1 - 3 - 1 幾何学様式(概説)


 原幾何学様式を脱し、いち早く幾何学様式に入ったのはアッティカであり、前900年頃に始まり、前700年頃に終焉を迎える[1]。年代による様式の変化から前期(EG 900-850)、中期(MG 850-760)、後期(LG 760-700)に分けられ、それぞれはまたMG IやMG IIといったように細分化される。学者の中にはこれを更にLG Iaあるいはbとさらに細かく分けるものもいる。アッティカ以外の地域についても年代的なずれが多少あるものの同じ用語を用いることができる。

 原幾何学様式との大きな違いはこれまで中心的な装飾要素であった同心円文が姿を消し、代わって直線的な文様が新たに導入された。こうした文様は時代と共に多様化し、また装飾もこれまでは頚部や胴部の一部に限られていたのが、画面全体を覆い尽くすようになった。多くの学者が信じているように、その装飾には籠の装飾的な編み目を模したと思われるようなものが多く、実際籠を真似た器形も登場している。

 幾何学様式の中期の後半からは動物や人物の図像が描かれるようになる。いずれもごく簡単なシルエットで表現され、顔は側面、上半身は正面、下半身は側面で描くという様式化された図像となっている。これはそれぞれのパーツの特徴が最もよく現れている角度を組み合わせた結果であった。図像に対する興味が強まる一方で幾何学的な束縛は緩み、東方化様式を経て黒像式で花開く図像装飾はすでにこの時代に発していた。

[1] 幾何学様式については、Coldstream, J. N. "Greek geometric pottery" (1968), Coldstream, J. N. "Geometric Greece" (1977), Schweitzer, B. "Greek Geometric Art" (1971)を参照。