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この「60年代通信」というホームページは、基本的に、60年代を中心として前後する50年代や70年代も含めて、当時の様々な事象を振り返りながら、私達が幼少期・思春期を過ごした時代の意味合いなどを、ノスタルジーにも浸りつつ、考えてみようという趣旨で作らせていただいていることは、折りに触れ、紹介させてきていただいている通りです。年号が平成に変わった1990年代の現在も、そうした「60年代通信」の趣旨にも通じるテーマで開催されている様々なイベントは沢山あるわけでありまして、そうしたイベントには、出来る限り、足を運び、このホームページの中で、「60年代通信」HOT
TOPICSとして紹介させてきていただいております。
昨年の10月、上野の森美術館で赤塚不二夫展が開催された際には、イベントの開催告知を自主的に行わせていただくと同時に、二度にわたって赤塚不二夫展を訪れ、「60年代ギャグマンガの帝王・赤塚不二夫、上野の森美術館に登場」というタイトルのページを作らせていただきました。
ですから、すでにページをアップしてから、ほぼ1年の歳月が経とうとしているわけですが、先日、美術系オンライン・マガジン『nmp(network
museum & magazine project)』[http://www.dnp.co.jp/museum/nmp/]の編集担当の方から、Eメールを頂戴し、評論家の呉智英さんが『nmp』に執筆されている連載記事「マンガの国日本5」の関連情報として、「60年代通信」の「60年代ギャグマンガの帝王・赤塚不二夫、上野の森美術館に登場」のページにリンクを設定するととともに、そのページで使用している「天才バカボン」の表紙写真bakabon.gifを流用させていただきたいという連絡を受け、インターネット上での著作権の問題などについては、基本的にクリアできる旨の確認もさせていただいた上で、リンクを張っていただくことにしました。
「60年代通信」というホームページ自体が個人的な趣味のページであり、さらに、その中の「60年代ギャグマンガの帝王・赤塚不二夫、上野の森美術館に登場」というページは、まさに個人的な思い入れそのもののような内容であるわけですが、そんなページであるにもかかわらず、美術系オンラインマガジンの『nmp』などという格調の高いページから、リンクを張っていただき、主宰者としては、天にも舞う気持ちで喜ばせていただいている次第です。
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『nmp』というホームページは、頂いたEメールによりますと、「1996年7月、大日本印刷株式会社が参加した『インターネット
1996ワールドエキスポジション』を機会に開設された美術系オンライン・マガジン」だそうでありまいて、「展覧会レヴュー・批評・インタヴューなど」が掲載されています。
「60年代通信」の「60年代ギャグマンガの帝王・赤塚不二夫、上野の森美術館に登場」にリンクを張っていただいたのは、その中にある「マンガの国・日本」という連載は、評論家の呉智英さんが「マンガをめぐる日本の状況を海外に紹介する目的でnmp
internationalのために書きおろされたもの」でありまして、そのまま、英文のホームページに転載され、海外の方もお読みになっているものであります。
呉さんは、「日本は世界に冠たるマンガ大国」となり、「その様子はテレビや新聞を通じて世界に報道され、また人気作品は合法的にまた海賊版として外国に紹介されている」ものの、「それらは断片的なものであり、日本マンガを全体として理解することは外国人には難しい」と指摘し、概観的なことや基礎的なことも踏まえて、マンガをめぐる日本の状況を解説されています。
ざっと、その論旨の展開を各章のタイトルを追う形で紹介させていただきますと、「1.日本現代マンガの概観」〜「日本マンガの隆盛」「日本マンガの特質」「日本マンガの流れ」、「2.情報マンガと石ノ森章太郎」〜「『マンガ・日本経済入門』の登場」「才人・石ノ森章太郎」、「3.手塚治虫と現代マンガの表現技法1」〜「近代散文の出現に比される手塚治虫の登場」、「3.手塚治虫と現代マンガの表現技法2」〜劇画の出現と物語マンガへの融合」、「4.時代劇マンガと代表的作家」〜「戦前戦後の時代劇」、「白土三平の登場」、「5.現代マンガは笑いをどう描いてきたか1」〜「笑いを目的とするマンガの名称」、「5.現代マンガは笑いをどう描いてきたか2」〜「赤塚不二夫の登場」というような流れになっております。
日本のマンガ状況など、概観くらい、それなりに分かっていたようなつもりの私も、非常に興味深く読ませていただき、この「60年代通信」をご覧になっていらっしゃる皆さんの中で、この辺りのマンガ状況への理解を深めたい方には、是非、一読されることをお勧めしたいと思います。
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ということで、肝心の、今回、「60年代通信」へのリンクを張っていただいた「マンガの国・日本5 現代マンガは笑いをどう描いてきたか」について、ちょっと詳しく見てみたいと思います。
呉さんは、まず、「戦後、物語マンガが大きく伸張し、笑いを目的とするマンガを圧倒するようになったけれど、今なお笑いはマンガの重要なテーマである」と強調されています。
さらに、笑いを目的とするマンガについて、大略として「風刺マンガ」「ナンセンスマンガ」「ギャグマンガ」の3つに分類されるとし、「風刺マンガ」「ナンセンスマンガ」の2つのカテゴリーは、既に、旧世代マンガ家の手に委ねられており、現在、笑いを目的とするマンガの主流は「ギャグマンガ」にあるという見方を示されています。
その「ギャグマンガ」については、「ギャグとは本来は、場当たり的に発せられる冗談の意味であるが、後述する1960年代の笑いの革命以後、笑いを目的とするマンガをギャグマンガと総称するようになった」というのが呉さんの定義であります。
「60年代通信」の「60年代ギャグマンガの帝王・赤塚不二夫、上野の森美術館に登場」のページにリンクを張っていただいたのは、この次のページの「現代マンガは笑いをどう描いてきたか2」の「赤塚不二夫の登場」という部分でありまして、『天才バカボン』の画像ファイルの下に「60年代通信」へのリンクを設定していただいております(右の2枚の画像のうち、下の画像)。
その赤塚不二夫について、呉さんは、次のように書かれております。
「赤塚不二夫の登場
戦前はもちろん戦後20年ほどは、笑いを描いたマンガは笑話や落語を絵画化したという域を出るものではなかった。剽軽な人物たちがお道化たり失敗したりするというもので、全体に大きな落ちがついた。
1960年半ばに、赤塚不二夫が出現し、従来の定型を破った。『おそ松くん』『天才バカボン』などは爆発的な人気を獲得した。これらの作品では、登場人物は外形も性格も極端にデフォルメされており、また脇役の方が主役より活躍することも珍しくなく、全体的な落ちよりも唐突に現れる滑稽さが笑いを生んだ。どの点でも従来のマンガにはないことであった。赤塚は数年の燃焼期を過ぎると生彩を失ったが、彼が偉大な開拓者になったことは決して否定できない」
呉さんは、「赤塚は数年の燃焼期を過ぎると生彩を失った」と冷徹にその活躍の軌跡を分析されておりますが、その「数年の燃焼期」が1960年代であったことは紛れもな事実でありまして、呉さんが指摘されているように、赤塚不二夫は、その1960年代に「従来のマンガにはない」分野の「偉大な開拓者」として縦横無尽の活躍をしていたわけであります。
これまで何度も書かせてきていただいている通り、その「偉大な開拓者」として活躍していた赤塚不二夫をリアルタイムで楽しませてもらった私たちには、その赤塚マンガの魅力を後世に語り継ぐという重大な歴史的使命を担わせられているわけでありまして、今後も、「60年代通信」の重要な課題として、その責務を全うできるよう頑張りたいと覚悟を新たにしている次第であります。
そういう意味で、今回、『nmp』というホームページからリンクを張っていただいたことに、改めて、感謝したいと思います。
(C)1998 Kiyomi Suzuki