「驚きももの木20世紀/ブルーコメッツの苦悩」 HP詳報版第1回〜プロローグ・新聞三紙に見る放送当日の番組案内 第2回〜番組本編 (1)GS帝王伝説 第3回〜番組本編(2)青の革命その1 第4回〜番組本編(3)青の革命その2 第5回〜番組本編(4)青い城 第2回〜番組本編 (1)GS帝王伝説(データをアップした日=1998年12月12日)皆様、お待たせいたしました。 いよいよ、今年(1998年)10月30日に放映された「驚きももの木20世紀/ブルーコメッツの苦悩」の番組本編を詳細にわたって紹介させていただくと同時に、短い時間の中では、十分に掘り下げられていなかったと思われる部分などにつきまして、誠に僭越ながら、私の手元にある資料や私の知識の限りを尽くして、ブルコメあるいはGSの核心に少しでも迫ってみたいと思います。 以前も、どこかで書かせていただいたと思いますが、画像のスキャニングと放送のテープ起こしだけで相当な時間がかかっておりまして、幸いなことにと言いましょうか、番組は、導入部分の「GS帝王伝説」以下、「青い城」、「青の夢」、「青の冒険」、「青の行方」、「それぞれの青」という風に、6つのパートに分かれておりましたので、ここでは、そのパート毎に、紹介させていただこうと思います。 ということで、いきなりイタリックの字体から始まりましたが、このコーナーでは、私の地の文章をイタリックにさせていただき、番組として放映された音声部分は普通の字体にしてあります。 能書きはウザッたいと思われる方は、イタリック部分を飛ばして、お読みいただければと重います。
三宅祐司 今夜の驚きもものき20世紀はこの方たちの物語です。 テレビをご覧の皆さんの中にも、この人達の大ファンだった方がいらっしゃるんじゃないでしょうかね。 今から31年前の昭和42年に、ブルーシャトーを大ヒットさせたグループ、ジャッキー吉川とブルーコメッツです。 麻木 ブルーコメッツは、昭和40年代のグループサウンズ・ブームの火付け役となりましたが、ほかのグループサウンズとは、一味違ったといいます。 早速、こちらから、ご覧ください。
ナレーション 昭和40年代、この国に、凄まじい熱狂がありました。 少女たちが叫び、 果ては、失神する。 グループサウンズ。 痺れるほどに、かっこ良かった彼ら。 [主宰者から] 聞き覚えのあるシャガレ声だなと思ったら、ナレーターは元モップスのリードボーカル・鈴木ヒロミツでありました。 「朝まで待てない」のデビュー曲がそこそこヒットし、その後、「ベラよ急げ」などのヒット曲もあり、実力的にも評価の高かったモップスでしたが、一般的には、1970年代に入ってから「月光仮面」のヒット曲は、メンバーの星勝が井上陽水のバックを務めたりしたことなどで知られているような気がしますし、ましてや、今の若い人達は、鈴木ヒロミツが、かつて、人気GSのリードボーカルだったことなど、きっと知らないのではないかと思います。
ナレーション その中に、たった一つ、異色のグループがありました。 格好をつけたつもりでも、どこか地味。 細身のスーツに、髪はいつも奇麗に分けた七三。 でも、彼ら5人がいなければ、 この国に、グループサウンズは誕生しなかったのです。
[主宰者から] 冒頭の番組スポンサーによるCMもなしで、いきなり始まるのが、この「驚きももの木20世紀」でありますが、こうして番組の初めの4分程度で、一気にGSの大ブームを紹介すると同時に、その中で、ブルーコメッツが異彩を放つグループだったという導入部の作り方がされているわけですが、その導入部で映し出されたブルコメのシングル盤ジャケット[左の画像]は、私が提供させていただいたものでありました。シングル盤のジャケットなんて、誰が持っているものだろうと、みんな同じだろうと思われるでしょうが、私の持っているブルコメのシングル盤のうち、もっとも聞き込んでいる「ブルーシャトー」の場合、二つ折りになっていたA面の「ブルーシャトー」とB面の「甘いお話」のジャケットがちぎれてしまい、セロテープで補修してあります。このテレビ画面でも、「ブルーシャトー」のジャケットの左縁だけ、幅数ミリにわたって、セロテープの貼ってあるところだけ色が変わっているのがお分かりになるでしょうか。「60年代通信」の“「ブルーシャトー」レコード大賞受賞 30周年記念特別企画・ジャッキー吉川とブルーコメッツのすべて”の「シングル盤ディスコグラフィーその1」の「ブルーシャトー」のジャケット写真でも、この情けないテープ貼りの跡がはっきりと写っていますので、ご関心のある方は、ご確認いただければと思います。 どうでもいいことと言えば、どうでもいいことなのですが、一応、番組制作への協力ということで、“お宝”の数々を提供させていただいた私としては、その存在照明というような意味合いのことをさせていただきたいわけでありまして、うざったいとお思いになる方もいらっしゃるかもしれませんが、その辺りの私の気持ちもご理解いただければと考える次第であります。
ナレーション ジャッキー吉川とブルーコメッツ。 (森と泉に囲まれて…)
[主宰者から] たびたび、すみません。この「ブルー・シャトウ」を歌っている映像は、恐らく、1967(昭和42)年の大晦日に放送された紅白歌合戦の映像だろうと思われます。 私も、以前、NHKの衛星放送が始まったばかりの頃に、BSで「懐かしの紅白歌合戦」という番組が放映された時には、会社の同僚の親戚の山口県の電気屋さんの方に1966(昭和41)年の紅白歌合戦の再放送を録画していただいておりましたが、「ブルー・シャトウ」でレコード大賞を取った直後の紅白は、ずっと見たいと思いつづけながら、一度も見たことがありませんでしたので、この映像を見ることができただけでも、今回の「驚きももの木20世紀」でブルーコメッツを取り上げていただいて本当に良かったと思っています。 ただ、今回の放送では、肝心のレコード大賞受賞発表音楽会の画像は、動画はおろか静止画さえも出てきませんでしたので、私のアルバムに大事に貼り付けてあるレコード大賞受賞発表音楽会のナマ写真をスキャンした画像をご覧いただこうと思います。すでに、「60年代通信」では、去年の秋から冬にかけてトップページを飾っていた画像ですので、以前から、この「60年代通信」をご覧いただいている方は、覚えていらっしゃるかもしれませんが…。 それから、ちなみに申し添えますと、ブルコメがレコード大賞を取った1967(昭和42)年頃というのは、今のように大晦日の紅白が始まる直前にレコード大賞の発表があるのではなく、12月の初めくらいに発表があり、その後、改めて、受賞発表音楽会というのをやっていたものでした。ブルコメのレコード大賞受賞が決定したのは、確か、12月8日だったと記憶しています。 レコード大賞の発表が大晦日に行われるようになったのは、TBSが独占生中継を始めた1969(昭和44)年、つまり、佐良直美が「いいじゃないの幸せならば」で大賞を受賞した時からだったはずです。
ナレーション 歌など歌ったことのなかったバンドマンに突如、訪れた狂想曲。 彼ら5人は戸惑うばかりでした。
[主宰者から] たびたび割り込ませていただきまして、恐縮ですが、このジャッキーさんのインタビューが収録されている間、私は、この画像でいうと、ジャッキーさんの右手奥の方のテーブルに座り、このインタビューの様子を、文字通り、固唾を飲んで、見守らせていただいておりました。 このインタビュー録りの後、私も、ジャキーさんに、いくつか質問をさせていただき、その後、サインをいただいたり、記念撮影もさせていただいたりということで、ファンとしては模範的な行動をとらせていただいたわけであります。 そのサインと記念撮影の写真をご覧になりたい方は、「60年代通信 HOT TOPICS/ジャッキー吉川さんにインタビューしてきたぞ」をご覧いただければと思います。
ナレーション どうして、こんなにモテるのか。 人気が出れば出るほど、戸惑いは増すばかりでした。
井上大輔(忠夫) 自分たちが目指していたものと違う方向に、世の中が動いているという…。 ナレーション そして、人気絶頂の中、戸惑いは、やがて、焦りと変わります。
ナレーション 長髪でないから、銀行員バンドと呼ばれたブルーコメッツ。 でも、彼らは、間違いなく、この国に革命を起こしました。
すぎやまこういち 今、ニューミュージックと呼ばれているものもね、 実態は、グループサウンズなんですよ。 [主宰者から] たびたび申し訳ありません。すぎやまセンセイのこのコメントについては、ちょっと、補足させていただく必要があると思いますので、またまた、割り込ませていただきます。 すぎやまセンセイは、『サンデー毎日』の大型連載企画「戦後50年・ライバル物語」の「第7回ブルー・コメッツvsザ・タイガース」(1995年1月8・15日合併号)の中で、次のような見方を示されております。 -------------------------------- 現象、風俗としては短命に終わりましたけれども、グループサウンズという音楽の形態は日本の社会にしっかり根づいていると思っています。 フォーク・グループも何人かのグループで演奏してギターを弾き何かを弾き歌っている。 いまヒットしているレコードもほとんど一人の歌手のものではなくて、何人かのグループがバンドを組んで、コーラスをつけてハモって、もうまったく音楽の形態としてはグループ・サウンズそのまま。結局、ニュー・ミュージックとかフォークブームとか、それぞれマスコミが勝手に命名したものなんですよ。 だから、(GS時代が)短命に終わったという判断は間違いです。 マスメディアがグループ・サウンズという呼び方を短命に終わらせただけなんですよ。 --------------------------------
ブームというには、 あまりにも巨大なうねり。 彼らが、生み出し、 そして、飲み込まれていった グループサウンズとは、 一体、何だったのか。 彼ら5人が、 森と泉に囲まれた “青い城”を見つけた時、 この国は熱狂につつまれました。 [主宰者から] というところまでが、「GS帝王伝説〜ブルーシャトウの悲劇〜」と題された導入部分のパートでありまして、時間にして、わずか4分程度に過ぎませんが、使われた映像の一部の画像を取り込み、録画したテープから文字原稿にして起こすと、もう、こんなボリュームになってしまうわけです。 テレビというメディアの情報量の大きさに、改めて驚かざるを得ません。 それにしても、「GS帝王伝説」というのはともかく、「ブルーシャトウの悲劇」というフレーズは、一体、どうしたことでありましょうか。 テレビ朝日では、この「驚きももの木20世紀」の番組予告をスポットでかなり流していたようですが、そのスポットでは、「ブルーシャトウの悲劇」というフレーズが使われていたようで、予告編を見た会社の同僚の女性は、「一体、どんな番組になるの」と私に訊ねてきたほどでありました。ちなみに、その訊ねてきた女性というのは、何を隠そう、数年前に、NHKのBSでブルコメが「青い瞳」のヒットで初出場した紅白の再放送があるのを知り、社内で大騒ぎしていた私の様子を見るに見かねて、わざわざ山口県の電気屋さんの親戚に録画を依頼してくれた方です。 ということで、取り敢えず、番組の導入部分の詳報を終わらせていただきますが、番組を見なかった皆さんも、番組を見たような気分になることができましたでしょうか。 次回以降は、もっとボリュームの大きいページになってしまうと思いますので、ひょっとすると、次の週末でのアップは間に合わないかもしれませんので、予め、ご承知おきください。 何も、ここまでしなくても、簡単に番組のポイントだけ取り上げればいいのに、とお思いになる方もいらっしゃるかもしれませんが、恐らく、ブルコメが1時間枠の番組で単独で取り上げられるというのは、これが最後だろうと思うと、狂信的ファンとしては、こういう形で、放映された番組をホームページで再現し、永久保存版としておかずにはいられないわけであります。 あまりの偏執ぶりに呆れ果てている方もいらっしゃるかもしれませんが、30年来の狂信的ファンによる妄動ということで、よろしくお付き合いいただければと思う次第です。 それでは、また。
(続く)
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(C)1998 Kiyomi Suzuki
皆さんも、画像を見たり、文章を読んだりして、甦ってきた記憶、確かめたい事実などありましたら、Eメールでお聞かせください。