| 「60'sえれじい」 Back Numberのページ その4
Cyber Click! 1999.12.19(日)
いよいよ押し詰まってまいりまして、2000年まで、あと12日と迫ってまいりました。 寒さも一段と厳しくなってきましたが、如何お過ごしでいらっしゃいましょうか。 私は相変わらずの「貧乏暇なし」 状態が続いておりまして、またまた、このコラムも、2週間のブランクを開けてしまいました。 久しぶりに、家族日誌を書くことをお許し願いまして、先週の土曜日、つまり、12月11日は、長男のボーイスカウトの上進式が、多摩動物公園駅から歩いて10分ほどのところにある教会で行われまして、私も、カミさんと一緒に次男を連れて、行ってまいりました。 ボーイスカウトのシステムを簡単に説明させていただきますと、まず、小学低学年のビーバースカウト、中学年のカブスカウト、高学年以上のボーイスカウトという風に順に上進する仕組みになっておりまして、長男の場合、小学校1年の秋からビーバースカウトとして活動を始め、既に丸4年が経過したことになります。
ほとんど、毎週のように、日曜日にはスカウト活動がありますから、土曜日も学校がある週は、週7日、毎朝、出かけなければならないわけで、親の目から見ても大変だなあと思ったりしておりましたが、とにかく、一事を継続することの大切さというものを、改めて、長男から教えてもらったような気分でありました。 私も、長男に負けないよう、この「60年代通信」を継続させていただこうと意を新たにしている次第であります。
私も、かつて、すでに40年近くも前の話になりますが、やはり、カトリックの幼稚園に通っておりましたので、年長の時には、「東方の三博士」を演じ、寝言でもセリフを言うほど緊張していたという話をお袋から聞かされたものであります。
しかし、子供達にとって、幼稚園のクリスマス会のクライマックスは、実は、この聖劇ではなく、その後に登場するサンタクロースからのプレゼントなのであります。 次男が通っているのは、カトリック色の極めて強い幼稚園でありますので、サンタクロースも、いわゆるサンタさんではなく、子供達の守護聖徒であるSt. Nicholasとして登場してまいりますので、身にまとっている装束も、私達が見慣れた歌舞伎町辺りの呼びこみのお兄さんのような格好ではなく、バチカンの大司教のようなスタイルで出てまいります。 異教徒の私には、最初の頃は、随分と違和感がありまして、年少の子供達と一緒に恐くて泣いていたものでありました。
(…って、ウソです。泣いていたり、プレゼントを貰ったりしているのは、もちろん、次男であります)。 というようなことで、またまた、ダラダラとくだらない文章を書いているうちに、日付も、12月20日となりまして、本当に、尻に火がついてきたような感じとなってまいりました。 私は、来年から、社内での部署が変わるため、それでなくても、大掃除という最も苦手なイベントを控えた年末は憂鬱なのに、フロアが変わるだけとはいえ、引っ越しまで加わってしまい、その憂鬱さに拍車がかかっております。 家でも、娘と共用している部屋に私の資料類が溢れかえり、カミさんによる別宅への年内搬送命令が下されており、本当に、いつにも増して、大きなプレッシャーを感じている次第です。 企画ページの更新も、また、2週間のブランクが開いてしまいましたが、今日は、片づけをするはずの別宅で、ふとした弾みから「60年代のマンガ」の番外編ページを作り始めてしまいましたので、早ければ、今週の前半にはアップできるかと思っております。 今週は、本当に、ウィークデーのデータ更新という課題をクリアしようと思っておりますので、皆様、どうか、引き続きまして、よろしくお付き合いくださいますよう、お願い申し上げます。
主宰者敬白
1999.12.05 皆様、今晩は。 慌しさを増してきた師走の最初の日曜日、如何、お過ごしでいらっしゃいましたでしょうか。 私は、ちょっと事情がありまして、昨晩は、久しぶりに別宅に泊まりましたので、せっかくですから、企画ページを3ページ分くらいデータ更新できるように頑張ろうと思ったのですが、結局、「懐かしの歌本の世界」の更新しか出来ませんでした。 今日の午後は、その合間を縫って、12月の第1日曜日恒例の関東大学ラグビー対抗戦グループの早明戦を、別宅の小さな液晶テレビで見ておりました。今年は、明治の調子が今ひとつでしたので、日比野監督のもと、徐々に「クィック&ワイド」の戦法に磨きをかけてきている早稲田が、久しぶりに快勝できるのではないかと思っていたのに、終わってみれば、27対10ということで、完敗でありました。 これで、早稲田は対抗戦で、明治に4連敗となりましたが、それでも、久しぶりに熱くなって見ることが出来たのは、「クィック&ワイド」の展開ラグビーが、それなりの形になっていたからでありまして、明治のプレッシャーがキツかったとはいえ、あんなにノックオンを繰り返しては、トライなど取れるはずがないわけでありまして、ボールをキープするための基本練習を徹底的に繰り返せば、大学選手権でのリベンジは可能なのではないかと考えたりしております。 ということで、またまた、ラグビー通信の様相を呈し始めておりますので、この辺で止めさせていただきます。 さて、またまた、前回、このコラムを書かせていただいてから、2週間が経ってしまいました。 掲示板の方で、毎日、色々と書かせていただいているということもありますが、こちらの更新頻度の低下にも、何とか、歯止めをかけたいと思ってはいるのですが、ここのところ、体調を崩していたこともあり、あまり、無理はせずに、休ませていただいたりしていたため、こういう事態にいたっているわけであります。 どうせ、ろくなことも書いてないコラムではありますが、それだけに、継続することにのみ意味があるというような側面もあるわけでありまして、個人的にも、週間日記というような意味合いもあり、何とか、来週からは週1回の更新というペースを何とか、取り戻したいと思っております。 さて、実は、先々週の水曜日に、お蔭様で、このページの下に設置させていただいているアクセス・カウンターが、ついに「50000」件を突破したのですが、そのメモリアル・ナンバーに当たったのは、私でありまして、面白くも何ともない結果となってしまいました。 週間アクセス数も、お蔭様で、10月末から毎週コンスタントに600を超えるようになり、11月の第2週には、久しぶりに700件の大台を突破し、喜んでいたのですが、ここのところの更新頻度の低下と内容の片寄りが著しくなってきているためか、先週は、再び、500件を切ってしまい、大いに反省しているところであります。 今年の年末年始は、2000年対応のため、只一人、会社に残らなければならなくなりそうですので、何とか、まとまった形でデータ更新を行いたいものだと考えています。 それから、以前から、ちょくちょく書かせていただいている通り、ホームページを開設させていただいた当初に比べると、企画ページの1ページ当たりの作り方が、かなり、重いものになってきておりますので、もうちょっと、最初の頃のように、粗製乱造気味に、あまりクォリティのことなど考えず、もともと大したクォリティでもないわけですし、もう少し、軽やかにページ作りを進めていくようなことも考えてみようかと思っています。 というようなことで、毎度、何を書いているんだか、よく分からないまま、とにかく、皆様に見捨てられることのないよう頑張っていこうと思っておりますので、引き続きまして、よろしくお付き合いくださいますよう、お願い申し上げます。
主宰者から
1999.11.21(日) 皆様、今晩は。 前回のこのコラムを書かせていただいてから、また、あっという間に2週間が過ぎてしまいました。 このコラムでタイ・レポートの詳細を書かせていただくようなことを言っておきながら、昨日も、今日も、所用が立て込んでしまい、企画ページの更新も、このコラム用のタイ・レポートも準備ができないまま、日曜日の深夜を迎えてしまいました。 毎度、言い訳ばかりになりますけれども、やはり、基本的には、会社の仕事が忙しいのと、家庭の方でも、子供が成長するにしたがって、それなりに色々と所用も増えてきてしまうものでありまして、その合間を縫って、ホームページのデータ更新を行うことの大変さを、今更ながら、実感している次第です。 ホームページのデータ更新どころか、このホームページをご覧いただいている皆様から、色々な形でご協力をいただき、こちらから皆様にアクションを起こさなければいけない案件が山のようにあるにも関わらず、元々、ズボラでいい加減な性格であることと、最近の忙しさとが相俟って、ほとんど、そうしたアクションも手がつけられないままになっております。 本当に、皆様、色々とご迷惑をおかけして、申し訳ありません。この場を借りまして、お詫び申し上げます。今年のうちにお世話になった案件につきましては、年を越すことのないよう、何とか、年内には、きちんとした形にさせていただこうと思っておりますので、何卒、ご理解のほど、よろしくお願い申し上る次第です。 さて、そういう状況であるにも関わらず、さらに、そうした案件を増やすだけではないかというような気がしないでもありませんが、このトップページの下に設けさせていただいているアクセスカウンターが、今日の夕方の時点で、4万9600を超えました。 今年春くらいの時点では、年内に5万の大台に乗るかどうかという感じで思っていましたが、お蔭様で、少しずつではありますが、着実にアクセス数が増えてきていることを受けまして、このまま行くと、今週中には、5万の大台を突破することになりそうです。 そこで、もし、このアクセスカウンターの数時にご関心をお持ちいただける皆様がいらっしゃるようであれば、「50000」のメモリアル・ナンバーに当たられた方は、その画面をキャプチャーしていただいて、こちらにお送りいただければ、何か、記念品を差し上げたいと考えておりますので、よろしくお願いいたします。 企画ページのデータ更新も、滞りがちで、本当に、申し訳なく思っておりますが、皆様におかれましては、掲示板とも合わせまして、引き続き、よろしくお付き合いいただきますよう、よろしくお願い申し上げます。
主宰者敬白
1999.11.09(火) 皆様、今晩は。 久しぶりの海外出張とその前のバタバタで、またまた、このコラムも中2週間という長いインターバルになってしまいました。 企画ページの方も、最後の更新が先月の9日ですから、残念ながら、これで、まるまる1カ月のブランクとなってしまし、「60年代通信」というホームページを開設させていただいてから、最も長い空白期間を生じさせてしまっております。 このまま超低空飛行が続くと、遂には、墜落してしまうのではないかと本人も心配になってきたりしておりますが、そういう状況であるにも関わらず、トップページに設置させていただいているアクセスカウンターは、10月の第2週が500台の前半、第3週が500台の後半、第4週が600台の前半、11月の第1週が600台の後半と、少なくとも、トップページのアクセス数は尻上がりに伸びてきておりまして、ギリギリのところで、私の支えの一つとなっております。 皆様へのご報告が遅れておりますが、この夏以降のパブリシティ関係の動きも、8月に季刊ムック『ホームページガイド』、9月には月刊雑誌『ニフティ SUPER Internet』、10月にも「SEE YOU ONLINE WEB MAGAZINE」というパソコン通信のニフティサーブが発行するオンライン・マガジンで、それぞれ、「60年代通信」を取り上げていただいておりまして、そのことも、私の励みになると同時に、アクセスの伸びにもつながっているようであります。 『ニフティ SUPER Internet』での紹介は、“Cutie Morning Moon”という掲示板をを主宰していらっしゃるHitomiさんのご紹介によるものですし、他の媒体などで取り上げていただけたのも、毎度、申し上げているとおり、この「60年代通信」をご覧いただいている皆様のご支援の賜物でありまして、改めまして、皆様に御礼を申し上げる次第です。 さて、2日から6日まで出張でタイに出かけてきておりましたが、帰国早々、風邪を引いてしまい、日曜日の夜から発熱状態に陥り、昨日と今日と2日続けて、会社を休ませていただくことになりました。 会社を休ませていただきながら、体調が戻ってきた夕方から、「リハビリ代わり」などと都合のいいことを称して「60年代通信」のデータ更新作業などをやらせていただいているわけであります。 本来であれば、このコラムでタイ・レポートっぽいことを書かせていただこうと思っておりましたが、まだ、会社の仕事の方のメールマガジンの配信作業なども在宅でやらなければなりませんので、今回のコラムはこの辺で終わらせていただくことにさせていただきます。 また、次回のコラムで、タイのレポートなどをきっちりとやらせていただこうと思いますので、皆様、引き続きまして、よろしくお願いいたします。
主宰者敬白
1999.10.24(日) 皆様、今晩は。 前回、このコラムを書かせていただいてから2週間が経ってしまいました。 今月の初めに「60年代通信」掲示板を開設させていただき、「お便りコーナー」のアップ作業を軽減することで、企画ページの更新頻度を上げる方向で頑張れるかなと思っておりましたが、「お便りコーナー」にも引き続き、それなりにメールを頂戴していることもありますけれども、それより何より、最近、会社の仕事の忙しさが、また、ハンパではなくなってきていることや、週末毎に色々とイベント関係が重なったりしてきておりまして、掲示板開設後の企画ページの更新頻度は、掲示板開設前よりも、落ちてきているようなありさまであります。 このコラムは、個人的な日記というか家庭日誌的な役割も兼ねさせていただいておりますので、先週末の我が家の動きなども書かせていただきますと、土曜日は私が2週続きの土曜出勤をしたのに続き、日曜日は次男が通っている幼稚園の運動会があり、ほとんど、企画ページの更新作業を行う時間を取ることができませんでした。 今週末も、昨日の土曜日はカミさんの市民サークル活動と長男のカブスカウトの活動があり、次男の子守りやらで時間がとられ、今日の日曜日も、電車狂いの次男の電車見学ツアーに久しく行っていなかったため、次男の禁断症状が出始めてきていることから、山手線一周ツアーに出かけてまいりました。 さらに、昨日からは、ダイエーvs中日の日本シリーズも始まってしまい、野球観戦でも時間が取られる始末でありまして、ちょっと、どうしようもない状況となっています。 しかも、悪いことに、現在、利用させてもらっているレンタル・サーバーの容量が一杯になってしまい、画像ファイルを多用する企画ページのデータをアップする余地がなくなっておりまして、そのことも、企画ページのデータ更新に手を付けられない一因となっております。 これまでは、既存の画像ファイルの圧縮率の低いものについて、圧縮率を高める修正をかけることで、何とか、騙し騙しやってきておりましたけれども、そうした対応も、そろそろ限界に来てしまいました。 現在、利用しているレンタルサーバーのサービスは、容量が増えるたびにURLが変わってしまいますし、色々と利用する上での制約も多かったりしているため、この際、レンタルサーバー先そのものを変更しようと考えておりまして、そのための情報収集などを行っているところでありますので、いま暫く時間をいただかなければなりません。 現行サーバーの更なるシェイプアップを図ることで、当面、「お便りコーナー」のデータ更新くらいは何とかなりそうですので、「お便りコ−ナー」宛てのメールは、これまで通り、ご遠慮なく、お送りいただければと思います。 現行サーバーの更なるシェイプアップを図りつつ、新規サーバーへの移行を行うつもりですが、来月初めには、半年ぶりの海外出張も予定されているため、サーバーの移行を実現するのは、来月中旬以降になってしまいますので、皆様には、悪しからず、ご了承をお願いさせていただきたい次第です。 ということで、暫くは、掲示板を中心に、皆様との情報交換をさせていただくような形で凌がせていただければと思っておりますので、皆様のご理解とご協力を賜りますよう、よろしくお願いいたします。
主宰者敬白
1999.10.11(月)
体育の日を真ん中に挟んだ三連休を、如何お過ごしでいらっしゃいましたでしょうか。 私は、初日の土曜日は、お昼から出社して仕事をしてまいりましたが、昨日は、府中市にあります郷土の森という大きな公園で開かれている「郷土芸能と縁日の森」という“お祭り”に行ってまいりました。 今日は、1日、資料の片づけと整理で時間が潰れてしまいました。 昨年も書かせていただいたかと思いますが、ウチのカミさんが「森のお話会」という昔話や紙芝居の市民サークルに入っておりまして、毎週土曜日には、郷土の森で紙芝居やお話をしているのですが、毎年、この「郷土芸能と縁日の森」という“お祭り”では、その集大成のようなお話会のイベントが行われております。 昨日と今日は、郷土の森の中に移築されている古い茅葺き屋根の農家の中で、1日3回、計6回の「お話会」が開かれておりまして、私と長女と長男と次男の4人で、カミさんの紙芝居を見物に出かけてきたわけであります。 ところが、カミさんが紙芝居をやる時間ギリギリに公園に到着し、長女と長男は、公園の入り口から全速力で走っていって滑り込みで会場の古い農家に入れてもらいましたが、私と次男は、結局、カミさんの回には間に合わず、農家の敷地の芝生の上に寝転がって、外から障子越しに聞こえてくるカミさんの紙芝居を聴くことになりました。市民サークルの「お話会」ではありますが、演じる側の集中力の妨げになるのと、お客さんの邪魔になるのと、両方の理由で、途中入場は許されないのであります。 それでも、外でじっと待つことなど出来ない次男は、障子に耳をあてては、障子戸をガタゴトいわせたりしたものですから、中にいた「お話会」のサークルの先生に叱られたりしておりました。
私と次男は、昨年に続き、巻玉鉄砲と巻玉をしこたま買い込んできましたので、長男と次男は、さきほど、多摩川の河原に行って、鉄砲の撃ち合いごっこをしてきました。
それにしても、“郷土の森”に移築・展示されている古い農家などは、私が子どものころには、近所に現役の住宅として存在していた農家とほとんど変わりませんし、木造校舎の中に展示されている教壇や机、石炭ストーブ、足踏みミシンなどは、すべて、私たちの生活そのものであったわけですが、そうした品々が、いわゆる博物館の展示品としての扱いを受けているのを見るにつけ、「1960年代」という時代が、そうした展示の対象となるような歴史上の一時代区分となりつつあることを、しみじみと実感してきたわけであります。 改めまして、この「60年代通信」というホームページを通じ、皆様と一緒に、私たちが幼少期・思春期を過ごした、あの時代の生活文化といったようなものを、自らの記憶や思い出をベースに、再構築していきたいものだと意を新たにしてきたような次第でありますので、引き続きまして、よろしくお付き合いくださいますよう、お願い申し上げます。
主宰者敬白
1999.10.04(月) 皆様、今晩は。 前回、このコラムを書かせていただいてから、10日も経ってしまいました。 ここのところ、週末ごとに、何かと用事が立て込みがちで、ここ2週間ほどは、日曜日に“60sえれじい”を更新させていただくというローテーションが崩れております。とか、言いながら、夏休みをいただいた8月の末以降、このコラムの定例の更新が行えないままになっております。 ここ暫く、ほとんど「60年代通信」とは関係のない、私の絵日記風な内容が続いておりまして、多くの皆様には、クソ面白くも何ともないものになっていると思いますが、ガキの頃から、日記をつけ始めても3日と続いた試しのない私にとって、このコラムだけは、既に、1年半以上も継続されており、すでに、ギネスブックものの境地にいたっておりますし、身内や関係者の皆様には、私の無事を確認する唯一の縁(ヨスガ)として重宝されていたりしているため、一応、頑張って、続けさせていただこうと思っておりますので、悪しからず、ご了承ください。 さて、前回の9月23日の秋分の日以降にあった我が家のビッグイベントとしては、9月29日(水)の神宮球場でのヤクルトvs中日戦の観戦を特記しておかなければなりません。 以前も、どこかで書かせていただいたかもしれませんが、今年の夏から、小学5年の次男が、にわかにプロ野球にのめり込みはじめ、知らないうちに熱狂的ジャイアンツ・ファンとなっておりました。私も、強いていえば、巨人ファンというか、長嶋ファンだったガキの頃の習性をそのまま、引きずっているわけですが、その私が、とりたてて、巨人ファンい誘導するような動きをしたわけでもないのに、気がついたら、テレビを見ながら、「松井、打て〜っ!!」とか、「上原、頑張れ〜っ!!」と絶叫するようになっておりました。 昨年の初めに、「60年代のイベント」というコーナーの「長嶋茂雄」のページでも書かせていただきましたように、私が、プロ野球に関心を持つようになり、自分から新聞のスポーツ面を見たり、長嶋のスクラップブックもどきを作り始めたのは、6歳の頃、つまり、昭和36年くらいからでありまして、記憶に残っている最初の優勝チームというのは、大洋ホエールズでありました。 小学校に入る前から、近所の小学校高学年の子供たちに混じって、軟式野球をやらせてもらい、体中、傷だらけになっておりました。 野球大好き少年となった私は、小学校3年くらいから、基礎体力作りと称して、毎日、家の前を流れていた農業用水の土手を走るようになって、1カ月完走すると、親父から「鉄腕アトム」や「鉄人28号」、「W3」、「スーパージェッター」といった朝日ソノラマのソノシートを買ってもらったりしたものであります。 小学校4年の時には、胸にSUZUKIというマークの入った私製ユニフォームまで作ってもらい、5年の野球部入部まで待ちきれずに、友達と隣の学区の小学校に野球の試合を申し込みに行って、先生に止められたりしておりました。 小学校4年の冬から中学を卒業するまでは、野球部漬けの生活を送り、高校、大学時代は、友人の会社の実業団野球に混ぜてもらい、大学時代の体育では、あのアマチュア野球の大御所・石井藤吉郎先生の授業「軟式野球」を選択し、石井先生から数少ない“優”をいただいたのが、私の野球人生における輝かしいモニュメントとなっております。 そうした私の野球との関わり方に比べると、小学校5年にして、ようやく野球を見ることに目覚めた長男には、若干の物足りなさを感じたりするわけでありますが、それでも、せっかく芽生えた野球への関心ですから、できるだけ、伸ばしてほしいという親バカもありまして、先月の長男の誕生日に、ヤクルトvs中日戦のチケットをプレゼントしたのでありました。 本来であれば、東京ドームの巨人戦のチケットにしたかったのですが、プレゼントに買ってあげようと思ったころには、ドームの巨人主催試合のチケットは、売り切れ状態だったのであります。 そこで、中日と巨人の優勝争いがピークに達するであろう頃を見計らって、先月29日のヤクルトvs中日戦を選んだわけですが、私の予想とは裏腹に、正念場で巨人が連敗したため、私と長男が神宮へ行った日は、既に、中日の優勝へのマジックが“3”となってしまっておりました。 それでも、長男にとっては、初めて見るプロ野球の試合で、あのレフトスタンドの熱狂的な中日ファンの応援を目の当たりにすることが出来て、それなりに、プロの醍醐味を堪能したようでした。 試合は、ヤクルトの先発ハッカミーが中日打線をどこまで抑えるかというのが、前半の興味でありまして、中日の強力助っ人の4番ゴメスとの対決は、「ゴメスvsハッカミー」ということで、何やら、「ウルトラQ」第29話というような趣きもあったわけですが、ハッカミーがゴメスを封じて、6回まで中日を無得点に抑え、ヤクルトが2ー0とリードしておりましたが、中継ぎの五十嵐が満塁でゴメスに走者一掃の二塁打を浴び、結局、中日が勝って、マジックを“1”とし、翌日の試合で巨人が敗れ、中日の優勝が決まったのは、皆様、ご存知の通りであります。 今週の週末は、土曜日は長男のカブスカウトの活動でお世話になっているリーダーの結婚式がありまして、次男と一緒に長男を立川まで送りに行ったり、日曜日は長男の小学校の運動会があったりという状況で、せっかく、今月の1日に掲示板を開設して「お便りコーナー」に関わる作業量を軽減させていただき、企画ページのデータ更新に励ませていただきますと公言させてもらいながら、早速、挫折してしまったような次第です。 相変わらず、言い訳コラムとなっておりますが、これまで、毎日、データ更新してきた「お便りコーナー」の作業量は、確実に軽減されてきておりますし、今後は、毎日、少しずつでも、企画ページの作成に時間を充てていこうと思っていますので、引き続き、よろしくお付き合いくださいますよう、お願い申し上げます。
主宰者敬白
1999.09.23 皆様,今晩は。 「秋分の日」の祝日を,如何,お過ごしでいらっしゃいましたでしょうか。 我が家は,「オーパday」という感じでありました。
聖蹟桜ヶ丘駅は,駅ビルそのものが京王デパートを中心とする京王ショッピングセンターになっておりまして,専門店フロアも,それなりに充実しており,私も,長い間,近所での買い物には,このショッピングセンターを利用してきておりました。 数年前に,多摩市の夏祭りのイベントとして行われたジャッキー吉川とブルーコメッツのライブを見たのも,この駅ビルの京王デパート前の広場でありました。 3年くらい前に,府中駅近辺の再開発により,大国魂神社の前に伊勢丹デパートが進出したり,府中駅にも新しい駅ビルが出来て,新星堂や啓文堂といった大型のレコード屋さんや本屋さんが入ったりして,私の週末のショッピングは,聖蹟桜ヶ丘と府中で事足りていたわけですが,今日のOPAオープンで,さらに,そのショッピング環境が充実したことになります。 ほとんど日常的に極貧状態にある癖に,ショッピング環境の充実もクソもないわけではありますが…。 ま,それはそれとしまして,今日の聖蹟桜ヶ丘の駅周辺は,物凄い人出で,もう,ほとんど新宿が渋谷のようでありました。京王線沿線ですから,競馬が終わった後の府中駅周辺というべきかもしれませんが,私も,京王線沿線に住むようになって15年近くになりますが,聖蹟桜ヶ丘の駅周辺に,あんなに人が沢山いるのを見たのは,今日が初めてでありました。
京王デパートも,opaのオープンを前に,先週の15日,つまり「敬老の日」に合わせて,リニューアルを終え,「グランドオープン」を華々しく宣伝しておりましたが,斬新なビルのデザインも含めて,やはり,新しいショッピングセンターの集客力というのも大変なものであります。 カミさんと次男と私がOPAを訪れた午後2時過ぎの時間帯は,エスカレーター(エレベーターじゃなくって,本当に,エスカレーターなんです)に乗るのに,列が出来るほどで,各フロアのエスカレーター乗り継ぎスペースには,2〜3人の係員が張り付いていて,「立ち止まらないでください!!」と拡声器で呼びかけるほどでありまして,とても,21世紀を目前に控えた2000年の東京の光景とは思えませんでした。 何れにしても,沿線の一消費者として,このショッピングセンター間の競争による恩恵を享受させていただけるよう期待させてもらおうと思っております。
このオジさんには2年くらい前の冬にも,一度,来ていただいたことがありまして,その時には,薄着でマッサージをしてもらった上,指圧で筋肉が緩んでしまったためか,風邪をひいて翌日から寝込んでしまうハメになり,それ以来,「指圧マッサージ=風邪」という固定観念が私の中に定着してしまい,その後は,来てもらっていなかったのですが,今回は,夏休みに田舎でマッサージを受けてきたカミさんが,体をほぐす必然性を,改めて痛感してきて,再び,お願いしたのでありました。 日ごろ,PCや資料の入った重いデイパックと重いショルダーを持ち歩き,電車の中も含めて,起きている間は,ほぼ1日中,キーボードを叩いている私の体は,肩はもちろん,全身が凝りの固まりのようになっておりまして,持病の腰痛はもちろん,頭痛も,その極度の肩凝りとの関係も指摘されるほどで,このまま,放っておくと,頭がプッツンしちゃうのではないかと脅されたりしているため,今後は,何ヶ月かに1度,こういう指圧を受けて,幾重にも重なった凝りを少しずつほぐしながら,自分でもラジオ体操や柔軟体操などを行い,体を正常化する必要があると言われました。 そういえば,以前,「凝りと痛みにかーこーまれてー」という「ブルーシャトー」の替え歌を使った薬のCMがありましたが,私も,薬のお世話にならずにすむよう,日ごろから,体の維持に励まなければいけないと,気持ちを新たにした次第であります。 ということで,前回に引き続き,ほとんど「60年代通信」的テーマとは関係のない絵日記に終わってしまいましたが,また,今週末には,企画ページの更新に励もうと思いますので,引き続きまして,よろしくお願いいたします。
主宰者敬白
1999.09.15(水)
敬老の日のお休みを、いかがお過ごしでいらっしゃいましたでしょうか。 我が家は、今日は、町内の神社のお祭りで、長男と次男は、同じマンションの子供たちなんかと一緒に御神輿についていったり、遊んだりして、日中の時間をつぶしておりました。 夕方からは、プロ野球セ・リーグの天王山である巨人vs中日3連戦の第2戦とシドニー五輪の野球・アジア地区の決勝リーグの第1戦である日本vs台湾の試合を同時に見るというようなことになってしまいました。 小学5年の長男は、今年の夏辺りから、野球に熱中し始め、憑かれたかのように巨人を応援し始めておりまして、もう、ここのところ、大騒ぎしながら、プロ野球中継に見入っております。 前回のこのコラムで帰省していた夏休みの後半のレポートを書かせていただき、その中でも、言及させていただきましたが、新潟県長岡市の私の実家の町内やその周辺は、7月の後半にお祭りが集中しておりましたが、現在、私が住んでいる日野市の辺りでは、お祭りは9月に入ってから開かれているようです。 長岡では、前回も書かせていただきましたように、河井継之助の墓のある栄涼寺で開かれる東神田のお祭りが7月23日、私の実家のある地蔵町のお祭りが7月24日、さらに、隣の町である川崎のお祭りが7月25、26日の両日というのが、例年のスケジュールになっておりまして、大体、1学期の終業式の日が地蔵町のお祭りで、夏休み初日が川崎のお祭りということになり、私たちはウキウキ気分なのでありました。
日本vs台湾は、西武の松坂が完投して、被安打3で1点は奪われましたが、13個の三振を奪う好投をみせ、9回裏に相手のエラーからチャンスを作って、サヨナラ勝ちしました。巨人vs中日戦は、巨人が10対3で大勝して、昨日に続く連勝で、中日とのゲーム差を1.5としました。 本来であれば、休日の今日を利用して、企画ページを1ページくらい作らせていただくつもりでしたが、言い訳をさせていただくわけではありませんけれども、と言いながら、はっきり言って、言い訳ですが、お祭りと野球のため、時間が取れないまま過ぎようとしております。 毎度、毎度、こんな言い訳ばかりで申し訳ありませんが、涼しくなってきたことですし、また、徐々に企画ページの更新ペースも上げていきたいと思っておりますので、どうか、皆様、引き続きまして、よろしくお付き合いいただきますよう、お願い申し上げます。 1999.09.12(日) 皆様、今晩は。 前回の夏休みレポート第1弾から 2週間も経過してしまいました。 夏休みが終わってからも、相変わらず、バタバタの日々が続いておりまして、「お便りコーナー」だけで、かろうじて、日々のデータ更新を実現させていただいているような状況となっております。 今回は、前回の後を受けまして、私の夏休みレポート第2弾ということで、長岡に帰省していた間の動きの続報ということで、お付き合い願います。
それぞれのスポットについては、また、改めて、企画ページを作らせていただこうと思いますが、例によりまして、いつのことになるか分かりませんので,取り敢えず、主なスポットを簡単に紹介させていただこうと思います。 まず、まだまだ残暑が厳しかったということもありまして、先日、「60年代の暮らし」のコーナーでも触れさせていただいた旧国道17号線沿いの氷屋さんのあった場所に行ってまいりましたが、やはり、もう、そのお店があった場所さえ、特定できませんでした。 しかし、その氷屋さんがあった場所のはす向かいには、子供の頃、よくアイスキャンデーやアイスモナカを買っていた「川西屋」というお菓子屋さんが、お店の構えも、当時とまったく同じままに、残っておりました。アイスキャンデーもアイスモナカも買って食べてみましたが、私の記憶に間違いがなければ、味も、全然、変わっていませんでした。
東神田には、私が通った聖母幼稚園、河井継之助の墓がある栄涼寺があります。栄涼寺は、東神田のお祭りが開かれていた場所でもあり、子供の頃、毎年、欠かさず、そのお祭りには行ったものでありました。 その栄涼寺の山門の隣には、私が最も利用していた「かんだ文庫」という貸本屋さんのあった家も、当時のまま、残っていました。
この稽古町とかテツオ君が住んでいた愛宕町という辺りは、新幹線とバイパス道路によって、最も町並みの景観も変わってしまったところで、私が子供の頃には、立派な石庭があって、銀玉鉄砲の撃ち合いなどには格好の遊び場となっていた長興寺は、お寺の様子もすっかり変わってしまい、あの立派な石庭もなくなっておりました。 袋町では、ウチにお風呂が出来るまで、文字通り、毎日のように通った「毎日湯」という銭湯が、今も、営業を続けておりました。「毎日湯」に行く途中にあった、通称「ヒコーキ屋」という駄菓子屋さんも、既に、営業はしておりませんでしたが、その家も、当時のまま、残っておりました。
その和光寮の側を流れている栖吉川を上流に向かっていきますと、100メートルほどのところに私が通っていた長岡市立川崎小学校があります。私が卒業してから、既に30年以上の歳月が流れているわけでありまして、私達が使っていた木造校舎はすべて建て替えられ、私の入学直前に完成し、当時、「新校舎」と呼ばれていた鉄筋コンクリートの3階建ての校舎だけが、古びた姿を残しておりました。
さらに、長岡高校から栖吉川を200メートルほど上流に辿っていきますと、かつて、旧・新潟大学工学部のキャンパス跡があり、現在は、長岡市立中央図書館と長岡市民体育館になっています。 この新潟大学キャンパス跡から、さらに、300メートルほど上流に、かつて、栃尾鉄道(トッテツ)の鉄橋が架けられていた場所がありました。
その近辺で、何人かの方にお話をお伺いし、長倉と呼ばれる町の中に、まだ、廃線跡を偲べるような場所があることを聞かせていただき、かつて悠久山へ向かう最後の直線コースとなっていた線路の名残と錆びた線路の切れ端を確認することもできました。 長岡高校の辺り(かつての「こうこうまえ」駅周辺)から悠久山街道へ至る辺り(かつての「だいがくまえ」駅周辺)までの線路跡は、綺麗な遊歩道として整備されており、トッテツの電車の車輪をそのまま使ったオブジェなどもありました。 トッテツの悠久山駅跡は、現在、越後交通のバス発着所になっておりまして、なんと、駅前にあった2軒のお菓子屋さんは健在で、ほぼ、往時のままの佇まいを維持しており、私は感動してしまいました。 蒼紫神社の参道から見える2軒のお菓子屋さんの風景は、30年前と何ら変わることはなく、そのまま、左に折れたら、トッテツの駅が姿を現わしそうな気さえしました。 最後に、既に、取り壊しが決まっているという駅前の厚生会館を訪れ、事務所の方のご厚意で内部の画像を撮らせていただくこともできました。
その懐かしい非常階段では、一人で記念撮影をさせてもらったりしてきましたが、なんと、その厚生会館の裏手に出来た長岡グランドホテルでは、私が帰省中の8月29日に、ジャッキー吉川とニューブルーコメッツのディナーショーが開かれており、その偶然に、私は、本当に驚いてしまったわけでありました。非常階段の画像には、その長岡グランドホテルもしっかり、写っております。
それでも、短い帰省の間に、同じ長岡の空の下にブルコメの皆さんがいらっしゃったというだけで、わたしは、その偶然を喜び、満足していたのであります。 ということで、この週末も、昨日の土曜日は、来週の仕事の準備のために出社せざるを得なかったため、またまた、企画ページの更新ができないままに終わろうとしております。 帰省中に仕入れてきたネタも含めまして、ネタばかりが溜まっていく一方で、企画ページを作る時間が取れない状況に、自分でも、欲求不満が募るばかりですし、アクセスいただいている皆様には、本当に申し訳なく思っております。 いっそのこと、早く会社が潰れてしまうか、リストラされてしまえば、すっきりするのになどと不謹慎なことを考えてしまう今日この頃であります。 何とか、今週からは、少しずつでも、準備を始めようと思っておりますので、皆様におかれましては、ご理解とご寛容をたまわり、よろしくお付き合いいただきますよう、お願い申し上げる次第です。
主宰者敬白
1999.08.30(月) こんにちは。 子供達の夏休みも残り僅か1日となってしまいましたが、皆様、いかがお過ごしでいらっしゃいましょうか。 私は、23日からの1週間、夏休みをいただき、先週の土曜日から実家のあります長岡に帰省し、本来であれば、昨日の夜には東京に戻り、今日から仕事に復帰する予定でしたが、先週のうちに済ませるはずだった所用が、今日まで引っかかってしまい、夕方の新幹線で長岡を経ち、現在、東京に向かう新幹線の中で、これを打たせていただいております。 ここのところ、このコラムもイレギュラーな形となってしまい、夏休み中に正常化させるつもりでしたが、実家に居れば居たで、それなりに用事も出来てくるものでありまして、本来であれば、会津若松への一泊二日の旅行から帰り次第、旅行報告のような形でこのコラムを書かせていただき、昨日の分から、日曜日の夜にアップする定例のパターンを軌道化させるはずだったのに、それもままならず、こうして、3人の子連れで東京に戻る新幹線の中で書くような状況に追いこまれております。
毎年夏に行われる府中市商工祭りのミニSLにしか乗ったことのない次男は、モクモクと煙をはきながら、シューッと大量の水蒸気を噴き出す本物の蒸気機関車に大騒ぎでありました。 座席は全席指定でありまして、5日ほど前に東中野の「みどりの窓口」で購入できたのは、禁煙車両ではあったものの、バラバラの通路側の席でしたが、幸い、お袋の席も私の席も列車の進行方向の指定席でしたので、お袋の向かい側に座っていた若い男性に私の席と代わってもらうことができました。 座席は昔ながらの4人掛けのボックス座席でありまして、もちろん、背もたれはリクライニングなど出来ません。でも、そういえば、東京から長岡に来るときに乗った2階建ての「Maxあさひ」の座席もリクライニングは出来ませんでした。
初老のお二人にしても、私と同い年の男性にしても、次男を抱きかかえて窓側に寄せてくれたり、お袋の世間話に付き合ってくれたり、都会の電車や新幹線の列車の中などでは、なかなか想定できないようなシチュエーションを体験することができました。 わざわざSLに乗りにくるくらいですから、それなりの心づもりで来ているという事情もあるでしょうが、でも、やっぱり、懐かしい蒸気機関車の汽笛や蒸気の音、向かい合わせで座らざるを得ない昔ながらのボックス座席の醸し出す雰囲気が、こちらの気持ちもなごませてくれるというような側面があることも確かなようであります。 少なくとも、都会の通勤電車のように、車内で大声をあげて喧嘩するようなギスギスした雰囲気は微塵もないわけでありました。
東山温泉は、山間の立地のため、私が通信専用に使っているPHSが利用できないのではないかと懸念しておりましたけれども、部屋の奥ではアンテナが立ったり立たなかったりではあったものの、ちょっと窓際に寄るとアンテナ2本は安定的に立ってくれるような状況で、無事、メールの送受信やホームページのデータ更新を行うことができました。
翌日は、朝8時過ぎに会津若松を出発する会津鉄道のトロッコ列車に乗るため、次男を連れて7時過ぎのバスで東山温泉を発ち、まだ、誰も来ていない出発ホームで、私達2人だけで30分以上も待つことになりましたが、おかげで、特急の「ビバあいづ」やローカル列車、貨物列車などを見ることができた次男は、またまた、大喜びでありました。 実は、前日、東山温泉に着いてから、会津鉄道に電話で確認したところ、トロッコ列車に乗るためには、予約や指定券はいらないものの、事前に整理券を買っておく必要があり、夏休み期間中は、当日の朝では整理券の入手が厳しいのではないかと言われ、次男とお袋を旅館に残して、私だけ1人、バスで再度、会津若松駅まで出かけ、JRの「みどりの窓口」で、トロッコ列車の整理券を買ったのでありました。 しかし、当日は、発車10分くらい前に、三々五々、お客さんが集まってくるという雰囲気で、30分以上も前からホームで待っていた次男と私は肩透かしを食ったような感じでありまして、これなら、整理券を購入するのは、当日でも十分だったのではないかと、私は思ったわけであります。
会津若松駅から会津田島駅までの50キロ弱の区間に、トンネルが8つと鉄橋が20もあり、鉄橋から楽しめる渓谷美は、なかなかのものでありました。 全国で初めての自走できるトロッコ列車として注目を集めており、磐越西線を走るSLとともに、沿線地域の新しい貴重な観光資源となりつつあるようです。
駅周辺には、とりたてて見所もないようでしたし、会津田島に到着するちょっと前から降り始めていた雨も激しくなってきておりましたので、次男と私は駅ビルの2階にある喫茶店に入り、お昼を食べることにしました。次男は、ご飯を食べずに、アイスクリームと氷いちごを食べ、私は、カレーと氷いちごを食べながら、たまっていたメールの返事などを打ち込んだのでありました。 次男は、私が「半分こにしよう」と言ったかき氷を2つ注文させたくせに、結局、半分以上残して、私に叱られ、泣き出してしまい、私にダッコされて機嫌を取り直したのでありますが、訳の分からない5歳児との二人旅は疲れるのであります。 店内を流れていた有線放送と思しき音楽は、オールディーズのチャンネルらしく、「恋はフェニックス」「青い影」「ロックンロールミュージック」「サイモンセッズ」「ローズガーデン」「パイプライン」「アンチェインド・メロディー」「幸せの朝」「西暦2525年」などがかかっていて、蒸気機関車とトロッコ列車というレトロな旅行の途中で“懐メロ”を聞かされ、次男を抱きながら、私は不思議な感覚に捕われてしまったのでありました。 駅ビルの喫茶店で2時間ほどの待ち時間を潰した次男と私は、切符を買って、再び、トロッコ列車に乗りこみました。帰りは空いているだろうと思っていたのに、国内旅行のツアー・グループがいて、あっという間に、満席になってしまいました。
出発時間を過ぎても、トロッコ列車は発車せず、帰りのSL列車との接続時間の少ない私があせっていると、「列車と自動車との衝突事故があったため、発車が遅れる見込み」という車内放送。駅の事務室に確認に行くと、電話で連絡をしている最中で、「復旧の見通しが立たないため、トロッコ列車も運休になるかもしれない」と説明され、「SL列車との接続があるのだが…」と尋ねると、「電車だと、もう間に合わないだろう」ということになり、急遽、駅前にあった会津バスの発着所から会津若松行きのバスに飛び乗って、何とか、SL列車の中で、お袋と落ち合うことができたのでありました。疲れきった次男は、バスの中で、ぐっすり眠り込んでしまい、今度は、1時間半という長距離にもかかわらず、気持ち悪くならずにすみました。 途中、会津田島を出て間もない踏み切り付近で、列車と衝突して100メートルほど引きずられ、大破した自動車が見えました。翌日の新聞報道によると、自動車に乗っていたのは、東京の狛江から旅行に来ていた人達で、3人全員が亡くなられてしまったそうです。 会津若松から会津田島へ来る途中、車窓から幾つかの踏み切りが見え、遮断機のない踏み切りも多く、「大丈夫なのかな」と思っていたのですが、新聞によると、やはり、自動車を運転されていた方が、山道の途中にある踏み切りに気付かなかったのが原因と見られているようです。 会津若松の駅前でバスを降り、SL列車に乗るため、大急ぎで改札を抜けようとしたら、会津鉄道が運休になっていることを知らせる張り紙がありました。
帰りの列車は空いておりまして、4人掛けのボックス座席に、次男とお袋と私の3人でずっと座ることができましたが、新津から長岡へ向かう普通列車は新潟が始発の上、帰宅ラッシュの時間と重なったこともあって、3人バラバラの席に座り、帰ってきました。
3人とも疲れきった1泊2日の旅行でありましたが、最後は、長岡駅の東口にあるホテル・ニューオータニのレストランでビーフカレーを食べた次男は、大いに満足したのでありました。 ということで、本当に、夏休みの絵日記になってしまいましたが、まだ、夏休み後半のお話もありますけれども、長くなりましたから、今回はここまでとさせていただき、次回、再び、夏休みのお話を紹介させていただこうと思いますので、また、よろしくお願いいたします。 最後まで、お読みいただいた皆様、本当に、どうも、ありがとうございました。 今後とも、引き続きまして、よろしくお願いいたします。
主宰者敬白
1999.08.20(金) 皆様、今晩は。 この“60'sえれじい”というコラムは、これまで、最低でも週に1度のペースで更新してまいりましたが、先週末は、公私ともに多忙を極めたため、ウィークデーに入ってから書かせていただこうと思っていたものの、ウィークデーに入ってからも、ハンパじゃない忙しさが続いたため、結局、金曜日の夜に書かせていただいておりまして、最も長いインターバルとなってしまいました。 基本的に、40オヤジの小学生風絵日記だったり、無節操で不埒なHP主宰者としての言い訳だったり、要するに“駄文の掃き溜め”に過ぎないようなコラムではありますが、それでも、“怖いもの見たさ”と申しましょうか、花園神社のお祭りの見世物小屋感覚で、このコラムをお読みいただいている奇特な方も少なからず、いらっしゃるようですし、私自身にとっても、小学生の時以来、日記をつけはじめても、三日坊主どころか、2日と続いたためしがなかったのに、このコラムのおかげで、とりあえず、既に、1年半以上にわたって、書き続けているという偉業を達成させていただいております。また、哀れな親父が家族に見捨てられるまでの同時進行ドキュメンタリーと申しましょうか、貧乏な家庭の家族日誌と申しましょうか、世紀末の日本における庶民生活の記録としての価値を見出すこともできるかもしれないわけなどないわけではありますが、とりあえず、本来、先週末に書こうと思っていたツマらない話を、今ごろ、書かせていただきますので、こんなバカには、とても付き合いきれないとお考えの方は、この辺で読むのをお止めいただき、その代わり、「60年代通信」だけはお見捨てにな らないよう、お願い申し上げる次第であります。 さて、先週末は、まず、土曜日に、次男の5歳の誕生パーティーを挙行したのでありますが、夜のパーティーに先だって、昼過ぎには、あの物凄い雨の中を、家族5人がバカバカしくも、またまた、焼肉ランチ付きのボーリングに行ってきたのでありました。 お昼前に出かける予定でしたが、さすがに、ハンパではない豪雨に一旦は、諦めたのでありますが、ボーリングを楽しみにしていた小学5年のバカ息子が泣いてしまったりしたものですから、午後になって、西の空にも明るさが戻ってきた頃合を見計らって、ボーリング場に出かけることにしたのでありました。それでも、やはり、全身ビショ濡れになる覚悟は必要だったため、全員、サンダル履きで、ボーリング場に着いてから着替える服も持って、雨の中をボーリング場に向かいました。 京王線の百草園駅から中河原駅まで電車に乗りましたが、途中、聖蹟桜ヶ丘の鉄橋では、堤防決壊寸前かというような濁流渦巻く増水した多摩川の様子に、家族一同息をのみ、ひょっとして、家に帰れなくなるのではないかという不安も、頭をよぎったりしたのでありました。 中河原の駅からボーリング場までは、歩いて5分ほどの距離ですが、前が見えないような土砂降りだったため、雨が弱くなるのを待つため、2度ほど雨宿りをしなければなりませんでした。 ボーリング場についてみると、雨の日にボーリング場に行こうと考える人は少なくないらしく、大変な混み様でありました。貧乏な我が家は、ボーリング3ゲームと焼肉ランチがセットになったパッケージを利用しているわけですが、焼肉ランチは午後3時までに食べなければいけないため、まず、先に、最上階の焼肉レストランに向かったところ、こちらも、待っている人の方が、レストランに入っている人よりも多いのではないかと思われるほどの混み様でありました。 貧乏なくせに、子供3人でご飯を3杯もお代わりするという恥ずかしい焼肉ランチも、何とか、お腹におさめ、1時間以上待って、僅か1レーンで5人が3ゲームを投げきり、家に帰ったら、もう夜の7時を回っておりました。 さらに、夜は夜で、手巻き寿司パーティーが繰り広げられ、この食欲怪獣の集まりのような貧乏な一家は、豪雨にも関わらず、とても楽しい1日を過ごしたのでありました。 翌日の日曜日は、東京都の中学ブラスバンド・コンテストも終わって、ようやく実質的な夏休みに入った中1の長女と、長女が実質的な夏休みに入るのを待っていた小5の長男が、私の実家に遊びに行くため、私と次男は、東京駅まで見送りに行ってまいりました。 そして、明日の土曜日からは、いよいよ私も夏休みに突入いたします。 仕事の区切りを待っていたのでは、いつまで経っても夏休みを取ることなどできそうにありませんので、強行突破することにしたのであります。 ということで、いつにも増して、単なる貧乏な家庭の家族日誌的な内容に終始してしまいましたが、家族史的には、これで、ミッシング・リンクが発生することを避けることができたわけであります。 私の会社のある東中野では、昨晩と今晩と、町内会の盆踊り大会があり、さきほど、トイレに行ったら、会社のビルのすぐ裏にある公園からは、懐かしい「オバQ音頭」なども聞こえてきておりました。 夏休みも、残すところ10日足らずとなりましたが、まだまだ、夏まっ盛りであります。 皆様、夏バテなどなさらないよう、お元気でお過ごしください。 私は、この夏休みは、次男と一緒に、既に長女と長男が遊びに行っている新潟県長岡市の実家に帰省いたしますが、インターネット環境は、そのまま、持ち帰ることになりますので、何とか、帰省中も、「60年代通信」のデータ更新は続けたいと思っておりますので、皆様、来週も、また、引き続き、よろしくお付き合い下さいますよう、お願い申し上げます。 1999.08.08(日) 皆様、今晩は。 東京は、もう、メチャクチャ暑いです。私と長女が共用している西向きの部屋は、昼過ぎになると、ほとんど、サウナと化してしまい、数分いるだけで、汗がダラダラと流れ落ちてしまうほどです。 この週末も、また、仕事が押せ押せになってしまい、昨日の土曜日は、出社せざるを得ない状況となりましたが、夕方、会社の帰りに、府中で途中下車し、昨年、ジャッキー吉川とニューブルーコメッツを見たのと同じ「府中市商工まつり」で、ペドロ&カプリシャスのライブを、カミさんと一緒に見てまいりました。 今日も、恒例のミニSLに乗るため、次男と一緒に、再び、「府中市商工まつり」の会場である大国魂神社に行ってきまして、この「60年代通信」の企画ページのデータ更新には手をつけられませんでした。毎度のことながら、誠に、申し訳ございません。
メールや画像をお送りいただいている皆様、本当に、ありがとうございます。この場をお借りしまして、改めまして、御礼申し上げます。 さて、ちょうど、そのエレキ・GS関連の話題で盛り上がっているタイミングで、先週の月曜日(8月2日)に放送されたNHKの「ふたりのビッグショー」で、“永遠のロックンローラー”ミッキー・カーチスさんと宇崎竜童さんが共演されました。 タイトルも、なんと、「俺たちの20世紀〜俺たちのニッポンロックンロール」という力の入ったものでありまして、久しぶりに、十分な満足感を味わうことのできる音楽番組でありました。 まず、お二人の共演による「ロックンロール・ウィドウ〜のっぽのサリー」のオープニングに続き、「ハウンド・ドッグ」(宇崎・ミッキー)、「好きにならずにいられない」(宇崎)、「ラブ・ミー・テンダー」(ミッキー)とプレスリーの曲が3曲。
そして、「太陽にほえろ」のテーマをBGMに井上尭之さんが登場して、「ブルーシャトー」「青い瞳」(宇崎)、「テネシーワルツ」(ミッキー)の3曲では、尭之さんもバッキングのギターで参加。 さらに、宇崎さんが「Baby」というオリジナル曲を歌い、ミッキーさんも粋なジャズっぽいアレンジで「恋の片道切符」。 最後は、再び、尭之さんも登場して、3人でノリノリの「監獄ロック」と「イミテイション・ゴールド」でありました。 「お便りコーナー」でも、以前、書かせていただいたように、宇崎さんは、ダウンタウン・ブギウギ・バンドで世に出られる以前、大学を卒業されてから大橋プロダクションというブルコメの所属プロダクションに就職し、ブルコメのサブマネージャーを務められたこともあり、ダウンタウンが昭和50年代前半に出したGSトリビュートアルバムでも、ブルコメの「青い瞳」と「ブルーシャトー」の2曲を取り上げてくださったほどで、自身も、GS、とりわけ、ブルコメに強い思い入れをお持ちの方でいらっしゃいます。 何年か前に、宇崎さんと井上大輔さん、井上尭之さんの3人で音楽プロジェクトを動かしていらっしゃった時期があり、筑紫哲也さんのニュース番組“NEWS23”に3人で出演されていたこともありました。 それはともかく、今回の「ふたりのビッグショー」では、何と、宇崎竜童さんのボーカル、井上尭之さんのギターという贅沢な顔合わせによる「ブルーシャトー」と「青い瞳」を聞くことができ、私は、大いに満足したのでありました。 特に、「青い瞳」の方は、フルコーラスの演奏でしたので、間奏で尭之さんのブルース感覚あふれるギターを聴くことができ、本当に得した気分でありました。 そして、今回の番組で以外だったのが、ミッキーさんの枯れた味のある楽しいお人柄であります。 私の知っているミッキーさんというのは、かなりバタ臭く、ちょっと、距離感を感じてしまう方でありましたが、その味わいがバター醤油風味に変わってきていることを感じさせてくれました。 ミッキーさんは、立川流のミッキー亭カーチスの名前を持つ落語家でもいらっしゃいまして、今回の番組では、宇崎さんの歌った「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」の曲に合わせて、噺家としての力のほども見せておりました。 また、「テネシー・ワルツ」にしても「恋の片道切符」にしても、その枯れた味わいは、素晴らしいものでありました。
今週は、夏休みの課題の読書感想文ならぬテレビ番組感想文で終わってしまいましたが、この暑さに免じて、お許しいただければと思う次第であります。 ということで、今週も引き続き、よろしくお願いいたします。
主宰者敬白
1999.08.01 皆様、今晩は。 夏休みに入って1週間がたちまして、様々なイベントが目白押しで、気分は「会社なんか行ってられるかバカヤロー」という感じでありますが、相変わらず、家でも仕事に終われる悲しい日々が続いております。
一番大きく見えたのが、立川方面の恐らく昭和記念公園の花火大会と思われ、ほとんど、隣接するような感じで、その北西方向に、もう1カ所、さらに、国立から所沢方面にも、遠方ではありましたが、3カ所の花火大会を見ることができました。 夏本番を実感させていただいた次第であります。
実は、先日、マンションの子供会の夏休みイベントとして、ボーリング大会があり、中学1年の長女はコンクールを前に、夏休みに入ってからも、連日ブラスバンドの練習のため弁当持参で学校に通っているため、参加できませんでしたが、小学5年の長男と幼稚園年中組の次男は、すっかり、ボーリングにハマってしまい、次男はそれ以来、「ボーリングに行こう、ボーリングに行こう」と言いつづけておりました。 そこで、長男はボーイスカウトのキャンプで不在でありましたが、私とカミさんと長女と次男の4人で、ボーリング大会を行うことになったのであります。
今時は、幼稚園の年中でも履けるようなレンタル・シューズも用意されておりますし、指を5本とも全部つっこめる4ポンドのボールなどというのも用意されておりまして、4歳のハナクソ坊主でも、いっちょまえにボーリングを楽しむことができるようになっているのであります。
これで、幼稚園の年中の4歳児も心おきなく力いっぱいボールを投じることが出きるわけで、左のカバーにぶつかり、また、右のカバーにぶつかり、まるで、ピンボールマシーンのボールのようにジグザグにボールが進むことになるわけですが、それでも、ファイナル・アプローチの角度がよかったりすると、ストライクも出たりしますので、4歳児でも、病みつきになってしまったりするわけであります。 でも、そこは、4ポンドのボールの悲しさで、最初に投じる角度が、両脇の溝に対して、かぎりなく直角に近かったりすると、レーンの途中でボールがとまってしまい、係のお姉さんを呼んで、ボールを拾ってきてもらって、投げ直しということになりますので、幼稚園の年中組のプライドに、傷がついたりもするわけであります。 ボーリングの後は、同じビルの中にある焼肉レストランで、本格的なコリアン・バーベキューを楽しむわけですが、ボーリング3ゲームと焼肉ランチがセットで、1人1500円という料金は、なかなかのコストパフォーマンスでありまして、我が家のような極貧の家庭にとっては、手ごろなファミリー・レジャーを楽しむことができました。
思わず、ポスターをはがして持ってかえろうかと思いましたが、一緒にいたカミさんに止められてしまいました。 仕方がないので、持っていたビデオで撮影した画像を取りこんだものをご覧いただこうと思いますので、よろしくお願いいたします。 ステージ上でマイクを持った左手を上げているのがジャッキーさんでありまして、そのちょうど前辺りに頭頂部の薄いオヤジが写っているのがお分かりになるかと思いますが、そのオヤジが私でありまして、その左隣で、いすの上に立ってはいるものの、後ろの人の影になってしまい頭だけ写っているのが、次男であります。 さらに、その左隣には、一緒に見に行った会社の同僚親子もいるはずですが、後ろの人の影になって、全く映っておりません。 前にも、どこかのページで書かせていただきましたが、今年の「府中市商工まつり」では、ペドロ&カプリシャスのライブがイベントとして予定されておりまして、パラキン、ブルコメに続き、今年も、ライブを楽しませてもらおうと思っております。
ということで、この週末は、いっぱいになってしまったサーバーの容量を空けるため、早い段階でアップした重い画像データを軽くする作業に時間が取られてしまい、企画ページにつきましては、「ザ・タイガース・シングル盤ディスコグラフィー」の「シー・シー・シー」しかデータ更新が出来ませんでしたが、今週の火曜日には、所用で会社を休ませていただくことになっておりますから、今週は、何とか、ウィークデーの企画ページのデータ更新を実現しようと思っておりますので、皆様、引き続き、よろしくおつきあいくださいますよう、お願い申し上げます。
主宰者敬白
1999.07.25
この映画は、1997年に手塚プロダクションと松竹が共同制作したもので、手塚治虫さん自ら「火の鳥」と並ぶライフワークとして位置付けておられた大作「ジャングル大帝」 のうち、レオの子供であるルネとルキオが誕生するところから、「ジャングル大帝」のクライマックス、感動の名場面として名高いレオが自らの命をヒゲオヤジに捧げるところまでを、ドラマチックにまとめたものです。 皆様もご存じの通り、「ジャングル大帝」は、パンジャからレオ、ルネに至るまでのライオン親子3代記であると同時に、「大陸移動説」の原因として核融合にも匹敵するエネルギーを秘めているとされる“月光石”の眠るムーン山をめぐる大ロマン物語であり、テレビの「ジャングル大帝」がジャングルを舞台に繰り広げられる動物物語だったのに対し、この映画は、むしろ、“月光石”をめぐる人間の争いがストーリー展開の軸になっていて、その意味では、テレビよりもはるかに原作に忠実なシナリオでありました。 観客は、私のような子供時代にリアルタイムで手塚治虫にどっぷりと浸かっていた世代のお父さんやお母さんに連れられた子供たちが中心でありましたが、それでも、小学校高学年から中学生くらいの女の子が2〜3人の友達同士だけで見に来ているグループも結構多かったようです。 私たち親子3人の両隣は、どちらも、2人連れの小学校高学年の女の子が座っており、紫斑病でレオの奥さんのライヤが亡くなってしまう場面や、ムーン山で遭難したヒゲオヤジにレオが自分の肉と毛皮を与えるため自らの命を絶たせる場面などでは、隣の女の子達は、鼻をグスグスいわせながら、泣いておりました。 私も、年甲斐もなく、思わず知らず、目をウルウルさせてしまったのであります。 1時間半の長丁場の映画に、次男は、途中、何度か「早く焼肉パーティーに行こうよ」と私に訴えておりましたが、ヒゲオヤジやレオ達がムーン山に登る辺りからは、また、映画に引きずり込まれ、結局、最後まで見ておりました。 (スミマセン、家に帰ってから、ここまで、書いたところで、既に、午前2時を回り、今週末は、炎天下のもとで2日続けて外に出ていたこともあり、ほとんど前後不覚状態に陥りつつあります。今週は、会社の仕事でも、まとまった原稿を2本ほど書かなければいけない情況となっているため、途中ですが、休ませていただくことにします。例によりまして、全く大した内容ではないまま、ほとんど戯言のような40オヤジの小学生風絵日記になる予定ではありますが、今週の半ば頃までに、続きを書かせていただきます。 「お便りコーナー」も新規アップ分については、リンクを張る作業ができおりませんし、「60年代の暮らし」の「広口ジャー」のページも戻るボタンがついていなかったりして、色々と中途ハンパなままで、またまた、ページビューが落ちる結果となりそうですが、どうか、御容赦ください。よろしくお願いいたします) ということで、もう木曜日になってしまいましたが、こんな駄文を一週間がかりで書かせていただき、本当に申し訳ございません。 さて、無事、映画「ジャングル大帝」を見終わったバカな親子3人の一行は、一路、焼肉パータティー会場である東中野の私が勤務している会社に向かったのであります。
とにかく食欲怪獣みたいに、食べることだけを生きがいにしているウチの小学5年の長男は、会社で焼肉パーティーがあるということを聞き、一も二もなく行くことになり、週末は、いつも私と一緒に電車に乗ることがお決まりとなっている次男も、当然、ついてくることになったのでありました。 この焼肉パーティーは、当初、二部構成の予定でしたが、参加者が少ないため一部構成に変更されたのを前日まで私は知らずにおりまして、最初の予定では、第一部が午後1時から、第二部が午後3時からということでしたので、私は3時までに会社に行けばいいと思っていたため、もし、その通りに行動していたら、私たちが会社に着いたところで、ちょうどパーティーが終わりということになってしまい、食欲怪獣の長男は、小学校5年のくせに、きっと、その場で泣き出していたのではないかと思われます。 幸い、前日の夜に、同僚から一部構成に変更されたことを聞いていたため、映画を見に行った関係で10分ほど、遅刻はしてしまいましたが、事無きを得ることができたのでありました。
長男は、ジャンケン大会の前に、ウチの会社の会長から、「ジャンケンに勝ったら好きなものを買ってあげる」と言われ、「キャッチャーミット」を買ってもらう約束をしていたのに、1回戦いで、あえなく敗れ、代わりに、おみやげにもらったクッキー一箱を大切に持って帰り、家で、独占所有権を主張し、カミさんに、またまた、こっぴどく叱られるハメとなってしまったのでありました。 ということで、いつにも増して「60年代」とは殆ど関係のない駄文を長々と書かせていただき、わざわざ、追加分を読んでいただいた皆様には、「一週間がかりで書くような内容じゃねぇだろう、バカヤロー」とお思いの方も少なくないのではないかと思われますが、最近、このコラムは、私の日記を兼ねるような位置付けとなりつつありますので、悪しからず、ご了承くださいますようお願い申し上げます。 夏本番に入り、甲子園大会の地方予選も、各地でクライマックスを 迎えてきております。 皆様も、ご自愛され、体にはくれぐれもお気をつけいただき、引き続き、「60年代通信」とよろしくお付き合いいただきますよう、お願い申し上げる次第です。 最後まで、お読みいただいた皆様、本当に、ありがとうございました。
主宰者敬白
1999.07.18
先々週のこのコラムでも紹介させていただきましたように、今年の夏休みの京王線のスタンプラリーは、手塚治虫のキャラクターがテーマになっているのですが、今回のスタンプラリーのテーマは、どうやら、基本的に、手塚治虫ワールドのオープンと連動しているもののようであります。
次男は、私が「アトムと並んで記念撮影をしよう」と誘っても、「いいの!」とか何とか言って、私の誘いを振り切っておりましたが、その割には、何度も後ろからアトムを突っついては、頭をなでてもらったり、アトムの前で、これ見よがしに買ったばかりのスタンプ帳を広げてみせたり、パンフレットを口にくわえるパフォーマンスをしてアトムの気を惹こうとしたり、いじましい努力をしていたのでありました。
私がいなくなって不安になったのか、次男も、ほどなく私を探しにお店にやってきまして、一緒に、キャラクター・グッズの溢れかえる店内を探索することになったのでありました。 私は、すでに、何年にもわたってアトムのネクタイを締め続けてきておりますが、色違いのものが3本しかないため、どれも、ヨレヨレになってしまっており、カミさんや同僚からは、「そんなネクタイなら、まだ、締めない方がマシだ」とか言われておりますので、早速、ネクタイを購入しましたが、次男が「お父さんだけ、ズルい」と言い出し、結局、アトムの人形を一つ買わされるハメとなってしまったのでありました。 また、先日、自宅のカギや別宅のカギなど、4〜5本のカギを付けていたキーホルダーをなくしたばかりでしたので、キーホルダーも購入したのですが、家に帰って、カミさんからは、「また、ムダ使いをしてきた」と叱られまして、すべて、実用のためだったり、事情があって購入したことを主張しましたが、日ごろの行いが悪いため、全く、聞いてもらえませんでした。
この手塚治虫ワールドは、昨年も、夏の間、3カ月くらい、秋葉原で期間限定の開店をしていたことがありましたが、この初台のお店は、どうやら常設店となるようです。また、単に、手塚治虫作品のキャラクター・グッズを販売するだけでなく、一応、テーマパーク風な作りにもなっておりまして、店内の一部には、私の大好きな、昭和30年代当時の路地裏の駄菓子屋を思わせるようなコーナーもあり、トキワ荘の玄関があったり、飾られている古いテレビには白黒の手塚アニメが映し出されていたりして、もう、本当に、私は嬉しくなってしまったのでありました。
主宰者敬白
さて、今週末は、昨日、次男が通っている幼稚園のバザーがありまして、今年はウチのカミさんがバザー委員に当たってしまったため、我が家は、ここ1カ月ほど、家の中がメチャメチャになっておりましたし、私の別宅も、幼稚園に近いため、バザーで販売される中古グッズの倉庫状態となっておりました。 私も、次男を伴い、お昼過ぎに家を出て、2つ隣の京王線の中河原駅まで電車に乗り、駅から歩いて5分ほどのバザー会場となっている公園に向かったのでありました。
既に、「60年代通信」でも、「60年代のTVCM」コーナーで「ペコちゃんいくつ」キャンペーンは、かなり初期の頃に取り上げさせていただき、その中で、最近、ポコちゃんを見かけなくなった、と書かせていただきましたが、今年の夏は、久しぶりに、ポコちゃんが、前面に出てくる展開となっているようです。
中学生が夢中になるくらいでありますから、幼稚園児はもちろん、小学生の女の子たちも含め、クジ引きコーナーには、長い列が出来ておりました。 アクセサリーだけでなく、水鉄砲などが当たるクジもあり、男の子たちも、このクジ引きコーナーに群がる結果となりまして、このコーナーは、最初から最後まで、大変な人気でありました。 私達も、子供のころ、駄菓子屋のメンコや甘納豆をはじめ、各種のクジに夢中になったものでありましたが、このクジの魅力は、時代と世代を超えて永遠のもののようであります。
次男は、“スーパーボール掬い”で、せっかくスプーンの中にボールが2つ入っているのに、わざわざ、1個を戻したりしておりましたが、それでも、前売り券1枚(50円分)で買うことの出来たダンボールにアルミ箔を張りつけた剣と恐竜の形をした風船を手に入れ、炎天下で疲れ果てて公園のベンチに座りこんでいた私の元に、元気に走ってきたりしていたのでありました。 バザーが終った後、私と次男は、府中の大国魂神社の境内にある府中市の中央図書館に行ってきたのでありますが、途中、大国魂神社の参道であるケヤキ並木の歩道に、THE VENTURES 1999 JAPAN TOURのポスターが張ってありました。
帰りには、百草園の駅を出たところで、次男が突然「オシッコ」と言い出し、駅前のコンビニでトイレをお借りしたのでありますが、ちょうど、そのトイレの入り口のところにあった飲み物コーナーに異変が起きているのに気がつきましたので、既に、お気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、報告させていただきます。 その異変というのは、映画「スターウォーズ〜エピソードT」の公開に合わせてペプシコーラが展開しているプレミアム・キャンペーンが、どうやら、大変な人気になっているようで、景品であるキャラクター付きのボトル・キャップは、レジでまとめて渡す旨の張り紙がしてあり、この駅前のコンビニでは、コーラの棚は完全にペプシコーラに占領されてしまい、コカコーラは1本も置いてありませんでした。
1960年代以来(?)、日本では、コーラと言えばコカコーラと同義といってもいいような状況が続いているわけでありますが、サントリーによる販売攻勢がいよいよ本格化してきている中で、今年のコーラ戦争の行方は大いに気になるところであります。 ということで、今週も、また、40オヤジの絵日記とヨタ話で終ってしまいましたが、冒頭にも書かせていただきました通り、ネタの皆さんが列を作って待っている状態でもありますから、今週こそ、ウィークデーの本格的なデータ更新を行うべく努力しようと思っておりますので、引き続き、よろしくお付き合いいただきますよう、お願い申し上げます。
主宰者敬白
今日は、次男が、多摩川にかかる京王相模原線の鉄橋を見たいというので、百草園から調布まで行き、調布で橋本行きの電車に乗り換えて、京王多摩川の駅から多摩川べりまで歩いてまいりました。
途中、家の近所の川崎街道沿いの駐車場に出来たばかりの、コロッケ専門スタンドで、50円のコロッケと120円のコーンクリーム・コロッケを買っていきましたが、多摩川べりで食べるコロッケは大変においしいものでありました。
そのことは、どうでもいいのですが、京王線の電車に乗りましたら、「鉄腕アトム」の描いてある中吊り広告が私の目に飛びこんできまして、なんだろうと思って、近づいてみましたら、今年の京王線の夏休みのスタンプラリーのテーマが「手塚治虫ワールドキャラクター大集合」ということだったのです。
当時は、京王線の全線と井の頭線の全線を回らなくてはならず、確か、1日では終らなかった記憶があるのですが、今度は、主要18駅においてあるスタンプを押せばいいそうですし、スタンプを全部集められなければ、クイズに10問正解しても、「達成賞」がもらえるそうですので、次男と一緒に挑戦し、絶対、走破してみようと思っております。
スタンプ帳の発売は7月20日からだそうでありますが、私と次男は、このスタンプラリーの走破を祈願して、早速、京王多摩川の駅に張ってあったスタンプラリーのポスターの前で、記念撮影を敢行したのでありました。
主宰者敬白
CSJ Banner Exchange (C)1998 Kiyomi Suzuki E-mail:kiyomi60@bb.mbn.or.jp |