俺は今、日本で一番の監督だと思ってるよ(4)


★自分は良くも悪くもシティ・ボーイ

 器用でなくても、一生懸命やっている人間が、俺は好きなんだ。例えば小川紳介なんかもその部分がな。奴が生活まで三里塚に持って行けたてのは、やはりすごいよ。俺には百姓やれない自信があるんだけど(笑)。またやったら俺でもないし、いい意味でも悪い意味でも俺はシティ・ボーイだしな。だから今回も、本当は三里塚入れるのチョットつらかったな。

★映画はでっかいオモチャ

 「神々の深き欲望」の時、イマヘイからは、映画監督は神様でいいんだ、て事学んだね。オマンコやってたっていいんだよ(笑)。その時早稲田の映研の奴がいてね、ネズミ取りばかりやらされるから、労働改善求めたのがいたけどさ、俺お前の十倍はネズミ取っているぜ、と言ったら、そいつに資本の手先だと言われたね(笑)。俺が資本の手先だよ、資本の(笑)。
 映研出が嫌なのは、損か得かと計算するんだな。俺はネズミ取りや弁当運びが面 白かったし、そして誰よりもそれを一番やったよ。現場できついのはあたり前なんだよ。大学でもフットボールの練習、これは何だと考えたらきつくてやれなかったよ。逃げ出したら楽しめない、と思うからやるんだよ。
 現場でやるには、監督と同じ位テンション持ってなきゃだめなんだ。俺は「神々の深き欲望」の時、イマヘイと同じ位 それを持っていたし、一番良き奴隷だったよ。どんなにきつくても、いつも馬鹿話してやってたしさ、そんな俺がぶっ倒れたもんだから、みんな俺が原爆病で倒れたと思ったね(注、長谷川監督の生れは広島で、原爆投下の時母親のお腹の中にいた)。俺が倒れるなんてよっぽどの事だよ、そんな肉体の限界まで俺はやったな。その土方が、今の土台になっているんだよ。
 映画は面白いよ。でっかいオモチャだよ。こんな馬鹿な仕事はないよ。俺もその内撮ると言う望みで、喜びで、今思えば十年もやって来たんだよ。だから、俺は映画の世界に入ってからは、絶対にサボらなかったしね。特に最初の五年は。もちろん若いから馬鹿もしたけどさ、クロマイの世話になったり、どんなに忙しくても夜もきっちりやってたからね(笑)。
 とにかく、映画はまず現場でついて行くパワーなんだよ。理屈は嫌いだね。理屈ではパワーのある映画絶対に作れないよ。アングラも嫌いだ、せめて自分だけでも納得させようとする映画になるんだけど、自分との対話なんて酒飲んでれば出来るからね。映研みたいなのも嫌だし、例えば、まずてめえらでポスター貼る事が知識なんだよ。汗かかずに学んだものに、パワーはないよ。

★ごろ寝の時間なんか絶対にない

 山田洋次は絶対に自分で、映画のポスター貼って歩かないだろう、だいいち彼は頭のいい詐欺師だと思うよ。客を、大衆を馬鹿にしているから「寅さん」が作れるんだな。あれは本当は渥美清の映画だよ。だから、彼が真面 目な映画作ろうとする時、渥美じゃ困るから使わないだろう。大衆を本気でリードしようと、信じているから困るんだよ。
 まあ、とにかく、俺は自分で、自分の映画のポスター貼って歩いたし、そこがスタートだ。企業内の監督に文句言わせたくない、て言う気持はあるよな。本当に(俺は)何も無いよ。体と感覚だけだ。それを最大限に使ってやっているんだ。トータルに自分をさらけだしてね。今回だって宣伝費の十倍は、自分の体で宣伝しているよ。そりゃあまだ虚名の部分もあるよ。それを虚名にしない為にも単なる一作家として甘んじていたくないね。
 一点突破、全面展開今しかけているしさ、本当に付合っていける奴の数を増して行くつもりでいるよ。その為にも、どんなに小さなシネクラブの集まりでも、本気だったら、どんなに忙しくても行ってるしね。
 だいたい電話で十分話せば、本気か、人気タレントとしての俺を呼びたいのか判るね。だから今、日本で一人のごろ寝の時間なんか絶対にないしさ。正直言って、ちょっとつらいけどな、やはり消耗するよ。だから今日は久し振りで、セーヌ川で二時間ばかり昼寝していたけど、本当に、気持良かったなあ。
 まあしかし、 今回、映画売るので、アメリカとかフランスとか、まあ、外国出て来る様になったんだけどさ、何かこう、もうわくわくしねえんだな。世界はチョボ、いい人間はいい人間、悪い人間は悪い人間、どこ行っても同じだと言う感じ、やはり年とったのかな(笑)、ショックだよ。

★三作目は連合赤軍を撮るつもり

 そうだ、三作目はね、連合赤軍撮るつもりなんだよ。あのリンチをね、完全に撮りたいね。コッポラがベトナムでなんか撮っているだろう(「地獄の黙示録」)、ベトナム人を被害者にして。俺は加害者である事を自ら選び、かつ勝てなかった奴等を描きたいんだ。奴等の崩壊をね。こりゃあテンション高いぜ。
 三億円位かけてね、面白い娯楽アクションとして撮るつもりでいるよ。こういうのは大島にはやはり出来ないよな、恐くてね、奴はいい意味でも悪い意味でも文化人だし。
 まあ、(俺は)器用な人間じゃないんだよ。映画を信じて(笑)、楽しくやり十年、本当に特に最初の五年は楽しかったよな。


 ※去年の六月、「パリ日本映画クラブ」とJISU(日本国際学生連合)とで主催した、「第一回現代日本映画パリ・シンポジウム」に引き続き、今年も何とか第二回目をと、そのテーマとゲストを考えていた時に、長谷川監督がカンヌ映画祭に参加すると言うので、やはり一番気になる監督だし、時間があったら僕達の所に寄ってくれるよう頼んでいたのだ。
 そして、ドスのきいた声で、いきなり日本映画界を切開する大熱弁。噂にたがわず、話がちょっと大きいなと思いつつ、とっても嬉しくて仕方がなかった。単なるシンポジウムのゲストと言うよりも、ようやく自分達の兄貴分に出会ったような、そんなとっても頼もしい気持だった。
 飛行機が、ゼネストで一日遅れた事もあり、モンパルナス、サンジェルマン、そして出発の日の朝4時までと、ビガールのブラッセリーで飲んでいたが、パリのどこに置いても、彼ほどでっかく見える日本人は初めてだ。
(小松沢陽一)

 

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