Workshop for Nipponianippon Communicative Language& Culture Studies
ポカポカ春庭日々雑記いろいろあらーな2005年夏

ポカポカ春庭のいろいろあらーな2005年夏(7月8月9月)
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東京ふり-ふり-生活 |
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2005
07/03 |
ヒーリングボイス |
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| 07/25 |
東京ふり-ふり-生活Tokyo Free Free Life |
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| 07/26,27 |
野外バレエ(1)(2) |
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| 07/28 |
麦酒」記念館 |
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| 07/29 |
麦酒記念館のスタインウエイ試奏会 |
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| 07/30 |
恵比寿ガーデンプレイス・スターライトシネマ |
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| 07/31 |
スターライト・シネマ「アメリ」 |
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| 08/02 |
庭園美術館ミュージアムコンサート |
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| 08/03 |
白金プリンスホテル? |
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| 08/04 |
貧乏性@究極のおしゃれ |
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| 08/06 |
貧乏性A無料割引ご招待 |
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| 08/07,08 |
プリンスホテルのディナーショウ(1)(2) |
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| 08/09,10 |
平和祈念像(1)(2) |
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| 08/11,12 |
花火大会(1)(2) |
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| 08/17,18 |
シャルウィダンス?(1)(2) |
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| 08/24 |
芝居見物『もとの黙阿弥』 |
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| 08/26 |
縄文vs弥生(1)科学博物館 |
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| 08/27 |
縄文vs弥生(2)縄文のムラと弥生のムラ |
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| 08/28 |
縄文vs弥生(3)勾玉 |
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| 08/31 |
スーパーよさこい2005 |
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| 09/02,03 |
プラチナ通り散歩(1)(2) |
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| 09/05,06 |
東京お湯めぐり(1)(2)ラクーア温泉 |
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| 09/07 |
東京お湯めぐり(3)ヤナギ湯i |
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| 09/12 |
舞楽・蘭陵王 |
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| 09/13 |
ミュージアムコンサート(1)大鼓独奏 |
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| 09/14 |
ミュージアムコンサート(2)モンゴルの馬頭琴 |
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| 09/15 |
万年時計(1)キテレツ君のご先祖様 |
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| 09/16 |
万年時計(2)からくり儀右衛門 |
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| 09/17 |
万年時計(3)モノづくり |
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| 09/18 |
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| 09/19 |
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| 09/20 |
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2005/07/03 日 16:26
やちまた日記>ヒーリング・ボイス
「笑いによって、免疫力が高まる」という研究成果が、しばらく前に話題になったが、現在は、音楽による癒し効果についての記事をときどき見かける。
実験などで科学的な医療効果、免疫効果などが証明され、老人施設や病院などで「ヒーリングミュージック」として取り入れられているという。
何年か前に妹が入院した病院でも、院長が熱心にヒーリング音楽に取り組んでいた。毎月院内コンサートの催しがあった。私が妹を見舞った日は、「昨日きていたら、ピアノコンサートがあったのに」と言われたが、次の院内コンサートのときには、もう退院していたので、病院内でのコンサートは体験できず。
姉が入院して最後の日々をおくったホスピスでは、ボランティアのキーボード演奏を聴いた。入院患者はひとりも聞いていなくて、耳をかたむけていたのは、私ひとりだったが。
島川万里奈さんも、ヒーリングミュージックに取り組んでいるシンガーソングライターのひとり。美しい響きのスキャットを聞いているうち、リラックスして医療効果も高まる。
患者さんにとって、島川さんの歌声を聞くことで、日頃の不安や不眠を癒す貴重なひとときを過ごせる。
コンサートでいい気持ちになって寝込んでしまう人をみると、癒しの効果を実感できると、島川さんは語る。
土曜日の夕方、東京駅前にある丸ビル一階の吹き抜け空間「マルキューブ」で、「カノン」という歌手のミニライブコンサートがあった。
4時前に偶然通りかかったら、リハーサルをしていた。5時からミニコンサートがあるというので、丸の内界隈を散歩してから、マルキューブに戻った。
カノンさんは、海外で暮らしていた13歳のとき聖歌隊に加わり、音楽家をめざすようになった。オーストラリアの音楽大学で声楽を学んだのち帰国し、2002年から作曲を中心にプロミュージシャンとして活動開始。2004年メジャーデビュー。2005年6月にファーストアルバム発売。
先月タイで行われた日本対北朝鮮のサッカー試合では、試合前の国歌斉唱歌手として選ばれたので、カノンという名を知らなくても、彼女の歌声を聞いた人が多いだろう。
さて、帰宅時間をおくらせて聞いた「カノン」の歌声。最初の「翼をください」は、うっとり聞いていた。さわやかで透明な歌声。耳に心地よく流れる。
そのあと、数曲きいた気がするのだが、あっと思ったとき、カノンさんは「では、最後の曲になります」と、アナウンスしていた。1曲か2曲の間、ねちゃったみたい。
これまでなら、「せっかくコンサートを聴いていて、寝ちゃうなんて、歌手に失礼なことをした」と、反省するところ。でも、「ヒーリングボイス」の効果のことを知ったので、「ああ、カノンの声は私の脳をいやしてくれたんだ」と思うことにした。
関東地方の人、カノンの歌声は、日曜夜11時すぎ、12チャンネルテレビ東京の『ミューズの楽譜』という音楽番組のエンディングテーマとして流れるそうなので、「癒し効果」を確かめて眠りにつくと、月曜からさわやかなお目覚めかも。
16:26 | コメント (5) | 編集 | ページのトップへ
2005/07/25 月 10:08
東京ふり-ふり-生活>Tokyo Free Free Life
伯母の葬儀の前後、東京と故郷を何度か往復した。学期末で仕事を休めなかったので、泊まっていられなかったのだ。大好きな故郷の山や川をゆっくりながめているヒマもなかった。
最後の見送りは、白百合聖苑での火葬。白百合聖苑は、山のふもと、川のほとりにある。
火葬場へ向かう車の運転手は、私が東京暮らしだと聞くと、「いやあ、私ら、東京には暮らせませんよ。山も川も見えないところで、生きられませんもの」と、言う。
伯母の地上の身体は、自由な風となって天へのぼっていった。もう、これからは、身体の束縛からは自由、フリーな魂。市役所勤めの年金で細々と暮らしていた伯母の生活も、もうやりくりに悩むこともない、フリー、無料の魂生活。
故郷の山や川を、風となって自由にかけめぐってね、おばさん。
故郷を出て30年たつが、今も故郷の山や川がなにより心やすまる。窓から見える山の形が一番好き。
子育ての間は、「山も見えない東京で育つ子供らはかわいそう」という気持ちが強く、できる限り「川遊び」とか「稲刈りツアー」とかに連れて行ったが、イベントで年に何度かふれる自然と、毎日の暮らしの中にある自然では、異なる。
私はゴキブリもクモも平気だが、我が子は、家の中にクモが入っても蜂が入っても、いやがって大騒ぎする。娘も息子も絵本の『はらぺこ青虫』は好きなのに、実際に青虫を手のひらにのせてやろうとすると、逃げる。自然好きにならず、ディズニーリゾートフリークに育ってしまった。
もっとも、亡くなった伯母は農家の生まれなのに、生まれつき虫が大嫌いで、虫がいるから畑には行きたくないと言い、生涯に一度も田畑の仕事をすることなく90年の生涯を終えた。自然や虫の好きずきは、生まれが田舎か都会かではなく、持って生まれた性質なのかも知れない。
私が、東京好きになってきたのは、ここ数年のこと。ひとりで東京のあちこちを散歩することが出来るようになってきてから。
「子どもを、できるだけ自然の中へ」という時期がすぎてから、東京の町歩きを楽しめるようになった。
智恵子は「東京には空がない」と、言った。ほんとうに、東京には空も星も山もない。昔は富士がどこからでも見えたろうが、今では冬の数日空気がきれいな日にみえるだけ。秩父連山もうちからは見えない。
しかし、東京散歩には、いろいろな楽しみがある。花散歩、水辺散歩、文学散歩、歴史散歩、庭園公園散歩、建物探訪、美術館巡り、古本屋巡り、コンサート、大道芸みて歩き。
年金暮らしだった伯母よりも、もっと切りつめた生活をおくっている我が家だが、東京のあちこちでさまざまなイベントが無料で楽しめる。
東京のFree無料での、Free 自由な、ふり-ふり-生活記録。Tokyo Free Free Life Report、この夏のメインコンテンツです。
まずは、22日(金)の池袋西口広場、野外バレエ(無料!)の報告から。
10:08 | コメント (5) | 編集 | ページのトップへ
2005/07/26 火 00:15
東京ふり-ふり-生活>野外バレエ公演(1)
私は、健康体操がわりにモダンバレエ、ジャズダンスなどの練習を続けている。
ダンスレッスンの基本として、クラシックメソッドのレッスンも受けたことあるが、クラシックバレエを踊るのは、トゥシューズやチュチュが身にあわないのでダメ。
まあ、この体型では、クラシックだけでなく、ジャズやモダンも踊りとしては見てもらえず、何踊ろうと、女相撲土俵入りのようなものなんだけど。
自分では踊れないけれど、クラシックバレエを見るのは好き。いろんなバレエ公演を楽しんできた。
「日本ではじめての野外バレエ開催」という記事を見つけて、池袋西口広場での催しを見てきた。
豊島区、池袋西口商店街連合会などが主催する、西口広場イベントのひとつとして、7月22日夜に行われた「クラシックバレエの夕べ」という催し。観覧無料。
「日本におけるドイツ年」の日独交流の一環として来日しているライプチッヒバレエ団の、プリンシパル木村規予香を中心とするカンパニーが出演した。
木村さんほかライプチッヒバレエの団員が7名。日本、ロシア、イタリアなどから集まっているメンバー。それぞれ指折りのソリストだという。
木村さんは、ローザンヌバレエコンクールでプロフェッショナル賞を受賞後、ヨーロッパにバレエ留学し、現在はライプチッヒバレエ団プリンシパル(主役ソリスト)。
1998年、長野オリンピック開会式イベントで、小澤征爾氏指揮の下でベートーヴェンの第九交響曲をプリマとして踊ったので、名前を知らなくても、長野開会式の中継を見た人は、あのバレリーナ、と記憶に残っている人がいるかも。
とても美しい「バレリーナ」のイメージにぴったりの容姿、全身の表現力がとても豊かで見応えがあった。
22日午後は、立教大学タッカーホールで豊島区の子どもたちのための公演を行い、引き続きの野外公演だった。
男女ふたりで組んで踊るパ・ド・ドゥ数曲と、男性ソロの一曲で、約1時間の公演。
チャイコフスキー「眠りの森の美女」2幕のパ・ド・ドゥ(眠りからさめたお姫様と王子が踊る)、ハイドン「天地創造」のパ・ド・ドゥ(神様に身体を造形される前の、魂だけの存在であるアダムとイブの踊り)など、優美なパ・ド・ドゥが続く。
男性ソロは、ストラビンスキー「火の鳥」。追われた火の鳥がけんめいに逃げるシーン。 下半身は真っ赤なタイツ、上半身は裸の男性ソリストが、高いジャンプを連続させ、バレエ技量レベルの高さをみせる。上半身の筋肉が汗で光る。
野外公演というので、ちょっとした「お目見え」程度の踊りにするのではないかと思ったのだが、本格的なバレエを見ることができた。
野外の舞台であり、床の状態もよくないので、32回のグランフェッテなどは無理。回転系の振り付けは少なかったが、ダンサーひとりひとりの動きはすばらしく、魅力的な踊りだった。
豊島区のイベントとして「無料」で見せてもらい、ありがたいこと。ほんとに楽しい時間をすごせた。
本格的なバレエファンには、物足りない部分もあったろうと思う。照明の変化なし、舞台装置や背景なし。
広場を取り囲んで焼き鳥やおでん焼きそばの屋台が出ていて、曲と曲の合間には、係り員が「生ビール、いかがですか。食べて呑んで楽しみながら、みてください」と、飲食をすすめる。
主催者の意図のひとつは「日頃、酔っぱらい広場などと言われる池袋西口広場のイメージ変換をはかり、芸術の香り高い場所にしたい」ということだという。また、「気楽にみてもらって、バレエ愛好家の裾野が広がるといい」ということもあったろう。
確かに、観客は、ふだんバレエを見に行く機会のない人が多かったと思う。でも、この野外バレエを見てバレエファンになり、これから先、バレエ公演を見る観客が増えるとは思えなかった。まあ、ひと夜だけでも「バレエとはこういう踊り」ということを見ることができればそれで十分だったのかも知れない。(つづく)
00:15 | コメント (4) | 編集 | ページのトップへ
2005/07/27 水 15:03
東京ふり-ふり-生活>野外バレエ(2)
薪能。野外に舞台をしつらえ、薪をともして能狂言を観賞する。野外の催し物として近年各地で定着し、人気となっている。今年も、夏の楽しみのひとつとして、心待ちにしている人もいることだろう。
能は、もともと田楽や猿楽など、野外で行われていた芸能を取り込みながら舞台芸術として完成したもの。だから、野外での薪能もしっくりなじみ、すばらしい公演が多い。
能だけではなく、野外でのさまざまなアートが試みられてきた。演劇、コンサート、ダンスの公演。
箱物の中に舞台と客席がきちんと設計されている屋内劇場での演出とは異なる、さまざまな試みもあり、楽しめるものが多い。
バレエは、その発祥から屋内で踊られてきた。16世紀フランス王室を中心とした宮廷舞踊から発達してきたという経緯もあり、屋内舞台で行われる公演で、本来の優美さ華麗さを生かしてきた。
今回の野外バレエを見て、ダンサーはとてもすばらしい動きを見せたと思うが、野外公演をするなら、もう少し演出の工夫などが必要だと感じた。
野外ならではの試みがあるのでなければ、「納涼の晩、ビールのツマミ」で終わってしまう。
今回の催しの意図は成功したと思うし、大勢の人がバレエを楽しめた、という点で意義のある公演だった。
しかし、「焼き鳥かじってビール片手に、おしゃべりしながら楽しむ」という対象としてのバレエ、最初のうち、私はちょっととまどいながら見ていた。
ジュテ、アッサンブレ、アントルシャ、ピルエット、、、、、ジャンプもターンも、ものすごい精進努力を重ねて表現の高みへと到達できる。
一回ターンでよろけ、ジャンプしたつもりでいるのに、わが体重は引力の法則にしたがうことをやめない、という練習を続けている私にとっては、ダンサー達のしなやかな飛翔も回転も、カミワザのようで、とても「おでん、ほおばりながら」という気にはなれなかった。(「主催者の開会宣言ごあいさつ」が長々続くうち、とうにおでんを食べ終わってしまったってこともあるけれど)
テレビ放送が始まって、落語中継が行われるようになったころの、ある昔気質の落語家のエピソード。
中継が始まると、弟子達を集め、正座して一同礼。落語が終わるとテレビに向かって「ありがとうございました。勉強させていただきました」と、おじぎをする。
落語の観客は、ワハハと気楽に笑ってみていていいが、落語を修行中の者は、ひざを崩して気軽に楽しんで見てはいけない。先輩が真剣に演じているものなのだから、たとえテレビの中での一席であろうと、きちんと正座し、先輩の芸に礼儀をつくして聞かなければならない、と、その師匠は威儀を正してテレビ中継を見ていたのだという。
落語に限らず、野球少年にとって、プロチームのスタープレーヤーは、大切な神様みたいに思える。
踊りを練習している私にとって、舞台の上で華麗な跳躍や回転の技術を見せるスターダンサーは、もう、「人」以上の存在であって、「芸神」として崇めたい気分がある。
写真でしか見たことのないニジンスキーもイサドラ・ダンカンも、映像でしか見たことのないジョルジュ・ドンもヌレエフも、私にとっては、神様みたいな存在。
マーサ・グラハムが、公演の最後にダンサーに手をひかれて舞台で挨拶するのを見たときなんか、感激感激!手を合わせて拝みたい気分だった。
主催者側は「生ビール飲みながら気楽に」と勧めてくれる。たくさんの観客が、焼きそば食べたり、カンチューハイ飲んだりして、楽しんでいるのだが、私は、なかなか「一杯飲んで気楽に気軽に」の雰囲気になじめなかった。
温泉場の宴会場で仲間のカラオケの歌を聞いたり、ショーパブで呑みながら踊りを見たりするのと同じ感覚で見るのは、真剣に踊っているバレエダンサーに悪いような気がしてしまって。
でも、今回の公演は、「野外で、気楽に」という趣旨なのだから、気軽に楽しむことがよいのだろう。
15:03 | コメント (4) | 編集 | ページのトップへ
2005/07/28 木 14:02
東京ふり-ふり-生活>麦酒記念館
東京、恵比寿。エビスといえば、ビール。
私は元々の東京人ではなく、地方から出てきたおノボリさんだから、地名のゆかりにも詳しくなく、恵比寿という土地で売られていたビールだから、ヱビスビールというネーミングになったのだろうと思っていた。
ところが逆だった。
明治時代、ビール工場が目黒村に作られ、ヱビスビールとして発売された。ビールが大衆化して、大量のヱビスビールを出荷するための駅ができ、恵比寿駅と命名された。
恵比寿駅がある周辺の土地が恵比寿、恵比寿西、恵比寿東という地名になった。
ビールの商品名が土地の名になった、という全国でもめずらしい由来をもつ地名。
恵比寿のビール工場は移転し、跡地に恵比寿ガーデンプレイスができた。
1994年オープン後、だいぶたってオープニング直後の混雑が少しおさまったころ、小学生だった娘とでかけてみた。駅から長い「動く通路」にのって行くのが、「未来の町」へ出かけるみたいな感じだった。
その後、ガーデンプレイスに足を運んだのは、写真美術館を見るためがほとんど。
ガーデンプレイス三越でウィンドショッピングすることはあっても、その奥にあるサッポロビール本社に用もないし、本社地階に麦酒記念館があることも知らないままだった。
はじめて麦酒記念館に入った。無料!
広い階段を地下へおりていくと、正面にビアノがおいてある。ピアノの脇から展示コーナーに入る。創業以来の工場の写真とか、コレクターが喜びそうなビールの古いラベルなどが展示してある。古い麦酒醸造の機械などをみたり、幕末から現代までの人々とビールの関わりをビデオで見たり。
ビールの王冠の外回りにあるとんがったところ。いくつあるか、知ってる?
ビールも初期はワインのようにコルク栓をつかっていたが、ワインと異なり栓が抜けてしまって困ったので、王冠が発明された。
三角形をふたつ組み合わせると、六角形の星形になる。王冠は、三角形を7つ組み合わせた形をしていて、全部で21のとんがりがある、など、館内を一回りすると、ビールについていろいろなトリビア雑学が仕入れられる。
テイスティングコーナーで、グラスビール一杯200円〜400円で試飲できる。
私は黒ビールと、フルーティというのを飲んでみた。おいしい。ふだんは、発泡酒専門なんで、あまり納税に協力してないけどね。
さらに。無料でピアノ演奏が聴ける。不定期ではあるが、入り口階段下のピアノを使って、試奏会が開かれる。
ドイツハンブルグ、 1920年スタインウエイ社製造のピアノ。
サッポロビールの前身、大日本麦酒の本社社屋講堂(銀座7丁目)に置かれていた古いピアノ。大日本麦酒がアサヒとサッポロに分割されて以来、かえりみられることなく、長い間放置されていた。
そのスタインウエイが、関係者の熱意で修理調律され、アンティーク名品ピアノとして、美しい音色を蘇らせた。(つづく)
14:02 | コメント (3) | 編集 | ページのトップへ
2005/07/29 金 08:22
東京ふり-ふり-生活>ビール記念館のスタインウエイ試奏会
アンティークのスタインウエイ。他のピアノとひと味ちがう名品ピアノの、象牙の鍵盤、花柄透かし彫りの譜面台などをながめるだけでも美しいが、1時間3千円で、だれでも申し込み、試奏することができる。
7月24日3時からの試奏会は、佐藤さんと鈴木さんの演奏だった。
試奏会というから、ピアノのレッスンをしている人が、アンティークな響きを楽しむために、自宅の延長でお稽古しに来ているのかと思いながら、客席のいすにすわった。普通の演奏会とちがい、聞くほうは無料で、弾く方がお金を払う。
佐藤真澄さんの試奏。サティ「ジュ・トゥ・ヴ」から演奏が始まった。佐藤さんはブルーシフォンのロングドレスにネックレス・イヤリング。衣裳は本格的な演奏会ふう。
あれ、自宅練習の延長とおもっていたよりは、ずっと本格的みたい。
スタインウエイの響きに耳をすます。
佐藤さんと鈴木さんがかわるがわる演奏した。佐藤さんの次の曲はショパンのノクターン第2番。よく聞いている曲。目立たないほどのミスタッチもあったが、情感豊かな演奏だった。
鈴木典子さんは、ショパンのワルツ第7番と、スケルツォ第4番を弾いた。
佐藤さんは、もう一曲、矢代秋雄のピアノソナタを演奏した。初めて聞く現代作品だった。
私は、現代音楽作品、苦手。食わず嫌いの面もあるが、聞いて好きになった曲はごくわずか。
武満徹の「ノヴェンバーステップス」、水のしたたる音で構成された曲(正式な曲名も知らないが、たぶん、能のための「水の曲」というのだと思う)などは、「もう一度聞きたい曲」なのだけれど、これ以外の現代音楽は、たいてい一度きいたら「はい、おべんきょになりました、ありがとうさん」でおしまい。
佐藤さんの演奏する矢代秋雄のピアノソナタは、とても印象深い響きだった。現代作品を、お金払って聞きにいきたいと思うことはないし、こういう機会でもないと一生聞くこともなかったかもしれない。「無料」だからこそ、聞いてみる気になったのだ。
50分間の試奏を終えた佐藤さん鈴木さんに「演奏、楽しみました」と、感想を伝えると、佐藤さんは、はにかみながら「矢代さんの曲、途中がぬけてしまいました」と、うち明ける。素人の聞き手には、初めて聞く曲で譜面も知らず、途中が抜けたかどうかなんて、まったくわからないのに。正直なこと。
佐藤さんは、譜面台に楽譜をおかず、すべて暗譜で演奏したので、すご〜い!とおもっていたのだが、まあ、途中抜けたところ、今後のご精進を。
佐藤さんは、9月28日夜に、東京オペラシティ・リサイタルホールでの「グループピアニスツ・マラソンコンサート」に出演し、この矢代秋雄ピアノソナナを演奏する予定。
7月24日試奏会での演奏は、秋のコンサートの練習であった。練習だから、完全な演奏ではなかったろうが、面白く聴くことができた。
9月のオペラシティでのコンサート、ご成功を!
今回のスタインウェイ試奏会は、まったく偶然に聞くことになったのだが、各地で、コンサートが無料で楽しめる。
例えば、上野公園の奏楽堂では、毎日曜日午後と第3木曜日午後に、東京芸大の学生によるコンサートがある。(奏楽堂入場料300円は必要)
ホテルオークラ・ロビーコンサート、東京文化会館、テレコムセンタービル・アトリウム、庭園美術館などでも、無料コンサートが開催される。
オルガンの無料コンサート情報
http://www5b.biglobe.ne.jp/~organ-ex/concert/concert2.htm
東京オペラシティの無料コンサート情報
http://www.tokyooperacity.co.jp/lunch/
全国の無料低料金コンサート情報
http://home.s07.itscom.net/matsui/wmc/topics/info.html
chiyoisozakiさんへ。ホテルオークラ・ロビーコンサート情報
http://www.hotelokura.co.jp/tokyo/news/lobby.html
そのほか、無料・低料金で楽しめる催しもの情報、ほかにもあったら教えてくださいね。音楽演劇パフォーマンスお祭り、何でも楽しみたい。
08:22 | コメント (3) | 編集 | ページのトップへ
2005/07/30 土 15:39
東京ふり-ふり-生活>恵比寿ガーデンプレイス・スターライトシネマ(1)
私の年代の人なら、夏休みに小学校校庭などで行われた野外映画会を覚えているかも知れない。
私も、小学校入学前、校庭にはられた白い幕にうつされた映画を見たような、おぼろげな記憶がある。スクリーンに雨がふるような古いフィルムの映画。内容はさっぱり覚えていない。PTAなどの主催で「こどもに健全な映画を」というような趣旨で行われた「健全な映画」だったのだろう。
今年の夏のテーマを「フリーで楽しむ東京」と決め、野外バレエの次は、野外映画!
恵比寿駅でもらったフリーペーパーに、「今年もやります、夏の夜恒例のオープンエア・シネマ」と、あった。へぇ、野外映画会、今はオープンエアシネマっていうんだ、何、無料!そりゃ見にいかなくちゃ。
ガーデンプレイスのセンター広場に300インチの屋外スクリーンが設定されている。
広場に置かれた二人掛けベンチの座席入場整理券は、5時半から配布。ところが5時半の配布開始時間に行ったのでは、整理券は手に入らない。5時まえから入場整理券希望者が並び始め、5時半には長い列を作っている。ベンチは150席しかないから、行列のうしろの方の人は、「整理券配布は終了しました」と、言われる。若者たちは、あきらめず、ベンチ席の周辺にシートを敷くなどして、「自由席」で見ている。
7月29日、ぎりぎりで一番前のベンチ席整理券をもらった。スクリーンを見上げるようなところなので、あまりよい席ではないが、まあ、無料なのだから、文句は言えない。
29日の夜は『アメリ』を上映。
レストラン街で食事して、7時半の上映開始より少し前に席につく。隣の席は、同年輩のおばさん。会釈して「この席だと画面を見上げて、首がいたくなりそうですね」などと話しながらすわると、おばさんは、話し相手が出来た!とばかりに機嫌良くおしゃべりを続ける。「あのね、アメリってとてもいいお話なのよ」
おばさんは、『アメリ』を、BSの映画放映で見て気に入り、DVDを買って家のテレビで何度もみているのだけれど、大型スクリーンでも見てみたい。でも、家にDVDがあるのに、映画館の高い入場料金を払うのもどうかなと思っていたら、ちょうどよく無料で上映されるというので、見にきたという。
『皇帝ペンギン』の予告編が終わり、『アメリ』の上映が始まっても、話が終わらない。おばさんは、何度も見ている映画だから、冒頭部分なんぞは、おしゃべりしながら横目で見ていればいいのだろうが、私は初めて見るのだから、最初から全部みたいんだけど。
でも、普通の映画館なら、初めて出あった隣の席の人に、こんなふうにしゃべりかけたりしないだろうから、これはきっと「野外シネマ」のオープンな雰囲気がもたらすおしゃべりなのだろう。
それならば、私も日頃できるだけ人と関わることを避けている自分を開放しなければ。おばさんのオープンおしゃべりにイヤな顔はしちゃならないだろう。
アメリは、パリに住む20代の女性。人と関わり合うことをこれまで避けてきた。ある日、偶然のことから、アメリは隣近所の住人や職場であるカフェの人々と関わりを深めることになる。(つづく)
15:39 | コメント (3) | 編集 | ページのトップへ
2005/07/31 日 00:19
東京ふり-ふり-生活>スターライトシネマ(2)「アメリ」
アメリは、モンマルトルにあるカフェのウェートレス。恋人もいないし、友達も少ない。アパートでひとり住まいだが、近所の人達やアパートの管理人とも関わらないで暮らしてきた。
自立してパリモンマルトルに住むようになってからも、アメリはときどきひとり住まいの父のようすを見に実家へ帰る。アメリが幼いときに母は事故死し、それ以来、父はひきこもっている。(以下ネタバレ含む)
ふとした偶然から、アメリはしだいに周囲の人々と関わるようになり、「小さな幸福配達人」のようになっていく。
周囲にいる「不幸や悲運に打ちのめされている人々」に対して、アメリはいろいろな方法で「今沈んでいるどん底」から立ち上がるきっかけを運んでいく。
アメリのやり方はかなり過激。アメリカの『少女パレアナ(ポリアンナ)』のような穏やかでよい子の「幸福配達人」ではない。
アメリのやり方を受け入れられる人は「アメリによってみんなちょっぴり幸福になる。『アメリ』を見た人も、みんなあったかい気持ちになって、しあわせな気分になれる」と、思える。
全部の人がハッピーになるのではない。それぞれに問題を抱えた人々に対し、アメリの「おせっかい」がうまくいく場合もあるし、問題をよりこじらせてしまう場合もある。
それでも、アメリの猪突猛進の行動を非難する気になれないのは、たとえ勘違いのおせっかいであっても、他人の幸福のために何かをしようとする行動によって、アメリ自身が自分の意識を変えていき、どんどん人の中に入っていけるようになるからだろう。
アメリのかわいらしい容姿も映画の魅力のひとつだけど、ひとつひっかかるとしたら。
『電車男』の「さえないオタク」を山田孝之が演じて、髪型変えて服装変えたら、ちゃんとハンサムボーイになってしまう、ということへの不満といっしょかもしれない。
モンマルトルのカフェで働くウエートレスが、映画のアメリと同じようにかわいらしい容姿なら、他人と関わらないで生きていこうとしても、次から次へ恋人志願者やモデルスカウトなどが押し寄せて、とても「人と関わらないで」生きていられないだろうに、と思ってしまうところかな。
画面の色彩やモンマルトル界隈の雰囲気がとてもすてきで楽しめた。モンマルトルは、絵が好きな人にとっては、あこがれの地のひとつ。
ラスト、アメリのお父さんがひきこもりをやめて旅に出ることを選び、アメリも恋人とめぐりあってFine。
隣のおばさんに「いい映画でしたね」と、挨拶して立ち上がる。
恵比寿駅まで「動く通路」で行き、恵比寿から目黒まで一駅だけ山手線に乗る、と私が話すと、おばさんは「目黒までいっしょに歩きましょう」と言う。「10分くらいで目黒駅に着くから」
歩きながら、おばさんは話し続ける。知り合いの結婚式でフランスへ行き、『アメリ』の舞台になっている場所を訪れた、という。
「アメリが石を投げて水切りするサンマルタン運河も行ったの。モンマルトルのアメリが働くカフェも実在しているから、お茶のみに行ったし」と、話はつきない。
ついでに、知り合いの結婚式の話。「アヴィニョンでの結婚式。式場のすぐそばに、ゴクミの家だか別荘だかがあって、日本人だから興味があるだろうと案内された。外からながめると、すごく大きなお屋敷で驚いた」などなど、、、、「ゴクミとほら、何ってったっけ、そうそうアガシ」と、おばさんの話は続く。
あれ?元F1レーサーはアレジで、アガシはテニスプレーヤーじゃなかったっけ。私にもどっちがどっちだか区別がつかない。まあいいや。アガシでもアレジでも。
私は、人と顔を合わせて話すのは苦手だけれど、こんなふうに自分から話し続ける人の「あいずち係」をするのは、なんとか大丈夫。
人とできるだけ関わらないでいようとする私に、「目黒まで、おばさんのおしゃべりにつきあって歩く」という行動がとれたのも、アメリ効果なのかもしれない。
おしゃべりを聞いているうちに目黒駅についた。目黒からバスに乗って帰るというおばさんと別れる。名前も知らず、今後二度と会うこともない人と、しばしのおしゃべりタイム。
昔の小学校校庭での映画会。隣近所誘い合って、いっしょに映画を楽しみ、映画の始まる前や終わった後には、「近所のだれだれの娘はどこそこへ嫁に行った」だの、「この間○○さんからもらったノーキョー旅行のみやげがどうのこうの」なんて話をしたのかもしれない。
おばさんは、フランスへ旅した思い出を語ることで、心を開放できるひとときを持てたのかもしれないし、私は「まったく見ず知らずの人のおしゃべりを聞く」という、「めったに普段はしないこと」ことをして、ほんの少しは「人と関わる練習」ができたのかもしれない。
オープンエア・シネマ。映画館でみるのとは、ひと味ちがう映画鑑賞のひと夜になった。
00:19 | コメント (4) | 編集 | ページのトップへ
2005/08/02 火
東京ふり-ふり-生活>庭園美術館ミュージアムコンサート
目黒駅から歩くと15分、地下鉄南北線白金台駅から歩いて7分のところに東京都庭園美術館がある。
朝香宮邸として1933年(昭和8)にアールデコ様式で建設され、内装もアールデコ全盛時の装飾が用いられている。ラパンによる内装、ルネ・ラリックのガラス工芸品などを含め、建物自体が芸術的価値を持っている。
朝香宮家は1947年皇籍離脱した11宮家のひとつ。現在は東京都の所有で、建物と庭園が一般公開されている。
1年に5回くらい企画展示が行われ、展覧会期間中、火曜日に新館大ホールでミュージアムコンサートが開催される。
大ホールの外側には庭園が広がる。緑濃い静かな庭園を背景にして、これまで有望な新進音楽家のコンサートが開催されてきた。出演者は、東京音楽コンクール受賞者など、若手新進演奏家。(コンサート自体は無料だが、展覧会入場料は必要)
旧朝香宮邸サロンで行われる有料の「美術館コンサート」の方は、大御所が演奏するが、大ホールコンサートの方は、はつらつとした伸び盛りの若手の演奏を楽しめる。音楽情報に詳しくない私には、それまで名前を聞いたことがなかった若い人の演奏を聴いて、へぇ、こういう人が新人として活躍していたのか、と、新鮮に思える。
庭園美術館に出かけるときは、どうせのことなら火曜日午後の、コンサートが開かれるおりに出かけて、美術と音楽と両方を楽しんでこようと思うのだが、月曜出講日だった授業が火曜に変更になったため、コンサートにぶつかるチャンスが少なくなった。
7月26日火曜日は、久しぶりに仕事もなく、「コンサートと展覧会を同時に楽しめる日」になったのだが、あいにくと台風予報が出ている。帰りの足がなくなったらどうしようかと心配しながら出かけた。
幸い、出かけるときも、白金台駅から庭園美術館まで歩いているときも雨は小降りだった。
大ホールでメゾソプラノの富岡明子さんの歌がはじまると、外は激しい雨になった。広いガラス戸の向こうの庭園に、台風模様の雨が降り注ぐ。雨の音はまったくきこえないが、雨足の強さが目の前に迫って見えるので、いつもの静かな緑のたたずまいと異なり、劇的な雰囲気に満ちた舞台背景になった。
コンサート前半は、「エーデルワイス」「虹の彼方に(オズの魔法使い)」などミュージカルでおなじみの曲や「サンタルチア」などの民謡。「浜辺の歌」「椰子の実」「浜千鳥」などの日本の歌。
後半は、オペラのアリア中心。ロッシーニやヘンデルのアリア。富岡さんの持ち役のひとつ「フィガロの結婚」ケルビーノの歌、「恋とはどんなものかしら」
40年前、高校「芸術選択」書道、美術、音楽の中で、私は音楽を選択した。どの学年のどの学期だったか、もう忘れてしまったが、期末試験の歌唱の課題曲がこの「恋とはどんなものかしら」だった。
楽器が好きで音楽を選択したのであって、歌は得意ではなかった。難しい節回しの部分、せいいっぱい音をはずさないように一生懸命歌ったが、教師の評価は「君ね、いくら音符通りに正確に歌えていても、その歌い方は音楽とは言えないなあ」だった。ガ〜ン!
教師のことばに打ちのめされて、しばらくは歌うのも嫌いになったが、今では気にしていない。自分が楽しく歌えればいいのだから、音楽教師の考えた「音楽だと言える歌い方」がどのようなものであれ、私はわたし。
今でもときどき「♪恋とはど〜んな、も〜のでえしょうかあ、この胸のおーもいは、恋とお、いう名の、も〜のか〜しらあ〜♪」と、歌ったりする。
富岡明子さんの「恋とは〜」は、とてもすてきだった。
コンサートが終わり、八木一夫の陶作品を1階2階と見て回って、外へ出ると、雨は小止みになっていた。
雨が強くなったり、小止みになったりの不安定な台風間近の火曜日、「オブジェ焼き」という現代陶芸は、私にはよくわからなかったが、メゾソプラノの歌声を楽しんだ一日になった。
18:23 | コメント (6) | 編集 | ページのトップへ
2005/08/03 水
東京ふり-ふり-生活>白金プリンスホテル?
庭園美術館。東京都の所有になった旧朝香宮邸。実は、他の皇籍離脱宮家の邸宅と同じように、一度は西武の堤康次郎に買い占められて、「白金プリンスホテル」になるところだった。
現在はパシフィックホテル(京急系)になった品川の旧東久邇宮邸、千代田区・千鳥ヶ淵の戦没者墓地となった賀陽宮邸跡地、常陸宮邸となっている東伏見宮邸などは別として、旧宮家邸宅は、西武鉄道に買いたたかれて、今ではプリンスホテルになっている。
旧財閥系の企業に比べて、格式の点で一段低かった西武系列。堤康次郎にとって、「旧宮家邸宅」という「格式」が、なによりの財産になった。アメリカなどからの宿泊客にとって、「プリンス」「ロイヤルファミリーが住んでいた邸宅」という響きは、特別のステイタスになったからだ。
売った側、皇籍離脱によって経済的に困窮した元皇族にとって、戦後を乗り切るためには、身売り生活もやむを得ず、堤一族は、今考えれば破格の安値で都心の一等地を次々に手に入れていった。
私が猪瀬直樹の『ミカドの肖像』を読んだのは、文庫化されたあと。1987年(昭和62)に第18回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞したときも、西武商法が話題になってまもなく昭和が終わったときも、西武王国が落日を迎える日が来るとは予想しなかった。
庶民のひがみとして、「日本一の大地主」であり、アメリカの経済誌フォーブスに、「日本の大富豪」として掲載された堤一族が、個人ではほとんど税金を払っていない、ということをやっかむだけで、せいいっぱい。、
総帥堤義明の逮捕が紙面をにぎわすことになるとは、思わなかった。
皇籍離脱によって経済的に困窮した朝香宮邸を西武が買収した1950年、1万坪の敷地に対して、堤康次郎は1坪600円、総額600万円を支払った。
1981年に西武が住民の反対運動によって「白金プリンスホテル」設立を断念し、東京都へ売却したとき、138億6千万円。時代によって物価が変動しているとはいえ、30年余り土地を寝かしておいたら、2300倍の大もうけになったわけだ。
競馬の大穴だって、400倍がでたら大騒ぎだが、2300倍にもなったなら、どんな大博打より、効率のいい稼ぎではないか。
衆議院議長などを歴任し、政商としても辣腕をふるった堤康次郎。
どのような手口で、日本中の土地を買い占めていったかを、西武大番頭の中嶋忠三(故人)が内側から記録した。
その著書『西武王国』は、堤義明の怒りにふれて書籍は回収され、焼却処分になった。
たった一冊、中嶋氏子息のもとに残された本が、復刻発売されている。『「西武王国」その炎と影−側近No.1が語る狂気と野望の実録」(サンデー社)
西武土地買い占め手口の一例。東海道新幹線新横浜駅の建設予定地が発表される前に、運輸族などへ手を回し情報を入手。駅周辺の土地を安く買い占める。駅開業後は、大もうけ。
プリンスにも大地主にも政商にも縁のない私。
「無料で自由な生活を楽しむ」というコンセプトで、暑苦しい夏をしのいでいる春庭。
いつでも貧乏で、貧乏以上に貧乏性で、西武のもうけ方なんぞを読みかえすだに、家なし土地なしの我が身に、ひしひしと暑さも迫ってくる。
さはさりながら、さて、今週は、なんと東京プリンスホテルのディナーショウへお出かけでございます。
貧乏性のわたしくめが、しばしのスノッブ娯楽、プチぶる趣味のシャンソン・ディナーショウ。ショウの前に1時間のブッフェタイムがあるのだが、がっついて食べて来そうである。お里が知れますわねぇ。
==========
参考までに。
西武が買い占めた旧皇族の邸宅と、その後。
北白川宮邸(港区高輪)→ 新高輪プリンスホテル、邸宅は「高輪プリンス会館」(現在は取り壊された)
東伏見宮邸別邸(横浜市)→ 横浜プリンスホテル貴賓館
竹田宮邸(港区高輪)→ 高輪プリンスホテル貴賓館
李王家邸(千代田区紀尾井町)朝鮮王家皇太子李垠と梨本宮家出身の方子妃の邸として、大正13年、旧北白川宮邸を下賜→ 赤坂プリンスホテル旧館
朝香宮別邸(軽井沢)→ 千ヶ滝プリンスホテル(今上天皇が皇太子時代、軽井沢プリンスホテルとして西武が皇太子夫妻に提供。旧皇族の邸宅を買うだけでなく、現皇室への手配も怠りない堤一族)
朝香宮邸(港区白金)→ 吉田茂が外務大臣当時の大臣公邸→ 西武の買収後、反対運動により東京都の買収→ 東京都庭園美術館
ついでに、その他の旧皇族の邸宅が、どうなったかの一覧
東伏見宮邸(渋谷区東)→ 東宮仮御所 → 常陸宮邸
閑院宮邸(千代田区永田町)→ 衆議院議長公邸
山階宮邸(千代田区富士見町)→ 衆議院議員九段宿舎他
伏見宮邸(千代田区紀尾井町)→ ホテルニューオータニ
梨本宮邸(渋谷区渋谷)→ 青山パークタワー他
久邇宮邸(渋谷区広尾)→ 聖心女子大学
東久邇宮邸(港区高輪)→ ホテルパシフィック東京
賀陽宮邸(千代田区三番町)→ 千鳥ヶ淵墓苑
有栖川宮邸(港区南麻布)→ 有栖川宮記念公園
華頂宮邸(港区三田)→ 亀塚公園
21:15 | コメント (4) | 編集 | ページのトップへ
2005/08/04 木
東京ふり-ふり生活>貧乏性@究極のおしゃれ
同じ家で三人姉妹として育ったのに、姉と妹は消費がストレス解消の手段。
お下がりをあげる相手がいると思うと安心できると言って、姉と妹は買い物にいそしんできた。「これはいずれ妹へお下がりにしよう」「そのうち飽きたら次姉にやればいいから」と。
私の「本以外のものを買わない主義」は、姉と妹の消費好きを応援していた面もある。
私は、自腹で衣服バッグの類を買ったことがほとんどない。姉や妹の服が、多少サイズが合わなくても平気。靴だけは、姉は23.5cm妹は23cm、私は22.5cmでサイズが合わず、もらえなかった。あと5ミリか1センチ足が大きかったら、靴も買わずにすませただろう。
姉は自分で美容院を経営し、自分で稼いだ分は、心おきなく自分に投資するという主義。きれいなもの、すてきなものが好きだったし、センスもよかった。また、他の人に対しても、惜しみなく援助したり、物をあげたりした。
私と顔を合わせると「貧乏なのは時の運でしかたがないけれど、あんたのは『貧乏』じゃなくて、『貧乏性』で、『貧乏ったらシイ』からダメ」と、小言を言った。
いや、結婚以来、本当に貧乏そのものであるのだが、結婚前から貧乏性であることも事実。なぜか子どものときから、三人姉妹のまん中の私だけが貧乏性だった。
「ポリシーとプライドのある『貧乏』は、生き方のひとつとして認めるけれど、単にケチであったりセコいやり方は、みっともない」と、姉から叱られたものだ。「使うべき所はド〜ンと使いなさいよ」とも言っていた。
姉が亡くなって3年。私の貧乏性を見て「セコイ!」と顔をしかめる人がいなくなって、ますます症状がこうじているような気もする。
先週は無料映画、無料コンサートを楽しんだので、「貧乏性だけじゃダメ」という姉の忠告を思い出し、今週は「ド〜ンと使う」ほうをやることになった。
ド〜ン、といっても、私が払えるくらいだから、大それた散財をするわけではない。
私が参加しているジャズダンスサークルの創立メンバーであるユミさんのショウ。プリンスホテルのディナーショウにジャスダンスサークルの主婦たちと出かけることになった。
サークルの主婦達は、ユミさんがシャンソン歌手としてデビューして以来、コンサートやライブ、ディナーショウなどに出かけて、応援してきた。
私もコンサートやライブに出かけて、ユミさんの歌を楽しんできたが、ディナーショウに行くのははじめて。
ユミさんは、「パリやテヘランで買ったゴージャス衣裳で登場するから楽しみにしていて」と、メールのお知らせをくれた。
ジャズダンス仲間の主婦達、おしゃれにせいだすことだろう。
あれぇ、夏休み中といえば、Tシャツで暮らす私、ホテルになんか着ていく服がない。姉が死んでしまい、妹がダイエットに成功して「昔の服が着られるようになったので、このごろ新調することが少ない」という現在、私のもとへ、着る服が回ってこない。どうしよう。
よし、究極のおしゃれ。「世界で一番美しく一番豪華で、一番軽い布地でできているので、着ていることにも気づかないほど肌にやさしく、愚か者の目には、決して見えない不思議な服」を着ていくことにしよう。
自分の目にも見えないのが難点である。ボタンがかけちがっているかどうか、確認できない。
純真なこどもが、「あ、へんなおばちゃんがハダカで歩いてる!!」なんて叫ばないことを願いつつ。「これこれ、子どもよ、この服は、愚か者には見えないのだよ」
私の究極のおしゃれを見たい人は、ディナーショウへおこしください。ショウの中で、サークル仲間といっしょに一曲踊ることになってるんです。
22:20 | コメント (8) | 編集 | ページのトップへ
2005/08/06 土
東京ふり-ふり生活>貧乏性A無料割引ご招待
私は、カフェ日記のプロフィール欄にも「好きなことば=ただ、無料、割引、ご招待」と書いているくらいだから、無料大好き。
駅前で配っているテッシュペーパー必ずもらうし、駅においてあるフリーペーパーも、電車の中で読むのに薄くてちょうどいいから、もらう。娘に「R25とかって、オバハンの読者を想定していないんじゃないの」なんて言われても平気。いろんなフリーペーパーの中、ときどき気のきいた記事をみつける。
出版社配布の書評宣伝冊子を本屋にもらいにいく。定価は書いてあるが、大型書店はたいてい無料でサービスしている。
大型書店の店員さんでも、「図書」も「本の旅人」も「青春と読書」も「一冊の本」も知らないことがある。
「うちにはおいてありません」と、言われるのはいい。全部の本屋がサービス本を配布しなくてもいいのだ。が、書店の店員なのに、著者名や書籍名を全然分っていないことも多く、おおむねそういう店員さんは「図書」も「本」も知らない。「新潮の波、ありますか」と、たずねると、「最近出た本でしょうか」などと言って、検索をはじめることもある。
私は狭量なので、花の名を知らない花屋の店員さん、魚の区別がついてないバイトがいるスーパー鮮魚コーナーが嫌い。
自分の売っているものに、愛着と誇りを持って売ってほしい。
本の名を言うと、売っているコーナーにサッと案内してくれる店員さんが好き。
新刊本を数冊買った時は、おまけで無料冊子をもらうことにしている。で、本を買う前に、サービス本があるかどうか聞く。どうせ買うなら、おまけをくれる店で買おうと思う。セコい?
あと、インターネットでプリントアウトする割引クーポンも大好き。
無料のコンサートや映画も、おおいに楽しんでいる。
クラシックの無料コンサートは、若い新人が出演していることが多いので、未完成でも感性豊かな新進アーティストに出会うと、まるで自分が発掘してきたかのようにうれしくなり、大輪の花が開く前の蕾のみずみずしさを知る感じ。
無料は無料なりに、いろいろ楽しみはある。
美術展のご招待券も大いに活用している。今年見にいった展覧会の中で、自腹でチケットを買ったのは、どうしても招待券が手に入らなかった、厳島神社国宝展(東京芸大美術館)と、ゴッホ展(国立近代美術館)くらい。
唐招提寺展(東京国立博物館)横山大観展(日本橋三越)小林古径展(近代美術館)チベット曼陀羅展(大倉集古館)2005報道写真展(東京都写真美術館)世界文化遺産写真展アンコールと生きる(写真美術館)フランス近代絵画展(松岡美術館)などなどを、ご招待券で楽しんできた。
夏休み中に見たいのは、遣唐使展(東京国立博物館)縄文vs弥生展(科学博物館)オディロン・ルドン展なのだが、招待券が手に入らなかった。う〜ん、自腹か。
チケット、招待券、春庭へのご提供待っています。もちろん美術館招待券だけでなく、コンサート、バレエ、ミュージカル、演劇、ディナーショウ、クルーズディナー券などなど、なんでも受け付け中。
「送って下さった方には、お礼といっては何ですが、私の一番恥ずかしい写真さしあげます。(ちょっぴりへア写ってます)」というコメントに誘われて、クルーズディナー招待券を送ってみたら、鼻の穴の大写し写真が送られてきたという「ネット詐欺?」の話もある。ちゃんと、ヘア=鼻毛が写っていたので、嘘はついてないって。
私も嘘つくのは、嫌いです。
私にプレゼントを贈ってくださる方には、「世界で一番美しく一番豪華で、一番軽い布地で作られているので、着ていることに気づかないほど肌にやさしい」という「女王様の新しい衣裳(愚か者の目には見えない)」の服を着て写した、偉大な女王様の写真をお礼として差し上げます。
モチロン、女王様の写真を見た後で、あなたはとっても賢い人であったことが証明されるわけで、めでたしめでたし。
12:45 | コメント (5) | 編集 | ページのトップへ
2005/08/07 日
東京ふり-ふり生活>プリンスホテルのディナーショウ(1)
行ってきました、プリンスホテルのディナーショウ。楽しかったです。
客席は大部分が中高年。ちょっと若い層、といっても30代くらい。若い人がまじっているテーブルは、ユミさんのシャンソン教室の生徒さんたちのグループらしい。
ユミさんの出身校である桜蔭と慶応の、同窓生グループも来ているみたい。
お仲間たち、皆、楽しげにおしゃれしてきた。涼しげな絽の着物をぴしっと決めている人、「バリ旅行で買った布地を使って自分で仕立てたの」という洋裁自慢の人のエスニック調のドレス。「こないだ、お父さんとデパート行ったとき、ねだってみたら買ってくれた。サマークリアランスだったから、上下で10万のお買い得だったの」と、わざわざ値段まで披露する人。
まあ、なんと言っても、私の「愚か者の目には見えない女王様の新しい衣裳」が一番豪華で美しいはずだ。着ている私には、軽くて、着ていることさえ気づかないくらいなのだけれど。しかし、プリンスホテルに集まっている人たちは皆、とても賢い人たちだったらしく、「キャー、へんなオバハンが、ハダカで、、、、」などと言い出す人はいなかった。私の美しい衣裳がちゃんと見えていたみたい。
私たちジャズダンスサークルの仲間は、いちばんはじっこのテーブルに案内された。
う〜ん、舞台を見るにはちょっと遠い席かな。でも、ブッフェ式の食べ物コーナーには一番近い。
「鳳凰の間」で、6時からのブッフェタイム。中華、洋食、和食、デザートのコーナーあり、バイキングスタイルで、好きな料理をいただく。
私は最初、クリームスープとオードブルをとってきて、テーブルに置いた。
バイキング食べ放題といっても、一応コース料理のように、順をおってゆっくり食べるつもりだったのだけど、「あらあ、おすしも、ステーキも、うなぎもあるのよ。持ってきてあげるね」という世話好きのおばちゃんの仕切りで、テーブルの上にはどんどん食べ物の皿が並ぶ。
「食べ放題」に備えて、お昼ご飯は「ざるそば」にしておいたのに、ごっそり並んだテーブルの上を見ていたら、なんだかもう見た目でおなかがいっぱいになり、思ったよりは食べられなかった。
デザート、いろんな種類のケーキもあったけれど、フルーツだけいただいた。う〜ん、大食い自慢にかげりが出てきたな。年のせいか。
7時すぎ、客席のライトが暗くなり、ユミさんのショウ開演。
ペルシャのお姫様のようにベールをかぶったスタイルで登場したユミさん。
4月にユミさんは、イラン旅行をしてきた。バザールで買った布地で仕立てたという銀ラメ入りの衣裳がライトにきらめく。<つづく>
13:10 | コメント (2) | 編集 | ページのトップへ
2005/08/08 月
東京ふり-ふり生活>プリンスホテルのディナーショウ(2)
作詞家でもあるユミさんが詩をつけたという、イランの曲から歌がスタート。
「イランに行ってきたというと、イラクと勘違いして、治安はだいじょうぶなのか、って思った人もいるんだけど、イランはお隣ですから」という、ユミさんのトークとともに、イランのモスクなどの写真がスライドで上映される。
次のコーナーでは、ベルギー、フランスの旅のスライドを映して、シャンソン。ラ・メールなどのおなじみのシャンソン、ユミさんの歌声、とてもすてき。
「エル・ポロン・ポン・ペロ」を歌いはじめたユミさん、はじっこの席にむかって「カモン、いっしょに踊りましょう」と呼びかける。
先週のダンスレッスンの前に、「余興として、いっしょに踊ってね」と、ユミさんから話を聞いていたのだが、それを知らない人もいて、本当に舞台に上がるのかどうか、皆で顔を見合わせる。
結局、舞台に出ていったのは、7名だった。「この曲の振り付け、まだ覚えていないから、ちょっと遠慮する」という人もいた。私も振り付け覚えていないけれど、プリンスホテルのディナーショウで踊るなんて、一生に一度くらいだろうから、ずうずうしく上がっていった。
もちろん、私の衣裳が一番美しいはずだ。お客は皆、賢いらしい。「キャー、えげつないものが舞台に」なんていう声は、聞こえない。
すらりとしたスタイルを誇るお仲間たちの中で、ひとり「コメディ部門」担当として、私の横綱級太鼓腹を押しだし、うん、客席の笑いはとれたゾ。
振り付け、間違いまくりだったけれど、なあに、客はどんな振り付けなのか、なんて知らない。だから、間違えても動いてさえいれば、そういう踊りなのかと思って見てくれる、という、いつもの私のダンスポリシーで、楽しく踊ってきた。
夏のひと夜。ディナーショウのひとときを、楽しくすごせました。
ユミさんありがとう。プリンスホテルの「全員カシコイお客さんたち」私の「世界一豪華」な衣裳を気にしないでいてくれて、ありがとう。
11:16 | コメント (1) | 編集 | ページのトップへ
2005/08/11 木
東京ふり-ふり-生活>花火大会(1)
日本の夏の「無料イベント」の中で、最大の人数を集めるのは、なんといっても花火大会。東京では、隅田川花火大会や、東京湾花火大会に百万人以上の人が出る。
新作花火コンクールが行われる隅田川や、日本で一番大きな玉を打ち上げるという東京湾にも、一度は行ってみたいと思っているのだが、まだ見物にいったことがない。あまりの人出の多さに、近場で空いっぱいに広がる花火を堪能することは難しいだろう、と思ってしまうので。
遠くに小さく見える花火もまた風情があるのだが、打ち上げ場所にできるだけ近く寄って見るのも、迫力があって好き。
荒川の埼玉側東京側両岸で花火を打ち上げる、いたばし戸田橋花火大会。
戸田橋側5700発、板橋側5300発。合計で11000発。尺玉、スターマイン連発など、毎年「今年のみどころ」がある。
毎年、娘息子と連れだって、浮間舟渡駅から荒川の河原へ向かう。
花火大会のいいところは、「無料イベント」であることなのだが、いたばし花火大会では、「有料指定席」の販売を始めた。
近年、事故防止のための警備費用などが増大していて、諸経費をまかなうために、寄付金協賛金を集めるだけではまかないきれなくなってきている、という理由があるらしい。2003年から発売を始め、年を追って有料席が拡大している。
シングル席2500円、ペア席4500円、ファミリー席(4人用)8000円、グループ席(8人用シート)16000円。
打ち上げ地点の前の一番よく見える席は、数ブロックが有料席。座席が確保できるという点で人気が出て、販売早々に完売する。
「無料席」でも、見やすいよい場所もある。ただし、無料でよい席を確保するには、花火が始まる7時よりだいぶ前に会場に着く必要がある。7時ぎりぎりに着いたのでは、もう広い河原にぎっしりの人が並んでいる。
できるだけ早く会場に着いて、見やすい席を確保したいと、朝からやきもきしているのに、今年、娘はさっぱり乗り気でなく、「おなかが痛くなってきたから、行かない」と言い出した。
「浴衣、紺とピンクとどっちを着ていこう」などと張り切って、花火見物を楽しみにしていた娘なのだが、今年は、浴衣も新調していないし。姉が行かないと言い出せば、弟クンはいつも母より姉に従うので「じゃ、ボクもやめる」と、言い出す。
「え〜!持っていって食べようと思って、焼き鳥やピザ、買ってきちゃったのに」と、不満顔の母に、冷たく「母、一人で見に行ってきたら」と、ふたりしてゲームに没頭。
花火が大好きだけれど、今年はまだひとりで見にいく覚悟ができていないので、「じゃ、お母さんも今年はやめよう」と、あきらめ顔になったころ、「ちょっと、おなかがおさまってきたから、行ってもいいよ」と、娘が支度をはじめた。「でも、浴衣着ていく気力ないから、今年はTシャツでいいや」<つづく>
11:20 | コメント (5) | 編集 | ページのトップへ
2005/08/12 金
東京ふり-ふり-生活>花火大会(2)
1時間半前に会場について、有料指定席エリアのすぐ隣にシートを敷いた。
これまでは草の上にシートを敷いたので、待っている間もそんなにたいへんには感じなかった。
今年は、草っぱらエリアはもういっぱいだったので、アスファルト・エリアにシートを敷いた。
アスファルトが日中の熱をたっぷり吸い込んでいて、ものすごく熱くなっている。川風が吹くので、夕方の気温は下がってきているのに、アスファルトに手を当てると、まだまだ熱い。しかたがない。無料エリアだから。
娘も息子も、おさしみを少しつまんだくらいで、ほとんど食べ物には手をつけず、生春巻きも焼き鳥もピザも、私一人でつまむ。
7時すぎに、花火打ち上げ開始。板橋側と戸田橋側で、交互に打ち上げたり、同時に上がったりする。
周囲の人々は「なんだ、板橋、戸田に負けてんじゃん。板橋区、金ないのかぁ」とか、「あ、これは、いたばし勝ったよ」など、勝手に評定している。私は板橋区住人じゃないから、勝ち負け関係なく、両側からの見事な花火が見られて、満足。
宴会をしながらにぎやかに見ている周囲に対し、「またおなか痛くなるといやだから」と、ただ静かに見ている我が家のシート。ときどき「わぁ、すご〜い」と、娘息子が歓声をあげる。
菊先、牡丹、銀冠、UFO、黄金やし、八重芯、千輪、など、様々な花火に見とれる。
毎年、花火師の技に感歎する。現在では、打ち上げ花火の組み合わせ設計にコンピュタも使うそうだけど、当日の打ち上げには、風の向きやら気温やらに気を配り、長年の経験と勘がものをいうのだろう。
最後のいたばし名物ナイアガラ。数年前に2200mの「世界一の長さのナイアガラ花火」が成功して、ギネスブックに掲載されたのだという。
今年は600mと、短かったが、スタート地点近くの席にすわったので、光のシャワーのようなナイアガラを間近に楽しめた。
ナイアガラの仕掛け終点の周囲が、勢いよく燃えだした。丈の高い草なども燃えているらしく、炎が強くなっていく。まわりの人々は「火事?」「ねぇ、あれ、事故じゃないの」と、騒ぎ出した。
最後の「スターマイン450発、連発フィナーレ」が始まったが、火勢はますます激しくなった。
「ちょっと、花火見てるどこじゃないでしょ。いつでも逃げ出せるように準備しとかないと」という娘のことば。
まあ、事故に備えて消防車も待機しているだろうから、客席に火が回るようなことにはならないだろうと、思いながらも、火勢とスターマインを半々に見ていたので、フィナーレをゆっくり楽しめなかったのが残念だった。
スターマイン連発もすごいが、真っ赤に燃え上がる火柱もすごい。
フィナーレのスターマイン打ち上げが終わったら、消防車がやってきたが、火勢はおさまってきていた。
帰り道、毎年「来年からは、ひとり見物かなあ、子どもといっしょに花火見物できるのは、今年が最後かなあ」と、思いながら歩く。
ひとりとなると、持ってきたものすべて持ち帰る方針も、考え直さねば。カラのペットボトルや焼き鳥の空きパック、ひとりでぶら下げて帰るの、寂しいかも。
って、食べ物飲み物を持ってこなければいいんだよね。来年ひとり見物だったら、飲まず食わずでがんばるぞ。
10:27 | コメント (3) | 編集 | ページのトップへ
2005/08/17 水
東京ふり-ふり-生活>Shall we dance?(1)
姑のお供で、舅の墓参りし、シビックセンター25階椿山荘で夕食。
姑にとっては、「息子や孫達と食事をする口実」が「墓参り」なのだ。
「いっしょに食事しましょ」とワーカホリック息子を誘っても、絶対に「仕事が忙しいからダメ」と、断られるのがわかっているから、命日、お盆などにかこつけて、息子や孫を呼び集める。
嫁は期待されていないから、行っても行かなくてもどっちでもいいのだと思いながらも、おつきあい。
夫、お得意の各選挙区当選予報を一同に披露。「ボクの票読みは、ぴたりと当たる」
はいはい、そうでしょうけど、あんたが当てても、だれも儲からない。それよか、仕事すればするほど、借金ばかり増えていくのをなんとかしてくれ。
夫が話のついでに「今週、シャル・ウィ・ダンスをやってるよ」と、言う。夫の事務所近くの映画館で上映されている。
ボールルームダンスを趣味にしているポーランド人留学生(ロボット工学専攻)が、周防正行オリジナルとハリウッドリメークの両方を見て「ぜったい日本オリジナル版のほうがいい」と、主張していたので、ハリウッド版、映画館で見なくても、そのうちレンタル版が出たら借りてくればいいかな、と思っていたのだが、見ておこうか。
それで、娘とふたりで見てきた。私にとっては、ハリウッド版も面白かった。
思った以上に、ストーリー展開や笑わせどころがオリジナルに忠実。監督が主演ダンサー役と結婚しちゃうってのは、さすがになかったろうけれど。
娘の評「シネマレビューでは、だいたいのところが、日本版のほうがおもしろいって書いてあったけど、ほんとその通りだった。最後に妻を前面に出さなきゃならないところがアメリカだなあ。妻の職場に薔薇を持っていって、差し出せる男なんて、日本にはいないもんね」
人物の微妙な描写は、日本版のほうが面白いし、「堅物ビジネスマンが競技ダンスを習う」というシチュエーションが、日本とアメリカでは全然意味合いがちがう。日本では、ふたりでダンス踊ったことがあるっていうご夫婦は、今もそう多くないはず。
中堅企業の会計課長杉本・役所広司vs 愁いをおびたダンス教師・草刈民代 。遺言作成を専門とする弁護士ジョンクラーク・リチャードギアvs プロポーション抜群・ジェニファーロペス。
ジョンの場合、絶対にダンス教師ジェニファー・ロペスとダンスだけで終わりそうにないのに、終わる。深夜の灯を消したフロアで、あこがれのダンス教師と華麗なステップで踊って、「はい、それじゃ、レッスンここまで」で、妻のもとに帰宅するって、そりゃあ、あなた、夫のカガミ。<つづく>
13:44 | コメント (6) | 編集 | ページのトップへ
2005/08/18 木
東京ふり-ふり-生活>Shall we dance?(2)
ハリウッド版「Shall we dance?」、シカゴの町とリチャード・ギアがよかった。
ミュージカル『シカゴ』では、2大女優の存在感に圧倒されていたけれど、今回はなんといってもギアが主役。
都心に電車で通勤するって場合、ニューヨークでもロスでもだめだけど、そうか、シカゴでは電車通勤がありえるのかっていう「アメリカ事情」がわかった。
妻との間は20年間波乱もなく停滞、倦怠。子どもはもう親をわずらわしく思う年頃。仕事はまあまあ順調だが、生き甲斐を感じてのめり込んでいるわけではない。郊外にそれなりの家を買い求め、毎日の平凡な生活になんの刺激も感じていない。
そんな「仕事一筋人間」が、電車の窓から見かけたダンス教師に惹かれ、競技ダンスを習うことで変わっていく。
競技ダンスなど習わなくても浮気のチャンスはいっぱいありそうなリチャード・ギアも、「大ダンサー養成ギプス」を背中にあててステップを踏む役所広司も、ダンスの楽しさで生き生きしてきたように、踊るのって、楽しいよ。
ボールルームダンスはもちろん、ジャズダンスも盆踊りも、踊るのは楽しい。
ワタクシ、水曜日の午前中、ダンスのレッスン行ってきました。ソーラン節おどってきた。
今月、あと2回の練習、9月にあと1回のジャズダンスレッスンが終わったら、次は、発表会本番。
相変わらず「振付け覚えられない」「人のふり見て動くから、半テンポずつ動きが遅れる」「ほかの人のターンと逆にまわろうとする」「せまい舞台なのに、私一人で他の人の2倍面積を必要とする(横幅の関係で)」などなど、問題山積みではありますが、ダンスのコンテストでもないし、お金をとって人様に見せるのでもない。自分の楽しみのためにおどっているのだから、楽しめればいいという精神。参加することに意義がある。
毎年1月に決意する「ダイエット、発表会までに10kgやせる」は、今年も実現せず。
「歌うこと」「踊ること」は、人類が最初に獲得した「楽しみ」のひとつ。手拍子、あるいは石と石、また棒きれを叩き合わせてリズムを作り、ネアンデルタール人もクロマニヨン人も縄文人も、踊っていた。たぶん。
『Shall we dance?』ラスト、薔薇一輪を妻にささげるジョン。妻の手をとり、長年連れ添った夫婦で踊ります。いいよねぇ。うらやましいッ、ふん!私だって、リチャード・ギアが旦那なら、もうちょっとおしゃれしたかも。
授業で、日本オリジナル版『Shall we ダンス?』を見せたとき、学生達みんなで声をそろえて、私のこと「渡辺えり子の役にぴったり」って、言ってたけどさ。
結婚した相手が相手なら、きっと今でも草刈民代だったワ、、、、あ、ちょっと無理か、じゃ、原日出子、、、、にも届かないか、、、、
やっかんでないで、うちも夫婦でシャルウィダンス?いえいえ、とんでもない。
「たとえ借金ぜんぶ棒引きしてくれるって言われようと、ツマという名の脂肪の塊を抱いて踊るのも、薔薇の花ささげるのもまっぴらゴメンこうむる」という夫(法律上の)です。
はい、はい。あなたは、そうやって、いつまでも借金かかえて借用書抱きしめてなさい。
人生、もう少し生き生きしたいと思っている皆様方、「シャル ウィ ダンス?」
09:40 | コメント (13) | 編集 | ページのトップへ
2005/08/24 水
東京ふり-ふり-生活>芝居見物『もとの黙阿弥』
演劇大好き。劇場の演目が変わるたびに見に行くというような芝居三昧生活はできないけれど、新聞や雑誌に出ている「招待券プレゼント」などに応募すると、たまには当たる。昔のアングラ劇場のような小劇団の公演もなかなか面白いものがある。
招待券が手に入れば、小劇場でも大劇場でも、どこにでも出かける。
新橋演舞場の8月公演、井上ひさし作『もとの黙阿弥』演出・木村光一。
3階席の招待券、ゲット。3階B席、一番舞台から遠い席で、花道が見えないけれど、ま、いいや。タダだから。
明治19年の浅草。興業停止を命じられている一座(大和座)が舞台。
一座の座頭・板東飛鶴=高畑淳子。一座の番頭・板東飛太郎=村田雄浩。男爵家跡継ぎ・河辺隆次=筒井道隆。その実姉・男爵家未亡人=池畑慎之介(ピーター)。河辺家書生・久松菊雄=柳家花緑。飛鶴の昔なじみの成金・長崎屋新五郎=辻萬長。その娘・お琴=田畑智子。お琴づきの女中・お繁=横山めぐみ。
座頭は、昔、異人の相手をつとめた芸者時代に西洋舞踏を覚えた。その西洋舞踏を、ひょんなことから成金の娘お琴と男爵家のあととりに教えることになった。
二人は、政略結婚の見合いを鹿鳴館ですることになっている。
相手の人柄を見抜くため身分を隠し、それぞれが書生と女中に入れ替わることから、騒ぎが巻き起こる。坊ちゃんと書生、お嬢様と女中が入れ替わって、相手方を観察しようとする。
そう言えば、NHKのドラマ『私の青空』でも、田畑智子と筒井道隆が組んでいたなあ。テレビでは「未婚の母なずなと、その子の父」だったけれど、この芝居では「あえて困難な現実へ向かって踏み出そうとする、相思相愛の華族ぼっちゃまと成金お嬢様」
演劇とは何か、演劇が人々に与える感動や影響とは何か、人が他者を演じるとはどのようなことか、など、メタ演劇的な内容もあるが、観客はそんな理屈はともかく、ドタバタあり笑いありのうちに、「自分探し」をすることになる若者二組の恋人達のストーリーを楽しむ。
オペレッタ、歌舞伎の「見あらわし」の趣向での芝居、改良新劇、この三つの劇中劇が入り組み、歌と笑いと達者な役者たちの演技力で舞台は進行する。
虚構と現実。虚実皮膜のかねあいの中で、虚構から抜け出せなくなるお繁。自分の力で相手の本質を見抜き、厳しい現実の中へ踏み出そうとするお琴と隆次。
ベテラン役者はそれぞれ達者だし、若手もがんばった。22年前の初演のときより工夫をこらしたという演出、初演を見ていないので、どこがよくなったのかはわからないけれど。
1幕と2幕の間に30分、2幕3幕の間に15分の休憩を挟んで、1時開演から5時終演まで4時間。途中オペレッタのあたり、ちょっとダレたけれど、面白かった。
<演劇トリビア>
.@「見あらわし」(歌舞伎用語)
本当の自分を隠している人物や、人間に化けている妖怪などの本性を、ほかの人物が見破ったり、本人が本性をあかす演出。最後の幕の終りの部分で行われることが多い。「どこそこの誰だれ、実は、何の誰それ」という「正体あかし」が、歌舞伎筋書きの重要な手法。
@もとのもくあみ
戦国武将筒井順昭が死去した後、その死を隠すために、影武者として順昭にそっくりな木阿弥という貧乏坊主が選ばれた。3年間は「表向きお殿様」として優雅に暮らした木阿弥だったが、用済みになったあとは、元の坊主の姿に戻ったというエピソードから、いったんよくなった状態がまた元通りの悪い状態に戻ることをたとえる。
@河竹黙阿弥(かわたけもくあみ)
幕末から明治の演劇界で活躍した歌舞伎作者。代表作に『三人吉三廓初買』など。
@井上ひさしの『もとの黙阿弥』
大和座が上演禁止措置をくらっているのは、黙阿弥の新作を即座にパクって上演していたから。
「見あらわし」の手法で、書生、実は華族ぼっちゃま、女中、実は金持ちお嬢様、と正体を互いに見抜き、もとの姿に戻ることと、黙阿弥芝居をかけている。
@「作者の家」河竹家の人々
黙阿弥の娘の糸女と結婚した繁俊(演劇学者)。二人の間に生まれた河竹登志夫。
私が演劇学を学んでいたとき、歌舞伎の授業は郡司正勝先生。河竹登志夫先生の授業は、明治大正期の新演劇運動あたりの講義でした。
演劇について、重鎮から貴重な講義を受けたのに、今はみんな忘れちゃって、もとのもくあみ。
14:27 | コメント (8) | 編集 | ページのトップへ
2005/08/26 金
東京ふり-ふり-日記>縄文vs弥生(1)科学博物館
東京、ゆうべは強い雨と風でしたが、今日は台風一過、暑いです。
風にとばされた看板に頭をぶつけたとか、床下浸水などのニュースがありました。被害に遭われた方、お見舞い申し上げます。
うちは、ベランダに出しっぱなしのすだれがはずれた程度。
25日(木)、朝の台風予報を聞いて、「まだ、夜までは大丈夫そうだし、こうやって台風予報がでているなら、小さい子ども連れの家族なんかは、でかけてこないだろうから、科博、行って来ようかな」と、息子が言い出す。
上野の科学博物館(科博)で行われている「縄文vs弥生展」を見たがっていたのだが、夏休み中の科博は、「子ども自由研究」のちびっこで大にぎわいなので、子どもが好きじゃない息子は、ためらっていたのだ。
娘は子どもが大好き。今、沖縄の八重山地方へ「社会教育実習」のために出かけていて、現在は40人ほどの子どもを相手に「児童館の夏休み指導員」として奮闘中。
うちの家系は、「子ども好き、世話好き」の、母、姉、妹、娘、姪の一派と、「人が苦手、一人が好き」の、伯母、私、息子、の一派にはっきり遺伝子が別れている。
「小学生とかが、館内でキャピキャピしているの、苦手なんだ」と、息子。
息子が小学生時代、夏休みの自由研究のテーマを「化石」にして、科博で作った「アンモナイトのレプリカ」を学校に提出したことがあった。そういう時も、他の小学生が友達とにぎやかにしゃべりながら制作するなか、息子は一人で黙々作業を続けていた。
ちびっこ遭遇確率を計算して、雨の中、科博へ出かけることにする。
「え〜、ハハもいっしょに行くの?」と、露骨にイヤな顔の息子。「一人でいくなら、入場料はお小遣いから自分で払いなさいよ。電車の切符も自腹」と言い渡すと、「あ〜、そんなら、科博入り口まではいっしょに行くか」
特別展「縄文vs弥生」、考古学的な展示なら、佐倉市の歴史民俗博物館でも特別展のテーマとして、見たことがある。今回科博で取り上げるのは、「考古学的な研究vs人類学的な研究」という。
これまでにない視点で展示するというので、息子も興味を持ったのだ。
「縄文文化から弥生文化への移行が、誰によってどのように、おこなわれていったのか」について、歴史の教科書などにはまだ記述されていない新しい知見が展示されているのではないか、と期待はいっぱい。
展示は、小さい子どもや考古学に関心のない人にも楽しめるよう工夫されている。わかりやすいビジュアル展示。
縄文と弥生の衣服や食事、家財道具の対比など、違いが見た目でよく分るようになっている。
縄文人は、落とし穴を作って鹿やいのししをとっていた。落とし穴の復元が展示されている。秋に集めたどんぐりなどの木の実を貯蔵する穴蔵の復元。ぎっしりどんぐりがつめてある。
貝塚の復元展示もあった。地層そのままに特殊な溶液で固めた貝塚、大きすぎて復元できないでいたが、今回ようやく復元展示できたのだという。たくさんの貝殻にまじって、土器の破片などが捨てられているようすが、そのままに復元されている。<つづく>
13:03 | コメント (3) | 編集 | ページのトップへ
2005/08/27 土
東京ふり-ふり-日記>縄文vs弥生(2)縄文ムラと弥生ムラ
館内、予想よりたくさんの子どもたちがいた。みんな、「雨にも負けず台風にも負けぬ」子どもたちだなあ。
会場内に銅鐸の模造品が置いてあり、ひもをひっぱって、カンカンと鳴らすことができる。
子どもたちがかわるがわる鳴らすので、会場内には、たえまなく「カンカン」の音が響き渡る。もうちょっと音を小さくして、銅鐸ブース内だけに聞こえるようにしないと、ちょっとうるさい。
と、思いながらも、私も一回、銅鐸のひもをひっぱってみた。カンカン。
古代の音が響く。
縄文人と弥生人の人骨がたくさん並んでいる。こちらは人類学的研究の成果。
1999年に息子と見た、科博の「大顔展」でも、同じような比較があり、「あなたは縄文顔それとも弥生顔?」という、自分が何%縄文顔で何%弥生顔なのか、調べることができるコーナーがあったのを思い出す。6年前、息子は小学生で、まだまだカワイラシかったのにねぇ。今じゃ無精髭生やしたニキビ顔。
息子が一番知りたがっていた縄文と弥生の関わりあい、文化の伝播に関しては、展示の出口近くに、「最後の縄文人と最古の弥生人、居徳ムラと田村ムラ」というコーナーがあった。
四国の高知平野に、歩いても半日で行き着く近さ(25km)の距離を隔てて、縄文文化の「居徳ムラ」と弥生文化の「田村ムラ」が併存していた。
水田稲作を行う弥生のムラと、栗やどんぐりなど木の管理採集と、粟ヒエなどの雑穀畑作栽培をしていた縄文ムラ。
縄文のムラは、山、森、川近くに営まれ、弥生のムラは水のある平野に作られるので、地域的には競合することはないが、25kmという距離では、お互いに行き来もでき、影響を与えあっていたと、考えられる。
今回の展示、歴博ではなく科博で行うのは、人類学の研究成果が、考古学の研究に直接関わりあうから。
人骨の比較、DNAの比較などで、大陸や半島からの渡来系弥生人と、在来系縄文人の分布、人口比率などが詳しく検討されている。
縄文の居徳ムラは、400〜500年の歳月のうちに、しだいに弥生文化を受け入れ、縄文文化と融合した弥生中期文化に移行したのではないか、という研究成果がカタログに書かれていた。
縄文時代は、1万2千年つづいたが、人口増加の研究によると、狩猟採集経済における人口増加率は0.1%。千人の人口が翌年に1001人に増えるだけ。
一方、農耕経済では年率1.3%の人口増加が見込める。1000人の稲作人口は、1年後には1013人に増える。
1000人の縄文社会の土地に100人の渡来系弥生人が入り込んだとする。合計1100人の人口のうち、弥生系の人口は在来系縄文人の人口の10%にすぎない。が、弥生系はどんどん増加し、300年たつうちに全人口の70%が弥生系になる、という計算式が成り立つそうだ。
最初の渡来系弥生人が、日本にムラを作ったのが、紀元前900年くらい前、と科学的な年代測定法によって計測された。
出土した人骨は、大陸半島系の人に近く、在来系縄文人の残した人骨とは、はっきり異なった特徴を持つ。それから400〜.500年かけて、ゆっくり渡来系弥生人は在来系縄文人のあいだに入り込み、混血もして、在来系縄文人と渡来系弥生人の比率が逆転していったのだろうと、推測できる。
歴史人口学の統計推測によると、縄文中期に日本列島の人口は26万人まで増加していたが、気候変動や大陸からの疫病流入などにより、縄文晩期には、8万人(縄文前期の人口と同じくらい)に減少してしまった。
それが、農耕経済の進展にともない、弥生前期には、59万人に急増する。
この縄文晩期の人口減少、弥生前期の人口増加の間に、どのような推移があったのか、人類学考古学の研究成果が待たれる。<つづく>
07:36 | コメント (5) | 編集 | ページのトップへ
2005/08/28 日
東京ふり-ふり-日記>縄文vs弥生(3)勾玉
40年前に日本史授業を受けたころは、「縄文人はどんどん北へ追いやられて、渡来系の弥生人が西から東へ、北へと勢力を伸ばしていった」と、習った。
縄文人は「先住民族」であり、私たちは「征服王朝」側の子孫である、という感じで、勢力拡大は、武力も伴って急激に行われた、という印象があった。
出土した人骨の研究や人口増加率などの人類学的な研究によれば、渡来系弥生人が武力によって縄文のムラを服従させながら急激に勢力を伸ばしたのではなく、共存したり、交流したりしながら、500年以上かけて、縄文のムラが少しずつ弥生化(稲作への転換)していった、と考えたほうがよさそうだ。
留学生対象の「日本事情」という授業で、『留学生のための日本史』という教科書を使っている。この教科書の中で一番最初に登場する日本の女性は、ヒミコ。
「ヒミコってどんな人だったの?」という質問に対し、口で説明するよりわかりやすいかと、手塚治虫原作のアニメ『火の鳥黎明編』を見せたことがあった。
「これは、フィクションのアニメだから、ヒミコの実像とは違うけれど、だいたい、こんな雰囲気であったのではないかと想像してください」と、解説。
このアニメでは、縄文文化的なクマソムラが、ヒミコを頂くヤマタイ国に武力で滅亡させられてしまう。
もちろん、ムラ同士の争いは絶えなかったことと思うが、ムラ同士で争うとしたら、弥生ムラ同士の、水争いが多いだろう。水を得られるかどうかは、ムラの死活問題だ。
縄文ムラと弥生ムラでは経済圏が別々なので、わざわざ争う必要がなく、居徳ムラと田村ムラのように、共存できるはずだ。
縄文文化から弥生文化へ、融合的に推移したのではないか、と、考えられる根拠のひとつが勾玉。
勾玉は、大陸などに類似品がない縄文時代独自の装飾品であり、縄文遺跡から多数出土している。そして、弥生や古墳時代にもこの装飾品が引き続き使われている。
胎児や魂を型どった生命力の象徴という勾玉が、ヒミコたちの胸にもかざられていたということを考えると、縄文文化は、「征服服従」によって変質したのではなく、弥生稲作文化を受け入れながら融合したのではないかと、思う。
アジア各地から出土した人骨の遺伝子分析した結果がパネル展示されている。「縄文人の特徴をもつ遺伝子」と「弥生人の特徴をもつ遺伝子」の分布図。
古い人骨では、完全な遺伝子情報を得ることはむずかしいが、ミトコンドリア分析と骨と歯の比較によって、かなり詳細な遺伝子分布図がわかってきたのだという。
最近の研究成果によれば、在来系縄文人は、後期更新世人類(アジア南部)の遺伝特徴を受け継いでいる。アイヌ人は、縄文人の子孫がすこしずつ変化した人々である可能性が高い。渡来系弥生人は縄文人と混血しながら子孫を増やしていった、という説が今のところ有力。
息子は、アイヌ文化や琉球文化との関わりなども知りたかったらしいが、それは、今回の展示では、あまりよくわからなかった。
科博2階のレストランでランチ。私は「期間限定、古代米カレー」を食べた。赤米、黒米、五穀米を混ぜたライスとカレー。
会場に展示してあった「ヒミコ御膳」ほど豪華ではないが、ちょっぴりでも古代を味わった気分。
復元されていた卑弥呼御膳メニューは。
1 ゼンマイとタケノコの炊き込みご飯
2 タイの塩焼き、つけあわせミョウガ
3 里芋,竹の子、豚肉の合わせ煮
4 ハマグリとイイダコのわかめ汁
5 木の芽のあえもの
6 焼きアワビ
7 フグの一夜干し
8 炒りエゴマ風味ゴマ餅
9 アワ団子のミソあえ
10 ゆでワラビ
と、豪華版。
息子は、食べ終われば、もうハハの財布をあてにする必要もないので、さっさと先に帰宅してしまった。
私は、居残って、娘のおみやげにする「勾玉作り」に挑戦した。
本物の勾玉は翡翠(ひすい)瑪瑙(めのう)などが使われているが、「夏休み工作」の勾玉作りは、滑石という柔らかい石を使う。
ヤスリでけずって、勾玉の形にし、紙ヤスリをつかって仕上げる。水のなかでごしごし磨いて、1時間弱でツルツルの勾玉が完成。穴にヒモを遠し、勾玉ペンダントができあがった。
いっしょに作った人達、ほとんどが親子連れ。宿題の「夏休みの工作」として学校へ提出するらしい。指導員のお兄さんお姉さんと、にぎやかに笑いながら作っている。
大学生のボランティアらしいお姉さん、「あ、きれいになってきたねぇ」と、じょうずに子どもをノセながら、仕上げに向かわせる。
娘も、南の島で、子どもたち相手に「児童館指導員」実習、がんばっている。
ケータイで勾玉の写真を送る。「ハハの手作り、プレゼントだよ!」
娘からは「子どもたちのパワーに圧倒され、昼間はくたくた。夜はバタンキューで寝てしまい、メールのヒマもないけど、勾玉、楽しみ。大事にするからね」と、返事が返ってきた。
今回の台風11号は、台風銀座のはずの八重山諸島には、ぜんぜん影響なかったらしく、連日、児童館の活動がさまざまに続いているようだ。
体重は人一倍あるが体力はぜんぜんない娘が、暑さの中で、ばてるんじゃないかと心配だが、勾玉パワーをケータイにこめたから、なんとか頑張ってほしいな。<おわり>
07:35 | コメント (9) | 編集 | ページのトップへ
2005/08/30 火
東京ふり-ふり-生活>スーパーよさこい2005
東京の夏祭、5月の神田祭や浅草三社祭、6月の山王祭りの伝統の祭りからスタート、夏休みになると、さまざまなイベントが行われ、大勢の人出がある。
去年2004年夏は、娘と麻布十番納涼祭、浅草サンバカーニバルに出かけた。8月29日にサンバカーニバルを見て、30日に表参道のスーパーよさこい原宿元気祭りを見ようと思っていたのだが、30日は大雨。踊り手たちは、雨の中踊りぬいたそうだが、見物は、パス。
今年は、娘は南の島で児童館実習中、息子は「つきあう気なし」という中、ひとりで、「原宿よさこい」を見に行った。
2000年第一回の原宿よさこい、明治神宮内の特設ステージで見て楽しかったので、2001年は、息子を誘い表参道に陣取って、いっしょに見た。このころは、参加チーム数もそれほど多くなかったし、「和気あいあい、へたなりに楽しい」というようなチームも多かった。
8月28日日曜日、5回目になる「スーパーよさこい2005」、ガーナの高校生グループなどの招待チーム3チームと参加チーム91チームで、合計94チームが参加。4年前と比べると、踊りや衣裳も各チーム、格段の進歩で、回をかさねるごとにレベルアップしてきたことがわかる。
仲間同士で集まって始めたチームも、振付の先生を招き、踊りの基礎から積み上げて練習を重ねた、という感じ。
もちろん「参加することに意義あり」チームも「まだまだ練習不足」チームもあったけれど、楽しそうに仲間と踊っている人達を見ると、へたでも応援したくなる。
「東京メトロ」「高知県トラック協会」など、仕事仲間で組んだチーム、大学のサークル活動、小学生のグループ、、、、
高知県から上京の「本場」チーム、東北、関東から関西、中国地方まで、地域ごとの踊り好きのグループ。
また、全国から応募した「ネットでよさこい」というチームもある。インターネットで募集した人達が、自宅のビデオをみながら振付練習。集まって踊るのは一度だけで、すぐ本番。
参加チームは、時間ごとに移動しながら、「代々木公園イベント広場ステージ」明治神宮の中の「文化館ステージ」明治神宮入り口の「原宿口ステージ」「表参道パレード」「NHK前通りパレード」で踊る。
今回は、代々木公園イベント広場のステージで見た。表参道やNHK前通りをパレードで移動しながら踊るのに比べて、ステージでの踊りは「観客に踊りを見せる」ということに重点をおいたステージングで、踊りの技術がよくわかる。
どのチームも、地元で週に1回か2回の練習日を設け、皆で集まって練習を重ねてきている。
全部のチームの踊りを見ていたかったけれど、途中で、高知県物産展のテントへ行き、名物の「かつお煮物」などを食べてみる。このスナックタイムを含めて、12時から5時まで踊りを見続けた。ほんとに私は踊りが好きなんだなあと、自分で思う。
ステージ演舞が終了後、原宿口ステージで、コンテスト入賞者発表があった。
私のとなりにいた「とらっく」とプリントしたそろいのTシャツを着たおばさんたち、高知から上京した「トラック協会」というチームを組んだ人たち。
自分たちのチームの指導と振付をしてくれた先生は、高知の「十人十彩」というチームの踊り手でもある。「優勝チーム」の一員として、最後に演舞披露するというので、もう大喜び大騒ぎ。
各賞の発表が全部おわり、踊り手たちは、神宮の森のなかの控え所へ戻っていった。仲間たちと、喜びあったり、「来年こそ」などと話ながら、三々五々戻っていく。踊り終わった後の踊り手達の表情を見るのも楽しいので、神宮の中へついていった。
参道北口から大型バスがつぎつぎと出ていく。
それぞれの地元へ、踊りきった満足の表情を乗せて、バスは北参道ガード下をくぐっていった。
また来年ね!
17:04 | コメント (4) | 編集 | ページのトップへ
2005/09/02 金
東京ふり-ふり-生活>プラチナ通り(1)
親和力がある地名、親しみを感じる人名。
自分となんらかの関わりや共通点が発見できると、今まで関わりが薄かった土地や人に対して、いっぺんに親しみがわく。今までよく知っていた人や土地でも、これまで以上のつながりができたような気持ちになる。
「親が同じ寺の墓に眠っている」というだけの共通点なのに、その方の書く文章に親しみを感じたり、誕生日が同じ月ということが、とてもうれしかったりする。
Kさんとは、「時期がちょっとずれたけど、同じキャンパスで学んだ」という共通点がある。私の日記の記述から、目ざとく「学科はことなるけれど、同じ学校に行っていた」と、気づいてメールをくださった。
ホームページを開設してやっと数ヶ月、というころ、私にとって、初めての「ネットで知り合った人と実際に会って話す」という機会を作ってくれた人。
ネットの記事に「オフ会」なんて文字をみたり、みんなでいっしょに食事をしてしゃべったときの楽しそうな写真が掲載されているのを見ると、いいなあ、と思う。
いいなあ、とうらやましく思うだけで、自分から「じゃ、会おうか」なんて積極的な行動をとるのは、からきしダメ。だれかがお膳立てしてくれて、無責任にのっかれる都合のいい話がこないかと、口をあけて待っている。
Kさんは、そんな横着な私に、再度声をかけてくれた。「また会ってお話しましょう」と。
二度目なので、私も少しは「会う場所と時間」など、セッティングしなければ。
そこで、Kさんに、「松岡美術館へ行ってみませんか」とメールして、半日「シロカネ散歩」が実現した。美術館招待券2枚入手済み。
これまで、白金台駅から庭園美術館へはよく出かけたが、プラチナ通りを歩いたことなかったので、「東京ふり-ふり-生活」のひとつとして、一度はやってみようかと思っていた。
プラチナ通りに面して建つ松岡美術館で「フランス近代絵画展」と「中国青花展」を見た。静かな落ち着いた美術館。
「青花展」、景徳鎮窯で完成された青花磁器の逸品が並んでいる。白磁にコバルトブルーで模様を焼き付けした美しい磁器。
若い女性のグループが、説明役の先生のまわりを取り囲んで、熱心にメモなどとりながら元代と明代の青花を見比べている。
先生の説明。「元代の青花は、びっしりと模様を埋め尽して焼かれているけれど、明代になると、余白が出てくる」へぇ、なるほどね。
それから、プラチナ通りのカフェレストランで、お茶とケーキ。Kさんのお子さんの教育問題や、私の山積みの問題の数々、話はつきず、場所を変える。
ベトナムレストランで、生春巻きをつつきながら、ベトナムの花のお酒をいただく。私のお酒は、蓮をつかった香りのよい、すっきりした味。
Kさんの息子さんから「早く帰って」というケータイを二度三度と受けるまで、おしゃべりしてしまった。
小学生はいいなあ。お母さんに早く帰ってほしい年頃。私など、「飯作りのばあや」程度の扱いですもん。
夏の思い出のひとつ、Kさんとの「白金おしゃべりOff」楽しかった。
真夏の午後のプラチナ通りは、犬を連れて散歩する人にちょこっと会っただけで、人通りなし。
話にきく「シロガネーゼ御用達のショップやレストランが並ぶプラチナ通りは、たく
さんの人でにぎわって、、、、」って、雑誌の中だけのことだったのかしら。
気取ったシロガネーゼファッションの若奥様から、「ふん、よそ者が」なんて目で見られたらイヤだな、と思っていたほどのことはなかった。<つづく>
09:59 | コメント (8) | 編集 | ページのトップへ
2005/09/03 土
東京ふり-ふり-生活>プラチナ通り散歩(2)
知らない街を歩くとき、気後れすることがある。
初めての町へ行ったとしても、自分が育ったのと同じような田舎町や温かそうな東京下町だと、平気。
しかし、25年東京に住んでいても、「お上りさん気分」がぬけないので、「山の手お屋敷町」あたりだと、その町から疎外されているような気分になる。親和力の欠如。
今までの街中散歩で、ひとりで歩いていて「うわっ、この町、居心地わるいなあ、はじき出される気分だなあ」と、感じた場所がいくつかある。
いわゆる「高級住宅街」と呼ばれる地域。(露骨な話をしてしまうと、坪単価(3.3u)500万円以上の土地値也)
渋谷区松濤(しょうとう)の住宅街。松濤の都知事公邸はレストランとして貸出されているが、周辺には、個人の邸宅が並んでいる。
目黒から恵比寿にかけての、品川区上大崎、通称「長者丸」のあたり。品川区の通称「池田山、島津山、御殿山」。
今年4月に新首相公邸が完成するまで、首相仮公邸が池田山にあった当時は、日本の住宅街の中で一番警備が厳重な地域だった。
池田山の正田邸(皇后実家)は取り壊されて「ねむの木公園」になったが、周辺のお屋敷は、今も静かなたたずまい。
池田山あたり、よそ者が歩くと、「住人かどうかすぐわかる」っていうけど。はい、ものほしそうな怪しげな目つきで歩いていますけど、私、怪しい者じゃ、、、、。
大正時代、松濤富ヶ谷住宅地の住人を募集したとき、「爵位、勲位を持つ人、社会的名声を持つ名士に限る」という条件がついたという。ただお金があるだけでは松濤の土地を買うことができなかった。
たぶん、私の「居心地悪さ」は、このあたりが原因なのだろう。爵位も社会的名声も縁ないもん。金に縁のないことはムロンのことだけど。
東京の山の手線の内側、道に面した塀の長さが100mも続くような大きなお屋敷に、個人名の表札がかかっている。その前を歩くと、門の脇を通っただけで、監視カメラにさらされているような、圧迫感がおこる。これぞ、貧乏人のヒガミであろう。
道路歩くだけで、どうしてこんな疎外された気分になるのだろう、やだな、根っからの貧乏性。
お屋敷の塀に沿って歩きながら、ついつい計算してしまうセコさ。土地値、坪単価500万として、100坪で5億、200坪で10億かあ。ま、一生住むことはない街であるのは確かだな。
Kさんは、私のこのような「根っから貧乏性」の性分など気にしないで、きさくにしゃべり、私の愚痴も受け止めてくれる。
プラチナ通り程度に「ひとりで歩くのいやかも、、、」なんて心配している私の「疎外気分」を吹き飛ばして、プラチナ通りカフェでの「ティータイム」は、話題満載ですぎていった。
白金、白金台。自然教育園と庭園美術館以外のところは、今まで親しみのない土地だったけど、「疎外感」ってほどじゃなくなったな。次は池田山攻略だ!
池田山で100坪以上の一戸建てに住んでいる方、お茶の時間にお招き下さい。と、言っても、そういう方とはご縁がないなあ。それじゃ、せめて「ねむの木公園」のベンチで、缶コーヒーでも飲むとするか。<おわり>
11:36 | コメント (4) | 編集 | ページのトップへ
2005/09/05 月
東京ふり-ふり-生活>東京お湯めぐり(1)ラクーア温泉
温泉好き。
故郷は、全国的にも名の知れた温泉が多いところ。万葉集にも名前がのる歴史ある温泉やら、お湯の中にもコリャ花が咲く温泉やら、「秘湯」というふれこみでにぎわっている温泉やら。
ふるさと創生資金が交付されて新たに温泉を掘った町村も多く、どの町にも村にも、町営村営の温泉がある。
田舎に帰ったときは、妹といっしょに温泉に入ることが多いが、今夏の帰省では、温泉に行かなかった。
それで、東京に戻って、「この夏ひとりでしてみたいこと」のひとつ、「東京の温泉に入る」をやってみた。
都内の温泉、大田区の黒湯などが天然温泉として知られてきたが、ここ数年、新しい温泉がつぎつぎに開業した。
お台場を1400mボーリングして掘りあてた「大江戸温泉」、豊島園の「庭の湯」など、近場で 「デートコース」になるような、しゃれた温泉が出現。
大江戸温泉に入ってきた留学生の話だと、楽しかったけれど、休日に行ったのでとても混み合っていて、あまりゆったりのんびりした気分にはひたれなかったという。
白金のカフェでのおしゃべりで、Kさんも「ラクーアのほうがいい」と、勧めてくれたので、東京温泉巡り、まずは一番うちから近いラクーアから。
うちから地下鉄で15分。後楽園駅を出て、遊園地で遊ぶ人達の「キャー!」という歓声をききながら、ラクーアビルの6階へ。東京ドームシティの地下1700mからわき出す天然温泉。
受け付けで、バスタオルフェイスタオルと館内ウェアを渡される。ロッカールームのキーを腕につけて、このキーで館内の精算をしていくシステム。
まず、体をざっと流してから、露天風呂へ。空は見えるが、さすがに周囲の景色は見えない。
風呂から外部が見えるようにして、外部からは中がのぞけないような特殊ガラスを使って、露天風呂から、東京ドームや後楽園庭園、新宿の高層ビル街などが見えるようにしたらいいのに。夜景の灯のきらめきを見ながらお風呂につかれたら、最高なんだけど。
ラクーアの天然温泉は、塩分が強い。なめてみるとかなりしょっぱい。
バブル風呂、ミストシャワーなど、ひととおり試してみる。私はサウナがだめなので、ちょっと残念。
途中ちょっとのどがかわいたので、「お風呂上がりは瓶牛乳だよな」と思って、自動販売機にロッカーキーを押し当てる。商品番号を押し間違えてドリンクヨーグルトが出た。数字に弱いのはいつものことだ。
「うん、ラクーア上がりにはドリンクヨーグルトだよな」と、つぶやいて飲む。<つづく>
09:45 | コメント (4) | 編集 | ページのトップへ
2005/09/06 火
東京ふり-ふり-生活>東京お湯めぐり(2)ラクーア温泉つづき
リラクゼーションエリアで少し休む。
ラクーアビルの中をジェットコースターが通過するので、コースターが通るたびに、ゴーッという音がかすかに聞こえ、振動する。震動をマッサージと思えばよいが。
ラクーア温泉のリクライニングチェアでテレビを見ていたら、築地グルメ特集をやっていた。それほどおなかはすいていないが、テレビの人がうまそうにおすしなど食べているのを見たので、館内のレストランを利用してみることに。
和食と韓国料理の店がある。ちょこっとお試しでレストランを利用してみるだけなので、韓国冷麺を食べることにした。先日、アジアを旅して麺類のルーツをたどるという紀行番組をみた。宍戸開が食べていた蕎麦もビーフンも冷麺も、とてもおいしそうだった。
宍戸開くらいおいしそうな顔をして食べたいと、期待したのだが、ラクーア冷麺あまりおいしくなかった。ま、おなかすいていないのに食べたからだろうな。
ビデオシアターもあったので、もう一度お風呂に入ろうと思ったのをやめて、シアターのシートへ。『オーシャン11』を見た。プロジェクターが少し見づらかったけれど、大泥棒の話はおもしろかった。
結局4時に入ってから8時半までラクーア・スパですごした。入浴料2500円のほか、食べ物飲み物などいれても5000円の予算内でおさまった。
デートコースとしてふたりで楽しむ人たち、夏休みを楽しむグループや家族連れも多い。近場の温泉として、みんなで楽しむにはいいと思う。
ただし、一人で行くなら、私にとっては、近所のヤナギ湯のほうがいいかも。
ヤナギ湯は、400円の銭湯料金だけで入れるスーパー銭湯。沸かし湯ではあるが、バブル風呂、ジェット水流バス、サウナなどをそろえ、露天風呂は、ワイン湯、りんご湯、菖蒲湯など、季節ごとにかわり薬湯を楽しめる。ビールや軽食をとる休憩コーナーもある。
リクライニングチェアやビデオシアターはないが、お風呂に関してだけなら、ヤナギ湯もラクーアにヒケをとらないことがわかった。
東京お湯めぐり、次ぎは、なじみのヤナギ湯へ。<つづく>
08:28 | コメント (4) | 編集 | ページのトップへ
2005/09/07 水
東京ふり-ふり-生活>東京お湯めぐり(3)ヤナギ湯
ドアtoドアで徒歩5分のところにあるヤナギ湯。
周辺には、古い造りのアパートも残っていて、銭湯として毎日のように利用する人もいる。内風呂がある人も温泉気分で入れるスーパー銭湯が気に入ると、常連さんになる。
東京の銭湯料金大人ひとり400円(サウナは別料金)
腰痛肩こりにはジェット水流。私は電気こわいので入れないが、電気風呂に入ると、ピリピリ電流がお湯の中を走り、筋肉痛などもほぐれるとか。
私は、日替わり薬湯の露天風呂が好き。露天といっても、ビルの中の露天風呂、空は見えるが周囲の景色は見えない。
風呂は好きだが、湯気で顔がのぼせてくるのが嫌いな私にとっては、自然の空気があるので、顔が冷やされて長湯できるのでうれしい。
日替わり薬湯、毎日メニューが変わる。本日のメニューは「マリン・ハーブ」海藻のエキスだそう。薬湯メニューは、ほかに↓など。まだ試したことのないのがたくさんある。
植物系=よもぎ、海藻、菖蒲、生姜、アロエ、どくだみ、菊、胡蝶蘭、桃の葉、松葉、紅花
果物系=りんご、みかん、ゆず、レモン、かりん、ブルーベリー、マスカット、ラフランス、苺、
ハーブ系=ジャスミン、ペパーミント&オレンジ、ローズマリー&マジョラム ラベンダー&カモミール
木系=ひのき、森林浴、
飲み物系=コーヒー、紅茶、ワイン、玉露、ミルク、抹茶、、、、
漢方系=宝寿湯、麗参、紫根、甘草、じっこう、火龍薬湯、陳皮、
温泉系=草津湯ノ花、
その他=コラーゲン、シルク、ロイヤルゼリー
露天風呂、腰湯にしてすわり、チェアで休んでいるおばあさん同士の会話をぼんやり聞いている。はじめて顔を合わせたふたりが、ハダカで会話しているうち、旧知のようにほぐれてくる。
最初は、野菜のはなしをしていた。
「スーパーの野菜、おいしくないね」「栄養分も昔のものに比べると、半分になっているんだって」「昔は無農薬だから、よかったわ」「虫がついてたけど」
昔の食べ物はおいしかったという話から、郷土の料理自慢へ。「前沢牛が一番おいしい」「盛岡冷麺が絶品、、、、」
なんと二人とも岩手出身ということがわかった。
「私、北見」「あたしは水沢」「あれえ、すぐ近くじゃない、、、、」
北見のおばあさん「ラクーアも行ってみたけど、ここのほうがいいよ、のんびりできて」水沢おあばさんも同意「そうねぇ、ラクーアは混んでるし、なじめないし」
確かに、ラクーアは知り合い同士で楽しむにはいいけれど、こうやって初めて顔合わせた人が、旧知の仲みたいにおしゃべりを楽しむことはないかもしれない。
北見と水沢出身のおばあさんのおしゃべりは続く。
「帰省するなら、イーハトーブがいいわよ」「え、なにそれ」「知らないの?宮沢賢治」「宮沢賢治は知ってるけど」「バスがあんのよ、賢治のバス、、、、」
あれ?賢治なら銀河鉄道じゃないの?賢治の話にバスが出てきたっけ、と、思っていると、おばあさんの話では、池袋、赤羽から岩手方面へ行ける深夜長距離バスが出ている、ということだった。7000円くらいで岩手へ行けるそう。
へぇ、長距離バスに「イーハトーブ」って名前がついているんだ。お銭湯は、耳情報に役立つ。
まあ、賢治が名付けたイーハトーブ(岩手)へ向かうバスだから、いいのだろう。著作権も切れているし。
地元では「雨にも負けず饅頭」とか、「夜鷹の星せんべい」とか、何でもアリなのかな。
露天風呂から見上げる東京の夜空に星は見えないけれど、イーハトーブに思いを走らせ、星空を走る銀河鉄道を思う。
風呂あがりには、生ビール。中ジョッキ400円。新聞読みながらゆっくり飲んで、合計800円なりの本日のお風呂三昧。ああ、いい湯だった。<おわり>
08:58 | コメント (3) | 編集 | ページのトップへ
2005/09/13 火
東京ふり-ふり-生活>舞楽・蘭陵王
「無料で楽しむ東京ぐらし」をコンセプトにして、野外バレエ、クラシックコンサート、いろいろ楽しんだなあと、思い返しているうち9月になった。9月は9月で、また、いろんな催し物があって、「無料で楽しむ」日記、継続です。
毎週金曜日、国立東京博物館は夜8時まで開館している。ゆっくりと本館を見て閉館時間より30分早く正門を出た。上野公園を通って駅へ向かうつもりだった。もうすっかり暗くなっている。噴水脇を駅へ向かう人々も心なしか足早になっている。
噴水のそばに舞台ができていた。なにやら始まりそうな気配なので、「何かイベントがあるんですか」と、スタッフらしい人に聞いてみる。「バイ ザ セレモニーっていうイベントなんですけど。もう始まってますから」という答え。
暗い中、烏帽子水干を身につけた一群が、一列になって舞台へ向かっていた。なんだ、これは?武者行列?コスプレイベント?バイザセレモニー?
急いで舞台のまわりに集まっている人々の中に入った。
烏帽子をかぶった人達が舞台の上に登場し着座すると、照明が入った。雅楽だった。
東京芸大邦楽科の学生たちによる、雅楽演奏の試演会という。本番は文化祭で発表する。
篝火の代わりに、投光器が舞台の四方から空へ向かって強い光を投げ、曇り空にその光が反射している。四方からの光が雲の一点でひとつになる。光のアーチが空間を形作っていて、演奏の会場に不思議な趣を与えている。
最初は、管弦が3曲。琵琶、琴、笙、ひちりき、笛、鼓。
演奏者は噴水の方を向いて座り、観客は両脇から舞台を見つめる。
神社の結婚式の伴奏などとして管弦を生で聞いたことはあるし、テレビで演奏を見たことはあるのだが、こうやって舞台の上に並んで演奏する管弦をこんな近くで見るのは、この年になってはじめてのこと。
宮内庁の春秋の演奏会に一般公募があり、雅楽演奏を鑑賞できることは知っていたが、何となく敷居も高い気がして、申し込んだことはない。(今年度秋期演奏会の申し込みは7月31日で締め切られている)
曲目も知らないし、笙の演奏者が、曲の合間にしきりに楽器をゆすっているのは、あれは温めているのか、湿気をはらっているのか、いったい何故あんなにゆすらなきゃならないのだろうか、なんて気になったりしたが、管弦の生演奏、とても面白かった。
悠久の調べというか、古代のゆかしい音というか、琵琶のベンベンも、琴のボロロンも、笛のヒューヒャラリも、初秋の空に吸い込まれていくような音だった。
管弦演奏が終わると、演奏者はふたたび一列になって戻っていき、照明もおとされた。何もアナウンスがないので、舞台を取り囲んだ人の何割かは、帰ってしまった。そのあとまた違う観客もよってきて、スタッフも帰らないので、まだ何かあるのだろうと待っていたら、再び演奏者が一列になって舞台へと進んできた。
さきほど舞台に並んだのと異なり、舞台を取り囲むようにして並んだ。今度は鞨鼓(かっこ)と、鉦鼓(しょうこ)の打楽器も加わった。
面を着けた演者が舞台に上がった。ああ、これなら私も知っている。蘭陵王(らんりょうおう)だ。
これもテレビで見ただけで、実際に目の前で舞うのを見るのは初めて。
蘭陵王は、こんな衣裳で踊る。
http://www.kyoto-ap.ne.jp/gagaku/bugaku/bu-ranryouou.htm
見ているうち、子どものころ見たお神楽の動きを思い出したり、中国の太極拳も似たような動きかたをするところがあるなあ、と思ったり。
舞楽の専門家からしたら、素人が勘違いなこと考える、と言われるかもしれないようなことを頭に思い浮かべていた。
四半世紀以上も前のこと、演劇学を勉強した。「舞踊史」「民俗芸能学」「日本芸能史」などの授業を受け、各地の民俗舞踊や神楽舞、黒川能のような地方の能を見て歩いた。民俗芸能は本田安次先生に教わり、地方の芸能を見なさいと言われたし、郡司正勝先生の歌舞伎の授業では、毎月歌舞伎を見なさいと言われた。
それなのに、舞楽の本物を見たことなかったのだ。たぶん舞楽の授業がなかったから、ナマケモノの私は見る機会を作らなかったのだろう。
邦楽修行中の学生の試演会とはいえ、なかなかの演奏だったし、見る人も多くない中、スタッフは一生懸命やっていた。
無料で管弦舞楽を楽しめて、よい秋の夜になった。
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2005/09/14 水
東京ふり-ふり-生活>国立博物館ミュージアムコンサート(1)大鼓演奏
8月に紹介した「庭園美術館無料コンサート」は、毎月行われており、実施日時も決まっているので、予定を立てて出かけることもできる。
9月9日に国立東京博物館へ出かけ、10日に「博物館コンサート」が開催されることを知った。こんなふうに偶然知って出会うのも、縁というものだろうと思って、二日間連続で博物館を訪れることにした。
「文化庁舞台芸術国際フェスティバル」2002年から毎年行われてきた。
ミュージアムコンサートは、昨年2004年に国立東京博物館、科学博物館、西洋美術館で、9月18日19日に開催された。無料の催しには目を光らせている私なのに、気づかなかったわぁ。私たちの税金使ってるコンサートなんだから、聞かなくちゃ。
2005年は、東京国立博物館と奈良国立博物館が9月10日に開催。京都国立博物館では、9月11日に開催された。聞き逃した方、来年はぜひ。
本館の大階段前に集まった人々には、立派なプログラムが配られた。河合隼雄文化庁長官のあいさつが第一面に掲げられている。
大階段の踊り場に赤絨毯が敷かれ、椅子やマイクの準備がしてある。
東京博物館のプログラム。能楽大倉流大鼓方、大倉正之助。そして、モンゴルの馬頭琴グループ、アジナイホールが出演。
最初の曲目「三番叟」は、能の代表的な曲目。私も三番叟は何度も見てきた。でも、能を見るときは、舞っている翁を見つめる。大鼓(おおつづみ)をひたすら見つめて演奏を聴くなんてこと、したことない。
大鼓独演って、どんなのだろうか。
袴をはいた大倉正之助さんが階段を下りてきた。
三番叟の独奏がはじまった。「オーッッッ!ヨォッ」と、鋭い声が本館大階段ホールに響き渡る。大理石を使った明治の名建築、とても響きがよい。声に続いて大鼓の音がさえ渡る。すごい声の迫力。すばらしいリズムと間。
音だけなのに、音が、黒式尉面翁が豊壌寿福を願って舞う姿となって空気をゆらす。
大つづみの音と声の見事な演奏に、「ほぅっ」という溜息がもれた。能を見るときは、つづみの手の動きなどあまり注意したことはなかったが、今回、目の前の大鼓の素手打ちを見つめて、その優雅にして力強い動きに見とれた。腕と指がすっと横に伸び、はっしと鼓の皮にうち下ろされる。
大つづみの皮は、馬の皮である、ということも、大倉正之助さんの解説で知った。
大倉正之助さんは、大倉流家元の長男として生まれ、17歳で能の大鼓方となった。能の舞台だけでなく、ダライラマのノーベル平和賞受賞記念公演、バチカン宮殿でローマ法皇への演奏披露などの公演活動を続けてきた。独奏家としても高い評価を受けており、「重要無形文化財」の認定を受けている。
三番叟に続いて「獅子」という曲の独演もすばらしいものだった。
能の「石橋(しゃっきょう」に出てくる、獅子の曲。天竺(てんじく)の聖なる山「清涼山」に懸けられた「石橋」。文殊菩薩の眷族(けんぞく)といわれる霊獣・獅子が現れ、千秋万歳の勇壮な舞を舞う。
歌舞伎では、赤いたてがみ白いたてがみをそろって振り回す連獅子が、「石橋物」のひとつとして有名。民俗芸能の獅子舞も、元は同じ。
正之助さんの独奏は、「ヨオッッ、オーー」という声と大鼓の響きで、千尋の谷に架かる幅一尺(30cm)長さ十丈(1500m)の石の橋の深い幽玄、獅子の姿と獅子に込められた精神を、気迫をこめて表現する。
三番叟を打った手の形と微妙に違う打ち手をしていたように見えた。
初めて見た、大鼓の独奏。伝統的な能舞台での活躍のほか、さまざまな現代アーティストとの共演をつづけて、おおつづみという楽器の可能性を広げてきた正之助さんの気迫に圧倒された。<つづく>
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2005/09/15 木
東京ふり-ふり-生活>国立博物館ミュージアムコンサート(2)モンゴルの馬頭琴
モンゴル語で、アジナイは「すばらしい馬」という意味。そしてホールは「楽器」、アジナイホール、すなわち「すばらしい馬の楽器」。馬頭琴を中心とするモンゴルの音楽団体の名前である。モンゴル民族の伝統文化を未来へ伝えるために、古典曲新曲を含め、モンゴル音楽を世界へ発信し、活動を続けている。
「アジナイホール」は、社会主義崩壊直後の1995年にフレルバートル・ソードエルデムによって設立された。今回のミュージアムコンサートには、アマルトヴシンさんとボルドバートルさんのふたりが参加。
最初の曲「優駿」。「アジナイ=すばらしい馬」というグループ名にふさわしい曲目。大草原をゆったりとながれる風。風の中、馬たちが草をはみ、いななき、駆けていく。弦のひびきが心にしみ渡る。
年上のアマルトヴシンさんが、馬頭琴の解説をする。馬頭琴の本体は、もとは馬の皮で作られていたが、現在は白樺の木によって作られる。棹の先端に馬の頭が飾りとしてつけられている。弓と弦は馬のしっぽの毛をつかう。
小学校の教科書に「スーホの白い馬」というモンゴル民話が採用されたので、馬頭琴は広く知られるようになった。
モンゴルの大草原にスーホという少年が住んでおり、迷い込んできた白い子馬をかわいがっていた。草原で開かれた競馬に優勝したことから、王は白い馬の所有者は自分であると言いだし、馬はいじわるな権力者によって殺されてしまう。
スーホは嘆き悲しんで暮らしていたが、ある夜、夢を見た。白い馬は、自分の体で楽器を作って、とスーホに頼んだ。
馬が殺されたことは悲しいけれど、馬の皮と骨で作られた楽器の響きは、いつまでもスーホと共にある。
馬の顔を木で彫り、棹に飾りにつけた馬頭琴の由来を語る民話。馬と少年のゆるぎない心の通い合いを伝えるお話だ。
モンゴルから来た留学生に「スーホのお話を知っている?」と、聞いたら、何人もが「知らない」と、答えていた。
80年間の社会主義体制のあいだに、伝統楽器の由来を語る民話も、人々の間に伝わらなくなっているのかと心配したことがあったが、馬頭琴の演奏は、こうして新しい曲も作曲され、より一層活動範囲もひろまっていることがわかって嬉しい。
モンゴルは1911年、辛亥革命により清国から独立。社会主義国家として1924年に人民共和国となった。1990年、複数政党を認める大統領制となり、1992年、「モンゴル国」と国名変更。
大相撲横綱朝青龍らの活躍によって、アジアの国のなかでも、こどもでも国名を知っているおなじみの国となっている。
来年は、チンギスハーン(ジンギスカン)が1206年に建国してから800年目なのだという。
「優駿」に続いて、「天馬」という曲。これも、モンゴルの大草原と馬を思わせる、美しい曲。
馬頭琴は、弦は二本だけ。馬の尻尾の弓で、ビオラに似た美しい音をかなでる。
再び大倉正之助が登場して、アジナイホールとの共演で「天女」という曲。そして「優駿」を、大鼓(おおつづみ)と馬頭琴の共演でもう一度聞いた。
馬頭琴のおおらかなゆったりした弦の響きと、大鼓のぴんと張りつめた打の響きが絶妙の間で共鳴する。
初めて聞く馬頭琴と大鼓の取り合わせ。ふたつの異質な楽器の出会いが、ジンギスカンの昔から続いているかのような、しっくりと合った音に聞こえた。大倉さんは、「大鼓の皮は馬の皮だから、馬頭琴と合うはず」と、解説していた。
思いがけなく、博物館へ寄って出逢った馬頭琴のしらべ。アジナイホールは、これからも日本各地で演奏活動をするというので、いつかまた聞くチャンスがあると思う。
アジナイホールの紹介(公式サイト)は、ここ。
http://www.ne.jp/asahi/ajinai/homepage/index/
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2005/09/16 金
東京ふり-ふり-生活>万年時計(1)キテレツ君のご先祖様
通常展示の入館料大人500円(特別展は別料金)の上野・科学博物館。
9月9日〜11日、東芝デー(東芝創業130周年)として、特別展のほか、通常展示も含め、すべての入館者が無料となった。
会場前に立っている警備案内の人に聞いたら「私どもは、東芝から依頼を受けた派遣会社の者です」と、言っていた。警備の費用のほか、特別展3日間の経費を東芝が負担し、入館者はタダ。
特別展「モノづくり物語」が新館地下一階特別展示室で開催され、東芝の創業130周年記念シンポジウムなどが行われていた。係りの人に「どなたでも聴講ご参加いただけます」と言われたのだけれど、なんだか難しそうな研究発表みたいだから、やめておいた。
1時から童門冬二「田中久重について」という講演があったのには、間に合わなかった。講演は聞いてみたかった。
会場を東芝の関連ビルやこの手の催しがよく開催される幕張メッセなどにしなかったのは、もともと科学博物館新館2階のフロアの一角が、「からくり儀右衛門(田中久重)」の「万年時計」展示コーナーになっており、「万年時計」復元制作が、科博と東芝の共同プロジェクトだったからだ。
からくり儀右衛門は、キテレツ斎のモデルと聞いたことがあった。
奇天烈斎は、キテレツ君こと発明大好き少年木手英一のご先祖さま。江戸時代の大発明家で、数多くのスーパー発明品を作りあげ、その内容を記した「奇天烈大百科」を残した。
藤子・F・不二雄原作、テレビアニメ『キテレツ大百科』、ドラエモンより好きだった。キテレツ君の相棒、コロ助というロボットは、儀右衛門が作った「からくり人形」がモデルということだった。
4月の「恐竜展」でティラノサウルスのスーを見に科博へきたとき、通常展示も見て回った。娘と息子は、地下二階の「生物の進化」や地下一階の「恐竜」コーナーは興味を持って見るけれど、2Fの「科学と技術の歩み」にはあまり興味を示さず、ささっと通過した。
私は2Fの「江戸時代の博物学」「伊能忠敬の測量」などにも興味があったし、「日本で最初の真空管を使った計算機」なども、面白かったので、ゆっくり回ってみたいと思った。
先月末、息子と「縄文vs弥生展」を見たあと、私はひとりで新館全フロアを見て回った。一番じっくり見たのは、4月にはゆっくり見られなかった2Fだった。
2F常設展示で最初に目にするコーナーが、「からくり儀右衛門」こと、田中久重が1851年(嘉永4年)に作った「万年時計(万年自鳴鐘)」
からくり儀右衛門(田中久重)は、幕末の世にさまざまな発明品を作り上げ、明治になると「珍器製造所」という工場を建てた。これが今日の「東芝」の元となる。
「珍器製造所」というネーミング、「奇天烈大百科」に負けてない。
田中久重の事績については、東芝HPに出ている。
http://www.toshiba.co.jp/spirit/html/giemon_story/giemon1_01.html
また、童門冬二の小説『田中久重』に詳しい。
<つづく>
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2005/09/17 土
東京ふり-ふり-生活>万年時計(2)からくり儀右衛門
単純に時を刻む西洋時計に対して、田中久重が作ったのは、和時計の傑作。不定時法による複雑な時刻(夏と冬では、昼夜の長さが異なる時刻の表示)、うるう年うるう月、七曜表、二十四節季、十干十二支、月齢、太陽公転など、「時」に関するあらゆることを、ぜんまいの力と歯車で表示できるすぐれた仕掛けになっている。
田中久重の「万年時計」復元レプリカ制作が、国立科学博物館と東芝が共同で取り組む国家プロジェクトとして行われた。
内部構造の解明、ぜんまい・歯車などモノづくりに挑む技術者や、木工金工螺鈿(らでん9などの職人たちが取り組んだ時計台座の精巧な飾りひとつひとつの制作、100人以上の人々が一丸となって、レプリカが完成した。
複製されたレプリカのひとつは「愛・地球博」のグローバルハウスに展示。第二レプリカが今回の科博「モノづくり物語」展示の目玉になっている。
本物は本物ですばらしいのだが、復元品は台座の模様などがよくわかり、芸術品としても逸品であると思った。
コロ助のモデルである、からくり人形、弓引き童子や、お茶くみ童子も展示されている。
弓引き童子、ぜんまいをまくと、弓を引いて的にあてる。いつも真ん中にあてるのではなく、わざとはずしたり、細かい細工になっている。当たったときは、にっこりと首をふるのがかわいらしい。
地下一階特別展には、東芝が開発した家庭用ロボットのエキジビションが行われていた。弓引き童子の進化形であるともいえるし、まん丸い体にちょんまげをつければ、コロ助そのままともいえる。
コンパニオンのお姉さんが声をかける。「エアコンつけて」「占い教えて」などと言うと、声に反応して動く。ふたつの目はビデオカメラになっていて、前のモニターにロボットが見ているものが映る。
もうすぐ、こんな家庭用ロボットが家の中の仕事を代行するようになるのかな。
新館2F通常展示フロアに、家電製品の初代製品と最新製品が並べて置いてあるコーナーがあり、なつかしかった。
私が子どものころは、夏冬のボーナスのたびに家電製品がひとつずつ増えていく時代だったが、叔父に頼むと社員割引で購入できるので、東芝製品がいちばん多かった。
私の叔父(母の末の弟)は、高度成長期にさしかかるころ東芝に入社し、電力関連の部署で働いた。若い頃は横浜市鶴見に配属され、田町本社に転勤以後も戸塚区から通勤していたので「横浜おじさん」と呼んでいた。芝浦の東芝ビルに本社が移転したあと、還暦で定年退職してから10年たつ。
展示してある白い炊飯器、「そうそう、この形だった」と、なつかしい。
はじめて電気でご飯をたいて、白い炊飯器から白いご飯をよそってくれた嬉しそうな母の顔、、、、。
母は、戦争で苦労し戦後の物の無い時代に所帯をもって苦労したけれど、夏冬のボーナスのたびに、新しい製品にびっくりしたり喜んだりもできた。<つづく>
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2005/09/18 日
東京ふり-ふり-生活>万年時計(3)モノづくり
長く日本の技術発展を支えた「モノづくり」の伝統が消えつつある、という。細かい作業を続ける伝統産業も、輸入の安い製品には勝てず、衰退していく地方もある。
現代のモノづくりは、ロボットとかパソコンやゲームソフトなどに時代の花形が移っているのだろうが、復元された「万年時計」と、からくり儀右衛門の創意工夫の一生を見て、モノづくりは、人間が人間らしくある原点だなあと、感慨深かった。
チンパンジーは、自然の石を利用して木の実を割るなど、道具を使用できる。細い枝を使ってシロアリの巣に差し込み、シロアリをつり上げて食べるとき、枝の葉をとりはらって、棒にするなど、簡単な加工をすることもできる。
しかし、道具をつかって他の物を加工し、新しい道具を作り出すことができるのは、人間だけだ。
人は、旧石器時代から、石のナイフで加工し、新たな道具を作り出していた。目の前にあるものをそのまま使うのではなく、どうしたらうまい具合により便利に使えるか、たえず工夫を加えてきたのだ。
縄文vs弥生展で見た黒曜石のナイフ、貝の腕輪、めのうの勾玉から、現代の電気炊飯器、パソコン、家庭用ロボットまで、さまざまなモノを人は営々と作ってきた。
私は手芸が好きで、糸と針の仕事、布や紙を使ってモノを作るのが好きだった。ものを作るのは楽しく、作り上げたモノたちはいとおしい。
久留米出身の田中久重は、久留米絣の創始者である井上伝とも親交を深め、伝の頼みによって、絣の模様がうまく織れるような織り機を工夫したのだという。
一生懸命機織りをする伝と、うまく絣模様が布目にでるように機織り機の工夫を続けるからくり儀右衛門。同郷のふたりが真剣に一枚の布と糸を眺めているようすが目に浮かぶ。
からくり儀右衛門は、従来の十字模様や菱形を発展させ、花の模様や鳥の形がかすり模様に出るように工夫をした。
それなのに、現代の人々はモノを自分の手で作り出すことから遠ざかるばかり。モノを消費するだけ、使い果たすだけになっている。
自分の手で何かを作り出すことよりも、消費すること、買って所有することに喜びを感じる割合が多くなった。経済の法則では、「消費する欲望」を拡大することが求められてきたのだから、そうなるのは当然だ。
「消費が楽しい」というひとひとときがあってもいいけれど、自分の手で何かを作り出す喜びを持っている人は、きっと生き生き暮らしていけるんだろうな。
今日、何を作りましたか?ベランダ栽培のサラダ菜?こどもと空へ飛ばした紙飛行機?二階から落としても割れない特製泥だんご?ペットのための新しい小屋?
今日作ったのは、モノをつくるだけじゃなくて、「人とのつながりを作る」かもしれないし、「孤独にすごして自分を見つめる時間を作る」かもしれない。
時間を消費しモノを消費するするだけじゃなく、自分自身で自分の何かを作り上げることができたら、毎日が磨り減る一方ではなくなるだろう。
ま、私が本日自分で作ったものは食事だけですけど。(オムライス。ベーコンとオニオン入りポテト煮込み。チキンソテーオーロラソース、きゅうりとササミサラダ。胡瓜浅漬け。デザート梨)
ヘボ句ヘボ歌も作ったうちにいれとこう。
小望月(こもちづき)煮ものの湯気をすかし見る(春庭)
待宵(まつよい)やダウンロードはまだ終わらず(春庭)
ドラエモンよりもキテレツ君が好きだった理由も「作る」に関係する。
ドラエモンが四次元ポケットから取り出すのは、22世紀の未来デパートからのおとりよせ道具。一方キテレツ君は、ご先祖奇天烈斎の書いたキテレツ大百科に書かれていることを元に、自分なりに工夫していろんな道具を自分の手で作り出す。
最先端の技術になると、私にはわからないことばかりだが、からくり儀右衛門の万年時計のように、創意工夫がたくさん詰まったモノづくりを知ることで、人の営みのすばらしさを改めて感じた。
なんだか気落ちするばかりの近頃の世の中。でも、もう少し工夫しながらやってみようかと、気を取り直す。
ま、私の工夫なんて、いくら重ねたところで波打ち際の砂のお城作りくらいにしかならないかも知れないけれど。<おわり>
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