「60'sえれじい」
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その2





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1998.12.27
 皆さん、今晩は。
 今晩は、というよりも、既に、おはようございますという言葉の方が適当ではないかと思われるほどの時間になってしまいました。
 いよいよ、今年も大詰めとなってまいりまして、私の会社は、12月28日(月)は全員が有給休暇をとる形にさせられまして、すでに、26日(土)から実質的な年末年始の休暇に入らせていただいております。
 月曜日に会社でこのコラムを読んでいらっしゃる皆様には、誠に申し訳ないような気がしておりまして、本当に、お仕事、ご苦労様です。
 でも、私も、完全にお休みというわけではなく、現在、会社では、ホームページの作成を担当させられているため、データ更新が命の仕事だけに、年末年始の休暇中も、自宅からデータ更新作業を進めることになっておりまして、そのコンテンツ確保にも、四苦八苦しているところであります。
 さらに、日頃、この「60年代通信」のページ作成のため、週末も殆どパソコンに向かいっぱなしで、ろくに家族サービスもしていませんので、せめてもの罪滅ぼしに、カミさんや子供たちの年賀状をDTPで作ってプリントアウトしたりもしています。
 その家族サービスやら、会社の仕事のコンテンツ確保やらで、こんな時間に、このコラムを打ち込むハメになっているわけでありまして、時計の針は既に、日曜日の29時、つまり、一般的に言えば、月曜日の午前5時を回ってしまいました。
 そういうわけで、この週末も、満足なデータ更新が出来ておりませんが、明日以降、仕事の合間を縫って、この「60年代通信」のデータ更新にも励もうと思っておりますので、よろしくお願いいたします。
 ちなみに、私が仕事でデータ更新をしているページの方も、お手空きの時にご覧いただけると、本当に、私が仕事をしていることを確認していただけると思います。一応、かなりマニアックではありますが、海外旅行情報を提供するページになっていますので、この年末年始に海外へお出かけになる予定の方は、実際に、お役に立てるかもしれないなどとも思っております。
 URLは、自社サイト「旅天国」がhttp://www.tjnet.co.jp/tabiten/
検索エンジンサイト“goo”のホットチャネル「ch6ワールドレジャー」がhttp://channel.goo.ne.jp/ch6/となっておりますので、よろしくお願いします。
 既に28日(月)となってしまい、今年も、残すところ、あと4日となってしまいました。
 この「60年代通信」にとって、今年、1998年は、本当に記念すべき年でありました。ホームページ自体の立ち上げは1997年の4月でしたが、主な検索エンジンサイトなどに登録させていただいたのが昨年の12月で、今年の春以降、色々な雑誌やホームページなどでご紹介いただき、本当に多くの皆さんからご覧いただけるようになり、沢山のEメールを頂戴してまいりました。
 何度も繰り返し書かせていただいている通り、このトップページに設けさせていただいているアクセス・カウンターと、皆さんから頂戴するEメールだけを励みに作ってきているホームページですので、今年春以降の展開は、非力な主宰者にとって、ホームページを維持していく上で、大きな励みとなりました。
 改めて、この1年間、ホームページをご覧いただいたり、Eメールをお送りいただいた皆さんに、心から、感謝を申し上げたいと思います。
 本当に、本当に、ありがとうございました。
 来年も、また、引き続き、この非力で不埒で無節操な主宰者と、皆様にお育ていただいた「60年代通信」と、よろしくお付き合いいただきますよう、お願い申し上げます。
 それでは、皆様、どうぞ、良いお年をお迎え下さい。

主宰者敬白

1998.12.20
 今晩は。
 先週のコラムで、「会社の仕事の合間を縫って、精一杯、データ更新に励みます」とか何とか書いたくせに、結局、ウィークデーはもちろん、この週末も、「お便りコーナー」以外は、全く、データ更新を行うことが出来ませんでした。
 ここのところ、公私ともに、物理的にも精神的にも、かなりシンドい状況が続いておりまして、特に、新しいページ作りに向けて気持ちが集中できないような局面もあったり、まとまった時間が取れないことなども重なり、極めて不本意な事態に追い込まれております。
 ということで、何やら、訳の分からない言い訳をさせていただいておりますが、クリスマスに向け、何とか、事態の改善を図るべく頑張ろうと思っていますので、何卒、お許しをいただきたく、お願い申し上げます。
 今月初めに発売された『特選街』の「ホームページ超絶セレクション」という特集企画で、この「60年代通信」を取り上げていただいた効果なのか、先々週と先週は、2週続けて週間アクセス数が500件を超え、隣接する2週間の合計アクセス数としては、歴代2位の数字を記録する形となりました。
 アクセスいただいている皆様、本当にありがとうございます。
 せっかく、そういう有り難い状況であるにも関わらず、肝心の主宰者の方がパワーダウンしており、せっかくデータ更新を期待してアクセスしてくださった皆様には、本当に、申し訳なく思っています。
 体力・気力の回復につとめ、事態の改善を図りたいと考えておりますので、どうか、ご容赦いただければと思います。
 気がつけば、もう、今週は、いよいよクリスマス・ウィークとなっておりまして、社会的には、そのまま、年末年始の非日常的世界へとなだれ込んでいくわけでありまして、私も、何とか、そういう人並みの状況に追いついていかなければならないわけであります。
 いつにも増して、何やら、訳の分からないコラムとなってしまいましたが、皆様におかれましては、お友達や彼女や彼、会社の同僚や家族の皆様などと、楽しいクリスマスをお迎えください。
 ということで、これに懲りずに、今後とも、よろしくお願いいたします。

主宰者敬白

1998.12.13
 皆様、今晩は。
 先週は、結局、日曜日の早明戦の観戦で、前半は防寒のための過重装備で大汗をかいてしまい、後半で一気に冷え込んだのが災いしたのか、深夜から体調を大きく崩し、風邪による発熱で月曜日と火曜日の2日間にわたって寝込んでしまいました。
 したがいまして、先週末にお約束していた週前半での「驚きももの木20世紀/ブルコメの苦悩」の番組本編の詳報版のデータ更新は実現できず、ようやく、昨日、アップすることができました。なにしろ、画像の取り込みやら文字原稿の起こしやらで時間ばかりがかかってしまい、なかなか思うようには進まないのが実状でありますが、番組をHPの形にして、永久保存版として残しておくことこそ、私のような狂信的ファンの社会的使命だと思っておりますので、もう年を越して2年がかりの企画になることは明らかな状態となっておりますが、どうか、長い目で見守っていただきたいと思います。
 さて、先週は、そういう体たらくであったにも関わらず、週間のアクセス数が500件を超え、週間アクセス数としては「60年代通信」を立ち上げて以来、歴代4位の好成績となりました。
 アクセスいただいた皆様、本当に有り難うございました。
 さて、この週末は、“『ぼくら』村の少年”の最終回をアップするつもりでしたが、内容的に補足しようと思っていた資料を手元に用意してあったつもりだったのが、どうやら別宅のどこかにしまい込んだままのようで、どうしても見つからなかったことと、昨日、池袋にある豊島区郷土資料館というところで開かれている「トキワ荘のヒーローたち」という展示会を見に行ってまいりまして、その取材レポートを急遽、作成することにしたことなどにより、“『ぼくら』村の少年”の最終回は、来週末のデータ更新ということになりそうですので、悪しからず、ご了承いただきますようお願い申し上げます。
 今年も、残すところ、あと3週間足らずとなってしまい、「60年代通信」の企画ものも、中途ハンパなまま、年を越してしまうものが少なくないのが非常に気になっておりますが、これも、ひとえに、計画性のない不埒な主宰者の責任でありまして、この場を借りまして、お詫び申し上げます。
 来年からは、もうちょっと、計画的に、バランスよくデータ更新が行えるよう、きちんと資料の整理とか、時間の配分とかを考えながら、ページ作りを行っていこうと思いますので、皆様におかれましても、そういう不埒な主宰者を暖かい目で見守ってくださいますようお願い申し上げる次第であります。
 ということで、残り3週間足らずとなった1998年ではありますが、殺人的な忙しさとなるであろう会社の仕事の合間を縫って、精一杯データ更新に励もうと思いますので、引き続き、よろしくお付き合いください。

主宰者敬白

1998.12.06
 皆様、今晩は。
 今日は、会社の先輩から入場券を頂くことが出来まして、国立競技場へ関東大学ラグビー対抗戦グループの早明戦を見に行ってまいりました。
 今季は、スキャンダル騒ぎなどもありまして、開幕当初から絶不調だった早稲田でありますが、先月の早慶戦で復活の兆しを見せていただけに、ひょっとしたらという儚い望みを抱きつつ、バックスタンドからビデオカメラを回しておりました。
 さすがに、対抗戦グループで、ここまで全勝し、既に優勝を決めている明治だけに、私の望みは、やはり儚い望みに終わり、結局、今年も明治には勝てず、1996年以来の4連敗となってしまいました。
 それでも、後半もインジュアリー・タイムに入った終了間近に、3つ目のトライをあげ、27対24と3点差まで追い上げたことで、良しとしなければなりません。と書いてはおりますが、実は、そう書かなければならない状況が、本当は、とっても残念なわけであります。
 今年で74年目という長い歴史を誇る早明戦でありますが、この「60年代通信」がカバーさせていただいている1955年から1974年までの20年間でみますと、早稲田の16勝4敗ということで、その勝率は8割にも及んでおりました。
 ところが、私が早稲田に在学していた1979年から今年までの20年間では、逆に、6勝13敗1分ということで、その勝率は、かろうじて3割というような状況になっています。
 さらに、最近10年間で見ますと、2勝7敗1分でありまして、状況は悪化の一途を辿っております。
 しかも、勝ちとか引き分けとかいっても、後半もインジュアリータイムに入ってからの逆転トライとか、同点ゴールとか、明治のミスにつけこんで、どうにか勝利をもぎ取るというような戦い方が続いておりまして、それはそれで、早稲田らしい劇的な勝ち方ということも言えなくもありませんが、60年代から70年代にかけてのような明治を圧倒して勝つというようなパターンは久しくありません。
 いつになったら、今日の早稲田スポーツにも書かれていた「王者・明大に早大が挑む」というようなイメージを打ち壊すことができるのでありましょうか。
 ということで、国立競技場での興奮をそのまま持ち込んでしまっておりますが、早稲田ラグビーの話を始めるとキリがありませんので、その早稲田にとっての輝かしい「60年代の早明戦」などというコーナーも、何れ、実現したいものであります…という辺りで、一旦、ラグビーの話は打ち切らせていただきます。
 今週は、そんなことよりも、もっとちゃんと書かせていただかなければならないことがあります。
 この「60年代通信」をYahoo!JapanやInfoseekなどの主だった検索エンジンに登録させていただいたのが、実は、昨年12月半ばのことであり、それに先立って、このトップページにアクセスカウンターを設置させていただいたのが12月初めのことでありました。
 そして、今月5日(土)、つまり昨日でありますが、そのアクセスカウンター設置から、ちょうど365日となり、その1年目の最終表示は、1万を大きく上回り、「1万7964」を記録いたしました。
 今年の5月に、Yahoo!Japanの「今日のオススメ」のコーナーで取り上げていただき、1日でアクセス件数が1000件を超えた時の特別企画ページでも書かせていただきましたけれども、このトップページのアクセスカウンターは、ブルーコメッツのファンクラブ時代の私の会員番号である「764」から始めさせていだいておりまして、私自身も、データアップ時の画面確認やアクセスカウンターの確認などで、日に何度かアクセスをしますので、私がアクセスした時のカウントを除いて、皆さんからアクセスいただいた時にカウントされる純粋なアクセス件数は、Excelの表でチェックできるようにしておりますが、その純粋なアクセス件数でも、365日目となった今月5日の最終表示時点で、「1万3847」にも及んでおります。カウンター設置からの1年間の1日平均では40件弱ということになりますが、延べ人数では、すでに、約1万4000人もの皆様に、この「60年代通信」をご覧いただいたことになるわけで、主宰者としては嬉しい限りでありまして、改めまして、アクセスいただいている皆様に、感謝申し上げます。
 本当に、ありがとうございます。
 しかも、その記念すべき1年目を迎えた今月5日に発売された月刊誌『特選街』(1999年1月号)の特集企画「ホームページ超絶セレクション」の中で取り上げられた17サイトの一つとして、この「60年代通信」もご紹介いただきました。
 つまり、言ってみれば、“輝く!!『特選街』が選ぶ超絶セレクション・ベスト17大賞”に選定していただいたわけでありまして、これも、また、ひとえに、これまでアクセスいただき、不埒なオヤジを励ましていただいた皆様のお陰でございまして、重ねて御礼を申し上げなければならないわけであります。
 本当に、本当に、ありがとうございます。
 その『特選街』でご紹介いただいた効果が早くも現われているのか、週末の土日は、いつも、50件未満のアクセス数にとどまっているのに対し、この土日は、いつもの倍近いアクセス件数となり、私は、大いに喜ばせていただいているところであります。特に、3連休の引っかかった11月最終週のアクセス件数が、久しぶりに400件を割ってしまい、落ち込んでいたところでありましたので、再び、400件台を回復した先週に続き、今週も、この調子だと、場合によっては、500件台もうかがえるかもしれないような感じで、ページ製作の意欲というか、元気も盛り返してきているところです。
 と書きながらも、時計の針は、既に、月曜日の午前2時を回ろうとしておりますので、今日は、もうデータ更新は難しくなりましたが、今週こそ、お約束の「驚きももの木20世紀/ブルーコメッツ苦悩」を、サワリだけでもアップしないと、皆様にアイソづかしをされそうな気もいたしますので、何とか、週の前半には、形にさせていただこうと考えています。
 ブルコメ以外にも、色々なGSや歌手などにも言及させていただくことになるはずですから、GSフリークの皆様や60年代歌謡曲ファンの皆様におかれましては、ぜひ、アクセスいただきますよう、ご案内申し上げます。
 ということで、また、ダラダラと長いばかりが取り柄(?)の能書き大会となってしまいましたが、どうぞ、よろしくお願いいたします。

主宰者敬白

1998.11.29
 皆様、こんばんは。
 今週も、また、プライベートな用事が立て込んだため、これを打ち込んでいるのも、まもなく月曜日になろうかという深夜の時間となってしまいました。
 この週末のデータ更新は、“『ぼくら』村の少年”の第3回だけで終わることになりそうですが、「お便りコーナー」で新しいEメールを紹介させていただいているほか、「謎・なぞ・ナゾ」のコーナーでも、小橋玲子さんやヤング720などに関連した新しい情報も、明日辺りには入れさせていただこうと思っています。
 「驚きももの木20世紀/ブルーコメッツの苦悩」は、ようやく、番組の冒頭部分の画像取り込みやテープ起こしまでは終わりましたが、その辺集作業や、追加情報の収集などに手間取っておりまして、せっかく、先週、放送当日の新聞の番組欄などを紹介させていただいたのに、番組本編の詳報と解説のページは、中一週を挟むことになりそうです。
 ここのところ、体調が今ひとつということもありまして、あまり無理がきかなくなってきております。
 一つには、年のせいもあるのかもしれませんが、恐らく、毎日、沢山の重い荷物を持って歩いていることと、会社でも家でもPCのキーボードを叩きっぱなしというような状況が続いていることなどのためかと思いますが、肩凝りというか首凝りというか、とにかく首の回りが固まって、貧乏なことも確かではありますけれども、文字通り、首が回らない状態に陥っております。
 どこか、湯治場にでも行って、ゆっくりと温泉につかり、十分にマッサージでもしてもらいたいなどと、オヤジどころかオジジのようなことを考えている今日この頃でありますが、湯治場だったら、たっぷりと時間が取れるだろうから、温泉とマッサージの間には、この「60年代通信」のページ作りにも励めるだろうなどと思ってしまう、どこまでも愚かな私なのでありました。
 でも、今、使っているような遅いパソコンとか、重いパソコンとか、そういうPCではなく、流行りのVAIOとかメビウスとか、軽くて早いPCだったら、湯治場に持っていったりすることも簡単にできるだろうなどと真剣に考え始めておりまして、どなたか、来年の、ではなく、再来年の夏のボーナス一括払いとかいうようなことで支払いをさせてくれる優しいお店を教えてくださいませんでしょうか。
 ということで、またまた、つまらないヨタ話になってしまっておりますが、この「60年代通信」の、より機動的なデータ更新のためには、通勤や帰宅の途中、あるいは、次男を伴なっての電車見学ツアーの途中など、出先でちょっと時間が出来た時、いつでもページ作りが出来るように、データを沢山入れ込める大容量のHDと高速の処理能力を備えた、軽くて小さいPCが必須の状況となってきておりまして、年末ジャンボに僅かな望みを託してみたいと思ったりしているわけです。
 結局、すでに、深夜零時を回り、月曜日となってしまいました。
 足元がとても冷えてきておりますが、寒さも本格化してまいりまして、今年も、いよいよ余すところ、僅か1カ月であります。
 皆様も、お風邪など召しませんよう、お元気でお過ごしください。
 年末に向けて、慌ただしさも増してくることになるわけですが、その慌ただしさを縫って、厳しいHP製作環境ではありますけれども、「60年代通信」のデータ更新に励んでいきたいと思っておりますので、引き続き、よろしくお付き合いくださいますよう、よろしくお願い申し上げます。

主宰者敬白

1998.11.22
 皆様、こんにちは…、と書くつもりが、既に、時計の針は19時を回り、皆様、今晩は、という時間になってしまいました。
 今週は、よせばいいのに、火曜日(11月17日)の夜から、会社の若い人たちや元同僚の若い人たちなどと、富士山麓へ「しし座流星群」観測ツアーに出かけ、久しぶりに完徹をしてしまい、そのまま、明け方の始発電車に乗って会社へ直行するという強行軍だったため、年のせいもあるのか、その徹夜疲れがずっと残っておりまして、昨日(土曜日)の夜も、この「60年代通信」のデータ更新作業を行うつもりだったのに、9時頃には、風呂にも入らずに、子供と一緒に寝てしまうというような状況となってしまいました。
 会社の仕事も相変わらずの忙しさで、先週は、木曜日にいただいたEメールを「お便りコーナー」にアップさせていただいただけで、ウィークデーのデータ更新は、まったく出来ませんでした。
 そういう状況が災いしたのか、先週は、週間アクセス数が久しぶりに400件を割り込み、一人、落ち込んでいる悲しいオヤジであります。
 昨日は、朝からお昼過ぎまで、長女と長男の通う小学校の学芸会があり、お昼過ぎからは、恒例の次男との電車見学ツアーに出かけ、夜は早々と寝込んでしまい、1日があっという間に過ぎてしまいましたが、この週末は、23日(月)が勤労感謝の日でお休みとなり、一応、3連休となっているわけですから、少しは、まとまった形でデータ更新ができればと思っています。
 まずは、先週から始めさせていただいた、市川市のHMさんに全面的なご協力を頂いている“『ぼくら』村の少年”の連載第2回をアップさせていただき、その後、懸案となっている「驚きももの木20世紀/ブルーコメッツの苦悩」のHP再現版など、抱え込んでいるネタを少しでも多くアップすることができればと考えているところであります。
 しかし、今年の夏、狭い家に溜まり込んだ資料を整理して、別宅へ運び込むミニ引っ越しをやってから、早くも3カ月が過ぎ、再び、狭い家に私の資料が散乱する状態となって、カミさんの機嫌が非常に悪化しているため、明日は、一人で別宅に資料を運び込む作業をしなければならない事態にも追い込まれておりまして、データ更新作業の進捗につきましては、楽観が許されないというのが実状であります。
 毎度書かせていただいているように、60uにも満たない狭い3DKに5人と一匹がひしめきあって暮らしている中で、私の資料がかなりのスペースをとっているため、カミさんは日常的に爆発寸前状態にあり、愚かな私が、何かの拍子に誤って火に油を注ぐような行動をとってしまったりすると、取り返しのつかない事態になってしまうわけです。
 とにかく、この貧しい住環境が改善されないことには、この「60年代通信」のデータ更新にも大きな影響が出ることは避けられない状態になってきておりまして、今年こそ、真剣な気持ちで年末ジャンボ宝クジに臨み、何とか事態の改善を図らなければならないと、空しく思いめぐらすしかない悲しいオヤジであります。
 毎度、愚痴めいた話ばかりで申し訳ありませんが、そういう悲しい現実の中で、このホームページが作られてきていることも、また、事実でありますので、そういう事情もお含みおきいただき、暖かい目で「60年代通信」をご覧いただきますようお願い申し上げまして、今週は、お開きとなるわけであります。
 ということで、今後とも、よろしくお願いいたします。

主宰者敬白

1998.11.15
 皆様、今晩は。
 先週は、会社の仕事が非常に忙しく、昨日の土曜日も出勤した上に、今日も、東京ビッグサイトというところで金曜日から開かれていた「世界旅行博」という、私の勤務している会社が実質的に開催しているイベントに次男を連れて行ってまいりましたので、この「60年代通信」のデータ更新には、ほとんど時間が取れませんでした。
 しかし、それにも関わらず、今週は、“『ぼくら』村の少年”という大型特別企画の第1回をアップすることが出来て、このホームページの主宰者として、また、60年代に強烈な思い入れを持つ人間の一人として、大いに喜んでおります。
 「読者の皆様からの暖かい励ましのお便りコーナー」をご覧になっていた皆様は、ご存知かと思いますが、先月から、時々、お便りを頂戴している千葉県市川市のHMさんという方が、実は、1960年代の前半に、月刊少年マンガ雑誌『ぼくら』で表紙のモデルとして登場されていたという、極めて貴重な経験をお持ちでありまして、有り難いことに、そのHMさんに、直接、当時の思い出をお書きいただくことになったのであります。
 既に、先週の金曜日のお昼、取材の合間に、水道橋の喫茶店で、直接、HMさんにお会いし、書き上げていただいた原稿のフロッピーをお預かりした上に、HMさんがお持ちになっていらっしゃる60年代の貴重な“お宝”をお見せいただきながら、色々なお話しをさせていただきました。
 今回は、まず、HMさんからお借りした、当時の『ぼくら』の表紙の現物や、HMさんが『ぼくら』以前にも出演されていた同じ講談社発行の少女向けマンガ雑誌『なかよし』に連載された写真小説など、数々の貴重な資料も使わせていただきながら、当時、言ってみれば“60年代カルチャー”の送り手側に深く関わられる形となったHMさんの得難い体験談を、皆さんと一緒に楽しませていただこうと思っています。
 今後、さらに、HMさんのご協力をいただける範囲で、この「60年代通信」を通じて、HMさんのお持ちになっている“60年代の世界”を皆さんにもお楽しみいただけるよう、色々な企画を実現できれば、とも考えさせていただいております。
 ということで、今回は、資料も原稿もHMさんからご提供いただきましたので、私としては、編集作業だけを行えばいい形となり、多忙を極めながらも、何とか、大型特別企画をアップすることが出来たというわけでありました。
 この場を借りまして、市川市のHMさんには、改めて、深く御礼申し上げたいと思います。
 本当に、ありがとうございました。
 そんなわけで、以前から、お知らせしていた「驚きももの木20世紀/ブルコメの苦悩」の誌上ならぬHP上での再現企画や、他の色々なネタにつきましては、今週末は、とても手が回る状態ではありませんでしたので、悪しからず、ご了承いただければと思う次第です。
 今週のウィークデーも含め、引き続き、出来る限り、データ更新に励むよう努力いたしますので、今後とも、よろしくお付き合いくださいますよう、お願い申し上げます。

主宰者敬白

1998.11.08
 皆様、こんばんわ。
 日曜日の夜に、この“60'sえれじい”を打ち込むつもりでいたのですが、子供を寝かし付けているうちに、私も眠り込んでしまい、正確に言うと、11月8日ではなく、日付が変わって11月9日になってから、打ち込みを始めています。
 今年1月に、このコラムを作ってから、最低でも毎週一度は更新してきておりますが、今週は、最も更新が遅れた回となりました。
 この週末には、先月の30日に放送された「驚きももの木20世紀」の番組内容を仔細にわたって紹介させていただきながら、私の手元に残っている資料なども使って、私なりの解釈なども加えさせていただくページを作るつもりだったのですが、何しろ、ビデオ映像をキャプチャーできる唯一のデスクトップPCが、現在、資料の山に埋もれて使えない状態に陥っているため、結局、既に画像がストックされているものの中から、『週刊マーガレット』の「GS人気投票」を、「『驚きももの木20世紀/ブルーコメッツの苦悩』放送記念連動特別企画」などという訳の分からない特別企画に仕立て上げて、間を持たせているというような悲しい状況になっております。
 この手のものは、タイミングを外さないように、出来るだけ早いうちに形にしなければ、その意味も薄れてしまうということは、十分に承知しているつもりですが、狭い3DKに5人家族で住んでいる上に、私が、こまめに資料を整理し、別宅に運び込むという作業を継続しないと、あっという間にデスクトップPCが置いてある机の上は、資料の山となってしまうのでありました。
 それと、他人のせいにするわけではありませんが、「驚きももの木」の製作プロダクションに預けてあった“お宝”の資料の数々が宅急便で返却されたのも先週の金曜日になってからだったということも、一応、作業が遅れた一因でもあります。
 何れにしても、今度の週末までには、必ず事態を改善して、「驚きももの木」のHP版のようなページを作ることが出来るようにしようと思っておりますので、よろしくお願いします。
 さて、今週の初めから、従来のCSJバナーに加えて、サイバー・クリックというシステムのバナーも表示されるようになり、目障りに感じていらっしゃる方もいらっしゃるかと思いますが、色々と事情があってのことですので、皆様には、何卒、お許しをいただきたいと思います。
 以前も説明させていただきましたが、CSJバナーというのは、それぞれのページに特定のタグを埋め込むことで、各ページに何回バナーが飛んできたかが分かる仕組になっておりまして、個別のページへのアクセス状況を把握させていただくために、始めさせていただいたものです。しかも、CSJバナーの場合、他のホームページのバナーを受け入れた回数の3分の2については、逆に、「60年代通信」のバナーが他のホームページでも表示されるため、タダで「60年代通信」のPRもさせていただけるというような仕掛けになっております。
 今週から表示されるようになっているサイバー・クリックというバナー・システムは、表示された回数も分かりませんし、こちらのバナーが飛んでいくということもありませんが、ご覧になっている皆さんが、バナーをクリックして広告主のサイトに飛んでいくと、その度に、バナーを表示したサイトに対して10円が支払われるという仕組になっています。
 正直に言うと、こちらのサイバー・クリックのバナー・システムに参加した動機は、CSJバナーに比べると、かなり不純なものがあることは否めません。つまり、「60年代通信」のホームページ版を立ち上げてから、既に1年半が過ぎましたが、その作り込みに没頭するあまり、資料置場となっている別宅の家賃の支払が遅延するなど、経済的には困窮の度合いが深まってきておりまして、極めて個人的な事情で、本当に恐縮なのですが、少しでも、そうした事態の改善につながればと、情けない動機で始めさせてもらったというのが実状です。
 しかし、現実は極めて厳しく、データ更新の際に、サイバー・クリックのバナー表示のタグを「60年代通信」のページに少しずつ張り付ける作業を始めてから約1週間が経ち、すでに、アクセス件数で約400件、ページビューでは、その倍近い、1000件弱というような数字になっているかと思いますが、さきほどサイバー・クリックのホームページで確認したところ、「60年代通信」の各ページでサイバー・クリックのバナーがクリックされた回数は、まだ、4回にとどまっています。インターネット広告の世界でいうところの、いわゆる「クリックスルー率」では、0.1%にも満たないということになります。
 しかも、サイバー・クリックからの支払は、原則的には月に一回、行われるそうですが、月額が5000円に達するまでは、支払が翌月に繰り越されることになるため、「60年代通信」の場合、このまま行くと、初めての支払が発生するのは、2年以上も先の話になりますから、やはり、そういう不純な動機は忘れた方がいいと、僅か1週間で、反省を迫られる結果となりました。
 ここは一つ、改めて、初心に戻り、“60年代”への思いを皆さんと共有させていただくという、ホームページ立ち上げ当初の気持ちを大切にしながら、精神的にも、肉体的にも、経済的にも、あまり無理をすることなく、地道にホームページ作りを進めていこうと、決意を新たにしている次第であります。
 ということで、不埒なオヤジが、相変わらず、フラフラと迷走を続けながら、作っていくホームページとなるわけですけれども、今後とも変わらず、お付き合いいただきますよう、改めまして、よろしく申し上げます。

主宰者敬白

1998.11.01
 皆様、今晩は。
 もう先週の出来事になってしまいましたが、今年の日本シリーズは、38年ぶりにセ・リーグを制した横浜ベイスターズが、勢いをそのまま持ち込むような形で、日本一になってしまいました。
 思えば、38年前、物心がついて初めてプロ野球というものに自発的に関心を持つようになった時に優勝したのが大洋ホエールズでありまして、その時に刷り込まれた巨人、阪神、大洋というセ・リーグAクラスチームのイメージは、さすがに記憶の彼方に消え去ろうとしていたわけですが、ようやく、そのイメージが刷り直されることになりました。
 遅れ馳せながら、大洋ホエールズ時代からのベイスターズ・ファンの皆様や関係者の皆様、本当におめでとうございます。
 ちなみに、私が勤務しております会社の創業者である会長は、昭和30年代前半、秋山・土井を擁して黄金時代を迎えていた東京六大学の明治OBでありまして、同級生だった秋山・土井が入団して初優勝した時以来の大洋ファンなものですから、早速、社内でも祝勝会が開催されたほどでありました。
 いきなり長いヨタ話になってしまいましたが、先週の金曜日(10月30日)、かねてから、ご案内させていただいていた通り、テレビ朝日系列の「驚きももの木20世紀」で「ブルーコメッツの苦悩」というタイトルのブルコメ特集番組が放送されました。
 短い時間ではありましたが、ジャッキー吉川とブルーコメッツというバンドの出自と今日に至るまでが、非常に分かりやすくまとめられており、元ファンクラブの会員で、ブルコメに関しては大変なこだわりを持っている私にも、それなりに納得の出来る内容でした。
 残念ながら、番組終了時のテロップで、私の名前を出していただくまでにはいたりませんでしたが、私が資料として提供させていただいたレコード・ジャケットや昔の写真が掲載されたブルコメ特集の雑誌記事などは、番組の中でも使われておりました。その辺は、資料を提供した本人じゃないと分からない部分でありまして、何れにしても、「驚きももの木」のブルコメ特集番組については、この「60年代通信」では仔細にわたって紹介・分析させていただこうと考えておりますので、その際に、提供させていただいた資料の使われ方であるとか、私が同行させていただいたジャッキー吉川さんのインタビューの生起こし原稿であるとか、マニアックに迫ってみようと思っておりますので、どうぞ、お楽しみに。
 さて、この週末は、プライベートの用事が、いつにもまして立て込んでおりまして、昨日は土曜日であるにも関わらず、徹夜に近い事態に陥り、「60年代通信」のデータ更新は、まったく出来ないままという状態となってしまいました。
 新ネタを期待してアクセスいただいた皆様には、誠に申し訳ございません。
 久しぶりにアクセス数の話をさせていただきますと、先月は、月間のアクセス件数が、初めて2000件を突破し、2204件を記録しました。月間の1日当たり平均アクセス数は、71.1件ということになります。
 YAHOO!Japanの「今日のオススメ」コーナーでご紹介いただき、アクセス件数が飛躍的に増加した今年5月以降の月間の1日当たり平均アクセス数の推移をみますと、5月が58.1件、6月が41.6件、7月が63件、8月が52.3件、9月が56.9件となっておりまして、10月で一気に71.1件というようなことになりました。
 若干の凸凹はあるものの、お蔭様で、基本的には漸増基調にあるとみていいようで、それだけに、左のデータ更新リストでもお分かりいただける通り、最近、「お便りコーナー」と「謎・なぞ・ナゾ」の更新頻度ばかりが高く、本来の新規ネタの更新頻度が落ちてきていることに、自分でも、非常に心苦しいものを感じております。
 できる限り、データ更新頻度を上げていきたいと思いながらも、ここのところ、公私ともに非常に多忙を極めておりまして、なかなか、意のままにならないのが実状です。
 今日も、これから、せめて、「謎・なぞ・ナゾ」のコーナーだけでも、データを追加したいと思っておりますが、風呂上がりの身に昨晩の徹夜の疲れが襲い掛かってきておりまして、このままだと、それすらも、厳しいかもしれません。
 今週は幸いなことに、火曜日(11月3日)が「文化の日」でお休みとなりますので、この辺で、少しは、まとまった形のデータ更新でも出来ればと考えています。
 毎度、言い訳ばかりで申し訳ありませんが、これに懲りずに、引き続き、よろしくお付き合いいただきますよう、お願い申し上げます。

主宰者敬白

1998.10.25
 皆様、こんにちは。
 日本シリーズも大詰めを迎え、明日からの横浜スタジアムでの第6戦、第7戦を残すのみとなりました。
 私の住む多摩丘陵の辺りは、いよいよ秋の気配も濃くなってまいりまして、朝晩も、めっきり涼しくというよりは、もう寒いくらいです。
 昨日の西武球場での日本シリーズ第6戦でも、選手のはく息が白くなっているのがテレビ画面でしっかりと確認できたほどですが、狭山丘陵も、すでに、初冬の雰囲気なのでありましょうか。最終回に登場したハマの大魔神こと佐々木の場合、吐き出す息だけでなく、汗をかいていた全身から湯気が立ち上り、本当に大魔神のようでありました。
 さて、先週は、毎日のように皆様からEメールを頂戴したおかげで、ウィークデーのデータ更新もパーフェクトでありました。それどころか、このコラムの左にあるデータ更新リストをご覧いただけば、お分かりになるかと思いますが、今月は、何と、2日と14日を除く毎日データ更新を行うことが出来ておりまして、昨日の横浜による1試合20安打というシリーズ新記録にも匹敵するような状況になってきております。
 Eメールをお送りいただいた皆様、本当に、ありがとうございました。
 先週の半ばから、またまた、貴重な題字下のスペースを頂戴し、「驚きももの木20世紀」のブルコメ特集の放映日の告知をさせていただいておりますが、今月の30日(金)夜9時からということで確定いたしましたので、どうぞ、皆様、お時間の許す方は、是非、ご覧いただきますよう、改めて、ご案内申し上げます。
 当初、23日(金)にテレビ朝日系列で日本シリーズの中継があった場合は、「驚きももの木20世紀」のブルコメ特集は11月6日(金)に延期されるとご案内し、ちょっと混乱された方もいらっしゃるかもしれませんが、日本シリーズが雨で順延され、23日(金)の第4戦はTBS系列で放送され、テレビ朝日が放映権を持っていた第5戦は24日(土)にズレ込みましたので、結果的に、シリーズ中継の影響は受けずにすむことになりました。
 先週は、後半にEメールが集中した上に、もともと「60年代の謎・なぞ・ナゾ」のネタをため込んでいたこともあって、「60年代の謎・なぞ・ナゾ」のページが一気に賑わう形となりました。“稲葉小僧”さんや“岡崎小僧”さんなど、強力な常連メンバーの方もいらっしゃいますので、皆さんも、何か確認したいことがございましたら、どうぞ、どんどんEメールをお送りいただければと思います。
 皆さんのご理解とご協力を頂きながら、これからもデータ更新に励んでいきたいと思っておりますので、今後とも、引き続き、よろしくお願い申し上げます。

主宰者敬白

1998.10.18
 皆様、今晩は。
 先週は仕事が非常に忙しく、月曜日から金曜日まで、終電で帰る生活が続くという苦しい状況でしたが、皆様からいただいたお便りのお陰で、水曜日を除く毎日、データ更新を行うことが出来ました。お便りを頂戴した皆様、本当に、ありがとうございました。
 この週末も、プライベートの用事が立て込んでしまい、先週のウィークデーと同様に、お便りコーナーの更新しか出来そうにありません。
 アップするつもりのネタは、もう、かなり大量にストックされてきておりますが、そのネタを加工・編集する時間が取れない状態が続いておりまして、我ながら、歯がゆい思いをしております。
 これ以上、睡眠時間を削ると、人間ドックも近づいていることですし、体調を崩して、また再検査などということになるとイヤですし、特に、過去2年間にわたり続けて飲まされている胃カメラだけは、今年は、もう、何としても避けたいと思っておりますので、暫くは、自重して生活しなければならないと思っています。
 その上、今日から、アメリカではワールドシリーズ、日本では、日本シリーズが始まりまして、試合の中継を見ながら、少しずつ、データ更新を行うような体たらくでありますので、ますます、更新のペースは落ちることになるわけです。
 それにしても、今朝のヤンキース対パドレスの試合は、凄まじい打撃戦で、テレビで見ていても、大いに興奮してしまいました。試合を決めた満塁ホームランはワールドシリーズ史上17本目で、そのうち8本がヤンキースの打者ということですから、伊良部がヤンキースに憧れ、執着した理由も分かる気がしました。
 その伊良部は、どうやら先発としてはローテーションに入れないようですが、せめて、中継ぎでもいいから、日本人初のワールドシリーズ出場くらい、果たさせてやりたいものであります。
 ということで、子供たちと多摩川の河原で遊んで帰ってきてから、これを打ち込んでおりますが、時間は、只今、18時30分ちょっと前でありまして、まもなく、横浜ベイスターズ対西武ライオンズによる日本シリーズ第1戦が始まろうとしております。
 「60年代通信」風に言えば、大洋ホエールズ対西鉄ライオンズということになるわけで、日本シリーズとしては、史上初のカードであります。
 子供を風呂に入れたり、晩飯を食べたりしながら日本シリーズ第1戦を聞いたり見たりした後は、会社の仕事をしなければなりませんので、今日は、本当に、「お便りコーナー」のデータ更新だけで終ってしまいます。「60年代の謎・なぞ・ナゾ」のネタも溜まっておりまして、色々と情報をいただいている皆様には、本当に申し訳ありませんが、悪しからず、ご了承ください。
 今週も前半はかなり仕事がタイトな状況ですが、後半には、何とかデータ更新を行う時間を作ることは出来る見通しですので、また、アクセスしていただければと思います。
 ということで、今後とも、引き続き、よろしくお付き合いいただきますよう、お願い申し上げます。

主宰者敬白

1998.10.11
 皆様、こんにちは。
 いきなり、アクセス件数という楽屋話で恐縮ですけれども、週が改まってしまいましたので、先週ということになりますが、先週は、何と、日曜日から土曜日まで毎日データ更新を行い、ウィークデーのデータ更新という大きな課題をパーフェクトな形でクリアすることができました。
 先週も仕事が忙しく、連日、会社を出るのが23時前後で、家に辿り着くのは真夜中の12時過ぎから午前1時を回るくらいの間で、それから、データ更新にかかると寝るのは午前3時とか4時というようなことになってしまい、さすがに、先週はメチャクチャ疲れましたけれども、「60年代通信」始まって以来、初めてのパーフェクト達成に、本人は大いに満足しております。
 その甲斐あってか、先週は1週間で500件を超えるアクセス数を記録し、Yahoo! JAPANの「今日のオススメ」コーナーで紹介され1週間のアクセス数が1000件を超えた今年5月の最終週を除くと、週間アクセス数が600件を超えた7月第3週に次ぐアクセス件数となりました。
 アクセスいただいている皆様、本当にありがとうございます。
 さて、三連休崩れの悲しい週末を、皆様、いかがお過ごしでいらっしゃいますでしょうか。
 私は、昨日、このトップページでも金曜日から土曜日にかけて一瞬だけロゴ・タイトルのバナーを紹介させていただいた府中市・郷土の森で開かれている「郷土芸能と縁日の森」に出かけてきました。
 HOT TOPICSとしても紹介させていただいている通り、広い郷土の森公園いっぱいに色々なイベントが催されており、私は、駄菓子屋コーナーで巻き玉ピストルとポンポン船を買ってまいりました。巻き玉ピストルが1つ300円、玉は12個入りで100円、ポンポン船が800円でしたから、私達が子供の頃の60年代当時と比べると、恐らく、10倍近い値段ということになってしまうでしょうか。
 次男にせがまれて、金魚の形をしたブリキのジョウロも買わされてしまいました。こちらは、450円でした。
 巻き玉ピストルとポンポン船については、何れ、「60年代のおもちゃ」のコーナーで詳細にわたって、取り上げさせていただこうと思います。
 駄菓子屋コーナーで買い物をした後、センター・ステージ前の芝生の広場でお弁当を食べたのですが、ちょうど、私たちがお弁当を食べている時に、府中市童謡会という市民サークルのおじさんやおばさん、というよりは、おじいさんやおばあさんというような年齢の方々ばかりでしたが、その童謡会の皆さんによる歌が披露されていました。
 「里の秋」や「もみじ」など季節の唱歌と共に「ふるさと」も歌われており、おにぎりを食べながら、プロの歌手ではない、おじさん、おばさん達の年輪の刻まれた説得力のある歌唱に、思わず、胸がいっぱいになってしまいました。

  うさぎ追いし かの山
  小鮒釣りし かの川
  夢は今もめぐりて
  忘れ難き ふるさと

  いかにいます 父母
  つつがなしや 友がき
  雨に風につけても
  思いいづる ふるさと

  こころざしを はたして
  いつの日にか かえらん
  山はあおき ふるさと
  水は清き ふるさと

 おじさん、おばさん達の歌声に耳を傾けながら、改めて、その歌詞をじっくりと聞いていると、思いを向けている対象が山や川なのか、駄菓子屋のあった路地裏なのか、TVやマンガなどの大衆文化なのか、といった違いはあるかもしれませんが、その心の底に流れているものは、実は、この「60年代通信」も全く同じなんだなと、しみじみと思ってしまったりしたしたわけです。
 私達の世代を育んでくれた「60年代」という時空を「ふるさと」という言葉に置き換えてみたとき、特に、私の60年代への思いというのは、1番と2番の歌詞に凝縮されているわけでありまして、「ふるさと」への溢れる思いを極めて簡潔な言葉で見事に表現されている詩をお書きになった高野辰之さんという方のお力にも驚いてしまったのでありました。
 この「ふるさと」という歌を聴きながら、改めて、この「60年代通信」をシコシコと作らせていただいている私自身も含め、「60年代」に思いを寄せる多くの皆さんのお気持ちに思いをいたし、例え、細々ではあっても、出来るだけ長く「60年代通信」を続けられるよう頑張ろうと決意を新たにした次第です。
 ということで、今週は、さらに、仕事が忙しくなるため、データ更新の頻度は少なくなるかと思いますが、今後とも、引き続き、よろしくお願い申し上げます。

主宰者敬白

1998.10.04
 皆様、今晩は。
 本当は、こんにちは、という書き出しで、日曜日のお昼過ぎには、このコラムを書かせていただこうと思っておりましたが、結局、もう夜の11時を回ってしまい、間もなく深夜零時になろうかというような時間に、これを書いています。
 昨日の土曜日は、ちょっと風邪気味で、お昼から夕方にかけて、「60年代のカレンダー」の「プロ野球/年度別チーム成績その2」というページを作り、夜に、この“60'sえれじい”を打ち込もうと思っていたのですが、夕方、次男と一緒に府中市の大国魂神社の境内にある府中市立中央図書館に出かけたものの、体がどうにもしんどく、夕食の後、風呂にも入らず、結局、そのまま今朝まで眠ってしまいました。
 今日は、長女と長男が通っている小学校の運動会があり、久しぶりに殆ど真夏のような太陽が照り付けるグランドで1日中、ビデオ撮影に駆けずり回り、疲れきって家に帰ってきたというような次第であります。
 すでに、今週末に3ページほどアップするつもりでネタの仕込みも終っているのですが、そういうようなわけで、と言っても、どういうようなわけか、よく分かりませんけれども、取り敢えず、昨日の「60年代のカレンダー」の「プロ野球/年度別チーム成績その2」と、この“60sえれじい”のアップだけで終ってしまいそうです。
 今日にでも大洋、じゃなかったベイスターズの優勝が決まるのではないかと思って、しんどい体にムチ打って、昨日、一所懸命、「プロ野球/年度別チーム別成績その2」というページを作ったら、とたんに、ベイスターズは、昨日と今日は2連敗で足踏み状態となりました。文字だけの表で、ご覧になる方は、あまり面白くないかもしれませんが、まず、エクセルに数字の羅列を打ち込んだ後、これをHTMLファイルに変換し、さらに、ブラウザで見やすいように微調整をしなければならず、見た目よりは、結構、時間がかかるものでありまして、昨日も、お昼前から始めて、夕方近くまでかかってしまったのであります。
 と、こんなところで、言い訳ばかり書かせていただいても、ますます面白くないばかりですから、もう止めましょう。
 何れにしても、すでに、ネタの仕込みは済んでおりますので、今週は、このウィークエンドのうちにページ作りをするつもりだった3ページを、必ず、ウィークデーにアップするようにしますので、これに懲りずに(というフレーズをやたらに多用しておりますが…)、今週も、また、「60年代通信」を覗きに来てくださいますよう、よろしくお願いいたします。

主宰者敬白

1998.09.26
 皆様、今晩は。
 私は、遅い夏休みをいただき、昨日(金曜日)の夕方から、次男とともに新潟県長岡市の実家にやって来ております。
 本当は、火曜日の夜には長岡に帰るつもりでしたが、腰痛の再発などで、予定より3日遅れての帰省となってしまいました。
 先週、このコラムで、夏休み中に、まとまった形でのデータ更新ができると思いますと書かせていただきましたが、結局、腰痛のため、実質的に夏休み期間も短くなってしまい、予定していた量のデータ更新は行えそうにない状況です。
 冒頭から言い訳になってしまい、誠に申し訳ありませんが、今後は、この「60年代通信」のメンテナンスのためにも、体には十分に気をつけようと思いますので、よろしくお願いします。
 さて、長岡市というのは、なかなかに文化的な町でありまして、人口の割に古本屋の数が多く、駅の周辺だけでも5〜6軒はありますので、この古本屋を回るのが、図書館での資料調べとともに、帰省の際の私の重要な日課となっております。
 今日は、次男の面倒を姉にみてもらうことが出来ましたので、昼から、早速、古本屋を回り、昔の雑誌やマンガなどを仕入れてきました。昭和45年に発売された『少年キング』を見つけ、東京の神田辺りにある、この手の専門店などの相場より半額程度の値段でしたので、購入してまいりました。それから、表紙は既になくなっていたものの、昭和28年の『冒険王』も格安の値段で出ていましたので、思わず、買ってしまいました。結局、古本屋3軒で、1万円を超える散財をしてしまった後、帰りの電車代はもちろん、東京に帰った後の生活費も足りなくなっていることに気付き、どうしようかと頭を痛めているところであります。
 市街地のすずらん通りというところでは、ノミの市も開かれていて、若い女の子や男の子たちが、アーケード下の舗道上で古着などを売っていました。その中にまじって、キャラクター人形などを売っている私と同世代くらいと思しきおじさんも頑張っており、近々、「60年代のテレビ」で取り上げさせていただこうと思っていた「快獣ブースカ」の指人形を発見。ブースカの指人形に深い思い出のある私は、思わず、2つしか置いてなかったブースカの指人形を2つとも買ってしまったのでありました。
 今日の収穫物は、また何れ、この「60年代通信」ホームページ版で紹介させていただこうと思っておりますので、ご期待ください。
 ということで、今回の夏休みのデータ更新の量は、普段の週末と変わらない結果となりそうですが、今後のホームページの内容強化に向け、ネタの仕込みにつながるような資料収集は出来ましたので、これに懲りずに、今後とも、引き続き、よろしくお付き合い下さいますよう、お願い申し上げる次第です。

主宰者敬白

1998.09.23
 皆様、今晩は。
 今日は、水曜日ですが、秋分の日でお休みでありました。皆様、いかがお過ごしでいらっしゃいましたでしょうか。
 この“60'sえれじい”は、いつも週末に書かせていただいておりますが、今日は、夕方、腰痛にも関わらず、ジャッキー吉川さんのインタビューに同行させていただきました。本当に、この「60年代通信」をコツコツと作って来た努力が報われる思いでありまして、あんまり嬉しいので、これまで「60年代通信」を支えて下さった皆様にも、ぜひ、とりあえずのご報告をさせていただきたく、アドホック版ということで書かせていただきます。
 何度も書かせていただいている通り、テレビ朝日系列で毎週金曜日の夜に放映されている「驚きももの木20世紀」でジャッキー吉川とブルーコメッツが取り上げられることになっておりまして、その制作を担当されているプロダクションのディレクターの方の有り難い御計らいで、ジャッキーさんのインタビューに同行させていただいたものであります。
 以前にも紹介させていただいた通り、ディレクターの方が「ブルーコメッツ」をキーワードに、ホームページを検索され、たまたま「60年代通信」の「ブルコメ特集」をご覧になられて、先月、私に番組への制作協力を要請されるEメールをいただきました。今日は、赤坂にあるプロダクションに私のブルコメ関連のお宝の数々をお持ちし、その後、麻布台にあるジャッキーさんのお店で行われたインタビューの録画撮りに同行させていただきました。
 先月の16日に、府中の大国魂神社で「府中市商工祭り」のスペシャルイベントとして開かれた「ジャッキー吉川とニューブルーコメッツ・ショー」というライブを見て来たばかりでありましたが、相変わらずの元気さで、ジャッキーさんは、録画撮りの準備が進められていたお店に現われました。
 昨日、台風の中をサハリンから飛行機で帰ってきたばかりということでしたが、旅の疲れも感じさせない豪快なドラミングを、それこそ目の前で見せていただき、私は、大いに感激したのであります。
 録画撮りの前後には、直接、色々とお話をお聞かせいただくこともできましたので、何れ、「ブルコメ特集」の1コーナーとして、ご紹介させていただきます。
 帰り際には、府中市商工祭り以来、毎日、ブルーシャトーを歌うまでになってしまった次男と30年来のファンである私と、1枚ずつ名前入りのサインまでいただき、記念写真も撮らせていただきました。
 現在、かつてのメンバーやスタッフなどへの取材が着々と進行しており、10月の最終週か11月の最初の週に放送が予定されている番組では、元スパイダースのかまやつひろしさんをスタジオに迎え、司会の三宅祐司さんと一緒に、日本の音楽シーンにおけるブルコメの果たした役割などを振り返ることになるそうです。
 私が提供したお宝の数々も、貴重な資料として番組で使っていただけるようですので、皆様も、ぜひ、この「驚きももの木20世紀」をご覧下さいますよう、ご案内申し上げる次第です。
 ということで、「60年代通信」ともども、よろしくお願い申し上げます。

主宰者敬白

1998.09.20
 皆様、今晩は。
 今週末も、プライベートな用事がたてこんでおりましたため、いつもは土曜日に打ち込んでいる“60'sえれじい”も、恒例の次男との品川駅電車見学ツアーから帰ってきて、日曜日の夕方に打ち込んでおります。
 しかも、電車見学ツアーの途中で、持病の腰痛を再発させてしまい、痛みをこらえながらの打ち込みという厳しい状況に追い込まれてしまいました。
 さて、今週は、既に、皆様、お気づきかと思いますが、トップページの題字下のスペースに、日経ネットナビが主催する「ホームページ大王1999」の投票ボタンなどというものを張り付けさせていただきました。
 去年は、こういうイベントには全く気がつきませんでしたが、どうやら、ホームページの世界も、以前の歌謡曲の世界と同じように、秋口にノミネートが始まり、年末に向けて選考が進められるという賞レースが恒例の行事となっているようであります。
 実は、この「60年代通信」は、「ホームページ大王」だけでなく、ニフティサーブが主催している「ホームページグランプリ’98」というホームページ・コンテストにもノミネートさせていただいております。何か当たったら、少しでも、今の貧弱なホームページ制作環境を改善できるのではないかと、貧乏人のはかない望みを託したりしているわけです。
 私は、現在、日経BPのBizTechメールや日経ネットナビのネットナビ・メールなど、いわゆるメール・ニュース・サービスをいくつか受けておりますが、ニフティの「ホームページグランプリ98」はBizTechメールの広告で、「ホームページ大王1999」はネットナビ・メールの記事で、それぞれ、その存在を知るにいたりました。
 つまり、当たり前のことですが、メールニュースでこういうコンテストを知り、応募要項のホームページにリンクで飛んでいき、そのままエントリーさせてもらい、さらに、投票ページへのリンクボタンなども、簡単にダウンロードでき、こちらから、投票ページへリンクを張ってしまえば、それでおしまいとなるわけです。ちょっと前だったら、紙のやり取りで相当に繁雑だったであろう、こうしたコンテストの募集告知やエントリー、ノミネートなどの手続きが、いとも簡単に行えてしまうわけで、それは、投票にしても同じことなわけですが、こうしたインタラクティビティというか、インターネットの中で簡単に完結してしまう世界の凄さというものを、改めて、感じざるを得ません。
 最近は、バナー交換の広告が飛んできたり、何かと目障りなページになってきている上に、題字下という貴重なスペースにホームページ・コンテストの投票ボタンまで張り付けさせていただき、ますます目障りになってしまい、誠に申し訳ありませんが、主宰者にとっては、アクセス・カウンターとは、また、違う意味合いで、大いに励みとなっておりますので、どうか、悪しからず、ご諒解いただきますよう、伏して、お願い申し上げる次第です。
 また、以前、この“60s' えれじい”でも書かせていただいたり、「お便りコーナー」でも紹介させていただいたりしておりますが、テレビ朝日で放映されている「驚きももの木20世紀」で今年の11月にジャッキー吉川とブルーコメッツが取り上げられる予定になっています。その制作プロダクションの方から私に制作協力の依頼があり、来週、私の持っているお宝の数々をお持ちする予定だったのですが、先日、改めて、ご連絡をいただき、水曜日(23日)の夜にジャッキー吉川さんにインタビューを行うので、同行して欲しいという誠に有り難いお申し出がありました。お休みの日でもありますし、もちろん、喜んで同行させていただくことにしておりまして、いい年をこいて今からドキドキしております。
 これも、プル型のメディアとしてのインターネットの素晴らしさの結果でありまして、私が熱狂的というよりは狂信的ファンであったブルーコメッツの特集ページを、誰も見ないだろうなと思いながらも、やるからには、日本で一番詳しい内容にしようと全力を傾注して作ったわけですが、そのページが、たまたま、制作プロダクションのディレクターの方の目にとまり、先月の初めに、ご連絡をいただくというような展開になっていたのでありました。
 ジャッキーさんのインタビューに同行させていただけるというだけでも、かつての(といいつつ、実は、今もそうなわけですが…)狂信的ファンとしては、コツコツとホームページを作ってきた苦労が一気に報われる思いであるわけです。
 これまで、トップページの最下段に設置させていただいたカウンターの数字が少しでも増えることだけを励みに、ホームページ作りを進めてきたわけですが、今年の春以降、雑誌で取り上げていただいたり、色々なホームページからリンクを張っていただいたりという広がりも出てきて、これまでの地味なカウンターだけの世界から、ちょっと派手目の世界も覗かせていただけるようになってきたわけで、繰り返し書かせていただいてきた通り、これも、ひとえに、今まで、この「60年代通信」を暖かく見守ってきてくださった皆様のお陰でございまして、心から感謝させていただきたいと思っています。本当に、ありがとうございます。
 ということで、今日の夜も、これから、1ページか2ページくらいはデータ更新をしようと思っていたのですが、冒頭に書かせていただいた通り、再発した腰痛の痛みがひどくなってきておりますので、今晩は、ちょっと、データ更新は難しいかもしれません。
 今週後半からは、遅めの夏休みを取らせていただくことになっており、今週こそは、間違いなく、少しはまとまった形でデータ更新作業ができるのではないかと思いますので、ご期待ください。
 今後とも、引き続き、よろしくお付き合いくださいますよう、改めまして、お願い申し上げます。

主宰者敬白

1998.09.12
 皆様、今晩は。
 ここのところ、朝晩はめっきりと冷え込むようになってまいりまして、東京も西の外れの多摩丘陵にも連なろうかというような我が家の辺りは、虫の声も賑やかに聞こえるようになってまいりました。
 さて、今週は、先月の「60年代の謎・ナゾ・なぞ」のコーナーに続き、「テツコの部屋」ならぬ「テツオの部屋」という新コーナーを開設させていただきました。
 テツオ君というのは、私の小学校時代からの古い友人でありまして、この「60年代通信」ホームページ版のベースになった「60年代通信」ニュースレター版の準備段階から、色々と相談をさせてきてもらってきた人物です。
 ニュースレター版が一昨年秋で休眠状態となってしまった後、ちょっと連絡も途絶え気味という状況が続いておりましたが、今月の初めに、久しぶりに、この「60年代通信」への感想文という形の長大なメールをいただきました。
 感想文のタイトルには、「第1回」という言葉も添えられており、主宰者として、今後、この「60年代通信」ホームページ版の存続を、さらに強固なものにしていく意味合いからも、もともと「60年代通信」ニュースレター版の頃から色々と相談させてもらっていたテツオ君に、この際、ホームページ版にも、深く関わっていただきたいという思惑もあり、主宰者の独断で、テツオ君とのEメールのやり取りなどを中心に、この「60年代通信」の依って来る所以などについて、ご覧いただいている皆様に、折りに触れてご紹介させていただき、これまで以上のご理解を賜ることができるのではないかと考えたような次第であります。
 テツオ君は、現在、法律関係の大手出版社で編集者として活躍しており、公私ともに多忙を極めておりますので、高い頻度で登場していただくことは困難かと思いますが、この「60年代通信」の成り立ちと、その主宰者である私の最大の理解者として、このホームページを将来にわたり維持していくためには、欠くべからざる存在でありますので、皆様も、よろしければ、この新設コーナーである「テツオの部屋」を暖かく見守っていただきますよう、お願い申し上げる次第です。
 それから、すでに、先月、『ホームページガイド』という季刊のムックで、この「60年代通信」を取り上げていただいたことは、「60年代通信」HOT TOPICSのネタとしてご報告させていただきましたが、その後、今週に入ってから、『network museum & magazine project』というホームページで評論家の呉智英さんが連載されている「マンガの国・日本」というページからも、この「60年代通信」にリンクを張っていただいていることが確認出来ましたので、このホームページについても、近く、紹介させいただこうと思っています。
 最近は、私も、公私ともに、かなり多忙な状況が続いており、「読者の皆様からの暖かい励ましのお便りコーナー」であるとか「60年代の謎・ナゾ・なぞ」、あるいは「60年代通信」HOT TOPICSというような、あまり、資料を多用しないでページを作ることのできるネタにデータ更新が終始しており、皆様には、大変に申し訳なく思っております。
 幸い、9月は祝日が何日か挟まった飛び石連休もあることですので、「60年代通信」のオリジナル・メニューであるTVネタや漫画ネタ、あるいは、歌謡曲ネタなどのデータ更新も、集中的に行おうと決意を新たにしておりますので、どうか、最近の状況を受けて、この「60年代通信」を見捨てたりされないよう、伏して、お願い申し上げる次第です。
 どうか、今後も、引き続き、暖かい目で見守っていただき、末永くお付き合いいただきますよう、よろしくお願いいたします。

主宰者敬白

1998.09.06
 皆様、こんにちは。
 この週末も、色々とプライベートな用事が立て込んでおりまして、昨日の午前中に、「60年代の謎・ナゾ・なぞ」だけはアップさせていただきましたが、その後は、まったく時間が取れず、このコラムも日曜日のお昼過ぎになってから打ち込んでいるような状態です。
 さて、皆様、既にお気づきかと思いますが、先月の末辺りから、この「60年代通信」のトップページや「お便りコーナー」など幾つかのページでバナー広告のようなものが表示されるようになっています。
 これは、CSJという会社がやっているバナー交換サービスで、これに参加すると他のホームページのバナー広告が飛んでくる代わりに、この「60年代通信」のバナー広告も他のホームページで表示されるというものです。
 参加料はかからず、タダで自分のホームページをPRできるだけでなく、自分のホームページのどのページで他のホームページの広告が何回表示されたかも分かるので、この「60年代通信」のどのページをどのくらいご覧いただいているかということも分かる仕組になっています。
 現在、この「60年代通信」のデータを置いているサーバーを提供してもらっているプロバイダーの場合、アクセス・カウンターは1カ所にしか設定できないことになっているため、「60年代通信」では、このトップページの下にしか、アクセス・カウンターを設定してありません。
 ですから、トップページへのアクセス数は分かるものの、トップページにいらっしゃった皆さんが、トップからどのページに入っていらっしゃるのかは分かりません。また、お蔭様で、色々なホームページから「60年代通信」にリンクも張っていただいておりますが、リンクいただいているページによっては、トップページではなく、いきなり、各メニューの個別ページに飛ぶという形のリンクもあるため、トップページ以外のページをどのくらいご覧いただいているのかということは、全く分からない状態になっています。
 もちろん、ページ単位のログ管理をしてもらえるようなプロバイダーと契約すれば、解決する問題ですが、そういうレンタル・サーバーのサービスは高額ですし、私の場合、自分でサーバーを立ち上げてログ管理をするような能力も持ち合わせていません。
 「60年代通信」も、有り難いことに、非常に沢山の方にご覧いただくようになってきており、主宰者としては、どのページをどのくらいご覧いただいているのかという状況も、把握させていただけるものなら、そうさせていただきたいという思いも強くなってきております。
 そういう時に、たまたまCSJバナーというサービスを知り、思わず、参加してしまったというわけです。
 ご覧いただいている方の中には、目障りに思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、そうした事情をご理解いただきまして、お許しをいただきたいと思います。
 一応、アダルト系ページの広告やヤバい系のページの広告は飛んでこないことになってはいますが、ちょっといかがわしそうな広告も時々、表示されたりしているようですので、その辺りは、無視していただければと思う次第です。
 今日も、この後、長女と長男の誕生パーティーという我が家にとってのビッグイベントが予定されているため、どの程度、データ更新が行える覚束ないものがありますけれども、何とか、1ページか2ページくらいは更新できるよう頑張りたいと思います。
 主宰者の勝手な都合ばかり言わせていただき、誠に恐縮ではございますが、引き続き、よろしくお付き合いいただきますよう、お願い申し上げます。

主宰者敬白

1998.08.29
皆様、今晩は。
 今週は、昨日(金曜日)と今日(土曜日)の2日間にわたり、会社の会議に出席させられまして、会議が嫌いな上に、「経営」などという私の最も苦手とするテーマだっただけに、心身ともに疲れきって、家に帰ってまいりました。
 さらに、プライベートな用事も色々と立て込んでおりまして、疲れきった状態で、真夜中を過ぎてから、この“60'sえれじい”を書かせていただいております。
 このコラムの左にあります「データ更新日/更新内容のリスト」というのをご覧いただければ、お分かりになると思いますが、今週は、また、皆様から暖かいお便りを沢山いただきました。「お便りコーナー」に掲載させていただいたものだけでも合計8本のEメールを頂戴しておりまして、特に、月曜日に新しく開設させていただいた「60年代の謎・ナゾ・なぞ」というコーナーで、これまでに頂戴したEメールの中から60年代にまつわる皆さんの疑問だけを集中的に紹介させていただいたところ、その疑問に対する貴重な情報も提供していただくことが出来ました。
 Eメールを頂戴した皆様には、この場を借りまして、改めて、御礼申し上げます。
 できるだけEメールを頂戴した日に、限りなくリアルタイムに近い形で、メールを紹介させていただこうとは思っているのですが、今週のように公私ともにタイトな状況になってしまうと、ちょっと時間を置いて、まとめて紹介させていただくような形になってしまいます。本当に申し訳ありません。今週の場合も、頂戴して即アップするというような形になっていれば、課題となっているウィークデー
のデータ更新も、かなりの頻度で行えたはずでした。
 頂いたEメールは、まず、「お便りコーナー」の方で紹介させていただいておりますが、「60年代の謎・ナゾ・なぞ」のテーマに関わる部分は、改めて、「謎コーナー」でも紹介させていただき、提示された疑問と提供された情報との関わりが分かりやすいような形にしていきたいと考えていますので、よろしくお願いいたします。
 それから、今週は、水曜日に発行された『ホームページ・ガイド』(ごま書房)という季刊のムックで、「60年代通信」のホームページを取り上げていただきました。
 以前にも、このコラムで、取り上げていただく旨のEメールを頂戴したことは紹介させていただきましたが、改めて、取り上げていただいた記事を実際に読ませてもらい、嬉しさを噛みしめているところであります。
 毎度、書かせていただいている通り、こうして色々な雑誌などで「60年代通信」を取り上げていただけるというのは、ひとえに、このページをご覧いただいたり、Eメールをお送りいただいたりしてくださる皆様がいらっしゃるおかげでありまして、こちらにつきましても、改めて、御礼を申し上げます。
 ということで、とりあえず、このコラムと「お便りコーナー」のデータ更新だけを行わせていただき、今日は、もう午前4時を大きく回ってしまっておりますので、取り敢えず、休ませていただくことにして、明日以降、ウィークデーも含めて、新たなるページの作成に励もうと思っておりますので、引き続き、よろしくお付き合いくださいますよう、お願い申し上げます。

主宰者敬白

1998.08.22
 皆さん、こんにちは。
 今週は、日曜日の午前中にカミさんと次男が岡山のカミさんの実家に行き、今月の初めに長岡の私の実家に行った長女と長男がまだ帰ってきておりませんので、私は、バカ猫と二人っきり、じゃなくて、一人と一匹っきりでありました。
 この束の間の静寂な環境を利用して、せいぜいデータ更新に励むつもりでしたが、カミさんと違ってバカ猫は何もしてくれないので、食事の支度や片付け、洗い物、洗濯はもちろん、バカ猫のトイレ掃除も私がしなければいけないわけで、会社の仕事が忙しかったり、会社の仕事が終わった後、人に会ったりということもあって、結局、昨日の夜、「お便りコーナー」のデータ更新を1回しか出来ませんでした。この怠惰で不埒な私を、お許しください。
 さて、今週は、このコラムで先週も書かせていただいたように、20日の木曜日に小学館の「ドラネット」という小学生向けインターネット・オンライン学習システムの中に、“ドラネット・マガジン・クラブ”という新ページが加わり、その中の“どこでもドア”というメニューの“タイムマシン”というコーナーから、この「60年代通信」にリンクを張っていただきました。この「タイムマシン」というコーナーは、「歴史のことを調べる」ことができるホームページのリンク集でありまして、あの泉谷しげるの「日本をすくえ!」のホームページなどとともに、この「60年代通信」もご紹介いただいておりまして、誠にありがたいことだと感謝している次第です。こちらのリンクについては、「60年代通信 HOT TOPICS」として、新たにページを作ってみましたので、ご関心のおありになる方は、ご覧になってみてください。
 また、本当に有り難いことで、皆様から頂戴するEメールもかなりの本数になってきておりまして、とりあえず、「お便りコーナー」を2分割させていただきましたが、さらに、「お便りコーナー」には、「60年代」の色々な事象に関する皆さんの疑問が寄せられているにも関わらず、沢山のメールの間に、そうした疑問が埋没してしまっている観もありますので、改めまして、読者の皆様の疑問だけを抽出し、「60年代の謎・ナゾ・なぞ」という新ページを作らせていただくことにしました。皆様の思い出と記憶によって解決していただけるものがあれば、ぜひ、皆様のお力をお借りしたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

主宰者敬白

1998.08.15
 皆様、こんにちは。
 現在、1泊2日の引越し合宿中でありまして、その合間を縫って、これを打ち込んでいます。
 実は、今日の昼から、時々、このホームページで言及させていただいている別宅(四畳半一間のアパートですが…)の荷物整理を始め、本宅の私の部屋から、さらに資料を運び込むためのスペース作りをし、今、本宅に戻ったところです。
 この後、長女と共有している私の部屋につんであるダンボール箱や押し入れに詰め込んであるダンボール箱、古いパソコンやパソコンラックなどを別宅に運び出すため、本宅の部屋の整理にかからなければなりません。
 でも、データ更新だけは、この土日も時間を割いて何とか行いたいと思っていますので、また、アクセスしてみて下さい。
 さて、今週は、13日(木曜日)の午後7時台に、このトップページの下に設定してあるアクセス・カウンターの数字が1万件を突破しました。
 昨年の12月にアクセス・カウンターを設定してから、9カ月目の快挙ということになります。手前味噌なページになってしまうと思いますが、アクセス・カウンター1万件への足跡というようなものも作らせていただこうと思いますので、よろしくお願いします。
 それから、11日(火曜日)には、小学館「ドラネットマガジンクラブ」のご担当の方からEメールを頂戴し、何と、「ドラネット」から「60年代通信」にリンクを張っていただくことになりました。お便りコーナーをお読みになった方はご存知でしょうが、「ドラネット」というのは小学生を対象としたインターネット学習システムで、リンクを張っていただくのは、「ドラネットマガジンクラブ」の中の「地球大博物館」と「タイムマシン」という子どもたちがインターネット上で様々なものを体験したり調べたりできるコーナーだそうです。
 いただいたEメールによりますと、「60年代通信」は、「お父さんやお母さんが小学生だったころの、1960 年代に流行(はや)ったもの大集合。TVCMや雑誌にマンガ、おもちゃや遊び、お菓子、歌謡曲(かようきょく)とか」ということで紹介していただいております。
 ということで、これからは、モノ好きな小学生の皆さんも、この「60年代通信」を見てくださることになるわけでありまして、怪しそうなオジさんとしても、心してページ作りに励ませていただこうと、意を新たにしている次第であります。
 良い子のお坊ちゃんやお嬢ちゃんだけでなく、その昔に良い子のお坊ちゃんやお嬢ちゃんだった皆様にも喜んでいただけるよう、頑張ってホームページを作ってまいりますので、今後とも、よろしくお願い申し上げます。

主宰者敬白

1998.08.08
 皆様、今晩は。
 さきほど、京王線の府中駅から歩いて5分ほどの大国魂神社で開かれていた「第38回府中市商工まつり」のスペシャル・イベント「ジャッキー吉川とニューブルーコメッツ・コンサート」から帰ってまいりまして、まだ、その興奮を引きずったままの状態で、この“60'sえれじい"を書かせていただいております。
 既に、「60年代通信HOT TOPICS/あのブルコメが府中にやってくる!!!」をお読みいただいた方は、ご存知のことと思いますが、大国魂神社では、昨日から明日までの3日間、「府中市商工まつり」という催しが開かれており、そのスペシャル・イベントの歌謡ショーとして、今日(1998年8月8日)、13時30分からと18時30分からの2回にわたり、「ジャッキー吉川とニューブルーコメッツ・コンサート」がありました。昼の部は、次男を連れて、同様に次男と同い年の男の子のお守りを兼ねて商工まつりに遊びに来た会社の同僚と一緒に楽しませていただき、夜の部は、用事を済ませたカミさんに次男を引き渡し、一人で、もう一度、楽しませてもらったのであります。
 このコンサートの模様につきましては、近く、この「60年代通信」で仔細にわたり、ご報告させていただこうと思いますので、皆様、どうぞ、お楽しみに!!、とびっくりマークを2つも付けてみましたけれども、一部の方だけかもしれませんが、お楽しみに!!
 さて、今週は、木曜日と金曜日に読者の方からのEメールを頂戴し、金曜日だけでしたが、ウィークデーのデータ更新をさせていただくことが出来ました。
 こちらも、「お便りコーナー」のページをご覧いただいた方はご存知のことと思いますが、木曜日には、テレビ朝日系列で金曜日の夜に放送されている「驚きももの木20世紀」という番組を担当されているTVディレクターの方からEメールを頂戴し、番組制作への協力を依頼されました。
 早速、その日の晩のうちに、連絡を取らせていただき、実際にディレクターの方にお会いしてきまして、出来る限りのお手伝いをさせていただきたいというお話をしてまいりました。私が狂信的ファンであったブルーコメッツのページは、あまり、ご覧いただけない部分かなと思っていましたが、こういう形でお役に立てる局面が出て来たことを、一ファンとして、また、この「60年代通信」というホームページの主宰者として、素直に喜ばせていただいております。
 毎度、しつこいですが、これも、このページをご覧いただき、Eメールまでくださる皆様がいらっしゃるお陰で、ここまでホームページを続けて来られたからこそでありまして、改めまして、このホームページをご覧いただいている皆様に御礼を申し上げる次第であります。本当にありがとうございます。
 そういうわけで、ここ暫くは、タイガースのデータを追加して、現役としてGS番組に関わっていた方からメールを頂戴したり、ブルコメの番組を制作されるディレクターの方から連絡をいただいたり、さらに、ブルコメのライブを見せてもらったりということで、GSバイオリズムが高まっているようでありまして、「60年代通信」のホームページも必然的にGSモードにシフトしつつ、データ更新に励むことになろうかと思われます。
 とはいえ、実は、先週、府中市にある「郷土の森」という大きな公園で、「ちょっと昔展」という、「60年代通信」をそのまま展示会にしたようなイベントも見てきておりまして、こちらも、8月いっぱいの催しですので、そのご案内も兼ねて、展示会の模様もご報告させていただかなければならないと思っており、相変わらず、あっちへ行ったり、こっちへ来たり、無定見極まりない展開ではありますが、軽薄不埒な主宰者の気の赴くままに、データ更新が続けられることになりますので、皆様におかれましても、引き続き、よろしくお付き合い下さいますよう、お願い申し上げる次第です。

主宰者敬白

1998.08.01
 皆様、こんばんは。
 今週も、また、皆様からEメールを頂戴し、火曜日と水曜日、金曜日の3回にわたり、ウィークデーのデータ更新を行うことが出来ました。
 先週も書かせていただいた通り、昨年の7月は僅か2回しかデータ更新を行えませんでしたが、今年の7月は、ほとんど「お便りコーナー」ばかりではありますが、データ更新は19回を数えています。逆に言いますと、7月だけで19通ものEメールを頂戴しておりまして、これは、「60年代通信」始まって以来、単月で頂いたEメール数としては過去最高となりました。
 何度も書かせていただいている通り、皆様から頂戴するEメールは、このホームページをメンテナンスする上で、主宰者にとっては、最大の元気の素となっていますので、本当に、有り難いことだと思っています。
 それと、もう一つ、ページ作成の原動力となっているのが、このトップページの下にあるアクセス・カウンターの数字でありまして、これも有り難いことに、今年7月の月間アクセス数は1953件で、過去最高の記録を達成することが出来ました。
 本当に、このページにアクセスいただいている皆様に、感謝を申し上げたいと思います。
 そのアクセスカウンターも、今日(1998年8月1日)の9時過ぎの時点で、「9246」まで来ておりまして、いよいよ「10000」の大台が見えてくる状況となってまいりました。最近のアクセス動向から判断すると、早ければ、今週中、遅くとも、来週中には、「10000」の大台に乗るのではないかと推測されます。
 このアクセスカウンターを気にして入るのは主宰者だけで、アクセスいただいている皆様は、ほとんど気にも留めていらっしゃらないのではないかと思われるわけですが、もし、たまたまアクセスされた時にカウンターをご覧になられて、その数字がちょうど「10000」と表示された方がいらっしゃいましたら、その画像をキャプチャーして、「60年代通信」宛にEメールにでも添付してご送付いただいた場合には、懸案となっております「60年代通信」初のプレゼント企画であります「アストロボーイ・ボイスウォッチ」か、それに相当する記念品を差し上げたいと思いますので、どうぞ、皆様、奮ってご参加いただきますよう、謹んでご案内申し上げる次第です。
 今日の夕方、長女と長男が2人だけで新幹線に乗って私の実家に遊びに行ってしまい、これから3週間ほど、我が家には、つかの間の静寂が訪れることになります。
 ウィークデーも含め、この期間を利用してホームページのデータ更新に励もうと考えておりますので、この夏も、「60年代通信」とよろしくお付き合いいただきますようお願い申し上げます。

主宰者敬白

1998.07.25
 皆様、今晩は。
 今週は、月曜日に「60年代のテレビ」の「0戦はやと」のデータをアップし、火曜日と水曜日にも頂いたEールを「お便りコーナー」に入れ込みましたので、課題となっているウィークデーのデータ更新を3回行うことができました。
 さて、今週の水曜日に、季刊雑誌「ホームページガイド」[発行:ごま書房]の編集ご担当であるYNさんからEメールを頂戴し、8月25日発行予定の『ホームページガイド』で、この「60年代通信」をご紹介していただく計画であることを知らせていただきました。これが実現しますと、5月の『KONPEITO』6月の『YAHOO! JAPAN Internet Guide』7月の『PC fan』に続き、4カ月連続で、インターネットやパソコン関連の媒体で「60年代通信」を取り上げていただく形となり、夏休みモードに入りつつある主宰者にとっても、大きな励みとなるのではないかと、自分のことながら期待しております。
 「データ更新日/更新内容のリスト」のページで、昨年の7月〜9月のところをご覧いただけばお分かりになる通り、去年の夏のデータ更新頻度は、7月と8月が2回、9月が4回ということで、昨年4月に、この「60年代通信」を立ち上げて以来、最もデータ更新が低調に終わった時期が昨年の夏のことでありました。
 ほとんど、一つ間違えば、そのまま、この「60年代通信」は自然消滅していたのではないかと、今更ながら冷や汗ものの厳しい時期だったのであります。
 幸い、今年は、既に、7月だけで、13回のデータ更新を行わせていただき、昨年夏の7〜9月分のデータ更新回数を上回っております。
 これも、ひとえに、この「60年代通信」をご覧いただいている皆様のお陰でありまして、雑誌の記事で取り上げていただいたり、色々な方からEメールを頂戴したり、そういうことを励みとさせていただくことで頑張ってこれたわけであります。
 先週も書かせていただいた通り、5月の最終週に週間アクセス数が1400件を超えるというような事態になってしまった後、6月は、週間アクセス数が200件〜300件で推移し、6月末には、200件を割り込みそうなところまで戻ってしまいました。
 しかし、7月の第1週と第2週は300台をキープ、先週は、600件を超えるところまで盛り返し、今週も、お蔭様で、400件台には乗りそうな状況となっておりす。
 5月末の突出した動きを除けば、緩やかながら、着実にアクセス件数の母数は増え続けているようで、本当に、主宰者として、喜ばせていただいております。
 そのアクセス数の増加にもお応えするべく、今年の夏は、昨年のような状況に陥ることなく、データの更新作業に励み、1ページでも多く新しいページをご覧いただけるように頑張ろうと決意を新たにしているところでありますので、引き続き、よろしくお付き合い下さいますようお願い申し上げる次第です。
 いよいよ暑さも本格化してまいりますようですから、皆様も、寝冷えや夏風邪などで体を壊したりされないよう、元気で、この夏を乗り切って下さい。
 ということで、末筆ながら、暑中お見舞いを申し上げさせていただき、私も、今日は、これで、休ませていただこうと思います。
 最後まで、お読みいただき、ありがとうございました。

主宰者敬白

1998.07.18
 皆様、今晩は。
 W杯も開催国フランスの優勝で終わり、子供たちは今日が一学期の終業式で、いよいよ夏休みです。
 昨年から祝日になった「海の日」のお陰で、世の中全体も今日から三連休。大人の私達も、夏本番を前に一息入れることができるようになって、嬉しいお休みといったところでしょうか。
 さて、今週は、火曜日から金曜日まで4日連続で色々な方からEメールを頂戴し、ウィークデーのデータ更新の方も、3回行うことが出来ました。何度も書かせていただいている通り、皆様から頂戴するEメールは私の元気の源となるばかりか、不埒な主宰者にとっては、データ更新頻度の維持という側面からも、非常に貴重なものとなっております。本当に、ありがとうございます。
 久しぶりにアクセス件数のお話をさせていただきますと、今週は、水曜日から金曜日まで、3日連続で1日当たりのアクセス件数が100件を超えておりまして、YAHOO! JAPANの「今日のオススメ」コーナーで取り上げていただいた5月25日の1015件という数字を別にしますと、「60年代通信」始まって以来の大変な記録となりました。週間のアクセス件数も、今朝の時点で500件を突破して、やはり、5月の最終週を除くと、新記録達成ということになります。
 お蔭様で、5月25日以降は、1日当たりのアクセス件数は50〜70件程度で推移してきておりまして、以前の週間アクセス件数のレベルにまで達してきていることは、先日も書かせていただいた通りですが、今週の半ばからのアクセス件数の増え方は、かなり唐突な感じでありまして、ひょっとすると、どこかのホームページでご紹介いただいたり、雑誌の記事で取り上げていただいたりしたのかなとも思ったりもしています。
 もし、どなたか、その辺の事情をご存知の方がいらっしゃいましたら、ご教示いただけるとありがたいと思います。よろしくお願いします。
 さきほども書かせていただきましたが、今週は、月曜日から金曜日までの間に6人の方からEメールを頂戴しておりまして、特に、米国ロサンゼルス在住のMDさんは、ご自身でお書きいただいているように、東映の児童劇団を経て、「ティーンズ」というグループのメンバーとしてGS番組にご出演されていたという貴重な体験をお持ちの方でいらっしゃいます。
 昨年の秋にブルーコメッツの大特集を作らせていただき、今年初めには、タイガースのディスコグラフィーを軸にGSのページを作りかけたままで、ちょうど、この週末辺りのデータ更新から、そのGSネタを復活させるべく準備をしていたところですので、MDさんが指摘されている通り、「GSは取り巻きの女の子たち抜きには語れない」ものであることも確かでしょうから、MDさんをはじめ、当時のGSをリアルタイムで知る皆さんからのお便りなども頂戴しながら、GSページの作り込みに勤しんでいきたいと考えています。
 当時のGSの取り巻きの女の子だった女性の皆さんだけでなく、私のようなGS大好き少年だったオジさんたちも含め、これから暫くは、GSネタで盛り上げさせていただければと思いますので、皆様、よろしくお願いいたします。

主宰者敬白

1998.07.11
 皆様、今晩は。
 今週は、W杯のお陰で、1件だけでしたが、課題のウィークデーのデータ更新を行うことができました。というのは、日本時間で木曜日の未明に行われたフランスvsクロアチア戦を見るために、朝の5時過ぎに起きて、試合が終わった後、会社に出かけるまでの時間を利用して、ページを作ることができたわけです。
 W杯は、ここのところのデータ更新の頻度低下の一因となってきておりましたが、今回だけは、プラスの要因として働いたと言えます。
 月曜日の未明には、いよいよフランスとブラジルの間で決勝が行われるわけですが、今度も、試合の後に、ページの更新作業が出来るといいなと思ったりしています。
 さて、昨日と今日の両晩、久しぶりに「北の国から」のスペシャル版の放送がありました。実は、私は、何を隠そう、知る人ぞ知る「北の国から」フリークでありまして、下北沢の町並み風景から始まる記念すべき第1回から最終回まではもちろん、その後に、放映されたスペシャル番組もすべて、ビデオを持っているばかりか、倉本聰さんのシナリオの単行本も持っていますし、自腹の旅行ではなく仕事の取材旅行ではありましたが、実際に、北海道の富良野に行って、撮影に使われた丸太小屋の中も見てきました。
 テレビやビデオだけではなく、シナリオの単行本を読みながらでも、ボロボロと涙を流して泣いていた恥ずかしいオヤジは私です。
 そういう涙腺の弱いオヤジの話はどうでもいいのですが、考えてみると、18年前にレギュラー番組として放送され、その後も、スペシャル番組として放映され続けているテレビドラマというのは、恐らく、他に例がないのではないかと思われます。
 ウチの会社でも、昨晩は、この番組を見るために早く帰ったり、残って仕事をしている人間も、ちゃんとビデオをセットしてきていたり、会社から家に電話をして録画を頼んだりということで、長島風に言うなら、この「北の国から」のスペシャル版を見ることは、ほとんど「国民的行事」となってしまった観さえあります。
 渥美清さんが亡くなられてしまった今、映画「男はつらいよ」のシリーズ作品に匹敵するようなテレビドラマとして、「北の国から」を見ることは、日本人にとって、年中行事と化しつつあるのかもしれません。
 この「60年代通信」的視点で考えてみますと、例えば、昭和40年の時点で、昭和22年に放映されたドラマが、スペシャル番組の形で、綿々と18年間も製作が続けられているというようなことになるわけです。もちろん、昭和22年の時点でテレビドラマなど存在していなかったわけですが、当時の18年という時間的距離感では、恐らく、そういう事態はありえなかったのではないかと思います。
 逆に言うと、今、この1990年代という時代から1980年代を振り返った時の時間的距離感の短さに驚いてしまうわけです。もちろん、「北の国から」という作品のテーマの普遍性とかいうようなこともあるのかもしれませんが、「北の国から」というドラマが風化したり、古さを感じさせたりせずに、高い人気を維持しながら放映され続けている理由には、テレビドラマの製作の手法であるとか、いわゆるドラマのリアリティの前提となる日本人の基本的な生活様式とか、ドラマそのものの本質的な世界とは別の部分で、この18年間に時代の隔絶を感じさせるような決定的な変化が起きていないということがあるのではないかという気がするわけです。
 さきほどの例でいうと、昭和40年の時点で、昭和22年のドラマが放映されつづけるには、1940年代と1960年代の間に、どうしても埋めることのできない時代の隔絶というか、縮めることの出来ない時間的距離感というものがあったと思わずにはいられません。
 つまり、1950年代から1960年代あるいは1970年代前半にかけての日本人の生活様式の変化というものは、それ以前とそれ以後を厳然と分かつ時代的な隔絶を生じさせてしまうほどに、大きいものだったのではないかと思うわけです。
 かなり、我田引水的な論旨の展開にはなっておりますが、私がこの「60年代通信」を通じて、1960年代を軸に1950年代から1970年代までをも含めて、様々な事象を取り上げさせていただきつつ、当時の時代的な意味合いを検証させていただこうと思い立つにいたった理由のひとつを、「北の国から」の放映を契機に、改めて思ったりした次第です。
 などと書かせていただきながらも、ビデオに撮りためてある「北の国から」のスペシャル版は、色々と忙しくて、なかなか、まとまった時間が取れないということもさることながら、あまりにも、ドラマへの思い入れが激しく、番組を録画しただけで、実際にドラマを見てしまったような気分になってしまうことや、ドラマへの感情移入が度を越しすぎているため、まともに見るのが恐いということもあり、近年のものは、ビデオを録りためるばかりで、ほとんど見ていません。
 昨日の晩と今日の晩に録画したビデオも、いつ見ることが出来るのか、自分でも、よく分かりません。
 ということで、またもや、ヨタ話を長々と書かせていただき、ここまで、お読みいただいた皆さんには、本当に申し訳ありません、というか、ありがとうございます。
 ちなみに、「北の国から」をお書きになっている倉本聡さんは、この「60年代通信」でも紹介させていただいている舟木一夫主演で長岡を舞台にした映画「青春の鐘」の脚本もお書きになっています。「青春の鐘」は昭和44年のお正月に公開された映画で、当時、まだ、倉本さんはニッポン放送の社員だった頃かもしれませんが、倉本さん自身も、すでに30年にもわたって脚本家として第一線で活躍されていることになります。
 私も、「北の国から」や倉本さんと同じように、この「60年代通信」を18年も30年も続けることが出来るよう頑張っていきたいと思いますので、今後とも、よろしくお願いいたします。

主宰者敬白

1998.07.05
 皆様、今晩は。
 この“60'sえれじい”は、基本的には、毎週土曜日に書かせていただいているのですが、今回は、この週末が色々とプライベートな用事で忙しかったため、日曜日の夜に書かせていただいております。
 いつも、ここで、今週のアクセス状況がどうだったとか、書かせていただいているわけですが、そういう場合の今週というのは、日曜日から土曜日までの1週間のことを対象としておりまして、今回も、これから言う今週というのは、先週の日曜日(6月28日)から昨日の土曜日(7月4日)までのことになります。
 ということで、今週の動きということで振り返ってみますと、すでに、「お便りコーナー」や、この“60'sえれじい”でも書かせていただいた通り、月曜日(6月29日)に発売されたソフトバンクの『YAHOO! JAPAN INTERNET GUIDE』8月号と水曜日(7月1日)に発売された毎日コミュニケーションズの『PC fan』7月15日号の誌面上に、相次いで、この「60年代通信」を取り上げていただきました。
 本来であれば、この週末のデータ更新作業で、それぞれの取り上げていただいた記事を詳細にご紹介させていただこうと思っておりましたが、既に書かせていただいた通り、この週末はプラベートの用事に相当の時間を取られてしまいましたので、その作業は、来週以降に持ち越させていただくことにしました。
 この週末は、それよりも、先月の27日に俳優の牧冬吉さんが亡くなられていたことが、翌々日の29日になってから新聞などで報道されておりましたので、予定していたデータ更新を見送り、「60年代のテレビ」のコーナーで、牧冬吉さんの追悼特別企画を、急遽、作らせていただきました。
 限られた時間の中で、限られた資料をひっくり返して作らせていただきましたので、ご満足いただけるようなものにはなっていないかもしれませんが、その中でも書かせていただいている通り、今後、新たにデータ更新をしてページを作っていく中で、牧さんに関連するテーマの場合には、その時々に応じて、それなりのフォローをさせていただこうと思っておりますので、よろしくお願いいたします。
 サッカーのワールド杯も終盤に入ってきておりまして、フランス、ブラジル、オランダ、クロアチアのベスト4までに絞られてきました。今までのように、毎日試合が行われるわけではないので、少しはデータ更新に励もうとしておりますが、今度は、異様な暑さによる体力の消耗が激しく、なかなか、夜の時間を割くのがツラい状況となっております。
 先週の“60'sえれじい”で「こんな変な天気が続くのなら、いっそスカっと暑くなった方がいい」というようなことを書かせていただいたばかりではありますが、今度は、暑くなりすぎという感じで、年とともに衰えをカバーしきれない体力の限界を、痛感している次第です。
 ということで、毎週、なんだかんだとデータ更新が思うように捗らない言い訳ばかりしておりますが、少しずつ、体力の強化なども実現できるよう努力しながら、頑張っていきたいと思っておりますので、引き続き、よろしくお願いいたします。

主宰者敬白



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