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ことばの知恵の輪
  タイトル
ことばの知恵の輪
  タイトル
ねんねこ
能ある鷹は農やすみ りすか日和
貝多羅葉ばいたらよう/はばかり 
ひいな びびる
ふもと ロクブ
分去れ
ほだの宿
無限花序・
女正月骨正月

ことばの知恵の輪 あ〜と

ことばの知恵の輪 ア〜ン



2003/05/06
 。

2003/09/18
 

2003/01/30
 

2006/1/22
ねんねこ

 乳母車は、日常語としては、ほとんどが「ベビーカー」に変わりました。「
 ねんねこ」は、どうかと思ってGoogleチェックしてみたら。
 ママコート、28200件ヒットに対して、ねんねこは50000件。「亀の子、亀の甲」と呼ぶのも入れると、ねんねこの方が多数派。

 赤ちゃんをベビーカーに乗せて連れ歩く親子の行動は、ますます広がっているのに比べて、「赤ちゃんをおんぶする」という母親の外出スタイルが少なくなってきていることと関係あるでしょうね。
 「赤ちゃんはおんぶしていたい」と考える母親やおばあちゃんにとっては、ママコートという今風の呼び方ではなく、「ねんねこ」や「かめのこ」のほうがしっくりくるからでしょう。

2006/08/20
 私は子育て中、おんぶひもとねんねこを活用した最後の世代にあたるのかも。
 33歳で娘、39歳で息子を生み、冬はねんねこで保育園への送り迎えをしました。
 母子が互いの体温を感じながら暖まれるねんねこ、私は好きでした。
 でも、保育園で見かける若いママさんたち、ねんねこ姿はほとんどありませんでした。

 ジッパーチャックでとりはずしができる伸縮自在のママコート、赤ちゃんといっしょに暖まる時期がすぎたら、細身にして、自分だけのコートに着用できる合理的なものを着ているママさんもいました。
 しかし、ほとんどの若いママは、子供をおぶわず、子供には子供用のコートを着せて、ベビーカーに乗せて保育園に来ていました。

 「ねんねこ姿は孔雀模様や子を誇る(中村草田男)」


2006/07/18
能ある鷹は農やすみ

 海の日、妹夫婦と温泉へ。
 
 雨降りだけど、祝日だからけっこう混んでいた。
 露天風呂、屋根がかかっている部分は半分だけ。あとの半分は雨がお湯の中にふりかかる。

 野良仕事を一休みのオバアたちは、屋根のした半分にたまって、顔見知り同士でおしゃべりを続けている。

 「よく降るけど、いい農やすみができた」
 「今のワケーもんに農やすみなったって、わかりゃしねぇがね」
 なんて話しながら、お互いのしなびて垂れ下がったおっぱいは気にもとめずにお湯につかっている。オバアの品評会のように、いろんなオバアがいる。
 オバアたちのおしゃべりを聞きながら、しばしの脳やすめ
 
 私もあと30年したら、こういうしなびたオバアになってお湯につかってのんびり暮らしたいもんだけど、能なし人生、野垂れ死にがおちだろう。
 それとものんびり農休みをしていられる晴耕雨読三昧の日々に入れるのか。



2006/08/20
 


2003/05/06
貝多羅葉ばいたらよう
 ヒメの図書館学総論の宿題に、「貝多羅葉」の読み方と意味を調べよというのが出た。「お母さん、なんて読むの」と聞かれたが、「かいたらは」なのか、「バイタラヨウ」なのか「バイタラは」なのか、わからん。意味もわからない。

 調べたら、「バイタラヨウ。紙が発明される以前の筆記媒体のひとつ。バイタラ(サンスクリット語でPattra)の葉に、鉄筆で経文を書き墨を流し入れたインドの書写物」とわかった。インターネットで調べると、ぞろぞろと資料が出てくる。こんなにいろいろ資料もあり、たぶん、書写媒体の研究とかやっている人には、パピルスなどと同じくらいよく知られた言葉なのだろうが、私は今までまったく知らなかった。

 知らなかったことを新しく知るのは、本当に楽しいことだ。広辞苑にも載っている言葉なので、まったくの専門用語というほどでもなく、仏教関係者にも知られている言葉なのだろう。カタカナ語や若者ことば以外で、言葉が増えることはそう多くない。
 まだまだ知らない言葉がたくさんあるのだと思うと、やはり長生きはしたいね。私が長生きしてたくさん言葉を覚えると、何か世のため人のために役にたつのかと問われれば、何の役にもたちはしないが、私が楽しい。私が楽しければ生きる価値はある。


2006/01/20
はばかり
 rokujouさんは、瀕死語として次のような例を。
(2006 1/20 16:0)
 「 知人が 初めて勤めた職場は年配の女性が多く 名簿には ウメ、カツ、ツネ、イネ等が並んでいたそうです。
 飛び交う言葉も「雨ガッパ、半ドン、オシタジ、ゴフジョウ、ハバカリ」 新入の人に翻訳して 通訳の気分を味わっていたそうです。この位なら私も出来るのになあ。」
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 「ご不浄、はばかり、雪隠」は、「お便所」の時代を経て、今は「トイレ」が定着。ただし、人が直接くちに出していいたがらない言葉は、一番変化が激しいので、「トイレ」もいずれ変化するでしょうね。

 女性の下着も、変化がはげしい。私が子供時代身につけていた、ズロース、シミーズを着ている若い人は、皆無でしょう。パンティとキャミソールかな?また、変わっていくでしょうか。
 あ、でも、近頃の若い人たちは、別段下着のことを口にするのをためらうこともないので、パンティの時代はまだ安泰かな?
 パンツは、「ズボン、スラックス」にとって変わり、長ズボンを意味する。下着の意味で使われることは少なくなりました。女性用下履きはパンティ。男性用はトランクスとか、ボクサーパンツとか。


2006/02/17
ひいな

基礎的な和語の語源、わからないことだらけです。

 月初めの「一日」をなぜ「ついたち」と言うかについては、春庭いろいろあらーな2005/12/01に紹介しました。「月立ち」が「ついたち」に音便変化したものでしたね。
 でも、「月」をなぜ「つき」と言うか、「日」をなぜ「ひ」というか、語源は、はっきりとはわかりません。

 平安末期に成立した辞書「色葉字類抄」に書かれている「師走」の語源からして、すでに民間語源を記していることを、2005年12月1日に紹介しました。
 言語科学の知識によって語源を調べるのは、限界があります。

 「語源探索」は、とても楽しい「言語学の散歩」のひとつなのですが、学問として「日本語の語源学には手を出すな」というのは、語源を厳密に調べるのは難しいからです。
 日本語の語源に関して、さまざまなアプローチの本が出版されています。
 どれが一番よいなどということはできないのですが、一番新しい出版で一番大部の本をひとつだけ紹介するなら、小学館『日本語源大辞典』2005年発行、6000語について、出典を出して語源説を併記しています。

 どのような形式で語源が記されているか、「日本語源大辞典」より、一語のみ例を示してみます。
 有力な説だけでなく、諸説併記してあるところが誠実な編集方針だと思います。

 天皇の住まいを「内裏(だいり)」と呼びます。お内裏さま、とは、「内裏にすむ天皇」のこと。「おひなさま」の「ひな」は何でしょうか。まもなく雛祭りなので。「ひいな(雛)」の語源を、「日本語源大辞典」から引用してみます。
 もう、部屋の中に「お内裏さまおひなさま」を飾り付けたご家庭もあるでしょうね。

「雛(ひいな)」語源(小学館『日本語源大辞典』より)
・雛ひいな(ひひな)
(語意)紙や木などでこしらえ、着物をきせたりする小型の人形で、女児の玩具、またひな祭りに飾る人形。
<語源>(三つの説を併記)
1)ヒメヒナ(姫雛)の略。雛は、小さい意(大言海)
2)とりの雛の鳴き声から出た語で、ヒヒナキの略。鳥の子をいう雛の転義(擁書漫筆・雅言考)
3)ヒヒナアソビに用いる道具であるところから。ヒヒナアソビはヒメノアソビの転(安斉随筆)


2006/07/28
びびる

 学生が授業演習で「語源探索」をテーマにし、「ビビる」の語源について発表しました。

 私は、「びびる」の語源を知らず、 なんとなく「おそれおののくようす」の擬態語からきているのではないか、と、感じていました。
 オノマトペからきているのか、それとも外来語からきているのかと思っていました。

 学生は、クイズ形式で発表しました。「ビビる」は、
(1)罅割れる(ひびわれる)から派生したことば
(2)微々たる(びびたる)わずかでとるに足りないさまから派生したことば
(3)びびる=古い時代の日本語。四段動詞で、はにかむ、恥じらうの意味

 三択です。(1)(2)(3)、どれだと思いますか。
 学生が発表した正解は(3)でした。現代国語の辞書にはまだ「びびる」は搭載されていないものが多いのですが、古語辞典には載っています。

 江戸時代の俳句集や、浄瑠璃本に「唯今、出ぬものならば、びびったりと思ふべし」という用例があります。

 さらに、江戸時代の「びびる」の語源として、源平盛衰記などに出ている富士川の合戦のエピソードを学生は発表しました。
 ひひ(fifi)という物音を聞いて、平家軍は敵方来襲かと懼れをなし、戦意を喪失させて逃げ出したという話。「ひひ」とは、鹿や鳥の鳴き声の擬声語(オノマトペ)です。

 この「ひひ」の音を聞いて、おそれをなして逃げ出したという話から「ひひる」「びびる」という語が出来上がったのではないか、という説があるのだそうです。

 源平盛衰記の富士川の鳥の鳴き声「ひひ」にまでさかのぼれるかどうかは、まだはっきりしたことは言えませんが、江戸時代に「びびる」という動詞の用例があったことには、びっくりでした。

 オノマトペを語源としているのではないか、というカンはあたりでしたが、江戸時代に用例のある古語とは知りませんでした。いまどきの若者言葉からはやりだした新しいことばとばかり思っていたのです。学生におそわりました。


2006/06/26
ふもと
 『ふもと』と『たもと』
purelife11
春庭さん、おはようございます。
今朝ある方の日記からあれ?って思ったのですが、『たもと』と『ふもと』の使い分けに付いて、お聞き致します。

辞書で調べても分かる範囲の事ではあると思うのですが、敢えて皆様方と共有出来るものと考えて質問させて頂きます。

山の『ふもと』は麓が漢字で使えますので合っていると思いますが、よく、町のガイドブックなどに「富士の『たもと』何とやら」みたいな書き方がされています?

今日あれ?って思ったのは、「城のふもと」と言う表現でした。

『ふもと』と『たもと』は対象物に対する主観的空間認識で使い分けが出来る様ですが、本来の使い方に付いてお教え頂けると有難いです。
(〇〇さん、ごめん、ちょっと勉強の為だから載せたけどいじめたりではないからね)
2006-06-26 07:53:10 | 返信フォームへ | 掲示板へ戻る |
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Re:『ふもと』と『たもと』
haruniwa
「たもと」は原義「手のもと」そして、「ふもと」は、原義「踏みもと」です。

この原義を示しただけで、もう回答のようなものですが、さらに付け加えるなら。

「ふもと」は、足で踏み分けて行く土地の土台にあたる場所全体。やまのすその部分をさします。

山がなだらかに広がるすその部分を「山裾」といいます。
印欧語(西洋語)では「山のスカート」と呼ぶ。どの言語にも共通した表現があります。

見た目で、山の全体像をとらえ、その形の形容から、山が着物をきている裾にあたる。山がスカートをはいているスカートにあたる、と見なした名詞。

「ふもと」は、足で踏み分ける意味がありますから、見た目だけではなく、生活上、山に関わり山の中を踏み分けて進んでいく、という意識があります。

たきぎや山菜をとりに入っていく里山の場合、「山の裾野に済んでいます」というより「山のたもとに済んでいます」になるでしょう。

仰ぎ見るだけで、山に登ることは日常していないなら「富士の裾野に住んでいる」のほうが、「富士のたもとに住んでいる」よりいいでしょう。

「富士のたもと」と表現する人は、地元でしょっちゅう富士に自分の足で登山し、富士が踏みいるなじみの山なので、自分自身にとっては、「富士のたもと」という意識なのでしょうね。
2006-06-26 09:28:16 | ページのトップへ |

Re:『ふもと』と『たもと』
haruniwa
さて、「てもと」は、「肩から肘までの部分」を表わし、その部分をおおっている衣服の部分をもたもとと言うようになりました。さらに、手首から肩をおおう衣服の部分=袖をたもとと表現するようになりました。

「たもと」は、手+元が転音(母音交替)によって、te→taと、音が変化しました。
「手のこころ→たなごころ」なども同様

今では「手元てもと」という語もあり、「てもと」のほうが、実質的に自分の手近にある空間を表わしています。

しかし、「たもと」も、自分の身体近辺の空間を表わす意識があるので、自分の身の回りに関わる空間のもとを表わすときには使用しています。
「橋のたもと」など。

「城のふもと」という表現。天守閣を毎日仰ぎ見て、城に踏み登っていく、という意識を持っている人にとっては、「いつも踏み行っていく城の下」にいる、という感覚なのかもしれません。

というのは、語彙論からつけた理屈です。
実際には、ただ、人は適当にその場の気分で語を選んでつかいます。

語は、もともとの意味から意味が拡大したり、縮小したりして使われます。

漢字の「楽」の意味の拡大について、2006/06/25に紹介しましたが、日本語和語や漢語の意味も、歴史上意味の拡大縮小は起こっています。

「けらい、しもべ」を意味していた「僕」の意味から、男性一人称を表わす語になり、宮中で働く女官を意味していた女房が「自分の妻」を表わすようになったり、ことばの意味は時代によって変化します。

「ふもと」「たもと」も、厳密な使い分けをしていくことはなく、どちらの意味も相互乗り入れ的につかわれていくことでしょうね。

以上のことは、岩波古語辞典と角川基礎日本語を参照していますが、私の「語彙論研究20年」の成果を加えて、分りやすく解説しているので、たぶん、どの辞書みるより、わかりやすい解説です。(自慢)
2006-06-26 09:28:55 | ページのトップへ |

Re:『ふもと』と『たもと』
purelife11
春庭さん、有難うございます。
お世辞でなく、辞書を引いてもここまで詳しく書かれてないし、比較表現も薄いものでしょうから、大変有り難いです。
女房が女官からと言われれば納得です(笑)
〇〇さんには、「日記の一部を勉強の為にharuniwaさん宅で利用しました」とちゃんと伝えました。その後直ぐに訪問でおはようとありましたから、多分訪問して頂いていると思います。
有難うございました。
また何か有りましたら、その都度レス立てますので、お願い致します。お休みなさい。
2006-06-26 22:34:20 | ページのトップへ |

 

2006/01/22
ほだの宿
 「榾(ほだ)の宿」「ほだ」は、囲炉裏などにつかう、掘り出した木の根株を干したもの。火力が長持ちし、炉の中で、何日も消えることなく燃える。しかし、自宅でも、宿屋でも、炉に赤々とほだを燃やしている家、貴重な存在になっていますね。

 ほだの火に照らされながら、『甲子夜話』を読みながらすごすなんて、すてきな冬の過ごし方。
 「借覧す甲子夜話あり榾の宿(松本たかし)」

 『甲子夜話』は、江戸中期の肥前平戸藩九代目藩主の松浦静山が20年間書き続けた随筆集。書いた正編続編278巻に及ぶ。どれほどの夜長であろうと、雪にふりこめられた冬であろうと、読み終わるのは難しい、なが〜い冬にぴったりの本。河童の話あり、永代橋が落ちた話あり、人食いになった女の話あり。

 「手焙(てあぶり)」は、手を温めるのに用いる小火鉢。膝の上にのせてつかう小さいものもある。
 「手あぶりに僧の位の紋所(高浜虚子)」
 「手焙の指に感情うごきをり(田村佳津子)」

 手を小さな火鉢で温めながら書き続けたであろう江戸の文人明治の文士の姿も「てあぶり」の季語から浮かんできます。
 佳人が手を温める指先に、ほのかな感情が揺れ動くのも、手あぶりなればこそ。ファンヒーターじゃ、「指先が語る思ひ」も読みとれないかも。

2003/09/18
 
 


 



2006/09/27
無限花序
 無限花序は、植物学園芸学の専門用語、
 これもまた、よそさまの日記を読んでいて、今朝の心にひびいた言葉のひとつ。

 無限花序 とは 花軸の下位の花から上位の花へ、または外側の花から内側の花へ順次開花するものをいう。
 これに対する有限花序は、主軸の頂端に花芽が着き開花、次にその下位の分枝の花へ順次開花するものをいう。

 無限花序が「順次開花する」といっても、下から上への咲き方を「無限」としているのであって、実際には無限に開花が続くわけではない。花期が終われば、もう花は咲かない。

 しかし「無限」という言葉が、はかない命のはずの「花」の前におかれることによって、不思議なことばのイメージが生じる。
 哲学的、宗教的な雰囲気までするような。「諸行無常、沙羅双樹の花の色」につながるイメージがわき起こってくる。   
2006/01/23 月
女正月骨正月
 今年1月20日、ご近所や家の行事として「骨正月」を祝ったお宅、ありましたか。「女正月」「二十日正月」「団子正月」などと呼ぶ地方も。
 カフェには俳句を趣味にしている方が多いですが、そのおひとり、w**********さんの1月21日の日記に、季語「骨正月」が紹介されていました。

  『 歳時記によると
正月二〇日のこと。正月の祝い納めの日として、餅や正月料理を食べ尽くしたり飾り物を納めたりする。骨正月。(w**********2006/01/21)』

 w********さんの日記を読んで、2004年1月19日の春庭「いろいろあらーな」に、「骨正月」について書いたことを思い出しました。
 骨正月は、関西から九州にかけての言い方。、関東では「団子正月」が多かったそうですが、現代では、「正月気分は元日だけ」という家も多くなりましたから、二十日正月を女性達が集まって祝った家、少なくなったかも。

 2004年1月19日も、東京は雪でした。
 2006年の春庭日記「いろいろあらーな」の方針は、「コピーペーストによる手抜き」なので、本日も、2004年1月19日の日記のコピーで手抜きします。
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 歳時記をぱらぱらとめくるのは、とても楽しい言葉遊びです。
 新しい言葉を知ること、今まで知らなかったことばを覚えることが大好きなので、パソコンまわりにも、、国語、漢和、古語、類語、英和、和英、英英、仏語、独語などの辞典類を並べています。毎日どれかは辞書を使っている。

 しかし、昔に比べて活用しなくなったのが、イミダス、知恵蔵、現代用語の基礎知識など。これらはとても重いので、引くより先にネット検索してしまい、たいてい用がたりる。検索がすぐれているのは、正確なことばをわすれたとき。思い出せない語に関連したことばを並べて検索かけると、忘れていた肝腎なことばを含めて表示されるので、「ど忘れ辞典」としても重宝。

 辞書のほか、季節の歳時記も毎日のようにぱらぱらページをめくる。辞書や歳時記が検索と異なる点は、目的の語を調べるほか、ぱらぱらめくっていると、知らなかったことばにめぐり会えること。旧正月に関わる季語を調べていて、「骨正月」ということばを初めて知りました。
 「小正月」「女正月」は知っていましたが、私の育った地方でも東京でも「骨正月」という言葉はきいたことがありませんでした。

 骨正月=1月20日の行事。「二十日正月」とも言う。全国で行われている節目で、関西から九州にかけて骨正月という。正月用のごちそうにしてきた魚をこの日までに食べてしまい、20日には、残った骨で正月最後のごちそうを作って出す。関東でも、20日以後の客には正月用の接待せず、通常の扱いになるという。
 
 ものがたき骨正月の老母かな 高浜虚子
 正月も襤褸市たちて二十日かな 村上鬼城

 自衛隊先遣隊の出発に際して春庭のよめる
 軍靴の音、骨まで響く骨正月
 女正月雄々しき女達集い「殺すな」という声を揃えて
(2004/01/19 「春庭いろいろあらーな」より)
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 2006年に女正月(めしょうがつ・おんなしょうがつ)をよむ、春庭駄句へぼ句
 「ぜにかねのニュースは遠し女正月」<ホリエモンショックも、ささやかなへそくりには衝撃無し
 「八十媼の唇に紅、女正月」<いくつになってもシャンとしておしゃれ
 「老いの身にウォッカ注ぎ骨正月」<モスクワはマイナス30度とか。鮟鱇(あんこう)でなくても、骨まで凍てる。


2003/01/29
 


 

2006/12/08〜30
りすか日和

 ネットサーフィンで、めぐりあうコトバ。
2006/12/08 金
ことばのYa!ちまた>りすか日和

 こちらからコメントはしないけれど、ときどき読みにいくサイトのひとつ。入院中のMさん。
 リストカット(リスカ=手首切り)の常習者で、入院中も親や看護婦さんの目を盗んでリストカットを続けている。
 ネットがなかったら、決してその人の思いにふれることもなかったと思います。

 自分を傷つけ、身体をいためつけることでしか生きていることの実感を得られないというリスカの心理を理解することは難しいですが、この方の日記を読み続けることで、心の鋭敏な何か、私にも言い表せない何かを受け取っているような気がします。

 この方の日記のタイトル「リスカ日和」がとても印象的だったので、引用させてもらいます。

 ネット漂流で、めぐりあうコトバ。
 このふたつをくっつけることなど思いもよらなかった単語がくっきあって、新・複合語の誕生。
 りすか(リストカット)と、「ひより」の複合名詞「リスカ日和」、いやあ、私には思いつくこともできないコトバだなあ。

  自分の手首を切って、血を眺めつつ痛みを感じることでしか、生きている実感がない、まりあさんのことば、現役リスカ常習者の造語「りすか日和」

 小春日和、洗濯日和など、なにかしら暖かさやほのぼのとした感じを受け取る「日和」とくっつくとは思わなかった「リスカ」
 こんな思いがけない複合語を、手首を切り裂きつつ唇にのせるのは、きっと心の繊細なやさしい人なんだろうと思います。やさしい分、傷つきやすいのかもしれません。

 
10月22日****
初デビュー
病院でのリスカ
ベッドの上で線を描くように切ったの
昨日の持ち物検査でOKよ
手帳に隠していたの
これからは外泊後するわ
ママも看護師さんも友達も知らないリスカ
10月23日****
看護師さんに 足の裏のこと言われたわ
火傷してばい菌が入ったら 腐ってしまうんですって
リスかも神経切ったら おかしくなるわね
危険な私
10月24日****
ママが面会
リスカの傷は見られなかったわ
一安心よ
10月25日****
ロッカー点検の日
ライター
サプリメント
刃物隠したわ
はらはらどきどきよ
10月26日****
香ちゃんの狂った会話
保護室行きよ
鷲見さんの病状悪化
天国行きよ
途方にくれる私は刃物
みんなの傷を分かち合いましょ
11月7日****
看護師さんの広瀬さん 
頼りにしていたのに
冷たい言葉
急にイライラよ
また殺したい病が出てきたわ
そんなことできないから 
病院でリスカ
貴女のせいよ
11月8日****
まだイライラ 朝切ったわ
床に落ちちゃったの
お風呂上り血が吹き出たわ
どうでもいいわ
言えるのは スタートに戻っただけよ
11月15日****
病院でのリスカ 
りえちゃんも切りたいって言うの
いけないと思ってたけど
リスカset貸したわ
彼女はいつも包丁だから 加減がわからないみたい
私****悪魔よね
11月18日****リスカ日和
止まらなリスカ
今日はみんなリスカ日和
豊田さんも切ったんですって
私はあゆみちゃんが見てる前でリスカ
彼女は血を見たいんですって
私も同じよ
彼女ははさみで切っていたわ
11月24日****
トイレでお仕事
あゆみちゃんと切りあいよ
彼女は深めに1本
私は浅めに10本
どんぐりの背比べよね
12月5日****
ぽろぽろと 赤いルビーが手首を流れるわ
あゆみちゃんは見学人 2人で見とれていたの

キラキラと 黄色い星が夜空を流れるわ
私達おかしいけど 気持ちがいいわ

ルビーに見とれてしまうの
バンドエイドで処理しましょう
12月6日****
昨日のように赤い流れ星はないけれど
真っ赤な薔薇のつぼみ5つ手首に乗っているわ

最近上の腕を切っているの
血の出が悪いわ
痕も消えないし
12月11日****
また病院でリスカ 馬鹿みたい
12月12日****
この世についていけない敗訴の私
傍聴席はあゆみちゃん
腕に5本の罰を受けたわ
薬飲んで時間あけて
心臓より下にして揺らしてみたの
トイレの便器には薔薇の花びら
数枚落ちたわ
綺麗な腕と薔薇に見とれていたの

この世についてゆけない敗訴のみゆきちゃん
傍聴席は私
1本を何回も切る仕打ちを受けたわ
切れ味が悪いって言うの
みゆきちゃん自信の安全かみそり
1,2,3****血がにじめ出るわ
悪魔刺激はきもちいいわ
12月13日****
今日は火傷の日 あゆみちゃんに見てもらったわ
黒い物ぶつぶつ みずぶくれ

みゆきちゃんはリスカの日 あゆみちゃんと私が見たわ

3人で飛んじゃっているの
12月14日****
本間先生とママとの三者面談
退院に向けての話
もう6ヶ月になるんだから
ここで一度普通の生活
に戻ることになったわ 
日にちは未定 月末の予定よ

終わったら訳もわからず
切ってしまったわ
どうしても止められないの
12月18日****
やっと切れ味の良い貝印にしたの
古いのとはおさらばよ

緊張が走るわ
1本目****すごい切れ味
2〜5本目**すごい血液

ぽとぱとと便器にしずくが落ちていくわ
バンドエイドも追いつかないほど

うふふ♪
素敵だわ この感じ
12月25日****
退院イヴ

病院で最後の検温
病院で最後の夕食
病院で最後の散歩

そして最後にリスカ

私だけのイヴ
2006年12月29日

かくれんぼ****
ママのいない間に 物置にかくれんぼしたの
笑うかもしれないって

でも私がでてきたら ママ泣いちゃったわ
心配したのよって

私はずっと家の中の檻よ
外にはでれないわ
2007年1月01日
処刑****
フセインは裁判の結果死刑
私は裁判にかけたらどうなるの?

昔イヤというほど遊んだわ
その罪を受けるためリスカ

赤いしずくよ もっと垂れて
バンドエイドが追いつかない状態

壊れていく自分が怖いわ
2007年1月13日 朝一****

11時30分 お姉ちゃんからの電話で起きたわ
ママは喫茶店 1人の時間

今なら間に合う 貝印

最中にママが戻ってきたの
慌てて手首かくしたわ
テイッシュあてて
みつからなかったわ

こんなんでいいのかしら
22:04
2007年1月14日 楽しみ****

今日も朝 ママはいないわ
煙草吸いながらどんより

今なら切れるわ
慌てて用意

手際がよくなったから簡単よ
いつものように5本切って
煙草を吸う

今度はいつできるかわかんないけど
楽しみよ
20:55
2007年1月19日 ギロチン****
画像をマリーアントワネットにするため 努力したわ (ミクシイ)
出来上がってふと気が付くと ママがいない
チャンス!
毛首を切りに台所へ

ギロチンを受けている気分で5本切ったわ
あふれる血 とまらない血 
お洋服は真っ赤 指も真っ赤
ティッシュは薔薇模様だらけ

マリーも受けたわ
私たち同じね
違うのは私が生きているってこと
21:21

 この文にふれる前は、リスカ常習なんて、私の理解の範囲を超えた、わけのわからないおそろしげなものという印象でした。常識人の理解の及ばない感覚。
 「リスカ日記」を読んだからといって、とうてい私には「リスカしたくなる気持ちもわかる」なんて言えはしない。

 わからないけれど、この日記を読んでいると、ある切迫した生の感覚が、手首からしたたる血の流れのなかに見えてきます。
 生きていくことの困難さを胸のなかに大きくかかえながら、それでも手首を切り刻みながら生きていく感覚。

 わからない。わからないけれど、これも、自分の生のなかに存在しようとしているひとつの必死の叫びなのだ、という気がする。
 彼女にコメントを寄せる良識派常識派の人々は「もう、よしなよ、手首、いたいだろう」とか、「何かほかに夢中になれることをさがして」というような、「良識ある」コメントを残しています。

 でも、わたしには、「手首を切りたくなってしまうこと」をそのまま受け止めることしかできないのです。
 ことばの感覚にとてもよい感性をもち、今は傷つき疲れた心のなかに閉じこもっているけれど、きっとその鋭敏な感性が、開け放たれた窓から外へむかってひらいていく日もくると思っています。
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 「まりあ代理のA」という人から「カフェ日記内に引用しているまりあの日記を削除せよ」というメールがきた。「まりあの友達」というメールを信用して良いのかどうか、「まりあは、引用のお知らせを受けて返信メールをだしたが、それは、本人が心の病気のために、ことわるということができなかったためだ。電話では引用してほしくないと言っていた」というAさんのメール内容をそのまま受け取っていいのかもわからない。

 少なくとも、私はまりあさんに引用する旨をつたえ、「これからもよろしくね」というまりあさんからの返信を受け取った。引用に許可は必要ないと思ったけれど、お伝えはした。
 しかし「心の病気だから、本心が言えないのだ」という申し出に、それ以上の押し問答はできない。 カフェ日記への引用は削除した。

 が、こちらは私自身のHPであって、私が責任をもつ。したがって、「リスカ日記」の引用はつづけていく。
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 物置小屋にかくれ、かくれんぼするまりあ、ママにみつけて欲しかったんだね。でも、オニが見つけだすのを待っていられる時間は短い。自分から小屋を出ていくことができる日がきっとくるおもう。
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病院から退院してきて、自宅療養になっても、リスカはやめられない。ママがいないときは貝印のかみそりで手首を切る。血のしたたりを「楽しみよ」というまりあさん。

2003/01/30



2001/04/28
ろくぶ

 福祉作業所のボランティアに参加した。会が引き受けている「区の広報点字版」印刷の校正を手伝う。点字を読み、墨字原稿と突き合わせをして間違いがないかチェックした。
 よう子さんが点字を指で読み朗読する間、盲導犬ビリヤはじっと足下に伏せている。お茶の時間に「日本語わかち書き」の話などをする。補助動詞の扱いなど。

 途中、失敗したこと。本の紹介の中で藤沢周平『ふるさとへ廻る六部は』について、「ロクブって何?」という質問が阿子さんから出たので「昔のおこもさん。こじき」と言ってすませてしまった。
 あとで、「しまった。乞食は差別用語だったろうか。もしロクブがゴゼさんのような盲人芸能者だったら失礼なことを言ったことになる」と心配になった。

 家に帰って辞書をひいたら、「筆写した法華経を一部ずつ日本六十六カ所の霊場におさめるために遍歴する行脚僧。転じて銭を乞いながら全国をまわる巡礼」とあった。セーフ!

 図書館で阿子さんに朗読しているときは、お互いに気心が知れているので、差別用語など気にしないで読んでいられる。私が例えば「盲縞」と言ったところでそれが差別など意図していないとわかっている間柄だから。でもはじめて出かけた今日のような場所で、きちんと確かめもしないで「ロクブ=乞食」と言ってしまったのはよくなかった。

2007/03/06
分去れ
 「お言葉ですが」の週刊文春連載を2006年夏にうち切られた高島俊男が、発表の場をウェブサイトWeb草思に移した。
 
 2007年2月掲載分の『新お言葉ですが第二回』に、読売新聞のコラム「編集手帳」を引用している。引用されている編集手帳コラムは、皇后御歌を、引用している。

 引用の源、美智子皇后の御歌はつぎの通り。
皇后御歌「かの時に我がとらざりし分去れの片への道はいづこ行きけむ」

 この歌について、高島は「心を打たれた」と感想を述べている。
 わたしが心を打たれたのは、第一にその大胆であったが、もう一つ、この歌から感じられる強い悔いの念である。
 あんなに美しかった人が、泣きそうな顔の、猫背の--これは身長の点でも天皇につきしたがう形をつくれ、と役人に要求されてのことだろう--老女になった。その悔いが、おそらく半世紀にわたって心身を苦しめてきたのであろうことがうかがわれる。

 「民間出身の24歳の令嬢が、皇太子と結婚する」という、前例のない人生を選んだ美智子皇后に、高島は「他の人生」への悔いを読みとる。それは、高島が「家族を持たない人生」を選んだことへの悔いと共鳴して高島の胸のなかに響く。

 同じ歌でも、読み手がことなれば、感じ方も違ってくる。荒川区立図書館公式サイトにある「日本を考える」というコラムの筆者も、この歌を引用している。(2004/07/01)
 
 美智子皇后は、幾多の苦難を乗り越えてこられたが、陛下とのご結婚を後悔することはなかった
「かの時に我がとらざりし分去れの片への道はいづこ行きけむ」と、今ご自身が歩まれた道に確信を持たれているのである。
 「この国に住むうれしさよゆたかなる冬の日向に立ちて思へば」 

 ひとつの歌の解釈をめぐって、まったく相反する受け止め方が示されている。
 ひとつは「この歌から感じられる強い悔いの念である。」
 もうひとつは「今ご自身が歩まれた道に確信を持たれているのである。」

 荒川コラム子は、美智子皇后が、皇太子妃時代の流産後の精神的不安定の時期、神谷美恵子との交流によって魂の回復を得たことを紹介し、皇后になったのちのバッシングによって失声症になったころの「うつつにし言葉の出でず仰ぎたるこの望の月思ふ日あらむ」という御歌を引用する。

 同じ歌をめぐって、まったく異なる感じ方がある。それは、それでよいだろう。歌は、ことばとして発せられたあとは、受け取る側のこころしだいだから。

 さて、私にとっては、歌の解釈以前に、「分去れ(わかされ)」という単語が、「新出語彙」なのだ。
追分けは知っていたが、分去れは知らなかった。
 
 軽井沢のあたりは、皇室の人々にとってはゆかり深い土地。
 と、いっても、「テニスコートの恋」によって若者が集まるようになるまでは、静かな避暑地であった。さらにその前は中山道の鄙びた宿場町追分が知られているだけで、軽井沢はただの山村だった。

 中山道を追分宿までいくと、北陸街道と中山道のふたつの道に分かれていく地点がある。分かれ道の地名が「分去れ」なのだという。
 高島のエッセイに追分と分去れの地名は出てこないが、御歌が、ハイキングをしているときのことに仮託されているのであろう、という教唆を受けたことは、文末に述べている。

 つまり、この歌は、表面上は「軽井沢あたりを散歩していたとき、ふたつの道の分かれ目にでた。ひとつの道を選んで歩きつづけたが、そのとき選ばなかったもうひとつの道は、いったいどこへ向かう道なのだろう」という、「散歩の感想」と、受け取ることもできる。
 そのような表向きの解釈ができるからこそ、一般国民の目にふれるところに公表されたのであろうが、読みとる人々は、それぞれが己の心情にひきつけて解釈する。
 「自分の選んだ人生への強い悔いを感じる」「ご自信が歩まれた道に確信を持たれているのである」

 私の受け取りかたは。
 分かれ道にきて、自分自身の過ぎ去った道を思う。悔いることはない。自分の歩んできた人生は、自分自身が選び取ったものとして、後悔はしていない。しかし、それでも、もうひとつの道が、いったいどのようなものだったのか、知りたくなる。悔やむことはない、しかし、、、
 その、人の心の微妙なたゆたいを表現できる、美智子皇后は希有な歌人だとおもう。

 私は御歌集『瀬音』も読んだことがない。1年に一度歌会始の御歌を新聞でみるだけ。それでも、皇后がたいへんすぐれたことばの使い手であり、もし職業を選ぶことができたなら、「プロの歌人」としても世にたっていくことができる資質をもっている人だと思う。

 皇后は、アマチュアとして、まどみちおの詩集を英訳されているが、分去れのもうひとつの道を選んでいたら。詩人としてあるいは英文学者としても、一家をなすことができた人であったろう。

 2007年3月6日、宮内庁は「皇后さま(72)は強いストレスを原因として腸壁からの出血などの症状があり、今月下旬から10日間の静養期間を設ける。精神的な疲れが原因とみられる」と、発表した。

 72歳の年齢で、末娘も嫁ぎ、男の子の孫も誕生し、一般の家庭なら「おばあちゃん、これでもう何も心配はないですね」と、その幸福な生活をうらやましがられる人生であろうものを。
 それなのに、腸から出血するほどの強いストレスがかかる心理状態とは、いったい何にそれほど心を痛めたのか。

 皇后は、第二子を「子宮外妊娠」により流産したあと、精神的なストレスを受け、逗子で夫や長男と別れて、長期間静養生活を送った。
 また皇后位についたあと、やはりストレスから声がでなくなる時期があった。
 50年前のふっくらまんまるの顔に微笑みをたたえていた人が、「泣き顔の猫背の老女」と高島俊男に描写される姿になり、なおもまだ、ストレスで内出血をする。

 皇太子妃も、数年にわたる適応障害の精神的な苦しみからいまだ開放されていない。
 そのような思いを二代の女性に強いてなお、「国の象徴」は存在しなければならないのだろうか。
 ふたつに道が分かれていくその分去れの地で、「もうひとつの道」を歩んでいれば、72歳で強いストレスを受ける人生とは違った道があったのかもしれないと、「泣き顔の老女」は、思うことはないのだろうか。

 私もまた、自分が進んで行かなかった道をふりかえることがある。
 もしも、あのとき、公務員をつづけていれば、今頃は、、、、もしも役者をつづけていたら、、、、もしも病院の内科検査士をやめないでいたら、、、、英文タイピストをつづけていたら、、、、中学校国語教師をやめなかったら、、、ケニアにいかなかったら、、、、中国へ行かなかったら、、、、
 私の場合、あまりにも分かれ道が多かったので、まあ、どう分かれていっても、どうせたいしたことは出来なかったことだけは確かなのだ。

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