Home Sitemap 日本語 エッセイ 日記 手紙 リンク集

話しことばの通い路Workshop for Nipponianippon Communicative Language& Culture Studies

ウェブログハウス HAL-NIWA
日々雑記いろいろあらーな2004年4月

ポカポカ春庭のいろいろあらーな2004/04      

日付 タイトル 今日の一冊 著者
2004
04/01
今日の色いろ=牡丹色
04/02 今日の文房具=一本の鉛筆
04/05、04/06 今日の色いろ=桜色
04/07、04/08 今日の色いろ=蒲公英色
04/10 今日の文房具=小さなノート
04/12、04/13 今日の色いろ=菜の花色 NoNo.114『聖三稜玻璃(せいさんりょうはり)』
No.115『雲』
(や)山村暮鳥
04/14〜04/16 ひとつの花とハルウララ
04/19〜04/21 今日の文房具=消しゴム
04/22、04/23 今日の色いろ=若緑
04/26〜04/28 今日の色いろ=ネイビーブルー
04/30 今日の色いろ=みどり


心も頭もポカポカ春庭「あなたに春をおくりたい」
2004/04/01 今日の色いろ=牡丹色

 美しい牡丹を見てきました。牡丹園などに咲き競う本物の花ではありません。
 絹地に植物染料で染め抜かれた七つの牡丹。上野の東京都美術館で開催されている展覧会のひとつ「三軌展」工芸の部に展示されています。

 牡丹の花びらの濃淡の色合いが重なりあい、ハーモニーとなって響き合っています。花を支える葉のリズム感あふれる構成。ほんとうに心地よく素直な気持ちで観賞してきました。

 牡丹の花弁それぞれの美しさ。七つの花が調和し、お互いの美しさを認め合い許しあう透き通るような優しさが、淡いグレーの絹地に表現されている。薄暮の中にけんめいに咲いている命の美しさ。とてもすてきな作品でした。

 ウェブ上の日記を読み、掲示板やメールで言葉を交わし合うbirmaさんのろうけつ染め作品です。ひとつの作品が生み出され、完成するまでの過程を、ずっと日記で読んできました。

 birmaさんの日記から。
 「昨日の続きをするが、きのうした所は、くるっていた。描き直し」
 「やっと1色目を引いた。しかし、乾かない」
 「植物染料は手間が2倍以上かかり、金属と反応するので、また、色数が複雑になっていて、簡単には思う色は出ないから、皆、敬遠するのが普通なのです」
 「蝋鍋をつけているので、部屋中油煙が充満している。2日間、蝋置きをしていたら、右目が痛い」
 「裏から見ると、色が濃い所が目立ち、一度、蒸し、蝋落しをしないと、バランスが合わないのではと、危惧される」
「絹の生地は薄く、染料の含有率が少なく、際がよる危惧もある」

 私にはろうけつ染めの技術的なことも、作品制作の芸術上のこともわからないのだけれど、ひとつの作品が仕上がるまでに、制作者はどれほど心を集中し、心身うちこむものかということが、伝わってくる日記でした。

 久しぶりに使用する植物染料で思い通りの色を染め出す難しさ。
 「蝋の調合具合は、偶然だが、模様の際でとまり、キレが良い。温度が上がりすぎれば、ゆるむが、これが、目的にあわせて調合出来ていたら、優秀なのだが、残念ながら、偶然のたまものでしかない」とbirmaさんが書いている、蝋独特の難しさと格闘しているようす。

 そして、作品へこめた思いがあふれている言葉のひとつひとつ。「M君の透明な魂が、ふと、その花を染めたいと思わしてくれたのです。以前から、スケッチに通った花の印象が忘れられなくて、たそがれ時の牡丹の花を染めています」
 ウェブで知った少年の思い出、亡くなった少年の魂に寄り添っている気持ちが描かせた「命の花」であったこと、目の前の牡丹の花を見ていても伝わってきました。
 賞をねらうための目立つテーマではなく、自然な花を描き、透明感あるように染めたい、という作者の意図もよくわかりました。

 「薄暮」と題された作品を見ながら、なんだか涙ぐみたくなるような気分になったのは、作品の美しさと共に、そこに作者の姿を感じとれたからではないかと思います。
 夕暮れ時の寂しい光の中、もう皆おうちに帰ってしまったあとの公園にひとりボツンと取り残されてしまったような気持ちでいるとき、薄暮の中に凛と咲き誇る花を見つけた気分。

 実際の声も顔をわからないウェブ上のおつきあい。それでもこうして「作品」を見つめ、作者が描いた「命」と向き合うことができる。そんな「実在感」が、とても貴重なものに思えました。

 『薄暮』の中に描かれた牡丹の、豊かな命あふれる表情を心のひだに刻み込みながら、「ネットのおつきあいは、はかないものだというけれど、こうしてネットのむこうにいる人の作品に出会うこともできる。パソコンの難しいこと、もっともっと出てくるだろうけど、やはりインターネットのある暮らしをもう少し続けてみよう」と、思えてきました。

 ウェブ上で日記を読んだりメールをやりとりしていると、遠く離れた場所にいてもまったく距離のへだたりを感じないこともあります。また逆に、さまざまな言葉を交わしていも、実際には遙かな隔たりを感じて寂しく思うことも。
 でも、隔たりを嘆いても先へ進めません。書いた文字だけのやりとりの中で、言葉が行き違ったり、掛け合わなくなることもないとは言えないでしょう。
 でも、誤解や掛け違いが出るかも知れないからと、黙りこくったままこの先の歳月をすごすのも寂しいことです。

 つたない言葉ばかりで、思うことを十分に表現できないこともあるでしょう。しかし、自分なりの誠実さを持ち続けて、今、言いたいこと、今話したいことを書いていきたいと思います。
 人生の白秋期、人生の薄暮のひととき、夕暮れの淡い光の中に、私の牡丹も咲くでしょうか。
 「今年の牡丹はよいぼたん」牡丹は季語では夏になるけれど、「あなたにおくりたい春」の第一番として、今年の牡丹をおくります。



心も頭もポカポカ春庭「あなたに春をおくりたい」一本の鉛筆
at 2004 04/04 22:33 編集

 1989年に52歳で亡くなった美空ひばりは、1974年に『一本の鉛筆』という歌を発表した。
 1974年8月9日の第1回広島平和音楽祭で歌唱。ひばりが会場の人々に「二度とおそろしい戦争がおこらないように」と語りかけたメッセージとともに、歌を聞いた人には強い印象を残したという。
 ひばりは、この歌を同年8月16日に録音。10月1日レコード発売。

 亡くなる前年の1988年7月29日の第15回広島平和音楽祭でも、ひばりは同じ歌を歌った。
 テレビ東京「美空ひばりベストヒット30」という番組では、第7位にランクされたということからも、人気の高い曲だとわかる。

また、ひばり以外の歌手でも、雪村いづみ、天童よしみ等がカバー曲として発表している。
作曲者佐藤勝の夫人佐藤千恵子さんの歌っているCDもある。

 作詞の松山善三は映画監督。広島で愛する人を失ったひとりの女性をイメージして作詞したのだという。

作詞 松山善三
作曲 佐藤 勝

1.あなたに 聞いてもらいたい
  あなたに 読んでもらいたい
  あなたに 歌ってもらいたい
  あなたに 信じてもらいたい
  一本の鉛筆があれば
  私は あなたへの愛を書く
  一本の鉛筆があれば
  戦争はいやだと 私は書く

2.あなたに 愛をおくりたい
  あなたに 夢をおくりたい
  あなたに 春をおくりたい
  あなたに 世界をおくりたい
  一枚のザラ紙があれば
  私は子どもが欲しいと書く
  一枚のザラ紙があれば
  あなたを返してと 私は書く

  一本の鉛筆があれば
  八月六日の朝と書く
  一本の鉛筆があれば
  人間のいのちと 私は書く


 私の「一本の鉛筆」はキーボード。「一枚のザラ紙」はモニター。

 あなたに愛をおくりたい、あなたに夢をおくりたい、、、、
 一本の鉛筆があれば、私はあなたへの愛を書く、一本の鉛筆があれば、、、、
 あなたに春をおくりたい

♪♪あなたに 聞いてもらいたい、、、、、
一本の鉛筆があれば/私はあなたへの愛を書く/一本の鉛筆があれば/戦争はいやだと私は書く、、、、♪♪

=================
もんじゃ(文蛇)の足跡:
(歌のメロディをおききになりたい方、「一本の鉛筆」を検索するといくつかのサイトに掲載されています。
たとえば、HPうたごえ喫茶「のび」(http://www.utagoekissa.com )のページ、(http://utagoekissa.web.infoseek.co.jp/enpitsu.html )に掲載されていますので(JASRAC許諾)ごらんください。

楽譜と演奏は、
http://bunbun.boo.jp/okera/aaoo/ippon_enpitu.htm



心も頭もポカポカ春庭「あなたに春をおくりたい」桜色(1)
at 2004 04/05 11:52 編集

心も頭もポカポカ春庭「あなたに春をおくりたい」
2004/04/05 今日の色いろ=桜色(1)

 桜色の庭の春かぜ跡もなしとはばぞ人の雪とだにみん(藤原定家 新古今集)
 さくら色に衣は深く染めてきん花のちりなん後のかたみに(紀有朋 古今集)

 今年のお花見。去年までとは違う桜の姿を見た。雨の中でじっと立ちつくしてのお花見。
 雨が降ったりやんだりの上野公園で、盛りの花や花の下での人々のにぎやかな交歓のようすを見たあと、六義園へ回った。

 六義園には、樹齢50年のしだれ桜がある。樹種はエドヒガンなので、染井吉野の開花より時期が少し早く、今年の夜桜ライトアップは19〜28日の10日間。
 
 私が見に行った30日には盛りを少しすぎ、梢の花も散りかげん。盛りのころの枝枝が重なり合い、盛り上がるごとくに輝く姿とは少しちがっていた。まだまだ美しい花は残っていたが、若葉が萌え出ている枝もある。

 盛りをすぎた花が、雨にうたれてうなだれているようなしだれ桜の姿は、思いの外しっとりとした風情にあふれていた。

 吉田兼好は徒然草の137段で「花は盛りに、月はくまなきをのみ見るものかは」と書いているけれども、やはりこれまでは桜だけは満開を見るのが好きだった。

 今年、盛りをすぎても、しっとりした静かで落ち着いた風情を見せているしだれ桜に出会えたのは、ようやく自分自身も「盛りをすぎた時代」を生きていく自覚がでてきたからだろうか。 

 満開の姿、吹雪にまごう散りゆく姿、若葉青葉のころ。桜はそれぞれの時期にそれぞれの姿をみせる。どの姿も、桜の木の命の発露。
==================

心も頭もポカポカ春庭「あなたに春をおくりたい」桜色(2)
at 2004 04/06 10:36 編集

心も頭もポカポカ春庭「あなたに春をおくりたい」
2004/04/06 今日の色いろ=桜色(2)

 子供と心身寄り添ってすごす、輝くような「家族の時代」は、とうに過ぎ去り、何かと心憂くふさぎがちな時をすごした今年の春だった。
 雨の中に、うなだれたように咲くしだれ桜の姿を眺めて立ち続けた。風に花を散らし、雨に打たれつつ咲く桜の姿。風でも雨でも、咲くときは咲き、散るときは散っていく。

 周囲に落ち濡れている花びらの一枚一枚を目で追いながら、「憂鬱な日には憂鬱なときをすごし、悲しいときには悲しみを抱えてすごす、それしかないのだ」と自分に言い聞かせる。

 良寛さんは「災難に逢ふ時節には災難に逢ふがよく候。死ぬる時節には死ぬがよく候。是はこれ災難をのがるる妙法にて候。」と、達観してすべてを受け入れたそうだが、未熟な私には、まだまだ、そこまでの達観はできない。
 しかし、ことばを失い、言葉にうちのめされることの多い日々の中にあっても、自分なりの生き方を見つけ、苦しみながらもがきながらも、自分らしく生きていきたいと願っている。

 姉の三回忌法要を済ませた。2年前の春、技量の足りない医者の不適切な診断のため、手遅れとなった姉。最後に見たのはホスピスの庭に咲く桜の木だった。
 ふり注ぐ花びらを手に受け、「54歳で死ぬことになるとは予想もしていなかったけれど、これまでの人生後悔していないから」と、運命を受け入れて静かに旅立っていった。

 女手ひとつで二人の娘を成人させ、ようやく好きな旅行へも出かけられるようになったばかりだった。「高遠の桜、三春の桜も、見てきた」と、うれしそうに語っていた。「薄墨桜も見たいし、京都の桜も、、、」という願いは叶うことがなく、姉の命の花はちってしまった。

 桜の花に囲まれた故郷の寺で、姉の名を呼ぶ。
 お盆やお彼岸の墓参りのほか、法事のたびに来ていた菩提寺だったが、母の法事は2月、父の法事は11月。これまで、桜の季節に寺を訪れることがなかった。去年は桜の時期が早く、姉の一周忌のときには、花が散ったあとだった。
 今年はじめて、ぴったり桜満開の時期に寺にきたのだ。

 冬にもどったような冷たい雨の中、寺と墓地を囲む里山の斜面あちこちに、桜が濡れている。本堂の裏山に見事な枝垂れ桜があることに、はじめて気づいた。
 樹木にくわしい人なら、全山青葉の中にあっても、桜の木があることに気づくのだろう。しかし、散歩しながら木を見ることは好きだが、木の種類を書いた掛け札でもなければ、一本一本の種類に格別の注意も払わず、ただ「ああ、大きな木だな」とか「木肌や葉の形がおもしろいな」という感想を持つ程度だった私には、青葉になってしまっていれば、山桜も染井吉野も識別できない。

 長くしだれる枝が冷雨にうたれるままに立ちつくす姿を見て、はじめてこの寺に大きなしだれが桜があると気づいたのだ。桜が大好きだった姉の命日のたびに、この桜を見にこられる。

 桜は命の花。桜を見るたびに命を思い、桜吹雪の中に去った姉を思う。
 姉さん、今年もさくら、咲きました。



ポカポカ春庭の「あなたに春をおくりたい」蒲公英色(1)
at 2004 04/07 13:34 編集

 10年ほど前までは、毎年春になると、親子で川の土手へ遊びに行った。土筆はほとんどがスギナになってしまっているが、草餅にしたらおいしそうなモチクサ、もしかしたら四つ葉のクローバーがひそんでいるかもしれないシロツメクサ。若葉が萌え出る草むらの中で、一日のんびりと春の日をすごした。

 娘はシロツメクサで冠を作るのが上手だった。たいていは小さな弟のために冠や腕輪を作り、弟を飾り立てては「わぁ、王子さまみたい」などと言って二人で喜んでいた。

 私はたいていシートに寝転がり、青い空をながめたり、本を読んだり、ぼうっとしたりしながら、子供達が草遊びに飽きるのを待っていた。
 土手に生えているタンポポは、おおぶりの西洋タンポポだったが、子供達は白い綿毛を見つけると、いつまでもおもしろがってタネを吹き、空に散っていく綿毛を追いかけていく。

 バブル真っ盛りの時代。親たちが子供にお金をかけてやることを競っていた頃だったが、我家は、クラスメートが皆持っているという高価な文房具も遊び道具も買ってやれない、ぎりぎりの生活を続けていた。

 親戚からのお下がりの古びた色合いのTシャツを着ている娘。一時代前のキャラクターがついているのを、悪童連から「ビンボーTシャツ」と囃されたという娘だけれど、楽しげに花冠を作り、弟の手をひいてタンポポの綿毛を追いかけて走り回っている。

 春の日差しはゆらゆら。白い雲はゆったりと流れていく。
================
山村暮鳥

『雲』
丘の上で/としよりと/こどもと/
うっとりと/くもをながめている

『おなじく』
おうい雲よ/ゆうゆうと/馬鹿にのんきそうじゃないか/どこまでゆくんだ/
ずっと磐城平のほうまでゆくんか

『あるとき』
雲もまた自分のようだ/じぶんのように/すっかり途方にくれているのだ/
あまりにあまりに広すぎる/涯のない蒼空なので/
おいう老子よ/こんなときだ/にこにことして/ひょっこりとでてきませんか
================

 我家の生活は雲の行方よりももっとあてどなく、明日生きていく糧があるのかもわからない暮らしだった。

 「春の一日、お金のない親子がお金がないなりにすごす休日。でも、こんなふうにして過ごせるのは、きっと人生の中で最高のひとときなのだろう。いつか子供達が大人になってしまったときには、こういうひとときこそが一番の幸福だったと思い返すんだろうなあ」と、雲の行方を目でおっていた。<続く>

ポカポカ春庭の「あなたに春をおくりたい」たんぽぽ色(2)
at 2004 04/08 11:04 編集

ポカポカ春庭の「あなたに春をおくりたい」
2004/04/08 今日の色いろ=蒲公英色(2)

 いくらでも生えているシロツメクサと、綿毛になったタンポポは遠慮なく摘んでいるが、花の盛りのタンポポは「タネになって飛んでいけないとかわいそうだから」と、摘むのを遠慮していた娘。
 あるとき、タンポポがいつもよりたくさん咲いていた。「今日はちょこっとタンポポも、もらおう」と、娘はしろつめくさの花冠のところどころに黄色いタンポポもいくつか加えて花輪をつくることにした。花がきれいに並ぶよう、念入りに長い茎を束ねていく。

 「おかあさん、これ」と、娘が持ってきた。タンポポを加えたからか、弟の頭にはちょっと大きくなってしまったようだ。

 「ちがうよ、今日はお母さんのを作ったんだ」寝転がっている私に、起きるよう催促して、娘は私の頭に白と黄色の冠を載せてくれた。
 春の戴冠。どんな宝石より美しい冠を得て、ふるぼけたトレーナーシャツを着た母は、世界一うつくしい女王さまになった。

 今は成人し、母への批判舌鋒も鋭い娘。義務教育を終了して反抗期まっさかりの息子。それぞれが思うように休日をすごす。
 もう子供達は「おかあさん、いい天気だから土手へいって草摘みしようよ」と、ねだることはない。

 セピア色に変色した思い出の中、タンポポのあざやかな黄色だけは、いつまでも記憶の中の春の日差しに輝いている。

 「蒲公英の花は、茎からのびた先にひとつの花が咲いているように見えるけれど、実は、はなびらのひとつひとつが独立した花だ。独立した花が自分の花びらを寄せて、たくさん集まってひとつの花に見えるのだ」と、昔、理科の時間に習った気がする。

 花びらはひとつのタネを結実させ、羽を得る。綿のような小さな毛。ひとつひとつがヘリコプターになる。

 時期がくると空へ舞い上がる。風にのって、新しい天地へ。新しい天地に降り、根を伸ばすものもあれば、どこまでも風にのって飛んでいきたい綿毛もあるのだろう。

 タンポポの花びらは、独立したひとつの花。それぞれが思うように飛んでいけるといいな。<タンポポ色終わり>



ポカポカ春庭の「あなたに春をおくりたい」ちいさなノート
at 2004 04/10 17:07 編集

小さなノートを抱きしめる
少女はうれしくてたまらない 
町の学校が再開された
道に瓦礫は残っているけど、学校には机も黒板もある
女の子も学校へ行っていい
はじめての学校、ともだち、字を教えてくれる先生
黒板の文字
右から左へ 上から下へ 下から上へ 
点々をつける 長く伸ばす お碗のように丸めて、、、

インサン(人間)と先生が書く
先生が黒板に書いたとおりに、一生懸命、少女もインサンと書く
消しゴムは買えないから、まちがえないように、ひとつひとつ丁寧に
ウム(母)と先生が書く
先生のお手本通りに、少女は心をこめてウムと書く
少女のウムは爆撃で死んだ、でもこうやって少女は「母」と文字をつづっている

ジャイシュ(軍隊)と先生が書く
少女の顔が曇る
ハルブ(戦争)と先生が書く
少女は鉛筆を下におく

小さなノートに、いっしょうけんめい書き綴ることば
消しゴムは持っていないから、消したくなる言葉は書きたくない

消しゴムはいらないんだよ
明日、爆弾が落ちてきたら
先生が黒板に書いた文字も
少女がノートに書き取った言葉も
全部消えてなくなるから

父の体が砲撃に飛び散ったように、母の体が瓦礫の下に埋もれたように
少女の書いた小さなノートも明日は飛び散るかもしれないのだから
消しゴムで消さなくてもいい

少女はrabi'「春」と書く
wi 'alekumu saalam「あなたの上にも平安あれ」
=============

にんげんをかえせ
峠三吉

ちちをかえせ ははをかえせ
としよりをかえせ
こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわを
へいわをかえせ
==============
四月十日、姉の忌日に



ポカポカ春庭の「あなたに春をおくりたい」菜の花色(1)
at 2004 04/12 07:46 編集

山村暮鳥『風景 −純銀もざいく−』

いちめんのなのはな/いちめんのなのはな/いちめんのなのはな/いちめんのなのはな/いちめんのなのはな/いちめんのなのはな/いちめんのなのはな
かすかなるむぎぶえ
いちめんのなのはな
 
いちめんのなのはな/いちめんのなのはな/いちめんのなのはな/いちめんのなのはな/いちめんのなのはな/いちめんのなのはな/いちめんのなのはな
ひばりのおしゃべり
いちめんのなのはな

いちめんのなのはな/いちめんのなのはな/いちめんのなのはな/いちめんのなのはな/いちめんのなのはな/いちめんのなのはな/いちめんのなのはな
やめるはひるのつき
いちめんのなのはな
===================
 山村暮鳥の作品の中でも、「おうい雲よ」と並んでよく知られた詩のひとつ。
 目の前にパアッと菜の花が広がっていくような、「いちめんのなのはな」の繰り返し。どこまでもどこまでもあざやかな黄色が続いていく。

 しかし、視野のすべてが一色になっているのではない。
 いちめんのなのはなに続くフレーズ、第一連「かすかなるむぎぶえ」第二連「ひばりのおしゃべり」

 目の前いちめんに広がる光景の中に、ひそやかなむぎぶえの音。声が届くよりはるか遠くかも知れないが、確かに人がいる。春の喜びをこめているらしい、むぎぶえの音が遠くかすかに聞こえてくる。

 そして、もうひとつ聞こえてくる、にぎやかなひばりのおしゃべり。春が来たこと、恋の季節であることを高らかに歌い上げ、ここが自分の縄張りであることをせいいっぱい宣言する、ひばりの鳴き声。

目の前に光輝くいちめんの黄色。耳に伝わる人と鳥の気配。

 第三連。いちめんのなのはな。黄色く広がる光の色。その光をたどって目を上にあげれば、昼の月が見える。青い空に青白く浮かんでいる「病める月」
 この「やめるつき」は、詩人の心の象徴だともいう。<続く>


ポカポカ春庭の「あなたに春を送りたい」菜の花色(2)
at 2004 04/13 10:12 編集

 山村暮鳥(1884年〜1924年)は、群馬県生まれ。貧困の中に育ち、16歳で小学校代用教員となる。さらに勉学への意欲を燃やして、20歳で神学校(立教の前身)へ入学。
 生涯を貧困と病苦の中にすごすも、神を信じつつ、詩の創作を続けた。

 同郷の萩原朔太郎らと人魚詩社を興したが、朔太郎が一躍詩壇の寵児となったのに比べ、暮鳥は、生きている間に受けた評価は低かった。
 この「いちめんのなのはな」の詩、「風景」を含む詩集『聖三稜玻璃』(1915)』は、朔太郎らへの影響は大きかったものの、当時の詩壇では認められることがなかった。

 共に人魚詩社を起こした朔太郎は、一足早く詩人としての地歩を固めた。その後は「暮鳥に対して冷淡な態度をとっていた」ことに対して「すまない気持ちでいっぱいだ」と、朔太郎自身が述懐している。(現代詩文庫「山村暮鳥集」1991所収)
 いつも貧しく病気がちに過ごした日々。出版した『聖三稜玻璃』は、詩壇から排斥さえ受ける。

 生きているうちは、報われること少なかった暮鳥。30歳すぎ、ますます病弱となり、当時「死の病」と言われていた結核に冒され、41歳で死去。

 目の前いっぱいに広がる菜の花からあふれ出る色彩、むぎぶえやひばりの懐かしくのどやかな声。それなのに、空には「病める月」を配さないではおられなかった、詩人の心。

 生きてある時、高い世評によって酬われたり、本が売れて実益を得たり、社会的な栄誉を受けたり、そのような「世間様からみて『勝ち組』になる」ことを「人生の価値」とするならば、暮鳥の生涯は「負け組」に属する、と評されるのかも知れない。
 文学賞の数々を受賞したこともない、勲位を得たわけでもない、お金持ちになったわけでもない、ジャーナリズムの寵児となったのでもない。ただ、もくもくと人を愛し、詩を愛した生涯。

 それでも、私はこの「いちめんのなのはな」のフレーズを繰り返し口ずさむのが好きだ。
 遠くかすかに聞こえる麦笛。生きているひばりの鳴き声。
 「病める」ように見える昼の白い月。あふれ出る春の陽光のなかにも、悲しみによって光るような昼の月をとけ込ませる暮鳥の心を、どれだけ理解できているかは心許ないが、私はわたしなりに声を出して朗読する。

 いちめんのなのはな、いちめんのなのはな、いちめんのなのはな、いちめんのなのはな。
 すべては存在する。人も鳥も病む月も。一面に広がる光あふれる黄色の花と黄緑の若葉の中に、病む月もまたひとつの存在。

 「勝ち組」にはならなかった貧乏な病める詩人も、私のこころの中に咲く。いちめんのなのはないちめんのなのはないちめんのなのはないちめんのなのはな、、、、、、
<菜の花色おわり>
☆☆☆☆☆
春庭今日の二冊 No.114115
(や)山村暮鳥『聖三稜玻璃(せいさんりょうはり)』『雲』



ポカポカ春庭の「あなたに春をおくりたい」ハルウララと「ひとつの花」(1)
at 2004 04/14 08:45 編集

 2003年にもっとも多くの売り上げを記録したCDはスマップが歌う『ひとつの花』であった。
 ♪♪小さい花や大きな花/一つとして同じものはないから/ No.1 にならなくてもいい,もともと特別なOnly one♪♪
 
 このフレーズは、小さな子供からお年寄りまで、今や日本中の人が口ずさむことのできる一節となっている。
 昨年末NHK紅白歌合戦で歌い締めのオオトリに選ばれ、春の選抜高校野球行進曲になる。「ナンバーワンにならなくてもいい」と歌いながら、まさに歌の世界ではナンバーワンになったのだ。
 「ナンバーワンでなくてもいい」と歌う曲がCD売り上げのナンバーワンになってしまったというのは、皮肉なことかもしれない。

 もうひとつ、皮肉なナンバーワン。勝てないハルウララの馬券売り上げも、地方競馬場の記録としては「一着」であったという。
 連敗のまま休養入りするそうだけれど、馬券売り上げ一等賞。
 「ナンバーワンにならなくていい」と、走りながらナンバーワン。

 ハルウララの馬名をニュースで最初に見たときは、いかにものんきそうな、暖かそうなネーミングの妙に感じ入った。
 「カチドキオー」とか「クィーン・ストライダー」とか、すぐにも走り出して一着になりそうな名前をつけずに、ポカポカのんびりしたハルウララという名前で、勝てるのかしら、と思って記事を読んでみると、「100回近くも走って一度も勝ったことがないのに、人気が集まっている」という話だった。

 3月下旬、赤字続きの地方競馬、高知競馬場が沸き立った。105回走って105回負け続けているハルウララに、名騎手武豊が騎乗するからである。結果は106回目の負けが重なっておわり。

 しかし、馬券が売れた。「走ってもあたらない」という交通安全のお守りをはじめとするグッズも大いに売れ、周辺への経済波及効果も大きいとか。
 106連敗のニュースを聞いて、多くの人はほほえみと共に勝敗結果を受け止めたことだろう。

 競馬の専門家には、「勝てない馬に人気が集まるのは、邪道。本当の競馬ファンじゃない」という人もいる。
 また、ハルウララへの熱狂を見て「勝てない馬を見て癒されるってすごく後ろ向きのような気がする」という感想も読んだ。

 テレビで人気の人の「負ける馬を観に1万3千人もの人があつまること、本当にこれは後ろムキもいいとこだと思う。〜日本中が大騒ぎするって、日本人の意識そのものが負け組になってきている証拠だと思う」というコメントもあった。

 もしも、日本人の意識が「負け組」になってきているのが現実だとして、それは「後ろ向きのこと」だと言い切れるのだろうか。<続く>


ポカポカ春庭の「あなたに春をおくりたい」ハルウララと「ひとつの花」(2)
at 2004 04/15 08:00 編集

 ヤマトタケル、菅家、業平、将門、判官義経、和泉式部伝説、小町伝説、、、、
 中央で権力をにぎった者、権力の周辺で華やかな生涯をおくった者より、悲劇の生涯をおくり、むくわれることの少なかった人たちに心を向けてきたのが、日本の民衆ではなかったか。

 勝ち誇る成功者の側ではなく、表舞台から追われ消えていった敗者に思いを寄せ、自分の人生を重ねてきた。「自分たちの心の反映」と感じてきた。(御霊信仰の話はまた別として)

 もちろん、鬼を退治してエンヤラヤと宝物をぶんどってくる話も、藁しべ一本拾ったことを幸運として長者に成り上がっていく話も、庶民は大好き。でも、それだけをよしとしたのではなかった。
 幸運を得て、あるいは不断の努力を重ねて成功者となったものをことほぐと同時に、顧みられることもなく敗れ去っていった者や、落魄、漂泊を続けるものをすくいとり、その存在を認めることも、大切にしてきたのだ。

 「世界にひとつだけの花」の大ヒットと、連敗ハルウララへの熱狂と、なんだか似ているところがあるなあ、と感じた。
 「ナンバーワンにならなくていい」「勝たなくても愛される」というキーワード。

 現代のめまぐるしい時代の中で「勝ち組」を続けていられる人はほんの一握り。
 大多数の人々は「ナンバーワンになれなかった人」であったり、私のように「106連敗どころか、年中無休の365連敗をウン十年」の人だったり。

 人々は「バブルはハジケた」と言われても、「右肩上がりにもどることはない」と言われても、「今日よりは明日をよい日にしたい」と思って、残業を続け休みもなく働きいてきた。だれもが自分なりの努力を重ねてきた。しかし、報われたのは、一部の人だけ。自分のところには「ナンバーワン」も、「単勝一着」もない。

 子供のころには「希望の世紀」かと思っていた21世紀になってみれば、経済は下向き、人心荒廃、自然破壊。自分はリストラされるし、子供は「勉強したっていいことは何もない」と言って、少しも勉強しない。結果、落ちこぼれる一方。

 政府は、我らのような何の肩書きもない有象無象の生命など、一顧だにすることもなく、見殺しにしてかまわない存在だと考えていることも、はっきりわかった。

 「自分のところの石油利権を確保するため、あるいは政権維持するため、また、その他もろもろの利益のためなら、有象無象のやつらを気にすることはない。かっては『一銭五厘』の赤紙一枚でまかなえた安い存在の民の命など、拉致されようが誘拐されようが、国の大義名分のほうが大事、盟友国の機嫌を損ねない方が大切」という考えから見たら、確かに、しょうもない存在の「安い命」しか持っていない私である。

 「勝ち組」から見たら「負け犬」でしかない者たちにとって、ハルウララを応援するくらいしか、心の寄せ所はないではないか。ハルウララに騎乗して敗れた武豊騎手が語った「少なくともこれだけの人を集めるのですから、その意味では名馬と言っていいでしょう。機会があったら、また乗ってみたい」という言葉は、大多数の「連敗中」の人の心に温かく届いたことだろう。

 「もともと大切なオンリーワン」と歌う歌詞を、疲れ切った心への「心地よい慰め」と受け止めたい人もいる。それを「後ろ向きの癒し」などと「強者の論理」で裁断されたくはない。 <続く>


ポカポカ春庭の「あなたに春をおくりたい」ハルウララと「ひとつの花」(3)
at 2004 04/17 11:55 編集

 もちろん「ナンバーワン」になった人を立派だと思う。オリンピックに出場したり、競技やコンクールで優勝したりする人を尊敬する。大リーグで活躍するにも、才能のほか、人一倍の努力を必要とすることだろう。

 そういう生き方ができる人は、どんどん自分の方向へ進んでいけばよい。「競って勝つこと」「ナンバーワンになること」を目標とする人はがんばってほしい。目標をめざし、いっしょうけんめい走るのもひとつの生き方。でも、全員が走らなくてもいい。歩いたって這たって、進んでいける。

 「人生において、勝ち続けることだけが必要なのかな」「一番、一着、トップをめざす事だけが努力なのかな」と、人々が考え出したから、この歌、この馬が人気ものになったのではないだろうか。

 「ナンバーワンにならなくてもいい」と、考えている人の生き方も、ひとつの生き方。どちらでも、生きたいように進みたいように歩いていくこと。
 「勝ち」をめざすのでなく、一番になることだけをよしとするのでなく、マイペース、マイウェイをいくこと。それでいいと思う。

 「ハルウララがいっしょうけんめい走って、それでも負け続けたこと」を応援したい人が大勢いたって、いいじゃありませんか。それを「負け組意識」「後ろ向き」などと言わないで。
 「勝ち」をめざさないことは「後ろ向き」?「勝ち」の中味をどう考えるかで、異なるんじゃないかな。
 人と競って、人より前へ出たいと思う人の「勝ち」と、競うことに主眼をおかず、自分なりに満足していけるかどうかに重きをおくかどうかの違い。

 私は、前を向いているつもり。前をむいて、昨日よりはよい人間に、まっとうな人間として生きていけるように心がけているつもり。

 つつましく、ささやかな日常生活をいとなみ、日々のたつきを重ねていくしかない、名もない民のひとりが、愚痴をこぼしながらも、とぼとぼと歩いていく。
 いちおう前を向いて歩いているのだ。ときには自分では歩いているつもりであとずさりになっているのかもしれない。それでも、なんとか進んで行こう。

 特別製でもなく、極上品でもないし、「いなくても特別困ることもない」人にすぎないけれど、たぶん、「私」は、私自身にとって「オンリーワン」。

 しかし、「勝つこと」をめざすことが、マイナスにしか感じられない事態がこの春、あまりに多かった。

 ジョージ・ブッシュは、「9・11同時多発テロ」の後、「テロに負けてはならない。テロにうち勝つ」と言い続けた。
 「9・11」の前、8月6日に、ブッシュ政権は「ビン・ラディンのグループが、米国本土テロをするだろう」という警告をテロ担当特別顧問から受けていた。しかし、その報告を受けたとき、ブッシュは夏休み中だったので(という理由がほんとうかどうかはわからないが)「いつ、どこでテロがおこなわれるかわからないから」と判断して、テロ予防対策をおこたった。

 いったい「いつ、どこそこでテロを行うよ」と宣言してからテロを行うテロリストがいるのだろうか。ブッシュの「いつ、どこでが、わからない報告だった」から、予防対策をとらなかった、というのが、適切な判断だっかどうかは、これから論議がなされていくことなのだろう。
 ブッシュ政権が警告を受けたにもかかわらず、テロ予防対策をとらなかったという情報が発表される前に、イラクとの戦争が始まった。

 バクダッド陥落から1年。「テロ撲滅」と叫びながら、老人や女子供を含めてイラクの人々を殺し続け、結果、テロは撲滅されたのか。報復は報復を生み、テロは拡大する一方だ。
 
 「テロリストが隠れているかも知れないから」という理由でモスクへも爆撃を加え、子供も老人も殺されている。もはや泥沼状態。それでも「勝つ」ことだけが、唯一の解決方法なのか。「世界で一番勝ち」をめざす覇権主義にくっついていくだけが、唯一の方策なのだろうか。

 列車へのテロ攻撃により死者が出たスペインは、イラクからの撤兵を公約とした野党が選挙で第一党となった。
 スペイン総選挙で勝利し、首相への就任が確実視されている社会労働党のサパテロ書記長は3月15日、マドリードの党本部で記者会見し、イラクに派遣しているスペイン軍を選挙の公約通り撤退させる方針を表明した。

 サパテロ氏は「我が国がイラク派兵に加わったのは明らかに過ちだった。武力介入は国際社会の秩序を維持するうえでも、協力態勢を築くうえでも、米国を守るうえでも政治的なミスだった」と述べ、また、ラジオ番組では「市民を爆撃するようなことを二度と繰り返さないために、ブッシュ米大統領もブレア英首相も自己批判した方がいい」「イラク戦争も占領も破滅的だ」と、米英両首脳を批判した。

 「イラクへの武力介入は、過ちだった」と認めた野党を選挙で選んだスペイン国民は「テロに屈した」ということになるのだろうか。「軍事力で勝つことだけが解決方法ではない」と判断した国民は、「負けた」ことになるのだろうか。

 ハルウララへの熱狂に対して「日本人の意識そのものが負け組になっている証拠だと思う」というコメントに、「?」と感じたことから、「勝つこと」「負けること」への意識が人それぞれに違うことを考えた。

 ハルウララは、連敗続けて休養入り。ゆっくり充電してね!
 冷え切った日もあった今年の春だが、気分だけは「春うらら」でいたかった。



ポカポカ春庭の「人生いろいろ」消しゴム(1)
at 2004 04/19 14:52 編集

 アメリカのイラク占領政策の失敗がはっきりしてきた。米政府はこれまでかたくなにこだわっていた「6月末イラク主権移譲をアメリカ主導で行う」という政策を転換せざるをえなくなった。
 「国連主導の暫定政権づくり」がどうなるのか、予断ゆるさぬ状況ではあるが、「すべてがアメリカの思い通りにいかないことを、アメリカ自身が自覚した」ことを国際社会に示したという点では大きい影響があるだろう。

 イラク攻撃占領のプログラムが、どこから間違った方向へつっこんでいき、泥沼状態となったのかは、のちに検証されるに違いない。ベトナム戦争への検証が続けられているのと同じように。

 個人でも、仲間同士いっしょの行動でも、国家も、いつも完璧に過ちなく行動し、すべてを成し遂げるなんてことはできない。いつも迷うし、まちがえるし。

 365連敗ウン十年の私なぞ、毎日がミス続き。失敗、間違い、ミステイクを重ねた人生をすごしてきた。
 
 しかし、「過ちを改むるにはばかる事なかれ」と教わったから、失敗してはやり直し。ミスしては「スタートに戻る」を繰り返した。いっこうに進歩しない。
 「失敗に学び、同じ失敗を二度と繰り返さない」という人と、私のように「のど元すぎれば、また失敗を繰り返す」人では、大きな差となるのだろう。
 
 消してしまいたい失敗ばかり多いから、時間をさかのぼって消してしまえるなら、あれも、これも消してしまわなければいけなくなる。 消しゴムで消してしまいたいような「オバカ」な失敗の数々。
 でも、「顔から火を噴く」ほど恥ずかしかったり「穴があったら入りたい」ような情けない失敗でも、自分の日記には書き残している。

 スケールの大きな失敗とか、多少毛色の変わった失敗でもあったら、面白おかしく吹聴できるのだろうが、「穴があったら入りたい」なんて常套句で表現できる程度のよくある失敗ばかりで、話としてはおもしろくとも何ともないものばかり。

 そんなつまらない人生のつまらない失敗の記録が、段ボール箱に詰め込んである。
 私は「失敗ばかりの人生記録コレクター」なのかもしれない。<続く>


ポカポカ春庭の「人生いろいろ」消しゴム(2)
at 2004 04/20 15:45 編集

 たったひとつ、消してしまいたくても、絶対に後に戻れないことがある。どんなにやり直したくても、もう一度元のまっさらなページにもどしたくても、絶対にもどせないこと。
 「命」
 失われた命は、それがどんなに「まちがいだった」とあとで思っても、取り返しがつかない。

 日本人人質事件では、5人の人質は無事解放され、ほっとした。
 だが、毎日、貴い命が失われていく。どの死も痛ましいが、軍服を着ている者の死は、軍人である以上覚悟の上であり、残された家族にも手厚い保護がある。
 しかし、町の中で普通に生活していた者が殺されても、だれも何の補償もしない。親が殺され、残された孤児は、ストリートチルドレンになる。そのストリートチルドレンを助けようとすれば、政府から「迷惑もの」扱いされる始末。

 毎日、取り返しのつかない、消してしまえない、あともどりできない「まちがいだった」では済ませられない「命」の損失がつづく。
 こんな取り返しのつかないつらい記憶も含めて、私たちは記録していかなければならない。消してしまわずに残さなければ。

 ファルージャで行われた戦闘のあとの町のようすを、見たい方。http://www.albasrah.net/ (04/04/09付掲載)へ。(春庭リンクページから行けます)
 
 このサイトに掲載されたものは、ある一方の視点から撮影されたもの、という制約を飲み込んだ上で、現場を知る手がかりとして、私は写真を見た。子供が、赤ん坊が無惨な姿となっている写真。直視にたえないものもある。だが、これが戦闘のあとの、姿なのだ。

 ロバート・キャパも一ノ瀬泰造も沢田教一も、フリーの立場で現場へいき、命をかけて取材した。すぐれたジャーナリストの死は悲しい。しかし、彼らは「真実の映像」を私たちに残してくれた。

 紛争が起きたら紛争地帯へ、戦争が起きたら戦場へ、「けしてしまえない真実」「なかったことにできない現代史」を記録しにいく。
 現在のような状況で、どのようにしたら現場の真実を伝えられるのだろうか。

 消してしまえない現実があるとき、「消してしまいたい」と嘆きながらも、「なかったことにはしない」という思いでみつめなければならないときもある。<続く>


ポカポカ春庭の「人生いろいろ」消しゴム(3)
at 2004 04/21 07:58 編集

 消してしまいたい出来事、消してしまってはならない出来事、たくさんの記憶が重なっていく。

 私にも傷ついたり絶望したりの記憶が多い。
 「私は失敗ばかりの自分の人生をあつめてきたコレクター」と、自分をふりかえる。集めてうれしいものではなかったが、「仕事で失敗」も、「人との関わりでうまくいかなかったこと」も、自分で背負っていくしかない私のコレクション。失敗も自分自身の記録として胸の中にしまいこむ。

 どんな分野にもにコレクターが存在する。文房具のコレクターもさまざま。
 一本数百万円の貴重な骨董品的万年筆から、一個百円五十円の消しゴムのコレクションまで、蒐集趣味も様々に広がる。

 万年筆などと違い、消しゴムコレクターは、小学校時代に集め始めた、という人が多い。
 食べ物の形の消しゴムを専門に集める人。動物の形を集める人。海外の小学生が使っているものを集める人。
 テレビタレントの楠田絵里子さんは、『消しゴム図鑑(光琳社出版)』という本も出しているほど。

 消しゴムが子供にとって、他の文房具と異なる意味があるとすれば、クレヨンや鉛筆や画用紙などは、「それを使って何かを作り出す」ために使用することが多いのに、消しゴムだけは「消去する」ために使う、ということだろう。

 小学校の授業風景で、ノートに書いた文字を消している顔。一心不乱に手を動かし、一点一角も残すまいと、ゴシゴシこすっている。
 「今、ここにあったものが消えてなくなる」という感慨を、一番最初に手の感覚として感じ取る行為が「消しゴムで消す」という作業なのかも知れない。

 この世に生み出された文字や絵や落書き。紙の上に、今、存在するものを消していく作業。子供達に消しゴムの存在が魅力的なのも、「消して、なくしてしまえる」からなのだろうか。

 パソコンやワープロでかいたものが、鉛筆や万年筆で書くのと大いに異なることのひとつは、消去が一瞬で終わり、クリックひとつで全部消えてしまうところ。

 3月下旬、更新を休止している間に、何度か「これまでネット上に書いたもの、全部消去してしまおうか」と考えた。消しても消さなくても世の中の大勢にまったく影響のない、どうということもないつぶやき。
 どうということもないけれど、言葉が足りないために誤解を生んだり、わかってもらえなかったり。

 でも、わかってもらえないことがあっても、いいや、このままで。
 私が一貫して言い続けていることは、「多様性への寛容」「さまざまな価値観の共生」「いろんな色のパレットがいい」ということにつきる。同じ事を繰り返している。

 「同じ主張ばかり繰り返して、飽き飽きする」という評もあれば「ほかに言うべきことを知らないのか」というマンネリへの苦言も。
 それでももうしばらくは、「飽き飽きするくらい、同じ事のくりかえし」を続ける。

 言い続けていなければ、「それぞれが異なる色でいたい」というささやかな、小さなつぶやきも、押しつぶされてしまいそうな今の時代だから。
 自分で消さなくても、巨大な消しゴムに摺り消されそうな今だから。

最近読んだ雑誌新聞から>『一冊の本』2003年10月号。
 年度替わりの片づけをしていたら、古い雑誌が出てくる。ついつい読んでしまい、片づけはあとまわしになる。家の中はぐちゃぐちゃのまま。ま、いつものことだけど。
 写真家、星野博美『光のゆくえ』というコラムのことば
=============
 『デジタルの世界は私の目の前に、「消しますか?あなたが望むなら、なかったことにできますよ」という禁断の選択を提示する。消せるものなら私だって消したい。しかし一度消してしまったら、もう後戻りはできなくなるような気がする』
=============
 そう、消せるものなら、消してしまいたいと思うことも、なかったことにしたいこともたくさんある。その「消してしまいたいこと」も含めて全部が、私たちにとっての「自分がすごした時間」なのだ。
 その全部を抱え込みながら、後戻りしないために記憶していく。<消しゴムおわり>



ポカポカ春庭の「人生いろいろ」若緑(1)
at 2004 04/22 08:03 編集

 爆撃で破壊された家や死体が横たわる街路の写真をみて「破れ家に葎若葉(むぐらわかば)もなきかの地」という句が頭に浮かんだ。芭蕉の「むぐらさへ若葉はやさし破れ家」をふまえたもの。

 どんな破れ家であっても、この地では、春もたけてくれば若葉がやさしくあたりをつつみこんでくれる。かの地にあっても、一日も早く、やさしさに包まれるひとときがおとずれることを祈る。

 私の周囲では、みどりが目にあざやかになった。若葉の色が心地よい季節。新緑の美しさを満喫する。新緑、若葉、若緑、ということばを目にするだけでも、新鮮ではつらつとした生命力が心身に伝わってくるようだ。

 「若緑」は、うすい黄味の緑色をいう。松の若葉の色が基本だが、「松」以外の木々の葉のみずみずしい緑色も「若緑」と表現する。
 「わかみどりふた葉に見ゆる姫松の嵐吹きたつよをも見てしが」『宇津保物語』

 戦前の嵐吹きたつ世に、姫松の若葉のような「若緑」という名の女性がいた。
 「若緑」は四股名。女相撲の大関の四股名である。

 2004年3月に出版された『女大関若緑』。著者の遠藤泰夫さんは、若緑の息子さん。
 泰夫さんの母親、遠藤志げのさんは、1917年山形県生まれ。子供のころから力が強く、17歳で女相撲の興業元のひとつに入門した。

 当時の女相撲は、三味線なども入る「演芸」的な要素もあったが、大相撲の力士とも稽古を重ねるなど、本格的な格闘技の一面もあった。女と見てあなどり、挑戦してくる草相撲の力自慢の男どもなど、軽く投げ飛ばしてしまったそうだ。

 若緑は稽古に精進し、入門から3年のうちに女相撲の最高位である大関に昇進した。しかし、太平洋戦争の開戦により興行元が解散したため、24歳で引退。

 以後は、愛媛県で子を育てつつ飲食店「若みどり」を経営し、地元へ巡業にくる大相撲の後援をしていた。とくに、愛媛県出身の前田山は、引退後親方となってからも、たびたび志げのさんの世話になった。力士達は志げのさんを「おっかさん」と呼んで慕っていた。

 1957年の巡業でのこと。戦争時に引退したため、引退興業を行っていなかった若緑ののために、引退後10数年たって「取り上げ相撲」ということが行われた。引退して時がすぎてはいるが、当時を「取り上げて」引退興行を行う、という意味だという。

 元前田山の4代目高砂親方は、「勧進元挨拶は若緑さんが土俵に上がってせないかん」と言い出した。若緑自身が土俵に上がって挨拶することを強く勧めた。

 周りの人は、「大相撲の土俵に女が上がることは?」と懸念を示した。志げのさんも「親方に迷惑がかかる」と固辞したが、親方が「若緑関のための巡業だ」と諭し「すべての責任は自分がとる」と言ったそうだ。<続く>


ポカポカ春庭の「人生いろいろ」若緑(2)
at 2004 04/23 06:27 編集

 取り上げ相撲当日、観客約六百人が見守る中、志げのさんは、紋付の正装に威儀を正して世話人役の男性と一緒に土俵へ上がった。「若緑、日本一」とかけ声が飛び、観客は元女大関をたたえたという。

 日本相撲協会は「大相撲の土俵に女性を上げないのは伝統」という立場をとる。しかし、巡業の場所とはいえ、正式な大相撲の土俵にあがって挨拶をした女性がいたことは、写真にも残されている。
 志げのさんは、「相撲の神様に叱られるから、もう二度と土俵にはあがらない」と、遠慮をし、晴れの土俵を踏んだのは生涯に一度だけのことになった。

 立派だと思うのは、「前例だ」とか「伝統だ」という周囲の声に対して、「自分がすべての責任をとる」と、言い切った高砂親方だ。親方は「女相撲だとて、観客に自分の力のすべてを見せた立派な相撲取り」と考え、力をつくして稽古をした者への尊敬の念をたやさなかった。男だから女だからということではなく、「力を鍛えた者」として若緑を評価していた。

 男であれ、女であれ「私が責任をもつ」と、言い切って信念を貫く人は、尊敬するに値する。
 「前例だから」「他の人もそうだから」などとウロウロしたあげく、誰が責任をとるのか、さっぱり分からないままになることの多い世の中で、高砂親方の言動は、まことの「ちからもち」の態度だと思う。
 相撲部屋の主として、自分の巡業の地で行われる興業に関しては「責任を持つ」と言い切った親方。

 一方、自国民の安全に責任を果たしてこそ一国の首長として立つべきであるはずの人は、「多くの政府の人たちが寝食を忘れて努力していくれているのに、なおそういうこと(イラクに残って働きたいという高遠さんのことばに対して)いうんですかねえ。やはり自覚というものをもっていただきたいですね」と、冷たく言い放っている。
 
 武器を体に突きつけられ、何カ所もの隠れ家をひきまわたあと、解放されたことさえまだはっきりわかっていなかった高遠さんが「いやなこともされたけれど、イラクの人を嫌いになれない」と泣きながら語った当時の発言。恐怖と不安の中にあり情報を遮断されていた人が、状況もわからないまま言った言葉を取りあげて「自分たちが努力して助けてやったのに」というとらえ方しかできない発言を、寂しく聞いた。

 政治的な配慮も含めての発言であろうが、「誰も危険を冒さなければ、私たちは前進しない。より良い目的のため、みずから危険を冒した日本人たちがいたことを、私はうれしく思う」と述べたパウエル米国務長官のことばと比べると、なんともあらかさまに温度差があり、背筋が寒くなってくる。「政府の気に入らない行動を取る人に対しては、守ってなんかやらないよ」と、言われた気になる。

 「国の民」、古事記では「青人草」と言い表されている。民草、青人草。青々とした生命が宿り、草が繁茂していくように栄えよという願いがこめられた呼び方なのだろう。
 青い草のような若い人々が、萎縮することなく「より良い目的のために」進んでいける環境を用意するのが、「責任をもつ大人」の役割であろう。

 私が「日本語教育学」を教えている日本人大学生の中にも、日本語教育を担当する希望をもって海外に出かけていこうとしている若者もいる。彼らが、のびのびと広い世界に羽ばたいていける世であってほしい。

 新緑、若緑の季節。私は毎年恒例の「都内庭園めぐり」を楽しみにしている。小石川植物園、後楽園、六義園、古河庭園、新宿御苑、白金台自然教育園などで、萌え出る生命力を心身に浴びる。

 若緑は命の色。萌え出る力のいろ。
「若みどり投げ飛ばしたき人もあり」<若緑おわり>



ポカポカ春庭の「人生いろいろ」ネイビーブルー(1)
at 2004 04/26 15:24 編集

 まだ耳慣れない外来語色名もあるなかで、早くから浸透した色の名前のひとつ。ネイビーブルー。イギリス海軍の制服に使われた色。暗い紫味の青。

 単にネイビー色ともいい、昔は学校の制服に、この色を採用するところも多かった。最近では、セーラー服やネイビーブルー上下の服は人気がないらしい。
 色彩豊か、デザイン豊富な近頃の制服。かわいらしいデザインに変えたら入学希望者が増え、学校のイメージアップになったという話も聞く。新学期の今、真新しいしゃれたデザインの制服が町中を闊歩している。

 私の学校時代の制服は、昔の田舎の女子高校だから、ネイビーブルーの上下。プリーツスカートにブレザーという、いたってあか抜けないものだった。

 ネイビーブルー制服を着てすごした時期、窮屈だった思い出が多い。
 制服に関しては「ソックスは白、ストッキングは黒のみ」という規定の変更を求めて学校側と交渉し、「黒または肌色のストッキング」が許可されたという程度の自由しかなかった。

 日本のネイビー。海軍の教育は、陸軍のそれとはかなり異なる性格をもっていて、かっては、自由闊達であったのだと聞く。
 海軍教育を振り返る人々が「よい教育を受けることができた、よい教育者に恵まれた」と述懐しているのを、いくつかの文章で読んでも来た。

 私は軍事にはうといが、教育については知りたいことがあるので、どのような人々によって、どのような教育がおこなわれたのか、海軍士官学校だけでなく、一般の兵士への教育方法についても、経験者が生きているうちに、ご本人の記録や聞き書きなどをできるかぎり残してほしいと思っている。

 ネイビーと聞いて、現役日本文学者のなかで一番先に名前が思い浮かぶのは阿川弘之。阿川弘之の作品のうち、私は『山本五十六』などの「海軍もの」小説は読んでいない。『春の城』は、いつか読みたいと思っている。戦争の中で自己形成をおこなわざるを得なかった世代の物語。
 これまでに私が読んだ阿川作品は『南蛮阿呆列車』をはじめとする、軽快な旅行記やユーモアあるエッセイだけ。

 「海軍経験者」として、独自の視点で社会みつめる文章を書いてきた阿川弘之の、最近のエッセイを紹介したい。(「文藝春秋2004年3月号より。阿川弘之は、歴史的仮名遣いでエッセイを書いているが、引用部分は、現代仮名遣いになおしてある)<続く>


ポカポカ春庭の「人生いろいろ」ネイビーブルー(2)
at 2004 04/27 13:37 編集

 1月のS新聞に掲載された斎藤勉氏の文章。
 『江田島兵学校の生徒たちは、寝る前に自省のことばを1から5まで唱えて、一日を反省する。「一ツ 至誠に悖(もと)るなかりしか」ではじまる五省の言葉を、常連客の多くが旧海軍関係者である「海軍クラブ」で、皆が唱和するのを聞いた』という記事。
 この「五省」に共感する斎藤氏の記事に対して、学徒出身の士官候補生だった阿川弘之が、自分の体験と元海軍将校のことばを書き残している。

 海軍で過ごした時代に唱えた言葉へのなつかしさはある。しかし、少年期から兵学校へ入学する生徒と、学徒から士官学校へいく候補生とでは、この五省に対しても、対し方が異なっていた。
 阿川たちは、この「五省」が論語の「曾子三省」の焼き直しであることを知っており、本気でこの五省を唱えている者は少なかったと、述懐している。
 
 また、この「五省」が兵学校訓育用にとりいれられた時期は、言論によらず暴力で反対意見の者を封じ込めようとした「五・一五事件」が起きたころと同時期であること、五省が導入された時期以後、海軍がだんだんと右傾化し、「対米一戦辞せず」という方向へむかったことを、阿川は述べている。

 阿川は自分の海軍士官学校の体験の他、大井篤さんの言葉を紹介している。
 大井さんは、「言論の自由無くして近代海軍は成り立たず」という姿勢を守り通した、元海軍大佐。
 「型にはまった人間を作っちゃいかん、というのが、海軍の士官教育の根本方針だったんだから」と、大井は阿川に言ったという。

 「五省を唱えて古き時代を懐かしむ老人」を尊重すると同時に、阿川は「むかしの海軍には、ああいう画一的なやり方を嫌う風潮があった、そのことを知っていて貰いたい」と書いている。<続く>
======
もんじゃ(文蛇)の足跡
04/04/23「若緑(2)」の誤記訂正
あらかさま(誤)→あからさま(正)


ポカポカ春庭の「人生いろいろ」ネイビーブルー(3)
at 2004 04/28 01:06 編集

 『言論の自由』を尊重した海軍から、右傾化していく時代。「型にはまった人間を作っちゃいかん」という根本方針から、画一的に「一ツ気力に欠くるなかりしか。一ツ努力に憾(うら)みなかりしか」と、唱える方針に変わっていった時代があった。
 そういう時代のあとに、ネイビーブルーは、暗黒の波濤に突入していく。

 自分の一日の行動を反省するにも、ひとりひとりが過ぎた時間を胸に去来させるより、「一ツ、言行に恥ずるなかりしか。一ツ、不精に亙(わた)るなかりしか」と、規定通りに唱えていく方がスラスラ事が運ぶ。簡単便利。型によって動くことは、教育の最初には必要なことでもあるのだろう。

 私は、教育の基礎のひとつは「型」の習得だと思っている。「学ぶ」とは「まねすること」だとも。運動競技の習得でも、言語教育でも、基本の型は大切。

 しかし、言葉の教育においては、「文型」を習得した次には、その基礎を応用発展させて、自由に自分の気持ちや考えを言えるようにならなければ、話ができない。
 「基本の文型」だけ丸暗記して詰め込み式に覚えても、実際の会話で運用できなければ、習得したことにならない。

 ところが、「型によって動く」ことが、「自由に動く、考える」ことを奪う結果になるような教育だとしたら、どうなるだろう。型を基礎とし、足がかりとするのではなく、「型にはまる」こと自体が目的となってしまったら。
 型を教え、「命令通りに、命じられたことを型どおりに行う」人間を作り上げる第一歩とするのだとしたら、これほど怖い教育はない。

 中学校国語教師をしていた昔、「新聞を教材として使用するときに注意すること」のひとつとして、「ひとつのニュース、ひとつの論説に対して、必ず複数の紙面を用意すること」というのがあった。
 一方的な報道、一方的な見解を用いて生徒に提供するなかれ。様々な立場からのさまざまな見方考え方、報道の仕方があって、それを受け止めて自分の頭で解釈することが大事。うのみにするなかれ。自分自身で考えられるように導いていくこと」というのが、「ニュース・リテラシー」の根本だと教えられた。

 「海軍兵学校の五省唱和」という新聞記事に対して、それとは違う立場からの異なる見方を書いてある文を並べて読むことができた。
 一方の立場だけでものごとを判断しないこと、ひとつの型だけを信じ込まないこと。

 かって中学高校6年間、毎日毎日、着用したネイビーブルー。あの時代にはあきあきしていた色だったが、今着るとしたら嫌いな色ではない。
 しかし、これから先も、毎日毎日変わりなくこの色の服だけを着なさいと言われたら、またあきあきするだろうと思う。

 海の色は、光によって季節によってさまざまな色合いを見せる。そんな変幻自在の海の色のようにすごしたい。心の海に波風がたとうとも、一色になることは望まない。

「春疾風屍帰還の写真見る」<ネイビーブルーおわり>
=========
もんじゃ(文蛇)の足跡
2004/04/28 0: 8 k***** おれ屍ですか?ショックだな。

K***さん
こんばんは。春庭です。自作の駄句「春疾風屍帰還の写真みる」が、誤解のタネになったようなので、ごめんなさい。K**さんのお気にさわったなら、すみません。

でも、この「はる はやて しかばね きかんの しゃしん みる」の屍は、星条旗に包まれたアメリカ軍兵士の棺桶が並んで、米国本土に送り返される写真を見て作ったものです。

けっしてK**さんのことを「屍」と言ったのではないですからね。

俳句は、17文字の中にすべてを詰め込もうとするので、ときとして自分の異図した表現と、読んだ人の受け止め方が異なることもあります。

もし私の駄句の「屍」を「おれのこと?」と感じてショックを受けてしまったのなら、それは、春庭の俳句がへぼ句だからです。おわびもうし上げます。春庭



ポカポカ春庭の「人生いろいろ」みどり
at 2004 04/30 18:03 編集

 「みどりの日」
 たくさんの人々が一年で一番緑の美しいこの季節を楽しんだことだろう。

 1月2日に「色」について書き始めたときに、「みどり」について解説した。
========
春庭「おい老い笈の小文」2004/01/02より
 色の名の名詞としては、本来の日本語では「白」「黒」「赤」「青」の四色のみ。白は、日光を全反射する。黒は日光を吸収する。赤は、明るい色鮮やかな色すべて。青はあいまいな、どこにも属しようのない色すべてを表現していた。
 
 だから、「青毛の馬」というのは、英語で言うブルーではなく「グレイ」、すなわち灰色の毛をした馬のこと。

 現代でも交差点のシグナルを「青信号」と呼ぶと「あれは、青くない、緑色に光っているじゃないか」と、いう人もいる。
 しかし、青は、「白でも黒でも赤でもない色全部」が「青」だったのだ。「萌え出ずる新しい生命」を表現する「みどり」が「あたらしく萌え出た葉っぱ」の色につかわれるようになり、今では「緑色」という色名が確定した。

 現代のことばで「新しく生まれ出る生命」という意味で「みどり」が残っているのは、「みどりご」という単語のみ。この語も「赤ちゃんなのに、みどりごというのは変だ」と考える人が多くなってきた。(以下略)
==========
 「みどりの黒髪」が「新鮮なつやつやした輝くような黒髪」をさしていうのだということも紹介した。

 「緑」という語がはじめて文献に登場するのは、大化改新後のこと。大化3年、孝徳天皇の時代に冠の制度「七色十三階」のひとつとして登場している。(日本書紀)
 持統天皇4年(690年)の色による冠制では、深緑、浅緑のふたつが登場。

 冠位の名以外での一般的な色名としては、平安時代を通じて「みどり」は「あお」と呼ばれ続けた。青は「みどり」も「灰色」も、寒色系の色全部を含んでいた。

 古事記に、最初に「みどり色」のことであろうと推察される色が登場するのは、出雲の神様、大国主の話の中。

 出雲の大国主は、正妻(嫡后おおきさき)須勢理毘賣命のほか、たくさんの后をもっていた。正妻スセリヒメは、とても嫉妬深い。妻の嫉妬を気にしながらも、出雲の国からヤマトへ上ろうとして装束をととのえ、馬に乗ろうとしたときに、正妻にむかって歌いかけた。

『ぬばたまの 黒き御衣(みけし)を まつぶさに 取り装い 沖つ鳥 胸見るとき はたたぎも これは適わず 邊つ波 そに脱ぎ棄て そに鳥の青き御衣を まつぶさに 取り装い(以下略)』

 この「そに鳥の青き御衣」の色が「みどり色」が文献に出てくる最初のもの、という。
 「そに鳥」は、今でいうカワセミのこと。「カワセミの羽ような青色」すなわち、青みがかった緑色のこと。

 写真でしか見たことのないカワセミ。美しい緑色の羽を、見てみたいとあこがれていた。

 東京都区内で唯一、カワセミの営巣地があった白金台の自然教育園。
 園内のショップで売られていたカワセミの絵はがきなどを買い求め、いつかこの鳥に出会うチャンスがあればいいなあと思っていたが、ずっと姿がないままだった。

 今年も3月に、娘とともに訪れた。カラスの鳴き声がすさまじい。
 園内説明の掲示に「カワセミは園内にはいないことが確認された」と書かれていた。
 広い園内のどこを調査しても、もはやカワセミの営巣地はみつからなかった。カワセミは自然教育園から姿を消してしまったのだ。

 水や空気の汚れが原因なのかもしれないが、はっきりわかっていない。
 カラスに営巣地や卵をおそわれたのではないか、というのが、もっとも考えられることだ。

 園内の木々を黒く埋め尽くす位に数を増しているカラス。大軍団が、ひっそりと営巣していたカワセミをおそったのだろうか。

 輝く緑色青色の羽をもつカワセミ。
 力をもち、数をたのむ集団には抵抗するすべをもたなかった。

 もちろん、カラスにもカラスの言い分がある。「我々は、園内を占領しているのではない。園内の平和維持に貢献しているのだ」
 娘といっしょに園内を歩いたが、カラスがびっしり枝という枝にとまっている大きな木の下を通り過ぎるとき、「つっつかれたらどうしよう」と不安になった。

 今回のみどりの日、都内散歩では、自然教育園までは足をのばさなかった。
 自転車で、上野公園→岩崎邸→小石川植物園→六義園→古河庭園、と回った。みどりの日には、一ヶ所にゆっくりするのではなく、ちょっとあわただしいが、なじみの緑に出来る限りたくさん会おうと思っている。

 園内に「お気に入りの木」があると、「やあ、やあ、元気にしているね。みどりの葉っぱがつやつやしているよ」など、声をかける。
 木からも「おう、しばらくだったね。元気かい」と、いうように葉づれの音が聞こえてくる。「ちょっと、落ち込んでいたけど、もう大丈夫。また元気だすから」木々にあいさつをして、次のみどりの園へ。

 「四月尽疾風怒濤を胸に受く」
 疾風怒濤。いつも激しい風と波に翻弄されるが、でも、木々に癒されて、また新しい月へ。


 

春庭ロフト目次

春庭ワークショップ目次

話し言葉の通い路トップ  サイトマップご案内 リンク集

話しことばの通い路