2 - 2 - 5 ロードス式


 ヴルーリア式(Vroulian)は特徴的なカップに代表される特異な様式を持つ陶器で、そのカップが数多く発見されたロードス島のVrouliaから名付けられた[1]。陶土の質は良好で茶色く、黒く塗りつぶされたその上にこげ茶色や紫で装飾が施された。

 そのカップの口縁部は外反し、坏部は深いが底は小さく、小型の円錐形の脚部を持つ。口縁部には鋸歯文、その下には連環文などが描かれ、メインの部分にはロータスなどの植物文が描かれた。内面には大きく星やパルメット、ロータスなどの文様が描かれることが多い。アンフォラやスタムノスなどもわずかに作られ、同じような手法で描かれたが、もう少し簡素に描かれた。

 出土はロードスを中心にナウクラティスやキュレネ、テル・スーカスなどで、その出土状況と陶土分析の結果からロードス島をその製作地とするのが有力である。年代は六世紀の中頃から終わりまでと推定されている。

 これらとともに、シトゥラ(Situla)と呼ばれる鐘型の、ペリケをさらに寸胴にしたような陶器が数多く発見された[2]。その器形から見てかなり実用的なものだったようで、像の描かれた例はあまり多くない。

 初期の例は胴部にイオニア地方南部のWild Goat Styleの動物が描かれている。グループB及びC3では胴部の画面が三分割されるが、その上段に最も重点が置かれている。グループBの陶土は良質で茶色く、装飾には紫も多用されるが、同時に刻線による描写も見られる。把手は三本の粘土ひもからなる。上段の画面はさらに横に三つに区分され、中央にはグリフォンやテュフォンなどの怪物や、神々や人物などが大きく描かれた。その様式は同じ時代の他のどの地域のものとも関連性が薄いが、出土例の多さと陶土分析の結果からロードス島が製作地と考えられ、六世紀の中頃に年代付けられている。

 グループCは陶土の色がやや淡く、こげ茶色の装飾ははがれやすくなっている。紫は頻繁に用いられるが白は使用されず、描写には刻線が用いられた。画面はやはり三段に分割されるが、下の二段にはVroulianと同じ文様が描かれる。

 出土はロードスのイアリュソスからわずかに出土しているほかはほとんどがテル・ダフネからのもので、530年代から500年前後に年代付けられている。製作地については、その出土状況からエジプトを候補にあげるものもいるが、一点の陶土分析の結果はロードスが製作地である可能性が高いことを示している。

 またロードスでは七世紀の末以降様々な形をかたどったアリュバロスが作られた[3]。これらは二つかまれにそれ以上の型を使って作られ、円盤状の口縁部が取り付けられる。その種類は様々で、兜を被った戦士や河神アケロオスなどの頭部や、ゴルゴンや女性の胸像、動物の頭部や全身像、あるいはサンダルを履いた足をかたどった香油容器が数多く作られ、広く輸出された。

[1] Vrouliaの発掘および出土陶器については、Kinch, K. F., Fouilles de Vroulia, (1914)参照。
[2] Situlaについては、Fouilles de Vroulia pp.125-126、CVA British Museum 8 pp.29-37を参照。
[3] ロードス製の像形陶器については、Ducat, J. Les Vases plastiques rhodiens archaiques en terre cuite, (1966)参照。