収録石燕妖怪一覧 その七
  ぬつへつほふ 雨降小僧 雪女 高女 幽谷響 日和坊  おまけ:紙舞

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  P305
 「破ら屋近く聞ゆる狸の腹鼓のポンポコと異様な音響」
 百鬼陰 国書版P39  解説なし

 変な形で立っていますが、どうやら腹鼓を打っているところを表しているようです。石燕の流れを受け継いでいる松井文庫所蔵の『百鬼夜行絵巻』でも、これとよく似た絵が「狸の腹鼓」という題で描かれています。
 藤澤氏も絵に従ってか、腹鼓に絡めた解説を書いています。
 隣のページにはが載っています。


ぬつへつほふ  P310
 「古寺の軒に一塊の死肉の如くに出現するぬつぺらばふ」
 百鬼風 国書版P89  解説なし

 狩野派の絵巻に描かれた妖怪の一つで、現代仮名遣いに直すと「ぬっぺっぽう」が自然なようです。顔のような肉塊に手足が付いただけという特異な外見をしていますが、要はのっぺらぼうのことで、この他にも「ヌッペラボウ」「ヌッペリホウ」「ヌッホリボウズ」などと、文献によって様々な呼び名があります。水木氏は「ぬっぺふほふ」という名でこれを紹介していましたが、これはおそらく仮名遣いを改めなかったためでしょう。
 ところでこの妖怪は、現代の一般的な「のっぺらぼう」とは姿形が異様に異なります。これは、当時このような姿で伝わっていたと考えるよりも、蛇体の濡女や蜘蛛型の牛鬼同様、一種の表現技法と考えた方がいいかもしれません。(もちろん証拠はありませんが。) ですからイメージ的には『一宵話』に登場する肉人という妖怪と重なりますが、実際に関連があるかと言えば、はなはだ疑問ではあります。
 さて藤澤氏の解説ですが、「古寺」というのは背景にある釣鐘から、「死肉」というのは見た目(と古寺)から、それぞれ連想したもののようです。この解説はやはり水木氏に使用され、有名になりました。
 隣のページには雨降小僧が載っていますが、ぬっぺっぽうとの関連性はよく分かりません。無理やり見れば、似てなくもないですが……


雨降小僧  P311
 「雨降りを喜んで夜も提灯をさげて傘の自然と飛ぶが如くに来る雨降小僧」
 続百晦 国書版P144  「雨のかみを雨師といふ。雨ふり小僧といへるものは、めしつかはるる侍童にや。」

 雨師というのは中国でいう雨の神のことですが、別に雨降小僧自体が中国に伝わっているというわけでもなく、例によって詳細は不明です。ちなみに多田克己氏は、「大人(雨師・ウシ)に奉公する児童(侍童)」という洒落ではないか、と解説しています。
 雨の日に喜んで歩き回るというのは、やはり藤澤氏のオリジナルでしょう。
 また山田氏は、雪が降ると体が凍えて雪小僧妖怪になる、という解説を書いています。
 隣のページにはぬっぺっぽうが載っています。


雪女  P318
 「雪の降れる翌朝太陽の光りに消えて行く一本足の雪女」
 百鬼陽 国書版P67  解説なし

 何より気になるのが「一本足」という箇所です。これは絵にあるとおりの幽霊のように足の掻き消えた様子を表しているのでしょうか。それとも「ユキンボ」「ユキニュウドウ」といった、雪の中に現れる一本足の妖怪が絡んでいるのでしょうか。可能性としては後者の方があり得そうですが、前者でもおかしくないのが藤澤氏の謎めいた部分でもあります。
 ちなみに石燕の雪女は、一見普通ですが、よく見ると腕毛がみっちり生えています。
 隣のページには高女が載っています。


高女  P319
 「妓楼の二階などに下からぬつと出て人を驚かす高女」
 百鬼陽 国書版P60  解説なし

 国書刊行会版では「たかじょ」と読ませていますが、「たかおんな」の方が自然でしょう。野寺坊同様、周囲の並びを考えると、石燕の創作と決めつけることはできませんが、石燕以外の文献では確認できないのも事実です。
 藤澤氏は「井戸に浸る高女房」という話の途中に、この絵を持ってきています。つまり本編の挿絵にもなっているわけです。ただし話の出典は不明なままですから、結局石燕の描く高女との関連性は名前のみということになります。なお解説の方は、藤澤氏のオリジナルである線が強いようです。
 水木氏はこの解説と本編を、ともに著書の中で使用しています。また現代の怪談に、「窓から人が覗いていて、二、三言葉を交わしたが、よく考えたらここは二階だった」というのがありますが、山田氏はこれも高女であるとしています。
 隣のページには雪女が載っています。


幽谷響  P322
 「呼べば答へるヤマビコは山々渓々にこだましながら自由に飛び歩く」
 百鬼陰 国書版P31  解説なし

 猿のような姿で描かれていますが、これは実際の伝承には見られないようなので、あくまで狩野派独特のデザインと見ていいでしょう。
 藤澤氏の解説にある「自由に飛び歩く」というのは、やはり絵からの想像のようです。ちなみに水木氏は『日本妖怪大全』の「幽谷響」の項の冒頭で、この文をほぼそのまま使用しています。
 隣のページには日和坊が載っています。


日和坊  P323
 「常陸の山などに夏の日を照り輝く照る照る坊主の大将」
 続百晦 国書版P145  「常州の深山にあるよし。雨天の節は影見えず。日和なれば形あらはるると云。今婦人女子てるてる法師といふものを紙にてつくりて、晴をいのるは、この霊を祭れるにや。」

 日和坊の伝承は今のところ見つかっていませんが、西日本ではテルテル坊主のことを「日和坊主」と呼ぶそうですから、この妖怪は、「テルテル坊主を妖怪として描いたもの」なのかもしれません。
 藤澤氏は「大将」と言っていますが、石燕の書いた「テルテル坊主の由来である」という解説の方が、現在では一般的になっています。
 また山田氏は日和坊に蓑笠を貸した百姓の話を書いており、それによれば、テルテル坊主は梅雨時には効き目がないそうです。
 隣のページには幽谷響が載っています。


紙舞  口絵P17
 「風なきに自ら紙一枚一枚づつ舞ひ歩く神無月の怪」

 石燕の描いた妖怪ではありませんが、画談出身ということで、ついでに載せておきます。
 使用されている絵は、『稲生物怪録絵巻』内の紙が独りでに舞う場面を描いたもので、これに藤澤氏が名前と解説をつけたのが、この「紙舞」というわけです。
 水木氏は紙を舞わせるモノの正体が紙舞であるとし、一種のポルターガイストとして解説しています。また山田氏は、人の魂や怨みが篭もることで品物が舞うのだろうと述べています。
 隣のページにはあかえいの魚が載っています。


2003.5.10 update