長谷川和彦 黒い雨と今村昌平を語る(2)
オーエにならなくて済んだ
荒井 その頃、もう今村さんとこで助監督をやってたの? 長谷川 そう。2万5千円の給料すら満足にでないとこでさ(笑) 今村昌平の「ここより他の場所」 長谷川 そういう、僕にとっては、「個人的な体験」があって……凄い良識的な「黒い雨」があって……これを世の大多数が誰も理解しない映画だと言ったら、俺は “そうじゃないだろう、少なくとも真面目な映画じゃないか”という立場に立つを思うよ。だけど今、その真逆だとすればね。アタマに『文部省特選』ってタイトルが出て、お客さんも良心作だと思って見にくるオジさん、オバさんだったりすると……一言、苦言を呈したくはなる(笑) 荒井 乱暴な言い方をすると、原爆をいいなんて、どんな人殺しでも言わないだろうってことなんだよ。そういうテーマの映画って、よくあるじゃない。反戦とかヒューマニズムとか。そういうものに対して発見がないんだ。誰しもが悪いっていうことやる映画でね。今村さんはあの映画で何をやろうとしたのか。原爆は悪い、良くない、これは常識でしょ。もうひとつ踏み込んで何かを掴んで出してくれるのならいいけど。あの映画はそうじゃないと思えて。 今村さんは、詠嘆的な悲惨さをやる人じゃなかったんだよね。建前と本音というと、建前との相剋を描きながら、本音の側に立っていこうというところがあったと思うんだよね。例えば「赤い殺意」でも、いわゆる、浮気なら浮気をやりながら、妻の座もしっかり守っていこう、みたいなね。 長谷川 俺は足掛け4年ぐらい今村さんの下で働いてたし、最初に映画(「青春の殺人者」)やったのも今村プロだったから、これまた特殊な観客なんだろうけど。 俺は「赤い殺意」が好きでさ。ああいう可笑しさというのを、それまでの映画では見なかったから。春川ますみと西川晃が、布団にもぐって夫婦のセックスをしている。その“お父ちゃん”“お母ちゃん”って答える間が、決して彼らを見下してるんでもなく、見上げてるんでもない。そして、それは間違いなく可笑しいわけよ。凄くパワフルな笑いでさ。こういう笑いってあるんだなって。 荒井 それは「にっぽん昆虫記」にもあったよね。 長谷川 俺は「にっぽん昆虫記」の方が理屈で作ってる気がしたな。 荒井 高3の時、ポスターを見てエロ目当てで「にっぽん昆虫記」見に行って、裏切られたというか……こりゃ芸術だぞと。ベルイマンもそうだったけど。 長谷川 俺が大学1年か……松竹ヌーベルバーグがあって、大島渚もいたわけだが、俺は今平の映画が圧倒的に面 白かった。大島渚の映画は俺ら田舎出の青年には、ある種の背伸びと共に面 白がる必要があった。よく分かってない政治的なことも、分かったような気になってみなくちゃいけないって。 荒井 話は違うけど、後年、飲んだくれて朝帰ったら、机の上に『長谷川和彦、ATGでデビュー』って、(新聞の)切り抜きが置いてあるんだよ。長谷川和彦30歳っていうのをオフクロがチェックしたんだな。プレッシャーをかけるっていうか(笑)“お前、いつまでも何やってんだ”みたいなさ。でも、運動は運動でもアメラグやってた奴だと知って、なんだ、って思ったよ。 長谷川 学生運動は当事者じゃないな、俺は。連合赤軍を映画にしようとするくらいだから。荒井みたいな当事者は嫌だろう、あんなモノ(笑) 荒井 俺、もう考えるのも嫌だって感じかな。
長谷川 俺は麻雀とアメラグだけのノンポリフーテンだったよ。それでも自分の知っている奴が安田(講堂)で捕まったりして、マジに俺はこんなんでいいのか、なんて思ってた。アメラグの後輩たちもデモぐらい出なけりゃって感じでさ。アメフトのヘルメット被って出るんだよ。民青と反民の違いも知らない連中がだぜ(笑)ともかく少しでもデリケートな人間なら、まっすぐ卒業するのが恥ずかしくて、関係ないのに留年してた時代だったんだよ。そんな俺がこだわってんのは、フーテンみたいにしてた人間が、例えばああいう時代を描くとどうなんだろうと。ただ、一番気になるのは『あの頃』と『現在』が、いかに一本の映画の中で結びついて、夢あるいは悪夢としての『未来』を見せてくれるのかってことだろう。俺が永い間『赤軍』にこだわってるのも、それが見えそうに思えるからなんで……。 荒井 作家的モチーフとか、そういうのかな……。
長谷川 いや、60年代というのは、いくら時代の気分というのがあっても、そこから無縁でいられる人はいたじゃない。ゲバ棒持ったって、徴兵じゃないんだから。「戦争」は「運動」なんかより、数倍強引に全国民を巻き込むわけでさ。今村さんは、20歳ぐらいで終戦を経験している人だからさ。この戦争に対して、いつか俺がなんか表現せにゃならん、と思ってたんだよ。今村さん“俺は徴兵にとられるのが嫌で工業高校へ行った”って、俺に言ってたからさ。そういう人間が、あの時代、あの戦争を自分なりに片づけたいっていうのは、非常によく分かるんだよ。企画を思ったのは、30数年前らしいじゃない。その時の気持ちは分かるんだ。「ええじゃないか」の時も、映画が出来たのは13年程してからでさ、しつこい人だから(企画を)温めてたとは思うけど。 荒井 今村さんがいつも田舎の大衆を描く、ところが、東京生まれの東京育ちと知った時、びっくりしてさ。ゴジが大島渚の映画を見て、背伸びしなくちゃいけなかったのと同じように、俺は今村昌平の映画を理解するのに背伸びする感じだったな。これが大衆の原像ですかと。 長谷川 実際は逆でね。今平が都会者で、大島が田舎者だったわけだよ。面
白いもんだよな。そういう意味では、みんな『ここより他の場所』を目指していたんだよな。ここより他の場所を目指すから若者なんだ。映画であろうが小説であろうが、関係ないんだよ。
ただね、ここより他を目指す目指し方というのが、今平さんていうのは、俺が今村プロに入った頃、「神々の深き欲望」の頃までは本当に機能してた。この人は本当に『ここより他の場所』へ行ってるんじゃないかって思える迫力があった。 荒井 映画って、民俗学とかフィールドワークがどうとかじゃないところに 力があるから。「神々の深き欲望」は言葉というか、民俗学が前面にきちゃってる。 長谷川 チンポコが立って仕方がないって時の男ってのは、なかなか面
白い存在なんだと思う。元来、女より男の方が体じゃなくて、頭でモノを考えるっていうか左脳的思考をする生き物なんだろうけど、チンポコが立つ時って、男でもより右脳的になるんじゃないかな。音楽をするように映画を作ることができるんだ。“映画は理屈じゃねえ”ってチンポコが叫ぶみたいなさ(笑) 荒井 学生の頃、今村昌平の映画を見て、今村プロの扉を叩いた? 長谷川 違う、違う。本当はミュージシャンになりたかったんだ。本気だったんだぜ。 |
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