ディレクターズ・カンパニーの
今日まで、そして明日から(2)


●肉体的に考えることだけでいのか?

――ディレクターズ・カンパニーの脚本募集での成果 は?

長谷川 相米が『台風クラブ』と今度の『東京上空いらっしゃいませ』の二本を撮って、高橋伴明が『DOOR』を撮ったりして、実質的には三本かな。

相米 でも、シナリオ公募に応募してきた人と監督とは、映画じゃない所ではけっこう何かやってるんだよ。

長谷川 シナリオ公募に関しては、正論で始めたぶん大変だった。シナリオ審査ってのは下読みする人がいて、二十本ぐらい残ったのを審査員といわれる人が最終的に審査するというのが普通 らしいんだけど、そうすると変なもの面白いものが落ちちゃう恐れがあるって、自分らで読もうと始めたわけですよ。これが大変でねえ。四百本ぐらいだと、一本の脚本を最低三人の監督が下読みをしようということだったんで、一人一二〇〜一三〇本読まなきゃならんわけ。始めの頃はまだワープロの原稿って少なかったから、肉筆の原稿でしょ。肉筆の生原稿というのは、ある重みがあるんだよね。本当に詰まらない脚本でも、投げ出したいんだけど、雑に扱えないんだよね。締切があるからドーンとまとまって(応募が)来るから、それで随時応募という形に変えたんだけど。幸か不幸か今は少し減ってきてるからね。やっぱ書く方も締切がないと書きづらいというのもあるんじゃないかね。それでもよっぽど書きたくて書いたものが来るんじゃないかと思ったから、応募が減ってもそれでいいんだと考えてたんだけど、これが九割五分はヒドイ。なんでこんなもん読むために時間かけてんだろって思う時あるよね。

――相米監督の場合、シナリオ公募の作品を読んでどうですか?

相米 シナリオ公募に関しても、シナリオを読むということを自分に無理強いする方が、むしろそのいい所を探し切れないのかもしれないね。真面 目になり過ぎてね。もうすこし楽な気持ちで映画に向かわないといけないんじゃないかなと。真面 目過ぎて落としてることの方が多そうな気がするから。だいたいにシナリオ募集だけじゃなくて――俺たちがディレカン作った頃って若かったでしょ。映画ってのは、土方の作業だとういふうな感じがしてたのね。だから運動部的には仲いいんだけど、十年近くも運動部やってる奴いないわけだよね(笑)。どこか俺たちも、少し肉体的な頭の使い方じゃない時間を区分けしなきゃいけないと思うんだよね。現場で撮ってる時は勿論肉体作業なんだろうけども、それ以外の時も肉体的にやることが正しいと思ってたりする所があったから。だからここらへんで、新しい仕事の仕方へ変えてかないとダメなんだろうなと。

長谷川 映画監督って最終的には独りのようなもんだけど、映画が出来るまでに、誰と出会ったからこの映画が出来たというのがあると、その最たるものがシナリオでしょ。だから毎年止めようと言いつつ、シナリオ公募を止めてない。真面 目ではあるんだな俺らも(笑)。

――ディレカンにはそういう意味でも、期待は大きいものがあると思いますが、この所若干パワーダウンしてるんじゃないですか?

長谷川 そうだね。それはそうかもしれんな。だから、こういうふうに人材を吸収することで、挑発されたり、元気を出そうということが一つと、まだ今模索中だけど、全員で撮るオムニバスを、相米総指揮、大森一樹総指揮、長谷川総指揮で全員で撮ると、あっという間に七本出来るじゃないかと、言ったりはしてる(笑)。

 

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