収録石燕妖怪一覧 その三
 逆柱 大禿 姑獲鳥 骸骨 骨女 姥が火 叢原火 猫また 青女房 幽霊

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逆柱  P43
 「材木を逆さにして建てられた柱の霊怪」
 百鬼陽 国書版P65  解説なし

 特にこれと言って変わったところは見受けられません。
 絵では柱の表面から小さな妖怪が抜け出しているところが描かれていますが、水木氏はこれを、「逆さにした材木から植物妖怪が現れる」という具合に解説しています。
 ちなみに日光東照宮の陽明門には、模様のみが上下逆という柱があります。建物に不完全な部分を与えることで魔除けにしたそうですが、ガイドさん曰く、「本当に上下逆にすると不吉なため、模様だけを逆にした」のだそうです。
 隣のページには天井下が載っています。


大禿  P46
 「紀伊国高野に出るといふ頭禿に歯あばらの大禿」
 続百明 国書版P167  「伝え聞、彭祖は七百余歳にして猶慈童と称す。是大禿にあらずや。日本にても那智高野には頭禿に歯豁なる大禿ありと云。しからば男禿ならんか。」

 藤澤氏の解説には、石燕のそれの後半が流用されています。
 水木氏はこの絵を「亀姫」という別の妖怪に流用し、「大禿」の名は「大かむろ」として『小夜時雨』にある狸の怪に付けました。後者は「たんたん坊」「やにやに坊」といった名前で鬼太郎にも登場しています。
 ちなみに多田氏の説によれば、この妖怪は男色を比喩した洒落だそうです。
 隣のページには同じ(?)女怪ということで、姑獲鳥が載っています。


姑獲鳥  P47
 「児を産みて死せる婦人の怪をなすを産婦(うぶめ)といふ」
 百鬼陽 国書版P57  解説なし

 京極夏彦氏の作品によって最近知名度の上がったこの妖怪ですが、江戸時代頃にはかなりよく知られたものだったようです。そのためか石燕による解説はなく、藤澤氏の解説もごく普通です。
 ウブメに関しては「怪」の方に、木場貴俊氏による詳しい論文が連載されていますので、そちらをご覧になるといいかもしれません。
 隣のページには大禿が載っています。


骸骨  P52
 「骸骨美形の形をして活躍するといふ怪」
 続百明 国書版P165  「慶運法師骸骨の絵賛に、かへし見よおのが心はなに物ぞ色を見声をきくにつけても」

 思うに隣のページの骨女と解説が入れ替わっている模様です。おそらくそちらの「骸骨墓場より出でて怪をなす盆中の妖」が正しい解説でしょう。
 これは石燕の解説との接点はなく、絵から連想して付けたもののようです。
 題材がオーソドックスすぎるためか、水木氏の一枚絵には今のところ使用されていません。


骨女  P53
 「骸骨墓場より出でて怪をなす盆中の妖」
 続百晦 国書版P148  「これは御伽ばうこに見えたる年ふる女の骸骨、牡丹の灯籠を携へ、人間の交をなせし形にして、もとは剪灯新話のうちに牡丹灯記とてあり。」

 牡丹燈記に登場する女幽霊を表したものです。
 水木氏が初期に少年誌に載せた解説では、「お盆に現れて人を驚かし墓場へ帰っていく妖怪」となっています。
 画談では隣のページに載っている骸骨と解説が入れ替わっているようで、本来はそちらの「骸骨美形の形をして活躍するといふ怪」が正しい解説と思われます。ですから水木氏は、誤った方の解説をそのまま使用したのかもしれません。


姥が火  P56
 「河内国特異の姥が火風の如くに飛ぶ」
 百鬼陽 国書版P54  「河内国にありといふ。」

 石燕の中途半端な一行解説が気になるところではありますが、藤澤氏はそこに上手く手を加え、深みを持たせています。
 原本では続けて描かれた火の妖怪の一体で、画談では隣に載った叢原火とも近いところにいます。
 水木氏の絵では、初期には石燕のバージョンが使用されていましたが、後になると別の絵に差し替えられました。こちらは初期に「山神」という名で少年誌に載ったことがありましたが、あいにく出典は知りません。(※)

 ※某氏より、出典は『夜窓鬼談』であるとの情報をいただきました。ありがとうございました。


叢原火  P57
 「個性の宋玄の人魂はやがて叢原の火と信ぜられた」
 百鬼陽 国書版P51  「洛外西院の南、壬生寺のほとりにあり。俗これを朱雀の宗源火といふ。」

 油盗みの怪火の類で、画談では姥が火の隣に載っています。
 水木氏は「叢原」を文字通りに取り、「草原を飛ぶ火の妖怪」として紹介しましたが、『妖鬼化』『妖怪世界遺産』等の集大成的な画集では無視された模様です。
 ちなみに少年誌に掲載された騙し絵の中にも、鬼太郎の持つ松明の中に、姥が火と一緒になって隠れていました。仲が良いのでしょう。


猫また  P62
 「古屋古御所に棲みて怪をなす猫股」
 百鬼陰 国書版P35  解説なし

 特に古い家に棲む妖怪というわけでもないのですが、絵を見ての連想からか、このような解説になっています。
 二股に分かれた尾を持つ猫の怪として現代でも有名ですが、もとは尾の数に関係なく、猫の怪全般を指す言葉だったようです。そのためか石燕の絵でも、尾の分かれた猫またとそうでない猫またの両方が確認できます。
 ちなみに現代では、「化け猫」が猫の怪全般を指す言葉になっているようです。
 隣のページには青女房が載っています。古御所で繋がるからでしょうか。


青女房  P63
 「荒れたる古御所に女官の姿してぼうぼう眉に鉄漿つけて人をうかがふ」
 続百晦 国書版P146  「荒れたる古御所には青女房とて女官のかたちせし妖怪、ぼうぼうまゆに鉄漿くろぐろとつけて、立まふ人をうかがふとかや。」

 解説には特に変化は見られません。
 もともと「青女房」というのは「官位が低く若い女房」を表す言葉で、この妖怪はそれを踏まえた上での洒落のようです。
 ちなみに松井文庫に所蔵されている『百鬼夜行絵巻』にも、この妖怪が描かれています。
 隣のページには猫またが載っています。


幽霊  P66
 「墓場や柳の下に出ると信ぜられた優しい幽霊」
 百鬼陽 国書版P70  解説なし

 「優しい」というのは絵からの連想でしょう。確かにそんな感じの顔をしています。
 画談で使用されている絵が薄墨部分を省略してあることはすでに述べましたが、ここでは月の周りの線のみが普通の筆で描かれています。もちろん柳などはそのままですから、すっかり葉がなくなり、枯れ木と化していますが。
 ちなみに現代の日本では、幽霊は怪異の原因として語られることが多くなっていますが、それはつまり狐狸と何ら変わらないわけでして。
 妖怪とは別物という概念も定着していますが、どのみちお化けには違いないわけでして。
 それはともかく、隣のページには塗仏が載っています。


2003.4.4 update