『一本も撮らなかったけれど、「自分も一緒に映画を
撮れてるような錯覚」はあった。』

インタビュー/荒井晴彦

『映画芸術』 1992年冬号 p.94〜111


家賃+αくらいだけど
プロ野球選手の年俸制でいこうと

__まあ、まずは10年前にディレカンをスタートした頃の話から聞きたいんだけど。

長谷川 うーん(深い溜め息)、やっぱり喋らにゃいかんか……

__いや、死んだ子供の年を数えるようで、辛いだろうけど、ディレカンの10年を語ることが、日本映画界の色々な問題点を語る事にもなると思うから。

長谷川 分かってる、分かってる。真面 目に総括するよ。あちこちに迷惑かけっぱなしなんだから、総括くらいキチンとしなきゃな。それにしても皮肉だね、パンクした会社の話を喪服着てやるのも(笑)

__中上健次とは同い年なんだよね。

長谷川 ああ、同じ21年生まれなんだ。学年は俺のほうが一つ上だけど……しかし死ぬ なあ、酒飲んで暴れるヤツが。(松田)優作、中上、年の順でいくと次は、俺かあ。でもまだ死ぬ わけにいかんしなあ、何もせずに。

__ディレカン創立当時、“理念でつながる運動体ではなく、有機的な利潤追求のカンパニーを作るんだ”と言っていて、それはあの段階でも分からなかったんだけど。横で見ていて感じたのは、売れ筋というか、企業から声がかかりそうな監督が集まってという……

長谷川 そういう事でもないだろう。今をときめく黒沢清だって、当時はまだ8ミリ映画を撮っただけの26歳の青年だったし。まぁ、俺が言いだしっぺだったから、俺と同世代以下とやってみようというのはあったよね。それと、バックグランドの多様性という事は意識した。撮影所経験者が相米(慎二)、根岸(吉太郎)、池田(敏春)、ピンク系独立プロから高橋(伴明)、井筒(和幸)、8ミリ自主映画から大森(一樹)、石井(聰亙)、黒沢(清)と。いろんなバックグランドの監督がごちゃごちゃいるほうが刺激にも勉強にもなるだろうと思ったし、そういう連中がたまたまその頃、売り出しかけてる若手監督という時期だったんだろう。ともかくスターティング・ナインというつもりが強かった。

__月給制だったんだよね。

長谷川 いや別に月給制ではないんだ。最低年俸を決めてそれを月に割って払っていただけでね。サラリーマンのような給料制じゃなくて、プロ野球選手の年俸制でいこうと。だから年度末に契約更改を行う時には上がる人間もいれば下がるやつもいていい、自由契約になる者も大金持ちになる者もいるようなドライな関係でいこうと……ただ結果 そこまでドライに徹しきれなかったけど。

__「仕事しなくても保証があるなんて贅沢だなあ」って当時思ったよ。映画監督が給料で食っていいのかって。

長谷川 そんな巨額の年俸を払ってたわけじゃないからね。そろぞれ皆、家賃プラスαくらいのものだから。贅沢しなければ、やりたい企画の準備に半年くらいのめり込んでも餓死はしない、その程度のものなんだ。でもそこに生じるささやかな自由は大事なものだったと今でも思うよ。

__最初の資本金1千万というお金はどういう金?

長谷川 「白子のり」という会社があるでしょ。その御曹司の白子さんという人がいて、ま、今ある「白子のり」という会社とは関係ないんだけど、その人をディレカン初代の副社長だったヒロ(長谷川安弘)が見つけてきたんだよ。俺がディレカンの話を最初にしたのがヒロだったから。ともかく既成の映画界以外の人材や資金と手を組みたっかったんだ。新しい血を導入しなきゃ未来は開けないと思ってたから。ヒロも当時はCM製作会社の社長だったしね。で、その白子さんと会って話したんだよ。「白子ディレクターズ・カンパニー」にすればいいんですか、とか言ってね。その人は「そんなことをしたいんじゃないんです。監督さんたちとたまにお話しできれば」みたいなね。本当にいい人でね。この人に一番迷惑をかけた。それで、白子さんが株を51パーセント持つということで始めたんだ、資本金を含めて5千万でスタートした。

__社長探しに苦労したって聞いたけど。

長谷川 うん。メンバーは揃った、スポンサーも見つけた、事務所だってもう借りたのに、社長が見つからなくてね。ヒロも白子さんも自分の会社で手一杯だし、やっぱり新会社に専念できる人が欲しいしね。いろんな人に会ったよ。でもそれぞれに びびるんだ。前例のない会社だから無理もないけど。

__ゴジが自分で社長をやろうってのはなかったの?

長谷川 なかば冗談なかば本気で言ったことはあるよ、完全にシビレをきらしてたから。でもメンバーに総スカンをくらった。「社長やるんなら、3年間映画を撮らないって約束しろ」って言いやがるんだ。「1年じゃ駄 目か?」って言うと「そんな半端なんじゃとても駄目だ」と(笑)。確かにそりゃそうだと思うし、しかし俺だって自分も映画撮りたいもんな。その為に作る会社なんだし。もう3年近く撮ってなかったからその頃。

__そこで宮坂(進)社長の登場になるわけだ。

長谷川 結局彼もヒロが探してきたんだ。博報堂の営業にいたんだけど「35歳になったら博報堂やめて何かやろうと思ってた。CMの会社じゃ変わりばえしないけど、映画は何も知らない未知の世界だから意欲がわく。死ぬ 気で頑張ります」と。学生時代に慶応のラグビー部のバイスキャプテンだったという経歴にひかれたんだ。慶応は金持ちの大学だと馬鹿にしてたけど、ラグビー部だけは尊敬してるんだ俺。運動で入学させないであれだけ頑張るんからな。しかも全日本で優勝した時のバイスだっていうんだから。この男に任せれば本当に頑張るだろうって決めたんだ。

__体育会のノリだな。ゴジもアメラグだから。

長谷川 実際宮坂は良く頑張ったよ。彼じゃなかったら10年も持たなかったろう、ディレカンも。ま、その頑張り方に色々問題はあったとしてもね。

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