対談 長谷川和彦VS相米慎二

東宝映画『翔んだカップル』をめぐる
うるさいおとなたちの映像美学




(2)という次第でゴジは『太陽を盗んだ男』(79)を撮り、一九八〇年三月相米慎二が『翔んだカップル』をクランク・イン

長谷川 『翔んだカップル』という東宝夏のハイティーン向きお子様映画をみてだな、まず非常に感動的なのは、嘘ついて撮ってる感じがないことだよ。お前、精神年齢、極端に低いんじゃないか?

相米 どうも、どうも。

長谷川 別にほめてるわけじゃないよ。お前末っ子だろう。要するにお前自身がいまだにガキなんだよ。今までの映画のように、不可知なるヤングゼネレーションに対して一種なげている感じじゃなくてね。結構感情移入して撮ってるんだな。まあ俺もつき離して触る方じゃないけど、お前はガキたちと一緒になって遊んでたんじゃないのか(笑)。

相米 監督とはいえ恐くないんだ、だいたい俺は。だけどガキん子にとっちゃうるさかったろうなあ。あいつら役者じゃないからな、ガキだからな。心理がどうのこうのって説明してもどうにもならないわけ。アクションあるのみだからな。

長谷川 それと、どのシーンもどのカットも全て相米らしさに満ち満ちているな。適当に繋がり易くはできていない。映画のファンダメンタルでいえばこうなるというふうには撮っていない。しかも、編集ラッシュは三時間五分もある。これをどうやって一時問半に切るんだ。

相米 ワンシーンワンカットで撮っちゃっているからね。あれがどうしてもひろ子(山葉圭役の薬師丸ひろ子)と鶴見(田代勇介役の鶴見辰吾)の動きにぴったり合うリズムなんだな。だから、一シーン全部とっちゃうから本来繋がらないシーンを繋げるかしかない。

長谷川 友達だから直裁に言うと、お前は算数がへタなんだ。撮影中のある種自分の気分にこだわって意地みたいにワンカットでとおしてしまうんだろう。俺なんかまだ剽軽者だから、そうした気分は気分でやっておいて、しかしどうなるか分らんからアップは三つぐらい押さえておこうっていうね、どんでんも一発入れとけっていう気になるけどね。例えば三分繋がっているワンカットがあるとして、それを半分ぐらいの所で次にビクッと繋げてしまいたいといったときに、ダイアローグなり文字の上では切れるけれども、絵では切れないということがある。そういうときにアップで押さえを撮っておけば、最悪アップ十秒いっばつで次のシーンと繋げることも可能だったりする。そういう用意を周到にする俺のぬ るさを見てたせいか(笑)、あんなにぬるくてはいかんと思ったのか、意地のようにそれをしてない(笑)。

相米 ああいう不当ににゼニのかかる撮り方はしません(笑)。

長谷川 なんだと!フィルムを6千幾らも廻したくせに。俺は一本目で5千5百フィートしか廻しておらん。

相米 ゴジのデビュー作より4倍以上予算はあったしな。これは、ATGと東宝映画の違いですよ。

長谷川 ともかく、こういう撮り方したら絶対尺にはまらない。三時間の映画できたら文句あるかと通 す気になってるんだったらいいよ。だけど結局トリコシャリコ編集することになる。しかもだ、絵はどう考えても繋がらないやつを無理やり繋げて、文字として、話としては分るように編集している、あれはどういうことだ。

相米 本質的には僕は論理的なんですよ。

長谷川 聞いたか。論理的というのは算術と近似的に見えるかもしれないけど、似て非なるもんだぜ。俺の方が律義だよ。撮ってるときはは相米の方が危ない橋を渡っているなという気がしたけど、仕上げ方はな、冗談や恣意性を抑えこんでやっている。どうしてだ!映画っていうのはその二つの精神を抜いたらいったい何があるんだ。

相米 俺の頭の中ではやれたことやりきれんこといっばいあったんだけど、ダビングやってるあたりから冷静にそれがみえてくるんだな。ひろ子が自転車欲しがって、勇介が自転車泥棒をするシーンなんかも、ホンにもなくて俺が作って撮ったんだけど、結局、切ってしまった。

長谷川 逆さしょんペんだろ、それから中山が舗道で落語ぷったりするシーン、ホンワカ青春劇ではそういうことしないものがさ、いくつもあったわけだよ。つじつま合わなくてもそういうもの入れちゃえばいいじゃないか。

相米 他人のシャシンだと思って(笑)。

長谷川 そう。他人のだから言うんだ(笑)。それに、あの映画、田代勇介の映画だろう、勇介が主人公の。あいつらが遠足に行って、勇介が木の上に登る、杉村きんや中山が下の方でグズグズ言う、ああいう撮り方はないぜ、不親切だろう。相米の想いも分るんだ。男介オンにして、あとのやつらをオフにしたら普通 だ、普通だからやめたと。男介が落ちてくるのと一緒にパン・ダウンして、他のやつらと一緒の芝居になる、これがごく普通 の芝居なわけ。それを意地のようにしていない。そんな西河克己さんみたいな撮り方、自分はしませんぜと意地になってる。あれはね、かなり一所懸命のお客さんじゃないと意図が分らないぜ。意図の心地よさが伝わってこないよ。俺なんかより数等商業映画的に作れてるなというところと、俺の方が商業映画的な平たさがあるなとみちゃうところと、いろいろなんだよ、お前は。

相米 あのオフも切ったからな、鶴見辰吾のオフ、映画的で良かったんだけど。

長谷川 えッ、あれも切ったの。

相米 杉村さんを入れようと思って……。

長谷川 じゃあ杉村さんを主に撮ったらいいじゃないですか。杉村さんも(カメラが)ひきっぱなしだし。だいたいあの娘オーデションで決めたのか。真行寺君枝とか桜田淳子とか、さ、もっとタレントがいるだろう。

相米 俺は、キャステングは現時点では最良だと思ってるよ。十九や二十歳のに芝居させるより、実際に十五、十六じゃないとな。実年齢でやればあんなところでペストだよ。

長谷川 お前は美意識は高いんだな。寄ればごまかせるところをひいて撮っちゃって、あのあたりは僕なんかより精神の正しくも高いところなんですね。

相米 馬鹿にしてんだな。

長谷川 そうだよ(笑)。馬鹿にしてんだよ(笑)。だけどこうやって喋ってると失敗作みたいだけど、俺らは現場の人間として、ハイ・レベルで話しとるけんね。あれもある、これもあるという反芻できるシーンがいくつかあるからいくらも悪口を言うのよ、俺は。だけど、ああいういいシーンを幾つも切ってしまったというくやしさが俺はあるよ。最終的な段階でどうやって自分のシャシンにするか、こぼれ落ちるものを最小限にして1を10に転じようという方法論がね、見つかっていたようには思えないわけだよ、相米の中で。

相米 そうやってキチッとみててくれるのはゴジだけだもんな。俺はそうは思わないけど、まあそうだな(笑)。

長谷川 なんだ、それは(笑)。尺で合うように繋げづらく撮ったものは音でもっと表現してよかったと思うな。中山の落語をオフの声として、インナーボイスみたいなもので繋げてみたらどうだろうって俺はお前に言ったんだけど、やってないんだよな。俺が言ったからやらなかったんだろう(笑)。一時、神代さんがうまかったのは、いわば音で逃げることがうまかった。〜エンヤトット まつしまァー、というのが、繋がりえないツー・カットにかかってだな、絵だけじゃ絶対繋がり得ないものが音によってる繋がっちゃうんだよな。単純なことなんだけど、それをテレずに強引にやっちゃって成功していた。強引にやって裏目に出た時はそれはみっともないけど。相米だって、最悪納品用のシャシンはあるわけだから、五百万円位 オーバーしても、どうせオーバーしてるんだろう、やってみたらどうだ。

相米 ゴジが何といったって、俺にはあれがベストカットだった……。

長谷川 そりゃあ、結構なことだ。皮肉じゃなくてな。結局やる気はないわけだ。

相米 もろもろの……な。

長谷川 もろもろの話は、するな。まあ、多少危惧はしたけど、主人公の田代勇介と山葉圭があれぐらい魅力的に撮れていれば、シャシンとしてはいいんじゃないかって、嫉妬も覚えたりしてね。ヤロウ、俺より売れるぜってね(笑)。うまいところは数等俺よりうまいもんね。俺はうまさで別 にうけてきているわけじゃなくて、仕上ってみると依怙地でしつこいわけ。その、しつこさだけでやってるんで、“うまいなァ、なんでこんなに俺うまいんだろう”なんて思ったことないもんね。そういう意味じゃ相米のシャシンの方が、うまさと依怙地さがうまいぐあいにシンクロしてるよ。


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