60年代のテレビ番組表 その1-C

1966(昭和41)年1月1日(土) 夜の部


 昨年(1998年)の6月に新企画として登場した「60年代のテレビ」の中の「60年代のテレビ番組表」は、その月に、1966(昭和41)年1月1日付の新潟日報の「テレビ番組表全体」を採録したページと、番組表と解説記事をもとに私が能書きを足した「朝の部」と「お昼の部」の、合わせて3ページを作り込んでアップした後、なんと約9カ月にわたって放ったらかし状態になっておりました。
 しかも、トップページのマトリックス表にある「60年代のテレビ」の目次部分には、「60年代のテレビ番組表」を入れ忘れておりましたので、この「夜の部」がアップされるまで、そういうページがあっとことさえ知らなかった皆さんも多いのではないかと思われるわけであります。
 すでに、「お便りコーナー」で、以前、ひとしきり話題になっていた「ギャラントメン」なども、この番組表の中には入っていたのに、ページを作っていた本人である主宰者の私でさえ、そんなことは、全く知りませんでした。
 ということで、9カ月も放ったらかしにしてあったコーナーではありますが、今後は、月に2回くらいは更新していくことにしようと思いますので、60年代テレビ番組フリークの皆様、改めまして、よろしくお付き合い下さい。


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 ということで、まだ、会社の週休2日も、学校の隔週週休2日もなかった1960年代には、ここで取り上げさせていただく土曜日の夜のゴールデンタイムのテレビ番組は、まさに、一家団欒のメーンイベント、「輝く1960年代お茶の間大賞」に輝いていたのでありました。

 そのトップを飾るのが、先日、SWさんから貴重な画像をお送りいただいた『産経新聞』の連載に引き継がれることになる、日本のTVアニメ市場に燦然と輝いている「鉄腕アトム」であります。

 この日、1966年1月1日の放送分は、「かんづめ狂騒曲」の巻でありまして、この「かんづめ狂騒曲」というお話は私は知りませんので、すでに、1963年の放映開始から足掛け4年目に入り、恐らく、原作のマンガにはなかったエピソードを脚本家の皆さんがお書きになられたケースではないかと思われます。

 脚本家の辻まさきさんは、その著書『TVアニメ青春記』の中で、「アトムで最初に書いたのは、『ドクター脳』である。タイトルは007の『ドクターノー』のもじりだ」とお書きになっていらっしゃいますので、原作になかったエピソードは、脚本家の方が色々と知恵を絞ってお書きになっていたのであります。

 原作になかったエピソードであっても、シナリオも絵コンテも最終的に手塚先生のチェックが必要だったそうです。辻さんは、超多忙の先生にチェックしてもらうため、吹き抜けの2階で仕事をしている先生の時間が空くのを待っていると、仕事の息抜きもかねて、傍らで待つ雑誌の編集者に「5分だけ待っててください」と言い残し、吹き抜けのらせん階段を先生が降りてくるのだそうであります。しかし、映画やマンガの話を始めると、5分の約束があっと言う間に1時間くらいは経ってしまい、先生の後ろに編集者が真っ青の顔で立ちすくみ、天下の手塚治虫に、ぐっと握ったこぶしを振るわせながら、「いい加減にしてください」と気色ばむこともあった、というような裏話も紹介されています。

 その辻さんの『TVアニメ青春記』から、さらに、そのシナリオチェックの様子を引用させていただきます。
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 はじめ(はじめといっても、すでに第79話になっていた)の『ドクター脳』はすいすい通ったので、油断していた。つぎに書いた『夢見る機械』がいけなかった。何度、手塚先生に見せてもOKが出ないのだ。
 話の中身はいたって簡単で、電子頭脳のアトムだって夢を見るだろう、という思いつきから出発した。ダニー・ケイの『虹を掴む男』のロボット版をやりたかったのだ。ぼくのシナリオに対して、先生の注文は、ただ一言。
 「もう少し奇想天外になりませんか」
 発想が発想だから、これでも精一杯奇想天外なシナリオにしたつもりなのだ。なんべんも直しているうちに、とうとう先生あオリジナルの絵コンテを書いて、ヒントをくれた。その絵コンテはだれにも渡さず大切にしまっておいたのだけれど、あまり大切にしすぎて、しまった場所が分からなくなった。年はとりたくないものだ。
 それでも、内容はよく覚えている。夢の中でなぜかアトムがターザンになっているのだ。捕らわれたウラン=ジェーンを救い出そうと、アトムが例のターザンクライを発する。いや、発したつもりなのに、サイレンの音になる。たちまち彼方の大草原にもうもうたる土煙があがって、象の大群がきたとアトムが喜ぶと、なんとそれは消防自動車の大群であった---という場面だった。先生のヒントのおかげか、第三稿あたりで、やっとパスした。
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 私たちは、何気なく、テレビを見ていたわけでありますけれども、どの番組も同じことなのでしょうが、放映にいたるまでの制作過程には、現場の皆さんの、色々なご苦労があったわけであります。

 さて、「アトム」に続いては、これまた、人気番組だった「名犬ラッシー」の登場であります。
 東京では、「アトム」がフジテレビで、「ラッシー」はTBSだったと思いますので、チャンネルを変えなければいけなかったのではないかと思いますが、民放が一つしか映らなかった地方都市では、チャンネルを変えずに、人気番組を続けて見ることが出来たのでありました。
 さらに、8時からは、北大路欣也の主演による「宮本武蔵」であります。私の家も、時代劇が好きだった親父が毎週見ておりましたので、私も一緒に、毎週見ていた記憶があります。記憶がありますどころか、今でも、「宮本武蔵」と聞くと、あの時の北大路欣也の顔が浮かんでくるほどです。ただ、私の記憶の中では、この番組は、月曜日の夜8時、松下電器のスポンサーで、あの「水戸黄門」や「大岡越前」と同じ時間枠だったとインプットされていたのですが、やはり、その辺の記憶というのは、結構、いい加減なものであるということでしょうか。
 しかし、この日は、NHKも、今でいうところの、新春スペシャルドラマということになるのでしょうが、クレージーキャッツの皆さんが出演しての「坊ちゃん」を組んでおりまして、これも、是非、見てみたいところでありますけれども、我が家の場合、迷うことなく、「宮本武蔵」を見たものと思われます。今だったら、「坊ちゃん」はビデオに録画して永久保存版とし、「宮本武蔵」をリアルタイムで見るといったことになるのだろうと思いますが…。

 続きまして、9時からの1時間枠は、美空ひばりが登場する歌番組「ヒット・ショー」+「プロ野球初春八人男」という強力コンビと「夢で逢いましょう」の新春スペシャル版「初夢で逢いましょう」がぶつかっておりまして、どちらを見ようかと迷うところでありますが、当時は、きっと「夢で逢いましょう」を見たのかなと思われます。でも、野球好きだった親父は「プロ野球初春八人男」にチャンネルを合わせたのかもしれません。
 右の写真は、新聞のテレビ番組面の解説欄に載っていたもので、今は「犬猿の仲」で有名な長島と野村が、にこやかに仲良く並んで座っております。ここに映っているのは、王、長島、野村、江藤の打者側の4人だけですが、あとは、稲尾、尾崎、村山、村上の4投手が出演しております。
 村上は、あの日本人初の大リーガーとしてサンフランシスコ・ジャイアンツで活躍し、現在、NHK衛星放送の大リーグ解説でお馴染みの、村上雅則さんであります。
 今だったら、やっぱり、「美空ひばり」と「プロ野球初春八人男」を録画して「美空ひばり」は永久保存、「夢で逢いましょう」はリアルタイム、というパターンでしょうか。それにしても、「夢で逢いましょう」の出演者の顔ぶれを見ると、実に、キラ星のごとく、と申しましょうか、錚々たるメンバーが揃っており、なんと贅沢な番組だったのだろうと思わずにはいられません。
 そして、10時からは、「バイタ〜リス」やタバコのヤニ取り歯磨き粉(商品名を忘れてしまいました。何でしたっけ…。「タバコ・ライオン」?)のCMも懐かしく思い出される「逃亡者」であります。

 毎回、番組の冒頭で繰り返された、「リチャード・キンブル(?)、職業・医師…。彼は、妻殺しの無実の罪で…。現場から立ち去った片腕の男を追って…。ジェラード警部の執拗な追跡を逃れ…」と、ほとんど覚えていませんが、あの語りは極めて印象的でありました。すでに、主演のデビッド・ジャンセンと警部役のバリー・モーズの繰り広げる逃亡と追跡のドラマが醸し出す何とも言えない緊張感は、子供だった私たちにも、サスペンスの面白さというものを教えてくれたような気がします。
(このページをアップしたのが1999年3月20日の夜でしたが、アップした直後にSWさんから、「逃亡者」の画像をお送りいただきましたので、今日(1999年3月21日)、改めて、お送りいただいたうちの2枚をアップさせていただきました。「お便りコーナー」では、お送りいただいた画像を、すべて、紹介させていただいておりますので、ご関心のおありになる方は、お立ちよりください)
 そして、深夜の時間帯に入ってまいりまして、ニュースとスポーツニュースを挟んで、これまた、先日、SWさんから貴重な画像をお送りいただいた「0011ナポレオン・ソロ」が続くわけであります。東京では、「逃亡者」がTBS、「ナポレオン・ソロ」は日本テレビで放映されていたはずですが、さきほどの繰り返しになりますが、新潟県長岡市では、同じチャンネルで人気番組を続けて見ることができたのであります。
 当時は、土曜日の夜とは言っても、この「ナポレオン・ソロ」で放映が終了していますから、恐らく、深夜零時以降の番組はなかったわけで、あの頃の日本人は、大人も子供も、極めて健全な生活を送っていたことになります。
 とか言いながら、現在、うちの子供たち(上が小学6年生、真ん中が小学4年生)は、土曜日でも10時には寝かせていますが、私は、「逃亡者」も「ナポレオン・ソロ」も、ほとんど毎回のように見ていたような気がしますので、当時の小学生の方が、というか、私の方が、不健全な生活を送っていたことになってしまいますが…。
BSN(新潟放送) NHK総合 NHK教育
19:00 00 鉄腕アトム「かんづめ狂騒曲」
(声)清水マリ 勝田久 矢島正明 語り手・谷津勲
00 きょうのニュース 00 世界の教育テレビ番組(1) 日本賞参加作品から▽郵政大臣受賞「紙だまでっぽう」▽特別賞受賞「動物の謝肉祭」▽初等教育部門参加「カーチャと英語を23回」
30 新名犬ラッシー「蜜蜂が逃げた」ジョン・プロポスト (声)久松夕子 香椎くに子 ほか 15 年頭のあいさつ
20 祝天曲 NHK交響楽団
30 [色]初春歌謡絵巻 三波春夫江利チエミ朝丘雪路桑野みゆき三田明
「百年桜」 ほか
20:00 00 宮本武蔵「宿敵」 北大路欣也中村賀津雄江原真二郎中谷一郎野川由美子浪花千栄子桂麻紀宝生あや子 00 ドラマ「坊ちゃん」 夏目漱石作池田一朗脚色宇野誠一郎音楽松井恒男演出津川雅彦ハナ肇谷啓益田喜頓佐藤慶石橋エータロー入江若葉北林谷栄横山道代長沢純浦辺粂子ほか 00 日本の宇宙開発(1) 「未知の空間をめぐる」東京大学教授永田武東京大学教授平尾邦雄京都大学教授大林辰蔵名古屋大学教授早川幸男気象庁有住直介司会・村野賢哉
55 ローカル・フラッシュ
21:00 00 ヒット・ショー 美空ひばり砂川敬介古村朋子中野美和子鈴木治彦 30 初夢であいましょう 「地球の上に朝が来る」坂本九九重佑三子坂本スミ子デューク・エイセス田辺靖雄黒柳徹子エリック渥美清ほか 00 スラブ歌劇(再) ▽[色]歌劇「売られた花嫁」▽スラブ歌劇特別演奏会から歌劇「ルサルカ」から「月は白銀に輝き」歌劇「売られた花嫁」から「「かか、かあさんは言った」歌劇「トスカ」から「たえなる調和」
30 プロ野球初春八人男 王貞治長島茂雄 村上雅則 野村克也 村山実 江藤慎一ほか
22:00 00 逃亡者「全州非常警戒」デビッド・ジャンセン ポール・リチャーズルー・アントニオシャーリー・ナイト(声)睦五郎納谷悟朗村越伊知郎平井道子寺島信子ほか 00 [N] ◇10 ローカル[N][天]
15 1966年の展望(1)「保守と革新のビジョン」自由民主党・前尾繁三郎、日本社会党・江田三郎、評論家・大宅壮一、司会=NHK論説委員・平野宗義
23:00 00 [N] ◇10 スポーツ[N] 00 舞踊桧舞台(1)長唄「京鹿子娘道成寺」梅幸男女蔵薪水唄・伊十郎和兵衛
15 0011ナポレオン・ソロ「キツネとタヌキ」ロバート・ボーンデビッド・マッカラムほか 30 写真構成「京の春」


番組解説から

古典舞踊を鑑賞/梅幸の「道成寺」

★舞踊桧舞台(N後11・0)

 格調高い古典舞踊を、当代一流のカブキ俳優と、東西一流舞踊家の出演によって味わう。
 一日は長うた「京鹿子娘道成寺」。安珍、清姫日高川の伝説に取材した道成寺舞踊の代表作で、単に「道成寺」でもとおる名曲。鐘に残る清姫の執念、鐘供養の庭に展開される白拍子の華麗艶美な踊り、カブキの女形舞踊の粋をつくした、あらゆる美しいポーズや動きをみせるこの作品を、第一人者の尾上梅幸の出演で、他に市川男女蔵、板東薪水。うたは芳村伊十郎。
 二日は、清元と義太夫による「吉野山」を中村勘三郎、中村雀右衛門の顔合わせで送る。
 三日は、長うた「松の翁」を藤間勘十郎が踊る。

プロ野球初春八人男/長島らが楽しいゲーム

★プロ野球バラエティー(B後9・30)

 1965年度のプロ野球界で大活躍した8人のスター選手が元日の夜に笑いをふりまくゲームショー「プロ野球初春8人男」。
 ユニホームを背広に着替えたセ・パ両リーグの8人の選手が登場し、ゲームはまず4人の投手による“数ノ子ゲーム”からはじめられる。数ノ子は一切れ400円という高価な品だけに幾つもの箱におさめられ、赤いリボンが結ばれてある。稲尾、尾崎、村山、村上の4人は、ボールならぬ赤いリボンを慣れぬ手つきで一つ一つほどいてゆく。
 第2ゲームは長島、王、野村、江藤の4人による“投手さがしゲーム”。4人の投手は絵のうしろに隠れ、鼻先だけを絵から出している。4人の強打者も投手の鼻だけが唯一の目じるしとあっては、マウンド上に見慣れた相手も、ちょっとやそっとではわからない。ゲームの中に人見明、人見きよしのクレジットコント。二宮ゆき子、ザ・ジャンパーズのダンスが織り込まれ、プロ野球8大スター選手による笑いをふりまくゲームショーが展開される。

「坊ちゃん」/津川雅彦、ハナ肇らで

★ドラマ(N後8・0)

 夏目漱石の作品の中でも最も広く親しまれている「坊ちゃん」を池田一朗が脚色したもの。
 これまでにも映画や舞台などで何回もとりあげられ、それぞれ新しいくふうがなされていたが、今回のドラマ化にあたってはなるべく原作に忠実に脚色。明治38年ごろの時代を背景に、古い人たちに敢然と立ち向かっていった正義派、坊ちゃんの姿をとおして、現代にも通じる漱石文学の皮肉な味を盛り込んでゆく。
 配役は、坊ちゃん(津川雅彦)、山嵐(ハナ肇)、野だいこ(谷啓)、校長たぬき(益田喜頓)、教頭赤シャツ(佐藤慶)、うらなり(石橋エータロー)、マドンナ(入江若葉)、清(北林谷栄)といった異色の組み合わせ。このほか浦辺粂子(荻野のばあさん)、中村是好(小使い)、横山道代(芸者子鈴)、長沢純(学生健児)、なべおさみ(学生渡辺)など。

日本の宇宙開発

(N教後8・0)

 日本の宇宙科学、ロケット技術、人工衛星について、三夜にわたって明らかにする。第一夜は「未知の空間をさぐる」。
 電離層予報などの問題をとり上げながら、宇宙空間での地球をめぐる諸現象に化学のメスを入れるとともに、宇宙線をはじめ、宇宙物理学での日本の多彩な研究スタッフが、世界的にみていかに活躍しているかを紹介する。

 ということで、私が育った新潟県長岡市の地元局・新潟放送(BSN)の番組を中心に、当時の夜の番組を振り返ってみましたが、新潟日報のテレビ欄には、なぜか、フジテレビと日本テレビの夕方以降の簡単な番組表も掲載されておりまして、当時も、なぜ、長岡では映らないのに、フジテレビと日本テレビの番組表が掲載されているのか分かりませんでしたが、今でも、分かりません。
 それはともかく、日本テレビの9時からの番組で「ジャニーズ・ナイン・ショー」というのがありまして、恐らく、毎週土曜日の9時から、ジャニーズのレギュラー番組が放映されていたものと思われますが、なんと、ジャニーズ以外の出演者としてブルーコメッツの名前が載っております。1966年1月1日ということは、ブルーコメッツが「青い瞳」でデビューする3カ月も前のことでありますから、この番組表は、ブルーコメッツの名前が、デビュー前から、それなりに露出されていたことを証明するものと言えそうであります。
 そして、深夜11時45分からは、以前、「お便りコーナー」で、ひとしきり話題になっていた「ギャラントメン」が登場しております。
 また、フジテレビでは、夜9時から、泉大介さんの司会も懐かしい“ナショナル・プライス・クイズ”「ズバリ!当てましょう」の名前が見えておりますが、この番組は、BSNでは、確か、日曜日の朝11時頃から放送されておりました。
 さらに、同じフジテレビで、夜の10時から、そのままですが、「夜の10時劇場」ということで「1966年新春スター隠し芸大会」が組まれており、フジテレビのお正月の看板番組「隠し芸大会」も、通常番組のスペシャル版として1時間しか放送されていなかったようであります。
フ   ジ 日  本
17:00 00 早射ち保安官「無法者の新聞」バット・コンウエイ 50 神奈川ウイークリー
18:00 00 まんがの王様 00 少年シンドバッド(終)
15 宇宙エース 15 快傑ゾロ「逃亡者」 ガイ・ウィリアムスヘンリー・カルビン(声)金内吉男ほか
19:00 00 鉄腕アトム「カンズメ狂騒曲」 009!!大あばれとんま天狗「新春御前試合の巻」
30 グーチョキパー「日本はしあわせ」小山田宗徳中村メイコ花木章吾 30 弁慶「紅と檜」 丹波哲郎 大山克巳小暮実千代
20:00 00 のれん太平記 加東大介 乙羽信子水谷八重子市川翠扇黒柳徹子 宮本武蔵「宿敵」北大路欣也中村賀津雄江原真二郎中谷一郎野川由美子ほか
56 待ッテマシタ!
21:00 00 ズバリ!当てましょう 森繁久弥金田正一ほか 00 ジャニーズ・ナイン・ショー「ジャニーズ・リサイタル」ブルー・コメッツほか
30 スター千一夜 吉永小百合 30 スター劇場「初笑い壷とり珍道中」有島一郎森川信
45 歌うトップスター 西郷輝彦ゲスト・花菱アチャコ
22:00 00 夜の十時劇場「1966年新春スター隠し芸大会」 45 すてきな夫婦 小暮実千代
23:00 50 劇映画「伊豆の踊子」 美空ひばり石浜朗片山明彦 15 男性ピンチ作戦「星は何でも知っている! ピンク!!」
45 ギャラント・メン「運命の遭遇」(声)原保美松本朝夫



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