『死に顔を見ていないから、
パキさんも孟さんもオヒゲも
まだ、生きてるんだ』(2)
ただのエロ映画は作らねえ 荒井 次についた『八月の濡れた砂』がダイニチ最後の映画になったわけだな。いつ頃知ったの。これでオシマイって? 長谷川 俺ら現場やってたから、オシマイって知ったのは、ダビングの頃だったと思うな。あれ、新聞広告ゼロだよ。どうせ客なんか来ないんだから、宣伝費もったいないって。実際「打ち込み」は5人とか、もう数字じゃなかった。名画座の話題作になったのはだいぶ後でね。石川セリの主題歌が大きかった。パック・イン・ミュージックで林美雄が流したりして。 『八月の濡れた砂』てのは、会社としてはエロ青春映画のつもりだったんだろう。一応強姦シーンもあればさ、裸もあるじゃない。その後ロマンポルノになると『濡れた〜』というのは多いからね。その気分が先行したタイトルだったんじゃないかな。だから音楽含めて、ああ綺麗にまとまると、ちょっと照れくさい感じはあったよな。これでいいのか。こんなもん作ってるからダイニチ終わるんじゃないかって。でも、俺は嫌いな映画じゃなかった。当時俺は25で、自分自身が主人公たちに年齢が近いじゃないか。自分らの映画を撮ってる気分が、助監督やってても、あったんじゃないかな。パキさんも30代最後くらいの歳で「青春の挽歌」的な気分は強かったんだと思う。現場は気合い入ってたよ。しかし、ダイニチはつぶれるわけだ。おしまいおしまい、やっぱり映画なんかやめろってことかとゴロゴロしてたら、なんだ、日活がピンクやるらしいぞってことになって。 荒井 パキさんが『八月はエロスの匂い』を撮ったのは、ロマンポルノがスタートしてだいぶ経ってからだよな。 長谷川 パキさんも澤田(幸弘)さんも、日活ニューアクションの売れっ子監督たちは、最初はみんなロマンポルノ敬遠したんだよ。ま、日和るというか、ビビるというか。ニシさん(西村昭五郎)とかクマさん(神代辰巳)とか、要するに長い間ホサレてた監督や助監督が「ピンク上等やないか」って出てきたわけで。シナリオライターだって、ダイニチを書いてた連中は皆逃げ出した。「ピンクなんか書くとTVの仕事が来なくなる」 ってね。 荒井 ホン代も安かったんだろう? 長谷川 1本15万円だった。で、「ゴジ、おまえ字ぐらい書けるだろう?」と俺にまで脚本依頼が来たんだ。 荒井 ロマンポルノ監督としてのパキさんを、どう評価する? 長谷川 パキさんはロマンポルノやっても「俺だけはただのエロ映画は作らねえんだ」みたいな気配は、やっぱい強かったね。クマさんは逆に「エロ上等」という開き直りが明快にあったけれども。パキさんはエロ撮るのを怖がってたよ。「エロだけ」じゃ怖いという。 荒井 照れじゃなくて? 長谷川 いや、怖かったんだと思うよ。だって初期のロマンポルノは、路線としては、エロであり、ピンクでしかなかったんだから。それが社会的に市民権を得るなんてことは想像もしてないわけだ。ロマンポルノがベストテンに並ぶなんて誰も思ってもいなかった。だって、おいらと違ってさ、大エリートが優秀な就職口として映画会社に来てるんだぜ。パキさんたちなんか典型的にそういう世代だろ。あのへんみんな東大、早稲田のさ、立派な卒業生じゃない。俺とかおまえとは違うんだよ。彼らの場合、撮影所の助監督やるっていうのはエリートコースだったんだから。そういう自負心があって映画をやってた人にとっては、エロやるってのは、やはり清水の舞台から飛び降りるような事だったと思うよパキさんも、そういう意味では、ごく普通 に臆病だったんだよ。 |
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