経済学とギリシア陶器

この分野においてはこれまでと視点を少し変える必要があります。最も重要なのはギリシア陶器の流通です。ある地域で生産された陶器の出土地点を調べれば、その地域がどのような国々と交易していたのかが明らかになるのです。例えばアテネの陶器はその初期においてはアッティカ地方のみしか輸出されなかったのに、それまで市場を独占していたコリントスの陶器を押しのけて西はスペイン、東は黒海沿岸やシリアまでを交易相手にしていたことがわかっています。ところが南イタリアでも同じような陶器が製作されるようになると西方への輸出は激減し、かわりに黒海沿岸地域を中心とする東方へ市場を拡大していったことが明らかになっています。

ただし注意しなくてはならないのは、陶器が腐ったり、溶かして再利用されたりすることがなく半永久的に保存される遺物であるために、その交易品としての価値が過大評価されがちだということです。陶器は地中海地域で広く取引されていた交易品のごく一部でしかないことを忘れてはいけないでしょう。
陶器の中にはその底の部分などにいくつかの文字やマークが刻線で記されたものがあります。これらは交易の途中で商人などが自分のマークとして記したものだと考えられ、陶器の交易の様子を探る手がかりのひとつとなっています。また中には陶器の値段を記したものもあって、どんなに高価な陶器でも3ドラクマほどで(平均的な日給が1ドラクマ)、安い簡素な陶器だと1オボロス(1/6ドラクマ)の十数分の一と、比較的安い値段で取引されていたことがわかっています。