収録石燕妖怪一覧 その四
 塗仏 白容裔 骨傘 うわん 墓の火 わいら 網剪 ばけの皮衣 提灯火 河童

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塗仏  P67
 「器物精霊としての塗仏の怪」
 百鬼風 国書版P82  解説なし

 両目が飛び出していることでお馴染みの ―― 言い換えれば他に特徴のない ―― 謎の妖怪です。狩野派の絵師に描かれた絵巻物に登場し、その流れを汲む石燕にも受け継がれましたが、解説らしきものはどこにもありません。ですから藤澤氏の「器物精霊」というのは、おそらく想像によるものと思われます。この辺りは「図版と解説に関すること」の中でも触れたとおりです。
 狩野派絵巻に描かれた詳細不明の妖怪達は、このように藤澤氏や山田氏、水木氏等の手によって、新たな特徴を付けられ、世に広められました。その代表がぬらりひょんであったりおとろしであったりするわけですが、その辺りはまた個別検討の機会に譲ります。
 さてこの塗仏ですが、藤澤氏の解説では、どうやら器物の怪として扱われているようです。となると仏壇の化物でしょうか。しかし隣のページに幽霊が載っていることを考えると、死霊の一種として扱われていると考えられなくもありません。
 ちなみに水木氏はこれを、「仏壇を放置されて怒った祖霊である」と解釈しました。


白容裔  P72
 「台所に於ける古き布巾の怪」
 徒然上 国書版P274  「白うるりは徒然のならいなるよし。この白うねりはふるき布巾のばけたるものなれども、外にならいもやはべると、夢のうちにおもひぬ。」

 布巾の妖怪という点では石燕の解説と一致しています。
 水木氏はこれを、腐った雑巾の妖怪であると解説しました。確かに古い布巾は臭そうですが。
 「ぬるぬるした体を人の顔に絡みつかせる」という特徴も水木氏のオリジナルでしょうか。
 隣のページには、原本でも隣同士の骨傘が載っています。


骨傘  P73
 「雨の縁によつて怪をなすと表現された骨傘」
 徒然上 国書版P275  「北海に鴟吻と言へる魚あり。かしらは龍のごとく、からだは魚に似て、雲をおこし雨をふらすと。このからかさも雨のゑんによりてかかる形をあらはせしにやと、夢のうちにおもひぬ。」

 何だか分かったような分からないような解説ですが、もともとは唐傘をシャチホコに見立てて描かれた妖怪のようです。
 水木氏の解説では、「傘が突然骨だけになるのはこの妖怪の仕業」というのが有名ですが、初期の少年誌には、「古い傘が温度と湿り気の具合によって骨になり踊り出したもの」というのもありました。その解説によると、温度が下がれば元に戻るそうです。
 隣のページには白容裔が載っています。


うわん  P77
 「古屋敷にウワンといふきびの悪い叫びを上げる怪」
 百鬼風 国書版P91  解説なし

 塗仏同様、狩野派の絵巻に見られる詳細不明の妖怪の一つです。ただ、まったく分からないかといえばそうでもなく、九州の方で漠然とした「お化け」を表す言葉に、「ワン」「ワワン」「ワンワー」など、「うわん」を連想させるものがいくつもあることから、それを絵に起こしたものではないかと言われています。他にも狩野派の絵巻には、「がごぜ」や「わうわう」(石燕で言うところの「苧うに」)など、同系統の妖怪が見られます。
 それはさて置き藤澤氏の解説ですが、例によって絵からの想像のようです。
 佐藤有文氏はこれをよりショッキングなものにするために、「叫ばれたら叫び返さないと、墓場に引きずり込まれて殺されてしまう」という解説を加えました。ここでは妖怪が身を乗り出している塀を、古寺のものと解釈したようです。


墓の火  P79
 「昔名高き人の墓こそ陰火にもゆる事多いといふ執着の妖」
 続百晦 国書版P132  「去るものは日々にうとく生ずるものは日々にしたし。古きつかは犁れて田となり、しるしの松は薪となりても、五輪のかたちありありと陰火のもゆる事あるは、いかなる執着の心ならんかし。」

 ちょうど本文の方では「石碑上揩フ怪」という話が紹介されており、その挿絵として上手く機能する形になっています。
 解説は、「執着」という点では一致していますが、藤澤氏はそこに「名高き人の墓」という要素を新たに加えています。
 あまりに当たり前すぎる怪火のためか、水木氏は今のところ使用していません。


わいら  P82
 「奥山に棲むワイラは好んでモグラを掘り食ふ」
 百鬼風 国書版P80  解説なし

 佐藤氏の本では翼を生やされ、山田氏の本では医者に目撃されと大活躍のわいらですが、これも狩野派の絵巻に描かれた解説無き妖怪の一つです。山田氏は他にも、雌雄の色の違いやモグラを食べることなどについて書いていますが、少なくともモグラに関して言えば、出所はここのようです。
 水木氏は初期の少年誌の解説で「珍種の動物だという説もある」と書いていますが、近年になって広まった動物っぽい解説とは何か関わりがあるのでしょうか。
 隣のページにはなぜか網剪が載っています。


網剪  P83
 「人の居ぬ間にアミキリは蚊帳や干網を切つてしまふ」
 百鬼陰 国書版P41  解説なし

 狩野派の絵巻に髪切りという妖怪が描かれていますが、その石燕版がこの網剪であるとされています。小さい頃は何となくセットで覚えがちな両妖怪ですが、もとが同じものならば無理もありません。
 石燕による解説はありませんから、藤澤氏のそれは想像で書かれたもののようです。天井嘗にも通ずるところのあるこの解釈は、水木氏も使用していました。
 隣のページにはわいらが載っています。


ばけの皮衣  P86
 「藻をかぶつて狐はうまく人間の娘にばける」
 徒然上 国書版P270  「三千年を経たる狐、藻草をかぶりて北斗を拝し、美女と化するよし、唐のふみに見へしはこれなめりと、夢のうちにおもひぬ。」

 藤澤氏の解説は、実に普通な感じです。
 唐代の随筆『酉陽雑俎』によれば、狐は髑髏を頭に乗せ北斗を拝し、これが落ちなければ人に化けるとされています。一方日本では髑髏でなく葉っぱを乗せる方が馴染み深いですが、これは藻が変化したものと見ていいでしょう。
 多田克己氏は「怪」誌上で、これに玉藻前や遊郭の礼儀などを交えた解釈を述べています。石燕もわざわざ「〜はこれなめりと、夢のうちにおもひぬ」などと書いていますから、やはり何かの暗喩になっているのでしょうか。
 隣のページには提灯火が載っています。


提灯火  P87
 「狐火と見ゆるぶらぶら提灯の風にさまよふ怪」
 続百晦 国書版P131  「田舎などに提灯火とて畔道に火のもゆる事あり。名にしおふ夜の殿の下部のもてる提灯にや。」

 藤澤氏の解説を要約すると、「狐火に似た提灯の怪」ということになるのでしょうか。ちなみに例によって薄墨部分が省略されているため、原本のような狐の姿は影も形もありません。(もともと影と形しかありませんが。)
 解説を書く際に藤澤氏もその辺を意識したのでしょうか。
 石燕の解説に見られる「夜の殿」というのは狐を指す言葉だそうですが、水木氏はこれを漠然とした妖怪であると受け取ったのか、この提灯火を「妖怪の配下である」と解説しました。
 隣のページには化けの皮衣が載っています。


河童  P90
 「利根の河童は最も恐ろしく九州の河童は川辺にいでて相撲などとつて遊ぶ」
 百鬼陰 国書版P36  「川太郎ともいふ。」

 日本を代表する妖怪といっても過言ではないでしょう。細かく解説しようにも情報量が多すぎてどうにもなりませんが、とりあえず藤澤氏は地域性を持ち出してみたようです。ただ、どうして利根川の河童が最も恐ろしいかまでは分かりません。適当でしょうか。
 水木氏は「墓場の鬼太郎 大妖怪ショッキング画報」(「週間少年マガジン」 昭和42年6月18日 第25号)に、「利根かっぱと九州かっぱがいて、利根かっぱはこわいが、九州かっぱは、川べで人間とすもうをとってたのしむ。」という、画談そのままの解説を載せています。(ちなみにこのコンテンツ内で「初期の少年誌」という表現があった場合、その大部分はこれを表しています。)
 隣のページには川赤子が載っています。


2003.4.18 update