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「高祖」は「隋」か「唐」か(五)

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 「書紀」に書かれた「裴世清」が持参したという「国書」を見てみると、「…朕欽承寶命 臨仰區宇。思弘徳化 覃被含靈。愛育之情 無隔遐迩。…」というように自らの政治的姿勢とでもいうべきものを表す言葉が並んでいる部分があります。これらは一見決まり文句であり、型どおりのものであるように見受けられますが、「詔」として彼らが出したものの中に個々の語句の使用例を渉猟してみると以下の通りとなり、個人ごとに使用頻度がかなり異なることがわかります。個々の語について検索した結果を以下に示します。(当然ですが、この「推古紀」の国書は対象から除いています。)

●「欽承」:これは「煬帝」に一例ありますが、「文帝」、「李淵」とも見られません。

隋書/帝紀 凡五卷/卷三 帝紀第三/煬帝 楊廣 上/大業三年」底本:宋刻遞修本

「…六月辛巳,獵於連谷。丁亥,詔曰:聿追孝饗,コ莫至焉,崇建寢廟,禮之大者。然則質文異代,損益殊時,學滅坑焚,經典散逸,憲章湮墜,廟堂制度,師?不同。所以世數多少,莫能是正,連室異宮,亦無準定。
朕獲奉祖宗,欽承景業,永惟嚴配,思隆大典。…」

●「寶命」:これはすでに見たように「隋代」以前から使用が多く確認でき、また「初代」ではないものの「煬帝」一例、「太宗」一例が確認できます。また「文帝」の語としては一例しかありません。これに対し「李淵」の語としてはかなり多く見られます。「文帝」の場合は「寶命」よりも「天命」が多く使用されています。逆に「李淵」の場合は「天命」使用例が少ない傾向となります。

●「臨仰」:三者とも確認できません。他の皇帝においても全く使用例がなく、特殊用例と思われます。

●「區宇」:これは三者とも見られますが、特に「隋の文帝」において多く見られます。(  例)これは「世界」を表わす語であり、「魏晋」以来久しぶりに中国「統一」を果たした意識が使用させるのではないかと思われます。(以下代表的な例)

(「隋書/帝紀第一/高祖 楊堅 上/開皇三年」底本:宋刻遞修本)

「…十一月己酉,發使巡省風俗,因下詔曰:「朕君臨『區宇』,深思治術,欲使生人從化,以コ代刑,求草?之善,旌閭里之行。民間情偽,咸欲備聞。已詔使人,所在賑恤,揚?分路,將遍四海,必令為朕耳目。如有文武才用,未為時知,宜以禮發遣,朕將銓擢。其有志節高妙,越等超倫,亦仰使人就加旌異,令一行一善奬勸於人。遠近官司,遐邇風俗,巨細必紀,還日奏聞。庶使不出?庭,坐知萬里。」

 これに対し「煬帝」は「  例」、「李淵」は「  例」となっています。

「思弘」:「文帝」に2例、「煬帝」に2例はありますが「李淵」の例は確認できません。
(以下「文帝」の例)

(「隋書/帝紀第二/高祖 楊堅 下/仁壽元年」底本:宋刻遞修本)

「六月癸丑,洪州總管蘇孝慈卒。乙卯,遣十六使巡省風俗。乙丑,詔曰:「儒學之道,訓教生人,識父子君臣之義,知尊卑長幼之序,升之於朝,任之以職,故能贊理時務,弘益風範。朕撫臨天下,思弘コ教,延集學徒,崇建庠序,開進仕之路,佇賢雋之人。而國學冑子,垂將千數,州縣諸生,咸亦不少。徒有名?,空度?時,未有コ為代範,才任國用。良由設學之理,多而未精。今宜簡省,明加奬勵。」於是國子學唯留學生七十人,太學、四門及州縣學並廢。其日,頒舍利於諸州。」

●「徳化」: これは「文帝」に2例、「煬帝」に1例ありますが、これも「李淵」の使用例はありません。

「(隋書/志第一/禮儀一/南北郊」底本:宋刻遞修本)

(文帝の一例)
「…初帝既受周禪,恐黎元未?,多?符瑞以耀之。其或造作而進者,不可勝計。仁壽元年冬至祠南郊,置昊天上帝及五方天帝位,並于壇上,如封禪禮。板曰:維仁壽元年,?次作?,嗣天子臣堅,敢昭告于昊天上帝。??運行,大明南至。臣蒙上天恩造,羣靈降福,撫臨率土,安養兆人。顧惟?薄,『コ化』未暢,夙夜憂懼,不敢荒怠。天地靈祇,降錫休瑞,鏡發區宇,昭彰耳目。爰始登極,蒙授龜圖,遷都定鼎,醴泉出地,平陳之?,龍引舟師。省俗巡方,展禮東岳,盲者得視,?者得言,復有躄人,忽然能?。自開皇已來,日近北極,行於上道,?度延長。天?太平,獸見一角,改元仁壽,楊樹生松。石魚彰合符之?,玉龜顯永昌之慶,山圖石瑞,前後繼出,皆載臣姓名,褒紀國祚。經典諸緯,爰及玉龜,文字義理,遞相符會。…」

●「覃被」:「煬帝」に1例ありますが、「文帝」「李淵」とも用例がありません。
(以下「煬帝」の例)

(「隋書/帝紀第四/煬帝 楊廣 下/大業九年」底本:宋刻遞修本)

「(冬十月)乙酉,詔曰:「博陵昔為定州,地居衝要,先皇?試所基,王化斯遠,故以道冠?風,義高姚邑。朕巡撫氓庶,爰屆茲邦,瞻望郊廛,緬懷敬止,思所以宣播コ澤,『覃被』下人,崇紀顯號,式光令緒。可改博陵為高陽郡。赦境?死罪已下。給復一年。於是召高祖時故吏,皆量材授職。…」

●「含靈」:「文帝」に1例あり。「煬帝」「李淵」とも用例がありません。
(以下「文帝」の例)

「王伽,河間章武人也。開皇末,為齊州行參軍,初無足稱。…上聞而驚異之,召見與語,稱善久之。於是悉召流人,并令攜負妻子?入,賜宴於殿庭而赦之。乃下詔曰:「凡在有生,『含靈』禀性,咸知好惡,並識是非。若臨以至誠,明加勸導,則俗必從化,人皆遷善。往以海?亂離,コ教廢?,官人無慈愛之心,兆庶懷姦詐之意,所以獄訟不息,澆薄難治。朕受命上天,安養萬姓,思遵聖法,以コ化人,朝夕孜孜,意在於此。而伽深識朕意,誠心宣導。參等感悟,自赴憲司。明是率土之人非為難教,良是官人不加曉示,致令陷罪,無由自新。若使官盡王伽之儔,人皆李參之輩,刑?不用,其何遠哉!…」

●「愛育」:「文帝」に1例(高麗への書)、「李淵」にも1例(百済への書)あり。
(文帝の例)

(「隋書/列傳第四十六/東夷/高麗」底本:宋刻遞修本より)

「…開皇初,頻有使入朝。及平陳之後,湯大懼,治兵積穀,為守拒之策。十七年,上賜湯璽書曰:朕受天命,『愛育』率土,委王海隅,宣揚朝化,欲使圓首方足各遂其心。王?遣使人,?常朝貢,雖稱藩附,誠節未盡。…」

●「無隔」:「煬帝紀」に2例ありますが、うち1例は「裴世矩」(裴矩)からの上表分の中に見えるものであり、「煬帝」の直接の「詔」としては1例です。「文帝」「李淵」とも用例はありません。

(「隋書/帝紀第四/煬帝 楊廣 下/大業八年」底本:宋刻遞修本より)

「…其餘臣人歸朝奉順,咸加慰撫,各安生業,隨才任用,『無隔』夷夏。營壘所次,務在整肅,芻蕘有禁,秋毫勿犯,布以恩宥,?以禍福。若其同惡相濟,抗拒官軍,國有常刑,俾無遺類。明加曉示,稱朕意焉。…」

●「遐迩」:三者とも確認できません。「後漢書」のみに見える特殊用例と思われます。

 以上の結果を表にするとこのようになります。

文帝 煬帝 李淵
寶命 × ○ ◎
(天命) ◎ × ×
欽承 × ○ ×
臨仰 × × ×
區宇 ◎ ○ ◎
思弘 ○ ○ ×
徳化 ○ ○ ×
覃被 × ○ ×
含靈 ○ × ×
愛育 ○ × ○
無隔 × ○ ×
遐迩 × × ×

 上の結果から見てこれが「唐」の高祖「李淵」のものであるとすると、彼にとって希有な用語法がこの「倭国」への書だけに使用されたという事となると思われ、そのような動機が不明となるでしょう。
 少なくともこれらの用例は「隋代」として考える方が自然であり、「李淵」の使用に係るものとは考えられないこととなると思われます。
 (ただし、上の結果は一見「煬帝」の使用例に最も近いと考えられそうですが、既に述べた他の条件と考え合わせた場合、やはりこの国書は「隋」の初代皇帝である「文帝」の手によるものと考えるのが相当と思われることとなるでしょう。)

  なお、いずれの例においても「本人」が「詔」として出したものの中だけに限定していますが、他方「臣下」などが「上表」した中に同様の語の使用例がある場合があります。それを「三者」別に以下に記します。


(この項の作成日 2014/03/26、最終更新 2014/08/27)



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