ドイス「K]・2005年8月の日記
2005年8月21日(日)〜8月31日(水)
別ページに載せることにします。
ちょっと長くなることばかりなので・・・
予定では「書き物」に。
いつになるのかなぁ。というか、いつアップできるのだろう・・・
2005年8月20日(土)
毎週土曜日9時半からはけん玉教室の日です。
しかし、先週、先々週は都合により、私は参加せずに生徒に任せていたので、久々でした。一時期は毎回50人を越える参加があったものの、最近は少人数制です。
昨日、宣伝をしっかりしておいたし、久々に大勢が集まるかなぁ(それが短期隊員メンバーと話をするためであっても)、と思っていましたが、まったく集まりません・・・う〜ん、昨日の「行く〜」という応えはなんだったんだ。
まぁ、返事(するのも、聞くのも)は適当にというのが通常なので驚くことではないですが。
集まった10数人とのけん玉教室。そろそろ暑くなってきた今日この頃。日本より少し涼しいかなというくらいの気温ですが、やはり陽射しは強いかも。
なので参加者は、極力動きたくない。座っていたい。日陰にいたい。だって疲れるんだもん。という状況です。そんな暑い日にきびきび動くのは、気候にあっていないのです。でも、階段に座って、ぼけ〜っとして大またを開いている生徒は、何をしにきているのでしょうか・・・はぁ。
まぁ日本のようにメリハリがあって、活気のあるけん玉教室ではなかったですが、日本人とモザン人のけん玉交流は進みます。
モンゴルでのけん玉指導経験のあるメンバーにも、国民性による差が感じられたようです。
2005年8月19日(金)
モザンビークの学校では、朝6時45分から集会が始まります。
「ホームルーム」という時間がないので、この毎日の集会にて連絡事項は告げられます。生徒の出席率は・・・50%くらいでしょうか。
集会にて6人の短期派遣メンバーが自己紹介をしました。
覚えたてのポル語にて「私は〜と申します」と名前を言うだけなのですが、生徒は皆、大爆笑。こっちからすれば何が面白いのかわからないところですが、微妙に違う発音と、日本人の奇妙な名前だけでも数百人の大爆笑に値するのです。
そういえば私も去年赴任したときに自己紹介をしたのですが、大爆笑だったのを覚えています。娯楽のないこの国では、日本人からすればささいな事でも、漫才を見るより面白いのですね。
この日は、朝の部、昼の部、夜の部、全てに授業が入っており、3部制ならではのきつい一日になりました。授業数は11コマ。すべて実験授業。
アンモニアの実験とか、水素の発生やら、指示薬の学習など、学年にあわせて授業をします。短期メンバーにも早速授業に入ってもらい、実験のデモンストレーションやら、指導をしてもらいます。
こちらはこれまでよりも丁寧に説明をする時間を持てるのでいいのですが、たちっぱなしで、ポル語を出しっぱなしで、かなりつかれました。でも、珍しい日本人がする実験に生徒も興味を引かれたようで、普段よりも熱心・・・な気がしました。
夜9時過ぎに最後の授業が終わって、喉が痛くてしかたなかったです。
授業ごとに明日、土曜日のけん玉教室の宣伝と、27日の土曜日に予定している日本文化紹介イベントの宣伝をしました。
「参加したいか〜?」
「行く〜!!」と大声で返事をしますが・・・ホントにくるんだろうなぁ。
2005年8月18日(木)
スーツでびしっと決めこんだ6人の短期隊員と一緒に7時から始まる授業へ。
スーツと、新鮮な顔ぶれから出るオーラに引き換え、1年以上もここに住んでいる少々疲れ気味の私の顔はどういうふうに生徒に映っているのでしょうか。
短期の6名(4人の男性、2人の女性)に、生徒は大喜び。自己紹介で名前を言うたびに大騒ぎです。
「彼女(彼氏)はいるの〜?」
「先生、先生、私のこと好きかって聞いて〜」
「今度の日曜日に一緒に散歩しよう〜って言って〜」
「結婚してください」
好き放題に騒ぎます・・・。
初対面の人にそんなこと言うか?!と思いますが、ここでの日常生活では、「おはよう、元気ですか?」の次に、子どもはいるのか、結婚しているのか、彼女はいるのか、モザンビーク人と結婚していけ、日本に嫁を連れて行け、という話になります。
私も1年前には毎日毎日、会う人会う人とその会話だったものです。
まぁこの時間は、明日から始まる実験授業のための説明だけだったので、話をする時間をすこしとりました。6名に、黒人に囲まれて生活するのに慣れてもらうためにも。
この日から校長先生が1ヶ月の長期休暇をとったとか・・・。なんでそんな急に、しかも日本から6人のボランティアを受け入れるのがわかっているのに休みだすんだ。
と思うところですが、気にしない、気にしない。もういまさら驚くことなんてそんなにありません。お気楽な国なのです。
昼は、8年生(中学1年)の実験授業が早速始まります。
水素を発生させて、火をつけてポンっとならす簡単な実験をしたり、指示薬の色の変化を見たりという内容でした。
この日は、朝から2時間、昼からは5時間の授業でした。
到着して間もない短期メンバーはまだ疲れが残っているようです。日本からは飛行機を乗り継いで27時間のモザンビークでの活動は、明日からが本当の始まり?です。
2005年8月17日(水)
朝からJICA事務所に行って、所長の講話を聞きや、大使館への表敬訪問を一緒に行きました。
その後、昼ご飯を食べて自然史博物館を少々見学してから、任地のナマーシャへ。
予定ではタクシーをかりて行くようになっていたのですが、値段が高いことや、あまりここのバスにのる機会がないということで、乗り合いバスで行く事に。
乗り合いバスの名前は「シャパ」。日本のハイエースに座席を増やした車です。
ナマーシャに帰る前に買い物をしたかったので、その6名とともに、街を歩いたのですが、7人の日本人は目立ちます。危険が多いところではなのですが、言葉ができるのも、地理がわかるのも一人、という状況では少々プレッシャーもあり、疲れました。
ナマーシャ行き(直行)のシャパは人数分の空席が無く断念。
途中で乗換えをすることにして、別のシャパへ。そこもギリギリの席しかなく、4人は運転席のすぐ後ろの席に後ろ向きで身動きもできない場所。乗車人数は22、3人です。
もともとは9人乗り?くらいなのに。それくらいの人数が普通です。というか、満員になりまでシャパは出ないのです。
狭いわ、暑いわ、疲れるわ・・・ですが、ナマーシャにて先輩隊員を含め8人で歓迎パーティーを行いました。おやすみ〜。
モザンビークでは動物を見るのはかなり難しい。
博物館でしか見たことがありません・・・
写真は博物館でのハク製。
いつか本物の野生動物をみてみたいなぁ。
2005年8月16日(火)
この日はナマーシャ派遣の短期隊員6名の到着日。これから3週間の活動を共に行います。内容は、ナマーシャ中学校及び近隣4中学を巡回しながら理科の実験授業を行うことです。3人が化学・生物、もう3人が物理を担当する予定。
今週から時間割が変更になってしまいすべての時間をすることはできず、朝の1時間目の授業をしてからマプト(首都の街)へ。
時間割が大きく変更になるのは、もう慣れたもの。急に変わります。
今回の理由は3人の先生がクビになったこと。2人はあまりに授業をしないため。もう一人は生徒を妊娠させて、その両親に訴えられたため・・・。
驚いているのは、私くらいなもので、変わらない日が続きます。
空港で6人の短期隊員と無事に合流でき、ホッと一安心。
夕食はJICAのボランティア調整員の方や他の隊員と一緒に食事をしたものの、7時間の時差になれない6人はかなり眠そうにしていました。
明日には早速ナマーシャへいきます。観光をしている時間は、ありません。
2005年8月15日(月)
今日は終戦記念日でした。はず。
ここモザンビークでは今日のことは、自分の生徒でいえば誰も知りませんでした。地理や歴史の授業では日本のことも習うらしいので、「トーキオ(東京)」や「イロシマ(広島)」「ナガザーギ(長崎)」といった地名は有名です。
今日化学の授業があったクラスでは少しだけ授業を中断して、話をしました。大学時代は広島に住んでいたといえ、正直世界大戦については詳しいことは知りません・・・。もう少し勉強しておくべきだった。1時間目の授業では、生徒と一緒に黙祷をしました。普段うるさい生徒達も、そのときばかりは静かにしていました。他の3つのクラスでは、まったくそんな雰囲気にはならず、しませんでした。
晩御飯は、今日も定食屋。明日マプトに短期隊員を迎えに行くのであまり作ってもなぁ、という言い訳をしながら行きました。
今日は、カボチャの葉っぱをアメンドインの煮込んだカレーでした。
料理が出てくるのを待っている間、コーラを飲んでいると、横でヤギの解体というかトサツが始まりました。オーナーや従業員が足をしばったヤギを押さえつけて、首をナイフで切ります。メエェェェッという声もむなしく、切られた頚動脈から血がビュッと出て・・・と詳しく説明はしませんが、そんな飯を食べるすぐ横で切らんでも・・・隠れてやれよ〜と思いながら見てました。
日替わり定食の特徴は、ご飯の量も日替わりなこと。今日はたっぷりでした。最後カレーが少なくなってきたら、オーナー(いつも店の客と飲んでいる)がやってきて、「タモツ、カレーを入れてこよう」と言ってくれ、ついでくれました。ヤギの後、手は洗ってなさそうですが、いつも気にかけてくれるのが嬉しいです。ちなみにこういうサービスが期待できるのはこの店だけです。
出てきたら、「ご飯も入れてきたからな」とニコニコして、もう一回新たに頼んだのかと思う程、入っていました。好物メニュー&野菜もたっぷりなので喜んで食べましたが。それで35000MT(メティカイス)。日本円で180円くらいです。
お金の数字が大きいので通常は ×1000MT を 「コント」と呼び、
35000MTは35コントといいます。
定食屋にはテレビが置いてあり、食事をしようがしまいが、近所の人のたまり場となっています。古そうなアニメを見ながら、「キャハハ」と笑う小さな女の子がいましたが、笑う場面ではなさそうなところでも笑っている姿が可愛かったです。
家に帰る途中、メルカード(市場)では今壁を塗っています。以前までのきったない壁とは見違えるようにきれいにひまわりの絵が描かれており、その絵を描いている兄ちゃんと喋って、帰りました。
今日は、真っ赤な夕陽が見れました。くっきりと丸く見える太陽は、不思議な気持ちにしてくれます。あんなキレイな夕陽もここの人にとっては普通。立ち止まってみているのは一人だけです。
夜になれば毎晩天の川が見れますが、これまた空を見上げるのは外国人だけです。そんな、自然が自然にある光景は、すごく好きです。
明日から6名の短期派遣隊員との3週間の活動が始まります。
5人は同じ大学の友人や後輩なのでかなり楽しみです。
テンションをもう少しあげていくとします。
2005年8月14日(日)
とは、ポルトガル語で「魚」のことです。
ここモザンビークはインド洋に面した魚介類の豊かな国なのですが、交通の便が悪いせいもあってか、内陸部には、あまり届きません。
ここナマーシャも魚といえば冷凍のアジくらいなもの。それもアンゴラという国から輸入したもの。他にもありますが、すべて冷凍です。
今日、料理をするのもめんどくさかったので、いきつけの店(通称、定食屋)に夕飯を食べに行き、いつも通り日替わり定食を頼みました。大好物のペイシでした。魚(おそらく一度焼いたもの)をピーナッツをすりつぶした粉と一緒に煮てカレー状にしてある料理です。ちなみにアジではありませんでした。
普段、家で料理する際には米と野菜しか使わないので、外食で魚を食べると幸せになります。
ドイス「K」の中で、モザンビーク料理を写真で紹介(作り方までは無理)するコーナーを設ける予定にしていますので、完成したらこのペイシ コン アメンドイン も紹介します。
コン(COM)は 「〜と」
アメンドイン(AMENDOIN)はピーナッツのことです。
2005年8月13日(土)
今日はけん玉教室の日。しかし、事情があって、私は参加できませんでした。
けん玉教室に参加するのは、自分の中での最優先事項の一つなので残念だったのですが・・・。昨日のうちに生徒にけん玉の置いてある部屋の鍵を渡して、仕切るようにお願いをしてありました。
私もいなかったので参加人数はいつもより少なかったようですが、こうしてモザンビークの人の間だけでもけん玉教室が機能することを嬉しく思っています。
夕方、家を訪ねてきてくれたその生徒。最近彼の中で流行っている(?)のは日本語を勉強することです。なかなか難しいようですが、話すことを中心にすこ〜しずつ上達しています。
今月の17日には、日本からナマーシャに6人の隊員(3週間だけの短期隊員)が到着するので、彼らと日本語ですこし話をするのを楽しみにしているようです。帰るときには、
「ワタシ モウ イエ ヘ イキマス」
と言って帰りました。
2005年8月12日(金)
毎週金曜日は、同じナマーシャ中学校に派遣されている先輩隊員と食事に行って少し飲むという定例会の日です。行く店は2ヶ所あって(3ヶ所あるのですが、値段の関係上お客さんが来たときにだけ)、気分しだいで選びます。
もうここナマーシャの生活も1年ですが、2人がナマーシャにいるときは必ず行う会です。
昨日は「ザンベジア」という店です。メニューはフランゴ(チキンのこと)しかありません。以前は揚げた魚もあったのですが、最近はいつ聞いても「無い」と返事が返ってきます。
11日にもフランゴを食べていたので、2日で丸1匹のニワトリがお腹に収まりました。ニワトリを食べるときはいつも「メーヨフランゴ」、日本語では半分の鶏です。
日本語で喋って、栄養とたんぱく質を取りためて・・・異国で生活する中で、こういう時間は本当に大切に思っています。
2005年8月11日(木)
我が家には、これまで生活してきた1年間、ガスコンロを置く台がありませんでした。ので床の上で料理をしていました。
しかし、この度帰国される専門家の方から机を頂き(それも届けていただいて)、我が家が見違えるように便利になりました。ありがとうございます。
まだ1年間もここでの生活があるので、少しずつ改善していきたいな、と思っています。
今日のインスタントコーヒーは、美味い。
そういえばその作業の前に、その専門家の方や、手伝ってもらった協力隊員でナマーシャのチキンを食べに行きました。食後に頼んだコーヒー(もちろんインスタント)には、最初から砂糖が、どっぷりと入れられていて、かなり甘かったです・・・。ちなみにモザンビーク人に、コーヒーを砂糖なしで飲むというと、不思議がられます。
2005年8月10日(水)
昨夜からの雨で、道路や路肩の歩道は泥でグチョっていました。ここナマーシャの特徴は、赤土。路肩も、校庭も、学校の前にある運動場も、全部赤土です。
最近は特に乾燥しているので、砂ホコリがひどく、教室の机も、窓も赤い砂ホコリがたまっています。赤といっても真っ赤ではないですが・・・
そんなぬかるんだ赤い道を歩いていると生徒が前から声をかけてきます。
ニコニコして「これ見て〜」と言い、見せてきたのは、なんと日本の10円玉でした。どこで手に入れたのかと聞くと、家にあったと言っていましたが、久しぶりに見た日本のお金が懐かしかったです。ここの硬貨に比べてすごく小さいです。
以前にも韓国のお金(ウォン)を2度見せられたことがあり、ここのお金に換算していくらか、とか聞かれました。それは古着屋で買った服の中に何万というウォンが入っていたそうでした。
日本からも古着に混じってやってきたのでしょうか、あの10円玉。
ちなみに10円はここのお金で2000MT(メティカイス)程度になるはず。 ガム4個とか、小ぶりの玉ねぎ二つくらいの価値です。
2005年8月9日(火)
今日は体調が非常によろしくなかったので、仕事を休んで一日中家の中。
夕方には体調もまぁマシになっきたので、小説を読み始め、結局一冊を読み終えてしまいました。宮部みゆきさんの「龍は眠る」。
モザンビークでどうやって日本の書籍を読むのかといえば、JICA事務所にある隊員用の図書棚から借りてきます。毎年少しずつ購入していくようなので、まだ派遣の始まったばかりのモザンビークに本は少ししかありませんが、休みの日や、日本語に餓えたときなどの良い気分転換になります。
夜中の12時くらいからは、窓の外で「ザァ」、という音が聞こえてきました。
最初は強風が吹いてきたのかと思いましたが、雨でした。
最近私の生活地ナマーシャでは水不足が深刻で、近所の井戸からは水がすっかり消えてしまっており、遠方の井戸から水を買うという状況でした。
水を買うお金のある家は良いのですが、困っている家は、水のない井戸の最後の水をすくうように取っている様子も見ます。バケツを投げ込んで、僅かに入る井戸の底の汚れた水チョッピリをタンクに溜める様子には、胸が詰まる思いさえすることがあります。
ちなみに井戸の底には、ビールの瓶やジュースの瓶などのゴミが大量にたまっています。生活を支える井戸に空き瓶を捨てる感覚がわからない・・・。
これだけまとまった雨は、3ヶ月くらいぶりでしょうか。あまり記憶が無いですが。なんとか、井戸に水が復活するようになって欲しいものです。
2005年8月8日(月)
今日から、ホームページの日記を開始しました。
先週は、初めてのHP作りで少々目が疲れてしまいましたが、なんとか開設するところままでできて一安心。これから成長させていきます。
今日はナマーシャ中学校で4つ授業をしました。
4時間目の授業の途中で、急に「ワクチン接種」が始まりました。
ワクチンの名前は、「破傷風」になっているのですが、どうも看護師の説明は風疹の説明の気がする・・・。
「男性もかかるが、対象は15歳以上の女性で、妊娠中に病気になったら子どもに悪影響が出るので」・・・う〜ん。
ワクチン摂取光景・・・悲惨でした。
ブスッ ブスッ という音が聞こえるほどの勢いで、一気に直角に針の奥まで突き刺して、刺しながらワクチンを押し込み、一気に引き抜く。僅か0,5秒。消毒など、ありません。
ホコリだらけの教室の机の上に、注射器一式の道具を置いて、動物を扱うかのようにブッス ブッスと看護師さんはこなします。悲鳴が上がり、逃げ出す生徒続出、わめき声が上がる教室の中、逃げる生徒の腕を鷲づかみで引き寄せてブスッ!「先生、生徒が逃げないように、入り口で見張ってくれ」と言われてもなぁ。
本当に看護師なのか?
・・・その辺の兄ちゃんかな、なんて思いました。
終了後、エイズのパンフレットとコンドームを生徒に配って帰りました。
ワクチン接種率も低く、医療体制もまだまだ充分ではないのが現状ですが、医療に関してはなんとか改善して欲しいなと思います。
ちなみに確認したところ、彼は本物の看護師さんでした。
