
Workshop for Nipponianippon Communicative Language& Culture Studies
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ポカポカ春庭のニッポニアニッポン言語文化研究
ニッポニアニッポン語2005年2月a

ポカポカ春庭のニッポニアニッポン語 誤読から慣用読みへ

| 日付 |
タイトル |
2005
02/02〜05 |
誤読→慣用読み@〜D |
| 2006/0709 |
「おこし下さい」は「お越しか」「お来し」か |
2005/02/01 (火)
ニッポニアニッポン語>みんなで間違えばこわくない・誤読→慣用読み@
留学生のための漢字教育。非漢字圏(漢字教育を学校で行わない地域)の学生にとっても漢字は日本語学習の壁のひとつ。
複雑な形と表意文字であることに興味をもって「漢字フリーク」となり、どんどん覚える学生もいるし、「私の頭には複雑すぎる」と、拒絶反応を起こしてしまう学生もいる。
春庭の漢字クラスのようすは、2003/12/22に「漢字クイズ」2004/01/15に「今年最初の漢字の勉強」というクラススケッチを掲載したので、日本語教育での漢字クラスに興味がある方は、過去ログのカレンダーをクリックしてみてください。
私が担当しているクラスでは、ゼロスタート(ひらがなも知らないまったくの入門クラス)の学生が3ヶ月で300字の漢字を覚える。(30歳前後の大学院留学生、大人相手だから詰め込み教育でもなんとかなり、学生はよくがんばっています)
漢字教育というのは、「日本語の語彙教育」でもある。日本語の語彙は、和語の総数よりはるかに多くが漢字熟語なのだから。
留学生にとってだけでなく、日本の子どもにも漢字学習はたいへんだ。
文部科学省所管の「総合初等教育研究所」が2005/01/27に公表した「漢字の読み書き調査」。
読みは89%の正答率。書きは72%が正しく書けている。ただし、学年が進むにつれ誤答が増え、「漢字は苦手」という子が増えてくる。
小学校6年で1000字ほど、中学高校で1000字弱の漢字を覚えれば常用漢字の読み書きはカバーできるはずだが、国語教師にとっても、漢字教育は泣き所のひとつ。漢字書取り毎日出したりすれば「詰め込み教育」と不評を受け、やらなければ「漢字の書き方ひとつ定着させられない無能教師」と責められる。
さて、今週は漢字の誤読についての話から。みんなが間違えれば、誤読が慣用読みとなり、やがて、慣用読みが正規の読みを圧倒していくという話。
漢字に自信がある方、ない方。次の漢字読み方クイズ、おためしを。
(1)漏洩(2)稟議(3)捏造(4)貪欲(5)貼付
ワープロを使い始めてから、手書きで書こうとすると、あれっ?となる私でも、読む方は自信があるとおもっているのですが、、、、
答え、 漏洩:ろうせつ→ろうえい 稟議:ひんぎ→りんぎ 捏造:でつぞう→ねつぞう 貪欲:たんよく→どんよく 貼付:ちょうふ→てんぷ
→の左が元の読み方。右側が現在通用している読み方。左側の読みをした方がいただろうか。
「日本語が乱れている」と嘆いても「私は使いたくない」と抵抗しても、変わるものは変わってゆくことの例として、慣用読みが定着した熟語例をあげてみた。
消耗の元の読み方はショウコウだったが、現在はショウモウと読まれるようになった。
元は「誤読」だったのに、その読み方が定着していく漢字熟語。大半の人が誤読のほうを使うようになれば、辞書に掲載され「慣用読み」として通用するようになる。
経理に消耗品費を請求して、「ショウモウヒンではだめです。ショウコウ品でないと、お金は出せません」と、つっぱねられることもない。
新聞のふりがなも「捏造ねつぞう」となっている。元の読み「でつぞう」と、誰も読まなくなったのだ。<誤読→慣用読み 続く>
11:47 |
ぽかぽか春庭のニッポニアニッポン語「誤用→慣用読みA」
2005/02/02 (水)
ニッポニアニッポン語>みんなで間違えばこわくない・誤読→慣用読みA
「撒水(さっすい)」の誤読についてコメントをいただいた。(投稿者:a****** (2005 1/25 18:25))
『昔、ある漢文の先生に教わった言葉を思い出しました。
「水を撒(ま)く」の名詞:撒水(さっすい)を「散らす」の音と間違えて(さんすい)と読み出したことから、「散水」という語句も生まれ、混同されたまま「散水−水をまく」となってしまった、ということです。
「まく」も「ちらす」も同じようなことだと思われる人もいるでしょうが、コンプレッサーもスプリンクラーもホースもない時代に、手で草花に水を遣っている姿を想像して風情を感じました。』
「水を撒く=撒水」を「さんすい」と誤読したために、今では水をまく場合、「散水(さんすい)」のほうが多く使われるようになり、「撒水」はあまり使われなくなった。近所の道路に散水車はやってくるが、「さっすい車」は使われない。
「まきちらすこと」を「さんぷ散布・撒布」というのも「撒布(さっぷ)」の慣用読み「さんぷ」が定着し、漢字も「散布」の方が一般的になった。
洗滌(せんでき)→洗滌(せんじょう)→洗浄 のように、元々の「せんでき」はもはや使われず、「洗浄」が一般的な熟語になったものもある。「胃を洗浄しましょう」というお医者さんはいても、「胃をセンデキする」という医者は、現代のお医者さんにはいないだろう。
慣用読みの例をA:B:Cのグループ別にあげてみる。
A:慣用読みが定着している熟語例
情緒:じょうしょ→じょうちょ 消耗:しょうこう→しょうもう 漏洩:ろうせつ→ろうえい 稟議:ひんぎ→りんぎ 捏造:でつぞう→ねつぞう 貪欲:たんよく→どんよく 貼付:ちょうふ→てんぷ 憧憬:しょうけい→どうけい 独擅場:どくせんじょう→どくだんじょう→独壇場 攪拌:こうはん→かくはん(かきまぜること) 呂律:りょりつ→ろれつ(ろれつが回らぬ、など)
B:慣用読みと元の読みが両方使われている熟語例
早急:さっきゅう→そうきゅう 発足:ほっそく→はっそく 固執:こしゅう→こしつ 重複:ちょうふく→じゅうふく 味気ない:あじきない→あじけない 出生率:しゅっしょうりつ→しゅっせいりつ 世論:よろん→せろん
C:これから先、慣用読みが広まっていくだろうと思われる熟語
凡例:はんれい→ぼんれい 一朝一夕:いっちょういっせき→いっちょういちゆう
「ぼんれい」と入力しても「凡例」と変換されるので、おそらくこちらが広まっていくだろう。凡は、「平凡」「非凡」「凡人」など、ボンという読みのほうがポピュラーに使われるが、ハンという読み方は「凡例」以外に使わないから。
「夕」の音読みは「セキ」。しかし、夕刊(ゆうかん)夕刻(ゆうこく)などの湯桶読みや、和語の夕立(ゆうだち)などの方が生活になじんだ語であるので、夕映(セキエイ・ゆうばえ)夕影(セキエイ・ゆうかげ)も「ゆう」の読み方が優勢となり、一夕も(イッセキ→いちゆう)の読みが広まっていくのではないか。
D:漫画の吹き出しセリフや歌謡曲などのフリガナから、慣用読みが広まるかもしれないと思われる熟語。(こちらは元の読みも併用されると思うのだが)
宇宙(うちゅう&そら) 幸福(こうふく&しあわせ) 瞬間(しゅんかん&とき) 電脳(でんのう&パソコン)など。
どうですか?さすがにDやCは使っていないという人も多いでしょうが、Aは「えっ、この読み方は、昔は誤読だったの?」と思う方もいるのではないでしょうか。「会議の稟議書」を「ひんぎしょ」と読む人は、いないのでは?
現役世代は、すでに「ねつぞう」「りんぎ」として語彙を獲得してきた。
私もAグルーープの熟語はすべて慣用読みのほうです。Bは半々。
熟語の読み方も、大多数の人が誤読すれば、誤読が「慣用読み」として定着し、誤読のほうが優勢になる。<続く>
08:33 |
2005/02/03 (木)
ニッポニアニッポン語>誤読→慣用読みB
「世論」あなたは、せろん派ですか。よろん派ですか。
世論:よろん→せろん・・・は、何となく「せろん」の方が響きが好きなので、そう読んでいます。投稿者:m******** (2005 2/2 10:17)
元の語は輿論(よろん)だったのに、「輿」の字が当用漢字になかったために代替漢字として「世論」が使われた。そのため「せろん」と読む人がふえ、今では「せろん」「よろん」両方が使われている。
私は「世の中の論」という感じがすきだから「よろん」と言っているが、m*******さんはじめ、若い世代は「せろん」派が多くなる。こちらは「世間(せけん)の論」というニュアンスで受け取れる。
元の「輿論」の「輿」は「人を乗せる輿(こし)」→「あらゆるものをのせる台、人をのせている大地」→「大地の上にのっている世間の人々、世の中」という意味なので、世の中でも世間でもどちらの受け止め方もできる。読み方としては「よろん」が元々の言い方だった。
「せろん」のように読み方が変わったものも、それが広まれば定着する。「撒水さっすい→さんすい散水」「独擅場どくせんじょう→どくだんじょう独壇場」などのように、誤読に合わせた漢字のほうが優先的に使われるようにもなる。
「総合初等教育研究所」2005/01/27発表の「小学生漢字読み書き習得状況調査」で、「子どもが苦手な字」として、誤読が多かった字があげてある。
「米作農家 べいさくのうか→こめさくのうか」「川下 かわしも→かわした」「戸外 こがい→とがい」など。
誤記述の漢字。「こかげ 木かげ→小かげ」「らくがき 落書き→楽書き」など。
私は、これらはあと30年して今の子どもたちが社会の中心世代になったら、「慣用読み」「慣用書き」として定着していくだろうと予測する。
重箱読み湯桶読みがあるのだから「米作」が「べいさく」でなく「こめさく」でも、みんながそう読みたいのなら、定着する。「らくがき」するのが楽しい子どもたちは、「楽書き」と書き表わしていくだろう。
変わりはじめた当初の誤読者は「今どきのワカゾーは、漢字ひとつ読めない。消耗(ショウコウ)をショウモウなどと読みおって、けしからん。嘆かわしい」と非難されただろう。今は「ショウモウ」と読んでも、当然とされる。
「米作」を「こめさく」と読む人がおおくなれば、その読み方が定着していく。
「楽書き」という書き方が生まれて定着していくかどうか、そのあと「落書き」のほうも残るかどうかは、後の世代にまかせるとしよう。
「楽書き」って、なんだか楽しそうでいいなあ。決められた紙やノートに書くだけじゃなく、教科書のすみっこや机のうらなんかに、こっそり落書きをするのが、楽しいって子どもの気持ちが出ている。
読み方の変化、最初は誤読だったものが慣用的に使われて、定着する。誤読自体はこれからも起こりうることだ。
では、子どもたちの漢字読み書き能力が弱くなっている問題を、どうしたらよいのか。
漢字文化は日本語言語文化にとって、大変重要なものだ。漢字文化をなくしてしまうことは、私たちのものの考え方感受性にまで影響が及ぶ。
たいせつなことは、「こんな簡単な読み方をまちがえるなんて、なってない」「漢字書取りを強化しなければ」と憤るだけでは済まないってことだろう。ひとつの漢字を百回繰り返して書取りしても、子どもの心に残らなければ、それは手の運動になるだけで、漢字が身に付いたことにはならない。
言語文化全体をみわたして、「ことばの学び」をどうしていくべきなのか、考えていくこと。現代の子どもたちをとりまく言語文化環境はあまりにも貧弱です。<続く>
09:37 |
2005/02/04 (金)
ニッポニアニッポン語>誤読→慣用読みC
総合初等教育研究所の読み書き習得状況調査によれば、5年生の半数が「赤十字」を「あかじゅうじ」と読んだそう。
自分の生活に身近でない漢字のことばに出会ったとき、知っている漢字や熟語から意味と読みを類推する力はとても大切。
「赤十字」の活動にも「赤十字病院」にも縁がない生活をしていれば、5年生の多くが「あかじゅうじ」と読むのは当然だ。
子どもの生活に身近な「赤レンジャー青レンジャー」「赤とんぼ」「運動会の赤旗白旗」のほうに合わせて、「あか十字」と類推したのだ。
赤ちゃんのときから「赤十字病院」のお世話になっている子どもだったら、親から「ほら、きょうはセキジュージにいって、おばあちゃんの薬もらってくる日だよ」などと、聞かされており、漢字と音が結びついていて間違えない。
昔の人が近所に赤十字病院がなくても「セキジュージ」と読めたのは、ナイチンゲールやアンリー・デュナンの伝記が今より広く知られていたからかも。(1933年(S8)から1940年まで使われた第4期国定修身教科書に、ジェンナー、ソクラテスらと共にナイチンゲールの話が掲載されていた)
しかし、「米作」が「べいさく→こめさく」と慣用読みが定着するのではないかと予想されるのとは異なり、「赤十字」については、そうはならない。その存在や活動を学習した時点で「せきじゅうじ」という読み方のほうを採用するだろう。「赤十字」は団体の固有名詞でもあるので、慣用読みの定着はむずかしい。
子どもが読みを間違えるのは、その漢字が日常生活での会話にも、テレビや、本・漫画から仕入れる語彙にもなじみがない語であることが多い。
幼児のころから「へんし〜ん!」という言葉を見聞きしていたあと「変身」という漢字をならった場合、「へんみ」と読む者は少ないはず。
漢字の誤読・誤記は、子どもが浸っている生活文化全体の問題なのだ。
夏の陽射し厳しい中を歩いていて日陰がほしいとき、木の下で憩える子どもは少なくなっている。ビルの間のちょっとした陰や道路におかれたパラソルの下の日陰で休む人にとっては、「木かげ」より「小かげ」のほうが、実感にあっているだろう。
今回の調査で「高層ビル」「大統領」の正答率が上がったのは、これらの言葉をニュースなどで見聞きし、親世代の会話のなかに出現する頻度も上がっているからだ。
子どもの漢字力語彙力(ボギャブラリー)を心配するなら、子どもをとりまく大人たちが、子どもの目耳心に、豊かな語彙を、どんどん与えることだ。親世代の言語能力がなくなっているのに、子どもの言語力があがるはずがない。
昔の子どもたちは、酒屋へおつかいに行かされれば、一合だの一升だのと単位を覚えた。豆腐屋へ豆腐を買いに行って「とうふひとつ油あげふたつください」「はい、とうふ一丁あげ二枚ね。おまちどうさま」というやりとりで、豆腐は丁、油揚げは枚と数えるのだと、自分で覚えた。
今の子どもは、スーパーで親がだまってパック入りの豆腐をかごにいれるのを見るのみ。いくら「数え方辞典」片手に教え込もうとしたところで、それは「知識」にはなるが、身についた生きた言葉になるのは難しい。
すべてのものを「いっこ、にこ、さんこ」と数えるようになるのもやむを得ない。
わかりやすい例として助数詞(ものを数えるときにつけることば)をあげたが、すべての語彙において、同じ現象がおきている。授業で教えテストをするだけでは、子どもたちの語彙能力は高まらない。
周囲の言葉のやりとりの中で「政治家のオショクジケンは困ったもんだ」と、聞いて誤解し、「お食事券ぼくも欲しい」と、話題に加わってみる。こんなとき「汚職事件」について説明されれば、国語の時間に辞書をひいて覚える以上に頭に入る。
生きたコミュニケーションのなかでの言葉のやりとりをし、周囲の人の話、本・新聞やニュースで知ったことばを生活で使ってみたり、書き言葉にとりいれたりする、その営みが貧弱になっていれば、子どもの言葉は育たない。<誤読→慣用読み つづく>
07:48 |
2005/02/05 (土)
ニッポニアニッポン語>誤読→慣用読みD
今週は漢字の誤読誤記、言葉の誤用について考えてきた。
誤読や意味の誤用が多くなり、それについて心配する人が多くなったせいか、テレビ番組「平成教育予備校」と「みんなの問題日本人は日本語を知らない」の両方で同じことばを例にあげて、いかに日本語が誤解されているかを示していた。
「姑息こそく」がその例。「姑息なやりかたで処理する」というセリフをきいて、「姑息なやりかた」を「ひきょうな手段」「ずるいやり方」と思った人はまちがい、と番組で紹介していた。
「姑息」は、「一時しのぎの間に合わせ、その場のがれ」の意味だ、というのが「正しい使い方」という解説。
しかし、姑息の意味が「一時しのぎ、その場のがれ→いいかげんなやり方→ずるい、ひきょうな方法」と、うけとられるようになり、現在は大半の人が、後半の意味で使うようになっている。
「姑息なやり方で上司にとりいるなんて、いやなヤツだ」というセリフを聞いて、「その場しのぎのやりかた」と思う人より、「ずるいやり方」と感じる人のほうが、多くなり、おそらく誤用のほうが定着していくだろう。
日本語の変化のなかで、誤用や誤解が定着していく例として、私がよく出すのは、「あらたし」が「あたらしい」に変わったということ。
「新たし(あらたし)」と「可惜し(あたらし)=おしむべき、もったいない」の混同から変化が起きた、という説が有力。
現代では「あたらしい」という語が正統な日本語として定着し、「あらたしい年になりました」といっても通じない。
今、お菓子のコマーシャルで「やらわか〜い」と繰り返している。幼児的な発音のいいまちがいだった「やらわかい」が、正規の「やわらかい」を押しのけ、さらに「やらかい」「やらけぇ」という言い方も増えていくだろう。
「夜空ノムコウ」がはやったときは、♪僕の心のやらかい場所を〜について、「やらかい」なんて俗語を歌詞にして、と眉をひそめた人もいたが、CMの「やらわか〜い」にクレームつけた人、いただろうか。
誤解の定着。よく知られたことわざの例をあげる。
「情けは人のためならず」の意味が、「情けを他の人にかけてやると、周り回って必ず自分のところにもどってくる。だから、情けをかけるのは他人のためなのではなく、結局自分のためになることだ」というのが原義。
だが、若い世代にはぴんとこなくなり、現代解釈「やたらに他の人に情けをかけると、甘えて自立できないだろうから、情けをかけるのは人のためにならないことだ」と、受け止め方が変わった。誤解のほうが優勢になっていくかどうか、ウォッチング継続。
「流れに棹さす」も、「棹でこぐ船の船頭が流れに棹を入れ、勢いを増す」という原義から、現代解釈「流れに棒を入れて流れを悪くする」へと変化。若い世代には棹で動かす船が縁遠いから、理解できないのだ。
誤読の定着。間違った読み方も定着すれば「慣用読み」として辞書に載り、やがては正式なものになる。意味が誤解されたことわざや熟語も、多数が間違えて使用するなら、そちらが優勢となる。
ことばの意味や読み方がしだいに変化するものであることは、生きた言葉に内在する運命。「あわれ」も「かなし」も「あからさま」も、千年前の人々とは異なる使い方をしている。「姑息」の使われ方が変化していくのも、止められない。
ことばの意味や発音は千年前とは変わってきても、生きた変化の中で、積み重なったことばの文化は、伝えられてきた。豊かな言語環境があるなら、いくつかの言葉の読み方や意味がしだいに変化していくこと自体は、問題ないことと言える。問題なのは、言語文化を含めた文化全体の貧困化というゆくすえだろう。
なにしろ一国の首相のことばが「ボキャ貧」と評されたり、「説明責任をはたすことができない」と、嘆かれる国なのだ。
一度口に出したことばを守らなかったことに対して「首相は公約を1つも守っていない」批判されると、「この程度の約束を守らないことは大したことではない」と公言した1年前の「ことばのいいかげんさ」を忘れるヒマもないうち、今年は、質問に対して、「フッフッフッ」と薄ら笑いをしながら、はぐらかそうとする。
最も真摯に言葉をやりとりすべき場で、「適切はテキセツです」と、言葉を軽視した発言を繰り返す姿勢が、子どもたちへと蔓延しないことを願う。
5年生が「あかじゅうじ」と読んだことを心配するよりも、「適切はテキセツです」としか説明しようとしない人を一国のトップにおき、皆がそれでいいと思っていることを心配する私は、「杞憂人」となって今日も一日、空をながめているしかない。<おわり>
10:11 |
wasureyuki6
> 今、お友達の掲示板に書き込みをしていて疑問に思ったのですが、『またのお越しをお待ち申し上げております』って表現を使ったのですが、これはおかしくないでしょうか?
>
はじめまして。
「おこし」は、
「お越し」ではなく「お来し」ではないでしょうか?
2006-07-09 16:39:22 | ページのトップへ |
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[
haruniwa
> 今、お友達の掲示板に書き込みをしていて疑問に思ったのですが、『またのお越しをお待ち申し上げております』って表現を使ったのですが、これはおかしくないでしょうか?
>
> 『またのお越しをお待ち致しております』が正しいのか、どちらも使われている様には思うのですが、書き込み時には上の方しか浮かばず、それを使ってしまいましたが、何か変?ですよね?
2006-07-09 18:42:47 | ページのトップへ |
「お越」と「お来し」
haruniwa
漢字表記にはゆれがあります。
慣用的な使い方、当て字などがあり、この「漢字表記のゆれ」については、春庭が「誤読みから慣用読みへ」というタイトルでテーマにしたことがありますので、そちらを参照いただければ幸いです。
nipponia0502.htm
「お越し」ではなくて、「お来し」ではないか、というご指摘、漢字表記に関心を持っていらっしゃること、とてもすばらしいですね。
結論から言ってしまうと、どちらの表記も可能です。
「今までたどってきた年月とこれからの先の年月」という意味で使われる「こしかたゆくすえ」も、「来し方」という本来の表記のほかに、もともとは当て字であった「越し方」という表記も辞書にでており、社会使用上は、両方とも許容されています。
「来し」は、カ段変格活用の「来」(こ、き、く、くる、くれ、こよ)の未然形「こ」に助動詞「し」がついたものです。
しかるに、ことばは常に誤用があり、ゆれ動くもの。
平安時代の女性文学、女流日記などには、すでに「こし」のかわりに、「きし」という誤用→慣用表現が現れています。
「お越し下さい」という場合も、「越す」の連用形名詞「越し」を丁寧にした「お越し」に「ください」がついたものと考えることもできるし、カ変動詞「く」の未然形「こ」に助動詞「し」がついたものに、丁寧の「お」が加わって、「お来しください」になった、と考えることもできます。
昨日2006/07/08の春庭コラムに、もともとは「嶮悪」という漢字表記だったのが、「剣幕」に変った、という例をあげました。
漢字表記に、その時代その時代の「正書法」「ただしいとされる読み方」はあるのですが、ことばが、年ごとに変化し、移り変わっていくように、漢字表記も、誤字誤読を経たり、慣用的な読みかたを経て、かわっていくのです。
「お越し」と「お来し」は、現在ではどちらの表記も可能となっている、という考え方でよろしいと思います。
2006-07-09 19:05:04

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春庭ワークショップ目次

