決算号特集I 中堅・若手監督対談
'77が俺たちの年であるために』
藤田敏八 長谷川和彦

 

「キネマ旬報」1977年2月下旬号 p.197〜203



ATGとメジャー

藤田 「青春の殺人者」が、ベスト・ワンに選ばれたんだってね。しばらく会ってなくて、「青春の殺人者」は準備しているときも撮影中もたいへんだったと人伝には聞いていたんだけれど、今日はそのへんの話から聞かせてもらおうか。

長谷川 そうだね。多賀祥介さんが声をかけてくれたのが一昨年の八月か九月ごろなんだけど、金がなかったから、少なくとも一千万は出してくれるスポンサーを見つけるという作業が、まずあって、イマヘイ(今村昌平)さんも最初は、ATGと組んでも、絶対にもうからないようになっているし、リスクだけは製作会社にすごくあるから嫌がっていたんだけど、本音を言えば、一千万ぐらいは宣伝費としては高くないと思ったんだろう。それと、僕自身、ゴジ・プロというプロダクションを二十四、五のときに作って、去年、セスナ機で児玉 邸に突っ込んで死んだ前野霜一郎なんかに手伝ってもらってピンク映画を一本作ろうとしたんだけど、 三ヵ月ぐらいやって、ほとんど全員乞食みたいになって、結局パンクした。パキ(藤田敏八)さんの「野良猫ロック・暴走集団'71」をやった年だから七〇年かな。それでしょうがなくてまた日活にカチンコをたたきにいって「八月の濡れた砂」をやってて思ったわけですよ。「おれはやっぱり三百五十万じゃ映画撮れる能力ないんだ」と。スタートが悪かったからね。悪かったというか良かったというか。最初がイマヘイさんの「神々の深き欲望」だったから、フィルムはフィルム会社に行けば売っているんだ、みたいな教育を受けちゃった。それでもATGというグランドに対する疑問とか、しんどさとかは、大体見聞きしているつもりだったけれど、本当はもっとしめてかからないといけなかったんだろうな。第一に田村孟さんの脚本が二千万でできるホンじゃなかった。イマヘイさんもプロデューサーとしてはプロでないから、四百枚あるホンでそのままインさせちゃったでしょう。撮影中にある程度いじったり、切ったりはしたんだけど、概論的な反省をすれば、金のない映画ほどホンを煮詰めてインしないと、いうことだね。二千二百万ぐらいの予算を組んで、三千五百万ぐらいかかったわけですよ。だから、未だに千数百万の未払いがあるんだけど、映画をつくって、赤字を出して苦しい苦しいというのは、美談でも何でもないわけで、最初から苦しいのをわかっててやったんだから、自業自得といえば自業自得なんだけど、少しはよくなりたい気がするものね。

藤田 自業自得だといいながらみんなATGで撮るんだけれども、てめえがつくれないという状況があるからね。作家連中には。撮る側としては興行も含めてづまみはないということを十分に承知しながら、賭博師としては乗ってしまうこともあるし……。だからこそ続いているわけでね、 いろいろ言われながらも。ただ僕としては、もう少し開けた撮り方があるはずだと思うし、例えばゴジ(長谷川和彦)なんかがそれをATGじゃなく、やるべきだというふうに思ってた。だから、最初ATGだと聞いたときに「そうかな、しょうがないのかな」というふうに思っちゃったわけだ。

長谷川 やっぱりないんだよね。企業では撮れないし、しかも金を持ってなくて、 無名の人間というのは。そういう意味では、ある感謝はしているわけ。ATGが声をかけてくれなきゃおそらく未だにどこでも撮れてないから。だけど、例えばあと五本ぐらい撮れるうちで、非常に小粒だけど辛いシャシンを撮ってみたいと思うときには、グランドとして考えるかもしれないけれども、次もATGでやろうという元気にはならないね。きつくてさ。こっちも最初からしんどさを覚悟していたから、一年ほとんど収入はなくても、何とか頑張ってみたけれども、毎回毎回というわけにはいかんものな。それは単純に生活ということじゃなくて、シャシン自体がね。どうせ映画なんていろんな意味で遊びというかな、余剰なものだから、そんな余剰なものを、ある主義主張だけでは頑張れないよ。ATGというところは、本質的な意味での遊びができないグランドだから。 肯定的な意味での遊びができないと、映画なんてつまらない。

藤田 ゴジの場合、日活で助監でくっついていて、いろいろ見てたわけなんだけど、本質的なメジャーとATGの大きな違いというのは何だろう?

長谷川 ATGの場合、自分で全部しなきゃいけないということだろうね。企業にいれば、監督が決まった時点で、映画はもう八割ぐらいできているわね。だけど、ATGというか、独立プロの場合、草と石ころしかない野原を、野球のグランドにするような作業の方に時間と労力を食う。試合が始まってピッチングを始めればあとは単純に時間の問題だから。まあ、つらいといえばつらいけど、おもしろいね、そのほうがリリーフがいないんだから。企業だと、最近あいつは肩痛めているらしいというと、休ませてくれるし、現に休めるわけだな。パキさんだって、肩を傷めたのかどうかわからないけれども、一年間お休みになっていたわけでしょう。(笑)それができるというのは、僕みたいに日活をおん出ちゃった人間には、うらやましいといえばうらやましい。企画は出していても、会社が取上げないという、悪く言えば言い訳だけど、現実問題として常にあるわけでしょう。そういう言い訳が許されないわけだ。むしろそれ以前の段階で、グランドがないから野球ができないということのほうが多いわけだけど。客観的に言えば、僕みたいに真面 目じゃない、いわゆる刻苦勉励、真面目にやってきました、というタイプの人間じゃなくても映画が一本撮れたというのは、ATGも功績大だと思いますよ。ともかくグランドがないんだから。

 

「青春の殺人者」ができるまで

長谷川 苦労話はそのへんにして、あの映画に対するパキさんの批評を聞きたいな。

藤田 まあ、ゴジが撮らなくてもあの映画になったかどうかということだな。

長谷川 うん、あの中でどこに俺がいたんだ、ということはあるんだ。

藤田 いや、明確にいたわけだよ、何カ所かには。トップ・シーンなんか、ゴジの「これから始まります」というあれだな。(笑)

長谷川 半分苦し紛れなんだけどね、あのファースト・シーンは。

藤田 だけど、ああいうのは嫌なんだな、俺は。

長谷川 五シーン、三十秒でイントロを撮ると、ああなっちゃうんだよ。あれはそういうつもりじゃなかったんだけれど、豊と美枝子が撮影のあいまに、ああいうふうに遊んでたわけだ。それで、こんなものも撮っとけと思ったわけよ。トップ・シーンが始まるまでに十分ぐらいあったんだけれど、それを全部取って、いまついているトップ・シーンを抜くと、非常にスマートに、リズムよく入っちゃうんだな。「親父のはげ頭」といってトラックがバーッと走っていく、そのピッチでいくと一時間十五分ぐらいでおさえないと、リズムがおさまらないんだよ。あそこで一つぎくしゃくさせないとつらいと思ったんだ。どっちかというと俺も硬派だから、ああいうのはあんまり好きじゃないし、あんなふうに使おうと思って撮ったわけじゃないんだけど、きつい仕事だったから、美枝子と豊が最終的にすごくかわいかったわけ。感情移入し過ぎたということはあると思うけど、あいつらがじゃれているさまがかわいくて仕方なかったわけですよ。

藤田 あいつらがじゃれているというふうには見えなかったね。ゴジが桃井かおりとじゃれている、というふうに見えて印象はよくなかった。(笑)

長谷川 なんで桃井かおりになるのかね。(笑)母親殺しのくだりはどうだった。

藤田 あれはやっぱりすごいな、と思った。

長谷川 まあ、あれはホンのすごさだけどね、間違いなく。

藤田 いや、ホンのすごさだけど、それを着実に撮っているというすごさだな。

長谷川 一字一句このまま撮ろうと思ったところだから。百枚だけ先に孟さんが自信をもって見せてくれたところだよ。俺がいじり直せば、多少ずつ変わっていくだろうけれども、意地のようになってこのまま撮ってみようという気はあったわけ。それが監督という仕事だろうという気がね。ただ、後半が俺は嫌だった。どっちかというと、孟さんのホンは観念だから。観念で貫徹しなきゃ、脚本にも映画にも意味はないというふうに思っている人でしょ。俺の場合、貫徹はしなくてもいいというのがあるんだよ。非常にいいかげんに言えば、面 白けりゃいいんだし、観念より、生理であったり感情であったりするものが先行しているのが当り前だと。観念なんてあとからついて走ってくればいいんだと思っているし、観念は人が勝手につければいいんだという気は、やっぱりいまでもあるんだ。脚本では、後半で二人が親殺しの意味について、ディスカッションするわけだけど、これはつらいんだよ、やっぱり。どう撮るか、どう映画にするかというのは、すごくつらい。その最たるものは、浜辺でアイスキャンデーの話をして泣くところだけど。

藤田 あれは本当に泣かせるんだな。

長谷川 俺は、俺が泣けるんなら泣いてもいいと思った。

藤田 あれも含めて聞きたいのは、ゴジが「青春の殺人者」を娯楽映画としてやってやろうと思ったのか、社会派映画としてやってやろうと思ったのか。そのへんなんだな。

長谷川 俺は娯楽映画だといっていたいほうの監督だと思うよ。娯楽映画という言い方はまたむずかしいけど、俺自身がすごくミーハー的にしか映画を見たり、付き合ったりしてしかいないからね。俺は監督として何が自信あるかといったら、唯一自信があるのは、俺ぐらい観客に近い監督はいないということだよ。たいていおもしろいもの、映画って。論の立つ人はつまらなきゃ、「これはぺーだ」なんて言って、立って出るじゃない。だいたい俺は見るね、ケツまで。どんなつまらない映画でも、たいていおもしろい。例えば「二十四の瞳」を小学生の時に見て泣いてたガキであるわけだよ、俺は。映画を見て泣くのは当り前のことだと思ってるし、泣ける映画があったっていいと思ってるわけ。。俺だって一応プライドはあるからこびて泣かせるのは嫌だけれども、媚びるんじゃなくて、あの浜辺のシーンはまず豊が泣いたんだよ。「泣け」といったんじゃなくて、泣いたんだ。全部自前だからね、あの涙は。「無理して泣かなくていいから、ちょっと昂ってやってみろ」といってやらしたわけ。そしたら泣いたですよ。それで俺も、スクリーンを見ているような気持ちになれたんだな、作意じゃなくて。作家である、監督である俺がそばにいるということじゃなくて、見れたわけ。それなら、それを照れずにやっちゃえと思ったんだ。あの半分の長さにしたほうが、辛くていいシャシンになるかもしれないけど、ただ俺が一人の観客としての感覚で、あいつの顔を見てたいわけだよ。涙がチラッと出るところで切るんじゃなくて、みっともなく鼻のへんまでたれちゃうところまで見たくなるわけだ。それを素直につないだわけですよ。そういう意味じゃ、かなり素直に映画を作ったと思ってるんだ。感情が昂るところは、勝手に昂っているしね。ケツにしたところで、「叙情のたれ流し」なんて、だいぶ悪く言われたけど……。孟さんの決定稿では、ラストで主人公は言い切っていたわけですよ。言葉は違うけれども意味としては、「俺はゲリラになるんだ」みたいなことを。アフレコまで一応やらせてはいたんだけど、切ったわけですよ。俺ないしは俺の主人公がそこまで言い切るほどになっていないんだね。言い切るとウソなんだ。

藤田 そこらへんの感覚が孟さんとの決定的な違いなんだな。彼はそこが言いたかったわけだね。

長谷川 だけど、切らないと俺の映画にならないから。俺はあの映画を観念にすることにすごく抵抗したわけですよ。孟さんの場合、観念として貫徹していないと表現物というものは意味がないんだという非常に強いものがあるから、それとけんかするのは大変なことだったわけです。

藤田 そういう意味では、前半が孟さんで、後半がゴジといえるのかもしれないな。

長谷川 うん、母親を殺すまでは孟さんの本を意地になってそのまま撮ったから。後半は意地じゃなくて、変えないと撮れないから変えたわけだよ。そういう意味で完成度も低いし、傲慢な意味じゃなくて、トータルでは絶対に六十点以上はやれないけれども、しかしライターと監督の関係というのは、そういう風に目いっぱいな関係のほうがいいんだよ。でなきゃ、一人でやればいいんだから。だからすごくきつかったけど、六十点以上やれないという反省はある。

藤田 孟さんとは、その話はしなかったの。

長谷川 孟さんもある時点で一致しないとは思っていたよ。俺は孟さんの書いたホンを何本か読んでいるわけだ。「白昼の通 り魔」が一番好きなんだけどね。でも、表現されたものは監督のものであるわけだし、違うだろうとは思っていたけれども、接点はすごくあると思ったんだ。いまでもそう思っている。ただ、俺は感情であったり、生理であったりみたいなことがまずあって物をつくっていきたいし、孟さんは接点からある観念に昇華していきたいということがあると思う。その違いははっきりあるんだけど、接点さえない組み合わせのほうがはるかに多いもの。だから、俺はアイスキャンデーのところで泣くやつを絶対に笑えないね。俺もあそこで一回は泣いたしさ。てめえの映画を見て泣いてりゃ世話ないけど、そんなものがあったっていいじゃないかという気はあるわけですよ。泣かせるために作ったという気はないから。結果 、泣く分にはしようがないじゃないかと思うわけよ。好意的に言ってくれる人は、ゴジというのはタフそうに見えるわりにヤワだとかいうけど、そんなにタフじゃないよね、たいていの人は。

藤田 しかし、こうして言葉で聞けばわかるし、ゴジらしい奴がいるというシーンは幾つかあるんだけど、全体を見てゴジでなきゃいけないというシーンが見つけられなかったな。俺は。

長谷川 俺のシャシンになりきってないと思った?

藤田 そうだね。発想とかすごさが、やっぱり頭にあるからね。

長谷川 まあ、そうだな。俺も六割ぐらいしか自分のシャシンに出来てないと思っているよ。でも、後半は俺のものにしたというか、接点を自分のほうに引っ張り込めた、と思ってるけどね。

藤田 しかし、孟さんの粘りも相当なもんだったな。

長谷川 孟さんとも色々あったんだけど、偉いなと思ったのは、「ギブ・アップ」って絶対に言わないんだよ。最初一週間で書こうというものを、三カ月も四カ月も自分で抱えてれば、「もういいからお前、勝手にやれ、俺は降りる」といったって、いいわけだ。言ってくれればと思ったときもあったしね。ただ、孟さんが「ギブ・アップ」といわない限り、俺も粘ってやろうと思っていた。しかし、発動しづらいんだな、最終的に僕としかやってないわけだから。企業のようにプロデューサーがいて、作家先生のところへ行って、「封切り間に合いません」とか言ってケツをたたくとか、ゼニを渡して頑張らしてみるとか、そういうことは一切なしに、言ってみれば、非常に真面 目にやっていたわけだから。そのホンができなくても、誰も損したり困ったりしないんだからね。それがつらかった。

藤田 つらかったろうけれど、彼にしてみれば、あなた一人しか迷惑かける人いないんだから、粘れるだけ粘ろうという姿勢が強固にあったわけだしね。それであのホンができたんだろうと思うよ。企業だったら、とてもそういうふうにはいかない。そのへんを十分見極めて、彼も映画に五年ぶりで賭けたわけだからね。その間の彼はやっぱり異常だったな。

長谷川 また流産するという感じでね。リアリティーが全然なかったから、この映画撮れるだろうという。半分は意地だし、半分は俺が日和ったら終りなんだよ。だから、この企画は捨てて、他のホンを他のライターで、ないしは自分でやろうかという気持ちは常にあったですよ。孟さんは孟さんなりに、俺がしつこかったから、ともかく書き上げてくれたんだと思うけれども。しかし、企画を含めて、企画とホンに知恵とお金を使わなさすぎるんだね、いまの日本映画は。大そうな言い方だけど、要は企画とホンだからね、映画は。

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