グループサウンズ
ザ・タイガース
シングル盤デイスコ・グラフィー〜番外編
PART 1 明治製菓のCM〜その3
《タイガースにあなたの歌を♪》
先月(1999年6月)の1日にザ・タイガースのシングル盤ディスコグラフィーの「花の首飾り/銀河のロマンス」を取り上げさせていただいてから、まる1カ月が経過いたしました。
この1カ月の間に、シングル盤ディスコグラフィーの番外編として、タイガースが登場した明治製菓のCMについても「その1」と「その2」ということで2回にわたって紹介させていただき、多くの皆様からEメールを頂戴いたしました。中には、20代の方もいらっしゃいまして、今更ながら、タイガース人気の凄まじさと申しましょうか、時代を超えて幾世代にもまたがるファン層の厚さに驚いたりしております。
さて、今回は、さらに、引き続きまして、明治製菓のCM〜その3ということで、これまでも、繰り返し話題にさせていただいてきているピクチャーレコード・プレゼント企画の前段におけるキャンペーンとして展開された「タイガースにあなたの歌を♪」の入選作品発表広告を取り上げさせていただき、審査に当たられたり、当選作品の作曲を担当されたりしている1960年代〜70年代の日本歌謡界を代表する作詞家や作曲家の先生方にもスポットをあてさせていただこうと思います。
まず、この当選作品を発表する記事広告[右の画像]は、当時の雑誌に掲載されたものですが、情けないことに、媒体名もいつの号なのかも分からなくなってしまっております。誌面の作りから見て、恐らく、『週刊平凡』か『週刊明星』などの週刊誌であることは間違いないと思われますが…。
ピクチャーレコード・プレゼントの締め切りが、少なくとも1969(昭和44)年の8月まで延長されたことは、手元にあるピクチャーレコード・プレゼントの広告で分かっておりますけれども、色々な状況から判断して、歌詞の一般公募が開始されたのは、恐らく、1968(昭和43)年の秋頃で、当選作品の発表は、1968(昭和43)年の末か1969年の初め頃だったのではないかと思われます。
手元に、歌詞の一般公募に関わる記事や広告がないため、その応募要領が分からないのですが、やはり、例によって、デラックス、ハイミルク、ブラックなどの包み紙の裏に書くというようなパターンだったのでしょうか。
どなたか、その辺の事情をご記憶の方、あるいは、実は、応募された実績などをお持ちの方がいらっしゃいましたら、ぜひ、当時のお話をお聞かせ頂ければと思ったりしております。
ということで、早速、当選作品の発表広告を、詳しく見ていくことにしましょう。
まず、記事広告の前文です。
「十五万三千八百六十ニ編のなかから、たったの五編、審査の先生方もほんとうに迷いに迷いぬいたそうです。これがみごとに入選と決まった詩です。みなさんも、じっくり味わって、どんな曲になるか想像してみたら」
ということで、なんと、応募総数は約15万4000通にも達しておりまして、これは、単なる人気投票とかではなく、作品の応募数ということでありますから、もう、ちょっと、想像を絶するような数字ということになるかと思います。
とても、審査員の皆さんが全編に目を通しているはずはありませんから、最初は、応募作品で紙飛行機を作り、遠くまで飛んだ作品から順に500編くらいに絞り込み、明治製菓の関係者が、さらに、字が上手いかヘタかというようなことを基準に50編くらいを選んで、その辺りから、ようやく審査員の方が目を通されたのではないか、とか思ったりしてしまうわけですが、でも、15万4000も紙飛行機を作ったとしたら、きっと「ギネスブック」に載せてもらえるに違いないはずでありますが、「ギネスブック」にそんな記録は載っておりませんので、そういうことはしなかったのではないかと思われるわけであります。
本当に、どうやって、15万4000編もの作品の中から5編を選んだのでありましょうか。
「60年代の謎」が、また一つ、増えてしまいそうです。
などと、タワ言を書いている場合ではないわけでありまして、まず、当選作品の5編を紹介させていただきたいと思います。
ピクチャー・レコードの画像は、先日、むむむ
さんからお送りいただいたものです。
まず、最初の作品は、『半分(ハーフ)』です。
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『半分(ハーフ)』
神奈川県鎌倉市MHさん(15歳・女性)
黒いコーヒーに白いミルク
まぜたら茶色になるんだね
まぜたら茶色になるんだね
ネェ ママ なのになぜ僕は黒いの?
白いママと黒いパパと
ネェ ママ なのになぜ僕は黒いの?
ネェ、ママ、ママ 僕は茶色でもよかったんだよ
黒いのは汚くてイヤだって
黒いのは汚くてイヤだって
エミイは遊んでくれないよ
ジムも遊んでくれないよ
ネェ、ママ、ママ 僕は茶色でもよかったんだよ
いじめられずにすんだかもしれないもん
遊んでくれたかもしれないもん
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ご覧いただいても、分かるように、レコード化される段階では、作品のタイトルは「ハーフ&ハーフ」に改められ、詩の内容も、応募作品自体は、結構、重い内容だったわけですが、レコード化された詩の内容は、大幅に変更され、皆様もご存じの通り、抽象的な恋の歌になっておりました。また、「黒いコーヒーに白いミルク 混ぜるとチョコレート色なのさ」ということで、ちゃんと「チョコレート」も出てきております。
応募作品そのものに対する評として、記事広告の中で、なかにし礼さんと鈴木邦彦さんは、次のようにコメントされております。
なかにし礼先生
「着想の面白さと、内容の深さに感心させられました。作曲はいつも曲の中に黒っぽいムードのただよう鈴木クニちゃんにたのみました」
鈴木邦彦先生
「R&Bにしてみましょう」
ということで、レコード化された作品は、ブラス・セクションも入るR&Bテイストの曲に仕上がっておりまして、ソウルフルにシャウトするサリーの歌唱が印象的であります。
作曲を担当された鈴木邦彦さんは、GSのヒット曲も数多く手がけておられまして、代表作は、なんといっても、ゴールデンカップスの「長い髪の少女」ということになるのでしょうが、その他にも、ジャガーズの「ダンシング・ロンリー・ナイト」、スパイダースの「涙の日曜日」、オックスの「神にそむいて」、カーナビーツの「愛を探して」、シャープホークスの「ついておいで」などもあります。
特に、カップスの曲が多く、「いとしのジザベル」、「銀色のグラス」、「蝶は飛ばない」なども作られております。
さらに、ブルーコメッツの最後のシングル「雨の朝の少女」も鈴木邦彦さんの作品でありました。
続きましては、『オヤスミ』です。
『オヤスミ』
東京都大田区YHさん(20歳・女性)
オヤスミ 世界の子供達
オヤスミ 恋する恋人達
オヤスミ サヨナラを知らない天使殿
少女は忘れっぽい
きのうのこと今日のこと みんなもう忘れてしまってる
今のことしか少女は語らない
そして今は オヤスミ
オヤスミ 明るい月見草
オヤスミ 真面目な時計殿
オヤスミ そしていとしい MY BEAR’S “NON”
少女は夢見ます
星をこえ空をぬけ それはそれは青い青い
だけど朝には やっぱり忘れます
そして今は オヤスミ
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この歌も、レコーディングの段階では、タイトルが、ずばり、『タイガースの子守唄』に変更されておりますが、歌詞の内容的には、ほぼ、応募作品のモチーフが生かされる形となっており、「甘いショコラを握って眠る 夢の続きを追いかけながら」というスポンサーへのサービスと思しきフレーズも追加されています。
記事広告での評です。
なかにし礼先生
「タイガースがうたう子守唄というアイデアをかいました。作曲は、ソフトな芸術性を期待して村井クンにたのみました」
村井邦彦先生
「十五万編の中にたった三篇、同じアイデアがあったんですが、これを選びました」
ということで、完成した作品は、フォークソング風というよりはフォルクローレ風と呼ぶべきではないかと思われるほどの素朴な味わいの曲に仕上がっておりました。
村井邦彦さんは、タイガースのトータル・コンセプト・アルバムとして評価の高い「ヒューマン・ルネッサンス」の作品も手がけておられますし、「美しき愛の掟」「嘆き」「ラヴ・ラヴ・ラヴ」などタイガース後期の曲も担当されています。
GSへの提供曲としての代表作ということでは、テンプターズの最大のヒット曲「エメラルドの伝説」ということになるのではないかと思います。
村井さんの場合、GSもさることながら、1960年代から70年代の混沌とした歌謡界にあって、いわゆるニューミュージックと総称されていくようなことになる音楽分野でも活躍されており、トワ・エ・モワや赤い鳥などにも数多くの作品を提供されておりました。
ちなみに、基本的にトワ・エ・モワの曲というべきなのでしょうが、ブルコメもシングル盤をリリースした札幌オリンピックのテーマ曲「虹と雪のバラード」も村井さんの作品でありました。
3つ目の入選作品は、『あなたの世界』です。
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『あなたの世界』
北海道室蘭市EIさん(17歳・女性)
野原で花を摘もうと 私をたった一度だけ
見つめるあなたは あなたは 背にした雲さえ重そうにうつむく
天使のような女の子
あなたのまわりはいつも
平和でなくてはいけない
だけれど
太陽がまぶしいと光をかけらにして
海に散らすあなたは あなたは
私が立ち上がると すぐ
泡になって消えてしまいそう
ずっと昔
音にあこがれた恋よりも
淡い瞳の女の子
手をさしのべて あなたの世界を
分けることなどできない
あなたのまわりはいつも
平和でなくてはいけない
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この曲は、タイトルは、そのままですが、レコーディングされた歌詞は、かなり変わっております。基本的なモチーフは一緒ですが、非常にコンパクトにまとめられた詩のイメージは、なかにし礼さんが作詞されたブルコメの「それはキッスで始まった」を思わせるものがあります。
記事広告の評です。
なかにし礼先生
「あなたのまわりはいつも平和でなくてはいけない。
この文句が光り輝いているので、全体的に散漫な印象が逆に効果的だったようです。
感覚的な詩なので、加瀬クンに作曲を頼みました」
加瀬邦彦先生
「フォーク・タッチの曲にしてみたい」
ということで、加瀬邦彦大センセイがお作りになった曲は、リズム的には、ワイルドワンズの「青い果実」、メロディー的には「バラの恋人」といった雰囲気でありまして(ちょっと無理があるかな…)、加瀬さんがコメントされている通り、フォークっぽい感じの曲に仕上がっております。
加瀬さんといえば、ワイルドワンズの一連のヒット曲を手がけた後、ソロ歌手になったジュリーの初期の作品も数多く手がけておられます。
ジュリーの実質的なソロ・デビュー・シングルとなった「許されない愛」から「愛の逃亡者」までは、2曲目の「あなただけでいい」をのぞき、すべて、加瀬さんの作品であります。日本歌謡大賞を受賞した「危険なふたり」がジュリー作品の代表曲ということになりましょうか。
個人的には、加瀬さんについては、小柳ルミ子の「冬の駅」、布施明の「甘い十字架」など、ナベプロの抱えていた実力派歌手が、ちょっとヒットから遠ざかっている時期に、着実にヒットするような曲を提供されておりまして、疲れた歌手の“中興の祖”とでもいうべき、その作曲技術の確かさが、非常に印象に残っております。
4つめの入選作品は、『遠い旅人』であります。
『遠い旅人』
島根県簸川郡NAさん(年齢不詳・女性)
どこから来たのかだれもしらないよ
どこへゆくのか だれもしらないよ
青空の下 一人ぼっちで歩いた旅人
雨あがりの空をみあげてなつかしい口笛
春風のおはなし---その瞳のように澄んだ泉を求めて
遠い国から来た人ひとりぼっち
どこから来たのか だれにもおしえない
どこへゆくのか だれもしらないよ
枯葉をふみながら山道で旅人は
白い小さな花をみつける
かわいい女の子
秋風のおはなし
たった一度だけ
乙女のほほに口づけて
峠を下り夕日の中に消えてゆく
遠い旅人
どこへゆくのかだれもしらないよ
ただ澄んだ泉を求めて
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この曲も、『オヤスミ(タイガースの子守唄)』と同様に、応募作品の詩で使われていた言葉が、相当部分、レコーディングされた歌詞にも反映されております。ただ、レコード化された歌詞には、やはり、「君の波うつ髪は 甘い香りのチョコレート」ということで、「チョコレート」が出てきます。
記事広告の評です。
なかにし礼先生
「このようなスケールの大きな感じの詩は、十五万編の中にただひとつ。タイガースにとって新しい試みなので、作曲は宮川先生にたのみました」
宮川泰先生
「たしかに、いままでのタイガースの歌にはなかった詩だ。ぜひとも男性的な曲にしたいな」
ということで、宮川さんらしいスケールの大きさを感じさせる曲の作りではありますが、宮川さんにしては、随分、遠慮気味な感じであります。
宮川さんといえば、ナベプロの歌手の皆さんが、海外も含めて、コンテストなどで歌う際の編曲をよく担当されていらっしゃいまして、特に、ザ・ピーナッツや伊東ゆかり、布施明などキング系の歌手の皆さんと組まれた時の、そこまでやるかという感じのスケールの大きさには、定評のある方でありました。
ジュリーのソロ歌手としての初めてのシングル盤である「君をのせて」の作曲は宮川さんが担当されておりましたし、この「君をのせて」という曲も、たしか、ヤマハが主催していた「合歓の郷ポピュラーソング・コンテスト」の参加曲だったように記憶しております。
宮川さんの代表曲ということでは、やはり、ピーナッツの「恋のバカンス」「ウナセラディ東京」、園まりの「逢いたくて逢いたくて」といった辺りになるのでありましょう。
そして、最後に5つ目の入選作品『夢のファンタジア』であります。
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『夢のファンタジア』
愛知県名古屋市YMさん(19歳・女性)
青い雨が光りながら
君のほほをぬらしてた
涙のように 真珠のように美しく
君への愛を初めて心に感じた
深く深く
美しいものだったのに
両手にすくった白い愛が
指のすきまからポロポロと
涙のように 真珠のように こぼれてゆく
君への愛は真珠の輝きに似て
深く深く
美しいものだったのに
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この作品は、素人目にも、いわゆる歌謡曲の詩としては、入選作品の中でも、最も完成度が高いように見えますし、補作詞のなかにし礼さんによる手の入り方も、一番少ないように思えます。
何しろ、この手の曲は歌い出しが命とも言えるわけですが、「青い雨が光りながら 君のほほをぬらしてた」という初めの2行からなるフレーズは、そのまま、レコードでも使われているほどです。
例によりまして、記事広告の評であります。
なかにし礼先生
「『銀河のロマンス』や『花の首飾り』など一連のネオロマンチックなタイガースムードの曲ができそうですね。さっそく、それらをずっと育てあげてきた功績のあるすぎやま先生におねがいしました」
すぎやまこういち先生
「きれいで、甘いロマンスの感じですね」
すぎやまセンセイについては、今更、改めて説明させていただく必要もないと思いますが、簡単に触れさせていただきますと、フジテレビの敏腕ディレクターとして、伝説の番組「ザ・ヒットパレード」を担当され、日本のテレビ界での歌番組の雛型をお作りになられただけでなく、ブルコメを見出して「青い瞳」でデビューするまでの道筋を作られた方であるとともに、タイガースにいたっては、デビュー曲の「僕のマリー」から「シーシーシー」まで一貫して作曲を担当されており、ほとんど、当時のGSブームを担った最大の功労者のような方でいらっしゃいます。
最近では、やはり、「ドラクエ」をはじめとするゲーム音楽の大家として、君臨され続けております。
ということで、入選作品の5曲の原詩を紹介させていただきつつ、作曲家のセンセイについても、簡単に、紹介させていただきました。
最後にオマケということで、この記事広告に掲載されていた明治製菓の提供だったと思われる「歌え!タイガース」という番組の宣伝文を紹介させていただき、明治製菓のCM〜その3「タイガースにあなたの歌を♪」をお開きとさせていただきます。
私は、文化放送の「レッツゴー・タイガース」という番組は覚えておりますが、この「歌え!タイガース」という番組は記憶にありません。
当時のタイガースのレギュラー出演番組などについても、覚えている方がいらっしゃいましたら、何か、情報をお寄せいただけませんでしょうか。
よろしくお願いします。
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ティーンの人気ラジオ番組『歌え!タイガース』は、つぎの局で放送中
☆ニッポン放送(日)午後7時〜7時半
☆東海ラジオ(日)午後9時〜9時半
☆毎日放送(日)午後7時半〜8時
☆北海道放送(日)午後2時半〜3時
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☆山陽放送(日)午後5時半〜6時
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最後まで、お読みいただきました皆様、どうも、ありがとうございました。
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