昭和30年代
「おもいっきりテレビ」(1999年2月24日放送) |
ナレーション こうして、昭和33年、今から41年前の今日2月24日、日本初の本格的テレビ映画月光仮面の放送が始まりました。 当初は、月曜から土曜までの夕方6時から10分間の番組。 白装束の正義の味方月光仮面がさっそうと登場!! “憎むな! 殺すな! 許しましょう! 月光仮面!” 悪の集団に完全と立ち向かうなぞの男月光仮面! 月光仮面の活躍に子供から大人まで日本中が熱狂し、日本初のテレビ・ヒーローが誕生します。
映画会社の協力が得られず、 監督も主演も新人を起用し、 月光仮面と祝探偵の2役で主演した大瀬康一さんは、 一躍人気スターとなりました。
大瀬 私も主演したのは初めてだし、みんな若いし、みんな一塊になって情熱を向けてやっていました。 われわれはいつも移動車を押したり、照明を手伝ったり、みんな裏方やりながらやってたんですから。 警視庁の上で、ピストル撃って戦ったり、自衛隊に行ったら、ズバリ応援してくれたんですから、今じゃ出来ないですよね。
《主宰者から》 本当に、この頃の自衛隊というのは、「月光仮面」で本物の火器を使って番組制作に協力したりしていたわけでありまして、テレビの番組制作への協力だけでなく、この企画ページの発案者であり、「おもいっきりテレビ」の中の“今日は何の日”というコーナーを録画して、テープ起こしまでして下さり、ビデオとフロッピーを送って下さった市川市のMさんが、少年時代にモデルを務めていた月刊マンガ雑誌『ぼくら』の表紙撮影などにも協力しております。Mさんが登場した『ぼくら』の表紙では、「月光仮面」と同じように、自衛隊だけでなく、警視庁も、白バイ部隊がMさんと一緒に表紙を飾ったりしておりました。 ちょっと、固めの話になりますが、自衛隊の歩みを振り返ってみますと、1950(昭和25)年の6月に朝鮮半島で北朝鮮軍が軍事境界線38度線を突破して朝鮮戦争が勃発、翌7月には、連合国軍総司令部(GHQ)最高司令官のマッカーサー元帥が7万5000人から成る警察予備隊の創設を命じたことが、その誕生の発端でありました。 この時、先日の「工作船」騒ぎで話題になった海上保安庁の増員も命じられております。 1952(昭和27)年には保安庁が設置されて、警察予備隊が保安隊となり、さらに、1954(昭和29)年3月、日本の防衛力強化のため、アメリカから兵器などの軍事援助を受ける日米相互防衛援助協定(MSA協定)が締結され、この協定に基づいて、政府は、防衛庁設置法・自衛隊法の「防衛2法」を閣議決定、7月には、保安庁が防衛庁となり、保安隊は自衛隊に改組されました。 自衛隊は、陸上の保安隊、海上警備隊に航空を加えた三軍編成となって、自衛官15万人、艦艇5万8000トン、航空機204機に増強され、野党勢力からは、戦力不保持を決めた憲法の公布から、わずか6年の間に、戦前の常備軍兵力に匹敵する「戦力」を持つまでにいたった事態の展開に、強い批判が巻き起こったのは周知の通りであります。 しかも、「月光仮面」の放映が始まった1958(昭和33)年という時期は、すでに、1960(昭和35)年の日米安保条約改定を2年後に控えておりましたし、結果的に、空前の国民運動的な盛り上がりを見せた「60年安保闘争」を真ん中に挟んだ昭和30年代にあって、“自衛隊=戦力=戦争への危険”というイメージも根強かったでしょうし、まだ、小学校低学年だった私でさえ、そういうイメージを持っておりましたから、テレビ番組の制作や少年向け雑誌の表紙撮影への自衛隊の協力というのは、そういう国民感情に対する懐柔策というような側面もあったのかな、などと思ったりもするわけであります。
小林 当たると考えて作ってないんですね。当時ドクロ仮面と月光仮面の格闘シーンの横に、買い物籠を下げたおばさんが写ってるんですよ…。 そのまま放送しちゃったり…。
本当に、この上の5枚の画像を見ていると、住宅地の空き地で撮影をやっていたんだんなあ、ということが実感できてしまいます。 これで、撮影現場に、スタッフがいなかったり、テレビカメラがなかったりしたら、近所の皆さんは、きっと、頭のオカシいオジさん達がピストルごっこで遊んでいるんだろうな、迷惑な話だな、と思うだけか、ひょっとしたら、救急車を呼んでしまうかもしれません。 テレビの画面でも、平気で、民家が映ったりしておりますし、小林さんがおっしゃるように、買い物カゴを下げたオバさんどころか、近所の子供たちが撃ち合いに参加してきても、おかしくないような気さえしたりするわけです。
たちまち人気番組となると、 10分では短いとの声が殺到、 すぐに30分番組に変更し、 視聴率も40%の驚異的な数字を記録。 《主宰者から》 私の記憶にはっきりと残っている「隠密剣士」は、日曜日の夜7時から7時半まで、武田薬品提供の時間枠だったと思いますが、その前の番組だった「豹(ジャガー)の眼」も同じ時間枠だったような気がするのですが、「月光仮面」の頃は、まだ、7時からの時間枠ではなく、6時からの時間枠だったのでしょうか。
放送時間になると 銭湯から子供たちの姿が消えるとも言われ、 子供たちの遊びも 月光仮面ごっこが大流行り。 《主宰者から》 いやー、こんな映像、日本テレビは何処から探し出してきたのでしょうか。 長屋の路地裏のような風景といい、子供たちの背景に映っているスクーターやらゴミ箱やらリヤカーやら、もう、何から何まで、懐かしい限りであります。 静止画像だと、よく分からないかもしれませんが、子供たちがバンバン撃ちまくっているピストルは、巻き玉ピストルであります。
私も、昨年の10月10日と11日の両日、府中市にある郷土の森という大きな公園で開かれた「郷土芸能と縁日の森」というお祭りの際に、巻き玉ピストル2丁と巻き玉をしこたま買い込んできて、長男と次男と一緒に、聖蹟桜ケ丘付近にかかっている京王線の多摩川鉄橋で、大いにピストルの撃ち合いを楽しみました。 その時に使った巻き玉ピストルと巻き玉が、右の画像でありまして、本当は、「60年代のおもちゃ・遊び」で紹介させていただくつもりでしたが、日本テレビの映像が非常に嬉しいものでありましたので、今回は、ここで、特別公開させていただきます。
ところが、一方でこの遊びで 怪我人が出るとの批判も高まります。
すると製作チームは、 月光仮面は、あくまでもヒーローのまま終わらせたいと 1年5ヶ月で完結。 まさに、疾風の様に去って行きました。 (昭和34年7月28日、月光仮面は、放送を終了する) 《主宰者から》 ということで、昭和30年代のTVヒーローもの第一号として、末永くTVヒーローを代表する存在であり続けた「月光仮面」も、実は、その放映期間は、わずか、1年半にすぎなかったわけであります。
でも、そのインパクトは極めて強烈なものでありましたし、「月光仮面」の放映時には、我が家にテレビがなかったこともあり、私にとって「月光仮面」は、幻の“永遠のヒーロー”として、特別なプレゼンスを占めることになりました。 その「月光仮面」に対する私の思い入れが、半端なものではなかった証拠写真が残っておりますので、その写真も、今回、ここで、特別公開させていただきます。 左の画像は、新潟県立長岡高等学校の1973年度卒業アルバムの運動部・文化部の各部を紹介するページに掲載された新聞委員会(正しくは新聞編集委員会なのですが…)の写真でありまして、組み立て体操のてっぺんで、何を考えていたのか、なんと、ノーテンキにも「月光仮面」の格好をして、得意げに二丁拳銃スタイルをとっているのが、今から、四半世紀前の、主宰者の姿であります。
月光仮面のヒットに続き、 テレビには、次々とヒーローが登場します。 武内つなよし原作の大人気漫画少年ジェット。 名犬シェーンを連れ、スクーターで事件現場に現れる謎の少年。 悪と戦う少年ジェットは、子供たちの憧れの的となりました。 テレビ映画の隆盛に、ついに映画会社もテレビとの協力に乗り出します。
白馬童子。 映画会社が製作した子供向けのテレビ映画。 主演の山城新伍は、子供ばかりか大人の女性にも人気を得ました。 (昭和35年放映)
昭和35年から放送を開始した怪傑ハリマオ。 ハリマオとはマレー語でトラのこと。 舞台を東南アジアの国々に設定した異色の物語で、初のカラー作品。 テレビ映画としては、初の海外ロケを行い、 主題歌は、あの三橋美智也が歌うという、 異色尽くめで大きな話題となった作品です。
女性も活躍しました。 旅から旅を続ける琴姫が、 行く先々で悪をこらしめる、琴姫七変化。 ロケ地には、10万人の人々が押し寄せる人気ぶり。 見事な剣劇を松山容子は、 この作品で人気スターの道を歩み始めます。 こうした数々のヒーローを生み出したテレビ映画の先駆けとなったのがあの月光仮面です。 疾風の様に現れて、完全と悪に立ち向かう、月光仮面の、あの勇姿を、今も心に記憶している人は、数多くいることでしょう。 《主宰者から》 ということで、本当に懐かしい番組が紹介されたわけですが、既に、この「60年代通信」でも取り上げさせていただいた「怪傑ハリマオ」、「少年ジェット」「白馬童子」「琴姫七変化」と、私達のヒーロー、ヒロインが登場してきているわけでありまして、「少年ジェット」も、「白馬童子」も、「琴姫七変化」も、何れ、「60年代のテレビ」のコーナーで必ず紹介させていただくことを約束させていただきまして、とりあえず、この特別企画をお開きとさせていただきます。 市川のMさん、どうも、ありがとうございました。 「おもいっきりテレビ」(1999年2月24日放送) “今日は何の日”が「月光仮面」のエピソードを紹介〜前編 はこちら |
(C)1999 Kiyomi Suzuki
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