《インタビュー》
●結成から9年目を迎える

ディレクターズ・カンパニーの
今日まで、そして明日から

長谷川和彦 相米慎二

「月刊シナリオ」1991年3月号 p.18〜23
特集●'90年日本映画―回顧と展望



 長谷川和彦監督を筆頭に、大森一樹、相米慎二、高橋伴明、根岸吉太郎、池田敏春、井筒和幸、黒沢清、石井聰亙らの監督集団が、ディレクターズ・カンパニーとして制作会社を発足させてから、今年で九年目を迎える。そして今年、企画プロデューサーと助監督を募集して、新たな動きを作ろうとしている。
 結成以降、東京国際映画祭でヤングシネマ大賞を受賞した相米監督の『台風クラブ』をはじめ、『人魚伝説』『逆噴射家族』『ドレミファ娘の血は騒ぐ』『犬死にせしもの』『ウホッホ探検隊』『永遠の1/2』など数々の映画を制作。また『台風クラブ』や『東京上空いらっしゃいませ』『DOOR』という独自に行った脚本募集から生まれた映画もある。
 '80年代の映画状況を切り拓いてきたともいえるディレクターズ・カンパニーの今日までとそして明日からを長谷川和彦・相米慎二両監督にインタビューした。(編集部)

――8年前にディレクターズ・カンパニーを結成した時の動機は?

長谷川 ディレカン作ってもう九年目になるんだけど、僕以外の監督はいろんな映画を作ってきてるし、ディレカンでなければ成立しなかった企画というのもいくつかある。もともとディレカンをどういうつもりで作ったかというと、僕は今村プロで今村昌平さんの助監督がスタートなんで、いわゆる監督主宰の独立プロも知ってるし、その後日活に臨時雇いで五年ぐらいいましたから撮影所というのも両方知ってる。両方ともいい所、面 白い所、キツイ所がある。そのいい所を掛け算したようなものが出来ないだろうかというのが動機みたいなことなんです。監督主宰の独立プロというのは、その小さな王国で監督が神様であり、ある種のカリスマでなきゃいかんわけです。特に今村昌平さんなんかそうだったし。ただ、その中で映画を創っていくというのは、僕が見てると凄く大変だなというのも感じたんです。その頃僕を含めて社員は三人しか居ませんでしたけど、社員を食わせるために仕事をしなきゃいけない。僕みたいな怠け者にはとてもあんなことは出来ないなと思った。それから日活に行って、監督と呼ばれる人間か何十人もいることが、楽しかったですね。監督という言葉が実用的な呼称に過ぎなくて、むしろクラブのような楽しさというかな。何本か助監督をやりながら、ロマンポルノになって、その現場も非常に元気のある面 白い現場だったけども、しかしやっぱり会社を転がしてるのは経営陣であって、気楽ではあるけど(監督が)必ずしも映画の主導権を取れてないというか。ましてや相米や僕らのような臨時雇いは日活では監督になれないという暗黙のルールがあって、結果 僕も日活を辞めてフリーという形で監督デビュ一したんだけど。『青春の殺人者』『太陽を盗んだ男』撮って監督になって三、四年経った頃に、次にどうしようかというのを悩んだ感じもあるわけ。具体的に何をどう撮るかということじゃなくて、監督主宰の独立プロと撮影所を掛け合わせたような、楽しんで仕事ができる場所がないもんだろうかと、相米、根岸あたりにまず声をかけて九人のメンバー集めてディレクダーズ・カンパニーを作ったわけです。

●業界に浸かりすぎると見えなくなる

――監督集団の会社であるディレカンが何故今回企画プロデューサーの募集を?

長谷川 撮影所にはいろんなパートがあるわけで、映画会社では企画部員というけど、その部分がどうも手薄なんではなかろうかと。特に僕のように長いあいだ撮る撮ると言っては撮れずにいる監督はなかなか辛いものがありましてね。自分の中や業界でない人も含めた友人関係の中でいろいろ映画の企画を考えてはいるんだけど(業界と関係ない人だと)ある種こっちが甘える関係だから、尻を叩かれるという感じに余りならない。昔とは違っていろんな人がいろんな形で映画を撮るようになったけども、監督とプロデューサーの接点て意外に少ない。特に僕のように煙たがられる人間というのはなかなか孤独なもんなんです(笑)。プロデュース業務というのも様々で、角川春樹さんのようにやられる方もあれば、もっと小さなものを手作りのようにやれる人もいる。金を集めること、企画を立てること、配給を決めること、そして宣伝することと、勿論その間に映画を作るというのがあるんだけど。現場を仕切るにはかなり現場の経験がないと出来ないけど、企画の部分は、むしろセンスの問題だから、この業界の水にどっぷり浸かってない人のセンスも面 白いしそういうことが必要なんじゃないかと。だから女性にもどんどん来てほしい。僕ら同士で喋ってると、諦めちゃって発想しないこと「そんなの日本映画ではとても無理だよ」とか、この業界にいる為に結果 視野が狭くなってることってあるんだと思う。そういう意味で企画を本気で仕事として考えてくれる人がわがディレカンにも欲しいということですね。育てるというとオーバーだけど、結果 的には育つと思う。そのことだけですぐ素晴らしい企画がポロポロ出てくるというふうには思わないけど。

――今回助監督も募集してますが。

長谷川 これは今もうリアルな問題。ドラマ作りの現場はVシネマみたいなものも含めて、圧倒的に増えてる。だから今、助監督は物理的に足りない。撮影所がある時期から、映画人を育てて行く余裕を持てなくなってきてて、僕ら自身が仕事をしていく為にも(助監督は)不可欠なもんだから同時に募集することにしたんです。助監督はなってしまえば、作品のより好みをしなければ、監督なんかより相当食えるから監督になるという志向を持たない人が増えてる気もするけど。ウチの場合は本気で監督になりたい人問を是非採りたいと思う。

相米 俺も期待は沢山してるよ。ディレカンが何年か経って俺たちもそんだけ年とったわけで。年とることは仕方ないけど、年とって外に出て遊んだり見聞きしたりすることをひっくるめて、不精になってる実感があるわけね。ウチの会社は何年たっても同じ人ばっかだから硬直してたりとかあるからね。そういうのって企画の中に出てくるよね。監督同士でもっと企画を考えたりするものかと最初の頃は思ってたりしてたけども、実際にはなかなかそんなふうにはならないもんだから。誰かそれ専門に挑発してくれる人がいてくれれば、又違うのかと思う。独りの作業じゃないつもりで映画界入った訳だけど、監督になってしまったら年とともに回りに集まる人材というかが狭くなってくる。僕なんかもなるべく一緒の人(スタッフ)とはやらないようにしようとか思っててもなかなかそういうふうにはならないもんだからさ。それをどんどん広げてかないと。こっちの老化現象はどうにもならないから(笑)。
 シナリオを募集してたのも、結局そういうことなんだけど。これもけっこう大変なんだよね。自分の為のシナリオであることと、自分のバネの苦労であるということとが、なかなか一緒にならなかったりするから。恒常的に違うことに向ける意欲、新しい人と触れ合う接点をもう少し活性化しないとダメだというのが一番大きいよね。それだけが元気にしてくれる糧の筈だから。

――映画の制作ということでは、どういうものを目指して?

長谷川 映画というのは一口で言えないからね。かつてのプログラムピクチャーとはちがって、今群として語れる映画群はなくなってるし、僅かに東映のVシネマみたいなものが一つの群として語れるのかも知れないけど。ディレカンでも最初の頃は、週一回企画会議開いてね、皆で現状報告等、こんなことで悩んどるとかしてたんだけど、監督ってなかなか人の映画のことを自分のことのように考えるということが、出来ていい筈なのに出来ない。友人としてはするのよ。誰かの脚本が上がったら読んだりもするし、いろいろ意見を言うし聞いたりするよ。友人的なサポートはするんだけど。僕も藤田敏八さんの助監督に付いたことが多いけど、自分が監督になってからは、ホンが出来たから読んでくれという習慣はあまりない。頼めば勿論、読んでくれて意見もくれるだろうけど、何か甘え過ぎのような気もするんだよね。だから同じ会社にいても、やっぱり友人の善意の域を越えづらい。僕が石井聰互の『逆噴射家族』プロデュースというのを一本やった時には、僕は現場を仕切る才能はお金を含めてないから、現場は高橋伴明に頼んで僕は言わば企画プロデューサー的なことをしたわけだけど、真面 目にやりましたよ、一年位かけて脚本作ったからね。お互いのプロデュースぐらいやり合おうじゃないかと言って、僕は石井とやったし、根岸が池田敏春のめんどうをみたり。でもやっぱり疲れるね。次は俺の面 倒も見てくれって思うし。甘えてることの限界ってあるんだな。職業的に甘えられる人が欲しいんだろうね。ディレカンにもその周辺にだってプロデューサーはいるんだけど、やはり量 と質のバラエティは限界がある。そういう意味で新しい血を吹き込めば、俺なんかも元気にならんだろうかということなんだよね。

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