「60'sえれじい」
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 その1


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1998.06.27
 皆様、今晩は。
 梅雨は例年のことですからしょうがありませんが、それにしても、今年は変な天気が続いておりまして、私は既に、咳が止まらない夏風邪のような状況になってから1カ月近くが経ってしまいました。こうなってくると、早く、スカっと暑い夏が来てくれた方がいいのに、と思い始めたりもしています。
 さて、ワールドカップは残念ながら、日本はジャマイカにも破れてしまい、3連敗で予選グループH組最下位という結果に終わってしまいました。サッカーに関しては、全くの素人の私ではありますが、3戦を具に見させてもらった感想を言わせていただきますと、日本のウィークポイントは、ひとえに、国際経験というか海外経験の不足ということに尽きるのではないかという気がしました。
 確かに、Jリーグには、世界レベルの一流選手がプレーするというような状況にもなってきましたが、でも、それは、やはり、日本国内での話にすぎません。片や、例えば、日本が勝って当たり前と言われていたジャマイカにしても、国内にはサッカーのプロリーグはないそうですが、逆に、イギリスのプロ・リーグで活躍しているという中心選手が、結果的に、鍵となるような局面で、クロアチア戦での得点や、日本戦での勝利に結びつく働きをしていました。
 それと、やはり、この「60年代通信」でも、W杯必勝祈願ということで画像を紹介させていただきましたが、1968年のメキシコ五輪で銅メダルを獲得した時の釜本に匹敵するような高い決定力を備えたポイント・ゲッターを欠いていたということが致命的だったことも間違いないと思います。その意味で、特に、再三の得点機を逃してしまった昨日のジャマイカ戦なんかを見ていて、「もしカズが代表に残っていたら…」と思ってしまったのは、きっと私だけではなかったのではないかと思います。
 ということで、またまた、「60年代通信」とは関係のない話を長々と書かせていただいてしまいましたが、今週も、結局、課題となっている実質的なウィークデーのデータ更新を果たすことはできませんでした。
 仕事の忙しさは相変わらずですが、それでも、新しいプロジェクトが立ち上がり、ようやく一山越えた状況ではありますので、今週末からは、何とか、皆様のご期待に添えるような展開を実現したいと思っております。
 ただ、そうは言っても、私の大好きなクレージーキャッツのヒット曲「ホンダラ行進曲」の歌詞と同じで、「ひとつ山越しゃホンダラッタホイホイ、もひとつ越してもホンダラッタホイホイ、越しても越してもホンダラホダラダホイホイ」というような事態がずっと続いてきているというのが実状でありますので、どうか、皆々様に置かれましては、長い目で見ていただきたいと、毎度、同じお願いをさせていただかなけれならない次第であります。
 ということで、どうぞ、よろしくお願いいたします。

主宰者敬白

1998.06.20
 皆様、こんにちは。
 今週は、課題となっているウィークデーのデータ更新は、月曜日に1回しかできませんでした。『Yahoo! Internet Guide』編集部 で「Yahoo! JAPAN Surfers' Picks」を担当されているYKさんから、「60年代通信」を誌面でご紹介いただけるという嬉しいEメールでしたので、いただいた直後の日曜日の深夜にデータ更新を行っておりまして、厳密に言うと、本来の意味でのウィークデーのデータ更新は1度も出来なかったことになります。
 実は、このコラムでも何度か触れさせていただいて来た会社の新しいプロジェクトの立ち上げが、まさしく今週のことでありまして、水曜日と木曜日は2晩続けて会社に泊まり込む状況となってしうほどで、とても、「60年代通信」に手を付けられるような状況ではありませんでした。
 それでも、お蔭様で、どうにかこうにか新プロジェクトの立ち上げには漕ぎ着けることができました。
 「60年代通信」とは全く関係のないカテゴリーの話であり、宣伝めいた話になってしまい恐縮ですが、この「60年代通信」をご覧いただいている皆さんは、せっかくインターネットにアクセスできる環境をお持ちの方々ですので、このプロジェクトについて言及することをお許しいただければと思います。
 ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、NTTグループの検索エンジンサイトである“goo”のトップページに「ホットチャネル」という色々な分野のニュースなどをコンテンツとする新コーナーが先月から立ち上がっているのですが、その中の「ワールドレジャー」というチャネルが昨日の夕方から立ち上がりました。私が半年前から関わって来た会社のプロジェクトというのは、実は、この「ワールドチャネル」への海外旅行関連の情報を提供するプロジェクトでありまして、皆様の中で、海外旅行をご計画されている方や、海外の旅行地での最新情報などにもご関心のおありの方がいらっしゃいましたら、ぜひ一度、ご覧いただければと思う次第です。
 gooのURLはhttp://www.goo.ne.jpで、そのトップページにある「ホットチャネル」の「ch.6ワールドレジャー」をクリックしていただきますと、私達の血と汗と涙の結晶ともいうべき海外旅行情報のページが出てまいります。どうぞ、よろしくお願いします。
 ということで、長々と私事…じゃなくて、仕事の話を書かせていただき、失礼をいたしました。
 そういうわけで、ここのところ、会社の仕事が殺人的な忙しさとなっている上、悪いことに、先週からサッカーのワールドカップまで始まってしまい、データ更新の頻度が著しく低下してきているのが実状であります。
 先週は、日本代表の対アルゼンチン戦必勝を祈って、1968年のメキシコ五輪で日本が銅メダルを取った時の特別企画という訳の分からないページを作らせていただいたわけですが、さすがに、アルゼンチンには及びませんでした。
 今晩のクロアチア戦のことを思うと、もう気もそぞろで、「60年代通信」のページ作成も滞りがちでありまして、何とか、気を引き締めてデータ更新に励もうと思いますので、ここ1〜2週間にわたるデータ更新のペースダウンにつきましては、皆様のご理解とご寛容を賜り、お許しをいただきたいと伏してお願い申し上げる次第です。
 皆々様におかれましては、これに懲りずに、今後とも、よろしくお付き合いいただきますよう宜しくお願い申し上げます。

主宰者敬白

1998.06.13
 皆様、今晩は。
 この週末は、会社の仕事が立て込んできている上に、実は、今日は午後から、引越しをしたばかりの会社の同僚のハウスウォーミングに次男を連れて遊びに行ってきたのですが、同僚の家ではしゃぎすぎた次男が座卓の角に頭をぶつけて額を割ってしまい、病院に担ぎ込まれるというような事態となり、通常であれば、データ更新用のネタ作りをする金曜日の晩から土曜日の晩にかけての作業が、全く手付かずの状態となっております。
 次男の怪我は、額の上部に3〜4センチの裂傷を負ったもので、当初、大量の出血に、こちらもあせってしまいましたが、幸い、病院に到着する頃には、本人も元気を取り戻し、診察の結果、医師の判断で、レントゲンは撮らず、2〜3日様子を見る、というような程度で済みました。お蔭様で、傷の上から固定用の細いテープを3本ほど貼っていただき、ガーゼをかぶせ、化膿止めの薬を3日分いただいて帰って来ることができました。
 データ更新を期待されてアクセスしていただいている皆様には、大変に申し訳ありませんが、まだ、会社の仕事も終わっていないため、作業が一段落するまで、データ更新はおあずけというような状況になっておりますので、悪しからず、ご了承ください。
 今週末は、先々週辺りから積み残してきている素材ネタの加工をすると同時に、先日、亡くなられた作曲家の吉田正さんの追悼企画であるとか、いよいよ明日に迫ったワールドカップの日本vsアルゼンチン戦に備えて、1968年のメキシコ五輪で銅メダルを獲得した時のゲンかつぎ企画なども計画していたのですが、今のところ、極めて厳しい見通しとなってきています。
 何とか、ワールドカップのゲンかつぎ企画だけは、明日のキックオフに間に合わせたいと考えていますが、皆様には、色々とご期待に背くような形となってしまい、誠に恐縮です。諸般の事情をご賢察いただきまして、ご了承いただきますよう、平にお願い申し上げる次第です。
 来週は、半年がかりで進めて来た会社のプロジェクトがいよいよ立ち上がることになり、忙しさには、さらに、輪がかかる形となる予定ですが、その忙しさをバネに、来週以降は、皆様のご期待に添えるよう努力いたしたいと思いますので、これに懲りずに、今後とも、よろしくお願い申し上げます。

主宰者敬白

1998.06.06
 皆さん、こんにちは。
 東京も梅雨に入り、うっとうしい天気が続いておりますが、いかがお過ごしでしょうか。
 さて、先週は、Yahoo! JAPAN事件がありまして、週間アクセス数も1400件というような驚異的な数字となってしまいましたが、今週は、再び、地道な動きに戻っています。とはいえ、1日のアクセス数は、お陰様で60〜80件程度で推移しておりまして、先々週までの週間アクセス数に匹敵するような水準に達しています。「60年代通信」の主宰者として、新たな緊張感というか責任感のようなものをひしひしと感じているような次第でもあります。
 今週も、何人かの方からEメールを頂戴し、課題のウィークデーのデータ更新を何度か行うことができました。『PCfan』の「原色Web図鑑」の編集ご担当の方から7月15日号で「60年代通信」をご紹介いただく旨のご連絡を頂戴し、大日本印刷のEC実験モールの運営管理をご担当されている方からもリンク通知のEメールをいただきました。先月の後半辺りから相次いで、こうしたパブリシティ関連の有り難いご連絡を頂戴しており、誠に有り難いことだと、感謝しています。
 話は変わりますが、今週の木曜日(6月4日)だったと思いますが、NHKの夜11時からのニュースで、北方四島のご出身の皆さんがお墓探しに行くことをロシア当局が許可し、87歳になる方が三歳で死別した次男のお墓を探しに行くことが紹介されていました。これは、いわゆる墓参りではなく、かつて、島々に点在していた古いお墓の所在を改めて確認するというもので、高齢の皆さんが多いため、事前の調査も入念に行われており、地図を見ながら、往年の町並みなどを思い出そうと努力している様子は、話の次元があまりにも違いすぎて失礼かとは思いますが、「60年代通信」を作っている私の姿に重なってしまいました。
 私の場合、この「60年代通信」で、当時の様々な事象と自分が生まれ育った新潟県長岡市という空間とを振り返ることで、言ってみれば、その物理的には取り返すことの出来ない「時空」の再構築を試みようとしているわけで、そこには、対象となる「時空」への強い思い込みが存在しています。それは、ひょっとすると、「思い込み」などという言葉ではなく、「情念」というような言葉で表現されるべきものかもしれません。
 しかし、私の場合、その気になれば、いつでも、その空間には戻ることが出来ます。たとえ、その空間に存在しているものの姿が、往時とは多少、異なった形になっていたとしても、です。また、事象にしても、文字なり画像なりで資料を収集することも可能ですし、それなりの環境も用意されています。
 ひるがえって、三歳で死別した次男のお墓を探しに北方四島へ向かう老人は、50年以上も前の、自身の記憶だけを頼りに、取り戻すことの出来ない「時空」を手繰り寄せるべく、懸命の努力を払うことになるわけです。この老人の場合、「時間」と「空間」だけでなく、かけがえのない我が子という肉親への思い、何物にも勝るであろう「無我愛」が加わるわけで、「情念」というものに重さがあるとしたら、地球にも匹敵するほどではないかとさえ思われます。
 僅か3年という短い時間に交錯した自分と息子の人生、半世紀にわたって自由な往来さえ許されなかった息子の骨を埋めてきた島、その時間と空間に対する老人の情念に思いをいたす時、言葉を失ってしまうのは私だけではないと思います。
 その重さや深さは違うかもしれませんが、このページにアクセスされる皆さんの失われた時空に対する思いは、恐らく、本質的には、そんなに変わらないのではないかという気もしておりまして、そんなことを考え始めると、趣味で始めたホームページとはいえ、この「60年代通信」の作り込みも、仇やおろそかにはできないと、身の引き締まる思いもしてきたりするわけです。
 ということで、今週末も、疲れた体にムチ打ってデータ更新に励ませていただこうと思いますので、今後とも、よろしくお願いいたします。

主宰者敬白

1998.05.30
 皆さん、今晩は。
 今週も、先週に引き続き、仕事の忙しさがハンパではなく、木曜日の夜は徹夜に近い状態まで追い込まれましたが、それでも、月曜日から金曜日まで、毎日、Eメールを頂戴し、木曜日はサボってしまいましたが、月曜、火曜、水曜、金曜と、実に4回もデータ更新を行うことができました。
 本当に、皆様から頂戴するEメールは、私の元気の素であり、この「60年代通信」の推進力といっても過言ではないと思います。
 さて、今週は、何といっても、月曜日(5月25日)にYahoo! JAPANの「今日のオススメ」のコーナーで、この「60年代通信」が紹介され、月曜日の1日だけで、前代未聞、空前絶後の1015アクセスという驚異的かつ奇跡的なアクセス件数を記録したことが最大の出来事でありました。今週の最大の出来事というよりも、恐らく、この「60年代通信」がいつまで続くか分かりませんが、「60年代通信」史上でも、最大の出来事として、永く、語り継がれていくことでありましょう。
 この奇跡のような出来事を後世に伝えるべく、「60年代通信 HOT TOPICS/「60年代通信」、奇跡の1000アクセス/dayを達成」という、極めて、我田引水、自我自賛的なページも、急遽、作らせていただきましたので、ご関心のおありの方は、どうぞ、ご覧下さい。
 それにしても、先週のこのコラムでは、金曜日の時点で、「60年代通信」ホームページ版の開設以来、初めて、週間アクセス数が100件を超えたということで、大喜びしたばかりだったのに、その僅か1週間後には、週間アクセス数が1300件を超えるというような事態に至っておりまして、主宰者自身が、大いに戸惑っているところです。
 先週のこのコラムでも書かせていただいた通り、今週の月曜日には、Yahoo! JAPANの「今日のオススメ」のコーナーで取り上げていただいたばかりか、大手接続プロバイダー・BEKKOAME系のインターネット情報誌「KONPEITO」の記事でも紹介され、その「KONPEITO」のホームページからもリンクを張っていただくなど、先週は、「60年代通信」パブリシティ・ウィークといったような趣きでもありました。
 先週、「空恐ろしい気もします」とも書かせていただき、その予感は、いい意味で当たってしまったことになるわけですが、何れにしろ、昨年4月のホームページの立ち上げから1年1カ月、昨年12月に、主な検索エンジンサイトなどにURL登録をさせていただいてからだと僅か半年しか経っていないわけですが、その間に、ASCIIのホームページのコラムで取り上げていただいたり、Yahoo! JAPANや「KONPEITO」でご紹介していただいたりということで、本当に、ホームページを作ってきて良かったと喜んでおります。
 月曜日の1015件というアクセス数は特異な現象としても、先週の土曜日から、1日当たりのアクセス件数が50〜80件くらいに跳ね上がってきており、これまでだと週間アクセス数に相当するような件数になってきています。
 今まで、この「60年代通信」をご覧いただき、ここに至るまで私に元気を与え続けて下さった皆様には、改めて、御礼を申し上げさせていただくと同時に、先週から今週にかけて、Yahoo! JAPANの新しいカテゴリなどから、このホームページを見つけてアクセスしてくださった皆様にも、御礼を申し上げさせていただきたいと思います。
 今後も、できる限り、いろいろな視点から、様々な対象を取り上げさせていただき、「60年代」への思いを、皆様と共に深めさせていただこうと考えておりますので、今後とも、よろしくお付き合いくださいますようお願い申し上げます。

主宰者敬白

1998.05.23
 皆さん、こんにちは。
 今週は、今年の初めから動き出した会社のプロジェクトがいよいよ佳境に入り始め、月曜日から金曜日まで、ウィークデーは全て帰宅が翌日になるというような状況に追い込まれました。それでも、月曜日には、YFさん、TFさんという二人の方からEメールを頂戴し、「お便りコーナー」のページで紹介させていただきましたので、一応、1回だけではありましたが、課題の「ウィークデーのデータ更新」というものをさせていただくことが出来ました。
 TFさんは、1970年代のお生まれで、現在、まだ、20代の方でいらっしゃいますが、ジャッキー吉川とブルーコメッツの大ファンということで、ブルコメ特集ページカルトクイズにも全問正解され、私も驚いてしまいました。早速、お約束のサイン入りブロマイドの画像を送らせていただいております。TFさん、改めまして、ありがとうございました。
 さて、先々週のこのコラムで、「久しぶりに日曜日から金曜日まで6日連続のアクセス数2桁という歴代2位タイの記録を達成」と書かせていただきましたが、結局、土曜日は1桁にとどまり、1位タイの実現はなりませんでした。
 ところが、翌日の10日から昨日(22日)までで、何と連続13日のアクセス数2桁という新記録を達成しておりまして、結果的に、先週は、歴代最高のアクセス数、今週にいたっては、金曜日までの時点で、週間アクセス数が初めて100の大台を突破してしまいました。
 連休明け以降、アクセスの勢いが連休前と比べ、はっきりと変化してきておりまして、主宰者としては嬉しい反面、突然の変化に戸惑いすら感じているのが実状です。
 今週の初めにEメールをいただいたYFさんは、Yahoo!Japanの「今日のオススメ」というコーナーで、この「60年代通信」が紹介されていたのを見て、アクセスしてくださったということでしたので、ASCIIのホームページで紹介された時と同様に、紹介された事実そのものを「60年代通信 HOT TOPICS」として取り上げさせていただこうと思い、Yahoo!のカスタマー・サービスに問い合わせてみたところ、「残念ながら今までに貴サイトを私どもの『今日のオススメ』のコーナーで取り上げた履歴は残っておりませんでした」という悲しいメールが返ってまいりました。
 ところが、続けて、「しかしながら、改めて貴サイトを拝見したところ、非常に内容が充実しており、ぜひユーザーの方に広く紹介させていただきたく思います」という嬉しいメールでもあったりしたわけでありまして、来週の月曜日(25日)に、本当に「今日のオススメ」のコーナーで取り上げていただくことになってしまいました。
 まさしく、「やぶヘビ」じゃなくって、「ヒョウタンからコマ」というヤツでありまして、改めまして、YFさんにはお礼を申し上げなければなりません。YFさん、どうもありがとうございました。
 ということで、5月2日付のこのコラムでも書かせていただいた通り、25日には、大手接続プロバイダーの「BEKKOAME」の機関誌「KONPEITO」でも「60年代通信」をご紹介していただけるということでしたので、私としては、若干、空恐ろしい気持ちもあるものの、来週の展開を楽しみにさせていただいているというわけであります。
 何れにしても、こうして、各方面から、それなりのご評価を頂戴できるようになってきたのも、ひとえに、これまで、この「60年代通信」をご覧いただき、私に元気を与え続けてくださった皆様のお陰でありまして、本当に感謝しなければいけないと思っています。
 これからも、皆様と、“60年代”への思いを共有させていただけるよう、細々ではありますが、データ更新に励ませていただこうと思いますので、引き続き、お付き合い下さいますよう、よろしくお願い申し上げる次第であります。

主宰者敬白

1998.05.16
 皆様、こんにちは。
 今週は、火曜日と金曜日に、この「60年代通信」をご覧になった方からEメールを頂戴して「お便りコーナー」で紹介させていただき、、水曜日には、「60年代の広告/4枚タッタ200円〜1963年版」のページをアップしましたので、会社の仕事が今年に入ってから最も忙しい状況であるにもかかわらず、何と、ウィークデーに3回もデータ更新を行うという快挙を成し遂げることができました。
 Eメールを頂戴したAkiraさん、Iさん、どうもありがとうございました。
 さて、またまた、私事に及んで恐縮ですが、連休最後の5月5日の子供の日に、多摩川の河原で長男と野球をしている時、ベース上で交錯し、ダイビングするような形で胸から直接、地面に倒れ込んでしまい、直後の1週間は「ちょっと痛いな」というくらいの感じでしたが、先週の日曜日には、世田谷の羽根木公園で子供たちと遊んでいるうち、痛みが尋常ではなくなり、今週の月曜日に、京王線の中河原駅前の整形外科でレントゲンを撮ってもらったところ、右の上から2番目の肋骨の硬い骨と軟骨の接合部がズレているらしいことが判明し、今週は、痛み止めの経口薬と湿布で何とかゴマかすという苦しい一週間でありました。
 しかも、木曜日の朝には、持病の腰痛も再発する始末で、胸の痛みと腰の痛みに耐えつつ、寄る年波というものを実感した次第であります。
 なぜ、こんなことを書いているかと言いますと、レントゲンを撮ってもらった中河原の整形外科の待ち合い室に、「平成10年度成人病健康審査について」という府中市の広報ビラが貼ってあり、その実施要領のところで、「40歳(昭和33年生まれ)=受診券送付」と書かれており、私より3年も後に生まれた人たちが今年は、40歳の大台に乗るのだということに唖然としてしまった、という事実が一つ(本人は、呆れたことに、自分が40代であり、今年4月で43歳になるという現実を、日常的には、殆ど、意識していないわけでありまして…)。
 さらに、この唖然とした気持ちに追い討ちをかけたのが、その下に書かれていた「41〜49歳(昭和24〜32年生まれ)=一般公募」という表記でありました。つまり、自動的に受診券が送られてくる昭和33年生まれで今年40歳になる人たちはともかく、自分で応募しなければいけない41〜49歳の人たちというのは、昨年以前に40代に達しているという括りでは、「同世代」ということになるわけであります。
 この「60年代通信」のホームページをご覧いただいている皆様の中には、昭和20年代生まれの方々もいらっしゃり、昭和20年代前半のお生まれの方からもEメールを頂戴したりしておりますので、こういう言い方は、誠に失礼で、心苦しい限りではありますが、正直に言わせていただくと、整形外科の待ち合い室に貼ってあった府中市の広報ビラを見て、「そうか、俺は、昭和24年生まれとも同世代という見方もあるんだ」と愕然としたのでありました。
 人間というのは、誠に勝手なものでありまして(ひょっとすると私だけかもしれませんが…)、昭和30年生まれの私は、自分では「昭和30年代生まれ」という範疇に自分を位置づけておりまして、例えば、昨日、Eメールを頂戴した昭和39年生まれのIさんの場合、私の方では、勝手に「同世代」という風に考えさせてもらったりしているわけです。
 そのIさんは、頂いたEメールの中で、長幼の序への気配りでもあるのだと思いますが、「(主宰者より)はるかに若い年代です」とお書きになっておりまして、私のような図々しいオヤジに対する予防線を張っていらっしゃるような形になったりしているわけでもありますが…。
 またまた、ダラダラと訳の分からない文章になってきておりますので、この辺で切り上げさせていただこうと思いますが、要するに、私としては、昭和30年という節目の年に生まれた者の責任(?)として、昭和20年代生まれの諸先輩、昭和30年代生まれの仲間たち(?)、さらには、昭和40年代生まれの皆さんまで、幅広くお楽しみいただけるホームページを目指して、引き続き努力する所存でございますので、今後とも、よろしくお願いいたします。

主宰者敬白

1998.05.09
皆さん、こんにちは。
 今週は、前半がGWに重なっていたということもありますが、火曜日(5日)に新しいページをアップさせていただきまして、一応、いわゆるウィークデーでのデータ更新を久しぶりに実現することが出来ました。
 その甲斐があったのか、それとも、連休明けで皆さんのインターネット環境が普段通りに戻ったということなのか、今週は、久しぶりに日曜日から金曜日まで6日連続のアクセス数2桁という歴代2位タイの記録を達成することができました。
 現在、この文章を打ち込んでいるのが、土曜日の19:00過ぎでありまして、今日は、まだ、アクセス数が1件にとどまっておりまして、この後、今晩から明朝にかけてのアクセス状況次第では、歴代1位タイとなる7日連続のアクセス数2桁の達成がなるかどうかという状況になってきています。
 GWの間に、ウェルカム・ページだけは、リニューアル風なことをさせていただきまして、これまで、「INDEX」のところは、それぞれのカテゴリー名だけで、そのメニュー内容については、カテゴリーのトップページに行ってみるまで分からない作りになっていましたが、今回のリニューアルで、一部のカテゴリーを除き、基本的には、このウェルカム・ページでメニュー・リストを確認していただけるようになりました。
 しかし、逆に、ご覧いただいて分かるように、こういう形にしてみると、改めて、カテゴリーによって、そのメニューリストの多寡にかなりのバラツキのあることが、はっきりと分かるようになってしまいました。
 主宰者としましては、できるだけカテゴリー毎のデータ量に偏りが生じないよう、平準的にデータ更新を進めていきたいと考えているわけですが、折りに触れ言及させていただいている通り、3DKの狭いマンションでは、私の資料の置場が足りないため、貧乏であるにも関わらず、2駅ほど離れたところにアパートの一室を借りて資料室にしているほか、長岡の実家や、友人宅などに資料が分散している関係上、どうしても資料の制約などから、カテゴリー毎の偏りが生じてしまうのが実状であります。
 苦し紛れに、リアルタイム・ネタの「アストロボーイ フーセンガム」というような連載企画なぞに頼っている事情も、ご賢察いただければと思う次第です。
 ということで、これだけのカテゴリーを揃えさせていただきながら、いまだに空っぽのままだったりというカテゴリーもあり、アクセスいただいている皆様の中には、ご関心のおありになるカテゴリーのメニューが少なく、がっかりされている方もいらっしゃるのではないかと思います。貧しい我が家の住環境が改善される日まで、(そんな日は永久に来ないのではないかとも思われるわけですが…)、どうか、長い目で見守っていただきたいと伏してお願い申し上げる次第です。
 現状では、大風呂敷を広げながら、内容が全く追いついていないわけでありまして、“羊頭狗肉”の謗りは免れないとは思いますが、皆様の寛大なるお気持ちをもちまして、どうか、ご容赦いただきたいと思うわけであります。
 色々と言い訳をすることの多いコラムとなってきていますが、今週も、出来る限りデータ更新に励もうと思いますので、引き続き、よろしくお願いいたします。

主宰者敬白

1998.05.04
 皆さん、こんにちは。
 楽しい連休をお過ごしでいらっしゃいますか。
 私は、今、東京都府中市にある「郷土の森」という公園で、この“60'sえれじい”を打ち込んでいます。貧乏な我が家は、ゴールデンウィークだからといって、泊りがけで旅行になど出かけるわけにはまいりませんので、京王線で百草園から2駅の中河原まで一家5人で出てまいりまして、中河原の駅から歩いて15分ほどのところにある「郷土の森」にやってきました。
 昨日は、夕方、やはり、同じ中河原の駅まで次男とやってきて、別宅の家賃を駅前の不動産屋さんに払いに来たばかりで、聖跡桜ヶ丘によって買い物をして帰る時、いつもの日曜日に比べると、電車が異様に混んでいて、やはり、最近は、貧乏な家が多いのかなとか思ったりしましたが、今日の「郷土の森」は、いつものお休みの日に比べると、駐輪場の自転車が半分くらいしか置いてありませんでした。
 貧乏な我が家は、「郷土の森」に来る途中、ホカ弁屋さんで最も安い「のり弁」を買ってきましたが、貧しいので5人家族なのに4つしか買えませんでした。それでも、外で家族揃って食べるお弁当は、チープな弁当の代名詞ともいえる「のり弁」でも、おいしいものです。
 「郷土の森」には、パラソルのついたテーブルが幾つか置いてある広場があり、その側にあるステージでは、トリオ+ギターという4人編成の若いバンドがジャズの演奏をしてくれていました。ジャズを聞きながら「のり弁」を食べるというのも、オツなものであります。
 今日は、この後、中河原の銭湯に寄って大きな湯船のお風呂につかった後、、聖跡桜ヶ丘のトンカツ屋でトンカツを買い家に帰って夕飯を食べるという予定です。
 貧しい家庭の、GW唯一のイベントは、「郷土の森」+「のり弁」+「銭湯」+「トンカツ」=安上がりの幸福、という公式を確認することでありました。
 一応、1.5ギガながら持参した携帯電話のアンテナ表示も3本立っており、携帯電話に接続するモデムカードさえあれば、このまま、FTP転送をするという本格的なモバイル・インターネットが出来るわけですが、貧乏なので、まだ、携帯電話用のモデムカードはありませんので、家に帰ってから、データ更新を行うことになります。
 連休も残すところ、あと1日となってしまいましたが、皆様も、どうぞ楽しいGWをお過ごしください。

主宰者敬白

1998.05.02
 皆さん、こんにちは。
 いよいよGW(ゴールデン・ウイーク)に突入いたしましたが、如何お過ごしでいらっしゃいましょうか。
 我が家は、お金がGWW(ゴーン・ウイズ・ザ・ウインド)でありまして、どこにも行けずに、4連休初日の土曜日の朝から、いつもの週末と同じように、この「60年代通信」のデータ更新に励んでいるという次第であります。
 さて、前回も書かせていただいた通り、この「60年代通信」ホームページ版も、昨年4月の開設以来、お蔭様をもちまして、1周年を迎えることが出来ました。これも、ひとえに、皆様のご支援の賜物と、改めて、感謝申し上げたいと思います。ありがとうございます。
 1周年ということで、ホームページ全体のリニューアルでも行いたいところではありますが、毎週末にシコシコとデータ更新するような、全くの家庭内手工業制で作成している関係上、それは叶わぬ夢でありまして、しょうがないので、せめて、このトップページだけでも、イメージを一新しようと、今回は、題字回りだけ、ちょっとリニューアルっぽいことをさせていただきました。デザイン的には全くの素人ではありますが、自分では、それなりに、工夫をしたつもりです。如何でしょうか。
 ここのところ、データ更新のペースが、今年初めに比べると落ちてきているとも書かせていただきましたが、そのことも関係しているのか、それとも、すでに、先月末から連休モードに入っていらっしゃる方が多いためなのか、今週は、アクセス数がいつもの週の半分くらいにとどまってしまい、ちょっと、がっかりしながらも、また、頑張らなければと思っています。
 アクセス減少で落ち込み気味の私ではありましたが、昨日、接続プロバイダー大手「BEKKOAME」の会員誌「KONPEITO」の編集を担当されている方から、「60年代通信」を会員誌で紹介し、そのホームページ
からもリンクを張ってくださるという趣旨のEメールを頂戴し、また、元気が盛り返してきているところです。
 ホームページ開設から1年、昨年12月に主要検索エンジンサイトなどにURL登録をさせていただき、本格的にアクセスをいただくようになってから約5カ月。少しずつではありますが、口コミならぬ、いわゆるネット・コミュニケーションで、色々な方からEメールを頂戴したり、リンクを張っていただいたりということで、着実にご覧いただいている方も広がってきているようです。
 この連休はもちろん、これからも、「60年代」への思いを皆様と共有させていただけますよう頑張っていこうと思いますので、また、今後とも、よろしくお願いいたします。

主宰者敬白

1998.04.26
皆様、おはようございます。
 先週も、またしても、ウィークデーのデータ更新はなりませんでした。前回のこのコラムで、「以前のような4〜5件ペースのデータ更新を試みるべく準備を進めてまいりましたので」「データ更新作業に励みたいと思っております」と書かせていただいたにもかかわらず、それは果たせませんでした。素材的には、そこそこ揃えてありましたが、結局、忙しさに紛れて、加工・編集作業にまで手が回らないまま、今日にいたっています。
 今回のデータ更新では、とりあえず、前回アップした「狼少年ケン」のページに、『ぼくら』に連載されていた当時の絵が見つかりましたので、改めて、入れ込みました。それから、今月の初めに、長岡の実家に帰った際、近所にある数少ないトッテツの“遺跡”であります鉄橋の残骸の様子をビデオで撮影してまいりましたので、「60年代の町並み/トッテツの部」に「しもながおか〜しもにいぼ間の栖吉川鉄橋」という形でまとめてみました。
 昨日は、次男を連れて、恒例の品川駅電車見学ツアーに出掛けたのですが、京王線で新宿に向かっている途中、調布をすぎた辺りで次男が眠ってしまったため、新宿から、そのまま、乗っていた特急を降りずに、家に帰ってきました。新宿から戻ってくる時、私達の向かい側の席で、たまたま、隣り合ったおじさん達が、調布まで楽しそうに世間話をされていました。昔は、たまたま、隣り合った他人同士が世間話をするという光景は、銭湯や公共輸送機関の中などで、よく見られたものですが、最近は、そういうシーンを見ることが久しくなかっただけに、心暖まる思いで、おじさん達のお話を聞かせていただいておりました。
 でも、やっぱり、自分だったら、きっと煩わしい気持ちが先に立ってしまって、ああいう風には出来ないだろうな、とも思ったりして、ちょっと大袈裟ですが、こういう風にして、世代が代わるたびに、日本人の行動様式も変化していくことになるのだろうと考えたりしたわけであります。
 「60年代通信」を主宰させていただいている以上、そういうことではいけないのではないかと自責の念に囚われたりもするわけですが、基本的に、いい年をして、“人見知り”が激しいということもあり、こういうホームページやEメールのような形でしか、他人様との世間話を楽しめない私を許してほしいとも思ったりするわけです。
 ということで、やはり、このインターネットというコミュニケーション手段は、極めて、今日的なメディアであることは間違いないのだろうなという結論にいたりつつあるのですが、でも、ホームページやEメールを契機に、オフライン・ミーティングを楽しんでいる皆さんもいらっしゃるようですから、それも、バランスを欠いた議論になってしまいそうです。
 ただ、少なくとも、こんな私が主宰させていただいている「60年代通信」に限って、オフライン・ミーティングの場を用意させていただくというようなことは、きっとないだろうなと思いながらも、「60年代通信」ホームページ版の開設1周年記念イベントとして、やらせていただいてもいいのかなとか、将来的には、月光仮面や七色仮面、まぼろし探偵や海底人8823、鉄腕アトムや鉄人28号、バカボンのパパといった、60年代の活劇ヒーローやキャラクターのお面やカブリものに限定した仮想パーティーなども悪くないな、などとほくそえむ、日曜日の朝から錯乱気味な危ないオヤジなのでありました。

1998.04.18
皆様、こんにちは。
 今週も、また、ウィークデーのデータ更新が出来ないまま、一週間が過ぎてしまいました。
 昨年の秋から今年初めにかけては、一週間に4〜5件というような、限りなくデイリーベースに近いペースでデータ更新に励んでまいりましたが、さすがに、ここのところ、忙しくなってきていることと、春先のせいか、心身ともに今一つキレが悪い感じで、ちょっとペースが落ちてきているというのが実状です。
 それでも、データ更新を行う度に、関連するテーマについては、逐一、ページリンクを張り直しておりますので、一度ご覧になられたページでも、一定のインターバルで再訪していただきますと、また、そのテーマについて、新たな側面から捉えなおしていただいたりというようなこともあるのではないかと思います。更新頻度はちょっと落ちていますが、サイト内部での充実度は着実に深化してきていると自負しておりますので、そういう観点からもご覧いただけると大変に有り難いと思ったりもしています。
 来週の水曜日(4月22日)で、この「60年代通信」ホームページ版も、お陰様をもちまして、開設1周年を迎えることとなりますので、本来であれば、トップページの大幅なモデルチェンジなどのリニューアルをしようと考えていたのですが、それもままならず、ゴールデンウィーク明けまでには何とかということで宿題にさせていただこうと、思い直している次第であります。
 この文章は、毎週土曜日恒例となりました次男の希望による“新宿・品川電車見学ツアー”の途中、ザウルスで打ち込んだものでありますが、とりあえず、今週末から来週にかけましては、何とか、以前のような4〜5件ペースのデータ更新を試みるべく準備を進めてまいりましたので、これから家に帰ってデータ更新作業に励みたいと思っております。
 ということで、皆様、今後とも、よろしくお願いいたします。

主宰者敬白

1998.04.11
皆様、こんにちは。
 いきなり私事で恐縮ですが、私は、昨日(4月10日)、43回目の誕生日を迎えさせていただきました。
 1955(昭和30)年の4月10日、新潟県長岡市で生を受けてから、既に43年もの歳月を空しく過ごしてしまったわけであります。
 この「60年代通信」を着想したのが30代の半ばでありまして、同人誌版のダミーを初めて作ったのが30代最後の年、ニュースレター版の第一号が一昨年の5月、このホームページ版を立ち上げたのが昨年の4月のことでした。「60年代通信」の準備を始めた時点からでも、既に10年近い歳月が経過しておりまして、今更ながら、時の流れの早さというものを実感しております。
 このホームページでも、随所で折りに触れ書かせていただいておりますが、私が東京に出てきた1974(昭和49)年までの20年間と、東京に出てきてからの20年間というものを振り返ってみますと、前半の20年間というのは、後半の20年間の数倍、あるいは、数十倍の長さがあったような感じがしています。
 前半の20年間、つまり、1955年から1974年までの20年間こそ、まさしく、この「60年代通信」の対象とさせていただいている期間でもあるわけですが、極めて個人的な言い方をすれば、やはり、この「60年代通信」というのは、今の私の時間感覚では恐らく数十年分もの密度の濃い時間が凝縮された形となっている60年代をコアとする20年間に及ぶ歳月を、私の個人的な体験をベースに濃縮還元させていただくという作業に他ならないのだろうという気がいたします。
 その個人的な体験をベースにした濃縮還元作業に対する理解を頂戴し、“60年代”への思いを共有していただいている皆様に、改めて、感謝の気持ちをお伝えさせていただくと同時に、この「60年代通信」を、私の個人的な体験をベースとしている現在の形から、もう少し世界を広げていくことが出来るよう、皆様からのご協力を頂戴いたしたく、お願いをさせていただきたいと思う次第であります。
 ということで、43回目の春を迎えた錯乱気味な中年男のワンダーランドと末永くお付き合いくださるようお願い申し上げまして、私の誕生日の挨拶に代えさせていただきたいと思います。
 今後とも宜しくお願いします。
 ご静聴、ありがとうございました。
         (パチパチパチ…)

主宰者敬白

1998.04.05
 皆様、こんんちは。
 先週は、金曜日に会社を休ませていただきまして、木曜日の夜に東京を発ち、新潟県長岡市にあります私の実家に来ています。
 金曜日は、休みをいただいたにもかかわらず、結局、昼過ぎまで、実家に持ち帰ったノートパソコンで会社の仕事をしておりましたので、今回の帰省の主な目的の一つであった図書館での資料のコピーは諦め、廃線となった栃尾鉄道の線路跡をビデオカメラに収めたり、市内の本屋を回ったりしてきました。
 土曜日は、当初の予定通り、朝から閉館時間まで図書館に入り浸って、色々と調べ物をしたりコピーを取ったりしてきましたので、その成果物は、何れ、この「60年代通信」でもご紹介させていただこうと思っています。
 ということで、今回は、週末のデータ更新が大幅に遅れております。アクセスいただいた皆様には、大変、申し訳なく思っております。
 今日(4月5日)、夕方の新幹線で東京に戻りますので、日曜日の深夜から月曜未明にかけてのデータ更新になると思いますので、よろしくお願いします。

主宰者敬白

1998.03.28
皆様、こんにちは。
 今週は、再び、仕事が忙しく、お約束していた「60年代の映画」の「大魔神/後編」の1回だけしかデータ更新ができませんでした。今月末から来月、再来月辺りまでは、仕事の方が殺人的な忙しさとなりそうな状況となってきておりますが、この「60年代通信」だけは、何とか、データ更新が維持できるよう頑張ろうと思っていますので、今後とも、よろしくお願いします。
 さて、今週は、ちょっと心配なニュースが報じられました。一部のスポーツ紙などでは、既に、昨日の時点で記事が掲載されていましたが、昨27日の夜、漫画家の赤塚不二夫大先生が、都内の事務所で会見し、自ら食道がんであることを明らかにされました。
 この「60年代通信」でも、昨年の11月、上野の森美術館で開催された「赤塚不二夫展」を取材して、特別レポートとしてご紹介させていただきましたが、「おそまつくん」「ひみつのアッコちゃん」「天才バカボン」「もーれつア太郎」など数々の名作漫画を描き、イヤミ、チビ太、デカパン、ハタ坊、レレレのおじさん、ホンカン、ウナギイヌ、ニャロメ、ケムンパスなど数々のキャラクターを世に送り出してきた赤塚不二夫は、紛れもなく戦後ギャグ漫画のパイオニアとして新しい漫画文化の創出に大きな役割を果たしてきています。その代表作の大半は1960年代に描かれたものであり、戦後ギャグ漫画の代表的作家である赤塚不二夫は、20世紀の日本大衆文化史に燦然と輝く60年代サブカルチャーの隆盛を担った鬼才でもあります。
 赤塚不二夫が生み出した数多くのキャラクターの中でも、バカボンのパパは日本漫画史における空前絶後の存在として、その不世出とも言うべき偉大さは、筆舌に尽くしがたいものがあり、私の生涯を通じ最も尊敬する人物の一人と位置づけられております。
 その赤塚不二夫大先生が病に侵されているというニュースに接し、輝く60年代文化の語り部として「60年代通信」を主宰させていただいている立場から、また、そうした立場を離れ、一人の熱狂的赤塚ファンとしての立場からも、大先生の病状を案ぜずにはいられません。
 新聞報道などによりますと、赤塚大先生は昨年暮れに吐血し、病院で検査の結果、食道がんであることが判明しました。医師から「2カ月後には食事ができなくなる」と告知され、緊急手術を受けるよう勧められたものの、「手術で苦しむのはいやだ」と拒否して退院。その後、酒量こそ減らしたものの「ストレス解消の薬だからやめられない」と言って、タバコも酒も続けられているそうであります。昨晩の事務所での記者会見も、焼酎のお湯割りを飲みながらのものだったと伝えられています。
 私も、周囲で何人かの方々が赤塚大先生と同じ病に倒れておりまして、手術だけが必ずしも最善の選択肢とは限らないという事実を見聞してまいりました。しかし、かといって、酒とタバコを続けることも決して最善の選択肢ではないだろうという思いも断ちがたいわけですが、何れにしても、赤塚大先生が、その常人の域をはるかに超える卓抜した想像力で、この最も厄介な病気とも仲良くお付き合いされ、一日でも長く、元気に漫画を描き続けられるよう、ただひたすらにお祈り申し上げるのみであります。

主宰者敬白

1998.03.21
 皆様、こんにちは。
 今週は、何と言っても、水曜日にデータ更新された“ASCII”のホームページのコラム“INTEROCITER”で、この「60年代通信」を取り上げていただき、リンクまで張っていただいたということが、主宰者として非常に嬉しいことでありました。
 毎度、申し上げている通り、自分の趣味で勝手に作らせていただいているホームページではありますが、その趣旨に共感してアクセスいただいている皆様がいらっしゃるということ、さらに、その共感をEメールで伝えて下さる方までいらっしゃるということは、何事にも代え難い喜びとなっているわけでありまして、その上に、プロフェッショナルとしてホームページの紹介・評論をされている方に、その評論の対象としていただいたことに、非常に感激しております。
 「60年代通信」を取り上げていただいた“INTEROCITER”というコラムページそのものは、嬉しさのあまり、既に、水曜日の時点で詳しくご紹介させていただいていますので、まだ、ご覧になられていない方は、ぜひ、覗いてみて下さい。そちらでは、触れさせていただいておりませんが、今回の“INTEROCITER”で取り上げているホームページのリンク集ページもあり、「ネオ・ノスタルジアとしか呼びようのない音楽を作り出す楽隊」と形容されている“たま”の公式サイトとして漫画雑誌『ガロ』ホームページ内にある「ガロたま通信」や、テレビの深夜番組などでお馴染みのパラダイス山元さんのサイト「ラテン専科」などと並列の関係で、この「60年代通信」が紹介されておりまして、この辺りも、従来のメディアでは考えられない、いかにもインターネット的な現象として興味深いと思います。
 そのリンク集のページで、この「60年代通信」は、「面白くてためになるという、まるで学研の雑誌のような労作」と過分な評価をいただいておりまして、あんまり嬉しいので、今回のデータ更新から、このトップページの題字横に、その画像データをそのまま貼り付けさせていただくことにしました。
 ということで、今週末から来週にかけても、これを励みに、データ更新に勤しもうと考えておりますので、また、よろしくお願いいたします。

主宰者敬白


1998.03.14
 
皆様、こんばんは。
 今週は、仕事が非常に忙しく、ウィークデーのデータ更新が全く出来ませんでした。
 基本的には、実際に、ホームページにアクセスしてみなければ、データが更新されているかどうか分からないわけですが、何故か、こちらがデータ更新を頻繁にした週には、それなりのアクセス数になり、データ更新が出来ないままでいると、アクセス数もそれなりの水準に留まってしまうようです。
 先週は、過去最高の週間アクセス数を記録して喜んでいたのですが、今週は、前週比でほぼ半分に留まってしまい、以前と同じような水準となりました。
 仕事の忙しさは変わりませんが、とにかく、何らかの形でウィークデーのデータ更新が出来るよう、色々と工夫をしていこうと考えていますので、よろしくお願いします。
 さて、昨日、大手OA機器メーカーの新横浜にある事業所に勤務されているSKさんという方から「訂正依頼」のEメールを頂戴しました。
 恐らく、長岡市立阪之上小学校を卒業された方ではないかと思われますが、この「60年代通信」の「60年代の町並み」で何度か紹介させていただいている阪之上小学校の表記について、私が、ずっと「坂之上小学校」と誤記してきていたため、ご指摘をいただいたものです。早速、今回のデータ更新から、正しい表記に改めさせていただきました。SKさん、ご指摘、どうもありがとうございました。これに懲りずに、今後とも、よろしくお願いいたします。
 趣味で細々とやっているホームページではありますが、少しずつ、ご覧いただいている方々の幅も広がってきているようで、当方の存じ上げない方からも、色々とEメールを頂戴するというようなケースの頻度も少しずつ上がってきて、今更ながら、インターネットの世界の素晴らしさを実感しております。
 皆様も、お気づきになられた点や、ご意見、ご感想、ご批判など、何でも結構ですので、ぜひ、Eメールをお送りいただければと考えております。
 皆様からお聞かせいただくお声だけが、このホームページの原動力となっておりますので、どうか、私に元気を与えて下さいますよう、よろしくお願いいたします。

主宰者敬白

1998.03.07
皆様、こんにちは。
 今週は、日曜日と水曜日と金曜日、そして、今日の土曜日と、計4回にわたりまして、データ更新を行うことができました。その甲斐あってか、今朝の時点で、既に、週間アクセス数としては過去最高の新記録を達成しておりまして、誠にありがとうございます。引き続き、頑張ってデータ更新に励みますので、よろしくお願いします。
 皆様、既に、お気づきかと思いますが、今年初めから、この「60年代通信」のトップページの右肩にある画像は、データ更新を行うたびに、その新規のメニューの中で使った画像を貼り付け、画像から文書内リンクで飛べる仕掛けにさせていただいております。今週は、たまたま、「青春歌謡」の舟木一夫の画像と「広告」のシチズン時計の画像のどちらも学生服でありまして、ちょうど、進学・進級シーズンに重なる形となりました。まるで学生服特集のようでありますが、私は学生服フェチではありません。
 さて、今週は『週刊少年マガジン』(1998年3月11日号)が発行部数で再び『週刊少年ジャンプ』を抜いて日本一に返り咲き、“日本一記念大スペシャル号”ということで、“創刊号から現在まで、面白さの秘密すべてみせます!!”と銘打ち、創刊号からの主な表紙写真やアイドルもののグラビアページ、これまでに連載された主な作品などを紹介する特別企画が掲載されています。編集部スタッフの年齢の故なのか、1970年代以降が中心になってはおりましたが、1960年代の話題も少ないながらも取り上げられており、私も、懐かしく楽しませていただきました。
 こうした企画を見るにつけても、1960年代前半、つまり、昭和30年代後半までは、私の個人的趣味もあるかもしれませんが、連載作品のラインナップなどを見ると、『週刊少年サンデー』の方が『マガジン』を上回っていたような気がします。その辺は、順次、「60年代のマンガ」のコーナーなどで、きっちりと検証させていただきます。
 また、『ビッグコミック・オリジナル』も、現在の発売号である3月20日号が通巻700号に当たるということで、“通巻700号特別企画”として「プレゼント付カルトクイズ」や「作品年表」などが掲載されていて、こちらも楽しませていただいております。
 この辺も、次回以降のデータ更新のネタのヒントとして活用させていただこうと思っておりますので、また、来週もよろしくお願いします。

主宰者敬白

1998.02.28
皆様、こんばんは。
 「60年代通信」にアクセスいただいている皆様は、やはり、30代、40代の方が中心でいらっしゃると思われますが、本当に、お忙しい中、ホームページをご覧いただき、ありがとうございます。
 個人の趣味でやっているホームページとはいえ、前回の「60年代の町並み」の「長岡編・映画に見る60年代の長岡/青春の鐘(4)坂之上小学校附近の福島江岸」のデータをサーバーにアップした後、改めて、オンラインで確認してみて、今更のように気がついたのでありますが、誤字や脱字、それから、妥当性を欠く表現や言い回しがちょっと多すぎるのではないかと、愕然としました。
 そして、改めて、わざわざ、このページにアクセスしてご覧いただいている皆様に、大変、申し訳ない気持ちになったというような次第で、この場を借りまして、お詫び申し上げたいと思います。前回もそうだったのですが、特に、航空写真などを使って場所の説明をさせていただく時に、平気で右と左を取り違えているケースが少なくないようです。この右と左の取り違えは、他のページでも数箇所にわたって発見されておりまして、気がついたところから順次、直すようにはしておりますが、皆様も、そういう過ちが多いホームページであるということを踏まえた上で、ご覧をいただき、おかしいなと思われるところは、ご自分で辻褄が合うように修正していただきながら、お読みいただいたり、また、もし、出来れば、Eメール等でミスのご指摘をいただけると有り難いと思ったりしています。
 誤字・脱字・表現の妥当性の欠如といった辺りは、まだ、お読みいただく皆さんの方でご修正いただける分だけ救いはあるのですが、リンクのミスや画像データの指定ミスなどは、ご覧いただいている皆様には、どうすることも出来ず、非常にフラストレーションをお感じになるものだと思います。
 この「60年代通信」も、かなり、ボリュームが膨らんできていること、先日、こちらの手違いで、データの移し替えを半ばパニック状態に陥りながら行ったこと、などの事情で、そうしたリンク・ミス、画像データの指定ミスというようなフラストレーションだけが残るようなケースも出てきているかもしれません。もし、そうした箇所を発見された場合には、誠に、お手数をおかけし、恐縮至極ではありますが、Eメール等でご指摘をいただければ誠に有り難いと思っている次第です。
 本来であれば、きちんとした推敲などを行った上で、ご覧いただくべき筋合いのものであることは、重々、承知しておりますが、少しでも多くの事項を取り上げさせていただきたい、あるいは、コンテンツの鮮度を維持するため、あまり時間をかけずにアップデートの作業を完了させたい、というような気持ちが先に立ってしまい、どちらかというと、粗製乱造の嫌いは否定できない状態であります。そうした状態は、出来る限り改善を図るべく努力はいたしますが、皆様にも、ご理解とご協力をいただければと思う次第です。
 今回は、言い訳コラムになってしまいましたが、よろしくお願いいたします。

主宰者敬白

1998.02.25
 皆様、こんばんは。
 前回、自分で「皆様、インフルエンザに気をつけましょう」と書かせていただきながら、不覚にも、月曜日の夜から発熱してしまい、昨日は会社を休ませていただくハメに陥ってしまいました。週末にアップし切れなかったデータを月曜、火曜のウィークデー前半に入れ込もうという私の目論見は果たされず、データ更新を期待してアクセスされた皆様には、ご期待に添えず、申し訳ありまませんでした。
 毎度、私事ばかりに言及させていただいて誠に恐縮ですが、先日も、書かせていただいた通り、月曜日は一昨年の秋以来、2度目の胃カメラ検査を受診したため、日曜日の夜8時過ぎから絶食状態に入りました。しかも、胃カメラ検査が月曜日の午後2時過ぎからで、喉の麻酔が取れたのは夕方6時近くで、月曜日の夜は渋谷で人と会う約束があり、昼食も夕食も取らずに、飲み屋に出掛ける形となってしまい、日ごろ、目一杯食べることで何とか体を持たせてきている私にとって、僅か丸1日の絶食でも、そのダメージは大きかったようで、一気に風邪引き状態に陥ってしまったようです。また、寒い中、空腹状態のまま、喉の麻酔が取れるまでの間、検診センターのあった高円寺だけではもの足りず荻窪まで足を伸ばし、中古レコード屋さんや古本屋さん廻りをしたことも、ボディブローとなったようです。
 でも、その代わり、高円寺の中古レコード屋さんで、以前、無くしてしまい生涯の痛恨事と思っていたブルーコメッツのソノシート・ブックを発見し、500円という破格の値段で購入できたばかりか、荻窪の古本屋さんでも、何と、1960年代後半のメンコのバラ売りに遭遇するという僥倖にも恵まれました。その他にも、野口五郎の初期のLPや太田裕美のシングル盤など、収穫は小さくありませんでした。この辺りの収穫物は、また、順次、このホームページで紹介させていただくことになると思いますので、お楽しみに。ですから、風邪は引いてしまいましたが、元は十分に取れたと思っています。
 体調の方は、まだ、完全復活には、ほど遠い状況ですが、日曜日の時点で、ほぼ完成に近い状態にあった「60年代のTVCM」の「森永チャピーちゃんキャラメル」のデータだけフィニッシュまで持ち込んで、ウィークデーでのデータ更新というお約束を果たさせていただこうと思いますので、よろしくお願いします。

主宰者敬白

1998.02.22
皆様、こんにちは。
 長野オリンピックも今晩の閉会式で幕を閉じるわけですが、終わってみれば、金メダル5個をはじめ、合計10個という過去最高のメダル獲得数となったそうで、開催そのものの是非も含めて厳しい見方があったり、開催前の話題も低迷するなど、低調な雰囲気だった割には、かなり盛り上がりを見せたオリンピックだったように思います。
 私も、結果的には、かなり、オリンピックにハマッてしまう形となりまして、この「60年代通信」につきましても、一部の方からは「『60年代通信』というよりは『オリンピック通信』のようだ」というご指摘も頂戴したりしましたが、また、本来のペースに戻すべく頑張りますので、よろしくお願いします。
 ということで、この週末は、4〜5本のネタを入れ込む意気込みでいたのでありますが、昨日、私の手違いで、現在、利用しているサーバーの利用可能領域を、4メガバイトに設定してしまい、すでに、この「60年代通信」が15メガバイトほどのボリュームになっているため、新たにデータを入れられなくなったばかりか、既存のデータの修正すら出来ない状態に陥ってしまいました。
 そこで、先日、URL変更をしたばかりではありましたが、止む無く、改めてサーバー容量を拡大する手続きを取らせていただきましたので、皆様には、度々お手数をおかけし、誠に恐縮ですが、再度、URLが変わることになったというわけです。
 昨日から今日の未明にかけて、新しいサーバーの方にデータをすべて手動で移管するという作業に時間を取られてしまいましたので、結果的に、22日(日曜日)お昼の時点で、新規のデータは、「60年代のイベント」の「ミスタージャイアンツ〜長島茂雄/神宮の森に“スーパースター”誕生」しか入っておりません。
 本来であれば、「60年代の町並み」や「60年代のマンガ」などを中心に、4〜5件のデータ更新をする予定で、それなりの仕込み作業もしてきていますから、この後、何本かは入れ込みたいと思ってはいますが、結果的に、昨夜は徹夜に近い状態になってしまい、体調があまり芳しくないこと、しかも、明日は、先月の人間ドックの結果、前回に続き胃カメラの検査を受けることになっていること、などの悪条件が重なっているため、どこまで頑張れるか不安ではありますが、一応、努力はしてみようと思っていますので、あまり期待せずに、適当にアクセスしていただければと思っております。
 そういうわけで、今週も、ウィークデーのこまめなデータ更新も試みようと考えていますので、よろしくお願いします。
 巷では、インフルエンザが依然、猛威をふるい続けているようですから、皆様も、お体にはくれぐれもお気をつけ下さい。

主宰者敬白

1998.02.17
 皆様、こんばんは。
 土曜日の深夜といいますか、日曜日の未明に、一昨日のラージヒルでの原田選手の金メダルを祈願して、1972年に開かれた札幌オリンピックの時の70メートル級ジャンプでの「金・銀・銅」の画像をゲンかつぎに紹介させていただき、めでたく船木の金メダル、原田の銅メダルという結果に大喜びをしたわけでありますが、これに続き、今日は団体戦でも悲願の金メダルが現実のものとなり、何の利害関係もない私も、素直に喜ばせていただいております。
 今更、何をか言わんやという感じもいたしますが、金メダルが決まった直後の、ほとんど廃人のようになってしまったヘロヘロ状態の原田を見て、この4年間、彼が耐えつづけてきた重圧の凄まじさに思いをいたさずにはいられませんでした。夕方のTVニュースを一緒に見ていた同僚の一人からは「女々しい」という声も出ましたが、金メダルを取ってこそのヘロヘロ状態だったわけでありまして、仮に、1本目が終わった時点の4位のままでメダルも取れずに終わってしまっていたら、当然、別のパフォーマンスを強いられることになっていたはずで、その残酷さを思うと、他人ごとながら、本当に金メダルが取れて良かったと思わずにはいられません。
 別の言い方をしますと、チームとして金メダルと取ったことによって、原田は、ようやく本当の自分をさらけ出すことができたわけで、逆に言えば、彼自身、団体で金メダルを取るまでは、本当の自分をさらけ出すことは許されないと考えていたのではないかと思います。ですから、仮に、原田が1本目も2本目も135メートルを超えるような大ジャンプをやっていたとしても、チームとしてメダルが取れなかったとしたら、原田は、やはり、最後に本当の自分をさらけ出すことはしなかったのではないかと思います。その意味で、原田は原田なりの“哲学”というか“男の美学”というものを完結させることが出来たわけで、試合後のインタビューで原田が「4人で力を合わせてさ、メダルを取ったんだよ。4人でタスキを渡しあってさ…。皆んな、最高だ」と答えていた言葉の中には、多分、その自分の“哲学”を完結させてくれたチームメートに対する感謝の意味も込められていたのではないかと思うのです。
 そんなことを考えながら、ヘロヘロ状態で泣き崩れる原田が、80メートルに満たなかった1本目のジャンプについて「つらかった。また、皆に迷惑をかけるのかと…」と語り、「雪で見えなかったのでは」と問われて「屋根ついてないから、しょうがないよね…」と無心に答える様子を見て、私も、胸に込み上げるものを禁じえませんでした。
 ということで、本当に「60年代通信」の趣旨とは全く関係ありませんし、皆様も、いやというほど目にされているでしょうが、金メダル祈願をさせていただいたという行きがかりもある関係上、ジャンプ団体戦の画像を金メダル獲得記念祝賀特別企画ということで入れ込ませていただこうと思いますので、よろしくお願いいたします。

1998.02.15
皆様、今晩は。
 この週末は、会社の仕事とプライベートな用事に、かなりの時間を取られてしまい、データ更新は2件だけということになってしまいました。申し訳ありません。
 オリンピックの影響によるアクセス数の減少を心配しておりましたが、それ以前に、主宰者の方がオリンピックのテレビ放送にはまってしまっているという状況も少なからずあり、結果的に、データ更新の時間が食われてしまっているという側面も否定できません。でも、仕込みは少しずつ行ってありますので、今週も、先週に引き続き、ウィークデーでのデータ更新も何件かは出来るかと思いますので、お許しください。
 不埒な主宰者の救いとなるのがEメールでありまして、東京都品川区のITさんに続き、今夜も、「60年代通信」の舞台であります地元・新潟県長岡市にお住まいのIIさんからEメールをいただきましたので、早速、「読者の皆様からの暖かい励ましのお便りコーナー」でご紹介させていただきました。IIさんは、まだ20代でいらっしゃいますが、私の出身校であります新潟県立長岡高等学校のOBホームページなどのメンテナンスをされるかたわら、この「60年代通信」の「リンク集」でもご紹介させていただいている「ストーンサークル・ブラザース」というクールでシブ目のホームページで、ご兄弟による情報発信も行っていらっしゃる方です。長岡の今を知る貴重なホームページであり、特に、川崎小学校、東北中学校のOBで、長岡を離れてしまっている皆さんには、非常に嬉しいコンテンツとなっていますので、ぜひ一度、ご覧になられてはいかがでしょうか。
 ということで、この週末は、はっきり言ってサボらせていただいたわけでありますが、昨晩、「がんばれ!ニッポン特別企画」という訳の分からない苦し紛れの手抜きページで「札幌五輪」の日本ジャンプ陣による“金銀銅”の快挙を紹介させていただきつつ、原田選手の金メダル祈願を行わせていただいたところ、1・2・3フィニッシュには至らなかったものの、ラージヒルで船木選手の金、原田選手の銅という1・3フィニッシュという素晴らしい結果がもたらされ、私も、原田選手のインタビューには泣かされてしまいました。
 かくなる上は、明後日のジャンプ団体戦でも、4年前のリレハンメルでの悔しさを何としても晴らしていただきたく、皆様と共に、日本ジャンプ陣の健闘をお祈り申し上げたく思う次第であります。
 データ更新も、また、頑張りますので、よろしくお願いします。

1998.02.14
皆様、今晩は。
 今日は、バレンタインデーでしたが、皆様、いかがお過ごしでいらっしゃいましたでしょうか。私は、もう、チョコレートがもらえなくなって何度目のバレンタインデーになるのか、すっかり分からなくなってしまいました。
 それはともかく、今週は、先週の公約通り(?)、ウィークデイにも何度かデータの更新を行うことができました。特に、今週は、東京都品川区のITさんという強力なサポーターの方が登場してくださったおかげで、精神的にも、物理的にも、随分、助けていただく結果となりました。ITさん、改めまして、ありがとうございました。
 ITさんから頂いたEメールの中にあった「キャプテン・ウルトラ」についても、近いうちに「60年代のテレビ」で取り上げさせていただく予定ですので、ご期待ください。
 さて、今週は、長野オリンピックが開幕し、こういうビッグイベントが始まるとホームページのアクセス数にも影響が出るものではないかと心配しておりましたが、金曜日の時点で、歴代2位のアクセス数を維持しており、ほっとしています。
 ところで、私も、スポーツ番組を見るのは大好きですので、結構、オリンピック中継にはまってしまっておりますが、やはり、リレハンメルでコケたジャンプの原田選手のことが大変に気になっておりまして、ノーマルヒルでも再びコケてしまい、ますます彼のことが気になってきています。年齢的にも、原田選手は今回が最後の五輪になるのではないかと思われ、船木くんには次回もあるだろうということで、ここは一つ、何としてもラージヒルでは原田選手に頑張っていただきたいと念じております。
 ということで、昨年の春に、この「60年代通信」ホームページ版を立ち上げてから手付かずのままになっていたメニューの一つである「60年代のイベント」で“札幌オリンピック”を取り上げさせていただき、あの笠谷・金野・青地による「金・銀・銅」の画像をゲンかつぎに入れ込んでみました。
 原田クン、今度こそ、自信を持って長野の空に舞い上がるのだ!!

1998.02.07
皆様、今晩は。
 またしても、まるまる1週間のブランクが空いてしまいました。
 2週続けて、まるまる1週間のブランクを空けてしまったためなのでしょうか、1月の第3週に12月の第4週と並ぶ歴代最高の週間アクセス数を記録して喜んだばかりだったのに、1月の第4週は過去の平均的なアクセス数に戻り、さらに、2月の第1週、つまり今日2月7日で終わる今週は、各検索エンジンサイトにURL登録を行った昨年12月以降では、過去最低水準のアクセス状況に終わりそうな気配となっております。
 しかも、今週の水曜日には、昨年12月11日以来、ほぼ2カ月ぶりにアクセス数ゼロを記録し、私は、大きく落ち込んでしまったという次第でありました。
 これも、ひとえに、私がデータ更新を怠ったためであり、仕事が忙しかったとはいえ、深く反省をいたしております。
 自分で好きなようにホームページを作っているわけですから、たとえお一人であっても、アクセスして下さる方がいらっしゃれば、それを喜ぶべきなのでしょうが、やはり、アクセス数が増えてくると、それなりの、水準は維持したくなるのが、人情というものでありまして、今度の週末は、心して仕込み作業に専念し、週末の間に3〜4件、来週中にも2日に1度くらいの割でデータ更新が出来るよう頑張ろうと思っておりますので、皆様におかれましても、よろしくお付き合い下さいますよう、改めて、お願い申し上げる次第です。
 今回は、以前から、ネタの準備だけはしてあったGSもので、ブルコメの「青い瞳」(日本語版)とタイガースのデビュー曲「僕のマリー」のデータをアップさせていただきます。
 明日以降のデータ更新もご期待ください。

主宰者軽薄
(真実ですが「敬白」の誤りです)

1998.01.31
 皆さん、今晩は。
 ちょうど、まるまる一週間にわたりデータ更新をできないままになっておりまして、せっかくアクセスいただいているのに申し訳ありません。
 実は、本来であれば、今晩のうちに新たなネタを3つ、4つアップする予定でしたが、仕事が忙しく、今日も、日中は会社に出て仕事をしていたため、新規のメニューを作成することができませんでした。
 会社に行く電車の中で、向かい側に座っていたおじさんのスポーツ新聞の1面トップに石ノ森章太郎さんが亡くなられたという記事が掲載されていて、驚きました。昨年は藤子不二雄・Fさんが亡くなられたばかりで、いわゆるトキワ荘組の皆さんが他界されるたびに、淋しい気持ちが募ります。これまでは、著名人が亡くなったというニュースを聞いても、それは、本当に単なるニュースでしたが、最近は、手塚治虫さんにしろ、渥美清さんにしろ、リアルタイムでその作品に接してきた皆さんが亡くなられたというニュースを聞くと、胸が痛むと同時に、どうしようもない寂しさが込み上げてきて、まるで身内の人間を亡くしたかのような気分になってしまいます。
 年のせいもあるでしょうし、まさしく、このホームページのテーマでもある「60年代」が遠のいていく悲しさであることも確かなような気がします。
 今回のデータ更新で「60年代のテレビ」のメニューとして予定している「快傑ハリマオ」も石ノ森氏の初期の代表作でありました。
 仕事は、まだ、終わっておりませんが、今晩から明朝にかけまして、「快傑ハリマオ」と、恐らく、石ノ森氏の生涯を通じての代表作と言うべきであろう「サイボーグ009」を緊急掲載させていただくことにします。
 本来は、武蔵野市のSOさんからリクエストのあった「伊賀の影丸」のデータをアップするつもりで、準備を進めておりましたが、石ノ森氏を偲んで、「テレビ」「マンガ」とも氏の作品にさせていただきますので、悪しからずご了承ください。
 石ノ森氏のご冥福を心からお祈り申し上げたいと思います。
 ということで、アクセスいただいた皆様には、データ更新が遅れていることを改めてお詫びしつつ、今後とも変わらぬご支援をお願い申し上げる次第です。

主宰者敬白

1998.01.24
 皆さん、こんにちは。
 今年に入ってから、トップベージのフレーム分割を続けてまいりましたが、また、前の状態に戻すことにしました。
 昨年暮れに、Yahoo!やInfoseek、NTT Directoryなど主立った検索エンジンサイトへのURL登録をさせていただき、その結果、アクセス数も徐々に増えてきていることは以前にも書かせていただきました。不思議なもので、1日平均のアクセス数が5件くらいだったのが、10件くらいになり、さらに、日によっては20件くらいになってきたりすると、何とか安定的に20件前後のアクセス数を維持できないかなと欲が出てくるもののようです。
 そのため、内容の拡充を図るべく、70年代ネタの入れ込みを始めたり、更新頻度をできるだけ上げたりというような努力もしてきているわけですが、この「60年代通信」というサイトの存在を一人でも多くの方に認知していただかないことにはどうしようもありません。そこで、全文検索の強力なサーチエンジンであるgooにもURL登録をさせていただこうと考えたわけですが、gooは今のところフレーム分割には対応していないということでしたので、フレーム分割を止めることにしたという次第です。
 デザインや内容のレベルアップが目的ではありませんので、そういう意味では、非常に不純な動機と言えるかもしれません。基本的には、ワン・トゥ・ワンのメディアであるインターネットの場合、個人ページのアクセス数など、そう簡単に増えるものではないと思いますが、それでも、やっている以上、一人でも多くの方に見ていただきたいというのが正直な気持ちでありまして、また、その気持ちだけが、こうした報われない努力の支えとなっているわけでもあります。
 なお、今回から、このコラムのタイトルを「『60年代通信』編集室から」というのはやめまして、“60'sえれじい”に改めさせていただきます。今年の年賀状で、親戚・友人・知人の皆様に「60年代通信」の宣伝をさせていただいたところ、会社の上司の一人が、「早くインターネットに対応して『60年代エレジー』を見させてもらおう」とボケをかましてくださいましたので、そのありがたいお言葉をそのまま使わせていただくことにしました。
 ということで、今後とも、よろしくお願いします。
主宰者敬白

1998.01.21
 皆さん、今晩は。
 実は、今日から1泊2日の人間ドックに入っておりまして、この文章は、東京都杉並区にある病院から指定されている阿佐ヶ谷のホテルの部屋で打ち込んでいます。
 毎度のことながら、仕事に追われておりまして、人間ドックの宿泊ホテルにまでノートPCを持ち込んで、来月行われる業界団体主催のシンポジウム用の資料作りなどをする合間に、息抜きを兼ねて、こんなことをしているわけです。今時は、こんなビジネスホテルでも、ちゃんとパソコン通信用のモジュラージャックが備えられていますので、モデムを内蔵しているPCと電話線さえあれば、簡単にインターネットも利用できるので、本当に便利なものだと思います。
 実は、私は、学生時代から独身時代にかけて、杉並区の荻窪というところに12年間も住んでいたことがあり、この青梅街道に面した宿泊ホテルは、その当時通っていた銭湯も徒歩圏内に入っているため、一昨年初めてこの病院で人間ドックを受診した時に、センチメンタル・ジャーニーというかノスタルジー・ツアーも兼ねて、ずっとここで検診を受け続けようと決心した次第です。ただ、前回の受診の時は、10月でしたので、歩いて15分くらいの銭湯へ行くのは、さほど苦になりませんでしたが、今回は、この1月のクソ寒いさなかですので、人間ドックに入って風邪でも引いて帰るハメになったらタマらないなと思い始めておりまして、この期に及んで、迷えるオヤジと化しています。
 明日は、午前中にバリウムを飲むため、22時以降は水分の摂取も禁じられており、既に9時を回っている状況を考えると、これから銭湯に行った場合、湯冷めどころか風邪を引いてしまう可能性が大きい上に、風呂上がりに冷たいものも飲めないという事態に陥ってしまいそうなので、今回は、ホテルの部屋にある私のきらいなトイレと一緒のバスルームで我慢することになりそうです。
 ということで、60年代通信の趣旨とは、あまり関係のないヨタ話をお読みいただくハメになり、恐縮ですが、先週から入れ込みを始めた70年代ネタというのは、その多くが、この荻窪の学生時代に体験した部分でもありますので、明日も、また、人間ドックの受診が終わった後、この界隈をウロウロして当時に思いを馳せながら、来週以降の70年代ネタの入れ込みへの決意を新たにしようと思う次第であります。
 で、今日は、手持ちのネタもないため、今週末にアップロードするつもりで予めPCのハードディスクに入れてあった、70年代前半の紅白歌合戦の出場者・曲目リストをデータ更新のネタとさせていただくにとどまりますので、よろしくお願いします。

1998.01.18
 皆さん、こんにちは。
 東京は、今日も朝から冷たい雨が降り続いておりまして、ここのところの天候は、私の故郷の新潟県長岡市のように、寒い暗い天気が続いています。岡山育ちのウチのカミさんは、雪かきに慣れていないため、一昨日のマンション総出の雪かき作業を15分くらいやっただけで、体が痛い痛いとボヤいております。
 さて、前回、この「『60年代通信』から」を書かせていただいた後、山口百恵に続いて、今度は正真正銘の60年代ネタである橋幸夫の青春歌謡のページを作らせてもらっていますが、そのため、百恵を聞いた直後に橋幸夫を聞くというようなことをやっていますと、結構、そのギャップとに疲れるものだというようなことを、改めて認識したりしています。
 今回は、昨年4月に、この「60年代通信」ホームページ版をスタートしてから、ずっと手付かずの状態になっているメニューのひとつだった「60年代のテレビ」のページを作らせてもらいました。そちらのページでも書かせていただきましたけれども、本来は、「七色仮面」とか「快傑ハリマオ」、「ナショナルキッド」、「白馬童子」といったような、テレビの初期のいかにも60年代という番組から手を付けるつもりでしたが、先日、せっかく、この「60年代通信」がスタートして以来初のリクエスト・メールを頂戴いたしましたので、そのリクエストにお応えして、「仮面の忍者・赤影」から始めることにしました。
 皆さんも、どうぞ、あれが見たい、これが知りたい、それはこうだったんじゃないか、という辺りのご意見・ご希望をご遠慮なくお聞かせくださいますよう、改めましてお願い申し上げます。

1998.01.15
 皆さん、こんにちは。
 東京は、今年3度目の本格的な雪に見舞われております。明け方から湿めっぽい感じのボタン雪が降り始め、時々、風を伴なって吹雪状態にもなっており、集合住宅の6階にあるウチのドアの前にも雪が積もっています。さきほど、お昼の肉まんとウドンに入れる竹輪とあげ玉を、ハス向かいのセブン・イレブンに買いに行ったところ、すでに、15〜20センチ近い積雪となっていました。外に出たがる3歳の次男を連れて行ってきましたが、道路を横断する際は、抱き上げなければならないような状態でした。
 天気予報によると、まだ、これから雪は強まるということで、東京では、本当に久しぶりの大雪となりそうです。
 さて、予告させていただいた通り、今回のデータ更新で、「山口百恵デビュー25周年記念特別企画:70年代アイドル“不死鳥”伝説」の中の「山口百恵ディスコグラフィー」がスタートしました。
 まったく偶然なのですが、今週の月曜日に日本テレビの番組で山口百恵とピンクレディーを特集したものがあり、スター誕生に出演した時の写真なども紹介されていましたので、早速、画像データを取り込んで、使わせていただいております。
 私の歌謡曲人生の中でも、大きな存在を占めている山口百恵という歌手の歴史を振り返りながら、70年代アイドル史研究のようなことを展開しつつ、先行する60年代、続く80年代にも思いをいたしてみたいと考えております。
 よろしくお付き合いいただきますようお願いいたします。
 なお、各種の60年代ネタにつきましても、引き続き、データ更新を続けてまいりますので、こちらも併せて、よろしくお願いします。
主宰者敬白



1998.01.11
 皆さん、こんにちは。
 楽しい週末をお過ごしになられたでしょうか。
 年が明けましてから7回目のデータ更新をさせていただきました。
 トップページの作りが若干、変わりました。データ更新日とデータ内容のリストがかなりの量になってしまいましたので、昨年11月分までは、別ページに分けました。
 それから、アクセスをいただいている皆さんの中に、私達よりも少し若い世代の方が多いこともありまして、「60年代通信」と銘打ってはおりますが、次回のデータ更新から「70年代」ネタも少しずつ入れ込んでいくことにします。もちろん、「60年代」や「50年代」のネタも並行して、入れ込んでいきます。
 「70年代ネタ」としましては、手始めに、今年がデビュー25周年に当たる山口百恵のディスコグラフィー辺りから作業を進めていこうと思っています。
 アクセス数が増えてきている割には、皆さんからの声があまり聞こえてきませんので、この後の展開をどうしようかなと迷いも出てきております。何か、取り上げて欲しいテーマなどがございましたら、ご遠慮なくお聞かせいただければと思います。
 よろしくお願いします。

1998.1.9
 皆様、こんにちは。
 一週間のご無沙汰でした。司会のタマ大きいヒロシです、などとふざけている場合ではありません。誠に失礼をいたしました。
 さて、現在、1月9日の午前1時10分を少し回ったところですが、東京は、昨日のお昼過ぎから降り出した雪が、まだ降り続いております。私の住む集合住宅沿いの道路を走る車も、時折り、深夜の静寂を破るチェーンの音を残して、通り過ぎています。
 明日の朝までに、東京も20〜30センチの積雪が予想されるということで、首都圏の交通機関の全面的なマヒを見越して、深夜にこんなものを書いておりますが、電車が正常通りだと、また、遅刻をしてしまいそうであります。
 今年初めから、このコラムの上に登場したペンギンも、さぞかし喜んでいることでありましょう。
 実は、このペンギンはJAVAアプレットとかいうやつで、本当は、南極のイメージファイルを背景に、トコトコと歩くはずのものですが、その設定の仕方がよく分からず、すでに1週間にわたって、固まったままになっているのですが…。
 さて、年明けの4日を最後に、仕事が忙しく、データ更新を行えないまま過ぎておりまして、毎日10件前後のアクセスをいただいているだけに、申し訳なく思っております。
 今週の週末には、何ページ分かデータ更新を行う予定ですので、もう少し、お待ちください。
 それから、また、サーバー容量が不足状態に陥りつつあるため、既に、容量拡大の手続きを完了しております。それに伴い、2度目のURL変更を行うことになりますので、たびたび、お手数をおかけしますが、ブックマークの変更等よろしくお願いします。データの移し替えが終わり次第、新しいURLをお伝えします。
 それでは、皆様、良い週末をお迎えください。

1998.1.2
 皆様、新年明けましておめでとうございます。
 今年も「60年代通信」とお付き合いいただきますようよろしくお願いいたします。
 昨年4月に細々と立ち上がりました「60年代通信」も、昨年暮れにYahoo!やInfoseekなど主な検索エンジンサイトにURL登録をさせていただき、少しずつではありますが、着実にアクセス数も増加してきており、喜んでおります。これも、ひとえに、皆様のご支援の賜物と深く感謝いたします。
 さて、私は、大晦日に長岡の実家に帰り、今日2日の午後に東京に戻る予定です。
 休み中にやるはずだった会社の仕事が思うようにはかどっておりませんので、「60年代通信」のデータ更新は、とりあえず、2日正午過ぎまでで、暫く、お休みとさせていただきます。といいながらも、仕事の合間の息抜きに、ゲリラ的なデータ更新もやるかもしれませんが…。
 この後は、多分、週明けの5日以降からのデータ更新となると思いますので、よろしくお願いします。
 それでは、皆様、今年も元気で明るくお過ごしください。疲れた時、淋しい時には、いつでも、「60年代通信」でお待ち申し上げております。    

主宰者敬白

P.S.フレーム分割をしたのはいいのですが、各ページからホームページへ戻るボタンのリンクをそのままにしていたため、戻るボタンをクリックすると、左のフレームがさらに2分割されるというような状況になってしまっていたのを2日の深夜に気がつきまして、ようやく全ページについて修正を加えました。ページ数が増えてきてリンクのミスなど本人も気がついていないミスが沢山あるのではないかと思います。
 ご覧いただいている上に、お手数おかけし恐縮ですが、ミスを発見された方は、Eメールでご連絡ください。よろしくお願いします。


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