| Home | Sitemap | 日本語 | エッセイ | 日記 | 手紙 | リンク集 |
Workshop for Nipponianippon Communicative Language& Culture Studies![]()
ポカポカ春庭日々雑記いろいろあらーな2005年1月![]()
![]()
ポカポカ春庭のいろいろあらーな2005年1月
「年始雑感」
日付 タイトル 今日の一冊 著者 2005
01/04動詞(1)走る 01/05、06 動詞(2)笑う 01/07、08 動詞(3)書く
![]()
ぽかぽか春庭のニッポニアニッポン語「走る>動詞(1)」
2005/01/04(火)
「走る」
箱根駅伝。今年は、娘の在学校が14年ぶりに出場するというので、娘が一番気合いを入れて観戦した。
学科はことなるが、教職科目のひとつで同じクラスになった友達が出場できるかもしれないというので、予選会のころから正月の箱根を楽しみにしていた。
その友達は、走ることが好きだ、というだけで競走部に入部した。他の部員は全員、スポーツ推薦で入学し、高校時代に陸上競技で実績を持っている選手ばかり。彼は高校時代に特別な実績もなく、入部を断られた。
しかし、「正規の部員としてでなくてもいいから、練習だけでもいっしょにやらせて欲しい」と直訴して練習に加わり、熱意が認められ、はれて入部したのだという。
しかし、1年生でも2年生でも予選会落ち。箱根に行くことはできなかった。それでも、とにかく走ることが好きで、彼はひたすら練習に取り組んだ。
2004年予選会の結果、箱根駅伝20チームに選ばれたあとも、もくもくと練習。「このまま調子がよければ、たすきをかける10人に選ばれる可能性もある」と、うれしそうに語り、ますます練習に熱が入った。
ところが、箱根の本番を前に、足を痛めてしまった。練習で無理をしてしまったのかもしれない。
「もしかして復調したかもしれない。選手に選ばれたかもしれない」と、インターネットで調べた代表選手補欠選手の中に友達の名前はなかった。
「がっかりしているだろうなあ、あんなにいっしょうけんめい練習していたのに。出られるかもしれない、って言ってあんなに喜んでいたのに」
箱根で走ったのは、20チーム。10区間を走るのは200人。
期待されて1区をまかされたのに、走っている途中で不調になり、リタイアかとおもわれながら走り続け、中継地点に倒れ込んだ選手。区間記録を作り次々にごぼう抜きを演じて笑顔でたすきを渡す選手。200人ひとりひとりにドラマがあると言われる。
しかし、200人のうしろには、選ばれなかったさらに多くの人のドラマがある。娘の友達にとっても、入学以来の地道な練習の日々が、はれのたすきに結びつかなかった。それでも、みんなまた明日から走り出すのだろう。次のゴールめざして。
子どもの頃、一番きらいな学校行事はマラソン大会。自分で走るのは大嫌いだし、なんで、正月そうそう、山道をえんやこらと走るのなんか、見たいんだろう、と、思っていた。雪のちらつく箱根の坂がテレビ画面に映ったりすると、寒い中、走るほうもどうかと思うけど、沿道でうれしそうに旗なんかふって、何が面白いんだろう、と思った。
新年の農耕予祝行事として、綱引き競争、相撲などが行われる地方が各地にあることを知ったのは、民俗学を習ってからである。新しい年をむかえて、さまざまな競争競技で勝利を競い合うことが、予祝の意味を担っていたと教わった。相撲で、東方が勝てば東の地区が豊作、西方が勝てば西の地区が豊作。
子どもたちが小さいとき、正月に何もすることもないので、もらった招待券で東京ドームのライスボールを見に行ったことがあった。ドームいっぱいの5万の観衆の前でひとつの楕円形のボールを追いかける選手達。アメリカンフットボールのルールも何も知らないで見たのだけれど、晴れやかなお祝い気分をたっぷり味わえたし、ようし、選手達に負けないよう、今年1年がんばろう、という気持ちにもなれた。
年の始めに、「この1年をよりよいものにしたい」という祈りを込めて選手達は走り、プレイし、それを人々は応援をするのだろう。勝っても負けてもこの1年を予祝できるのだ。
富士山を見つめながら、また背負いながらひたむきに走る箱根駅伝。坂道を、潮風を受ける海辺の道を、都会の雑踏を、走り続ける。踏切で足踏みをさせられることもある。
走り続ける姿に、私たちは、これから先1年間の自分の「人生RUN」を重ね合わせる。ときに不調に顔をゆがめ、時には途中リタイアさえある人生の道。
私はもう、急ぎはしないし、一等賞もめざさない。ゆったりゆっくり自分のペースで。休んでも歩いても、這ったっていい。そんなのんびりランニング。
今年の箱根駅伝は、タイムオーバーになってたすきをつなげずに泣き崩れる選手はいなかった。
娘の在学校も成績はふるわなかったが、なんとかたすきを最後までつなぐことができた。私の出身校は22秒及ばずシード落ちで、ゴールランナーは泣いていた。現在出講している学校のひとつもシード落ち。
また来年は予選会から。一番下からこつこつと積み上げて走りましょう。
今日から仕事スタートの方も多いだろう。私は3日に漢字テストを作ってメール送信した。
よいスタートをきって、1年のゴールをめざしましょうね。
12:58 | コメント (8) | 編集 | ページのトップへ
ぽかぽか春庭のニッポニアニッポン語「笑う@>動詞(2)」
2005/01/05(水)
「笑う@」
相撲や綱引きなどが農耕予祝行事として行われることを、01/04に紹介した。
正月にはさまざまな祝いの行事があるが、今はすっかりすたれてしまったものも多い。昔は正月に欠かせないものだった万歳。三河万歳、加賀万歳、豊後万歳など、祝いの舞と囃し方がふたり連れで、門ごとに回って歩いた。今でもこの「万歳」が、家々を回る地方があるなら、うらやましいことだ。
今住んでいる東京はもちろん、私が育った田舎でもすでに、万歳は見なかった。獅子舞はみたことあるが。
今では「マンザイ」と言えば、二人組が面白いことを行って客を笑わせる「漫才」を思い浮かべる人がほとんどだろう。
漫才やコントによって、一年の笑い納めをしたり、笑い始めをしたり。現代ほど積極的に「笑い」が求められている時代はなかったのかもしれない。
もちろん昔から「笑うこと」は人々に必要とされ、神事のあとには「もどき」という笑いを誘うものがあったし、私が子どものころ「おこうしんさま(庚申講)」の祭りで見た神楽奉納でも、おかめとひょっとこの面をつけた面白おかしい神楽舞があった。
笑うことを特別な神事として、特化したのが、山口県防府市の無形民俗文化財「笑い講」の神事。こちらは正月ではなく、十二月に一年納めの行事として行われる。おそらく昔は冬至を祀る農耕予祝行事だったのだろう。
「笑う門には福来る」ということわざが、近年「科学的、医学的」に証明され、おおいに「笑うこと」が称揚されている。
病院の患者さんを被験者として、漫才などのお笑いを見る前と見た後の免疫力のちがいを検査した。笑った後では免疫力が高まることがデータとしてはっきり証明された。
笑うことで精神が開放され、さまざまな生理的な反応が起こる。結果、ホルモンその他に作用し、心身によい影響が及ぶ。
笑いの研究は、心理学や生理学などさまざまな分野での研究があるので、学術的な研究はそちらにまかせるとして、人は何故笑うのか、という質問への回答のひとつをあげる。
人は危険な状態にあるとき、緊張した場面では、すぐに行動して危険を回避する必要がある。そのため自律神経系交感部門が働き、筋肉の興奮性を高める。このとき、副腎ホルモンのアドレナリンが分泌される。
この危険や緊張が回避されたとき、攻撃や逃走をせずにすみ、安全が確認されたとき、無駄に放出されたアドレナリンを鎮めるために人は笑う。緊張の弛緩を表現して、自分は相手に危険を感じていないことを示し、安全を確認する。不安をしずめ、安心できる状態を確かめる。
立派な身なりの紳士が、気取って歩いている。バナナの皮を踏み、ころぶ。それを見て周りの人が大笑いするのは、紳士の登場で緊張した場が開放されなごむからである。よちよち歩きの歩き始めの幼児がバナナの皮を踏んでころんだり、足もと不確かな高齢者が、杖にたよってようよう歩いているときにころんだりしたときには、笑いだせない。<笑う つづく>
17:29 | コメント (4) | 編集 | ページのトップへ
ぽかぽか春庭のニッポニアニッポン語「笑うA>動詞(2)」
2005/01/06(木)
「笑うA」
ことばの笑い。固定的な考え方や見方が、機知やウィットによってくつがえされ、精神が開放される。新しい見方や考え方によって自分の固定された感性が開放され笑いがおこる。冗談、冗句、Joke、笑い話。
猿の赤ん坊をつかった実験のひとつ。
針金で猿の母親を形作り、胸の吸い口からは乳が出るようにしておく。もうひとつの擬似母は、布や綿で作り、その胸はふんわり暖かく赤ん坊をつつむように仕立ててある。
赤ん坊の行動を終日観察すると。おなかがすいたときのみ、赤ん坊は針金の母に近づく。乳で腹一杯になれば、すぐに布製の母のもとにもどり、胸のなかにおさまる。針金の母をかくし、布の母だけになったとき、おなかがすいても、パニックになることはない。しかし、布の母をかくし、針金の母だけにすると、いくらおなかが満たされても、赤ん坊は不安でいっぱいになる。
赤ん坊にとって、一番大切なのは、腹をみたすことより、安心できる環境。自分をつつんでくれる暖かい胸である、という実験結果。
体に必要な栄養以上に、「安心」を必要とするのが類人猿なのだ。
戦乱や災害など、不安なことがつづくときこそ、笑いが必要とされる。
不安を解消し、安全に包まれていることを確認するためにも、笑いは大切な行動。
現代日本に住む私たちは、かって人類が味わったことのない「飽食の時代」にいるといわれる。しかし、捨てるほどの食べ物に囲まれていても、安心して憂いなく暮している人は年々減っていく。
環境への不安、リストラ失業、年金制度の崩壊、若年層の将来への不安。かっての「右肩上がり」の時代にはなかったさまざまな不安要素が私たちを取り巻いている。
不安は、日常の中に蔓延し、日々緊張と敵愾心をかきたてられる。こんな時代だから、できる限り笑ってすごしたいと、人々は笑いを求めるのだろう。
2005年のスタート。笑って始められましたか?
残念ながら私は、笑顔もひきつる状態で、おなかの底からくったくなく笑えない毎日ですけれど、でも、「明けない夜はない」「春のこない冬はない」という言葉を信じて、「笑う門には福来たる」を、やってみます。
00:03 | コメント (9) | 編集 | ページのトップへ
ぽかぽか春庭のニッポニアニッポン語「書く@>動詞(3)」
2005/01/07(金)
「書く@」
年末には書く気になれず、正月3日になってようやく「もらった年賀状の返事」を書いた。
大学院留学生と教員研修生の日本語初級クラス学生たち。あて名の文字一字一字をいっしょうけんめい書いてくれた学生たちへの、お年玉年賀状返事
表「○○<県> ○○<市> ○○<区> ○○大学国際交流会<館> ○○<様> 」
裏「日本語の<勉強>と 専門の<研究>がんばってください。< >の漢字は、1月12日の漢字試験にでます」
来日3ヶ月。「あいうえお」から初めて、漢字を250ほど覚えたクラスへのお年玉として、漢字試験問題50満点のうち、10点分の出題を教えてあげる親切年賀状。漢字テスト、しっかり書いて、いい点とってね。
舅姑の介護のため、ご主人の実家のある県へ引っ越しした友人からもらった年賀状。
親御さんの介護をまっとうして、見送りをすませたあとの近況報告。
「ボランティアで日本語教室参加、勉強中です。こんなに日本語が難しいのかと頭をかかえてばかり。でも、とても楽しいです」
こんな近況のひとことが書かれていると、返事を書くにも心をこめて、私の近況を。
「Uさんが引っ越してから、Aダンスサークルで、私はただひとりの太目ダンサーになって踊っています。このお正月でも、さらに体重UPです。日本語って思ったより奥が深いでしょ。日本語教育楽しんでつづけてくださいね」
投函してから、あ、これって、「あなたも太めダンサーだったわね」って言ったことになるかなと思ったが、ま、いいか。
今年も、年頭の誓いは「ジャズダンス発表会までにはダイエット」である。
プリンターが不調のため、宛名は手書き。とりの絵と賀詞と、各国語の「新年おめでとう」にあたる言葉を書いてコピーした。
Bonne Annee! !Feliz ano nuevo! 新年快楽! ハングルでカッセアンニョンハシムニカ? タイ文字でサワッディピーマイなどなど。
受け取った葉書のほとんどは、表裏パソコン仕上げ。「文字をちゃんと書くのなんて、年賀状くらい」と言っていた人たちも、昨今では宛名も賀詞も挿絵もすべてパソコンで作るようになってきた。
毎年、筆書きの賀状をくれた恩師や舅が物故してからは、手書き筆文字は一枚もなくなった。
「書く」は「掻く」から転用された語。
掻くは「引っ掻く」のように、爪や折った枝などとがった物を強く動かして、他のものの表面にあてる動作をいう。「爪で背中を掻く」「琴を掻き鳴らす」「オールで水を掻く」また、目立たせて外に強く表す状態もいう。「いびきをかく」「汗をかく」「恥をかく」
「貝多羅葉」という筆記媒体がある。
サンスクリット語の仏教教典を学ぶ人などは、貝多羅葉にかかれたサンスクリット文字(梵語文字)を読むことも必要になるが、私は「貝多羅葉」をどのように読むのかさえ、数年前まで知らなかった。
ばいたらよう。タイではバイラーンと呼ばれる。紙が発明され普及する以前に、文字を書き残すために、インドなどで用いられた。
貝多羅という木の葉っぱに、鉄筆のようなとがったもので傷をつけて、経文を一字一字書き記し、墨を流し込んで読めるようにする。掻いて、文字部分を外に強く出し目立たせる。
中国でも、紙の発明以前は、骨や甲羅や木片にとがったもので引っ掻き傷を刻み込み、そこに墨を刷り込んだ。
この筆記具だと、いかにも「書く」ではなく「掻く」のほうだ。<書く つづく>
07:32 | コメント (4) | 編集 | ページのトップへ
ぽかぽか春庭のニッポニアニッポン語「書くA>動詞(3)」
2005/01/08(土)
「書くA」
私が経験した「掻く=書く」動作は、中学校教員時代のガリ版印刷。30年も昔のことになる。
鉄筆と蝋引き紙で版下を作る謄写版印刷。
ヤスリ板の上に薄い謄写用紙をのせ、カリカリと鉄筆を刻み込む。地道な作業だが、「ものを書く」行為が、直接手の感触となり身体の記憶として刻み込まれる動作だった。
冬の夜、かじかむ手に息をふきかけながら、学級通信やテスト問題をカリカリと鉄筆で書き続けた記憶も、遠い時代のものとなっていく。
私と同じ頃に教員になった人たち、ガリ版作業を覚えている教師たちは、まもなく大量定年を迎える。
甲骨文字や貝多羅葉の時代から、紙の発明へ。紙と墨の時代が長くつづいたあと、万年筆、鉛筆、ボールペンなど、様々な「書く」道具が出現した。そして今、私の筆記具は、キーボードになっている。
キーボードを打って文章を記すのも「文字を打つ」ではなく「文字を書く」でよし。しゃべるのと同じ早さで打っていけるキーボードは、私にとっては、「書く」というより、おしゃべりの道具。
インターネット時代になって、大勢の人々が自分自身の文章を発表するようになった。去年あたりからブログが大流行。だれでも気軽に自分の思ったこと考えたことを、絵や文字にして表現でき、発表できる。
私は、45年間、自分のために毎日の日記を書き続けた。45年前はえんぴつで。次に万年筆やボールペンで。15年前からワープロで、7年前からパソコンで。
2003年9月からネットのかなたで読んでくれる人を想定した文章を書くようになった。楽しくもあるし、自分の表現力のなさに落ち込んだりもする。
まだまだ未熟な表現ではあるけれど、今年も、愚痴やぼやきをたくさん書いていきます。
ことばと文章が大好き。ことばによって人とコミュニケートすることの喜びを広げていきたい。
ガラスが割れて寒いとか、心も寒いとか、愚痴話ぼやき話ばかりの今日この頃ではありますが、春庭サイトを読んでコメントをくださる皆様、感謝感謝です。
今年もご笑読のほどよろしくお願い申し上げます。
10:21 | コメント (10) | 編集 | ページのトップへ
いろいろあらーな
2004年総目次
04年4月 04年7月 04年10月 04年5月 04年8月 04年11月 04年6月 04年9月 04年12月
おい老い笈の小文
2003年総目次
03/10上旬 03/11上旬 23/10中旬 03/11中旬 03/09下旬 03/10下旬 03/11下旬
話し言葉の通い路トップ サイトマップご案内 コミュニカテイブ アプローチ ウェブログハウス春庭 フリースペースちえのわ カフェ ら パンセ・ソバージュ リンク集
![]()