収録石燕妖怪一覧 その二
 飛頭蛮 油赤子 古戦場火 ふらり火 舟幽霊 古山茶の霊 野寺坊 手の目 百々目鬼 天井下

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飛頭蛮  P13
 「人無き折に頭をのばすと信ぜらるる飛頭蛮」
 百鬼陽 国書版P64  解説なし

 現代でも解説なしで通用するほど有名な妖怪です。
 寝ている最中に首が伸びる、というのが基本的なパターンですが、藤澤氏の解説の中には睡眠に関する記述はありません。むしろ「人のいない時に首を伸ばす」といった具合に、あたかも自発的な行動であるかのように書かれています。もっとも、「首が長い」という特徴さえあればそれだけで成り立つ妖怪ですから、睡眠云々はすでに必要なかったのかもしれません。
 石燕の絵では、寝床から半身を起こしかけた状態で描かれています。もしかしたらこれも目を覚ましているのでしょうか。
 隣のページには長壁が載っています。


油赤子  P17
 「近江国大津の八町を飛び歩く火の玉の再生」
 続百晦 国書版P134  「近江国大津の八町に、玉のごとくの火飛行する事あり。土人云、『むかし志賀の里に油をうるものあり。夜毎に大津辻の地蔵の油をぬすみけるが、その者死て魂魄炎となりて、今に迷ひの火となれる』とぞ。しからば油をなむる赤子は此ものの再生せしにや。」

 石燕はもともと存在していた油盗みの怪火の話を解説に織り交ぜた上で、「油赤子」はその油売りの再生したものではないか、と言っています。藤澤氏による解説は、それを要約しただけのもののようです。
 水木氏はこの妖怪を説明する際に、「火の玉が赤子に変わる」と言っていますが、これは藤澤氏の解説を違う意味に受け取ったためではないでしょうか。


古戦場火  P20
 「一将功なりて萬骨枯れし古戦場の血のこぼれより出ずると信ぜられた」
 続百晦 国書版P129  「一将功なりて万骨かれし枯野には、燐火とて火のもゆる事あり。是は血のこぼれたる跡よりもえ出る火なりといへり。」

 解説は石燕のそれに準じています。
 ごくありがちな怪火であるせいか、特に大きく情報が変化することはなかったようです。
 模写の細部がいいかげんになっていますが、時間がなかったか疲れたかしたのでしょうか。
 隣のページには、同じ怪火の類であるふらり火が載っています。


ふらり火  P21
 「ふらりふらりと飛び歩く火に怪鳥伴ふ」
 百鬼陽 国書版P53  解説なし

 狩野派の絵巻から石燕に引き継がれた、絵と名前のみが残る妖怪の一つです。石燕によるもともとの解説も存在しないため、藤澤氏も他に頼る情報がなかったのでしょう、絵と名前からそのまま浮かんだ解説を付けているようです。
 水木氏の解説によれば、鳥は家来で本体は火の方だ、とのことですが、それは藤澤氏の「火に怪鳥伴ふ」という部分を字面どおりに受けてのことでしょう。
 隣のページには古戦場火が載っています。


舟幽霊  P24
 「西国又は北国の海上に浪荒れたる日幻の如く現はれて底なき柄杓に水を汲む」
 続百晦 国書版P140  「西国または北国にても、海上の風はげしく浪たかきときは、波の上に人のかたちのものおほくあらはれ、底なき柄杓にて水を汲事あり。これを舟幽霊といふ。これはとわたる舟の楫をたえて、ゆくえもしらぬ魂魄の残りしなるべし。」

 解説には特に変化はありません。
 この本で使用されている模写は、基本的に薄墨部分を再現していませんが、ここでは舟幽霊そのものが薄墨で描かれていたためか、その部分だけはしっかりと再現しています。これと同じことが反枕にも起きています。
 ちなみに水木氏が絵のモデルに使用したのは、桃山人版の船幽霊のようです。


古山茶の霊  P29
 「古山茶の精は怪しき形と化して人をたぶらかすといふ」
 続百晦 国書版P142  「ふる山茶の精怪しき形と化して、人をたぶらかす事ありとぞ。すべて古木は妖をなす事多し。」

 特にこれと言って変化は見受けられません。
 石燕は椿の花と葉で構成された人型の(?)妖怪を描いていますが、あまり後の絵には反映されてないようです。
 なかなかひょうきんな顔をしているのですが。


野寺坊  P31
 「捨てられた野寺の鐘が時々鳴るのは野寺坊のせいだといふ」
 百鬼陽 国書版P59  解説なし

 石燕以外に情報がなく、詳細がほとんど分かってない妖怪です。『画図百鬼夜行 陽』の野寺坊周辺を見てみると、海座頭や高女手の目など、妖怪としてのモデルが存在していそうなものが並んでいますから、(と言っても未確認なのは高女のみですが、)この野寺坊にも何かもとネタとなる妖怪がいるのかもしれません。
 藤澤氏の解説はおそらく想像によるものでしょう。この「鐘を鳴らす」という特徴は水木氏も使用しています。
 ちなみに多田克己氏はこれを、「賭博にのめり込んだ挙句無一文になった僧侶を暗示しているのではないか」と解釈しています。


手の目  P36
 「盲人の魂魄は其土に残りて人来れば人の目に其仇なるか否かを観る」
 百鬼陽 国書版P61  解説なし

 石燕による解説はありませんが、『諸国百物語』にはこのモデルと思しき妖怪が登場します。水木氏はこちらを手の目とは別に、「手の目かじり」という名で紹介しています。
 「盲人の亡霊」「手のひらの目玉で仇を探す」といった現在の解説に見られる特徴は、藤澤氏の本ですでに現れています。ただし「悪人に殺された盲人の亡霊が手探りで相手を探すうちに、執念で手のひらに目が開いた」という細かい設定は、この頃にはまだなかったようです。多田克己氏は『幻想世界の住人達4 日本編』で、このエピソードをかなり詳しく書いていますが、もとになる話は今のところはっきりさせていません。
 後に多田氏はこの絵を、「いかさま賭博を暗示しているのだろう」と解釈しています。
 なお、隣のページには百々目鬼が載っています。


百々目鬼  P37
 「人の銭を盗む者に百鳥の目を生ずるといふを百々目鬼(とどめき)の怪といふ」
 続百明 国書版P163  「函関外史云、『ある女生れて手長くして、つねに人の銭をぬすむ。忽腕に百鳥の目を生ず。是鳥目の精也。名づけて百々目鬼と云』。外史は函関以外の事をしるせる奇書也。一説にどどめきは東都の地名ともいふ。」

 藤澤氏は『函関外史』という本(今のところ存在は確認されていません。石燕の創りではないかとも言われています。)の記述のみを解説に使用しています。この解説は現在でも生きているようです。しかし実際は、地名との語呂合わせで描かれた妖怪ではないかという説が有力のようです。
 水木氏は初期に少年誌でこの妖怪を、「金を盗んだ悪人に憑く正義の妖怪である」と解説していましたが、後に石燕の解説を使用しています。
 ちなみに水木氏の「百目」のモデルとなった妖怪は、もともとは「百目鬼」という名で描かれていたものだそうです。
 隣のページには手の目が載っています。


天井下  P42
 「世俗に天井を見せるといふ恐ろしい妖怪」
 続百明 国書版P166  「むかし茨木童子は綱が伯母と化して破風をやぶりて出、今この妖怪は美人にあらずして天井より落。世俗の諺に天井見せるといふは、かかるおそろしきめを見する事にや。」

 「天井を見せる」とは、江戸時代の流行語で、「人を困らせる」という意味だそうです。藤澤氏は渡辺綱云々は無視して、この部分だけをクローズアップしています。
 もっとも水木氏はこれがお気に召さなかったのか、「天井からぶら下がって人を驚かせる妖怪」という具合に、よりそれらしい解説をしています。
 また山田氏は『故事名言・由来・ことわざ総解説』(自由国民社)という本の中で、「天井を破って、手と足をぶらさげ、『天井は俺のものだ』と叫ぶ。」(P525)と解説していますが、叫ばれてもという感じです。
 隣のページには逆柱が載っています。


2003.2.22 update