特集●'84年秋、日本映画のチャレンジャーたち
『ディレクターズ・カンパニーは走る!
』
『月刊シナリオ』 1984年11月号 p.4~12 |
待望の新作に動き始めた“ゴジ”こと、長谷川和彦監督。結成から二年の“ディレカン”の状況と併せて、新作への抱負を語る。 |
――ディレクターズ・カンパニーが発足して2年。現在までを総括してみて、いかがですか? 長谷川 まだやっと走り始めたところだから、総括は早いだろう(笑)今年に入って、2
本映画を出したわけだけど、「人魚伝説」は好いてくれる人は結構好いてくれたけど、興業的には負けだった。「逆噴射家族」で「人魚伝説」のマイナスが補えればということだけど、“上の下”ぐらいの入りで、関西での上映はこれからだから、その可能性はある。ともかく、この2本ともディレカンという会社を作らなかったら存在しなかったかもしれない映画だから、そういう意味では経営は相変らずシンドイが、やってよかったと思ってる。これが個人の監督プロダクションだったら、ここまでもきてないだろうしね。走ってる馬の頭数が多いことで、なんとかなってんだろうと思うよ。
――これはディレカンの単独製作になるわけですか? 長谷川 (配給会社とか提携する会社へのアプローチを)トライしてスタートしたわけじゃないんだ。いい結論が出るのを待っていたら、この夏を外してしまうということがあった。ガキンコと台風の話だからね。そんなにワル銭のかかる企画じゃないし――と言っても1億くらいはかかるだろうけど――見切り発車したわけだ。あまり健全経営とは言えないけど、ある程度のヨミはあるよ。 ――スタート以来、ピンク、ATGという、小さなマーケットでしか商いしてないっていうのもヤバイ線でしょう? 長谷川 勿論そうだけど、あのテの企画をATG以上のメジャーがおいそれと乗るかというと、やっぱり乗らないだろ。いつの時代でも、監督が撮りたいものと配給会社が上映したいものとの間には必ずギャップがある。それが埋められないと作らないという体制にしておくと、結果
、イニシアティブは向う(配給会社)にあるままだからね。個人でいたらそう簡単には勝てない。それこそ伊丹(十三)さんじゃないけど、自分でお金を集めるぐらいしないと。彼のようにお金も含めて、力のある人じゃないとそういうトライはできない。ベストの状況というのは映画作りには絶対なわけで、可能な限りのベターを捜すということだろう。 ――当代若手の売れっ子監督が集まって、メジャーから華々しくスタートするだろうと思ってたんですが…。 長谷川 やっぱり仕掛けが大きくなったり、配給の形態が増えるほど制約が増えてくる。それに、誰かが金を出すんだから、その人間の意見も強くなる。そこでのトライもしてきてるよ。してきてるけど、そのトライが早く実ったのがATG2本だったわけだ。 ――メンバーの近況などを話していただけませんか? 長谷川 相米は、この「台風――」を仕上げて、来年「光る女」(小檜山博原作)をやろうとしてる。根岸(吉太郎)は、今年の暮れに「サムワン・ライク・ア・ローリングストーン」(仮題 丸山昇一脚本)に入る。うちの製作で、松竹の配給ということになると思うけど。 ――それですか。日産と提携して作るのは? 長谷川 そう。そうやって、外部の資本なり知恵を引っ張り込んで、製作会社として配給会社というメジャーと渡り合っていくということが、ある程度ないとね。 それから、池田(敏春)ももうホンが上って、もうじきやる。石井(聰互)は、松竹の「妖星伝」の準備に入ったし、大森(一樹)は「すかんぴん・ウォーク」の吉川晃司(主演)丸山(昇一)のホンで「ユー・ガッタ・チャンス」を撮影中だ。(高橋)伴明は次の企画のホン作ってて、井筒(和幸)は6月に結婚したりして、結構忙しい。黒沢(清)は、にっかつで撮り上げた「女子大生・恥ずかしゼミナール」が、にっかつ側とちょっと揉めててね。脚本審査もOKで、ホン通 り撮ったのに…まあ、そんなこんなで俺の足の遅いのを除けば、皆んなしっかり走ってると思うんだ。 それから、この春に提案した時には皆に却下されたんだが―― ――助監督を募集するということでしたね。 長谷川 助監督、という風に甘やかしはしないがね。最下層の雑役として何でもやれる逞しい奴が欲しいんだよ(笑)もう今は、映画やりたいと思っても自分で8ミリや16ミリで作品作って、俺は映画を作る人間だぞって世間にアピールする以外ではにっかつの助監督公募ぐらいしか道はないんだ。すると、俺みたいに映画やりたいと思った時に、作家とかいう意識も、8ミリ作る金も、大学新卒の資格も、全部なかった奴はどうすりゃいいの?(笑)偶然のコネかなんかでしか映画に若い人が入って来れない情況が良いワケないのは皆わかっていながら、手をこまねいている――そんなら俺たちでそういう場を作ろうということだからね。脚本公募も、その1歩だと思うからやってるんだ。ただし、面 白い脚本を書ける人間が必ずしも面白い監督をするとは限らないしね。現場で奴隷として働いてるうちに、自分がどんな映画を作りたいのか見えてくる人もいる筈だし。そういう新人から我々が吸収できるものも少なくないと思うんだ。 ――その人間は、ディレカンで食わせるんですか? 長谷川 何十人も採るわけじゃないから。現に、主にうちの周辺で助監督をすることで食ってる人は何人かいる。そういう中からも監督を出すことはトライしてるし、何人かは間違いなくなっていくだろうしね。その一番手として入れたのが黒沢だった。今トラブってるけど、あいつはあいつで特殊な監督にはなっていくと思うよ。そういう可能性のある場を作らないままに“お前らは助監督で、オイラは監督だ”と助監督さんを使うのは、俺は嫌なんだ。俺自身も撮りたいけど、どうやったらいいのか分らないという時間が結構長かったから。 ――他のメンバーだって、大差ないんじゃないですか? 長谷川 いや、他の連中は、皆それなりにディレカン以前に監督になってたんだから。監督というのは大なり小なり色気はいるんだ。生身の人間と接する仕事だから。そこがライターとの違いだな。監督という場所を与えられれば色気を持てても――場所を持つための色気というのは、対プロデューサーであったり、金を持ってる奴だったりする。それはかなり次元の違う難しいことだと思うよ。俺なんかでも助監督として映画に入ってなければ、間違っても映画撮ってなかった。根岸にしても池田にしても、にっかつが助監督募集をしてなければ、どこかでサラリーマンやってるよ。あいつらはカタギの資格を持ってたわけだから。映画をやるというのは、どこかヤクザなところがあるけど、誰も最初からヤクザじゃないんだ。ヤクザになりたいと思ってても。いったん足を踏み込んじゃえば割りと簡単にカタギもヤクザになっちゃうけどね(笑) ――それで多くの若者の道を誤まらせた(笑) 長谷川 いや、俺は前のシステムの落ちこぼれだから、俺に罪はない。あるとすれば、それは大森、石井だよ(笑)。しかし、ああいう風に自分のものを作ってアピールしていけば受け入れられる可能性はあるんだということは正論だからね。そっちの方向がどんどん増えていくと思うし、それが主流でいいんだ。ただ、最初から監督しかしない人ばかりでも困るんだ。 ――第一回の脚本募集で残った人達との、その後の関りは? 長谷川 2人は俺の次の映画のシナリオにかましてみたり、外部のプロデューサーに紹介したりして、ぼちぼちプロの道を歩き始めている。その1人は、もう現実に初めて世間に出したものが映画になったわけだから(「台風クラブ」の加藤祐司) ――そうやって出たライターは、ディレカン所属ということになるんですか? 長谷川 そういう専有意識はまるでないよ。勿論、最初の出会いがディレカンなんだから、最も親しく付き合ってはいくだろうがね。うちの監督だって契約してても、出向は自由にしてスタートしたのは、出向さしてピンをハネようってんじゃなくて、撮ってることが大事だということでさ。そのことによって皆んな自分のキャパシティを拡げてきたわけだから。
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