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Workshop for Nipponianippon Communicative Language& Culture Studies![]()
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いろいろあらーな 春庭エッセイ2006年1月
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2006 新年スマイル 01/01、02 新年 01/04 木琴 01/09 ことばのやちまた 01/26 ♪Smile Again♪
2006/01/01 日
やちまた日記>新年
おめでとうございます。新しい年がなぜめでたいのか、については、めんどくさいから、2年前に書いたカフェ日記からコピーします。
日記なんてものを読み返すのは、仕事を引退して、本を買う金もなくなってよほど読むものに不自由してからだと思っていました。
紙の日記帳にペンで書いている頃は、確かにそんな感じでしたが、今、ネットに載せていると、読み直すのも簡単にすぐできるし、コピーも簡単なので、新年のあいさつなど、毎年、去年の日記をコピーすればすみ、なんてイージーニューイヤーなんでしょうね。
はい、以下、一昨年のコピーです。
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年のはじめ、「すべてのものが去年とは生まれ変わる」というのが、古来からの私たちの考え方。
こどものころは、「昨日と同じ太陽なのに、なぜ元旦の朝は、初日の出とか言って、みんなありがたがって拝むのか。おおみそかの太陽を拝んだって、2月16日の太陽を拝んだって、同じ太陽なのに」と、思った。(ヘリクツばかり言うイヤな子どもと思われていました。)
でも、大人になった今は分かります。私たちの人生や生活は「区切り」というものがないと、とりとめがなくなり、たちまち淀み汚れていくのです。
どこかに「区切り」を設けて、リセットする。時間はすべて新しいものに生まれ変わり、新しい気分でスタートすることができる。
そのための「新年」であり、そのための「初日の出」「初詣」です。去年つらいこといやなことがあった人も、すべてリセット。
今年は今年で、きっと何か新しいことに出会える。
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おお、春庭、2年前にちゃんと、よいこと書いておりますなあ。毎年引用してもいいくらいぢゃ。
どうせ、読む人は読んだはしから忘れていくのだから、この一文だって、自分から2年前のコピーだと言わなければ、みんな出来たてほやほや、ペン先からインクしたたり落ちてくる新鮮な文章だと思って読んでくれるのに、新年早々、正直者を丸出しにしてしまったぞ。ま、自分でもこんなこと書いたなんて忘れていたのだ。
てなワケで、2年前の日記をコピーして、新年を始めるというその態度からして、「今年もできる限りの手抜き仕事、がんばりっまっしょい」、というサボリ志向が全開でございます。
いやはや、めでたい。
00:12 |
2006/01/02(月)
言海漂流・葦の小舟ことばの海をただようて>「あけおめ」盛衰
手抜き二日目。一昨年の日記コピーに引き続き、昨年のコピー。
「正月は時間のリセット」に関して、続きです。自分でも「へぇ、こんなこと書いたのか」と思って読み直しましたから、皆さんも、はじめて読む気分で読んでくださると思いまして、、、、、
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年がひとまわりし、切り替わる正月は、「時間のリセット」であり、「魂の新生の契機」として機能してきた。
リセットによってすべてが新しくなり、この先1年間生き続ける活力を得たのだ。新しい太陽、初日が上るのを見、新しい水、若水をくみ上げる。一年最初に言葉を交わしあい、ともに酒を飲む。
時間がリセットされることにより、新たな生成が準備される。ことに農耕社会にとっては、土地と時間の新生は、新たな生産のために重要なことだった。土地と時間の新生は「めでたし(メデ(愛で)イタシ(甚し)」と感じられる出来事だった。
今は満年齢で年をいうが、「数え年」のころは正月にいっせいに年を加えた。時間のリセットによって、自分の年齢も切り替えた。年齢がふえるということは、一歩死に近づいた、ということになる。
「正月は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」という歌(伝承では一休禅師作だが、確かではない)は、正月という時間を意識するふたつの面をうまく表わしている。
人の一生の中で、特記すべき通過儀礼(イニシエーション)は、誕生、命名、成人、結婚、葬儀などであり、世界各地にさまざまな儀礼が存在する。
成人の儀礼では、人は「子ども」の自分をリセットして「大人」へ生まれ変わる。葬儀では「生身の人」から「ホトケ、カミ、タマシイ、ゴセンゾ」などと呼ばれる存在にリセットされる。自分のいるステージがリセット変更されるのだ。
一生の時間のステージリセットと、毎年の生命力のリセット新生が組合わさって、ひとりの人間のすごす一生の時間が進んでいく。これにより「新年おめでとう」なのだ。
これらの「リセット新生」を感じない人が育っていき、新年がめでたいものでなくなれば、「あけましておめでとう」のあいさつは形骸化し、やがて消えていくのもしかたがない。「あけおめ」という簡略賀詞が生き残る確立も低い。
「今年もよろしく」と、賀詞を言い合うことにより、これから先1年の交流継続を確認する意味が薄れれば、きのうの続きとして今日もなかよくすればいいだけで、ことさら新年用のあいさつを交わさなくても、友達づきあい商売づきあいができるのだ。
昔は、取引先や上司の家への年始まわりが正月の大切な行事だった。江戸時代には、正月松の内に60軒や70軒の年始にまわりは当然というところもあったとか。
しかし、昨今では「年始回り」も「親の顔を見に行くだけ」という人も増えた。今年、年始挨拶のために松の内に何軒のお宅を訪問しましたか?ほら、50軒まわったなんて人、いないでしょ。昔だったら、そんな不義理をしたら非難囂々だったかも。
年始回りの習慣がこれまでの100年で消えたように、年始回りの代用として機能していた年賀葉書交換も、50年後には廃れているかもしれない。
友人知り合いと新年の賀詞を言い合う習慣が意味をもたなくなれば、「新年おめでとう」も「あけおめ」も、消えていく。
50年後100年後に、「新年が来たことを寿ぎ、あいさつをかわす」という習慣が残るのか、先細りになった末に消えるのか。これから生まれてきて、50年後100年後に日本語を社会の中で使う人たちが、それを決めるだろう。
「明けましておめでとう、新年おめでとう、のあいさつを大切にしましょう」と、声高に主張する必要はない。変わる必要がある言葉は変わり、残る言葉は残る。
新年あいさつのことばが残るかどうかは、これから生まれる世代の人たちがどのような社会のなかで、どのような生活をしていくのかによる。
その社会を用意し、作り上げるのは今の10代以下の人々であり、今の20代10代を育てたのは、私たち親世代なんだけど。
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と、去年の日記をわざわざ引用したのは、昨年の1月に「あけおめ、ことよろ」という省略賀詞が生き残るかどうか、ウォッチングしたいと書いたからだ。
で、どうだったかというと、カフェ日記足跡コメントで見る限り、この簡略賀詞は、「チョベリバ」のように、ごく短い期間の流行だけで消えていく流行語の傾向を見せている。
30の足跡コメントにある賀詞のうち、「あけおめ」類はひとつ、またはふたつ程度。下にあるサンプルのうち、最初の3つが1サイトに並んでいるのが目を引いたほかは、少数派であった。
来年の「あけおめ」はどうなるだろう。命脈を保って「フツーの挨拶語」になるのか、それとも「死語」への道をたどるのか。
カフェサイト内の「あけおめ」収集。
2006/01/01 11:51 you0914 あけおめ!元気だよ!(プロフィール年齢35)
2006/01/01 10:06 you127 了ヶ才乂 ⊃├∋□ (プロフィール年齢14 中学生)
2006/01/01 08:27 passed あけおめ〜 これからバイクで京都まで初詣〜♪ (プロフィール年齢 20代)
2006/01/01 20:57 fuuh あけおめ〜♪
2006/01/01 17:30 rimia あけおめ〜 今年も宜しくね (不詳)
2006/01/01 16:13 aoi0522 おけおめ♪ (不詳)
2006/01/01 15:13 yamayan 新年あけ・おめ、今年も宜しくお願いします。m(__)m ペコペコ (プロフィール年齢50代)
2006/01/01 00:57 arareokaki あけ おめ こと よろ (プロフィール年齢 年取らないの)
2006/01/01 00:51 onceagain あけおめ!o(〃'▽'〃)oことよろ〜 (不詳)
2006/01/01 11:57 ms06sp あけおめです〜!(プロフィール年齢不詳 社会人 )
2006/01/01 05:26 yrobek42 あけおめ〜 今年も仲良くしてねぇん (不詳)
「あけおめ」賀詞は、去年より数が少なくなってきた。もちろん私がぐるりと一回りした中だけのことだから、もっとたくさんのサイトをまわれば、多数収集できるのかもしれないけれど、サンプル収集としては、これくらいでいいだろう。
ひとしきり若者ことばとしてお正月を席巻した「あけおめ」が流行のピークをすぎてしまったことがうかがえた。
「ことばはどんどん変わっていく」その変化のウォッチングを続けていきたい。
どうぞ、今年もよろしくお願いいたします。
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2006/01/03 追記
「春庭へ花一輪」に届いた足跡コメントの中で、「あけおめ」はひとつだけでした
2006/01/03 14:00 atton あけおめ〜〜
2006/01/04以後追記
2006/01/04 23:07 lilico あけおめ&ことよろ☆
2006/01/04 23:46 misuzuo あけおめ♪ことヨロ♪,,,φ(・・。)ゞ
2006/01/09 02:43 camichan あけおめ('▽'*)
00:01 |
2006/01/04(水)
やちまた日記>木琴
木琴は世界中の民族楽器の中で、たいていの民族の音楽の中にある。
西アフリカのパラフォン、南アフリカのマリンバ、インドネシアのリンディック、などの木琴。ベトナムの「チャルン」は木ではなく竹でできている竹琴。
木琴の響きが好き。マリンバもシロフォーンも音板打楽器。
小学生時代の音楽クラブで、私の受け持ち楽器はシロフォンだった。大型木琴の下に金属のパイプが共鳴用についている楽器。
家では小さな学童用木琴で練習し、大型のシロフォンは学校で演奏できるだけだったので、大型シロフォンが自分用に欲しかった。
でも、母が買ってくれたのは電動オルガンだった。ピアノを習うことになった。
ほんとはピアノのほうがよかったが、大卒初任給1万円ちょっとの時代にピアノは20万円した。オルガンの5倍の値段だったから、とても我が家の経済では買ってもらえないことは子ども心に納得していた。
バイエル、ハノン、チェルニーなどの教則本を習ったが、たいしてうまくもならず、ソナチネを練習しているときに高校受験になったので、それきり習うのはやめてしまった。
姉を溺愛していた伯母は、姉のために琴を買ってきた。姉はお琴の稽古を始めて、生田流の師範のもとに通った。
私もお琴を弾いてみたいと思って、見よう見まねで弾いてみたこともあったが、私には正座を続けて演奏することができなかった。
今では椅子に座って演奏することもあるのに、当時は「あんたは正座していられないんだから、お琴ひきたがっちゃ、だめ」と、からかわれた。
40年以上も昔の話です。
2002年に姉が亡くなるずっと前に、姉のお琴はフリースクールに寄付されていた。妹が運営に関わっているフリースクールで、学校外の学びを選んだ子どもたちが弾いている。
日本の伝統楽器の琴や琵琶だけでなく、世界の民族楽器の音色が好き。もし、コレクターとして何かを集めるなら、各地の民族楽器と、民族舞踊の衣裳と仮面を集めたいと思っている。
タイの民族楽器、ラナートという木琴の音色を、映画ではじめて知った。
『風の前奏曲』というタイのラナート奏者を主人公にした映画。ラナートの響きは、ほんとうにすばらしかった。
映画『風の前奏曲』の紹介 春庭映画いろいろあらーな『風のラナート』
00:11 |
2006/01/09 月
ことばのYa!ちまた>ことばのやちまた
『詞八衢(ことばのやちまた)』は、本居春庭の著作、1808(文化5)年に出版されました。
『詞通路(ことばのかよいじ)』と並ぶ、江戸期を代表する「国学」の重要文献です。
『詞のやちまた』は、用言(動詞、形容詞)の活用について書かれた「日本語文法研究書」です。日本語文法を研究する者、ことに動詞論を専攻した者には必読の書。
動詞の主な4つの活用、「四段」「一段」「下二段」「中ニ段」と、サ行・カ行・ナ行の3つの「変格」、計7種の活用について、実例を挙げながら説明されています。
形容詞に関しては、本論では除いていますが、「上」の冒頭に、2つの活用(今でいう「ク活用」と「シク活用」)を指摘しています。
本居春庭の名前を勝手に借りている「ぽかぽか春庭」、不勉強な人間ですから、「他動詞論・再帰構文」で修士論文書き上げたあと、一度も彼の『詞のやちまた』を読み返すことなどしておりません。
日本語文法研究は棚の上にあげたきりですが、この偉大な著作からまたまた、勝手に名前を拝借しました。気ままなエッセイのタイトルに、つけたタイトル「ことばのYa!ちまた」
巷でひろったことばのいろいろから、思いつくあれこれを書き綴っていきます
「色葉字類抄」は、平安末期(1164〜80年)に成立した上,中,下3巻の辞書。「ことば」と「ことがら」とを併せた形で、「言葉の辞書」と「百科事典」とを兼用しています。
橘忠兼が編纂した三巻本をさまざまな人が筆写し、鎌倉時代以後、各種筆写本が出ています。10巻本「伊呂波字類抄」などが流布している。
ぽかぽか春庭、この「色葉字類抄」を借用して、コラム「I・Ro・Ha Jrui Show Time(色葉字類抄待夢)」と題しました。文字表記や
ことばのあれこれなど綴ってまいります。
もとより、文字表記も語彙も貧弱なる春庭、間違いあやまち、多々ございましょうから、どなた様も、どうぞ、お気づきの点はどしどしお知らせくださいませ。
本年の新コラム紹介
・「ことばのYa!ちまた」巷でひろったことばのいろいろ
・「色葉字類抄待夢(I・Ro・Ha Jrui Show Time」文字表記、漢字、校正校閲、辞書などについて
・「言海漂流・葦の小舟ことばの海をただようて」ボギャブラリー語彙意味、のあれこれ
これまでと引き続きのことばコラム。
・「ことばの知恵の輪」その他、ことばについていろいろ。
以上のコラムで、語彙意味、文法、言語学、文字表記、方言、死語などなど、ことば、言語文化、日本事情などについて書いていきます
2006/01/26 (木)
やちまた日記>♪Smile Again♪
t******さんから「づ」から始まる漢字のことばがあるかどうか、質問があったので、「現代仮名遣いでは、「づ」から始まる漢字熟語は、一般の卓上辞書に搭載されている範囲では見つからなかったという回答を昨日(2006/01/25)書きました。
質問を寄せてくださったt******さんからは、「授業料は今世紀中に」という足跡コメントをいただきました。
t******さん以外の方も、コメントを寄せてくださってありがとうございます。
s*****さんから、はじめてコメントをいただきました。ありがとうございます。
「 使い方を間違えているのは、自分で悪いのですがここでは、気兼ねなくみんな書いていると思います。指摘されるといやな思いもすると思います。当分日記は書かないと思います。あなたは、相手に対してもっと気をつかった言い方が出来ますか?
こう言われるといやな思いをすると思いますがこれが今の気持ちです。」
(2006 1/25 19:16)
s******から上記のご指摘をいただき、びっくりました。
私の日記の内容、足跡コメントなどで、不愉快な思いをなさった方がいるとしたら、わたしの表現不足のためだとおもいます。申し訳ないことをいたしました。
しかし、断じて私は、どなたかの日記の文章に関して、「あなたは、ぢとじの使い分けをまちがえている」と指摘したつもりなどありません。
昨日、春庭は、s*****さんのサイトを訪問し、
2006/01/25 17:41 haruniwa 「ぢじづず」使い分けかき分けできますか?
という足跡コメントを残しました。s*****さん個人に向けてのコメントではなく、他の方のサイトにも同じコメントを残しました。
「ぢじずづ」の四つ仮名の使い分けに関して、江戸時代から混乱がおきて、使い分けがむずかしくなったということ、現代仮名遣いでは使い分けの基準があること、この2点を紹介した文章なので、四つ仮名のかなづかいに興味を持ってもらうための足跡コメントのつもりだったのです。
どなたかの記述が「まちがっている」などと書いていないし、「正しくつかい分けていないなら、日記は書いてはいけない」ということも、申し上げておりません。
春庭がまえまえから主張していることは、個人の表現は、どのような文章も、どのような文字の使い方も、自由だということです。
他者を意図的に誹謗中傷するものでない限り、表現の自由は保障されるべきものであり、漢字の選択や仮名遣いも表現の自由に含まれます。
先週2006/01/14(土)表記校正(1)にも、以下のように書きました。
「 個人の表現における表記は自由でかまわない。自分の日記や詩の中で、「黒」と書いた文字に「しろ」とフリガナをつけても、何らさしつかえない。お好きなように。
だが、公的な文書、マスコミの文書には、語彙表現で許容される範囲、仮名文字や漢字の標準的表記法が存在する。」
個人の日記の中で、漢字をどう書こうと仮名遣いをどうしようと自由だ、と再三申し上げてきました。
おそらくs******さんは、春庭の足跡コメントを見て、ご立腹なのだと存じます。
短い足跡コメントは、こちらの表現が不足して、不愉快な気持ちを感じるかたがいたら、本当に申し訳ないことです。
春庭の日記本文を読めば、だれかの特定の日記に対して「かなづかいを間違えて書いてはいけない」などと指摘してないことは、わかっていただけるものと思いましたが、書いたことの内容を、自分が意図した通りに理解してもらうのは、とても難しいことなのだと得心しました。
どのように書いたとしても、「わたしはあなたの書いた文章を読んで傷ついた」という人が現れる、と、ネット社会に向けて書くことの危険性について注意を受けたことがありました。
私は、日常生活の雑記と、自分の仕事の内容「言葉」について書いてきたので、どなたかに不快の念をあたえる可能性は低いと思ってきたのですが、現実に、私の書いたことを読んで「いやな思いもすると思います。」という方がいたのですから、これからも、ますます自分の書くものについて気をつかっていかなければならないと、心しております。
ただし、昨日の「四つ仮名」かなづかいについての記述に関しては、どうしても「指摘されるといやな思いもすると思います。」と、受け取られるような内容を書いたとは思いませんので、日記を削除することも変更することも、するつもりがありません。
もしできるなら、どんな理由によって「指摘されるといやな思いをすると思います」という感想になったのか、教えていただければありがたく存じます。
s******さん、「自分が書いたことが誤解を受ける可能性」について、改めて気づかせていただき、ありがとうございました。
今夜はコメントを読んで以後、「誤解を与える文を書いてしまったのだろうか」と落ち込んでいましたが、明日からまたさまざまな方の日記を読ませていただきにカフェめぐりします。
さまざまな思いさまざまな生活の記録を読ませていただいて、泣いたり笑ったり、会ったことも見たこともない人の記録に心ゆすぶられ、それが明日を生きていく心の糧になっていきます。
また、たとえ、人様からみたらつまらないよしなし事にすぎないとしても、私はわたしの思いや考えたことを、ひとつひとつ拾い上げて書き続けていきたいと思っています。
k***パパさんのところ、がんばっているシングルファザーのサイトへときどき読みにいっています。料理じょうずなパパさんとお子さんたちの生活日記、心なごみ、元気をもらえます。
今日は、「Smile agein」という「小学校でよく歌われる合唱曲」を紹介している日記を読ませてもらいました。
メロディを紹介しているサイトへいって、歌ってきました。落ち込み気分も、ちょっと回復してきました。
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「Smile again」
自分がとてつもなく ちっぽけに見えることがあるよね
自分だけが悪者みたいに 思える時があるよね
もう二度と 心から 笑えなくなるんじゃないかと
恐くなるくらい 悲しくなることがあるよね
明日になって(明日になって) 空が晴れたら(空が晴れたら)
自分を好きになって また歩き始めようよ
Smile Again Smile Again うつむかないで
Smile Again Smile Again 笑ってみせて
Smile Again Smile Again どんなあなたも みんな好きだから
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自分がとてもちっぽけに感じた。自分が書いたもので、だれかを不愉快にさせてしまったのかと思った。自分だけが悪者みたいに思って落ち込んでいたけれど、明日になったら、自分を好きになって、また歩き出します。書いていきます。
カフェ日記やブログを読ませてもらうことも、私が書いた文を読んでいただくことも、全部、みんな、ありがとう。
<おわり>
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