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ドイス「K]・モザンビークでのけん玉教室の様子


 ナマーシャけん玉教室

 モザンビークにて、けん玉教室を開始したのは、2004年9月18日(土)。
 ナマーシャ中学校に配属されて、一ヶ月と少し経過してのこと。
 理数科隊員という名の手前、授業を始めてから、けん玉を始めるという順序を守りたかったので、実験室の掃除はかなり頑張って、授業をポル語も大して喋れないままに(今思えば)始めました。
 授業を始めて、そして、けん玉。という順番

 どうやってけん玉教室を始めるか・・・
 モザンビークに持ってきたけん玉に「夢」という字とKEN-DAMAの文字を書き込んだ
 一度、学校の先生や寮長の先生に、
「その遊びのチームを寮生を集めて作ろう」「すぐに希望者20人を集める」
 と言われ喜んだこともありましたが、彼らはま〜ったく何もしてくれません。
 
 あせらず、あわてず、あきらめず ・・・・・・ そして、あてにせず 

 ということで、広告を作って張り出して、参加したい人は理科の実験室に来て名前を書くようにしました。最大参加人数は30人にして、とりあえずは様子を見ようかと。
 名前を書きに来た生徒は数え切れないほどいますが、60人で打ち切り。
 まぁ書いたうちの半分も来れば上等だろう、と。

モザンビークで初めて開いたけん玉教室の様子


 実際に参加したのは、名前を書いた生徒で10人程度。後はその日にやってきた生徒が10人程度の20人の参加者。訓練の時から、ポルトガル語でけん玉を教える準備はしていたものの、実際にやってみると、なかなか難しい。
 
「大皿が自分側を向くように持って、けん先は少し斜めに倒す」・・・なんて言うんだ〜。
 途中で「え〜っと・・・」とか言いながら、説明をし、皆で練習し、小さな大会を開いて。
 手取り足取りけん玉指導、生徒はこっちのポルトガル語を指導してくれます。
 同じ中学校に入っている先輩隊員と一緒に、毎週のけん玉教室は続きます。

 中学校の生徒だけではなく、誰でも参加OK。子どもも大人も大歓迎。
 国籍、年齢に関係なく、けん玉が成功したときに出る、笑顔と、勝手に出てしまう叫び声は共通なようです。
 飛び上がって喜ぶ生徒。
 難しい技に何度も何度も挑戦して、成功したときの踊るようなしぐさ。
 友達同士で叩き合う手のひらの音。
 今日こそはもしかめで優勝しようと来て、優勝した子どもの嬉しそうな顔。
 
 私はそれを眺めることができるいい時間をもらっています。
 
 けん玉を練習するモザンビークの子ども達

 問題なのは、けん玉が盗まれる事。
 けん玉に番号を書いて、誰が何番を使うかを記録して、最後に一人ひとりが返す。
 やりすぎじゃないの?!かとも最初は思いましたが、最低でもそれくらいはしないと物がどんどん無くなっていくのが現状なのです。
 理科実験室の雑巾、雑巾、雑巾、ペン、ペン、ペン、鉛筆、紙、消しゴム、
 ・・・例を挙げればキリが無い程です。

 320本も手元に持っていても仕方無いので、一定の条件を満たすレベル以上なればプレゼントする、という風に考えていました。
 土曜日の教室に2回以上参加して、きちんと名前とクラスを書けば、貸し出しもアリ。
 必ず次の週の金曜日までに持ってくることが条件。
 
 なんて良い条件なんでしょうか。けん玉教室に来れば貸し出しで持って帰って練習ができ、上手くなれば、手に入れられる。しかも上手くなるには結構練習しないといけないので、けん玉に、はまり込む。う〜ん、パーフェクト。
 
回を増すごとに参加者が増えたけん玉教室


 けん玉を手に入れた子どもと、けん玉教室での貸し出しなんかも含めて、最終的には100人参加のけん玉教室を頭に思いながら。

 甘かった。甘かった。そんな考えをしていた2004年が懐かしい。
 
 貸し出したけん玉・・・誰が期限どおりに返すでしょうか。中にはいます、もちろん。
 返すのが3週間も遅れると、こっちから取立てに行きます。
 「盗まれた」
 「失くした」
 「明日持って行く」
 一番多い答えは、「盗まれた」。確かに学校の寮では、物がなくなることがしょっちゅうのようです。しかし、明らかにウソの場合が多い。
 だからって言って、「金払え」ともいえませんし・・・

 12月からの長期休暇に入るまでに回収したかったのですが・・・何十という単位でなくなりました。「来年返す」と言って、本当に信頼している生徒数人に貸したけん玉でさえ、返ってきたのは、ごく一部。けん玉を自分で持って飾っていても意味はないし、使ってもらおうと思っても思うように上手くは行かないのが現状です。

けん玉参加カードの説明をする窪田

 2005年からは、けん玉教室の中ではもちろん貸しますが、持って返るのは絶対に認めません。
 
 目標を持って取り組んで欲しい。そういう思いもあったので、日本で言えばラジオ体操カードのようなものを作り、参加したら、技ができたら、もしかめの記録が伸びたら、シールを貼ってあげるという方法を取り入れました。紐を付けて、首からかける色画用紙で作ったけん玉カード。
 これまた、甘かった。何かをきちんと整理して、管理して、秩序正しく物を行おうと考えていたのが、甘かった。そうすれば、けん玉にもっと熱心に取り組む子どもが増えるはず。もちろん増えました。しかし、98%は、色画用紙のカード欲しさで1回きり、または2回ど参加して、二度と来ない・・・カードを作る労力と、紙だけがどんどん出て行きました。
 1ヶ月もして、やめ。ここは、日本の朝のラジオ体操をする場所ではなかったのです。

 それでも参加者は増え、一時期は毎回50人、60人と参加者がありました。
 もっとも、参加者が増えると、ドサクサにまぎれてけん玉も消えていくのですが。。。
 いくら名前を書かせて番号をチェックしても、持って返られて今度会ったときに「失くした」「盗まれた」と言われれば、こちらは何もできません・・・

 2005年4月2日には、けん玉紹介イベントも開催し、けん玉の名は着実にナマーシャに根付き始めていると思います。イベントの様子は、別ページを参照。

 320本のうち、100本は意図しないところでなくりました。
 先日とどいた450本は、何かいい管理方法を考えてから使おうと思います・・・。

けん玉をしたからこそ、多くのちびっ子に会えたのだと思います
 
 毎回の教室の最後には、もしかめ大会を行い、けん玉を持っていない子どもが優勝すればプレゼントすることにしています。けん玉教室で貸し出すけん玉は50本。けん玉を手に入れた子どもがきちんとけん玉を持って参加してくれれば、100人も夢ではなくなりました。
 しか〜し、誰も持ってこない。もちろん、数人は持ってきます。
 もらった良いものは、家に飾るか、しまっておく。もしかしたら売っているかも・・・。
 
 2005年も5月6月くらいからは、落ち着いてきて、参加者は30人前後になっています。
 今では、けん玉をかなり好きになった、上手な子どもが中心で、初心者がきても指導してくれますし、練習も彼らが主体でやっていますので、あまり私がでしゃばる部分はありません。一生懸命している生徒や子どものためにも、続けていこうと思います。
 すごい、と思う生徒もいます。
 重要なのは人数ではなく、求めてくれる相手に応えれるかどうか、かな。
 なんて思いますので。

 なかなか、思い描くようには行きません。当たり前ですが。
 毎回、「人の邪魔をするな」とか「正直になれ」とか「きちんと並べ」とかどなり散らしながら行うけん玉教室も、いいものです。
 技術云々よりも、けん玉を通して、一つのことに集中するとか、一つのことをやり通す力を身につけてくれれば嬉しいのですが、どうなのでしょうか。
 
うまくなった生徒が、けん玉初心者にけん玉指導をする 


 このナマーシャ中学校のけん玉教室の他にも、土曜日には2つの小学校でのけん玉教室を行っています。
 2004年の10月から2005年の4月までにかけては2つの小学校の体育の授業などを使ってけん玉をしてしました。

 けん玉をしていなかったら、そんな所まで歩いていくということも、そこに住む人たちと仲良くなるということも無かったでしょうから、やはりけん玉は自分の生活に味を付けてくれているものだと感じます。
 

 今ではナマーシャで「けん玉」の名を知らない子どもはいないのではないかと思っています。道を歩けば「ケンダ〜マ」と声がかかり、手でけん玉をするジェスチャーをしながら「一個頂戴」と言ってきます。あげませんけど。
 
 日本にいた時も「けん玉の人ですか?」とよく言われていたので、モザンビークでもそう呼ばれると、なんだかおもしろいものです。

 2005年8月11日   窪田保
 

以下、モザンビークでのけん玉教室などの写真を掲載します。

けん玉、できたかい?


けん玉を教えて回ったモザンビークの青年海外協力隊時代

週末には3つのけん玉教室を

モザンビークのけん玉少年達

村の中心から離れた小学校でのけん玉教室

モザンビークのけん玉チャンピオン・フラービオ

青空の下けん玉をするモザンビークの子ども達

モザンビークのちびっ子

もしかめ

モザンビークの小学校の授業でけん玉指導

モザンビークの小学生にけん玉を教える窪田

モザンビーク共和国大統領にけん玉披露