2 - 1 - 4 キオス島の東方化様式


Wild Goat Style

 19世紀の末に行われた発掘によりエジプトのナウクラティス(Naukratis)からある様式を持った陶器が多数出土し、当然のごとくここで作られたものと考えられていたが、キオス島の発掘によりその先行する様式とともに発見されるに及んでキオス式と改められた[1]

 その最大の特徴はピンクがかった陶土に上塗りされた白い化粧土である。キオスにWild Goat Styleが導入されるのはイオニア南部がその中期IからIIへ移行する頃で、それまでは亜幾何学様式(Sub-Geometric Style)が続いていた。

 導入時の様式はイオニア南部のものと似通ったものだったが、次第に独自のスタイルを確立していく。充填文はどこか重たげでやや窮屈であり、雑に配置されているといった印象を受ける。イオニア南部に見られる文様のほか、ロゼッタ文や渦巻を十字に組み合わせた文様が用いられた(fig.1-2)。連続文としてはメアンダー文や連環文が好まれたが、後者の場合イオニア南部のものに比べて細身になっている。動物の腹部には列点文が施されており、これはイオニア南部にも見られるもののこの時代には廃れていた表現である。

fig.1

fig.2

 イオニア南部との最大の相違はその器形で、最も好まれたのがチャリス(Chalice)と呼ばれる深い高坏で、深い坏に短い脚部、両側面に横向きに取り付けられた把手を持つ。またこのほかにもディノスやオイノコエなども作られた。

 600年頃からはその様式が大きく変化して、アニマル・チャリススタイルへと移行する。器形そのものはよりスレンダーになり、動物の描かれる画面もこれまで両面が植物文などで中断されていたのに対し、フリーズ状の連続したものに変化していく。またその動物もこれまで好まれていた山羊や水鳥、犬などに代わってライオンやスフィンクス、雄牛や猪などが流行し始め、またまれに人物さえも描かれた。動物の体の一部には紫色の顔料でアクセントがつけられ、黒く塗られた坏の内面には白と紫でパルメットやロータスなどが描かれた。やはりチャリスが大多数を占めるが、フィアレやカンタロス、ヒュドリアなども作られた。

 アニマル・チャリススタイルからやや遅れてチャリススタイルという新たな様式が生まれる。もはや充填文は描かれず、外面の一面にのみライオンなどの像が描かれ、反対側はロゼッタ文のみであったり、何も描かれなかったりと簡素であった。また人物像も登場するようになり、その様式は後のグランドスタイルと同じものである。メインの画面の下には稲妻にも似た文様が描かれた。

 出土は近隣の地域で確認されているほか、アイギナ島でも出土しているがギリシア本土からの例はほとんどない。オルビアなどの黒海地方や、ナウクラティスを初めとするアフリカの都市で数多く発見されている。また西方ではタラントやカタニア、マルセイユなどからわずかに出土している。

[1] キオス島の発掘報告は、Boardman,J., Greek Emporio (1967)参照。またキオスのWild Goat Style及び黒像式の分類については、Lemos,A.A., Archaic pottery of Chios: the decorated styles, (1991)を参照。
[2] アイギナ出土の陶器については、Williams, D. J. R., "Aigina. Aphaia-Tempel v: the pottery from Chios", AA 1983, pp.155-186参照。