ディレクターズ・カンパニーは走る! 』(2)


――ところで、長谷川さんの待望の新作はいつになるんですか?

長谷川  このホン、書いてたんだ。4ヶ月もかかりやがった。(と、緑色の1冊の脚本をとり出す)

――『P・S・I』?

長谷川  サイ、それで一語だよ。サイパワーって言うだろ、超能力のこと。5年振りにホン書いた。しんどかったなぁ(笑)

――結局、自分で書いてしまったわけですね。

長谷川  これに関しては、俺が思いついちゃったことだからな。人に書いてもらうよりは、自分で書いた方が早いと思ったんだ。何がやりたいかは、多少は分ってるから。
 この「サイ」はアイドル映画の企画とドッキングしたものなんだ。“アイドル映画はどうも分らんな”と言ってるところで“いや、ゴジのやりたいネタでやっていくれていいんだから”と言われてね。結果 的には、数日前にアイドルでやるということは、当座のスケジュール、予算とかの問題もあって流れて、今、仕切り直ししてるんだ。どっちかと言うと、インターナショナル・バージェットを組んで、登場人物に外国人を引っ張り込んでやろうかという話になってる。もうちょっと時間はかかるが、この線でキッチリやりたいということは変らない。

――最初が「連合赤軍」、次がラグビー、そして超能力と変っていったのは?

長谷川  (笑)うーん、「連合赤軍」は今でも企画として熱く自分の中にあるよ。ずっとホン書くのサボってたけど、この「サイ」を書いてみて“なんだ書きゃ書けるじゃないか、オマエも”って思ってさ。ホンを書き始めようかという気分になってきた。それと、この超能力を書いてみて今まで「連赤」で見えなかったとこが見えてきたんだ。
 「連合赤軍」は、事実が俺らを圧倒したということが強かった事件だから、その事実に振り廻されていたというのはある。その事実を、自分のフィクションに置き換える視点が上手く見つからなかったというのが、結果 的には企画を具体化できなかった最大の理由だと思うんだ。叙事詩的なスケールを持った『俺たちの時代の戦争映画』というだけでは、予算がかかるなぁと頭をかかえるばかりでね(笑)それが、この1年ぐらいウジウジやってきたことで、所謂、挫折した革命劇という捉え方だけじゃない要素が持ち込めるように思えてきた。戦争映画としてやるんだと言っても、どう間違ったって青春映画にはなっちゃうわけだし、幸か不幸か、だいぶ過去になってきたから――過去になったマイナス部分も勿論あるけど――メジャーのビビリも薄くなってきてるからね。ただ、これはトウが経ってるし、撮影も1年はかかるわけだから、勿論冬がメーンになるわけで、この冬でやるかどうかとなると走ってみないと分らない。ともかく、見えたような気がしているうちにホンは作ろうと本気で思ってる。
 ホンの書き方について言うと、俺みたいな器用じゃない監督は、贅沢かもしれないけど何人もライターおいて、実際自分も書いてみて、その中でイニシアティブをとっていくという方法論が一番いいんだろうね。古き良き時代の黒澤(明)さんとか、昔の巨匠たちがやったようにね。口語りで“俺はこういうことをやりたいんだ”とやって、ライターがそれを書くのを待つことより、どうも俺には、自分自身も書くことに参加する方がフェアみたいだよ。上手い下手は別 にして。
 昔は、映画が余力を持っていたから、4人で書いても全員がペイされて十分食えた。一言の台詞を思いつくために1週間だって旅館に籠れたわけだ。しかし今は、とてもそんな贅沢はできんでしょ。そうすると、ひとつは新人――ホンを書くことがまだ生活になってない人――で知恵が出る面 白い人を引っ張り込むということ。今回はその体制でやってみたんだ。脚本公募で気になったライター志望の人と、助監督さんをおいて、ああでもない、こうでもない、と。俺が思いついたオリジナルだから、最初の球は俺が投げなきゃ仕方ないから、一稿だけは1人で書いたがね。一稿は472枚もあったよ。監督の長谷川は怒ってたよ、ライターの長谷川に(笑)三稿目で印刷したんだが、その時やっと反省して300枚台になった。その過程で、外国人のライター志望の奴も最初のストーリー作る時には入ってたりして、最終的には昔、相米、黒沢をおいて書いていたように、助監督さんを傍において一緒にやってみた。面 白いのがあればすぐ取り入れるし、つまらなければ捨てるしね。プロのライターだと、つまらないからってそう簡単には捨てられないんだ。いや、捨ててもいいんだ。こっちが正規のギャランティさえ払って、そういう約束を作っていればね。だけど、この企画がゴーになるまでは、そんな正規の金はないしな。俺が半年かかって、この「サイ」をやってたからって、流れてしまえば俺はリッチにもなんにもならないわけだ。旅館に入るにも銭はかかるから、自宅でやってたんだけど“旨い肉食わすからガンバロー”ぐらいしかないわけ。去られても怒れない状態でやってるわけだよ。勿論、なんにも払ってないわけじゃないよ。特に助監督さんはプロで食ってる人だから最低限の拘束したお金は払ってる。それも俺個人ではできないよ。会社があって、やっとできるんだ。今の俺程度の力の人間がきっちり本格的にホン作るとなると、これがベストに近いベターの方法論だと思うよ。
 西岡(琢也)とラグビーの話をやった時は、西岡がこれ以上は書けないと言い切れるまで、俺は一字も書かないぞとやってみた。それで四稿ぐらいまでやってみて、最初ズレていたところがシンクロしてきた部分と、決定的に違う部分がでてきた。最終的には、俺が撮る人間だから、西岡には合わせないわけだよ。

――俺に合わせろ、ということですか?

長谷川  それも嫌なんだよ。格好だけ合わせてくれてもしょうがない。それでは一緒にやった意味がない。俺もライターやっていたから“俺の書いたものは俺の書いたもの。それを監督のあんたがどうしようと勝手です”と、俺はそれでいいんだと思う。ただ、それをやるからには、これ以上いいホンになるわけがないというようなところまでやって…俺は西岡とそこまでやってみたいと思って時間もかけてみたけど、決定的な違いが出てきて、そこまでいかないうちに、奴も忙しくなってくるしな。俺は奴がギブアップするか、最終的にこれでいいんだと言うまで待つぞ、という気があったから、ラグビーに関しては“お前にはゴメンナサイ料を払うから、あとは俺一人で書くよ”とはならなかったね。プロデューサー・サイドからはゴジが監督じゃなくていいんなら、このホンを膨らませて(他の監督で)映画にしようか、という意向があったんだ。それには西岡がノーと言ったんだ。“ゴジとやるからやってきたんで、他の監督でこれをやる気はしない”と。それで、今年のアタマに、少し時間を置こうと凍結したんだ。
 これが、制作費いくらで、劇場はここで、役者はこうなってる、映画が出来なきゃ、白いスクリーンだけの劇場に客を入れなきゃいかんのだと、プログラム・ピクチャア化されていれば俺みたいなグズな監督でも、エイヤア!とヤケに撮るかもしらん。俺のプラスマイナスはそこにあるわけで、ホンまではベストのトライをしなければいかんと思ってる。それが結局一番安上りだと思ってるから。ホンに俺らクラスがいくら金かけても一千万円で済むよ。勿論、そんなにかけてないけどな(笑)

――それで、ラグビーを凍結して、超能力になるわけですね。

長谷川  要するに、俺があっちの方向の意味であったり、興味をラグビーに持ち込もうとしたんだよ。

――超能力ラグビーですか?

長谷川  (クサル)と言ってしまってはミもフタもないだろうが。超能力を、特殊な能力のある人がいますという見方じゃなく、そのサイパワーを、人間の普遍的なエレメントとしてドラマに取り込むことで何かできないか、と。西岡にも、俺がいかにしてそう思うに至ったかを懸命に語るんだが、“ゴジが興味を持っていることも、それを映画に取り込もうとしていることも分るが、ラグビーを俺はそういう風には書いてきていないから”と。まあ、そう言うのも分るわな。そりゃ西岡の方が正しいのかもしらん。
 それで、自分で本気に興味を持ちはじめた超能力を正面から正攻法でやってみようと書いたのが、このシナリオなんだ。オカルト映画はいくらでもあるが、参考になる映画がなくてまいった。基本的には、そういうものは誰にでもある力だと考えることがベースだから。表現としては或る種オカルティックになっていくけど、オカルト映画の特徴は、超能力とはああいうものは特殊なもので、そういう特殊なものが負けたり、滅んだ時に映画がハッピーエンディングになるという終り方だろ。どうも、俺がやりたいのは、そういうものじゃないんだ。マクロにある不可知なものを探ろうとしたのが「2001年宇宙の旅」であったりすると、不可知はマクロにだけあるんじゃなくて、人間の日常、人間そのものがどうもまだよく分ってないぞ、と。なんと言っても、人間というのはなんでしょうというのが映画であり、全ての表現の根っこにある興味だと思うから、なんでも引っ張り込めるわけだよ。別 に突然オカルティストになったわけでもなんでもない。人間はなんだろうということは、自分とは何んだろうと思うことと近いわけで、それを(映画の)ネタとは思ってないんだ、俺は。親殺しネタもあれば、原爆ネタもあるという意味のネタじゃなくて、オーバーに聞こえるかもしらんが、人間とは何かというコンセプトだと思ってるから。「連赤」を見直せるように思っているのも、そういうことなんだよ。普通 にラグビーやれば「がんばれ!ベアーズ」であったり「ロッキー」の複数版みたいなものは、そこそこのウエルメイドなものは作れるだろうと見当つくわけだよ。ただ、それだけじゃどうも興奮しなくてな。

――贅沢なんじゃないですか?

長谷川  そうかなぁ。こういう映画はまだ見たことないから、なんとか自分で作って見てみたいと思うのはゼイタクかなぁ?多少、映画をロマンティックに考え過ぎてはいるかもしらんが、十何年、この水の中にいても、やっぱり映画を撮るのは自分にとって、ロマンティックな行為でありたいわけだよ。たとえ、ガキみたいな奴だと笑われてもな(笑)
 ただ、なんにも見えずにいた2.3年前よりは、映画のヘソに当る、自分のやりたいものが分ってきたような気がする。
 つまり、ラーメンを食いたいのか、カレーを食いたいのか良く分らなかったのが、はっきりハヤシライスなんだ(笑)と分ったとするか。と、ハヤシライスは食うことに決めてるんだけど、じゃあ、その前に素ウドンを食っておくか、と他のものも思えるようになっている気がするな。
 新しい映画の方向というのも出尽くしたという風にも見えるし、器用な人のものも、それはそれで面 白いけど、俺みたいな不器用な奴のコケの一念というのも、たまには見たいなと客としての俺も思うから。自分で、自分の映画見たがってりゃ阿呆だな、ほとんど(笑)

――では、これからはいいペースでいけそうですね。

長谷川  いいペースになりたいよ。撮るぞ撮るぞばっかりの狼少年はもう疲れたよ。この夏、湯布院(映画祭)に呼ばれて行ってきたんだけど、やっぱり新作持ってかないとダメだなと思ったよ。酔っ払って傍迷惑なクダ巻いても、喧嘩にならないんだ。逆に、しっかり慰められたりするんだもんな(笑)

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