東ギリシアといってもその範囲は広く、陶器の制作地として主要なものだけでもイオニア、アイオリス、サモス、キオスなどがあり、このほかにもメロス、テラ、ナクソスなどのキュクラデス諸島でも陶器が生産されており、それぞれ異なる様式を持つが、同時にこれらの地域に共通してみられる特徴もある[1]。後に述べるコリントス式との比較で言えば、まず根本的に異なるのは描写の手法であり、コリントス式が黒のシルエットに刻線で描く黒像式であるのに対し、東ギリシアの陶器は刻線はまれにしか見られず、描線を中心とした手法である。また描かれる動物も人物もコリントス式に比べてかなり自由な姿勢や構成で、彫刻や建築におけるドーリス様式とイオニア様式の違いがここにも当てはまる。
メロス式の例では、紀元前660-650年頃のアテナイ国立博物館所蔵のクラテルの頚部には一騎打ちをする戦士が、胴部には四頭の有翼の馬の引く車を駆るアポロンとそれを迎えるアルテミスが描かれている。アルテミスはそのほとんどが描線によって描かれていて、衣服の文様なども細かく描かれている。また空間にはパルメットやロゼッタなど東方起源の充足文が多用されている。
これとはまた様式的に多少異なり、東ギリシアを代表するのが野山羊式と呼ばれる陶器である。625年頃のJ.
P. Getty美術館所蔵のオイノコエ(Malibu
81 AE 83 / PP)を見ると、胴部には野山羊式の名前の通り野山羊が描かれていて、その描写は描線によるものである。また肩に描かれたグリフォンや鳥も描線によるものである。空いたスペースには様々な種類の空間充足文を多用しているが、像も装飾も描線によるせいか、刻線を多用するコリントス式に比べて明るい感じになっている。
まれに神話の場面も描かれ、600年頃に作られた大英博物館所蔵のプレートにはメネラオスとヘクトルの戦いの場面が表されている。イオニアではその後フィケルラ式と呼ばれる様式が取り入れられ、動物よりも人物像が取り上げられたが、依然として刻線ではなく輪郭線によって描かれている。一方アイオリス地方では黒像式を取り入れたクラゾメナイ式と呼ばれる様式が導入された。
またアッティカのリトルマスターカップを模倣した陶器も作られ、恐らくサモスがその製作地と考えられている。550年頃のルーヴル美術館所蔵のキュリクスは男性を中央に左右に大きな木が配されていて、様式は野山羊式とは全く異なるものの、その自由な描写はイオニア地方によって制作されたことを物語っている。しかし類例が少ないため確かなことは不明な点が多い。
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東ギリシアの陶器については、Cook,
R. M. East Greek Pottery
(1997)、Boardman, J. Early
Greek vase painting (1998),
pp.141-176、Cook, R. M. "The
wild goat and Fikellura styles:
some speculations" OJA
11 (1992) pp.255-266を参照。ちなみに以下の東ギリシア陶器の記述のほとんどはこの"East
Greek Pottery"をもとにしています。というよりそのまま要約しただけともいえますが。
特にWild Goat StyleについてはSchiering,W.
Werkst閣ten orientalisierender
Keramik auf Rhodos (1957)、Kardara,
Ch. Rodiaki Angeiographia
(1963)を参照。 |
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