is not good at English conversation. Also our prime minister is not good at it. Mr. Miyazawa he can speak but other prime minister can not speak.

When Mr President Clinton came to Japan our prime minister Mori said. 「OK! I can speak English I 'd like to talk to him.」But his brain is afraid of his speech. So the brain said.「Yes yes We know you can speak it. But tomorrow please speak only ttwo talking Because we don't have enough time. 」

First please say greetings. How are you. OK? So Mr President will say I'm fine and you? You will be also fine please answer Me too! That is all. 」「OK! OK it's easy. I can say completely! Hau ah yuu! Hah aah yu. Ok!」

 Next day our prime minister said it to Mr. President Clinton Who are you?
Mr. President guess it is Japanese joke. So he answer. 「I am Hillary's husband 」
 それを聞いた我が首相は、大得意で「Me too!!」

 はい、有名な実話でした。私が英語できなくたって、当然でしょ。

 で、英語できないって嘆いた文に英語冗句つけると、また「ひんしゅくうります」という足跡がつくと思う。春庭の「顰蹙買います」順調に買い入れが進んでいるが、倉庫もいっぱいになったので、日本語をつけておく。

 私は英語ができない。私だけじゃなく、日本人のほとんどは英会話が苦手。元首相の宮沢さんは英語の使い手だったそうだが、他の首相が、英語得意という話は聞いたことがない。

 IT革命を「いっと革命」と命名した森首相も「使えない」ひとり。だが、彼はおおまじめに自分は英語が得意だと信じていた。だからクリントンが来日したとき、さしで英語でやりとりしたい、と主張した。

 側近はあわてた。どうしよう、本気で英語しゃべる気だよ。そこで側近は一計を。「すみません、クリントン側の時間がないので、あいさつだけ英語でして、あとは通訳いれます。

 あいさつは、最初、ハゥアーユー。ごきげんようお元気ですか、と言ってください。
 大統領は、アイムファイン。アンドユー。元気です。あなたは?と聞くでしょう。
 当然元気なので、私も元気、ミーツー、と答えてください。」

 「だいじょぶ、だいじょぶ。簡単じゃないか。ごきげんよう。はうあーゆ、だな。はうぅあーゆっ」

 クリントンと会見の日。自信たっぷりの我が首相は大声でクリントンに呼びかけた。
 「フーアーユー(おまえは誰だ)」

 クリントンは、日本式冗談だと解釈して余裕で答えた。「私は、ヒラリーの夫です」
 すると、首相は大得意で「ミィツゥ。私もです。」

 この日本語と上の英語を比べれば、私が日頃ごく単純な文型だけでやりくりしていることがよくわかるだろう。

☆☆☆☆☆☆
春庭千日千冊 今日の一冊No.47
(る)ルイ子(吉田ルイ子)『ハーレムの熱い日々』

 英語不得意だから、アメリカへ行ってみたいと思っても、躊躇が先立つ。
 アメリカに行くなら、ツアーでひとめぐりして、「自由の女神像見た、ホワイトハウス見た、フロリダディズニーワールドで遊んだ」という旅行ではなく、短期間でもいいから住んでみたい。
 でもそのためには、英語が、、、、と、いつまでたっても実現しない。(金もない)
 
アメリカに行くなら、観光旅行ではなく、吉田ルイ子がハーレムで過ごしたような、熱い日々をおくりたい。そうでなければ、行く甲斐もない。

 『ハーレムの熱い日々』は、写真ジャーナリスト吉田ルイ子の処女作。公民権運動真っ盛りの60年代ニューヨークで、アメリカの魂に切り込み、ハーレムの人々に寄り添った写真と文章を私たちに見せてくれた。

 ルイコは、コロンビア大学でフォトジャーナリズムを学ぶ「ハーレムからブルックリンまでよりずっと遠い、サンフランシスコくらい遠くにあるところにある東洋から来たルイコ」としてハーレムの子供たちと仲良しになり、ハーレムのふところ深く住み込んだ。

 ハーレムの子供はうたう。60年代、スラムに住むカリという7歳の黒人少女の詩である。7歳にして、自分の皮膚の色を自覚し、黒い色はすべてダメ、白は善と教えられて成長しなければならない。

 Black is Black/ I am black/ I know I am / Black do yo?/ But this world is wite(whiteの訛り)/ I'll tell you/ Wite books wite milk/ Wite dolls /Wite everythin /no Black no Black

 こんな時代に、ルイコはハーレムの人々の写真をとり、ハーレムの人々の心を伝えた。
 アメリカ、と言えば、私にとっては、『吉田ルイ子のアメリカ』であるのだ。

 私はミーハーだから、自分のあこがれの人に会うとうれしくてうれしくて、ついストーカーのようについて歩きたくなる。吉田ルイ子を見かけたのは、長倉洋海の写真展会場だった。ルイ子はさっそうと会場を見て回り、長倉と一言二言話したあと、さっと会場を出た。

 私は追いかけたかった。長年の読者としてお礼もいいたかった。「ハーレムの熱い日々」は、もちろん。「吉田ルイ子のアメリカ」「自分を探して旅に生きてます」「ぼくの肌は黒い」「サンディーノのこどもたち」「アパルトヘイトの子どもたち」「いま、アジアの子どもたちは…」「子どもは見ている」「世界おんな風土記」「女たちのアジア」

 ハーレムの子供達へ注ぐまなざしは、そのまま南アフリカやアジアの女と子供達に注がれている。

 でも、このとき、私は吉田ルイ子の後ろ姿をぼうっとあこがれの目で追うだけであきらめた。
 なぜなら、ルイ子と話し終えた長倉が一人で立っていたからだ。ルイ子さんにも声をかけたかったが、長倉と話すチャンス!マスードについて、アフガニスタンや南米のこどもたちについて、質問したいことがたくさんあった。
 ルイ子、洋海、どっちとる?このとき、私は男をとりました。バイはつらいね。

 長倉も私のあこがれの写真ジャーナリストのひとり。私はロバート・キャパはじめ、カメラをもったジャーナリストが好き。初恋の人浜崎紘一さんもジャーナリストだが、カメラが得意だったかどうかは知らない。(10/22の項)

 今、大好きな、辺見庸も自著の写真は自分で撮影。長倉洋海もフォトジャーナリスト、作家。私が惚れる男は決まったタイプなのだ。

 ついでに言ってしまえば、わが不在のパートナーも、元地方新聞記者。
 フォトジャーナリストをめざしていたが、へんな女にひっかかって挫折した。気の毒に。
 できちゃった結婚せざるを得なくなり、子供のおむつ代を稼ぐために、フォトジャーナリストをあきらめた。かわいそうな人。

 しかも、仕事をすればするほど借金がふえる会社経営をはじめたら、どっぷり足をすくわれ、泥沼から這い出せなくなっている。同情にたえない。

 それもこれも、ナイロビで道に迷った子羊を、子羊と思って道案内したのが間違いの元、
だった。子羊と思ったのは、羊の皮をかぶったヴァージニア・ウルフ。
 結婚後は(ノンヴァージニア)ウルフ!オオカミのようなオカミさん。自己主張強く、自称フェミニスト。しだいにオオカミの牙が鋭くなる。たまらんよね。こんなオオカミ。

 で、今日も私は、遠い荒野へ向かって遠吠え「ワォーン、書きたい書きたい書きたい!」
 それを聞きつけると、倒産寸前零細会社社長はフンと鼻先で笑って「ただで読んだり、ただで書いたりするやつの気が知れない」
 社長は「一字いくら」で「本」の校閲してる。読んでナンボの商売だ。

 さあ、明日も「気が知れない」作業を続けるぞ!ワォーン!!


ラブレターは、みそひと文字で
at 2003 11/17 06:48 編集

 「知ったかぶりするな」「漢字多すぎ」という足跡で、すぐシュンとなる春庭。
自分が打たれ弱く、すぐいじけてしまうという人間であることを知っていたから、これまでひきこもり生活を続けて、世間との接触を避けてきたのだ。

 春庭とは感覚が異なる文を書く人(とても上品で余裕ある奥様)から「お話の真意が伝わり難くて」という足跡をもらって、たちまちケションとしぼんでしまった。
 春庭、まだ修行中の身、文章が下手だということは承知の上でウェブにのせているのだが、それほど意味不明で、話の内容が伝わらない文なのか、、、、めげてしまった。

 「春庭の品のない文が嫌い」って人も多かろうし、「漢字が多くて感じ悪い」って人もいるだろう。

 だが、若きウェブ友・タコさんは「私の文章がわからんというヤツは、首でもくくっていなさい」と、威勢がいい。それを読むと、こちらも元気復活。そうそう。無理に分かってもらわずともよろしい!!、、、あぁ、でも、やっぱりちょっとは分かってほしいなあ。

 人それぞれ、趣味いろいろ。AVが嫌いってやつは、無理につきあわんでも、文部省選定教育記録映画を見ていればよろしい!

 あ、今、AVと聞いて『団地妻真昼のもだえ』とか、『女教師鞭の教え、もっとたたいて』なんぞというタイトルが頭に浮かんだ人、ビデオ見過ぎです。

 日本語教師がいうAVというのは、アスペクト&ヴォイス。「相と態」と、いうことですからね。
 「態」って、受動態能動態のことです。ほら、昔、受身形って習いましたね。be動詞プラス過去分詞っての。日本語だと、れるられる。

 上位になって、のしかかっていくのが能動態、その行為を受けて「あれぇ、ご無体なー」と、やられてしまうのが受動態。せめる。せめられる。のしかかる。のしかかられる。やる。やられる。ほる。ほられる。いれる。いれられる。れるれるられるれれれ、、、。

 ほら、こういうことを書くから「お話の真意が、、、」と言われてしまうのだ。この段落に真意などありません。

 わからん奴はマスでも、かいてなさい。あ、そこの君、きみ!ズボン脱がなくてよろしい。これは、最近はやりの「百マス計算」と言いまして、提唱した陰山英男さんは、百マス計算大当たりになって、本もドリルも売れに売れた。
 しかも、教務主任も教頭もすっ飛ばして二階級特進。現在は、尾道市立土堂小学校の校長先生です。公教育の学力低下問題の救世主みたいな先生です。

 ほらね。春庭って、やっぱり教育的発言が得意ですわ。みなさん、春庭の「おいおい」読んで「イミワカンネー」になったら、頭ひねってないで、百マスかいておべんきょしてね!
 そうすればあなたも二階級特進夢じゃない。いつまでたっても非情キンコーシの春庭の駄文なんか読んでないで、ほらほら、せっせと百マスかく!

 あー、また顰蹙買ったなぁ。どうも品がないね。でも、「笑いました」という足跡やメールもらうと嬉しい。

 品がないといえば、(haruniwa) 枕紙を愛の手紙という中国、メールで送って来てはくれぬか
なんていう足跡つけてまわって、
2003/11/12 21:50 bibi626 枕紙っていったいなんでしょう???
と、質問を受ける。

 だから、枕紙という古典語を使わずに、ティッシュ、と現代語で書いたのだ。若い人には通じない日本語。
2003/11/12 22:10 haruniwa  Make Loveのあとに二人で使う物、愛の手紙を昔はこういう
と、親切な「コテン日本語」の説明なども行っている。教育的!

 「枕紙を愛の手紙と、、、」の足跡つけたなら、当然来るだろうと予想したとおりに、
2003/11/12 21:53 ラブレターを春庭先生に送れば良いのー
というのが来るから、 2003/11/12 22:22 haruniwa 春庭が待っているのは辺見庸だけ
とレスつける。予定通り。

 土曜の夜はこんなことば遊び。レス応酬。

2003/11/15 21:43 acha912 先生好きダヨ、裸の先生ともお話したいネ!
2003/11/15 21:49 haruniwa スリーサイズすべて同じで貧乳でとても裸は見せられませぬ
春庭はスリーサイズがおんなじで貧乳それでも見たいのあなた
2003/11/15 21:58 acha912 先生におかれましては講べき多々あり、良しなに
2003/11/15 22:02 haruniwa ララサラマ!スワヒリ語でおやすみなさい春庭今夜はライオンの夢
2003/11/15 22:16 acha912 先生私は織田信長になって寝ます
2003/11/15 22:29 haruniwa 天下布武、下天のうちに比ぶれば炎の中に本能寺の夢
2003/11/15 23: 2 acha912 先生さすが骨あり、とことんやりましょう。
haruniwa 人生五十年、下天のうちに比ぶれば夢幻のごとくなり
2003/11/15 23:17 acha912 先生は夢自分の手で掴むものとお思いでしょう?
2003/11/15 23:21 haruniwa 夢もよし幻もよしビルゲイツに求婚されたらもっといいのに

別くちことばあそび。

haruniwa 式子内親王に西行、在五中将に二代后。春庭には?
zai5cyujo それはカンベン
haruniwa ワハハハ!ふられた!!
haruniwa 春庭の好みのタイプはブンヤだと、今日の日記で告白してます

元新聞記者の在五さんからレスなし(まあ、ここで言ってるブンヤが辺見庸と夫のことと11/15の本文読めばわかるのだが)

2003/11/16 10:17 zai5cyujo かすがのの若紫のすり衣忍の乱れかぎりしられず
という足跡。この歌は伊勢物語のはじめ、初冠した若い「今は昔男」が、春日野の若い姉妹に贈ったもの。

 この和歌にはモトネタがあって、
「みちのくのしのぶ捩ぢ摺りたれゆゑに 乱れ染めにし我ならなくに」
 (陸奥の信夫捩ぢ摺り(みちのくのしのぶもぢずり)ではないが誰のために私は乱れ始めたのか、私のせいではないのになぁ)という源融の歌の本歌取りである。

 そこで、haruniwa 東京の姥紫がすり足で在五に忍びて乱れ染めにし

 伊勢も本歌源融もふまえた、笑える戯れ歌じゃありませんか!(と、自分で誉める。だれも言ってくれないから)

レスは、2003/11/16 12:35 zai5cyujo ははははは(爆笑(~o~)
 在五さん、笑ってくれてありがとう。こんなふうに、笑ってもらうのが春庭のささやかな生き甲斐。

 笑えなかった人は、高校コテン教科書を引っ張り出して、伊勢物語初冠の段をよみませう。っていうか、百マス計算してなさいって。

2003/11/16 18:20 zai5cyujo 友達登録していいのですか??
2003/11/16 18:55 haruniwa もうすでにオトモダチです在五さん、春庭心の友と呼んでね

 在五さんの友だち紹介ページに登録していただきました。ありがとうございます。

 コミュニケーション不在の殺伐とした現代にあって、1行レスでことば遊び。仮初めのバーチャルコミュニケーションと、いわば言え。これまでひきこもりで、教室と家の往復のほか、ほとんど会話というものがなかったこの十余年の生活。

 ホームページを始めて、おしゃべりの楽しさを味わっている。
 
 日本の言語文化「和歌」も、基本はことばのやりとり「挨拶」である。奈良平安の男と女は、和歌のひとつも詠めなければ、恋人を得ることもできなかった。

 昔に生まれなくてよかったって?そんなこと言わずに、さあ、ラブレターは、ひとつ三十一文字で、、、。
 あ、いやな人は百マスでもかいて。だから、君、ズボン脱がなくていいんだったら。学力低下が案じられる今日このごろでありますねえ。

☆☆☆☆☆☆
春庭千日千冊 今日の一冊No.48
(れ)連城三樹彦『恋文』

 我家はテレビを見るのが好き。ただし、ながら見で、ぼうっとしながらずっとテレビを流しっぱなしということはしない。見るときは馬鹿なバラエティ番組もいれこんで見て、いっしょに大笑いをする。
 スマスマのコントも、ナイナイの「ごち」も、トリビアのヘェも、きっちり見ているのである。

 ドラマも大好き。夏は『ウォーターボーイズ』と『すいか』にはまった。
 今期はいちばん笑えるのがクドカンドラマ『マンハッタンラブストーリー』。それ以外に『末っ子長男姉3人』とか『ハコイリムスメ』などのホームドラマも見ているが、私はあまりノレていない。

 『恋文』は、「いつもの通りの渡辺篤郎の、いつもの通りの演技にどこまでのってやれるか」という興味だけで、見ているようなもの。映画ではショーケンがやった役。妻子がありながら、不治の病をもつ元恋人と過ごすことを選ぶ。
 映画では倍賞美津子がやった妻を水野美紀。

 妻と、夫と、その恋人のものがたり。
 竹原郷子33歳。女性雑誌の編集部につとめるキャリアウーマン。夫の将一はひとつ年下で中学の美術教師。二人の間には優という一人息子がいる。

 将一がある朝突然、女性からの手紙を残して出ていった。手紙の差出人は田島江津子。将一のかつての恋人だったが、今は白血病に犯され、あと半年の命だという。

 将一は、身よりのない彼女につきそうことを決意する。死の時を迎えるまで、自分の全てをかけて看病しようと、学校勤務もやめた。

 当然郷子は怒る。私と優はどうなるのか。それでも郷子は夫を許し、息子には「長く生きられるお母さんは、死んでいく江津子さんのためにお父さんを半年貸してあげるの」と説明する。

 郷子の忍耐が限界に達したころ、将一は離婚話を持ち出した。元気なうちに結婚式だけでも挙げさせたいので、離婚届けにハンを押してくれ。郷子は怒る。なぜ本当に離婚までしなければならないのか、どこまで耐えればいいのかと。

 翌日、江津子が自殺をはかった。江津子は将一と郷子が本当の夫婦であることを知っていたのだ。

 二人の女は初めて本心をぶつけ合う。郷子は心を決めた。将一と別れよう。
 今、江津子さんにウエディングドレスを着せなければ、将一は一生後悔する。悔いを残したままの夫とは、これからうまくやっていけない。
 夫のわがまますべてを許して、郷子は離婚届けを出した。

 将一と江津子の結婚式の日、将一は離婚届けの紙をみつめて「こんな凄いラブレターをもらったのは初めてだよ」とつぶやいた。
 
 あらすじを読むと、世の妻たちは「なんだかなぁ」と、思うだろう。えぇっっ!なにがすごいラブレターよ、これってどうよ!!!

 11/16に、病を得て寿命が限られているという中、自分の命のかぎりをつくして、カフェに日記を書き続けている方、ヒデさんのサイトを訪問した。本当にすばらしい文章で感動した。

 一般論として、寿命が限られている方に対して、こちらも何かできることがあれば出来る限りのことはしたいと思う。その方に、今、私ができることは、日記を読んで感想を書くことくらいだが、せめてそれくらいはしたいと思っている。

 日記を書いたり読んだりするコミュニケーションを「そんなの本当のコミュニケーションとはいえない」と、考える人もいるだろうが、ネットのつながりもまた、人と人とのおつきあい。人を生かすコミュニケーションだと信じている。

 しかし、一般論、またネットの中のことならいざ知らず、もし、世の多くの妻たちが、郷子の立場に置かれたら、どうだろうか。このようなラブレター(離婚届け)を出せる心広い女性がどれくらいいるのだろうか。
 
 私?うちの場合、離婚届も必要ないくらい、はるか遠いところにいるからねぇ。地下鉄で16分の事務所から帰ってこないことは、前にも書いたとおり。地下鉄で16分。すごく遠い。

 今の私なら、何の躊躇もなく、郷子と同じようにラブレターを渡しますよ。
 私の不在のパートナーは、とても親切な人。このような不治の病をもつ人と知り合ったら、できる限りのことをするだろう。

 とても親切だったから、ナイロビで迷子になった私を導いて、道案内してくれたのだし、私の親戚から「いやぁ、世の中は広い。この娘と結婚する勇気のある青年がいたとは!」と感嘆されたくらい、勇気のある人でもある。親切で勇気のある男、私のパートナーなら、必ず、江津子を励ますだろう。

 ラブレターを送ったあと、私はどうするか?江戸時代「みくだり半」は、一面「再婚保証書」でも、あったことを11/12「愛人でいいのと歌う歌手がいて」に書いた。

 もう、そうなったら、再婚保証!ビルゲイツさん、求婚待ってます!!

2003/11/15 23:17 acha912 先生は夢自分の手で掴むものとお思いでしょう?
2003/11/15 23:21 haruniwa 夢もよし幻もよしビルゲイツに求婚されたらもっといいのに
と、あちゃさんとレスかわした。ビルゲイツなら再婚OK!

 わっはっは!そんなことあるはずないから、しょうがないなぁ、夢は自分の手でつかむとするか。 

蛇の足跡10足目:「お話の真意が伝わり難くて」と、またまたお思いになられた方、何度も書いて、またまたしつこいが、この「おいおい」は、全体、わが不在のパートナーへの恋文です。それが真意です。わかりましたか?分かった人は手を挙げて!はい、今日の授業はこれにておしまい。

 授業で他人の恋文なんぞ読まされたヒにゃたまったもんじゃない。
 でもま、授業料タダだしね。

蛇の足跡11足目:どなたか、ビルゲイツほどじゃなくても春庭よりは余裕のある方、夫の会社にこのサイトの校閲を注文してやってください。(社名は、地球の歩き方奥付にあります。Free lance shield の漢字名です。)
 一文字いくらでお金をもらえば、夫は読みます。私の文でも。


いろは歌留多、上毛かるた
at 2003 11/18 18:04 編集

 先週11月13日は、「ピクニック授業」を実施した。留学生と「こども動物園」へ。お弁当食べて、ゲームして、そして「日本の文化」についてのレポート発表。

 日本文化といっても、トピックはなんでもよく、要するに「日本に関するトリビアの泉」みたいな授業である。本日の発表者は、「日本という国名の由来」「各県の県名の由来」をレポートにまとめて発表した。すでに日本語能力試験1級を取得している留学生もいるのでかなり日本語のレベルは高い。(日本語能力1級は、英検1級準1級レベルに相当)

 発表担当者との質疑応答が終わったら、あとは、楽しく動物を見る。カンガルー、キリン、シマウマ、タチョウ、エミュー、、、。

 目玉のコアラ舎へ行く。コアラは寝ていたが、一匹はときどき動くので、留学生達「かわいい!」と大喜び。フラッシュ禁止だが、最近のケータイについているカメラは性能がいいらしく、みなかわるがわるケータイをかざして、デジカメ撮影。

 コアラ舎の前で、集合写真をとっていたら、飼育係のおじさんがユーカリの枝を持ってきた。葉っぱをちぎりとり、留学生に差し出して「においをかいでごらんなさい」と言う。強い特長のある香り。「ユーカリメンソールと言って、薬品にも使われている成分です」と教えてくれた。

 話し好きそうなので、コアラについて、生息地やユーカリのことなどいろいろ質問した。質問への答えの中で、留学生に理解がむずかしそうな言葉を私が「留学生にもわかる日本語」に翻訳して伝える。ところどころに冗談をはさみ、学生はどっと笑う。

 コアラは、一生をほとんどユーカリの木の上ですごすという。水を飲みに2週間に一度くらい木から降りるほかは、樹上生活を続けるというので、「落ちたりしないんですか」と、私が質問。

 飼育係の答え。「年寄りになって、身体が弱ると落ちることもあります。若いコアラでは、交尾期に雄が雌を追いかけて無理矢理迫ると、雌がいやがって落ちたりします」と、説明してくれた。

 私の補足トリビア。「ほらね。コアラも若いと下手なのよね、何事も経験よねえ。私なら落ちたりしません、経験豊富だから!」と、チャチャを入れる。
 留学生、経験ありの人は、げらげら大笑い。何をいっているのかわからず、キョトンとしている学生も。
 冗談と笑いの連続で、楽しくコアラについておべんきょうできた。

 飼育係のおじさんに「詳しい説明をありがとうございました」とお礼をいうと、おじさんは「先生、お話、おじょうずですねぇ。全国を公演して回れますね」と、ほめてくれた。「はい、お笑い芸人めざしてます!」と答える。ちょっとうれしい。

 ことばが大好き。これは本を読み始めた4歳のころから変わらない。
 数字にはまったく弱い。電卓で同じ計算を3回やると3回とも違う答えがでる。電卓で計算してるのに、なぜちゃんとした答えがでてこないのか、不思議。

 中3のとき、「将来を考える中学生への指導」のひとつとして、「職業適性検査」をやらされた。所見「数字を扱う職業に不適格。ことばを使う職業に向いている」

 結果、国語教師、日本語教師、役者、フリーランスライター、幅広く考えれば、英文タイピストまで、ことばを使う職業を選んできた。全部挫折したけれど。

 半年だけの短期アルバイト「小学生にミュージカルを見せる一座の役者」が、一番短い期間の仕事。役者の才能はなかったが、思い出としては一番楽しいものになった。

 自分の内向的な性格に一番合っていた仕事が、英文タイピスト。おかげで、今、ブラインドタッチがめちゃくちゃ早い。NHKアナウンサーがニュース読むスピードにあわせて、音声をそのままワープロで追っていける。

 一番長く続いている日本語教師が15年。ことばを追って、ことばを温めて、15年やってきた。

 留学生、日本人学生と「ことばあそび」をやるのも、日本語授業の一貫。
 ことば遊びは、日本語言語文化の大切な伝統のひとつだ。しりとり、ことわざ、地口、だじゃれ。「あ」〜ん」の文字を一度だけ使って作る詩。(いろは歌がその代表)また、回文(したから読んでもマサコサマの類)さまざまな言葉遊びがある。

 ウェブサイトにも、これらの言葉遊びページがたくさんあって、大勢の人が言葉遊びを楽しんでいる。さきほどついた足跡。回文です。前から読んでも後ろから読んでも同じ。
2003/11/17 22:43 18ar 。うついけんしはしんけいつう。(宇津井健氏は神経痛)

 「しりとり」についてはまた、のちほどとりあげよう。今日は「かるた」について。
 歌留多の語源はポルトガル語の「カルタ」。同じ意味の語が、英語から入ってくると「カード」ドイツ語から入ってくると「カルテ」そう、カルタとは、「文字を書く紙」のこと。

 トランプのカードも、医者が書き込むカルテも、ルーツはいっしょ。英語、ドイツ語、ポルトガル語などは、インド・ヨーロッパ語族の仲間だから、ことばも似ている。

 一方、日本語は「ウラルアルタイ語族」に含まれる。朝鮮韓国語、モンゴル語、トルコ語などは、日本語とことばの語順が同じ。

 しかし、私が日本語研究をやっているころは、「日本語系統論、これにハマると研究がまとまらず、一生を棒にふることになるから、手を出してはいけない」と、されていた。 すなわち、日本語の系統論は、まだ定説がない。どなたか、きちんとした系統論をまとめれば、学会賞くらいはとれる。

 ただし、藤村某というような「万葉や古事記の古代日本語は朝鮮語で読み解ける」という素人ウケするエセ日本語学が出回っているので、先行研究に注意。研究したい人は、まず、言語学の基礎を固めてから対照言語学をやってください。

 藤村某さんのように、言語学をまったく無視した論術で、やるなら、「古池やかはず飛び込む水の音」という芭蕉の句は、「Full it cake yah! Cow was toby come me Zoo know oh! too」と解釈できるので、芭蕉はイギリス人である、というような論も可能。

 で、日本語の歌留多。
 いちばん知られているのは「犬棒かるた」。「犬も歩けば棒にあたる」などのことわざが「いろは〜京」まで、読み札に書いてある。
 取り札には、絵とひらがなひと文字が。日本のこどもにとっては、正月などに遊ぶ大事なもの。これで皆、いろはの文字を覚えた。いろはかるたが遊べるようになると、親は子供を寺子屋に入れ、習字そろばんを習わせた。

 私は、留学生にひらがな50音を教えたあと、時間に余裕があるときは、かるたとりをして遊ぶことにしている。

 かるたとりと言っても、「論より証拠」「花より団子」などの日本語を言っても、まだ何も意味がわからないから、ただ、「い、犬、い、い」と言って「い」の札をとらせ、「は、花は、は、」と言って、「は」の札をとらせる。日本語の音節の音声確認と復習のためのかるたとり。

 それでも留学生は、大喜びで遊びに興じる。
 歌留多の札は、縦長にみるように言っても、かるたの縦横がまだよくわかっていないから、「こ」と間違えて「い」の札をとる。

 ハイッと、勢いよくタッチして、クラスメートから「It's not Ko.」と指摘され、「Oh!mistake!」となげく。「ほ」と「は」を間違える。「ぬ」と「め」、「わ」と「れ」など、習ったばかりのひらがなは、どれも似ていて、間違えやすい。

 人数が多いクラスのときは、グループ戦で。少ないときは、個人戦。
 チャンピオンには、日本の風景などの絵はがきの中から、一番気にいったものを選ばせる。
 一番負けは、最後に残ったハガキ。「わぁ、この残ったハガキが一番欲しくてねらっていたものだ」と、喜んだり「あっちの富士山のハガキがよかったのに、とられちゃった」と嘆いたり。

 日本語の「あいうえお」ひらがな文字は、「音節文字」である。そのためシリトリもできるし、回文もできる。

 音素(単音)文字である英語ではこうはいかない。前から読んでも後ろから読んでも、意味が同じになる文で、よく知られているのは「Madam I'm Adam. (奥様、私はアダムです)」というものくらい。後ろからアルファベットを読んでも「マダム、アイム アダム」になる。

 音節文字は、日本の言語文化にとって大きな意義を持つ。漢字から発音だけを取り出して「ひらがな」ができあがったことのしあわせを、私たちはもっと有り難がっても、罰はあたらない。

 しかも、朝鮮韓国の文字ハングルが、世宗大王の指揮のもと国を挙げての大事業として作られたのとは異なり、これらのひらがなの文字を、いつだれが作ったというのも、はっきりしていない。大勢の無名の書き手が、漢字をくずして書いているうちに、自然と固まって現在の50音の音節文字が形成されのだ。

 「安」が「あ」になり、「以」が「い」になったということを、知識としては知っていても、それらの文字を「意味を持たず音声のみあらわす文字」として固めていった長い言語文化形成の恩恵を、日頃私たちはまったく意識していない。空気が自然に胸に入ってくるのと同じくらいあたりまえのものとして受け取っている。

 万葉仮名からひらがなへ、この過程にかかわった、無名の書き手すべての人に、ときどきは感謝しなければならないのだろう。

☆☆☆☆☆☆
春庭千日千冊 今日の一冊No.49
(ろ)労農、船津伝治平『上毛かるた』

 ことば遊びのひとつに「県名だじゃれ」がある。わたしゃあなたに秋田けん。石につまずき大分けん。映画館おまえがじゃまでよく三重県、などのたぐい。

 子供達が県名を暗記させられるのは、5年生ころか。先生によっては、北から南まで、地図の上から下まで県名をいわせたりするので、子供達は「そんなに県名岩手けん」などとうんざりしてしまい、結果、自分の県以外のところ、どこがどこにあるのやら、ということになる。

 クイズ。全国の県名の中で、動物がその名にはいっているところが3県ある。ふたつは九州。そう、鹿が入っている鹿児島県。熊が入っている熊本県。もうひとつは、関東。どこでしょか。

 関西の人にその名を言っても「え、そんな県あったっけ」とか「で、どこ?それ。ディズニーランドのあるところ?」「それは千葉県」「千葉の先?」。千葉の先は太平洋。海に落っこっちまう。

 はい、正解は「鶴舞う形の群馬県」県の形は鶴が羽を広げたかたちで、名前に馬がはいっているのでした。
 シラネーってか。政治の世界じゃ、角栄二世マキコの新潟と同じくらい有名なんだけどな。自称昭和の黄門様、大勲位、さめたピザの3人の首相を排出。(あ、ここ、誤変換わざとです)黄門二世、大勲位二世につづいて、さめたピザ二世まで当選している世襲大好き県である。

 群馬の人が、ほかの県の人と異なるところ。いくつかある。アーバン通勤快速で東京通勤圏内でもあり、県内に温泉を含む観光地と工場がたくさんあって県内就労が可能なせいで、あまり、県外に出ていく人がいない。

 固定安定した住民が固定安定した毎日を、まったりとすごしている県なのだ。はい、春庭、かかあ天下の地の出身。雷と空っ風も好き。横川峠の釜飯もだるま弁当も。

 今日の話題、歌留多に関して、群馬県が他と異なる点がひとつある。
 群馬のこどもは、いろは歌留多をあまり知らない。わたしも大人になって、ことわざをいろいろ知るようになるまで「犬も歩けば」とか、「割れ鍋に綴じ蓋」などのことわざを覚えなかった。群馬の子供達は「上毛歌留多」を覚えるのだ。

 小学校のころ、毎年毎年かるた大会がもよおされ、全県あげて子供達は上毛かるたの暗記につとめた。

 「い」伊香保温泉日本の名湯「ろ」老農船津傳次平(ろうのうふなつでんじべい)「は」花山公園つつじの名所「に」日本で最初の富岡製糸「ほ」誇る文豪田山花袋

 富岡製糸は、先日も明治の「殖産興業」の説明を留学生にしたときに、教科書に出ている製糸工場の写真を見ながら解説した。

 伊香保や花山公園も、小さいときから家族で出かけている名所。しかし、「ローノーフナツデンジベー」が意味不明だった。いったい何だローノーとは?

 「労農」の代表的人物が二宮金次郎。今や二宮尊徳と言っても、若い人には少しも馴染みのない人になってしまった。戦前の学校の校庭には、必ずこの金次郎さんの銅像が建っていたのだ。薪を背負い、本を読みながら歩いている少年。「手本は二宮金次郎」と、教わり、子供はすべからく彼をお手本にすべきとされていた。

 労農は、現代語でいうなら「先進的農業指導者」である。各地の農業指導者が献身的に働き、農業生産をあげ、農民が少しでも豊かな暮らしができるように努力した。船津傳次平は、群馬県出身の労農だったのだ。

 二宮金次郎のように、全国区にはならなかったが、彼をたたえる碑が東京飛鳥山公園に残されている。花見に公園にいって、こどものころ意味不明だったローノー船津に出会い、びっくりしたことがある。おお、おなつかしや。こんなところでお目にかかろうとは。

 老後の心の冬支度をめざして、著者50音本の思い出昔話をつづけてきたが、終わりになるにつれ、だんだんと「日本語言語文化」の衰退をうれえる、よくある老いの繰り言になってきた。

 日本語教師は「日本語史」をちゃんとお勉強しているから、日本語がどのように変化してきたかをようく、知っている。そのため、「ら抜きことば」なども、「日本語変化の当然の流れ」として受け止める人が多い。

 ら抜きことばのために騒動が巻き起こるのが永井 愛('97)「ら抜きの殺意」(第一回鶴屋南北戯曲賞受賞)であるが、日本語の歴史を振り返ってみれば、ら抜きになるのは必然の変化なのだ。

 だから、このような言語自体の変化はあまり嘆かない。なにしろ枕草子を書いた清少納言だって「ちかごろは言葉が乱れていて困る」と愚痴っているのだ。

 変化するのがいやなら、私たちは、いまでも平安の古文にでてくることばで、しゃべっているはず、いや縄文時代のことばのまましゃべっているはずだ。

 私の「日本語教授法」の授業。日本語学に興味をもたせるために、一番最初に学生に出すクイズ

 「昔、むかし、日本の母は、全員パパだった。パパが子供におっぱい飲ませていたんだよ。なぜかわかる?性転換したんじゃないよ。」
ヒント:縄文時代は現代のH音がP音だった。(正解はまたあとで)

 日本の言語は、どんどん変化する。言語文化も変化する。純国産の日本朱鷺(ニッポニアニッポン)が滅亡したように、あるものは滅び、あるものはしぶとく生き残る。

 春庭は、プロフィールにも「日本語教師」と出しているので、「教師にもあるまじき乱れた日本語!」と、ご不快な方もおられよう。すみませんね。いつも下品で。

 だが、しかし、されどしかるに、ことばとは常に変化していくものなのだ。いまや「ら抜き」の食べれる出れるを、若い世代は当然として使っているように、いまのところ古い世代が「乱れた日本語」として眉をひそめている表現が、あと百年後には「ただしい日本語」と、なっているだろう。

 そして今「新しいことば」として登場している表現が、定着していることだろう。みなさん、「あたらしい」というのは、かって「正しくない日本語」でした。「あらたし」が、正しい日本語だったんです。でも、みんなで違えばこわくない。今は「あたらしい」を全員使っている。

 日本語言語文化がこれから先、どうころがっていくのか、ウォッチングを続けたい。

蛇の足跡12足目: ラ行の著者は、反則ばかり。「ら」頼山陽、『日本外史』読んでない。話題は江馬細香の方。
 「り」李 恢成、今は「いふぇそん」だが、昔はリカイセイだったから、これは反則でもない。
 「る」ルイコって、アメリカじゃ、そう呼ばれていたが、著者名としては吉田だから「よ」だろうに。
 「れ」連城三樹彦、『恋文』は、1977以前の作品じゃない。そして「ろ」労農、は名前じゃない!

 なんでこんなふうに反則してまでラ行をいれたか、最後の「わ」を、No.50にしたかったからである。明日は、著者50音順最終回「和辻哲郎」


埋もれた日本、ディスカバージャパン日記
at 2003 11/19 10:18 編集

 「あ」の足立巻一『やちまた本居春庭評伝』から「わ」和辻哲郎『埋もれた日本』まで、あいうえお順に著者名をたどってきた。今回は、第一期一巡目の最終回。
 最後くらいオバカはやめて、教師らしくまともなことを言いたいと、念じつつ祈りつつ、、、。

 でも、やはり、バカをやりたい。私はオバカが大好きだ。ぐれていたい。
 ヨソ様の日記読むときも、しんみりしみじみも好きなんだけど、笑えるページがとても好き。

 「わ」まで、たどり着いたところで、しばらくは、「今日の一冊」をお休みして、サイト訪問記などを書いて行く予定。

 たくさんの日記サイトを読んできて、泣いたページ、笑ったページ。こうして、ネットで知り合えたこと、とてもうれしいです。

 春庭、今年前半は半年で50冊の本を読んだ。(ちえのわ七味日記0307c7mi.htmこのページに、読んだ本のタイトル著者名があります)
 でも、今年下半期は、新しい本は、ほとんど読めなかった。今日の一冊に載せる本を読み返したことと、日記サイト訪問が忙しかったからだ。

 日記は女の人生の凝縮。あの日記、この日記。春庭、それぞれの書き手の人生に、様々に繰り広げられる日常生活に思いをはせながら、読ませていただいております。

 蜻蛉日記更級日記の昔から、日記を書くことは女にとってとても大切な人生の一部だった。
 日本語教師春庭、和泉式部日記と紫式部日記は、影印本変体仮名で読みました。すごいね。ひらがな、カタカナ、万葉仮名に変体仮名までねぇ、サスガ日本語教師。

 旧仮名のうち、「ゑ」「ゐ」は、知られている。
 そのほかよく見かけるのは蕎麦屋の看板に「生そば」って文字が変体仮名で書いてあるから、この次そばやに行ったら、「はぁ、これが春庭の言ってた変体仮名か」って、思って眺めてね。

 ほら、そこっ「へんたい」って聞いてうれしそうな顔しないのっ!「変態」じゃなくて「変体」でございます。もう、女教師おこるよっ、鞭でバシッッ!あ、ますますうれしそうな顔して、この学生は!!バシッばしっっ!!

 だれです?「生そば」って「なまそば」だと思ってたっていう人。
 生そばがナマソバなら、「生娘キムスメ」は、「ナマムスメ?」いやぁ、ナマビール、ナマアシに続けて、ナマムスメ。なんだか、なまつばごっくんになってきましたなぁ。と、またまた、脱線。

 こんな調子で「日本事情」という、日本の歴史と文化を教えるクラスを受け持っているから、限りなく脱線していって、レールはずれっぱなし。

 日本人クラス(日本語教授法)は、年齢層が若いから、冗談も若年層にあわせて、テレビアニメやコミックネタパロディが中心ですが、日本事情は、私大、私費留学生がほとんどで、年齢層が高い。きわどい冗談にも笑ってくれるから大丈夫。

 でも、そのうち「セクハラ発言教師」として、首になるかもしれない。そうなる前に、抱腹絶倒ハルニワの授業を聴講してみたい人、聴講料は、大学にでなく直接ハルニワに払うってことでどうぞ。あ、これも実際にやったとしたら、首だなぁ。

 イロハ48手からヘンタイ文字まで、さすが日本語教師!といっても、試験が終わったら変体仮名すっかり忘れてしまった。

「学校から受けたことは、きっちり卒業式までに学校に返却する」という方針。きちょうめんに返してきたから、ほとんど習ったことが残っていない。春庭が身につけたのは、「雑学トリビア」ばかりである。

 日記文学の劈頭(「へきとう」って読んでね)を飾る貫之の『土佐日記』。「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり」と、始まる。
 日本最古の「ネカマブログ(男が女のふりをして、女ことばで日記を書くサイト)」として、今や「ネカマブログの劈頭をかざる土佐日記」に、昇格。(昇格なのか?)

 紀貫之が女のふりをして書いている土佐日記。なぜ女のふりをしなければならなかったか。当時、男は漢文を書いていた。公式な記録はもちろん、私的な日記も、宮中勤務や寺社つとめのこと、家の子郎党に伝えるべき伝達事項などを、漢字だけの文、漢文を書いていた。

 漢文が書けなければ、「お勤め」に出ることもできない。六位以下は、人の数にも入らないという社会で、六位にもなれない。服装も五位以上は水干、六位以下(地下)は、直垂(ひたたれ)と、区別がある。紀貫之は当然、漢文を書くべき立場だった。
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 しかし、いくら「教養のすべては漢字漢文で」という時代にあっても、自分の見聞、日常茶飯事、溜息吐息の思いのたけを、縷々、述べるには漢文は適さなかった。

 日常のこまごました出来事、あの人がこう言った、この人はこうやっていた、私はどう思ったか、ということを書くのは、女がつかっているひらがなで、女が書いているように和文で書くのが適していた。書き下し文として日本語化して読み書きしていたとはいえ、漢文はあくまで基本は中国語。和文脈でないと、本音が出せなかった。

 当時の慣習なら貫之は漢文で書き、漢詩を挿入すべきところを、おそらくは和歌を入れたくて女に身をやつしたのだろう。漢詩は男の世界の表現であり、女の世界の和歌を排除することを意味した。

 ドナルド・キーン『百代の過客・日記に見る日本人』は、日本で書かれた膨大な日記群を読み解いていく卓抜な著作である。一般的な日本人が一生かかっても読み切れない日本文学を、若いときからせっせと読みこなしてきたキーン先生。古河庭園前にマンションを購入し、コロンビア大学名誉教授日本文学研究者としてニューヨークと東京を往復している。

 日記といっても、日本の日記は、毎日の出来事をただ書き留めていくメモリー、デイリーニューズだけを意味するのではない。虚構もまじえ、読者を操って文学世界に引き入れている。こんなことは「日記」と名付けられた文章世界にあって、日本以外ではめったに考えられないことだと、キーンは思った。

 日本人の日記を研究してみよう。そうすれば、日本人の心性心情、日本人の心の奥が分かるに違いない。なぜ芭蕉の「奥の細道」は、随行者曽良(そら)の記録と食い違いがあるのか。随行記と芭蕉紀行文を比較するとよくわかることなのだが、芭蕉は実際におこったことを逐一書いているわけではない。

 「あらたふと青葉若葉の日の光」この句を見れば、さんさんと輝く日光が青葉若葉に降り注ぐ一日を日光ですごしたのだろうと、私たちは思う。文学的に、芭蕉にとって、日光という地名は日の中に存在しなければならなかったのだ。
 しかし、日光を訪れた日は雨だったのだ。

 中尊寺金色堂のことも、芭蕉は書き留めているが、曽良の記録では、当日は金色堂を開けてくれる人がいなくて、二人ですごすご見物もできずに立ち去ったというのだ。

 旅の日記、紀行文。芭蕉は実際におこったこと書いたのではなく、文学として創作もまじえて書いていたのだ。

 キーンは、日本人の日記はたんなる日記ではなく、日本語言語文化にとって、重要な文学だと考えた。

 キーンが日本人の日記と関わったのは、日本文学を研究するようになってからではない。 キーンの日本語との関わり、きっかけは戦争だった。米軍の情報将校として日本語を学び、日本軍兵士が戦場に書き残した日記を読解分析するのが仕事だった。

 壊滅した日本軍部隊、敗走した部隊のあとに、死屍累々と共に、日記が落ちていた。米軍は日本人のものの考え方感じかたを知るために、膨大な日記を収集し読み解いていった。

 この「アメリカによる日本分析」の最初の大きな成果として発表されたのが、女性文化人類学者ルース・ベネディクト『菊と刀』である。

 この著作は、日本学(ジャパノロジー)、日本思想史、日本人論、文化研究(カルチュラル・スタディ)などををめざす研究者には必読の書。

 戦後は、批判的に読むことが「おやくそく」の読み方になっているが、この『菊と刀』が、「自分の国が外からどう見られているかを、何よりも気にする国民性」の人々に与えた影響は大きかった。「ルースの目にうつった自分たちの姿」を鏡に映しながら、人々は自信をもったり、うなだれたりした。

 文化人類学の研究方法として、そもそもルースの「資料の選択方法」には偏りがあり、片寄った資料を用いながら片寄った見方に押し込めていくから、『菊と刀』に描かれた日本人は、修正しまくりのお見合い写真みたいな、「自分であって自分ではない姿」になっている。

 「義理と恥の文化」とルースに言われると、「なるほどそうだなあ」と、私たちはルースの描いた肖像画に身の丈をあわせようとする。
 もちろん「義理と人情をはかりにかけりゃ、義理が重たい男の世界」というのもあるし、「生きてこの身に恥うけるより、死んでおわびを」も、未だに生き残っている思想である。

 ルースの日本人分析が全面的に古いとか、今はなんの価値ももたないというつもりはさらさらない。批判的に読み解きながらも、新しい資料収集と資料分析の努力はつづけられなければならない。今でも『菊と刀』は、重要な本である。

 日本人の書く日記。現在ウェブサイトに何百万もの日記が書かれ、電波とともに世界を駆けめぐっている。毎日ふつうのおかずとして、何を食べたのか、という献立日記も貴重だし、通勤の電車の中で耳にした会話を毎日書き留めている人の記録も重要な「世相分析」の基礎資料となる。

 戦時中の「世間の思想」を研究している人が、「新聞雑誌に載った有名な筆者の論説ではなく、町の中で、市井の人々がどう思い、どう発言していたかという、実際の声」を知ることは至難のわざ、と言っていた。
 リアルタイムで「電車の中でのうわさ話」「床屋でかわす政治談義」などが記録されていたら、戦時庶民の思想分析研究も一段と鋭いものになっただろうに。

 春庭がだらだらと長文を書き殴り、「そんな漢字いっぱいの長ったらしい文章で、そんな蘊蓄だれも読まないよ」と、娘(ナマムスメです)から貶されていても、せっせとこの50回の「昔の本思い出しながらの、蘊蓄たれつつの、自分語り」を続けてきたのも、もしかしたら百年後に、「20世紀半分と21世紀半分を生きた日本語教師は、毎日何を思い何を感じて生きていたのか」ということを知りたいと思う人が、「いない」とはいいきれないからだ。

 未来がどうなるのか、凡人たる私たちには予測もできない。
 百年後には、地球が滅亡していることだって、否定できない。それでも、私たちは未来に向かって、今日を生きている。

 書くことを生き甲斐として、そして、他の人の日記を読むことからコミュニケーションが始まることを信じて。

 今日も、春庭、せっせと駄文を書きました。!!!(最後はきちっとまとめる日本語教師!)

☆☆☆☆☆☆
春庭千日千冊 今日の一冊No.50
(わ)和辻哲郎『埋もれた日本』
 『埋もれた日本』初出は1951。第一部は京都や奈良のこと『大和古寺巡礼』とつながる文。第二部は『菊と刀』非難。第三部は、漱石、藤村、露伴、野上豊一郎などの文人とのつきあい、思い出を書いている。
 第二部の目次。「『菊と刀』について」「若き研究者に」「埋もれた日本」の三篇が含まれている。

 日本敗戦後、進駐軍による日本統治がなされる際に、軍中枢将校たちにとって、『菊と刀』が必読書となっている、という話を聞いて、日本人知識人は驚いた。

 自分たちがただ「鬼畜米英」などというスローガンだけで、アメリカの軍備分析もロクロク行わずに真珠湾につっこんで行き、泥沼の太平洋戦争を開始したのに、アメリカ側は、日本人の国民性、思想について、かくまでも深く分析していたのか。

 特に、マッカーサーの「天皇はいい人だから、戦犯とはみなさない」という方針に、『菊と刀』の思想が影響したのかも知れない、という話も出て、日本人知識人にとって、戦後思想の出発は、「戦後民主主義」と共に、「外から見られた自分たち」の姿を知ることが必須となった。

 そのような思想界の中で、和辻哲郎は『菊と刀』を、完膚無きまで叩きのめしている。資料の扱い方のあやまり、資料の偏りかたへの批判。ルース・ベネディクトの「西洋側から見た一方的なまなざし」への批判。

 ほんとに、小気味いい文章だから、『菊と刀』を読んでいない人にも一読をおすすめ。『菊と刀』読んでなくとも、読んだつもりになれるし。どこかのバーで、おねえさん相手に蘊蓄たれトリビアの泉をやりたい人にはぜひ。

 本全体のタイトルともなっている『埋もれた日本』がまた、すごくいい。「キリシタン渡来時代前後における日本の思想的情況」という副題がついている。ここに書かれている武士たちの家訓を、きょうびの情けない政治家たちに煎じて飲ませたい。「正直であれ」というのが、どの家にも共通して繰り返し伝授されている「家の方針」なのだ。
 
 また、「自敬の念を持て」ということも繰り返し述べられている。「自分自身を、卑下すると、我が身の罰が当たる」という家訓があるのだという。

 『おのれが臆病であることは、おのれ自身において許すことができぬ。(中略)おのれの面目が命よりも貴いのは、外聞に支配されるからではなく自敬の念が要求するからなのである。』

 と、和辻は、家訓の内容を解説している。これは当時の人々が『菊と刀』によって、描かれた日本人像を「よそから見られた自分の姿」と思い、その姿にあわせて右往左往する状況に対する、和辻の強烈な批判ともなっている。

 「人から、どうこう言われるから」「人様から非難を受けないように」それだけが行動の基準である人を、和辻は快く思っていない。

 近頃よく見かけるしつけ問題を例をあげれば、「ほら、あのおばちゃんがこわい顔してにらんでいるから、騒がないのよ」などと、電車の中で騒ぎまくる子供に言う母親のこと。おばちゃんがこわいから、おまわりさんがこわいから、国家からの圧力がこわいから、言いたいことも言えない、そういう態度をとる人を、和辻は、「自敬の念を忘れた人」と呼ぶのだ。

 世間の目に合わせるのではなく、人から見てどう思われるかを行動の基準とするのではなく、己の心情思想によって、自分の行動を律していく、そういう人にわたしはなりたい。

 雨にも負けて、風邪にも負けてしまう弱い自分ではあるが、立派な「非国民」めざして、国家が「派兵!」と命じても「いやだ」と言い、大学当局から「正式書類は元号で年数を書くように、と言われても、私は自分のうまれた年を、自分の書きたい年で提出する。
 (元号拒否した司法修習生が任官拒否された。裁判に訴えたが、負けてしまった。こういうのを思想統制と呼ばずになんとしよう)

 私のものの見方考え方は、ある人々にとっては「片寄っている」「偏向思想」と呼ばれるものかもしれない。しかし、やはり私は人様にあわせて、自分をねじ曲げていくことができない。

 な〜んてね。元号で生年月日を記入しないとクビ!などと脅されると、「あ、今まだ、仕事を失うと、食ってけないから、ま、いいか、私、生まれはショウワです」なんて、君子じゃないけど豹変する、弱っちい人間です。
 どうも立派になれなくて、すまん。

 と、思想信条告白して、春庭、どうにも情けない人間であることが暴露されたところで、50音順著者の昔読んだ本めぐりはおしまいです。ご愛読ありがとうございました。


蛇の足跡13足目: 今、11月19日朝、8:30です。やっと書き終わった。自転車操業、ちょっと息切れ。
 新シリーズが始まるまで、「番外編」と「メールにこたえて」が続きます。


「をんな」と「おんな」みんな違ってみんないい
at 2003 11/20 06:12 編集

 50人の「1977年以前に読んだ本」の著者を並べてきて、好きな文体、敬愛する作家の名前も、石牟礼道子、幸田文、須賀敦子、澤地久枝、吉野せい、と紹介してきた。少しでもこれらの先達に近づくため、修行を続けていくつもりである。

 まあ、たいていは「奮闘努力の甲斐もなく、かあい〜いもうなあくぅ」と泣く結果になるのは、見えてはいるが。

 「文は人なり」と言う。春庭の文。ギャク駄洒落、地口くすぐりの類を並べずに、フツーに文章が書けないのか、って問われると、本宅フリースペースちえのわの「七味日記」では、けっこうまじめに「日本語教師日誌」で、日本語教室紹介などをしているので、「おいおい」の、さぶ〜いギャクに飽き飽きしたという方は、七味日記のほうも、覗いてみてください。

 こちらは、「妬みそねみ僻み、恨みつらみに負け惜しみ」がメインコンテンツというこれまた、やさぐれた日記ページです。

 とにかく、11/19我がいとしの不出来息子の15歳誕生日に、めでたく50音順著者の名巡りシリーズ第一巡目は、ラストになった。

 もし、全文読んだ方がいらしたら、春庭、飛ぶんでいって、ギュッと抱きしめたい。、なんて心の広い、なんて温かい、なんてエライ人なのか。あなたの人類福祉精神、強く深い愛情!春庭必ず毎朝、あなたのおわします方向を向いて、遙拝三ベン。柏手ぽんぽんしてすごします。あなたのおそばに参ることあれば、五体投地をして、お近くまでまいります。メールでご連絡を!
 
 カフェで知り合った人たちのページ、それぞれの持ち味でそれぞれの興味にしたがって、日記が続いている。
 面白く読み、毎日新しい発見があったり、「へぇこういう見方も有るのか」と新鮮な思いがしたり。むろん、春庭とは感覚、考え方の異なる方もいるし、わかりあえない部分だってある。

 でも、それでいいと思っている。人がちがえば、顔も心も考え方も違う。
 近頃の小学校に教室には「みんなちがってみんないい」と、金子みすずの詩が額に入れて掲げてあったりする。
 それでいて、皆と違う考えを学級会で発言したりすると、たちまちのうちに、シカトされたり、隠微なイジメが続いたり。これが現在の学校の現実。

 楽しい明るい教室もむろんあるだろうが、春庭、最近の公教育については、いささか失望が続いております。

 11/17に、「百マスかいてなさい」と、品のないあてこすりを記したのも、「ゆとり教育」と騒いだと舌の根も乾かぬうちに「学力低下に対処する」として、「基礎学力を高めよう。そのためにドンドン宿題も出して。余裕がある子供には、より高度な内容の教育を与えてよい」などと、二転三転してオタオタしている文科省への批判が底にある。

 余裕がある子供に高度な内容を、と言い出したとき、余裕のない子供はすでに切り捨てられている。

 百マス計算が有効と言われれば、すぐに飛びついて、百マスドリルを売り出す教育産業にも、なんだかなぁ、と思っているから。そのためのあてこすり。
 はい、こういう春庭と考え方が合わない人ももちろん多いことと思うが、そういう人は、百マスでも、あてこすっていなさい。シコシコ。

 カフェ日記の「みんなちがってみんないい」、ほぼ毎日読みに行く頁、時間に余裕があるとき、じっくり読ませてもらう頁、さっと、スクロール読みする頁。

 みつばさんと同じく、私は速読ができる。私には自慢の早業が四つあって、ひとつは11/18にすでに自慢している、キーボード早打ち。

 もうひとつは、速読。普通に理解して読んでいくスピードが、すでに一般の「本読み」スピードの4倍速。一般的なスピードで読む人が1時間かけて読む活字量を15分で読み終わる。

 これは、テニスの伊達公子選手が「動体視力」が普通より早い、などと言われるのと同じことである。春庭、動体へ認識力は限りなくおそいが、、活字の字形認識スピードが普通より速いので、さっと一瞥しただけで、内容が頭に入る。

 さらに超スピードをこころがけると、画面の右スクロールバーを下へ、スーッ下ろしながらさっと読んで、内容がだいたい頭に入る。

 これらの速読をみつばさんもなさっていると聞いて、私のカフェ日記散歩、これでいいんだわ、と安心した。ほらね。これが日本人。自分だけかも知れないと思うとちょっと不安だが、だれかといっしょ、と知ると安心。

 ちよさんが、日記の書き方を「だらだら長文派」に属すると、いうのを読んで、ああよかった。だらだら長文仲間!とうれしくなる。「みんな違ってみんないい」と「あなたと同じ、いっしょでよかった」と思うのは、矛盾したことなのだろうか。

 とにかく、速読ができるおかげで、たくさんの頁を見て回れる。今夜は、あなたの頁へおじゃまします!

 あと、もうふたつの早業は、あまり自慢にならない。たくさんのことを全部伝えたいと思うあまり、ものすごい早口。これは日本語教師として、欠陥品である。

 ゆっくりゆっくりと授業のはじまりのうちは思っているが、話が佳境に入ると、日本の歴史についてでも、文化、文学についてでも、超スピードで全部話したいと思ってしまう。
 留学生に「先生、早すぎ。もっとゆっくり」と、叱られる。

 最後の早業も自慢にならない。今年10月「餃子早食い大会参加。30個の餃子を14分51秒で完食」

 これは女性の部では、ベスト10に入った記録。50代だけならトップ。さらに言うと、「50代大学講師の部」という部門があれば、暫定日本一である。私以外、どの大学講師が、「50代で餃子早食い大会に参加しよう」と思うのか。(この餃子早食い大会参加のこともちえのわ七味日記に書いてあるから読んでね)

 かように春庭は、そんじょそこらの大学講師とは違っているのである。講師たちが少しでも研究業績をあげようと、論文執筆に励む中、春庭は留学生を動物園に連れて行って遊んでくるわ、餃子早食い大会に参加して「暫定日本一」と喜ぶわ、私に日本語を教わる学生は、いい迷惑だろうが、私のようなオバカな教師のおかげで、学生は今日も大笑いしながら授業を受け、免疫高めて寿命を延ばしている。

 笑ってすごせばケンカもしなくなる。春庭、世界平和に貢献しているのである。(むろんイラク派兵反対です)

☆☆☆☆☆☆
春庭千日千冊 今日の一冊 番外編 
蛇の足跡14足目:(を)『をんなとおんな』

 現代日本語では、「をんな」と「おんな」の区別はない。どちらも女。更年期すぎても女。枯れても女。差別は許さん!!!

 古代語では、きっちり区別。若い女は「をんな」、若くない女は「おうな」「おんな」でありました。つまり古代なら私は「おんな」「媼」でありまする。されどしかるに、女はおんな、現代に区別はないのです。あ〜あ、よかった。現代に生まれて。

 古代語では今や「おうな」の私にだって、「をんな」の時代がありました。50年間ずっと媼じゃ、いくらなんでもねぇ。花も恥じらう乙女の時代も番茶も出花の女の時代もあったのよ。鏡を見ると信じられんが。

 だが、女であって、いい目をみたことほとんどない。こどものときから「生意気でこまっちゃくれ」「女らしくない」「かわいげがない」「こんな無愛想な子見たことない」と、年がら年中聞かされて、どうしてシオらしく育とうか。

 「子供らしくなく、かわいげがない」「少しも女の子らしくない」「少女らしいやわらかさに欠ける」「女性としてのうるおいやしとやかさがない」「守ってやりたいという気持ちをおこさせない女」「叩くとこちらの手が痛い鉄の女」などなどの批判を受け続け、私は世間に背を向けてひきこもって生きてきた。

 「どうせ、誰にも理解してもらえない」と、最初から鎧甲で身をつつみ、できる限り人と話をせずに、型のなか、役割のなかだけで生きてきた。型どおりに話せばすむことだけを話してきた。一度も本音を言ったことがなかった。50年間、日記だけが本音をうち明ける相手だった。

 ウェブ上に日記ページを公開し、自分をさらすことにしたのは、去年姉が54歳で亡くなったこと、来年、母の享年になるせいもある。死んだあと、遺書の中味をどうこう批判されようと、死んだ人の知ったことではない。遺書として、勝手気ままに書きたいことを書くことにした。私が書く内容に、ご不快ご不満のむきもあろうが、遺書なんだから、どう批判されようとひるむこともない。

 とは言うものの、批判されるとすぐショボンとなる、気の小さい人間です。あまりツッコミきつくしないでください。それでも「いぢめる?」
 いじめられても、けなされても、来る日も来る日も更新、更新。ほんとに楽しくたくさんの方々とのおつきあいが始まった。 

 ネットおつきあいのいいところ。身体性をはぎとった、文字だけのおつきあいであるために、男性女性は関係ないこと。もしも身体性が介在するリアル社会で、メールのやりとりからおつきあいしたなら、たちまち「こいつ、ほんとは俺に「ほ」の字。気があるんじゃあなかろうか」などと、あらぬ誤解もはじまって、ややこしくてめんどくさい。

 女性とのおつきあい、ほんとに気持ちのいい関係だ。インターネットをやりはじめて、いろんな方を知ることができた。

 1年間はROMオンリー、読者として気に入った人の日記を読み、感想をメールでおくる、という生活。

 一番最初にクリックひとつにビクビクしながら掲示板に書き込みをしたのは、新潟在住の同業日本語教師「ことば屋」さん。とても明るい元気な日記を読むのを楽しみにしてきた。最近掲示板に行っていない。日本語業界せまいので、身元がばれている人には、しばらくご無沙汰してしまうことにしたのだ。

 大阪の編集者うさぎ屋はね子さん。編集者、編集者養成塾の塾長にして、社会人学生として情報理論を勉強中。ご主人とは別の仕事場を構えているけれど、ときどきはご主人ともデート。ラジニカーンの大ファン。いつでも元気いっぱいで、日記読むだけでこちらも元気をわけてもらえる。

 山陰の翻訳者みょうがさん。弁護士さんのパートナーとは事実婚。成人している子供達と、たまにはいっしょに過ごすけれど、子供成人後は母親卒業。女として好いた男に寄り添って、翻訳の仕事もばりばりこなし、日記にしゃれたエッセイを書く。

 みょうがさんの父君と、私の両親は同じ寺に眠っていることまで判明した。遠く離れて住んではいても「祖で磨り合うも他生の縁、墓石磨いて花を供えて」(みょうがさん作パロディに、春庭が下の句付けました)
 (はね子さん、みょうがさんへのリンクは「話しことばの通い路、コミュニカティブアプローチ・ウェブログリンクにあります)

 私らしさリングでお隣になった、トランスジェンダー実践者あや子さんのことは、10/29の笈の小文で紹介した。(話しことばの通い路トップページ、「私らしさの輪」から飛んでください)

 OCNカフェをはじめてからは、さらにたくさんのすてきな女性を知った。お嬢さんを亡くされたのち、お嬢さんの遺志によりそいながら、たくさんの心なやむ人々にやさしく接しておられるmitsubaさん。同じく、ご自身の苦しい状態を経験して、それをもばねに、深く広い思考を続けるchiyoisozakiさん。いろんな方のいろんな生き方さまざまな考え方を知ることができた。
 
 異なる考え方の人ももちろんいる。人はそれぞれの感じ方考え方をもてばよい。それを自ら表出することが、自由にできる社会がよい。

 私の言説をたどっていけば、私がフェミニストとして生きてきたことがご理解いただけよう。フェミニン、ふぇみふぇみした語感が気に入らないという方には、昔風にウーマンリブと呼んでいただいてもけっこう。女も男も同じように、自分らしい生き方が貫ける世の中を望んで生きてきました。生きて生きぬき早50余年。儲かりはしなかったが、退屈しない人生だった。

 OCNカフェたくさんの足跡をもらうので、大急ぎで読み回る。日記の内容とIDネームを一致させて覚えられないのが難点。でも、これからも楽しく日記サーフィンしていきます。

 全員のIDネームは記憶できなかったが、女たちよ!春庭から、熱い連帯を贈ります。
 そして、殿方ガタ、がたがた言わずに、かかってきなさい!春庭、いつでも胸をひらいて、殿方の寂しい涙を受け止めます。

 春庭は、年中ポカポカ、スプリングガーデン。いつでも私が温めて ア・ゲ・ル! チン!お、早いな、もう温かい。って、これ、トップに出してある駄文と同じね。おそまつさま。 
 
 これまでお読みいただいたみなさん、次回は「第一期あいうえお著者めぐり第一巡の最終回のおまけ、明日は、蛇の足跡15足目」であります。ではまた明日。

 スローライフでまったりと書いてまいります。引き続きのご愛読と、ご意見ご批判よろしくおねがいします。


 おい老い笈の小文目次 
 2003年9月〜12月
 
 いろいろあらーな目次
 2004年4月〜12月
 いろいろあらーな目次
2005年1月〜

おい老い笈の小文2003/09下旬  

おい老い笈の小文2003/10上旬  10中旬  10下旬

おい老い笈の小文2003/11上旬   11中旬  11下旬

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