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おい老い笈の小文2003年10月a

おい老い笈の小文2003/10上旬  読んだ本の思い出とつれづれ昔語り日記
     
日付 タイトル 今日の一冊 著者
2003
10/01
74歳強盗トリックスター こう野から (か)川田順造
10/02 老後はインターネットの海を航海 どくとるマンボウ航海記 (き)北杜夫
10/03 長寿世界一と「元気がなくてもええやんか 光と翳の領域 (く)串田孫一
10/04 ラグナグ国と「エゾ松の更新」 えぞ松の更新 (こ)幸田文
10/05 アルツハイマーには赤ワイン ランボオ (こ)小林秀雄
10/06 歴史の語り部 妻たちの二・二六事件 (さ)澤地久枝
10/07 歴史紀行  歴史を紀行する (し)司馬遼太郎
10/08 読書記録 コルシア書店の仲間たち (す)須賀敦子
10/09 出家という老後 余白の春 (せ)瀬戸内晴美
10/10 罪と罰、悪霊の町 日本の悪霊 (た)高橋和己


74歳強盗トリックスター
at 2003 10/01 05:57 編集

 老後の目標について「20年後に、日本人3人目のノーベル文学賞受賞者になります」と冗談を言うと、日本人学生は「ワッハッハ」と笑ってくれるが、留学生は真剣に「That's great!」と感心したり、応援してくれたり。
 あの、、、ここは笑って、、、。

 笑っちゃったりしんみりしたりのニュース。2003/09/29のNHK昼ニュース。コンビニ強盗の報道。

 中野区のコンビニ、サンクスで「金を出せ」と店員を脅した強盗、他の店員が奥から出てくると、何も盗らずに逃げた。コンビニからの通報でたちまち逮捕。
 犯人は74歳の男性だった。所持金数十円。ほんとうに強盗をするつもりだったのか、それともただ、捕まりたかったのかは、まだわからない。

 74歳という年齢で強盗ときいて、「そんなに困っていたのか」としんみりしたり、よくある「食い逃げ」などをせずに「強盗」すると決めたのはなぜなのか、と面白く思ったり。
 悪さをしまくり、沈んだ世の中の澱をかき混ぜるトリックスターのようだと感じたり。

☆☆☆☆☆☆
春庭千日千冊 今日の一冊No.6
(か)川田順造『こう野から』(「こう」は、日ヘンに廣)

 川田順造は、ケニアに行く前に読んだ「アフリカ関連本」の中で、トリックスター(道化)を広めた山口昌男と並んで、文化人類学的なものの見方考え方を教わった人のひとり。

 川田の『マグレブ紀行』も好きな本だった。ケニアから帰国してから2年後、資金を貯めやっとモロッコからアフリカ縦断の旅に出ることになった。

 いざ、マグレブへという寸前で、出発をとりやめ、飛行機もキャンセル。
 駆け込みできちゃった婚をすることになり、未だにマグレブは遠い。


老後はインターネットの海を航海
at 2003 10/02 07:31 編集

 「老後を豊かにすごしたい」というのは、すべての人の願い。
 でも、「豊かさ」の意味は人によって異なる。ある人にとっては、「ある程度の金」、また、「健康」。「人とのふれあいが一番」という人もいるし、「趣味をきわめたい」という人も。

 さまざまな老後の過ごし方の中で、「ホームページ作成」は、自己表現の喜びと、人とのふれあいを得られる、一挙両得の趣味。多くの高齢者がウェブ上で活躍している。

 カフェで見つけた堀田昭夫さんも、ホームページ作りを楽しんでいる75歳の方。 (まもなく76歳)
 お孫さんの成長を楽しみにするよきおじいちゃんでもある堀田さん、ご自分のホームページhttp://members.goo.ne.jp/home/horitaakio)に、30年続けてきた趣味の切り絵を発表したり、自作の曲をBGMとして流したり。

 昭夫さんのように、ホームページを楽しむ生活。ゆうらゆらりと、ネット海の航海を楽しめたらいいなあ。

 ネットサーフィンはもちろん、ときにはヨットで、ときには豪華客船でクルージング、ときには小さな漁業調査船に乗り込んで、、、

☆☆☆☆☆☆
春庭千日千冊 今日の一冊No.7
(き)北杜夫『どくとるマンボウ航海記』

 「ここではない、どこか」に行きたくてたまらなかった少女のころ、母の勧めで読んだ本。どくとるマンボウシリーズのほとんど、『牧神の午後』をはじめとする初期作品、どんどん読めた。

 北杜夫作品中一冊だけ選ぶなら、やはり斎藤茂吉一家をモデルとした『楡家の人々』


長寿世界一と「元気がなくてもええやんか」
at 2003 10/03 09:16 編集

 ギネスブックに載っている長寿世界一、女性は116歳本郷かまとさん、男性は114歳中願寺雄吉さん。
 男女とも日本人だったが、残念ながら、雄吉さんは、2003/09/28に永眠された。家族が見にいったら、布団の中で大往生をとげていた、という114年の見事な生涯。

 でも、だれもがこんなふうに大往生できるわけでもないし、晩年までシャンシャンと過ごせるわけでもない。

 私の伯母も米寿を超えて、姪たちの顔や名前がわからなくなってきた。それでも伯母に最後まで楽しく生きていってほしいし、好きなものを食べておいしいと感じてほしい。もう、がんばらなくてもいいから、ふんわりとゆったりと、すごしてほしい。

 そんな思いでいるとき、数学者森毅さんの近著『元気がなくてもええやんか』の紹介と著者インタビューが2003/09/14の朝日読書欄に載った。
 天声人語にも引用されたことば、「みんなが毎日ハイになることないやんか。元気がない人もいてええんや」

 こんなふうに言ってもらうと、年中落ち込み、しょっちゅう元気をなくしている私は、ほっとする。元気出さなくちゃ、と自分にはっぱをかけつつ、「元気がなくてもええやんか」とつぶやいて、明日を迎えることにしよう。

☆☆☆☆☆☆
春庭千日千冊 今日の一冊No.8
(く)串田孫一『光と翳の領域』

 若い頃、あんなに熱心に読んだのに、今、本を手にとって目次を眺めても、どんなことが書いてあったのか全然思い出せない、という本もある。

 山登りが好きだった頃、せっせと読み、味わい深く心にとめた串田孫一のエッセイ類。
 伯母が姪の顔を忘れるように、私も好きだったエッセイの内容を忘れている。

 でも、いいのだと思う。全部が全部記憶にあって、すべてのことをくっきりと思い出さなくても。ぼんやりとしている記憶。おぼろげな思い出。それもこれも自分の一部。

 「忘れちゃってもええやんか」と言いながら、ページを閉じる。


ラグナグ国とえぞ松の更新
at 2003 10/04 06:41 編集

 中願寺雄吉さん逝去の報と同じ日の夕刊(2003/09/29付)に掲載された富岡多恵子のエッセイ「ラグナグ国」について。同じ日の新聞だというのは、何かの偶然?

 エッセイのラスト『高齢の人に、「いつまでもお達者で、、、」などと何気なくいったあとで、「いつまでも」の残酷に慄然とすることがあるが、ここはラグナグ国ではないので、怒るひとはいない』

 ラグナグ国は『ガリヴァー旅行記』に出てくる架空の国。その国では稀に「不死の人」が生まれる。不死の運命を持つが、不老ではないため、200歳300歳ともなると、記憶も失い「ただ生きているだけ」の状態になる。

 「作者スウィフトは不死人間の凄惨さをくわしく書いてゆく」と富岡の記述。
 私は、おおかたの人と同じく、子ども向けの「ガリバー」しか読んだことがなく、巨人と小人の国くらいしか覚えていなかった。ラグナグ国を知ったのは阿刀田高の『貴方の知らないガリバー旅行記』による。

 伯母がいろいろ忘れていっても、それでも楽しく生きて欲しいと願うのは、周囲の者のわがままだろうか。本人は失われていく記憶におびえ、自分が自分でなくなっていく過程におののいているのだろうか。天の采配によってお迎えがくるその日まで、命のかぎり生き抜いてほしいと願うのみ。

☆☆☆☆☆☆
春庭千日千冊 今日の一冊No.9
(こ)幸田文『えぞ松の更新』初出「學燈」『木』所収 (け)の項なし

 死すべき生物の運命を享受し、いのちの輪廻を納得するために、何度でも読み返す一文。幸田文のすばらしい日本語文体を堪能し、倒れ伏した老木が若木の栄養となって、新しい命を育てる永遠のめぐりを味わえる。

 読んでないけれど、たぶん『葉っぱのフレディ』も主題は同じじゃないかしら。フレディも勿論、いい本だろうが、幸田文の日本語は、「言文一致」以後の言語表現のひとつの到達点。


アルツハイマーには赤ワイン
at 2003 10/05 07:56 編集

 フランスなどで、定期的に赤ワインを飲んでいる人にアルツハイマー病を含む痴呆症の危険が少ないということは、従来からの疫学調査で報告されていた。この調査が、「神経化学」の研究によって証明された。(2003/09/29付)

 痴呆症のひとつアルツハイマー病の患者の脳には、βアミロイドというたんぱく質が繊維状になって沈着する。赤ワインに多く含まれるミレセチンなどのポリフェノールは、βアミロイドを分解するという実験結果が確認されたのだ。赤ワインのポリフェノールは、アルツハイマーの予防治療に応用できる可能性があるという。

 1日に500ccの赤ワインで効果が上がる。私もビール党から転向しようかな。でも、ビールも研究が進めば、きっと何かの効果があると思うよ。緑茶のフラボノイドやカテキン、コーヒー、ココアにも、医学的効果。「1日にりんご1個で医者いらず」「骨粗鬆、牛乳飲んで骨太に」など、食べ物飲み物はすべて天の恵みなのだ。

 ただし、酒を飲んでも飲まれるな。「アル中の乱暴」は、アフリカに死す。

☆☆☆☆☆☆
春庭千日千冊 今日の一冊No.10
(こ)小林秀雄『ランボオ(「作家の顔」所収)』

 高校の国語教科書で『面とペルソナ』を読んで以来、晩年の大著『本居宣長』まで、読みふけった。志賀直哉が「小説の神様」なら、小林秀雄は「批評の神様」だった。

 私が読み出したころには「小林の批評の方法はもう古い」と言われ、小林を乗り越えることが批評をめざす人の目標になっていた。

 フランスの詩人、アルチュール・ランボーの批評「ランボオ」は、1948年に発表。
 ランボーが『酩酊船』を掲げて登場し、フランス文学界の旋風となったのは1870〜1873年、ランボー16歳から19歳の間のたった3年間だった。

 19歳で「文学的な死」を遂げたランボーは、アフリカの地で病に倒れるまでの20年、アフリカアジアヨーロッパを放浪し、ときに探検家、ときに志願兵、ときに隊商の頭、としてすごした。アフリカからマルセイユの病院へ移され、足を切断する手術を受けたが、1891年12月10日に死去。看取ったのは、妹イザベルただ一人だった。

 『彼(ランボー)は、あらゆる変貌を持って文明に挑戦した。然し、彼の文明に対する
  呪詛と自然に対する讃歌とは、二つの異なった断面に過ぎないのである。彼にとって
  自然すら、はや独立の表象ではなかった。
  或る時は狂信者に、或る時は虚無家に、ある時は風刺家に、然し、その終局の願望は
  常に、異なる瞬時における異なる全宇宙の獲得にあった。定著にあった』

 このような小林の批評のことばに、我々は酩酊し、悪酔いし、ときに吐いた。小林の言葉を乗り越えようと多くの「自称、批評の革命家」が飲み比べに挑戦し、あえなく破れた。

 学生コンパ。これから大いに飲むぞ、といういうときには「アル中の乱暴!」と、わめいたりするのが当時のオヤクソクだった。

 数年前の映画、デカプリオがランボーを演じた『太陽と月に背いて』では、ベルレーヌとランボーの関係が私の想像と逆だった。映画では、ベルレーヌが女役、ランボーが男役だった。そ、そうだったのか、、、


歴史の語り部
at 2003 10/06 04:49 編集

 赤ワイン効果に続けて、脳の老化を防ぐよい方法をもうひとつ。
 思い出を語ることが、高齢者の生活活性化にたいへん良い影響があることが、最近の研究の結果、明らかになっている。

 『100歳回想法』(黒川由紀子著)には、100歳前後のお年寄りの回想が記録されている。遠い過去のできごとを、生き生きと思い出し、語り続けるお年寄りたち。

 心理療法として開発された「回想法」であるが、専門家だけの療法ではなく、家庭でもできる。「家庭でもできる回想法入門」。自分の周囲に高齢の方がいたら、回想法を取り入れよう!

 高齢の方や、そのご家族にインターネットホームページを活用してほしいことのひとつに、「歴史の語り部」がある。

 21世紀の今、高齢となっている方々は、先の戦争や戦後復興を体験した、それぞれが貴重な経験の持ち主。来し方の思い出を、ご自身の文章、家族の聞き書き、語りおろしの録音などで、残してほしい。小さな思い出も、些末に思える記憶も、貴重な歴史の証言。

 私は、舅が残した「山東省出征記録画集」という、中国戦線をスケッチした画集を、いつかまとめて公開したいと思っている。「

 私など、実家の父には「おじいちゃん、その話、もう何回も聞いた!」などと、冷たく言ってしまったこともあり、亡くなった後になって、「もっと熱心に話を聞いておくんだった」と後悔している。

☆☆☆☆☆☆
春庭千日千冊 今日の一冊No.11
(さ)澤地久枝『妻たちの二・二六事件』

 石牟礼道子、須賀敦子と共に、女性作家の中で、愛読してきたひとり。
 『妻たちの二・二六事件』は、澤地久枝が、長年の『戦争と人間』の資料助手の時代を経て、ノンフィクション作家として世に出た最初の作品。

 この後の作品、文庫本になったものは、ほとんど読んでいる。中国へ行く前は『もうひとつの満州』に感銘を受けた。
 戦争ドキュメンタリーや『石川節子』の評伝など、歴史に翻弄されながらも自分の生き方をつらぬいた女性を描いた作も好きだが、一番好きなのは、彼女自身の自伝エッセイ。

 澤地さんは、67歳のときにスタンフォード大学で1年間聴講生として学び、続けてさらに琉球大学の大学院で2年間、国際関係論を学んだ。72歳になった2003年3月には卒業した早稲田大学から、芸術功労者表彰を受けた。

 授賞式(2003/3月の早稲田大学卒業式)での、記念スピーチから

 『私は、卒業論文が万葉集十四巻の東歌の研究でございました。ご存じのように、これは東国の無名の人たちの歌を短歌の形式に採取したものでございます。考えてみますと、私はいつも名前の知られないような底辺の人たち、しかし、その人たちを抜きにしては歴史は一日も成り立たなかったという人たちのことに心を惹かれ、そういう人たちのことを文章にする仕事をしてきたという感じがいたします。

 しかし、これは地味な仕事でございます。私自身としては、だれも認めてくれなくても自分の気持ちが済むようなきちんとした仕事をしたいという思い一筋に生きてまいりましたけれども、今日こういう席にお招きいただいて、母校とは何とありがたいものかというのが私の実感でございます。(中略)

 私たちの身近なところで、歴史はさまざまな人間の物語を刻んでいるんでいるということを思わずにはいられません。』

 どうぞ、あなたの近くにいる歴史の語り部から、さまざまな人間の物語を、受け取ってください。そして、受け止めた物語をインターネットで世界に発信してください。


歴史紀行
at 2003 10/07 08:28 編集

 「子育て卒業後または定年退職後にしたいことは何ですか」という質問への回答として、多数派のひとつが「旅」。

 旅のテーマにはいろいろある。「温泉でのんびり」「よい景色をながめる」「鉄道の旅」「百名山を登る」など、ファンが多いテーマもあるし、「おいしい地酒を探す旅」「マリア像に出会う旅」「世界の動物園を巡る」など、自分の趣味を極めるテーマもある。

 私がテーマにしたいのは、「巨樹に会う旅」「橋めぐり」と「歴史・文学紀行(世界遺産の旅を含む)」

 歴史をたどる旅に、携帯したい本がある。いっしょに旅をしたい作家がいる。その中のひとりは司馬遼太郎。

 「たくさんの人に、自分の歴史を語り、残してほしい」と、願うと同時に、何人かの作家が書き残した歴史小説や歴史エッセイを順々に全集で読みたいと思っている、その作家のひとりが司馬遼太郎なのだ。

 『この国のかたち』は全冊読んだが、『街道をいく』シリーズは、まだ半分も読んでいないし、歴史小説で未読のものもたくさん。

 一番最近読んだ司馬の小説は2001年文庫発行の『ペルシャの幻術師』だが、初出は1956年「講談倶楽部」。雑誌に掲載されたまま、本にはなっていなかった。

 専門的な歴史家の著作でも網野善彦のように、素人にも面白くわかりやすく書いてくれる人もあるが、専門的なことは、歴史好きな方にまかせて、私は、楽しく読める歴史小説から。

 今や「国民的歴史作家」と桂冠がつく司馬遼太郎なので、亡くなったあとも、どんどん著作が増えていく。通勤の電車内しか読書時間がとれない読者としては、新しい本を横目に、「悠々晴耕雨読」の日が来るのを待つしかない。

☆☆☆☆☆☆
春庭千日千冊 今日の一冊No.12
(し)司馬遼太郎『歴史を紀行する』

 たくさん出版されている司馬の歴史エッセイの中で、比較的早い時期に読んだ一冊。風土と、風土が育てる人物について、人物が織りなす歴史について。初出は1968年に文藝春秋に連載された。私が読んだのは1976年発行の文庫本。

  あと何年かして旅行三昧の日がきたら、旅を楽しみつつ、旅先で歴史の本、エッセイ、小説を読み散らしたい。旅から帰ったら、写真を見せながら、孫たちに知ったかぶりで蘊蓄を披露してうるさがられる、そんな旅がしたいです。


読書記録
at 2003 10/08 07:33 編集

 乱読、読みっぱなしの私の読書方法を見て、「せめて読んだ本の題名と著者だけはメモを取っておきなさいよ」と、忠告してくれた友人がいる。

 アドバイスに従って1977年からは、読んだ本の記録を残した。かれこれ26年、四半世紀を越す年月がたったが、忠告を受けて良かったと思っている。

 文庫本は引っ越しのたびに散逸し、単行本の中で、売って金になりそうな本は古本屋行きとなって、日々のおかずに変わってしまった。メモがなければ、読んだかどうか、忘れている本もある。

 一つ残らずメモしたわけではないが、おかげで今、本が手元になくとも、いつ、どの本を読んだか、おおよそがわかる。

 1977年以前に読んだ本については、本が残っているものはわかるが、大半は図書館で借りた本なので、忘れてしまったほうが多い。

 春庭千日千冊では、1977年以前に読んだ本の記憶をたどり、どんな本を読んだか思い出しながらの自分語り、というのを「老いの楽しみ」にしようと試みている。

 1977年以前に読んだ本の著者名をあいうえお順にたどって、読んだころを思い出す。脳の活性化によい。「あいうえお」が何巡できるだろうか。まずは、一巡目から。

 さて、例外として、1977年以後に読み始めた作家を記しておきたい。アイウエオ順でいくと、石牟礼道子、澤地久枝が出て、もう一人好きな作家を「1977年以後に読んだから登場させない」のでは、残念で。

 1990年発行の『ミラノ霧の風景』が出会いの一冊。須賀敦子、たった十年余の作家活動だったが、亡くなるまで次々とすばらしい本を私たちに与えてくれた。

 イタリアのこと、育った関西での思い出、東京での学生生活、フランスへの留学。何を語っても、須賀の日本語で読むと、イタリアや関西が自分のふるさとであるかのごとく、親しくなつかしく目の前に現れる。『トリエステの坂道』『ヴェネツィアの宿』『地図のない道』などなど。

 『遠い朝の本たち』、いつか私もこんなふうに読んだ本のことを語れるようになりたいけれど、ま、こればっかりは、身の丈にあわせて、才無き者は才なきままに、おしゃべりしましょ。

☆☆☆☆☆☆
春庭千日千冊 今日の一冊No.13
(す)須賀敦子『コルシア書店の仲間たち』

 若い頃出会い、共にすごした仲間たちを、30年のときを隔てて回想し、生き生きと描き出している。熱い議論を交わす仲間たち、キリスト者による社会変革をめざして苦悩する仲間たちが、一行一行から、行間から、立ち上がる。

 須賀は、棚卸しをする本の革表紙の匂いまで伝わるように、思い出をいとおしみつつ書き綴る。「珠玉のような」というありきたりの形容しか思いつかない自分がなさけなるような、美しい日本語。

 『コルシア書店の仲間たち』あとがきから。書店をともに切り盛りしたイタリアの友の死の知らせをうけて。

 『ダヴィデの死を電話で知らせてくれた友人にたのんで、私は新聞の記事を読んでもらった。葬儀のミサ参列者の名を、彼は、ひとりひとり、ゆっくり読んでくれた。カミッロをはじめ、この本に出てくる人たちの名が何人もあった。記憶の中の、そのひとたちの、ちょっとした身振りや、歩き方のくせが、ゆっくりと私の中を通って行った。』

 亡くなった友を思い出す、友人たちの名を聞き、彼らのしぐさや姿を思い浮かべる、そういうひととき、私たちは遠くへ去ってしまった人々と共に生き、今はそばにいない人たちが私たちの中によみがえる。

 須賀敦子も、その死後なお、どんどん作品が出版される作家のひとり。味わいつつ、いとおしみつつ、読んでいきたい。


出家という老後
at 2003 10/09 07:23 編集

 『源氏物語』のヒロイン紫の上が、晩年に強く願ったことが「出家」だった。極楽浄土へ旅立つことが、人生究極の望みとして人々の意識にのぼってきたのが、紫式部のころから。

 現代も「老後は仏門に入りたい」という言葉を聞くことがあるが、私の知る限りでは、女性には少なく、男性に多い。男性の出家者は、多くの宗派の住職が妻帯し、普通の家庭生活をおくるのに対して、女性の出家者は、文字通りの「出家」を求められることが多いからではないだろうか。だったら、在家の優婆夷(うばい=清信女)のままでいいかと。

 仏門に入った作家で、思い浮かぶのは、近くは立松和平、玄侑宗久、古くは今東光。
女性では、今東光を得度の師として晴美から名を変えた瀬戸内寂聴。
 瀬戸内は五十を境に、前半は激しい愛憎の中に生き、後半は仏門修行と文学を両立させた。

 寂聴は『源氏物語』の現代語訳や、『女人源氏物語』の中で、出家願望に共鳴しつつ紫の上の姿を描いている。平安時代の一夫多妻制度の中で、紫の上が真に自分だけの精神的自立を求めるには、出家しかありえなかったと。しかし、光源氏は最後まで紫の上を手放すことを拒み、出家を許さなかった。

 「とはずがたり」をもとにした、瀬戸内の『中世炎上』の主人公二条も、前半生は激しい愛憎の生活、後半生は仏門へ。瀬戸内と通ずる人生だった。

 瀬戸内の作品、前半生の自身の激しい愛憎生活を描いた自伝的小説類よりも、後半生の仏教エッセイや源氏などの古典エッセイが好き。そして、激しい生を生き抜いた女たちの評伝作品が好き。

☆☆☆☆☆☆
春庭千日千冊 今日の一冊No.14
(せ)瀬戸内晴美『余白の春』

 私の若い頃の「アイドル(偶像神、崇拝物)」、外国人女性ではローザ・ルクセンブルグ、日本の女性では、菅野須賀子、伊藤野枝、金子文子(すごいラインナップ!)男性では、チェ・ゲバラ。最近ではアフガニスタンのマスード(チェに風貌が似ている気がする)。

 須賀子や野枝は、歴史上の人物として、瀬戸内の評伝『遠い声』や『美は乱調にあり』を読む前から知っていたが、文子については、この『余白の春』を読むまで、遺書となった獄中手記『何が私をかうさせたか』の書名のみを知っていて、その生涯についてはあまり知らなかった。

 須賀子、大逆罪により刑死。野枝、関東大震災の混乱の中、甘粕中尉により虐殺。文子大逆罪により逮捕、獄中で自殺。あまりにも激しい生を生きた女性たちを前にして、私は、ただ、自分のふがいないぐうたら人生をぼやくだけで五十余年がすぎた。


罪と罰、悪霊の町
at 2003 10/10 06:44 編集

 「とはずがたり」二条は、全半生の激しい愛欲生活を罪と感じ、自身の浄化を求めて仏道遍歴の旅をつづけた。

 年をとれば、「未熟なころのあれもこれも、罪なことやったなぁ」と思うことが、いくつも出てくる。

 高齢になるまで、生涯に一度も罪を犯したことはない、という人がいるだろうか。私なぞ、罪だの罰だのが、いっぱい!

 「罪と罰」「犯罪」「資本主義という妖怪」とか、「陰陽師、悪霊退散!」などという言葉を聞くと、私の目の前には、生まれた町の古びた警察署が頭に浮かぶ。「悪いことするとお巡りさんに連れて行かれるよ!」という大人のおどしが効いていたころ、罪人、悪者、悪霊!などがすべて、この警察署の中に詰まっているように思っていたからである。

 小学校の「社会科見学」で訪問した警察署の内部は、カビくさく、薄暗く、罪と罰の匂いに満ちていた。この庁舎は取り壊して、別の場所に新庁舎を建てる予定があったから、署内は古くさいままにしてあったのだ。

 警察署の隣には「スター小間物店」があり、化粧品やアクセサリー、リボンなどの小間物類、女の子があこがれるような品物がたくさん並んでいた。そんなに高級品でない小間物とはいえ、子どものこずかいではめったに買えない品物だった。「鉄鋼労連」の娘には敷居の高い「資本主義という妖怪」の象徴のように思える店だった。

 1度だけ、この店の小さな化粧水の瓶を「黙って借りて」しまったことがある。化粧品のおまけとして販促キャンペーンでついてくる、化粧水見本品のガラス小瓶が気に入ってしまい、欲しくてたまらなかった。母は、クリームひとつ顔につけない人だったから、販促おまけつきの化粧品など買うはずもない。それで化粧品は買わないで、販促おまけを「ちょっとだけ借りて」しまったのだ。

 私が犯した生涯最初の窃盗罪。最初である故40余年たっても罪悪感が消えない。20代のある日、新宿にあった喫茶店の小さな灰皿が気に入って、煙草も吸わないのに、「黙って借りて」しまったこともあるが、こちらは、まったく罪悪感が残っていない。

 スター小間物店の娘とは、中学で同じクラスになり、文芸部でもいっしょだった。高校でも2年間同じクラス。中学、高校を通し、美貌と頭のよさでスターだった彼女は、今「明治女性文学研究」のトップ研究者となっている。

 新警察署庁舎ができて、署長署員一同が移転した後、スター小間物店の隣の旧警察署が一度だけ脚光を浴びたことがある。高橋和己原作の『日本の悪霊』が映画化されたとき、ふるさとの田舎町がロケ地に選ばれからだ。刑事落合が勤務している警察署として、旧警察署が登場した。

 私は一度だけ映画を見たが、ストーリーよりも「知っているあの場所」が、画面のどこにでてくるかに気を取られて見ていた。

 映画は、黒木和雄監督。刑事落合と六全協活動中に地主を殺す罪を負ったやくざ村瀬の二役を佐藤慶。ほか、観世栄夫、渡辺文雄、舞踏の土方巽、フォーク歌手岡林信康(ファンだった)が出演している。原作と脚本は、別の作品というくらい内容が異なると評されている。DVDで、見直したいと思っている。

☆☆☆☆☆☆
春庭千日千冊 今日の一冊No.15
(た)高橋和己『日本の悪霊』   (そ)の項なし

 高橋和己が癌を患って入院したとき、私は彼が入院している病院で働いていた。友人の一人は毎日病室の近くに行って、中に高橋が横たわっているであろう病室の窓を見つめていた。当時、高橋和己は「ファンにとっては神様以上の存在」だったのだ。

 半年後、高橋が亡くなったとき、友人はビルの屋上から飛び降りて死んだ。
 友人が死んでから半年後、私は病院勤をやめた。1971年のこと。


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 いろいろあらーな目次
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 いろいろあらーな目次
2005年1月〜
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