Workshop for Nipponianippon Communicative Language& Culture Studies

ポカポカ春庭のニッポニアニッポン言語文化研究

ことばの知恵の輪ボギャブラリー倉庫 あ〜と
新語も死語も瀕死語も日本語
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ことばの知恵の輪
タイトル |
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ことばの知恵の輪
タイトル |
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ことばの知恵の輪 |
さ |
・ |
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辞書全読 |
し |
しゅらしゅしゅしゅ |
| あ |
文色あいろ 雨合羽 あげく |
す |
・ |
| い |
いすかの嘴のくいちがい 入り船 |
せ |
・ |
| う |
烏兎うと、 乳母車 浮造りうづくり |
そ |
・ |
| え |
襟巻き |
た |
台覧たいらん |
| お |
笈擦おいずる |
ち |
・ |
| か |
外套、渙発、懸魚、花梗、何首烏、華胥の国、空嘔吐、渙発、 |
つ |
・ |
| き |
・ |
て |
・ |
| く |
クモヒトデ |
と |
・ |
| け |
硯北けんぽく |
・ |
・ |
| こ |
こざこざする 五石六鷁 |
・ |
・ |
ことばの知恵の輪 な〜ん ことばの知恵の輪 ア〜ン
2006/08/17
知らないできた語を新しく知るのは、こころ楽しいこと。しかし、新しく知った語をメモしておこうと思っているのに、ついつい書かないまま使いだし、いつその語を知ったのかは、忘れてしまう。
語の意味を知った日のことを書いておこうと思い立ったのに、なかなか実行できないのだ。 メモしてあったことだけでも、残しておこうと思う。
季語の中に死語瀕死語をさがすことば遊び。歳時記には、最近では使われなくなったことばも、季語としてたくさん載っています。
今は使われないことばも、大切な日本語。これもメモメモ。

2003/01/29
午後、辞書全読をはじめる。語彙数調査のため、辞書に出ている単語を全部読み、未知の語を調査する。日本語教師としてなかなかの職業訓練といえばいえるし、単なる暇つぶしとも言える。
とりあえず岩波国語辞書を読み、漢和と古語辞典で補足。
NTTの語彙数調査のリストで調べたのでは、私の日本語語彙数は約6万語と分かったので、岩波国語辞書に搭載されている57000語は、ほとんど知っているはずという前提で読み始めた。
だが、実際には未知語があるある。後半から初めて、は段からわ段へ。あ段へ戻って、か段へ。あと「さ、た、な」が残っている。
特殊な専門用語ならいざ知らず、一般国語辞書に搭載されている語で知らない語があろうかと思ったのに、思い上がってはいけない。知らない語がやはりある。
あ段で知らなかった語は4語。「文色(あいろ)」「「烏兎(うと、金烏玉兎の略)」「燕雀鴻鵠(えんじゃくこうこく、燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや、から来た四字熟語」「笈摺(おいずる)」を知らなかった。
燕雀鴻鵠は四字熟語だから、四字熟語の中には知らない語もたくさんあるはず、と納得できるのだが、文色、笈摺、烏兎の三語、これまでに文の中で見た記憶がなく、意味を初めて知った。

2003/01/30
「文色あいろ」は「様子、ものの区別」の意。
検索してみると、ガマの油売りの口上の中に出てくる。そしてガマの油売り口上は、興津要編『古典落語下』に収録されている。
埃をかぶっている古典落語を、棚から取り出して調べてみれば、私はたぶん、一度はこの語を目にしたことがあるはずなのだ。
でも「アヤメも知らぬ恋の道かな」の菖蒲と文目の「あや」は知っていたが「あやいろ」が略されて「文色あいろ」となった、というのは、まったく脳の引き出しにしまってなかった。
落語や物売り口上は意味を詮索するより、語呂のよい音声を楽しみながら聞き流し読み流しをするから、口上の中に「さあ、ご用とお急ぎでない方はゆっくりと見ておいで。遠目山越傘のうち、ものの文色(あいろ)と理方がわからぬ。」という文を一度目にしたくらいでは、右から左へ文字が流れて通り過ぎただけだったのだろう。
広辞苑の出典では、団扇曾我からの引用。浄瑠璃はいくつかは読んだが、団扇曾我は読んでないから、これは知らなくても当然。
2006/1/22
雨合羽(あまがっぱ)は、16世紀に日本へ入ったポルトガル語、カッパ(capa=上着、外套、マント)が日本語に定着し、雨と複合語を形成した、貴重な例です。
複合語を形成したとき、前項が「あめ→あま」と、母音が変化し、後項が「かっぱ→がっぱ」と有声音に変化しています。これは、外来語が完全に日本語語彙として定着した証拠。雨合羽このように、連濁をおこすまでに日本語化した西欧渡来の外来語は少ないのです。
今はレインコートがほとんど。それでも「雨合羽」をGoogle検索すると、64600 件ヒット。「雨ガッパ」16400。
レインコートの693000件には負けるけれど、工事作業用などには、まだ使用されている。
一般の人が雨の日に着る衣服としては、瀕死語ですね。がんばれ、絶滅危惧の瀕死語
2006/02/18
あげくのはてにわからない
「語源をさがすのは難しい」とは、平安以後に新しく出来上がった比較的新しい単語について言っているのではありません。
「武家用語」「職人用語」「御所女房ことば」などから出来上がった「新出来の語」の語源は、比較的たやすく知ることができます。
たとば、「あげく」。
例文「旅行パンフレットを比べていろいろ迷ったあげく、結局どこへも行かないことになった」
連歌や俳諧連句(57の句と577の句を36句つなげると歌仙巻、100句つなげると百韻)の用語。
一番終わり、最終の句を「挙げ句」といいます。この「挙げ句」で座が終わりになるので、「あげく」「あげくのはて」は、「ものごとのいちばんのおわり」の意味になりました。
出所がわかっている「挙げ句」の語源はわかります。
しかし、「あげ」や他動詞「あげる」自動詞「あがる」の語源、何故「上方への移動」が「あがる」や「あげ」であり、下方への移動が「さがる」「さげ」であるのかは、わからない。
「あ」が上方へ「さ」が下方へ、この違いは、どこから生まれたのか、わかりません。
「離る(さかる)」「裂く(さく)」「去る」の「さ」とはどうなのか。「下がる」の「さ」と共通しているのだろうか。
曲線を描く「まげる」は、「まるい」の「ま」と共通の語源があるのだろうか。
興味はわくけれど、わかりません。
動詞「あげる」名詞「あげ」の語源を調べようとしたら、たぶん、一生かかってもわからないでしょう。
ソシュールが一般言語学で述べたように、ことばの音は「恣意的」に出来ているのですから。「恣意的」ってきくと難しそうですが、私の好きな「きまぐれにテキトー」ってことです。
2006/08/16
2006/08/16
ちかごろのワケーシュに言っても通じないことがどんどんふえる。
どうも話がくいちがっていると気づき、あいての受け取ったところをさぐってみると、単語の意味が通じていなかったり、ことわざの意味がひっくりかえっていたりする。
「いすかの嘴のくいちがい」なんてことを言っても、「いすか」を見たこと聞いたこともない。
「いすか」とはアトリ科の鳥。雀よりやや大きく、雄は暗紅色、雌は黄緑色。松など針葉樹の実をついばむのに適するという褐色のくちばしは、湾曲交差していて、合わさることがなく、くいちがっている。
「いすかの嘴のくいちがい」は、物事がくいちがって思うようにならないことの比喩。
と、いちいち説明しなければならない。
もの言えば、お年がしれる今日もまた
2005/08/19 金
chiyoisozakiさんのBBSコメント
教えてください!
入船と来たら、出船と返す。 私はこんなレベルなのです。
panaseaさんが日記でお尋ねなのですが、「港に入る船」以上の意味はありますか?
辞書を引いて調べもせずに春さんのところへ教えを請いに飛んできました! |
春庭からの回答
Re:『入船』の意味
@「出船入船」とセットで並べてある
Aめでたい言葉として使用されている。
という条件があるなら、「たくさんの積み荷をのせて港に入ってくる→豊かな収穫の比喩」ということも考えられますが、前後の文脈がないと、一語だけで、語句の意味を限定することはできません。
panaseaさんが「七福神がのって宝船になるとか・・・」と、書いていることから、宝船に関連していうと、船の舳先をどちらに向けるか、ということと関係あるかも。
「飾り物の船」の場合、出船は、向かって右側に舳先をむけて設置し、入船は向かって左側に舳先が向くように置くという決まりがあるそうです。
例えば、舟形をした花器に花を生ける場合など。客を迎えるときの玄関には、入船。卒業式などの旅立ちの行事、旅行へ出発するときに飾るなら、出船にして花を生けるといいのでしょうね。
七福神の宝船は「宝が入ってくるように、入船」にして飾る。すなわち舳先を左に向けて置く。宝が出て行ってしまうのでは、困ります。「入船」の形にしてこそ「めでたい宝船」になります。
「港に入る船」以外の意味を探すなら、俗に「四十八手」と呼ばれる技のひとつとして。(相撲のほうじゃありません)
「四十八手」では、「帆掛け船」など、女性を船の帆に見立てたものが知られていますが、例えば、「入り船本手」を知りたければ、
http://www.tilolu.com/sexlage/sex-lage-1.htm
に、絵があります。絵を参考にして実地訓練をおためし下さい。
こちらも、「豊壌満作、人類繁栄」のために役立つなら、めでたい意味があるのでしょう。
めでたしめでたし。
春庭、日本語教師として、日夜の研鑽怠りなし。
日の研鑽、一日中、ごろごろしながら、ぼうっと本を読んでおります。夜の研鑽、四十八手の研鑽はとうにあきらめて、夜も夜とて、もちろん日本語の研鑽ですよぅ。短夜の寸暇惜しんで読書研鑽、ことばの修行に励んでおります。
最近は、文法関連の学術書を読むことはほとんどしなくなりましたが、語彙関連、言語文化関連は、読み続けております。
今週、日本語ボギャブラリー関連の本では、次の3冊を読みました。
金田一春彦『ことばの歳時記』(初出1965年東京新聞連載 新潮文庫1973年)、
塩田丸男『死語読本』(文春文庫1998年)
山下景子『美人の日本語』(幻冬社2005年)
『ことばの歳時記』と、『美人の日本語』は、どちらも一日一語の解説をつけた「日本語、ことば」の本。両書に共通して紹介されていることばも多いし、コンセプトはまったく同じなのに、売れぐあいが異なるのは、書名のネーミングセンスにもよるし、昨今はやりの「インターネットから生まれた本」という売り方にもよるのかな。
日本語朗読のススメの本でも『声に出して読みたい日本語』だけが突出して売れ、他の類書は、演劇関係者などがほそぼそと買っただけで、ブームになることはなかった。
「美人の〜」と、ネーミングした幻冬社の勝利と思います。めでたしめでたし。
皆様も、短い夏の夜を、有意義にお過ごし下さい。研鑽おこたりなく、四十八手を学ぶもよし、読書にふけるもよし、、、、
2003/01/29
烏兎は日月の意。神武天皇が金色の烏を肩に乗せているのは挿絵で見て知っていて、金の烏が日の神のシンボルと知っていたのに、中国古語で金烏玉兎は太陽と月を表すというのを初めて知った。玉兎の字は知っていたが、玉のように丸っこいかわいい兎と思っていて月のシンボルとは知らなかった。無知?
ところが、ワカとヒメはこの「烏兎」の語と意味を知っていた。なぜなら、RPGゲームの戦いの技の中に「烏兎」という技があるからだ。烏兎の技を使うと、敵をすごいパワーでやっつけることができるのだそうだ。
2005/01/19 木
2005年rokujouさんの足跡コメント「乳母車は死語になるのでせうか。乳母がいなくなったから」を受けて、rokujouさんbbsへ書き込みした春庭の返信(2005-12-11
11:12:16 )より、コピーペーストです。
「 ネット検索ではベビーカー1530000件、ベギーバギー22600件、ベビーキャリッジ13件、検出。
一方乳母車は、162000件。あれ?なかなか頑張っていたんですね。
日常会話の中では乳母車が使われることはほとんどなくなり、「死語」とは言えないが、「瀕死語」ですね。
日常生活からは消え、詩や文学の中にのみ残っている。
私が高校生だったときの国語教科書、一番最初のページに三好達治(1900-1964)の「乳母車」が掲載されていました。
大好きな詩のひとつ。
母よ--
淡くかなしきもののふるなり
紫陽花いろのもののふるなり
はてしなき並樹のかげを
そうそうと風のふくなり
時はたそがれ
母よ 私の乳母車を押せ
泣きぬれる夕陽にむかつて
りんりんと私の乳母車を押せ
赤い総ある天鵞絨の帽子を
つめたき額にかむらせよ
旅いそぐ鳥の列にも
季節は空を渡るなり
淡くかなしきもののふる
紫陽花いろのもののふる道
母よ 私は知ってゐる
この道は遠く遠くはてしない道
これ、三好達治の詩壇デビュー作だったのね。知らなかった。(まだ著作権切れていませんので、上記引用に問題あるときはご連絡をお願いします)
さて、1950年代の我が家では、乳母車を「ごうごう」と呼んでいました。
妹を乗せている「ごうごう」に歩ける私も乗りたくて、母にせがんで乗せてもらいました。
母は「二人乗ると重たい」といいながら、ごうごうを押していました。
藤で編んだかごが頑丈な車の上に乗っている。姉が生まれた1948年に、米軍宿舎からの放出品をヤミで手に入れた。当時としては貴重品だったそう。
道を押してあるくと、車が「ごうごう」と音をたてるので、ごうごうと呼んだのだと子供のころは思いこんでいました。
「ティンティンゴゥゴゥ」は、英語幼児語で「baby carriage」の言い方のひとつだと、大人になってから知りました。
神楽坂に、「ティンティンゴーゴー」という輸入子供雑貨の店があって、店の前に名前の由来が書いてあったの。
あ、米軍放出品に「ゴーゴー」と書いてあったので、母は「ゴーゴー」と呼んでいたのかも、と気づきました。
「乳母車」この言葉のひびき、幼い頃の乳母車の中のぬくもりと、母の顔を思い出します。
2006/01/17
木材加工の「浮造り(うづくり)」ということば、はじめて知りました。
木目が浮き出る加工をほどこした板を見たことはありましたが、それを「うづくり」と呼ぶとは知りませんでした。
これも、ただ薄くひいた板ではない、人工的な手を加えて木目が浮き上がってくるようにする模様だから「浮造り」になるのでしょうね。
建築や室内装飾に携わっている方にとっては、よく知られた語なのでしょうが、私ははじめて知りました。新しいことばを覚えるのは、こころ楽しいものです。
2005/01/20 金
rokujouさん春庭bbs「カフェらパンセソバージュ」への書き込み
by rokujou(2005-12-11 23:45:03 )
先日 ゴミ置き場に百科事典がくくられて出されていました。
今やネットで検索出来る様になって場所をとる 百科事典は無用の長物となってしまいました。
しかし国語、漢和辞典を捨てると古い言葉や言い回しが分らなくなると先輩からの助言です。広辞苑の言葉が次々替わって居るからと言われましたがどんなもんでしょ。
そのうち乳母車、下駄箱、昇降口、父兄会等も 替わるでしょうか?
先日 ヘルメットがとっさに出て来なくて「鉄カブト」と言って大笑いされました。
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春庭返信:
私は、マフラーをときどき「襟巻き」と言ったり、タートルネックセーターを「とっくりセーター」と言って、娘息子に笑われます。しかし、舅が言っていた「外套(がいとう)」は、つかいません。「オーバー」または「コート」です。
玄関の「下駄箱」、これは、家庭によってさまざまでしょうね。我が家には下駄箱がなく、古くなった本棚に靴を載せているので、いまどきの「シューズラック」という言い方のほうが合っているのかも。
学校では、「靴入れ」というところと、「下駄箱」のままのところがあるようです。
学校で、密かに思う人への手紙を忍ばせるのなら、「下駄箱」のほうが入れやすい気もするけれど、あ、近頃では、手紙で思いを伝えるなんてことしなくて、メールかな。
学校で「父兄会」は、ずいぶん前に使われなくなっています。「保護者会」「父母会」が大多数。「親の会」なども。
2003/01/30
笈摺は、巡礼が笈を背負うときに背中が摺れるのを防ぐための上着という。
ま、これは現代では四国遍路専門用語のうちに入るのかもしれない。昔は巡礼お遍路がどの家の門口にも立ち寄ったのだから、皆この語を知っていたのかも。
子供の頃、お遍路姿の人が門口に立つとお母さんは米や麦をお椀にひとつあげて、「お通りください」と言っていた。彼らは仕事を持っている人が宗教心にめざめて一念発起で巡礼に出るのではなく、「お遍路専門」である人なのだと言う。だから私はお遍路というのは乞食のことだと思っていた。
芝居の中で子役が甲高い声で「ジュンレーにゴホーシャー」と叫ぶのは、乞食のものごいだと思っていた。「巡礼専門職」の人々は、笈など背負っていなかったから、笈摺というものを見たことも聞いたこともなかった。
2005/01/20 金
舅が使っていて、私は言ったことがない、「外套(がいとう)」も、ちゃんと「冬の季語」として、歳時記の中には残っている。
次の句の外套を「オーバー」に置き換えると、やはり、なんだかしっくりいかない。句の重みが違う。
「明日ありやあり外套のボロちぎる(秋元不死男)」
「外套重し廃墟が占める夜の位置(石原八束)」
「ゴーゴリの国にあり外套つくろへる(佐久間木耳郎)」
これらは、やはり「オーバー」でも「コート」でもなく、「外套」がふさわしいだろう。
ゴーゴリの『外套』、かの国の気温、今冬は特に厳しく、首都でもマイナス30度に達しているという。どんな外套をまとっても寒かろう。
外套ということばは死語になったが、オーバー、コートとカタカナ外来語におき変わって、衣服としては顕在。
しかし、「二重廻し」という男性の和装コートは、「インバネス」「とんび」という言い方に変えても、もはや映画やドラマのなかで、名探偵が来ているのを見るくらいで、日常着としては、衣服そのものが「死語」ならぬ「死物」になってしまった。(最近では、稲垣吾郎の金田一探偵が着ていました)
「背の老いの早くも二重廻しかな(久保田万太郎)」
「二重廻し夕映え電車来て消えぬ(石田波郷)」
2005/12/22
「大詔が渙発されました」の「渙発」、ろくじょうさんの日記ではじめて見ました。
「綸言汗のごとし」は知っていたけど、「渙汗」は知らなかった。ほんと、勉強になります。
才気煥発の「煥」も、「渙」も常用漢字表からもれて、使われなくなった。それでも才気煥発のほうは、四字熟語の本などに載ることがあったので、忘れられなかったけれど、「大詔渙発」のほうは、歴史を勉強していない私には「死語の世界」でした。
2003/01/30
辞書全読、か段では戒飭かいちょく、懸魚かけざかな、花梗かこう、何首烏かしゅう、華胥かしょの国、空嘔からえずき、硯北けんぽく、を知らなかった。
四字熟語「五風十雨」は、知らなかったけど、文字から意味はだいたいわかる。
戒めてつつしませること。また、自らつつしむこと
神前に供える魚。上代には枝に魚をかけて供えていた
ワカは私が知らなかった「花梗」を知っていて、「そんなの小学校の理科で習う言葉でしょう」と言う。そうか?私は「植物には、根と茎と葉と花がある」と習っただけで、茎を花梗というなんて聞いたこともなかった。園芸専門家や花屋は知っている言葉だろうけど。
小学校で習ったという、ワカの出典は、塾で使っていたテキストだと推測する。
「かしゅう」という発音をきいても「何首烏」という文字を思いつかず、何首烏という文字をみても、ぜったいに意味はわからない。なんだこれは?
「つるどくだみの塊根。漢方で健胃、強壮剤とする」とある。漢方薬専門家とか、健康オタク以外で、フツー知っているか。今度、漢方薬局できいてみよっと。
「列子」にかかれている故事。古代中国の黄帝が、昼寝をした。理想郷である華胥氏の国に遊行した夢をみたことから、気持ちよく昼寝をしてよい夢を見ることを「華胥の国に遊ぶ」という。
吐き気があるのに、何も吐けない状態
2006/04/04
私が参加している「日曜地学ハイキング」というサークル。略称「地ハイ」
「地ハイ」は、地学団体研究会という研究グループが主宰している。略称「地団研」は、大学高校中学で地学を教えている先生や在野の地学研究者が集まっている団体。
一般の人に地学の楽しさを普及教育するために、各地に「地学ハイキング」サークルが結成されてきた。一番古いサークルは、設立から40年間も活動を続けている。
「地学ハイキング」は、1983年に活動を開始した。我が家が参加するようになったのは、1995年から。
伊豆大島の三原山火口を歩く会に参加したり、海の生き物観察会でアメフラシや貝や蟹を観察したり、一泊巡検に参加して、楽しい時間をすごしてきた。
サークルといっても、決まったメンバーで固まっているのではなく、ハガキの通信などで次の活動内容を知り、参加したい人が自由に加わるという気楽な集まりだ。
参加をするのもやめるのも自由。ハイキングに参加するつもりだったけれど、雨もようだから、今日はやめておこうか、などというのも連絡なしに自由勝手にしてよい。
この地学ハイキングの世話人のひとり、I先生は、クモヒトデ化石の研究を続けている。
生痕化石などを研究するために、現生クモヒトデの飼育観察も行ってきた。
3年前の一泊巡検のときのこと。夜の研修会でクモヒトデを飼育観察したことについて、I先生がパソコンのパワーポイントを駆使して発表をした。
私は、この日まで、「クモヒトデ」という生物を見たこともなければ、「くもひとで」ということばを聞いたこともなかった。
蜘蛛?それともヒトデ?
クモヒトデには5本の腕があり、それぞれの腕が有用な役割をになっているのに、4番目の腕は、移動するときも、仰向けの姿勢になったときひっくり返って起きあがるときも、何の働きもしない、というお話がとても興味深かった。
なれるものなら、私はこの「クモヒトデ4本目の腕」になっていたい。
<つづく>
09:19 |
「クモヒトデ」
「クモ」は、わかる。「ヒトデ」も知ってる。でもクモヒトデとは?ヒトデの仲間?
クモヒトデは、海に住む棘皮(きょくひ)動物。
棘皮動物のなかは、ウニ、ヒトデ、ナマコ、などの綱があり、その中のひとつがクモヒトデ綱。ヒトデとナマコが違う綱であるのはわかりやすいが、クモヒトデは、ヒトデの一種かと勘違いしてしまいそう。でも、ヒトデとは異なる綱なのだ。
クモヒトデは、5本(6本のこともある)の長い腕を細長くのばして、プランクトン、小魚、小エビなどを食べる。その生態はまだ研究途上で、わかっていないことが多い。
五角形の星のようなヒトデに比べると、クモヒトデの腕は、蜘蛛の足のように細長く、ひょろりとしている。
私には理解の及ばないクモヒトデの研究だけれど、先生が熱意をこめてクモヒトデの生態について語るのを聞いているだけで楽しくなった。
好きなことにのめり込んで夢中になっている人が、好きなことについて語っているのを聞くのはとても楽しい。
今月4月1日受信の、I先生からのメールでは
「今日は久しぶりにクモヒトデの仕事で外出してきました.やりなれないX線分析というものに挑戦してきたのですが,僕なりに納得した結果になりそうです(細かなデータの解析方法はわかっていないのですが).6月と8月の学会で報告しなくてはと思っているところです」
クモヒトデ研究のようす、メールの文字も弾んで見えます。
I先生、きっと一晩中クモヒトデについて語っても語り尽くせないのだろうなあ。
古生代には棘皮動物の綱がもっとたくさんあったのだという。
地球環境の変化で、大部分の棘皮動物は滅亡してしまった。その中でクモヒトデはしぶとく生きのびてきた。
クモヒトデ、がんばってこれから先も地球の中で生きていってね。
私も地球の不思議を知るために、化石掘りや地層の見学を続けていきます。
( I先生、メール引用許可ありがとうございました)
<つづく>
07:33 |
2003/01/30
手紙のあて名のわきに添え書きする敬語のひとつ。机を南向きにおくと、人はすずりの北側にいることになる。あなた様への手紙を書いたすずりの北側にいます=おそばにかしこまっております、という謙譲の意。
(2006/08/17 追加)
検索してみると成島柳北の本に『硯北日録』というのがあった。流
星香 という人の若者向けの推理小説『E公園の首吊り桜硯北学園探偵部』というのもある。
「硯北学園」は知らなくてもしかたがないが、成島柳北は、覚えておいて損はない。
2006/11/08
北九州在住の方のコメントから。
「毎日こざこざしたことをして一日がすぎていきます」というコメントがありました。
2006/11/08 21:34 haruniwa 「こざこざする」初見です。九州でつかっているのでしょうか
と、意味をたずねたら、
2006/11/08 22:31 anjin3 細々雑用などする。方言でしたか
と、返信をもらいました。
熊本県方言集、出雲方言集、の中に、「こざこざ」標準語では「こまごま」と、ありました。
2007/02/17
『図書2006年11月号1』中井久夫の「日本語文を組み立てる」の中に見つけた四字熟語。
竹内照夫の『四書五経』(東洋文庫44)にある『春秋』の注釈からの引用という。
「春、王の正月戊辰、朔、宋に隕石あり、五つ。是月、六鷁退飛して宋の都を過ぐ」
古い注釈書『公羊伝』の注釈。五石は、聞こえたことの記録。
何かが隕ちる音が聞こえた。調べてみると石とわかった。数えてみると五つあった。隕石あり五つ。
六鷁は、見えたことの記録。何かが飛んでいる。六羽見える。よく見ると鳥の鷁である。都の後方へ飛び去っていく。「六鷁退飛して宋の都を過ぐ」
う〜ん、隕石あり五つ。こちらも、見たことの記録としてもいいだろうに。全体の描写からフォーカスしていくか、パノラマをとらえてから焦点にピントを絞っていくかのカメラアイの違いと私は解釈するのに、なぜ「石がおちる音」ととらえるのだろうか。
「隕」に「落」「墜」「堕」とは異なる「音」を含む意味合いがあるのかと思ったが、「大修館現代漢和」には、「本来有るべき高見から落ちる=墜」「落ちて悪い結果となる=堕」という違いのほか、出ていなかったので、「隕」が聴覚からとらえた落下なのかどうかは、わからない。
とにかく、「五石六鷁」という数字入り四字熟語をはじめて知った。
2005/08/22
「港・湊」は、和語では「水門
ミナト」
「ミ」=水、「ナ」=現代語の「の」と同じ連体助詞、「ト」=左右両側の狭まった所。船の出入り口。
出船入船、ミナトに出入りする船は、航海の安全を願って金比羅様のお札を掲げる。
「金比羅様」は、船の航海安全に御利益がある神様。
もとはインドの神々のひとつクビラ神。
ガンジス川の鰐が神格化された神で、仏教成立後は「仏法守護神」となったもの。魚身で蛇(へび)の形をし、尾に宝玉を持つ。仏教十二神将のうちの宮毘羅(くびら)にあたる。
日本では大物主神(おおものぬしのかみ=大黒様)と習合し、金毘羅大権現として垂迹(すいじゃく)した。ワニ=水の守りとして、海上の守護神として広く民間に信仰されるようになった。香川県の金刀比羅宮(ことひらぐう)がその中心的存在。琴平山(象頭山)に鎮座する。
さて、金比羅ふねふねです。
florentmy
さんからのおたずね。
おいてに帆かけて。。とくれば、しゅらしゅしゅしゅ。。。
金毘羅ふねふね。。。という昔はやった歌、いったいあれはどういう意味だったのでしょうか・・・? |
『金比羅船々』は、香川県民謡、音楽の教科書にも掲載されたので、全国的に親しまれてきた。
♪ こんぴら船々 追い手に 帆かけて シュラシュシュシュ
回れば 四国は 讃州(さんしゅう) 那珂(なか)の郡(ごおり)
象頭山(ぞうずさん) 金毘羅大権現(だいごんげん) いちど まわれば
お宮は金毘羅 船神さまだよ キララララ
時化(しけ)でも無事だよ 雪洞(ぼんぼり)ゃ明るい
錨(いかり)を下(おろ)して 遊ばんせ いちど まわれば、、、、、、、♪
「シュラシュシュシュ」の「シュラ」は「修羅」のことらしい。「修羅」は農業や林業で用いる木製の運搬道具。重い荷物や大石を運ぶときに使う。
仏教の修羅は、帝釈天(たいしゃくてん)と戦って敗走させた悪鬼である。つまり、大石(たいしゃく)をも、走らせるから、シュラ。
農業や土木作業でいう修羅は、木製のそり。重い道具や石をこの修羅の上に乗せて移動する。
林業では、丸太の道を修羅と呼ぶ。伐採した木材を、運び下ろすときに、急峻な山道に丸太を並べて滑り道を作り、一気にすべり落とす。一枚の修羅は6〜10本の丸太で作る。
修羅を使って、すべるように早く走り下るようすが「シュラシュシュシュ」なのだという。
「追い手に帆かけて」進むには、山道をすべり下りる林業のシュラのほうが似合っている。
ワニが本体の水の守り神、金比羅様。香川県の水不足、なんとかならないでしょうか。
2006/04/02
貴人の観覧
大相撲三月大阪場所、モンゴル出身のふたりの力士が大活躍し、白鵬の大関昇進となりましたが、二ヶ月前、2006年初場所が行われていた1月21日の朝のこと。
7時に起きてきた息子が「母、これ見た?」と新聞のスポーツ欄コラムをさした。10時に起きてきた娘、新聞を読みながら、「ハハァ、これ知ってた?」と、まったく同じコラムを出す。
ふたりが反応する場所、おんなじところ。姉弟、いっしょだね。
小さい頃は「おかあさん」と読んでいたのに、ふたりそろって「ハハ」と呼ぶようになったのも同じ。さすがに「おふくろ」とは言いにくいので、「ハハ」になったのでしょう。
ふたりとも、スポーツ欄「天皇ご夫妻が大相撲を観戦した」というコラムを見ての反応だった。
「天皇の相撲観戦のときは、天覧相撲。皇后や皇太子の観戦は台覧相撲」という「相撲用語解説コラム」をさして、「台覧」という言葉を知っていたかどうか、ふたりとも私に聞いてきたのだ。
天覧相撲は知ってたけど、はい、ハハは知りませんでした、「台覧相撲」。
台臨や貴台尊台は知っていたのに、台覧は知らなかった。今上天皇ご夫妻が皇太子夫妻だったときにも、ふたりで観戦したことがあったし、今の東宮、徳仁雅子ご夫妻が相撲観戦したこともあったのに、その時は台覧という熟語は新聞もテレビニュースも使っていなかった。
台覧(たいらん)=貴人がご覧になること。
新聞やテレビニュースで知らないことばに出会うと、娘も息子も、私を辞書がわりに使う。たいていは適当に答えてしまうが、知らないとき、あやふやなときなどは、すぐに辞書をひく。
ふたりとも「自分で辞書ひくのがめんどうでハハに聞いているんじゃないんだよ。ハハの趣味がことばコレクションだから、母が趣味を楽しめるように、貢献してやっているんだよ」と、すましている。
知らなかった言葉に出会い、新しい言葉を知るのはほんとうに楽しい。
「台覧」は、「貴人の観覧」
そうすると平安末期の貴族の日記『台記(たいき)』の「台」は?と、気になったので、調べてみた。
<つづく>
08:56 |
2006/04/03 月
台覧と台記
『台記』の「台」は、大臣の官名を中国式にいう「三台」に由来する。
三台すなわち「律令制の大臣」の職にあった貴人が書いた日記が『台記』だった。
(ちなみに、中納言の中国式官名は「黄門」。水戸のご老公が中納言であることは、毎回印籠をだしたときに、格さん助けさんが一同へ向かって言っている)
『台記』の著者、左大臣藤原頼長(1120〜1156)。
関白藤原忠実の次男。忠実の長男である藤原忠通が摂政をしている朝廷に10歳から出仕。弱冠17歳で内大臣に出世したときは、世を驚かせた。
親の力が官位をきめる平安の世人をもびっくりぎょうてんさせたほどの早い出世だった。
律令官の中で、No.1、No2の左大臣右大臣の代理を務めるNo.3の重要ポストである内大臣に、現代なら高校生の17歳で任官!
人生50年の時代なので現代と同じに比較はできないけれど、現代にたとえるなら、26歳タイゾーこいずみチルドレンが、ポスト小泉でいきなり総理大臣になったくらいの衝撃度だったと考えてください。
頼長さん、本人が学問好きの才人であったことも確かだが、鳥羽上皇と趣味を同じくしていたことが、出世の大きな要素にもなった。
上皇と頼長の共通する趣味嗜好とは、男色である。
『台記』に男色関係の記述が詳しいことについては、春庭いろいろあらーな「弁慶がな、ギナタを」に書きました。当事の男色は、貴族の「たしなみ」であり、特別なことではなかった。
過去ログは kotoba0509a.htm
鳥羽法皇の寵愛を失ったあと、頼長は崇徳上皇と手を組んだ。法皇の死後、保元の乱を起こしたが、戦傷を受け死去。崇徳上皇は、讃岐へ流刑。
平安貴族にとって、男色趣味は出世の糸口ともなったが、現代の中年女が「辞書をひく趣味」をもっていても、一文の得にもならん。
ならんが、楽しいから今日も辞書ひく。辞書をひいている程度の趣味なら島流し流刑を受けることもあるまいし。
辞書を引くのをはたから見ていたら、なんてしちめんどくさそうな、埒もなさそうなことをモクモクとやって、何が楽しいんだか、とみえるでしょうが、ご心配なく。楽しいんです。
はたからみたら退屈そうなつまらなそうなことでも、本人にとって面白くて仕方がないんです。
<つづく>
08:15 |

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