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ポカポカ春庭のニッポニアニッポン語教師日誌


にっぽにあニッポン語教師日誌 留学生活


日付 ニッポニアニッポン語教師日誌 留学生活
2005/07/10 ホームステイの日本語
2005/11/25 留学生それぞれの事情

2005/07/10 日
ニッポニア教師日誌>ホームステイ

 9日10日の土日、泊まりがけで日本人家庭に「ホームステイ」するのを楽しみにして、ワクワクしている留学生達。

 出かける前に「日本事情」のクラスで、日本の家の特徴や家庭生活について「和式のトイレの使い方、お風呂の入り方」「あいさつ、生活文化」などの説明があるが、私が担当するクラスでも、会話の練習をしながら留学生の疑問質問に答える。

 ホストファミリーも事前に講習を受けて、イスラム教徒にはお酒をすすめない、ヒンディ教徒には牛肉がだめ、など、よく知っている。

 最近は、日本の家庭生活や習慣、慣用表現について解説した本やビデオも何種類も出ている。
 「何もございませんが、どうぞ召し上がって」と、食事をすすめられて「こんなにたくさん食べ物があるのに、なぜ、何もないと言うのだろう」というような素朴な疑問についても、解説がでている。

 「これ、つまらないものですが」という、おみやげを渡すときの口上についても、「つまらないもの」は、けっして「価値のない、安物」という意味ではない、謙遜表現modesty wordである、 というような説明を受けているはず。
 それでも、ときどき面白い質問がでる。

 ホームステイ前日とあって、学生の会話練習も熱がはいる。訪問先でよくつかわれる会話表現を練習する。
 When offerring food or drink, your host will say 「どうぞ、ごえんりょなく召し上がってください」You have to say. 「はい、いただきます」or,「じゃ、えんりょなく」

 「召し上がる」は、「食べる」のhonorifics 敬語でしたね。
 「えんりょ」This literary meaning is hesitation, reserve. 「ごえんりょなく」文字通りの意味では、without hesitation 躊躇することなく、留保することなく。
 「ごえんりょなく召し上がってください」は、「 Please feel free to eat a lot. 自由に、たくさん食べてください」という意味です。じゃ、ホストと留学生の役で、ロールプレイれんしゅうしましょう。
ペアになって、もてなし役と学生役で会話を練習する。

 ちょっとした国からのおみやげを持参する学生もいるので、プレゼントの口上を練習。
「これ、国のおみやげです。ほんの気持ちですが、どうぞ」と、教科書にある会話例文。
 「先生、私のおみやげは、本じゃありません。おかしです。どうしますか」というシェリー。えっ、「ほんの」を「本(book)の」という意味だと思っていたの? 

「ほんの」is not book's. ほんの merely, only expresses modesty. 謙遜の気持ちで言うことばです。It's a token of my gratitude, so please accept it. 感謝のおしるしです、どうぞ受け取って、という気持ちで言ってください。

 ホストファミリーは、それぞれの家庭の方針により、さまざまなもてなしを用意してくれる。ディズニーランドや野球場へいっしょにいく家庭もあるし、ドライブに連れ出す家庭もある。
 おばあさんがお習字を教えてくれた、娘さんといっしょに茶道や生け花を体験した、という家庭もある。

 日本舞踊をならっている母娘で、毎年、ホームステイの留学生を観客にして「家庭内おさらい会」をやって、留学生に「すばらしかった」と言われるのを生き甲斐にしている家もあった。

 息子が夢中になっているコンピュータゲームを、朝から晩までいっしょにやった、という家庭。ゲームばかりじゃ、つまらなかったんじゃないの?と心配すると、その留学生は「ぼくは、小学生のとき、日本のファミコンをおみやげにもらったのがきっかけになって、日本へ留学することになったんです。いっしょにゲームしてすごく楽しかった」と話していた。
 ゲームに興味のない学生と組合わさったいたら、受け入れ家庭にとっても、学生にとってもあまり居心地のよくない結果になったかも。

 留学生の趣味や興味と、日本の家庭がうまくマッチングするように、ホストファミリーの組み合わせをきめるのだろうが、うまくいかない場合もある。

 「夕ご飯のときも、朝ごはんも、料理の手伝いをしただけで、とてもつまらなかった。会話も、料理のレシピについてだけだった」という留学生もいた。国ではコックやメイドが料理をするし、自分は料理を作ることにまったく関心がない、という女性。
 料理自慢の家庭と料理好きな学生が組合わさったら、よい思い出になったはずなのに。

 医学部の留学生に対して、知り合いの医師に連絡して「病院見学」をセッティングしてくれたホスト。どこを案内されるより、「大学病院以外の、日本のさまざまな医療現場」を見る機会を欲していた彼にとっては、有意義なホームステイとなった。

 水産資源開発の研究をしている留学生を漁船に乗せて、本物の「漁師の一日」体験させてくれたホストファミリーも。

 ほとんどの留学生は、コース修了の感想を述べるとき、ホームステイを「一番の思い出」として語る。
 教師からも、受け入れてくださる家庭のみなさんに、心からの感謝をしたい。

 次の授業、日本語口頭表現練習「ホームステイリポート」をするから、どんなことを体験したか、日本語で報告してね、と、宿題を課して授業を終わりにした。
 すてきな「日本の家庭」とめぐり会いますように。

2005/11/25 金
留学生それぞれの事情
ニッポニアニッポン語教師日誌>留学生それぞれの事情(1)日本で、はじめて○○をしました

 さまざまな国から集まってきた留学生達。日本での勉学の意欲に燃え、がんばっている。
 大学、大学院、専門学校で学ぶ学生を留学生と呼ぶ。日本語学校(専修学校、各種学校など)で学ぶ学生を就学生という。

 日本で就業してよいアルバイトの許可時間も異なる。就学生の労働許可時間は、一日につき、4時間以内。一週間で28時間を超えて就業することはできない。留学生も1週間の就業時間は28時間以内だが、夏休みなどの長期休暇中は、一日につき、8時間就業することが許され、休暇中に集中してアルバイトすることもできる。

 私立大学の私費留学生達の多くは、家族や親族の援助、自分のアルバイトで留学費用をまかなっている。
 勉強とアルバイトの両方をこなすために努力し、家族のために日本で成功したいと語る。
 苦労をかけた両親に車や大きな家を買ってやりたいという学生もいるし、「帰国したら、貧しい子どもたちのための学校を作りたい」という希望を話す学生もいる。

 国立大学の中で、国費留学生(文部科学省給費奨学金授与者)は、アルバイトなどしなくても生活していける十分な額の奨学金を授与されている。
 奨学金を受けている留学生のなかで、発展途上国や新興経済圏からくる学生は、その国の超エリート層であることが多い。
 発展途上国では、大学生・大学院生は、ごくわずかなエリートであり、ものすごく頭がよいか、親が金持ちであるか、その両方であるか。
 私の担当は、大学院研究生と大学院進学者のための日本語クラス。

 例文の練習をしているなかでも、さまざまな国の事情や家庭のようすがわかることがある。
 「はじめて」と「はじめに」「はじめは」の使い分けを練習していたときのこと。
 「日本ではじめて経験したこと」を、学生ひとりひとりに発表してもらった。

 「日本で、はじめて、サシミを食べました」納豆、スキヤキなど、食べ物の初体験を出す学生が多い。
 「日本で、はじめて、海を見ました」これは、モンゴルから来た学生。ウランバートルのテレビで見た海、いつか本物の海を自分の目で見たいと念願していたのだという。

 「日本で、はじめて、モノレールカーに乗りました」
 市内を走るモノレールカーは、一本のレールにぶら下がっている。窓から眼下に広がる市街をながめると、電車が空中を走っている感じがする。

 私がこの方式のモノレールカーにのったのは、東京では、上野動物園の東園から西園までの5分間だけ。市内を走る「ぶら下がりモノレールカー」にのったのは、このモノレールカーが初体験だった。市内中心部から港へ向かうモノレールカーに乗って、楽しかった。
 だから、留学生がめずらしがるのもわかる。<つづく>
07:44 |

2005/11/26 土
ニッポニアニッポン語教師日誌>留学生それぞれの事情(2)さまざまな背景

 「日本で、はじめて、電車に乗りました」という学生。
 あれ?あなたの国に電車はありませんでしたか?と、私から質問した。
 地下鉄がない国は多いし、国内に鉄道網がない国もある。しかし、発言した学生の国には、電車も鉄道もあるはず。「電車が珍しい」という国ではないのだが。

 彼が流暢な英語で説明しだして、私もようやく理解した。
 鉄道も電車も国内にあるが、彼は日本に来るまで、公共の乗り物に乗ったことがなかったのだ。国内での移動はすべて運転手付きのリムジン、国外へは飛行機。
 日本に来て、はじめて、電車や地下鉄に乗った。

 こういう学生に、わざわざ、日本国の税金から奨学金を授与する必要があるのかなあ、と感じてしまう。

 授業料の工面に悩んでいる私費留学生も多いのに、彼にとっては、奨学金など、こずかい程度にもならない。それでも、本国からどういう学生が選ばれてくるのかは、その国の方針による。

 教師はどの学生にも、平等に熱意をそそぐべきなのだろう。
 とはいうものの、私はどうしても、苦労している学生、生活が厳しい学生のほうを応援したくなってしまう。
 それぞれの事情を抱えながら、学生はいっしょうけんめい日本での生活と勉学に奮闘している。
 さまざまな背景を持つ留学生たち。

 数年前のこと。学生資料の国籍欄にイスラエルとあった女性に「あなたの母語はヘブライ語ですか」と質問した。すると彼女はきっと顔を上げ、「母語はアラビア語です。私はパレスチナ人です。イスラエル人の中には、私の敵もいます。私の親戚は、何人も彼らに殺されまた」と言った。

 イスラエルのパスポートを持っていればイスラエル人、という単純な思いこみをしていた私。パレスチナ人としての自覚を語る彼女の、厳しい決意の目が印象的だった。

 彼女がイスラエル発行パスポートで来日したのは、なぜか。日本がパレスチナ自治政府発行のパスポートを正規旅券として認めていなかったためだ。
日本政府が、「パレスチナ自治政府発行旅券」を有効とする政令改正を決定したのは、2002年10月18日の閣議において。政府はそれまで国家として承認していないパレスチナの旅券を認めていなかった。

 石油産出国からきたお嬢様もいた。
 「大学の洗面所の水道は、水しか出ない。お湯がでないなんて、考えられない」と、「日本の大学の設備の悪さ」を嘆いていた。
 
 いつも母親の話をしていたカンボジアの学生。母親の一族は、ポルポト派により虐殺された。当時、多くの知識人階層が被害を受けたという。
 母は、一族のたった一人の生き残り。だから、一日も早く一人前になって、母を助けたい。国費留学生に選ばれたのは、超ラッキーだから、このチャンスを生かしたい、と話していた。
 がんばってほしいなあ。<つづく>
00:11 |

2005/11/27 日
ニッポニアニッポン語教師日誌>留学生それぞれの事情(3)イランのナミ

 「はじめての経験」を言う練習、「○○歳のとき、はじめて〜」という文を作ったときのこと。
 私が例に出した文。「私は30歳のとき、はじめて飛行機に乗りました」と、自分の体験を例文として出した。

 インドネシアの離島で育った学生。
 彼は、「私は10歳のとき、はじめて靴をはきました」と言った。

 こどものころは、靴もなく、裸足ですごしていたと言う。
 森の中を裸足で走り回った子ども時代。島に昆虫の調査に来た日本人生物学者を案内したことから、彼の運が開けた。

 熱帯生物の研究所助手として長年働きながら、学校へ通わせて貰った。陰ひなたのない几帳面な仕事ぶりのごほうびに、日本の奨学金がもらえることになった。
 大学院で一生懸命勉学を続け、きっと彼は母国でよい研究者になることだろう。 

 「25歳のとき、はじめて男性の手をにぎりました」という作文を書いたのは、イラン女性、ナミ。
 ナミは私立大学の学部学生。日本語1級試験にすでに合格し、日本文学を専攻したいと願っている。

 ナミは、作文の中で、25歳をすぎて、はじめて男性の手を握ったときの気持ちを書いた。

 桜吹雪の中を彼と手をつないで歩いた思い出をつづり、微妙な恋心を感性豊かな表現で描いていた。彼女は、日本語で小説を書くことをめざしている。
 日本語の語彙的文法的まちがいはいくつかあったが、心打たれるとてもよい文章だった。

 男女の恋愛についても、私たちには想像もできなくなっている様々なモラルが、世界には存在する。
 未婚の彼女が男性と手をつないで歩いた、なんてことがわかったら、どれほど家族を悲しませるかと思うと、恋する思いと、家族への思いにゆれる。

 厳格なしきたりを守るモスレム(イスラム教徒)の家庭では、いまだに結婚するその日まで、男性に顔も見せないという地域もあるし、日本に留学中もスカーフできっちり髪をかくしている女性も多い。

 1980年から1988年までつづいたイランイラク戦争で、ナミの一家は砲撃を受けた。父親が町で経営していた店が破壊され、一家は困窮した。
 ナミの故郷、冬は雪が降りつもる。それまでは自宅の雪かきは、人をやとってしていたが、その冬の雪かきは父親が自分でやるしかなかった。人をやとう余裕はもうなかったからだ。

 ナミは、ブーツに穴があいたことを父に言えなかった。言ったら父はどんな無理をしても新しいブーツを買ってくるだろう。父親に無理をさせるくらいなら、足底から伝わる冷たさを我慢しているほうがマシだった。ナミは一冬、足の冷たさとともにすごした。

 彼女は必死に勉強し、あこがれの日本にやってきた。叔父が日本で商売をしていたからだ。
 しかし、不景気が続き叔父の商売も傾いてしまった。
 あてにしていた援助が受けられなくなったナミ、泣きながら「今年はなんとかなったけれど、来年の授業料が払えない。どうしたらいいの」と、相談してきた。<つづく>
00:40 |

2005/11/28 月
ニッポニアニッポン語教師日誌>留学生それぞれの事情(4)ナミのアルバイト

 ナミは20歳のときイランから日本へやってきた。叔父さん一家の援助によって、日本語学校で日本語を習得した。
 運良くペルシャ語通訳のアルバイトを見つけ、1年間のアルバイトで大学入学金を貯めた。ナミは23歳でようやく大学に入学できた。

 ペルシャ語の通訳や翻訳のアルバイトが打ち切りになったあと、次の仕事はみつからなかった。英語通訳の需要は多いが、ペルシャ語では通訳の機会も少ない。
 しかし、中国や韓国の女子学生が気楽にやっているレストランやファストフードでのアルバイトは、彼女には抵抗がある。

 イスラム教徒のなかでも戒律が厳しい宗派の彼女の一家。喫茶店やレストランであっても、接客する仕事につくと、家族親族が「結婚前の女性にふさわしい仕事ではない」と思うかも知れない。
 家族は、彼女がもっとも大切にしている存在。家族を悲しませるようなことは、どんな小さなことも自分自身に許せない。

 自分にできるアルバイトが見つからない状況で、彼女は「男なみの力仕事」をして働くことを選んだ。接客アルバイトより力仕事のほうが、彼女にとっては気楽だ。

 夏休みに彼女がしたアルバイトは、家のリフォームの下働き。改築リフォームする前に、壁を壊したり、床をはがしたり、部屋を解体する力仕事。改築といっても、基礎土台を残して、ほとんどを取り壊す。新築というと、書類提出などが大変になるので、書類上は改築としておいて、ほとんどを新しくする。

 ナミは、力いっぱい家の壁をぶち抜き、梁をはずす。
 「生まれてはじめて、こんなに力のいる仕事をしました」と、ナミは話してくれた。

 男性並みの体力が必要な仕事、キツイキタナイキケンの三キの仕事だったが、現場監督から指示を受け、現場で夏休み一ヶ月がんばった。あまりにきつかったから、大学との両立は体力的に無理と思った。
 
 夏休みの終わりに、とても楽で割のいいバイトがみつかった。古物リサイクル売買の店。
 リサイクルは、環境にもよいことと思って働くことにした。仕事は、経理担当の事務。
 同国人の社長から渡される伝票の数字を、帳面につけていけばいいだけ。でも、5日間働いてやめた。

 1日目、とても楽で日給も高く、ありがたいと思った。2日目、社長はとてもいい人だと思うし、正直な商売をしているのだと信じた。けれど、3日目に店にやってきた客同士の話を聞いていて、こわくなった。
 店のすみで帳面の計算をしていた彼女に気づかないで話しているらしかった。

 ひそひそ声の客同士の会話は、同国人の中に裏社会があることを感じさせるものだった。
 社長はよい人だと信じたい。だが、裏の世界の人と関わりがあるかどうか、自分には判断ができない。
 疑っては悪いけれど、不法なことに関わるようなことが万が一にもあるなら、どんなに割のいいアルバイトでも、続けるわけにはいかない。<つづく>
21:16 |

2005/11/29 火
ニッポニアニッポン語教師日誌>留学生それぞれの事情(5)日本へとつづく道

 4日目は、一日中悩み、5日目にやめると、社長に言った。大学の後期授業が始まり、両立できそうもないと言って。

 夏休みに「生まれてはじめての力仕事」で、汗をかき、夏休みの終わりには「生まれて初めて、こんなに悩んだ」という悩み事を抱えたけれど、9月には元気な顔で授業に出て、発表もこなした。

 来年の授業料分が稼ぎ出せなければ、授業料未納で除籍になるかもしれない。
 借りられる奨学金はもういくつか受けているが、毎月の生活ににも足りない程度の金額だから、授業料の分に足りはしない、という彼女に対して、「奨学金として授業料の分を、個人的に貸すから、卒業後働いて返したらいい」と、私も、学科長の教授も、申し出た。

 しかし、ナミは、「公的な奨学金を受けることは、家族も納得したので受けているけれど、個人的なお金は、借りるわけにはいかない」という。
 どのような家族との約束があるのか知らないが、「個人からのお金はを受け取れない」という彼女に、それ以上のことはできない。貸与でなく、「給費」するほど、私にも余裕がない。
 私の娘も育英会奨学金でやりくりして大学に通い、卒業後返還することになっているのだ。

 某石油産出国からやってきたお金持ちのお嬢様留学生には、十分な国費奨学金が与えられたが、彼女は、日本語を覚える気がなかった。「ほんとは、アメリカにいきたかったのに」と不平を言いつつ、奨学金をおこずかいにしながら「日本の日々」を旅行三昧ですごした。
 一方、日本語で小説を書き、「留学生文学賞」に応募したい、と張りきっているナミは、来年の授業料のあてもない。

 後期の授業のテーマは、「日本と自国の交流史」というクラスでの発表である。
 ナミは「ペルシャ帝国の文物--シルクロードと正倉院」という発表をした。

 はるばるシルクロードを通って、ペルシャの楽器やガラスの器が運ばれ、飛鳥奈良時代の日本へたどり着いた。長い道のりと長い時の流れのなかをたどったペルシャ伝来の宝物が、正倉院に納められている。
 ペルシャの姫君が美しい瑠璃のグラスでワインを飲み、そのグラスが日本へ伝えられて、飛鳥や奈良の皇子たちの酒宴の席で輝いたのかもしれない。

 私費留学生のナミが留学生活を続けられるかどうか、「日本文学を学びたい」という希望が達せられるかどうか、まだわからない。
 これからも彼女の歩む道のりは、厳しくはるかだろう。
 しかし、厳しくとも、道はローマからペルシャを通り、日本まで続いてきた。
 道は開けていくよ。きっと。<おわり>
17:22 |


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