番外編その1

『週刊 少年マガジン』に見る
60年代のコマ割りマンガ掲載率の推移

 「60年代のマンガ」のコーナーでのデータ更新は、昨年の10月25日にアップした前回の「冒険ガボテン島」以来、実に、1年2カ月ぶりのことでありますが、本当に久しぶりの更新にも関わらず、作品そのものではなく、“『週刊少年マガジン』に見る60年代のコマ割りマンガ掲載比率の推移”という、何やら、ロクに授業に出ていなかった学生の卒論のようなテーマを取り上げさせていただきます。
 実は、今月(1999年12月)の16日19日の2度にわたりまして、千葉県市川市の4nQさんから、60年代の少年誌におけるコマ割りマンガの掲載量に関するお便りをいただき、私も、その辺のテーマには関心がありましたので、たまたま、日曜日(19日)に別宅へ荷物の整理に行って、ちょうど60年代の序盤、中盤、終盤という3つの時期に該当する『少年マガジン』の発掘に成功してしまい、荷物の整理そっちのけで、調査研究に没頭してしまいました。
 せっかくですので、その調査研究の成果報告というようなことで、ページを作らせていただくことにしたような次第であります。
 よろしくお願いします。

昭和35年12月18日号のコマ割りマンガ掲載率は50%台


 まず、左の画像をご覧いただきたいと思いますが、私の手元にある中では、最も古い『週刊少年マガジン』の表紙であります。
 1960(昭和35)年の12月18日号でありまして、今を遡ること、ちょうど39年前に発行された『マガジン』ということになります。
 奥付によりますと、表紙の撮影協力として「後楽園遊園地・丸物百貨店(東京・池袋)」とありますから、撮影された場所は後楽園遊園地で、子供の着ている服を丸物百貨店が提供したということなのでありましょう。
 ところで、いきなりですが、丸物百貨店というのは、いまの■■デパートの前身とかいうような会社なんでしょうか。
 モデルになっているのは東京都・滝野川小学校4年のSK君という少年で、このSK君も、今や、50歳に手が届こうかという年齢に達していらっしゃることになります。
 さて、例によりまして、余計な能書きが長くなっておりますが、早速、本題であるところの「コマ割りマンガ掲載比率」に関わるお話に入ってまいりたいと思います。
 全体のページ構成を把握するために、目次を仔細にわたって見る必要があるわけでありますが、この号に掲載されているコマ割りマンガは、「快傑ハリマオ」、「マッハ三四郎」、「風の石丸」、「少年ロケット隊長」、「がんばれゴロちゃん」、「オイチニぼうや」の6本だけであります。
 それぞれのマンガのページ数は、原作・山田克郎さん、まんが・石森章太郎さんの「快傑ハリマオ」が20ページ、原作・久米みのるさん、構成・吉田竜夫さん、まんが・九里一平さんというトリオによる「マッハ三四郎」が18ページ、白土三平さんの「風の石丸」が18ページ、原作・豊玉三郎さん、まんが・大野ゆたかさんの「少年ロケット隊長」が16ページ、よこたとくおさんの「がんばれゴロちゃん」が6ページ、そのやましゅんじさんの「オイチニぼうや」が1ページということで、合計79ページとなります。
 右の「もくじ」の画像をご覧いただいてもお分かりかと思いますが、目次の中での「まんが」の扱いも、実は、一番、最後ということになっておりまして、大人向けの週刊誌や月刊総合誌などと同様に、グラビアページから始まり、「マガジン特集」、「少年太平洋戦史」、「二十世紀の驚異」、「今週の実話」、「企画ページ(標題は特になし)、「読者のページ」というようなラインナップになっておりまして、ページ構成の主体は、あくまでも、読み物であり、テレビドラマにもなっていた人気マンガの「快傑ハリマオ」こそ、扉が4色印刷のフルカラー、冒頭の数ページは2色印刷という扱いにはなっているものの、マンガは、どちらかという添え物というようなイメージが強くなっています。
 しかも、マンガ6作品のうち、原作つきが半分の3本もあり、読み物の一バリエーションとして、マンガという表現形式を借りているというような印象すら漂うわけであります。
 この号の表紙から表4(裏表紙)までの総ページ数は134ページでありまして、ページ数では、マンガのページが半数を超えておりますが、コマ割りマンガの総ページ数に占める割合は、58.95%ということで、全体の6割弱にとどまっています。
 目次の文字を全部、確認されたい方もいらっしゃるかと思いますので、例によりまして、私の方で、打ち込ませていただいたものも、併せて、紹介させていただきます。

《『週刊少年マガジン』(1960[昭和35]年12月18日号)目次》
特別おくりもの 少年少女・新百科大事典 読者のページ ぼくは知りたい
グラフ さあ出発だ(巨人・王選手) 少年記者通信
マガジン図鑑 ぼくらの相談室
写真集・大村コン マガジン=ポスト
日本一をたずねて まんが 快傑ハリマオ
マガジン特集 いけ!消防隊 マッハ三四郎
少年太平洋戦史 われ攻撃に成功せり 風の石丸
二十世紀の驚異 生きている大さばく 少年ロケット隊長
今週の実話 こんどは横綱だ がんばれゴロちゃん
かわいいシカをうたないで オイチニぼうや
いなずま隊出動! 懸賞(特に標題なし) スピード大けんしょう
企画ページ(特に標題なし) たのしい学習
おわらい大学
ぼくのわんぱく日記(小林旭)
少年タワー(スポーツ)
少年タワー(テレビ・ラジオ・映画)

昭和39年8月30日号のコマ割りマンガ掲載率は63.84%


 続きましては、60年代も半ばに入りまして、私が、事あるごとに、「60年代」に限らず、現代史の分水嶺的イベントとして位置付けさせていただいております東京オリンピックを目前に控えた1964年8月30日号であります。
 表紙の絵につきましては、解説なしでは何の絵なのか、お分かりになりにくいと思われますので、簡単に説明させていただきますと、表紙の左端中央に、小さい文字で、「絵は、どんなところでも進める未来のロボット兵」と書かれています。この号では、巻頭の特集が「アメリカの最新兵器総まくり」というようなことになっておりますので、そのイメージの延長で、こんな表紙になったものと思われます。
 さて、目次に目を転じてみますと、さきほど、ご覧いただいた1960年12月18日号から3年半以上の時間が経過しているわけですが、目次におけるマンガの扱いは、やはり、一番下になっています。
 ただ、マンガの掲載本数は、6本から9本に増えておりまして、本数では1.5倍ということになります。
 そのマンガのラインナップはといいますと、「黒い秘密兵器」、「ゼロバイ」、「8マン」、「犬丸」、「紫電改のタカ」、「ブラック巨人」、「ハリス無段」、「サンスケ」、「丸出ダメ夫」という9本であります。
 それぞれの作品のページ数ですが、原作・福本和也さん、まんが・一峰大二さんの「黒い秘密兵器」が23ページ、原作・久米みのるさん、構成・堀江卓さん、まんが・山崎まさるさんの「ゼロバイ」が16ページ、原作・平井和正さん、まんが・桑田次郎さんの「8マン」16ページ、原作・白石一郎さん、まんが・石川球太さんの「犬丸」が17ページ、ちばてつやさんの「紫電改のタカ」が16ページ、原作・おかしのぶさん、構成・堀江卓さん、まんが・どやたかしさんの「ブラック巨人」が15ページ、原作・梶原一騎さん、まんが・吉田竜夫さんの「ハリス無段」が16ページ、藤子不二雄さんとスタジオ=ゼロの「サンスケ」が8ページ、森田拳次さんの「丸出ダメ夫」が16ページとなっておりまして、マンガの総ページ数は合計しますと143ページということになりまして、マンガのページ数だけで、さきほど紹介させていただいた1960年12月18日号の総ページ数を上回ってしまっています。
 この号の全体の総ページ数は224ページとなっておりますので、コマ割りマンガの掲載比率は63.84%というような数次が弾きだされます。
 1960年12月18日号のコマ割りマンガ掲載比率は58.95%でしたから、3年半ちょっとの間に、コマ割りマンガ掲載比率は4.89ポイント上昇したことになるわけです。
 それにしても、9本のマンガのうち、原作付きの作品が6本もありまして、実に、3分の2が原作付きということになりますから、依然、マンガが読み物の延長線上に位置付けられていたというような雰囲気が濃厚に漂っております。いわゆるギャグマンガの「サンスケ」と「丸出ダメ夫」は、作者がアイデアを直接的に表現する形になっているわけですが、ストーリーマンガで原作付きではない作品は、ちばてつやさんの「紫電改のタカ」1本だけということになってしまいます。
 ちばさんが、この「紫電改のタカ」の前に、『マガジン』で連載していた野球マンガの名作「ちかいの魔球」も、確か、福本和也さんの原作付きだったと思いますので、その福本和也さんが「黒い秘密兵器」の原作に回られた後、ちばさんの原作なし連載少年マンガ第1号として「紫電改のタカ」の連載が開始されたというようなことになるのでしょうか。
 この時点で、ちばさんは、すでに、少女マンガの世界では、「ママのバイオリン」や「ユカを呼ぶ海」などの連載をお描きになっていらっしゃったと思うのですが、少年マンガの世界では、「ちかいの魔球」「紫電改のタカ」以前の連載作品というのを、私は存じあげませんので、もし、どなたか、ご存じの方がいらっしゃれば、ご教示いただけませんでしょうか。
 デビュー作品の「復讐のせむし男」とかいうのもあったと思いますが、あれは、確か、単行本の企画だったと記憶しているのですが…。
 またまた、つい横道にそれがちですが、本題に戻らせていただき、同じ号の読み物企画に目を転じてみますと、「特集」、「読み物・ニュース」、「学習」、「けんしょう」などというような部建てになっておりまして、ここで、注目されるのが、「学習」などという部建てが登場してきていることであります。
 あるいは、8月30日号というタイミングを考えれば、「わー、困ったぞ、夏休みの宿題、まだ、全然、やってないぞー」と、そろそろ、焦り始めている世のハナ垂れ坊主ども向けの“懲りない子らにも光を”的な救済特別企画だったのかもしれませんが、世間的には、マンガ雑誌に対する風当たりも強くなり始めた頃かとも思われ、編集部によるPTA対策的な側面もあったのかもしれません。
 何れにしても、興味のある企画ではありまして、その中身をちょっと紹介させていただきますと、「脳の中にも地図がある」という大脳の仕組みの解説記事、「人類さいごの敵ビールス」という細菌についての13回にわたる連載企画の最終回、「少年ロボット大学」という新連載企画の第1回では中国で周の時代に作られた「世界最初のロボット」の記事のほか、「どんな宿題でもこれでOK!」のキャッチも嬉しい「氷の研究」をメインとする「夏休みの宿題なんでもこい」、日記対策と思われる「全国天気早わかり」では8月5日から11日まで一週間分の全国25地方の週間天気と最高・最低・正午の3気温の一覧表が掲載されておりまして、一体、何人のハナ垂れ坊主が、この企画で救われたことでありましょう。
 私も、覚えていないだけで、この表を見て、せっせと、まとめて日記をつけていたのかもしれません。
 もう一つ、目立つのが、懸賞でありまして、1960年12月18日号では、「スピード大けんしょう」の1本のみでしたが、この号では、4本の懸賞が用意されております。
 この辺の少年雑誌における懸賞の推移などというのは、また、別途、ページを作らせていただいて、仔細に懸賞じゃなく検証してみたいところであります。
 前の号と同様に、私の方で打ち込ませていただいた目次も、掲載させていただきますので、ご関心のある皆様、どうぞ、ご覧ください。
特集 アメリカの最新兵器総まくり 標題なし 切手早耳クラブ
今週のトップ記事/日本軍の秘宝ぞくぞくと発見 おわらい大学
読み物・ニュース けっさく少年小説/ミスターサルトビ ニュース速報・今週のポケットメモ
ケネディは生きている 第37号のお知らせ
イブン=サウド王物語/さばくのヒョウ まんが 黒い秘密兵器
ゼロ戦エース坂井三郎 ゼロバイ
ゆかい読み物/ビヤだる航海記 8マン
オリンピック必勝作戦 犬丸
今週の特だね/決死のオートレース 紫電改のタカ
今週の特だね/兄の命をすくったなぞの予言 ブラック巨人
ニュース特だね/これが忍術戦法だ ハリス無段
学習 脳のひみつ サンスケ
人類さいごのビールス 丸出だめ夫
少年ロボット大学 けんしょう スピード大けんしょう
夏休みの宿題なんでもこい 世界のオリンピック切手大けんしょう
夏休みの天気早わかり 汽車セット大けんしょう
30大けんしょうの出し方
第33号募集・大けんしょうの当選者発表



コマ割りマンガ掲載率が7割超えた1969年2月9日号


 今回の企画ページで最後に取り上げさせていただくのは、もう表紙を見ただけでも60年代というよりは70年代の雰囲気が濃厚に漂っている1969(昭和44)年の2月9日号であります。
 『週刊少年マガジン』にとっても、恐らく、第一期黄金時代とも呼ぶべき隆盛を誇っていた時期でありまして、この表紙に登場した人気マンガの主人公たちも、日本マンガ史上に燦然と輝く錚々たる顔ぶれとなっています。
 早速、本題に入らせていただきますと、もう、この60年代も末の時期には、目次の構成上でも、主体は、明らかにマンガにシフトしてきておりますが、それでも、私が想像していた以上に、読み物ページにもスペースが割かれているので、実は、驚いています。
 その辺は、後で、詳述させていただくことにして、目次を順に見ていきますと、まず、マンガの掲載本数は、10本でありまして、そのラインナップは、「2人の救世主」「巨人の星」「無用ノ介」「あしたのジョー」「天才バカボン」「ほらふきドンドン」「八つ墓村」「キッカイくん」「ゲゲゲの鬼太郎」「野生犬サボ」というような陣容となっております。
 さて、注目の掲載ページ数ですが、この号からの新連載であります山上たつひこさんの「2人の救世主」は、扉にも「新連載 どうどう30ページ」と打たれておりまして、新連載にも関わらず、大部の30ページ、原作・梶原一騎さん、まんが・川崎のぼるさんとカワサキプロの「巨人の星」が31ページ、さいとう・プロ作品の「無用ノ介」が30ページ、原作・高森朝雄さん、まんが・ちばてつやさんの「あしたのジョー」が20ページ、私の人格形成に多大なる影響を及ぼした赤塚不二夫センセイとフジオ・プロの「天才バカボン」が13ページ、やはり、この号から新連載のジョージ秋山さんの「ほらふきドンドン」が11ページ、“横溝正史著「八つ墓村」より”のクレジットが入った影丸譲也さんと作画協力・かどのどかさんの「八つ墓村」が19ページ、“新連載爆笑まんが”のコピーが踊る永井豪さんの「キッカイくん」が10ページ、“ゲゲゲの鬼太郎43/妖怪大裁判第3回”という水木しげるさんと水木プロ作品の「ゲゲゲの鬼太郎」が15ページ、原作・戸川幸夫さん、まんが・田中憲さんの「野生犬サボ」が16ページというようなことになっておりまして、マンガの総ページ数は195ページにも及び、ま たまた、マンガのページ数だけで、5年前の1964年8月30日号の総ページ数224ページに迫ろうかというような勢いであります。
 また、本題から外れますが、「2人の救世主」はタイム・パラドックスの手法が登場する魅力的な作品でありまして、当時、私もワクワクしながら読んだものでありましたが、その作者が、あの山上たつひこセンセイだったというのは、今、初めて、知りました。もし、単行本になっているようなら、是非、もう一度、全編を通じて熟読してみたいものだと思います。
 さて、本題に戻りまして、読み物ページなども合わせた、この号の総ページ数は、268ページでありますから、コマ割りマンガの掲載率は72.76%となりまして、7割の大台を突破、1964年8月30日号の63.84%から8.92ポイントも上昇、1960年12月18日号の58.95%からは、なんと13.81ポイントも上昇したことになります。
 作品の掲載本数では、9本から10本ということで1本増えただけですが、1964年8月30日号では、1本当たりの平均ページ数が約16ページだったのに対し、この1969年2月9日号では、1本当たりの平均ページ数は19.5ページということになりますから、ストーリーものを中心に、1号当たりの掲載ページ数の増えたことが、コマ割りマンガの掲載ページ数全体を押し上げているわけです。ちなみに、1960年12月18日号では、1本当たりのページ数は約13ページですから、この傾向は、60年代を通じて言えることになりそうです。
 この号の冒頭でも書かせていただきましたように、私は、70年代も目前に控えた60年代末の時期には、読み物ページなど皆無に近いような状況だったようなイメージをずっと持っていたのですが、目次をご覧いただいても分かるように、「読み物・記事」などにも、内容も伴う形でそれなりのスペースが割かれておりまして、驚いています。
 特に、巻頭特集の「独占発表/秘境の人食い石器人」はカラーグラビアで4ページ、記事本文で6ページ、合計10ページもの分量になっておりまして、西丸震哉先生のレポートも読み応え十分です。
 また、「怪盗7からの挑戦状/クイズ特捜隊」という特集も21ページという大特集で、「名探偵コナン」に通じるような推理問題の数々は、当時の子供達にも十分楽しめたのではないかと思われます。
 というようなことで、結局、60年代末の時点では、コマ割りマンガの掲載比率が7割を超えたものの、読み物ページの占める比重も、内容的にも分量的にも、それなりのものであったことが判明したわけでありまして、現在のように、『マガジン』や『サンデー』などの少年誌が完全にマンガ雑誌となってしまったのは、どうやら70年代以降のことになりそうです。
 この号につきましても、私の方で、目次を打ち込ませていただいておりますので、ご参照ください。
まんが 2人の救世主 読み物・記事 今週の特だね
/“空飛ぶ円盤はまぼろしだ!”
巨人の星 独占発表/秘境の人食い石器人
無用ノ介 ニュースの広場/世界パンチニュース
あしたのジョー きみのオツムを大開発/ふしぎ科学パズル
天才バカボン おわらいの決定版/パンパカ学園
ほらふきドンドン 雑学シリーズ/へんな学校〈ゆめ学入門(1)〉
八つ墓村 世界のわらい話/マガジンジョーク
キッカイくん ウルトラ計算/ソンか?トクか? がめつい驚室
ゲゲゲの鬼太郎 懸賞特だねガイド/ガッポリ特報
野生犬サボ 愛読者参加/うでくらべ びっくりショー
特集 カラー独占発表
/秘島ニューギニアの石器人たち/食人境
標題無し ほらふきコント
決定版シリーズ
/怪盗7からの挑戦状/クイズ特捜隊
これが21世紀
第8号のお知らせ
懸賞 特選ゲーム20種大プレゼント
人気プラスチック模型大懸賞
切手百万ドルプレゼント
新宇宙怪獣の名まえ大募集
第2号募集懸賞当選者発表
切手プレゼント申し込み用紙

 今回は、取り敢えず、60年代を通じて、少年雑誌に占めるコマ割りマンガの比率が着実に増加していったという事実だけを確認させていただくまでにとどめ、少年誌から読み物ページが消えてしまったのは何時の時点だったのかという残されたナゾにつきましては、何れ、「70年代通信」的な展開をさせていただくようになる時まで、お預けということにさせていただこうと思います。
 例によりまして、とんでもない長文となってしまいましたが、最後までお読みいただいた皆様、本当に、どうも、ありがとうございました。
 また、個別の作品についても、「60年代のマンガ」のコーナーで、ボチボチ、取り上げさせていただこうと思っておりますので、引き続きまして、よろしくお願いいたします。




















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