『ピエロと殺人者』明後日の月光仮面 のために
長谷川和彦

「ユリイカ」1976年6月号 「特集−映画 ヒーローの条件」 p.228〜235



「ちょっと出てくらあ」5時頃起きて朝メシとも晩メシともつかないものを食うと、もう何もする事がない。今日はカープのナイターも無いし、またブラブラ出かける事にした。ズボンをはいていると保育園から帰った上のガキが「どこいくのゴジ?」と聞く。「ゴジじゃないだろう、お父さまと言えバカ!」まるで無視されて「仕事?」「うん、まあな」「会社?」「そう、まあ会社だ」と苦しい。「ゴジの会社、夜からやるの?」しつこいガキだ。団地の保育園なんかに入れるとロクなことはない。大人はみんな、カイシャに行ってると教えているらしい。去年日活を辞めてフリーになってから、このての質問には全くまいるのだ。フリーと言えば聞こえも良いが要するに無職の風来坊みたいなもんだからな。行かねばならぬ 場所が無いというのは俺のような怠け者にも、意外に辛いものなのだ。しかしそんな俺でもやはり人間であって、社会的動物であるワケだから、たまには人間社会へ出かけて行って社会的交際をしなければならないのだ。「また麻雀?」と、これは本物の会社から帰って来られた我が長谷川家唯一の稼ぎ手である奥様に質問される。「ああ、まあな」「どうせまた徹マンでしょ?」「そうだな、たいていな」「勝ちなさいよ、最近負けっぱなしなんでしょう」ウルセエ、勝ったり負けたりするからバクチなんだ、と思っても口には出さない。「頑張ります」と呟いて泥だらけのブーツに足を突っ込む。「どうでもいいけど、たまにゃ靴ぐらい磨いとけよな」「何言ってんのよ、自分でやればいいじゃない、一日中寝てんだから」それもそうだと、すぐに反省する。「いってらっしゃい」ぐらい言わねえかと思って2人のガキを見るが、テレビの『ゴレンジャー』に熱中して見向きもしない。「そうだ、昨夜電話あったわよ、ユリイカの宮田さん、書いたの原稿?」「いけねえ」「『ヒーローの条件』だってえ、書けるのそんなの」と薄笑い。「書く書く、明日書くよ」とりあえず今日は社会的交際をすることに決めたんだからと、団地の階段を駆け降りる俺が“ヒーロー”なんかじゃない事だけは間違いない。

 外は真っ赤な夕焼けだ。灰色一色のどうしようもなく陰ウツなこのマンモス団地だが、ピーカンの夕景にだけは仲々捨て難い味がある。灰色の建物群が丁度スクリーンのように斜光線を浴びて輝き、ブルー、ピンク、オレンジ、レッドと刻々と変化していくのだ。

 「ヒーローヒーロー」と義理のように呟きながら、京王永山駅の自動販売機に百円玉 を入れる。新宿まで210円もするのだ。階段をのぼりながら、ついに格調高く考えはじめる。
 確かに映画はヒーロー映画に限るのである。ヒロイズムこそが映画の真髄なのだ。映画館の暗がりを出て横丁の角を曲がるまで、いやいや、体調の良い時などは殆んど丸半日も、肩をすぼめたり、眉を寄せたり、自分がアラン・ドロンやジェイムス・ディーンを無意識に演じていることに気づかないでいられるあの自己陶酔、あれこそが映画最大の魅力でなくしてなんであろうか。問題は我を忘れて自己同一化できるそんなヒーローが『今』存在し得るかということなのだ。  素直で単純な感受性を持ってすくすくと育っていた俺なんかにとって、最初のヒーローはやっぱり月光仮面 であった。♪どこの誰だか知らないけれど――あの歌だけは今でも三番まで歌えるのだ。しかし中学も二年ぐらいになると月光仮面 を月経仮面などと言い替えて春歌にし、蛮唱しては清純な女生徒をからかったりしはじめた。おそらく月光仮面 の正義に対して漠たる不安を抱きはじめたのであろう。時まさに1960年、山口一矢がその年のヒーローベストワンであった。その後どれだけのヒーローたちが俺たちの前を過ぎ去っていっただろう。三船敏郎、石原裕次郎、小林旭、鶴田浩二…彼等は年老いたからのみ消え去って行ったのではあるまい。格調高く言い切ってしまえば『現時点の映画におけるヒーロー不在こそが虚妄に満ち満ちた戦後民主主義の凋落、絶対的価値観の喪失を如実に物語っている』のである。  誰が善玉で誰が悪玉かわからないんじゃ、月光仮面だって登場しようがないではないか。

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